はまさきとかリンゴとかそのクラスになれば「ああ仕事で言ってるんだな」ってわかるんだけど、
その人はメジャーデビューはしてるもののライブ好きでもないとほとんど知らないだろうなってクラスの人なんだよね。
そのくらいのレベルのときの曲作りにあんまり仕事だから書きたくないことも書くってどうなのかなって思うし。
実際訴える痛みがあまりにもリアルすぎて大衆受けは絶対しないって感じだし。
まあ美人は美人なりにいろいろ抱えているもんがあるんだろうなとは思う。
俺はそういう人好きだから聞くけどね。
自分も一時期それに近い症状に陥ったことがある。
今は全然平気になった。
逆に、ライブのあとのペラアンケートとかもわりと埋めて出すようになった。
折り合いというより、克服話になっちゃうか。ごめん。
アンケートの自由回答やら、雑多な感想やらを「受け取る側」を経験したことだと思う。
学校の文化祭実行委員だか生徒会だったか、どこでだったかはちょっと忘れた。
見られる、読まれる側の意識だけだったのが変わったんだろうな。
すげえ適当なこと書いてあったり、雑な文句を言われたり、言い方はきついけどごもっとも、って内容もあったし、でもその全部がけっこう読んでて楽しかったし、嬉しかったし、みたいな感じで、「あー、なんでもいいんだなー」って思い直したというか。
逆に、自由回答が埋まってないのを読んでも特に何も思わないこともわかった。
だから自分が書くときも、なんとなくぴんと来ない時は埋めずに出す。
書けない時もあって当然だから。
コメントを見てきたなかで、いいな、って思った人の語り方が今の自分のアンケート記入の書き方のモデルになってると思う。
自殺願望と希死念慮は若干意味が違って、それぞれの疾患により人に沸き起こる感情は主に
希死念慮は「死ななければいいけない」
例えば、
オープンしたファイルをクローズし忘れてて、一定数までオープンすると
linux のOS側の制限で開けなくなるみたいな、特定のリソースをリミットまで使い切ると動かなくなる系なのかなぁ?
自己認識の話と、他者認識に必要という話は理屈でもつながってないので、そこんとこもうちょい突っ込んで説明してくれるとうれしい。
前レスの追記で書いたけど、こちらに移す。
自分がどういう人間であるかを説明するためには、一般的に所属とポジションで言うわな。
同時に他人について説明するためにも「こちら○○社の△△課の課長の山田さん」という所属とポジションで説明するでしょ?
説明しやすいポジションをもってないときに、別の表現でどんな人かを説明することにはなるんだけど、ポジションがあるならまずはそれに基づいて説明する。
だいたい人は自分をアイデンティファイするのと同じ方法で他人を認識するのだということは、この例でわかる?
(極端な例では、子供の配偶者の所属を気にしたりとか、離婚・再婚に関するスティグマだとか、個人で仕事してる人を社会的に下に見たりとか)、そういう概念を持っていない、あるいはそういう概念に縛られたくないと思ってる人もたくさん知っており、傾向として後者の方がどんどん大きくなってるから、日本社会もそれに合わせて変わらざるを得ないだろう、と考えている
日本はそもそも人間の流出入が割合として少ない国なので、そうそう変化はしないと思うけどね。
まあ少なくとも直近の話ではない。
オタクは恋愛とか二の次にして婚期逃してそうなイメージだし、不愉快に思う人が多いかなと思ってそういう話は呟かないようにしていたのだが、婆ジャンルに来たらみんな普通に家庭のことも呟いてる。
自己認識の話と、他者認識に必要という話は理屈でもつながってないので、そこんとこもうちょい突っ込んで説明してくれるとうれしい。
おそらく君は、そういう概念を持たずに過ごしてきたので、その有効性が分からないのだと思うけれども、
およそ社会を構成する集団である、家族-地域社会-国等、というレイヤーの中で、およそ「家族」だけがすぽっと「起点のない概念」が存在しない状態は不便であろうということは
多様な家族を見てきたので、「家族-地域社会-国等、というレイヤー」というものをそこまでリジッドに考えてる人ばかりでないと思っている。がちがちにそういう概念を持ってる人がいることも知っているが (極端な例では、子供の配偶者の所属を気にしたりとか、離婚・再婚に関するスティグマだとか、個人で仕事してる人を社会的に下に見たりとか)、そういう概念を持っていない、あるいはそういう概念に縛られたくないと思ってる人もたくさん知っており、傾向として後者の方がどんどん大きくなってるから、日本社会もそれに合わせて変わらざるを得ないだろう、と考えている。変わることはコストではあるが、変えないと現状後者の人が抑圧されてるので、よろしくない。
逆だよ。美人だからいつまで経っても周りがただチヤホヤチヤホヤするので自分に対する内省を深めることができないんだよ。
ちょっと自分について真剣に考えようとすると「そんなことないよ〜君はそのままでいいんだよ!大丈夫大丈夫!」って言うだけのチンポマンが大量に押し寄せてくる環境下で、「なんか全然よくわかんなけどそのままでいいのかな」以上に考えを進められる強靭な精神を持ってる人間はほとんどいないよ。実際は「そのまま」は思春期レベルの精神性なので「そのままでいい」わけないんだけどね。
でまあある程度の歳までそのノリで行っちゃうと最早チンポマンにしか相手にされなくなるので、永久に抜け出せなくなるっていうね。子供産むタイミングで強制的に変わらざるを得なくなるパターンは多そうだけど。
自分を助けた人を見捨てられないでピンチになるエピソードとか、合理的すぎるから理解されないみたいな描写があるけど、あんまり性格よくなったって印象ないね。
判りやすい図式に落とし込まないと苦情が来るだろ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%94%E5%A0%B1%E6%80%A7%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86
人は他人から何らかの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという感情を抱く心理をいうのだけど。
だから、「親」がプレゼントを与えてしまうと、子供は常に「親」にお返しをしないといけないと無意識に思ってしまう。
十分なお返しができない子供にとって、それはストレスになりかねない。
容姿は決して悪くないってかむしろ人並みと比べたらかなり美人に入るような人なんだが。
その人が作曲作詞をしている歌は非常に自虐的というか「なんであたしは愛されないの。あの子を選ぶの」みたいなことばっかり歌っている。
いや、ほとんどの女性はあなたと競ったらあなたが勝つんじゃないですか?と思うんだけど。
もう34になろうという感じなんだけど。
周りで子供いない人(20代後半〜30代半ばくらいまで)はみんな「子供子供子供!子供超欲しい今すぐ欲しい」という雰囲気だ。
親戚の子供を世話してもう今すぐ子供欲しくて仕方がなくて気が狂いそう、みたいな話(表現はちょっと誇張してるけど)がしょっちゅう聞こえてくる。
曰く、人間歳とったら子供欲しくなるのが当たり前じゃん、っていう。なんでそんなに子供欲しいと感じるんだろう。彼らの言う「子供の良さ」を自分に当てはめて一所懸命に想像しても、別に欲しいと思えないのだ。俺には。
http://anond.hatelabo.jp/20151225010413
1.テンガを指人形風に飾り付ける。
3.「今日はね、皆さんに僕の友達のディックくん(仮)を紹介しましょう。みんなで名前を呼んであげてください。せ~の、ディック君!」
4.後ろを向いてチンコを出し、テンガをかぶせて前を向く。
放送法がーとか公共の電波でーとか、意識高そうな割にネトウヨ記事で覚えた知識を開チンしているだけの無知無知マンが多いコメ欄だったな。
君がそのレスで言っているのは「統一的な呼称がなくても、何とかやっていけるよ!」って話じゃん。
君の言うとおり、これは習慣であり最初から習慣をもってなければ何が失われるわけでもないけど、これはこれで「使える概念」なわけな。
統一的な呼称がないならないなりに、家族を把握することはできるけど、この「起点のない家族概念」を把握することが困難になる。
構成員の誰か視点での家族概念は持ち得ても、俯瞰から見た家族概念は持てない(あるいは持ちづらい)。
「使える概念」が利用できなくなるのは、単純に損。
おそらく君は、そういう概念を持たずに過ごしてきたので、その有効性が分からないのだと思うけれども、
およそ社会を構成する集団である、家族-地域社会-国等、というレイヤーの中で、およそ「家族」だけがすぽっと「起点のない概念」が存在しない状態は不便であろうということは