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2022-11-20

[]11月20日

ご飯

朝:なし。昼:なし。夜:串カツビール。間食:ばかうけ

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみ

明日仕事なのに遊んだゲーム面白くてその余韻を楽しみたい気持ちで飲んじゃった。

AIソムニウムファイル ニルヴァーナイニシアチブ

はじめに

美少女ゲーム文法作品構造自体に仕掛けがあるSFを書くことと、こめっちょのクオリティに定評がある infinityシリーズや極限脱出シリーズライター打越鋼太郎さんのAIシリーズ第二段。

前作から3か月後、身体を真っ二つにされその半身だけが見つかるハーフボディ連続殺人事件が発生する。

なんとその6年後に、見つからなかった半身が見つかる、しかも6年経ったとは思えない真新しい死体が。

6年越しに見つかる半身を巡る殺人事件を、前作から3か月後を舞台新人捜査官の龍樹と、それから6年後を舞台捜査官になったみずきの二つの視点で追うことになる。

AIシリーズお馴染みの人間関係の解きほぐしが面白

そんな明らかなミステリ的な導入で、確かに序盤はそう。

しかし、話を進めていくと、事件捜査二の次人間関係、愛をテーマにしたそれの解きほぐしが始まる。

ソムニウムパートと呼ばれる対象者の夢に潜り込む装置を使って、彼らが人間関係の中で秘めた気持ちスッキリさせる。

そんなカウンセリングパートストーリーの大半を占める。

という物語構造は前作を踏襲している。

前作は家族愛多めだったが、今回は男女の恋愛が多め。

大きく分けると3組のお話が主軸になっている。

売れないお笑い芸人父親が息子を思う気持ち、そんな父親に向ける子供の本当の気持ちを解きほぐす、米治、祥磨ルート

犯罪者ながら成り上がろうと努力する男性と、大金持ちの娘という立場その男性のプロポーズに悩む、ライアン、絆ルート

醜くい自信の肉体を受け入れてくれたがそれを信じきれずにいる苦悩のお話の、厳、亜麻芽ルート

この3組の相手を思うが故に相手を守りたいと思うが故の苦しみが、ソムニウムパートによって解きほぐすされていくのが感動する。

特に最初ストーカー気質な上に元犯罪者というヤバさのせいでドン引きライアンが、本当の本当に絆のことが好きだと伝わってくるパートが僕は好き。

お嬢様ながら「興奮するとオシッコ漏らしちゃう犬みたい」と下品な例えをされてしま激情的な絆とのカップリング面白く、今作のソムニウムパートの主役と言っても良いだろう。

探偵役の仮説に困惑する事件捜査パート

そんなわけで、人間関係感動パートがかなりの文量あるのだけれど、当然このゲームそれだけではない。

最初に書いた通り、6年越しに死体の半身が見つかる、それも死亡推定時刻は6年前ではなく最近、という奇妙な謎を解かないといけない。

ところが、事件捜査部分はどうにもしっくりこない。

読者であるからするととんでもない謎なのだけど、どうにも登場人物たちは謎と思っていない。

それどころか彼らの話す仮説の方がより謎を深めていく。

正直、今までそれなりの量のミステリを読んできているので、殺人事件の仮説の要点を踏まえることは得意だと思っていた。

その通り今作も最初のうちはふむふむと読み進められる。

しかし、ある事件以降、どうにも歯車が噛み合わない。

歯車というか、そもそも主人公たちと読者である自分との間に齟齬ありすぎる。

しまいには、根本的な生死すらも……

と、事件の謎よりも、謎の仮説の方がどんどんと混迷を極めていく。

いったいぜんたい、根本的に「ナニが起きて、ナニを解決しないといけないのか?」そういう枠組みから疑う必要がある、そう気付かせられる。

物語構造に仕掛けがある

まあ、そりゃそうなのだ

打越鋼太郎という作家性、どう考えても物理不可能な不可解な事件現場、登場人物と読者との情報齟齬

これらを踏まえれば、物語構造に仕掛けがある類のトリックであることは明白だった。

なのだけど、僕はかなりあっさり引っかかってしまい、おどろきの声を上げてしまった。

ゲーム物語を遊ぶという構造的に疑うことをやめてしまう部分をうまく利用しているのが面白い。

正直ちょっと前作を踏まえると矛盾するのでは? と思わなくはないのだけど、どうも作者自身もそれはわかっていたらしく、かなりわざとらしいフォローが入っていた。

グランドフィナーレは泣けて笑える

そんな物語構造に仕掛けられたトリックを乗り越えて、お話は幕を下ろす。

完全にシリーズ恒例にする気満々のアレで締め括られる。

前作で始めてみた時の衝撃は本当にすごく、今作でも期待していたのと同時に、このハードルを越えられるか? と不安だった。

なのだけど、全くもって問題なし、前作並みのアレでの締め括りで感動的で、泣けて、笑える。

前作でも感情が泣き50パー、笑い50パーで半々になってしまいどんな顔して良いかからずただただ感動したが、

今作も泣きと笑いの感動が同時に味わえた。

いやあ、よかったよかった。

AIシリーズ最高! これからよろしく

物語構造に仕掛けがある」という構造に仕掛けがある

そんな前作並みの感動の完結後、前作ではたった一文で示唆され、シリーズを跨いで追っているファンの度肝を抜いた、打越鋼太郎作品で度々登場する「アイツ」の件。

今作では1文ではなく、短いながらもちゃんとしたシナリオが展開することになる。

物語構造に仕掛けがある」という構造に仕掛けがあることが明かされる。

これ自体は、シリーズは異なるが同じ作者の作品を踏まえるとさもありなんではある。

しかし、その味わいは全く異なっていた。

そもそもこの種明かしがグランドフィナーレの後に来るという構成根本的に何かおかしい。

これを「アイツ」の功績によって得られたシナリオグランドフィナーレにするのではなく、「アイツ」が少ししか登場しないシナリオグランドフィナーレにする。

これになんの意味があるのか。

AIシリーズは、まだ終われない。

2021-01-30

anond:20210130183106

なんでかというと上座部の方が今となっては教理があるから

大乗仏教って何をやるんですかっていうと、お葬式やって、ふにゃふにゃしたお説教して、いい加減なもんでしょ。

言うほど大乗仏教って教理いか

いやたしか日本仏教がふにゃふにゃなのは同意なんだが、大乗仏教歴史ざっと見ると、龍樹とか世親とかのビッグネームがいるじゃん

こいつらが説いた理屈はかなり強度がありそうに思えるから、潜在能力としてはなかなかしっかりした教理がありそうに思える

ポストモダンというのは基本的に「色即是空」としか言っていない。

仏教はそこから空即是色」としてこの世界を引き受けようとするところがある。

ポストモダン的に言うと、すべてのものには本質根拠意味なんかなくて、単に名前をつけられた存在にすぎない。

から脱構築して宙吊り状態で生きろと。

でも仏教は、であるが故にこの世の中をどういうふうに引き受けるのか、この現世の中で意味ある生を生きていくのか、その精神をもう一度問う。

そこがポストモダンを乗り越える一つの入り口になるんじゃないかと思ったんです。

https://technique.hateblo.jp/entry/20110602

あとついでにこの記事示唆的なんだけど

大乗仏教はプレモダンのように思えて、実はポストモダンを超克し得る可能性があるらしいんだわ

色即是空空即是色つってるからここで言及されてる「仏教」は大乗仏教のことだわな)

こんな感じで、上座部現代思想として捉えたとき、どういう視点提供できるのかについてわりと気になってるんで、詳しい人いたら教えて欲しい

2020-08-21

anond:20200821180838

2019-12-09

釈迦龍樹→ツォンパカ

仮に生きて、空を知り、中に生きる

2019-05-31

仏教ちょっとだけ学びたい

龍樹とかあの辺だけ。

そういうピンポイントな本があるのかどうかはともかく。

2017-02-08

http://anond.hatelabo.jp/20170208091654

仏教入門はちょっと難しいのよね。

聖書っていう聖典がずーっと受け継がれてる(もちろん後代による修正・加筆はあるが)キリスト教と違って、仏教経典だけで図書館が1個埋まるぐらいあって、そのどれを正典とするかで争いがある。

これが宗派の分かれる原因でもあるのだけど、その正典選択によって教義が180度変わってくる。

しかもその経典というのも、そのうちかなりの量が、釈尊の教えが時代に合わなくなってきたために後代の人が書き足していったものから、初期の釈尊の教えが何かという点についてははっきり言ってよく分からない。

宗派釈尊の教えに一致する点があればそこを入門として取り扱えばいいのだけど、一致してるのかしてないのかがまずよく分からない状況。書店に並んでる仏教入門は「空と縁起」の話からはじめるものが多いけど、これも龍樹っていうお坊さん(学者)が体系化した考えに過ぎないし、宗派によって理解もバラバラ。

目的に応じて宗派を選んで入門を読むしかないのかな。

2016-12-04

小学校先生が「自分意見を言いなさい、思ったことでいいから」な

http://anond.hatelabo.jp/20161204095016

思ったことをそのまま言うのが良いことだって間違った対話の仕方を教育してるんだよね。

一応、考えていないわけではないんだよ?文脈考慮していないだけで。

学術的な対話限定させてもらうけど、俗にいうように西洋議論では「事実を共有し、それを前提として対話を行う」。

から「その話題意図するところを捉え」てからそれを織り込んで喋る、つまり文脈考慮して主張する。

だけど、日本人は「自分がその問題をどうとらえているか」をもって対話を行うし、

何も言わないのは「自分はその問題について何も考えていない」ことになってしまう。

相手との意見見解差異が現れてからそこを論点として、そこから事実確認に入る。

相手意見反論するときだって、実は文脈考慮せず相手の言った言葉のみに反論している。

その結果、日本人の会話には実は文脈が無い。あるいは各々が自分自身文脈を持っていると言ってもいい。

たまに「日本語ハイコンテクストだ」なんて言われるけど、これは各々が持つ文脈たまたま重なったところで会話しているか

背後に大きな文脈があるように見えるだけで、元々文脈を共有していないんだからコンテクストくそもない。

仏教にもそう書いてある。いやマジで龍樹中論によれば人は事実の共有すらできないんだから文脈も当然共有できない。

文脈考慮しない対話にもメリットはある。前提として事実を共有しなくていいからとにかく早い。

会話以前に事実を共有している―例えば同じ体験をしていると滅茶苦茶早く深く対話ができる。

からそれに追加して中学校なりなんなりで西洋式議論練習をすべきなんだけどカリキュラムに入ってないし、多分教えられる先生も多くはない。

なんとかしたほうがいいんだけどね。

2016-11-24

空と縁起

http://anond.hatelabo.jp/20161124103710

仏教入門の本ってよく手に取るんだけど、「空」と「縁起」の話になったとたん異様に難解になって、そこだけ飛ばししまう(ただ大体その後の記述も両概念を前提にしているので結局全部分からなくなる)。

難しいといえば難しいし、簡単といえば簡単なんです。

龍樹ナーガール・ジュナ)と呼ばれる昔の大乗仏教派に属する偉い人の書いた『中論』ってのを紐解いて行くともしかしたらなんとなく分かったような気にはなれるかも知れません。私も分かったような気になってるだけですけど。

 

先ず空とは何かというと、「何ものでもない」ことを表す言葉上の発明、とでも申しましょうか。

ありとあらゆるもの、以外のもの「空」と呼ぶ、ということみたいです。

なのに、昔の仏教ってば、「一切皆空」とか言うのでわけがからなくなりますよね?全部空じゃ!ってどういうことやねん?って。

でもよくよく考えてみると、「一切皆無」とは言ってないんですよね。

これが良くある誤解の正体みたいなものでして、空は無でも有でもないんです。だって定義として「何ものでもない」つってんだから

 

一切のものは、全て何ものでもない。

 

いったい何が言いたいんでしょう?

空は何ものでもない、のですから、すなわち完全無欠に「存在しないもの」のことです。

ということは、一切のもの存在しない、と言っているに等しいんですが、存在性そのもの最初から否定されているので、有るとか無いということすら言えません。

だが、そういうものとして「空」と呼ぶことは出来る、とこれ以上にない簡潔さで証明してるんです。

まり、一切のものは例え目の前にあるスマホであろうが、いるのかいないのか良く分からん神ですらも「空」と呼んでしまえる。

でも、これ多分かなり抵抗の大きい考え方だと思います。神ならともかく、目の前の今まさに手に持っているスマホに対してはそうなんじゃないでしょうか。

そこで、仏教ではありとあらゆる存在している(と思われる)ものは縁によって生じたものである、という存在性に変わる論理に変えてしまうんです。

これが縁起(性)と呼ばれるものです。

スマホは生じたものであり、滅するものである、みたいに。

そして、あらゆるもの縁起によって生じたものであるが故に、それらの実体否定される、とナーガール・ジュナはその中論で長々と論じているんですよ。

なお、実体とは「それ自身のみで存在性を持つ」様なものとでもお考え下さい。例えば・・・「我」とか「自我」みたいなもんですかね?

ともかくも、ありとあらゆるもの縁起において成り立っているだけのものと言えてしまい、実体性が入り込む隙は微塵も考える必要はない、っていうことを延々と論じておられます

 

これって、実は科学の考え方とそっくり同じなんです。

科学においては如何なる存在も、科学理論上の存在としてしか語られず、理論上に存在しないものを語る事は出来ません。

そして、科学仮説が実証される限りにおいてしか、それらの有無を語る事は出来ません。

 

その根本的な基本論理みたいなものインドでは今から2千年より以上も前に発見していたって事だと思うんですけど、ま、そんな気がするってだけの私なので、後はご自身で色々お調べくださいませ。

2016-11-13

http://anond.hatelabo.jp/20161113121920

なんかゴータマシッダールタのころはまだ「縁起しかなくて、「空」概念は無かったらしいじゃん。

龍樹かいう僧が作ったとかなんとか。

とここまで書いて、そうなると龍樹の本の解説書を読めばいいのかな。と思って検索したら中村元先生解説書があるらしい。

2013-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20131030175054

現代の凡人が思いつく思考実験なんか古代ギリシャやお釈迦様がだいたいやってるから

龍樹というか大乗仏教経典と論戦で布教やってたので

大乗経典にその手のが多い。

釈迦はどうなんだろうなあ

初期仏教言葉を伝えてるとされてる経典には

そういうのあんまない

古代ギリシャはあんま勉強してない

13世紀13世紀と得意げだけども

言うたら2500年は遅いのよ。

まあ日本宗教の話だから2500年はさすがに盛りすぎでしょ

浄土真宗(本願寺)と日蓮宗(創価)が不思議最適化果たして

現代日本に影響力持ってて、両者生まれたのが13世紀だから

日本思想史的に13世紀大事だと思うよ。あと弘法さんの9世紀

禅宗も13世紀だけど形骸化しちゃったね

であるから当然、ここで論じられるのはもっと短いスパンでの”手垢”。

知識が中途半端なうえに知識頼みで思考力がないか

いちいちこうやって簡単な話も噛み合わない。

短いスパンであることを主張するために2500年前に飛ぶのは

ちょっと思考が雑だと思うよ。思考力も大事だけど

そのためにはもう少し間にメルクマークがいるでしょ

2012-05-29

Studygiftまとめwikiに疑問を持ったので考えてみた

wikiにはこう書いてあるんだけどさ。

http://www34.atwiki.jp/wasedasakaguti/

これまでの流れ

退学時期と学費未納時期とか考えると、wikiに書かれているような「SNS始めたから成績落ちて奨学金打ち切られて退学」よりも、

「もともと成績も出席率も悪かったので奨学金が打ち切られ、受給済みの奨学金も遣い込んでいたため学費が払えず退学になるが、SNSで一発逆転を狙う」

って流れのほうが筋が通る。

まず彼女が取得していた二つの奨学金について確認。

早稲田大学校友会奨学金について

HPによれば、早稲田大学校友会奨学金は三つある。

http://www.waseda.jp/syogakukin/sonohokanoshougakukinn.html

① 校友会給付一般奨学金(給付)早稲田大学卒業生組織である早稲田大学校友会の寄付からなる奨学金で、経済的に修学困難な学生を各都道府県から2名および全国から平均的に8名採用し、4年間継続支給します。学部:400,000円(所属学部により異なる) 102名(新入生)

② 校友会給付一般奨学金 独立研究科(給付)早稲田大学卒業生組織である早稲田大学校友会の寄付からなる奨学金で、アジア研・国情研・日研・情シス研・公共研・ファイナンス研・法務研・会計研に所属する学生を対象に、家計困窮度並びに学業成績を総合的に勘案し採用します。研究科:400,000 円 56名

③ 校友会給付緊急奨学金(給付)早稲田大学卒業生組織である早稲田大学校友会の寄付からなる奨学金で、家計支持者の死亡・失職・疾病等または火災風水害等によって家計急変が認められる学生を救済することを目的します。400,000円 10

彼女場合、あくまで推測だが①の「校友会給付一般奨学金」を受給されていたのだろう。

この奨学金ポイントは給付(返還しなくてよい)であり、「退学したりしなければ」「4年間継続支給」が取得時に確定するということ。

日本学生支援機構奨学金について

http://www.jasso.go.jp/jigyoukeikaku/documents/saisoku_16_12.pdf

奨学金停止については、

奨学金停止に該当する者

学業成績は廃止該当者と同じであるが,成績不振の理由が真にやむを得ないと認められ,かつ,成業の見込がある者

② 停学その他の処分を受けた者

学校内外の規律を乱し,奨学金の交付を停止させることが適当と認められる者(不起訴処分場合とする。)

とある。本件の場合は①に該当したのであろうと推測。また、支給継続の判断については、

奨学金支給の判断

継続奨学金の交付を継続する。

② 激励:奨学金の交付を継続するが,学業成績の向上に努力するよう激励し又は指導する。

③ 警告:奨学金の交付を継続するが,学業成績が回復しない場合は,次回の適格認定時以後に奨学金の交付を停止し又は奨学生資格を失わせることがあることを警告し指導する。

④ 停止:1年以内で学校長が定める期間,奨学金の交付を停止する。ただし,当該停止期間を経過した後さらに1年以内で学校長が定める期間,停止を延長することがある。

⑤ 廃止:奨学生資格を失わせる。

⑥ 復活:奨学金の交付を停止されていたが,その事由がなくなり,奨学金の交付の再開の願い出があったときは,奨学金の交付を復活することがある。

年に1回、上記のような通知が本人に届く。

成績不振による奨学金停止の場合は④が届く前年に「②激励」または「③警告」の通知が届く。

逆算してみる

2011年7月1日付で学費未納で除籍したこと、それ以前に成績不振奨学金を打ち切られていることから逆算してみる。

3年生になって就活を考え始めたときに(中略)話題にできるようなことをしようと思って今年の夏にGoogle+を始めたんです。

  • 二年生の一年間、なにしてたん…?

長くなりました。まとめます

僕が考えたがっかりな「これまでの流れ」


北九州の高校(先輩に早大生は少ないであろう環境http://bit.ly/K9dbdcから東京に出、メイドアルバイトをされていた方が、早稲田大学校友会給付一般奨学金存在を知り、入試(一般入試AO自己推薦)を考え見事入学するまでには、早大進学について詳細な情報必要であっただろうことは想像に難くない。恐らく非常な努力を以て早大についての情報収集に励まれたことであろう。奨学金取得時には面接官に高い目標を提示したはずだ。その学生生活がこのような形で中断してしまったことは非常に残念である

まり、まあ、なんだ、奨学金学問を頑張っている学生に渡るといいよねという話。

2011-06-16

http://anond.hatelabo.jp/20110616162836

まり、他者の貞操を強制的に奪うことに問題意識があったかどうかという話だよね?

たとえばこういう記述がされている。

古代から中世まで、強姦女性に対する貞操観念の結果として犯罪として見られた。その結果、処女強姦は、非処女及び売春婦に対する強姦よりしばしば更に重大な犯罪であった。そのため、純潔が害されないであろうとみなされた女性、身持ちの悪い女性は、いくらかの法において犯罪ではなかった。かつての西欧では強姦近親姦があってもそれは被害者の問題ではなく、その所有者の問題であった。

強姦犯罪として認めるには、強姦という概念確立されている必要があると思うけど。

あるいは件の龍樹の記事を読んでみると、

龍樹は才能豊かな3人の友人を持っていたが、ある日互いに相談学問の誉れは既に得たからこれから快楽に尽くそうと決めた。彼らは術師から隠身の秘術を得、それを用い王宮にしばしば入り込んだ。100日あまりの間に宮廷の美人は全て犯され、妊娠する者さえ出てきた。この事態に驚愕した王臣たちは対策を練り砂を門に撒き、その足跡を頼りに彼らを追った衛士により3人の友人は切り殺されてしまった。

とある

これの出典である龍樹菩薩伝」は西暦400年頃の書物らしいので、

少なくともその当時のインドには「強姦を問題視する」ような風潮があったようだと分かる。

http://anond.hatelabo.jp/20110616160636

不貞」という概念はかなり昔からあったじゃん。

夫ではない男に強姦されて自殺した妻が「貞淑な妻」として讃えられるとか、

どっかで聞いたことがある気がするけど。

ググッたらこんなん出てきたよ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%A7%A6%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

龍樹透明人間レイプ事件

とか書き方おかしいなw

 
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