はてなキーワード: 大航海時代とは
「白色人種がそれ以外の人種より優れているという理念」とあった。
それ以前は、自民族中心主義や外国人嫌悪はあっても、「人種」という概念は存在しなかったらしい。
その大航海時代あたりの事を考えると、白人が世界各地に繰り出し、植民地を作ったり、現地人を騙して
白人優位な契約などを結ばせ、白人が現地人(白人以外)から搾取しまくった。そらあ儲けは凄まじかったろう。
アメリカ大陸なんぞは白人の居なかった世界。現地人を騙して搾取し、ついには領土まで全てもぎ取ってしまった。
その頃の日本は、世界の雰囲気を察してか鎖国を行う。奴らと仲良くしていればロクな事にならんと判断した訳だ。
現地人を騙して搾取する。当時それが容易に行えた(それなりの失敗や抵抗もあったろうが)と言うことは、つまり、
白人が優れていた。と言ってもいいのではないだろうか。
その当時において、白人至上主義はたんに事実を元に語られ始めたのでは無いだろうか。
そもそも教育や軍隊の規律など当然、黒人国家やアジア人国家より優れていたのであろう、そういうものを背景に
有利に立ち回って来たのだから、当たり前といえば当たり前の話ではないだろうか。
人類の誕生はアフリカのどこかと聞く。そしてそれは黒人であるとも聞く。
その頃は、単なる動物であった人類の祖先は、ある時からヒトとして動き始める事になるけど、想像するに最初の人類は
やや動物寄りであったんだろうという想像は当たらずとも遠からずのように思える。
現代でも黒人は運動能力が高いとされている。体もデカいし、力もあるだろう。身体能力を生かして厳しい自然の中で
勝ち抜き、生き抜いてきたはずだ。その当時の各個人の評価は、力が強い、獲物をたくさん取ってくる、子供を沢山産む、
などなど、そういった人間の動物的な能力が評価されていたに違いない。その能力でアフリカから全世界に広がっていった。
黒人達の動きがなければ、今の人類は成り立たない。そういう意味では白人もアジア人も黒人に感謝しなくてはならない。
黒人が全世界に渡り、色々と枝分かれしていく。人類はどんどん進化していく。
その進化の際に、文明が生まれ、現代で定義しただけの話であるが、世界四大文明が生まれる事になる。
そこには黒人文明は無い(これそのものが黒人差別なのかもしれない。文化、文明的なものが全く無いとは思えないし)
黒人以外の視点から見ると、近代文明を作り上げ、知恵で世界を切り拓いていったのは白人やアジア人である。
であるならば、やはり白人至上主義や中華思想のようなものは単なる当時からすれば事実でしか無いように思える。
人類が誕生してからのしばらくは黒人が優れていたのは間違いない。黒人しかいないし、その黒人が世界に広がらなければ、
現代の白人もアジア人もいない。間違いなく黒人は優れている。優れていないのならば、地球上に生まれては絶滅していく
様々な動物の1つでしか無かった事になってしまう。ご先祖様を敬う宗教があるのであれば黒人に感謝しなくてはならない。
しかし、様々な文明が世界各地で起こり、融合、分離、していくうちに黒人の影は薄くなっていく。
身体能力そのものはそれほど重視されなくなっていく。各個人の能力評価は、体力だけでなく知恵が重要になってくる。
体力だけでは他の文明、国家には太刀打ち出来なくなってくる。知恵がなければ、武器や作戦で勝てないし、騙されもする。
大航海時代より、本格的に非白人国家が搾取される事になるのは知恵の問題である。(知恵の足りない白人国家も搾取されるが)
こういった面において、白人は優れているといえる。
現代では、白人国家に搾取されていない非白人国家は無いと言えるくらい、白人国家は成功しているのではないか。
古代では、力や体力が全てなので、体に障害を持つものは一人前とは見做されなかった。
知的障害や精神障害などの概念が無かった。パワーこそが全てなのだから。
中世では、知恵が重要になって来たので(体力は当然として)、知的障害を持つものは一人前と見做されなかった。
知恵が重要なので、精神的なナニは重要視されない。現代になって、偉人とされている誰それは〇〇障害では無いのか-
などという話はよく聞く話である。精神的な情緒より、知恵が重要視されていたのでは無いだろうか。
時代が進むとともに人類として様々な能力が備わっていないと、一人前と見做されなくなっていく。
現代になって、発達障害や適応障害などという言葉が出てきた。昔から症状はあったんだろうが、現実には変わり者、頑固者、
気弱な人、大人しい人、まあああいう人だから、という認識でさほどカテゴライズされる人達では無かったように思える。
つまり、現代では、体力+知力+他者とうまくやる能力が求められている。これがセットで揃っていないと一人前と見做されない。
こんな話を見た時、白人至上主義と何かがリンクしたように思えた。
中世以降、現代まで白人優位の時代が続くものの、搾取の網も世界中に広がり簡単には行かなくなってきた。
強い搾取者が弱い搾取者を取り込んでいく、搾取していくにも限界が近いのではないか。
限界が近い為、国家内でも喰い合いが続き、上が下を食い尽くす。その先に何があるのか。
中世はずっと続くのであろうか。
この先、いつか時代が変わる。その時、必要になる優位差はなんなのか。他者とうまくやる能力では無いだろうか。
白人国家や黒人国家に比べ、アジア人国家は歴史が長いように思える。様々な事に巻き込まれ、流されながらも国を
維持してきた。それはつまり、他者とうまくやってこれたからではないか。
少々乱暴ではあるが、これからはアジア人の時代では無いだろうか。
それを敏感に感じている白人どもが暴れてるんじゃ無いだろうか。
白人至上主義、それが事実である時代が続いて欲しいのでは無いだろうか。
今後は、日本、中国、インド、中東のイスラム国家が世界を席巻していくのでは無いだろうか。
「白色人種がそれ以外の人種より優れているという理念」とあった。
それ以前は、自民族中心主義や外国人嫌悪はあっても、「人種」という概念は存在しなかったらしい。
その大航海時代あたりの事を考えると、白人が世界各地に繰り出し、植民地を作ったり、現地人を騙して
白人優位な契約などを結ばせ、白人が現地人(白人以外)から搾取しまくった。そらあ儲けは凄まじかったろう。
アメリカ大陸なんぞは白人の居なかった世界。現地人を騙して搾取し、ついには領土まで全てもぎ取ってしまった。
その頃の日本は、世界の雰囲気を察してか鎖国を行う。奴らと仲良くしていればロクな事にならんと判断した訳だ。
現地人を騙して搾取する。当時それが容易に行えた(それなりの失敗や抵抗もあったろうが)と言うことは、つまり、
白人が優れていた。と言ってもいいのではないだろうか。
その当時において、白人至上主義はたんに事実を元に語られ始めたのでは無いだろうか。
そもそも教育や軍隊の規律など当然、黒人国家やアジア人国家より優れていたのであろう、そういうものを背景に
有利に立ち回って来たのだから、当たり前といえば当たり前の話ではないだろうか。
人類の誕生はアフリカのどこかと聞く。そしてそれは黒人であるとも聞く。
その頃は、単なる動物であった人類の祖先は、ある時からヒトとして動き始める事になるけど、想像するに最初の人類は
やや動物寄りであったんだろうという想像は当たらずとも遠からずのように思える。
現代でも黒人は運動能力が高いとされている。体もデカいし、力もあるだろう。身体能力を生かして厳しい自然の中で
勝ち抜き、生き抜いてきたはずだ。その当時の各個人の評価は、力が強い、獲物をたくさん取ってくる、子供を沢山産む、
などなど、そういった人間の動物的な能力が評価されていたに違いない。その能力でアフリカから全世界に広がっていった。
黒人達の動きがなければ、今の人類は成り立たない。そういう意味では白人もアジア人も黒人に感謝しなくてはならない。
黒人が全世界に渡り、色々と枝分かれしていく。人類はどんどん進化していく。
その進化の際に、文明が生まれ、現代で定義しただけの話であるが、世界四大文明が生まれる事になる。
そこには黒人文明は無い(これそのものが黒人差別なのかもしれない。文化、文明的なものが全く無いとは思えないし)
黒人以外の視点から見ると、近代文明を作り上げ、知恵で世界を切り拓いていったのは白人やアジア人である。
であるならば、やはり白人至上主義や中華思想のようなものは単なる当時からすれば事実でしか無いように思える。
人類が誕生してからのしばらくは黒人が優れていたのは間違いない。黒人しかいないし、その黒人が世界に広がらなければ、
現代の白人もアジア人もいない。間違いなく黒人は優れている。優れていないのならば、地球上に生まれては絶滅していく
様々な動物の1つでしか無かった事になってしまう。ご先祖様を敬う宗教があるのであれば黒人に感謝しなくてはならない。
しかし、様々な文明が世界各地で起こり、融合、分離、していくうちに黒人の影は薄くなっていく。
身体能力そのものはそれほど重視されなくなっていく。各個人の能力評価は、体力だけでなく知恵が重要になってくる。
体力だけでは他の文明、国家には太刀打ち出来なくなってくる。知恵がなければ、武器や作戦で勝てないし、騙されもする。
大航海時代より、本格的に非白人国家が搾取される事になるのは知恵の問題である。(知恵の足りない白人国家も搾取されるが)
こういった面において、白人は優れているといえる。
現代では、白人国家に搾取されていない非白人国家は無いと言えるくらい、白人国家は成功しているのではないか。
古代では、力や体力が全てなので、体に障害を持つものは一人前とは見做されなかった。
知的障害や精神障害などの概念が無かった。パワーこそが全てなのだから。
中世では、知恵が重要になって来たので(体力は当然として)、知的障害を持つものは一人前と見做されなかった。
知恵が重要なので、精神的なナニは重要視されない。現代になって、偉人とされている誰それは〇〇障害では無いのか-
などという話はよく聞く話である。精神的な情緒より、知恵が重要視されていたのでは無いだろうか。
時代が進むとともに人類として様々な能力が備わっていないと、一人前と見做されなくなっていく。
現代になって、発達障害や適応障害などという言葉が出てきた。昔から症状はあったんだろうが、現実には変わり者、頑固者、
気弱な人、大人しい人、まあああいう人だから、という認識でさほどカテゴライズされる人達では無かったように思える。
つまり、現代では、体力+知力+他者とうまくやる能力が求められている。これがセットで揃っていないと一人前と見做されない。
こんな話を見た時、白人至上主義と何かがリンクしたように思えた。
中世以降、現代まで白人優位の時代が続くものの、搾取の網も世界中に広がり簡単には行かなくなってきた。
強い搾取者が弱い搾取者を取り込んでいく、搾取していくにも限界が近いのではないか。
限界が近い為、国家内でも喰い合いが続き、上が下を食い尽くす。その先に何があるのか。
中世はずっと続くのであろうか。
この先、いつか時代が変わる。その時、必要になる優位差はなんなのか。他者とうまくやる能力では無いだろうか。
白人国家や黒人国家に比べ、アジア人国家は歴史が長いように思える。様々な事に巻き込まれ、流されながらも国を
維持してきた。それはつまり、他者とうまくやってこれたからではないか。
少々乱暴ではあるが、これからはアジア人の時代では無いだろうか。
それを敏感に感じている白人どもが暴れてるんじゃ無いだろうか。
白人至上主義、それが事実である時代が続いて欲しいのでは無いだろうか。
今後は、日本、中国、インド、中東のイスラム国家が世界を席巻していくのでは無いだろうか。
北センチネル島とは? 上陸しようとした宣教師殺害。現代社会との接触を拒む「世界最後の秘境」
センチネル人以外の者が上陸しようとすると矢で追い払うという。
原始的な生活をする部族が住む島に上陸して、キリスト教を布教しようと試みた宣教師が殺害された。まるで大航海時代のような事件だが、西暦2018年11月の出来事だ。ニューヨーク・タイムズなどが報じた。
ジョン・アレン・チャウさん(右)本人のInstagramの投稿より
インド洋に浮かぶ北センチネル島は、現代社会との接触を拒み、石器時代に近い生活を営む部族「センチネル人」が住んでいる。11月17日ごろ、この島に上陸したアメリカ人宣教師のジョン・アレン・チャウさん(26)が殺害されたとみられている。
彼はキリスト教の布教活動をするために、北センチネル島に向かっていた。CNNはアンダマン・ニコバル諸島警察当局のデペンドラ・パサック長官の言葉を、以下のように伝えている。
「チャウさんは現地に住む友人を通して、北センチネル島に連れていってくれる地元漁師を雇った。漁師によると、11月15日に漁師と木製のモーターボートで北センチネル島に向かい、島の沖合い500〜700メートルで停泊した。そこからはチャウさんはカヌーで島に一人で向かったが、部族からの矢で傷を負って帰ってきた。16日に再度、島に向かったが、カヌーを部族に破壊されたため泳いで帰ってきた。11月17日、彼は戻ってこなかった。漁師たちはその後、チャウさんの遺体を部族の人々が引きずっているのを見た」
警察はチャウさんの死を完全に確認できたわけでないが、漁師たちへの聞き取りの結果、殺害されたのは確実とみており、チャウさんの遺体を回収する捜索隊の編成を計画している。
センチネル島は部族の生活を守るため保護区域となっており、約9キロ以内への進入は禁止されている。チャウさんの訪問を手助けした7人の周辺住民は全員逮捕された。インディアン・エクスプレスによると、センチネル人に関しては、接触すること自体が違法であるため訴追は不可能だという。
■禁断の島「北センチネル島」とは?
DigitalGlobe/ScapeWare3d via Getty Images
北センチネル島は、ベンガル湾に浮かぶインド領アンダマン諸島の一つ。産経ニュースでは「世界最後の秘境」と報じている。
「絶対に行けない世界の非公開区域99」によると、面積は72平方キロで、東京都の八丈島と同じくらいだ。ほとんどが密林で、周囲をサンゴ礁に囲まれている。先住民で狩猟採集の生活をしているセンチネル人が50人から400人ほど住んでおり、数千年にわたって近隣の島と交流を持っていなかったとみられる。
インド政府は1960年代からセンチネル人との接触を試みてきた結果、91年に初めて友好的に接触できた。しかし、他の島の先住民と交流をはかった際に島民が病気で死亡するという惨事が起きたこともあり、交流プログラムは1996年に中止された。
センチネル人は現代社会との接触をかたくなに拒んでおり、自分たち以外の人間が上陸しようとすると弓矢で追い払うことで知られている。
1974年にはドキュメンタリー映画の撮影スタッフが襲撃されて、腿に矢が刺さった。2004年のスマトラ沖地震の翌年には、島の津波被害を確認するためにインド沿岸警備隊のヘリコプターが上空を飛んだ。その際、ヘリコプターに向かってセンチネル人が弓矢を構えている様子が確認されている。
2006年には地元漁師2人が北センチネル島に漂着した際に、部族に殺害された。
ヘリコプターに向かって弓矢を構えるセンチネル人(2005年12月28日撮影)
https://www.huffingtonpost.jp/2018/11/22/what-is-north-sentinel_a_23597582/
唐辛子は中南米原産であり、したがってヨーロッパにもたらされたのは大航海時代だ。
胡椒はインド等で古くから栽培されており、インドはヨーロッパと地続きだから胡椒がヨーロッパにもたらされたのも唐辛子よりはずっと早く、古代ローマ人も使用している。
そう考えると、交易の発展に伴って胡椒が入ってきて以降、唐辛子を胡椒に置き換えたという話はにわかに信じがたいのだが。
胡椒が安くなったのは12世紀以降。それもコロンブスのアメリカ大陸到達よりは早い。だから、胡椒が安くなったから無理に唐辛子を使わなくてもよくなったということでもない、と思う。
地中海系の料理では、それまで唐辛子で作っていたものが交易の発展に伴って胡椒が入ってきて以降、胡椒に置き換わったものも多い。
吉本の芸人のEXITというコンビがソニーからアーティストとしてデビューし、その新曲の「なあ人類」が公開された(https://www.youtube.com/watch?v=-llgmjt0C7U)。
されたんだが、これを聞いてみるとまあ酷いというか、現代においてどういう態度が「知性的」とされているかを象徴するような内容だった。
この曲の歌詞は要約すると、「"正義"を振りかざす人間が一番他人を抑圧しているだろ」というよくあるものだ。
具体的に見ていくと、
よくある誤解だが、多様性とは「一つの正解のみが存在するわけではない」という思想であって、「不正解が存在しない」という思想ではない。
こんなのちょっと考えれば解ることだが、我々の社会はすでに法律という規則を設けて、ここから逸脱するような人間を牢獄にぶち込んでいる。明確に正解不正解を権力で判定しながら暮らしているわけ。
この「不正解」の中に実は正解が入ってないか常に見直しましょう、というのが多様性のある社会の一つの姿勢で、「同性愛者」「危険な思想を公言しただけの人」とかいろいろな属性がその中から救い出されてきた。
要するに、社会というモノには厳然として「不正解」は存在する。この辺を曖昧にしてるとすぐ「人の権利を侵害する権利」だの「差別主義も多様性の一つ」みたいな御託が沸いてくる。
じゃあどこで「正解」「不正解」の境界を引くのか、というのが重要で難しい問題で、ここに多様な議論があるのは間違いない。「萌え絵を公共の場に出すな」みたいな議論は「萌え絵」を不正解の側に追いやるような議論な訳で、こういうのには私も同意しないよ。こういう点でリベラルとかフェミニストとかが万全に正しいわけじゃないとは自分も思うが、「不正解とかないし」はいくらなんでも、いくらなんでも酷すぎるほど粗雑。
「どこで正常と異常に線を引くのか?」という、最近なら朝井リョウの小説『正欲』みたいな問題意識なら大きな価値があるだろうが、この歌が言いたいことは「なんか説教してくるやつウザい」でしかない。さすがに中学生くらいでそのメンタルは卒業してくれ。
ここがこの歌のヤバさが爆発するところだが、マジでWikipediaでコロンブスを記事を流し読みするだけでもこんなことは口が裂けても言えないだろ。
コロンブスがアメリカ大陸を見つけた頃の人類社会には言論の自由も思想の自由も信教の自由も職業選択の自由も・・・・・・列挙していけばキリがないくらい何の自由もなかった。
奴隷という身分が公然と存在していたし、そもそもコロンブスは奴隷商人だった。
コロンブスがアメリカ大陸を見つけたのは「希望」だったのかもしれないが、アメリカ大陸側にしてみれば破滅的な悪夢の始まりだった(本当の本当にアメリカ先住民の歴史についてミリも知らないとしか思えない)。
百歩譲って、コロンブスのような当時の社会のマジョリティにとっては自由や希望に溢れた社会だったかも知れないが、なぜその当時差別される側だった有色人種のEXITがこれを肯定的に歌っているんだろうか。あなたたちが大航海時代にタイムスリップしたとしたら、「自由」も「希望」も全く享受できない身分だと思いますけど。この手の人って自分も世界的にはマイノリティの部類なのになぜかマジョリティの視点に共感しがちなんだよな。
コロンブスが生きた時代に、自由も希望もなく絶望に支配されていた人たちが、それでも希望を失わず戦い続けた遙かな延長線上に現代社会があるわけだけど、マジで違う世界を見ているんじゃないかとさえ思ってしまう。
もうね、この歌って要するにリベラルとかフェミニストに対する反感で全てが支配された人間の思考なんですよ。上でも書いたけど、いわゆるリベラルとかフェミニストの中にも粗雑な議論をする人はいっぱいいるし、そもそも端から見れば釣りメガネを掛けた女性教師的な、鼻につく傲慢さを感じるところもあると思うよ。
でも歴史的なスパンで見てリベラリズムやフェミニズムを否定することはいくら何でも出来ないわけ。基本的人権はなくても良かったとか、黒人や女性の人権が向上しなくても良かったと断言できる人だけがそういうことを言うべき。
これもうんざりするほど使い古された「正義の暴走が一番怖い」ってやつなんだけど、頼むから正義の暴走を懸念する前に正義がないことに怒ってくれ。
こういう人たちって例えばアメリカのBLMに対して「あんなのはただのテロ」「こういうことをするから黒人は差別されるんだ」とか言ってる人にかなりダブると思うんだけど、BLMの過激さに憤りを示せるのであれば、長年にわたってアメリカで公然と行われてきた黒人差別にまず怒ってくれよ。なんで彼らがああいう行動に出た考えてくれよ。
各地で、コロナワクチン接種者がコロナに感染して、かなりの症状がでたけど、重症化しなくてよかった。という報告が上がっている。
つまり、ワクチン接種者は、新型コロナに感染しても重症化しない。
素晴らしいことだ。
だが、重症化しないということは、同時に感染しても積極的に動き回ってしまう可能性があるということだ。
痛い思いをしてワクチン接種した人間が、ちょっとの熱で仕事なんて休んでいられないだろう。
多少の咳がでていても旅行はできる。
むろん、日本に限った話しでもない。
世界中でワクチンがそこそこ行き届いて、ワクチン接種者がマスクフリーになった国で感染爆発が起きている。
ワクチン接種者が窮屈な生活様式をやめて、自由に活動し始めた結果がこれである。
これは、大航海時代に免疫のない未開の部族を、免疫のある白人探検家が持ち込んだ病原体で滅ぼした光景を彷彿とさせる。
東京オリンピックでは、5万人のワクチン接種者が来日するという。