はてなキーワード: ヤマカンとは
うちの高校はガシ高と呼ばれている。東高校が変に略されてガシ高になったらしい。そしてこのガシ高には、「ガシ高のひょっこりさん」と呼ばれ、近所の学校でも有名な奇人がいるのだ。
ガシ高のひょっこりさんは私と同じ学年の女子生徒だ。でも、みんなにひょっこりさんと呼ばれていて本名を知らない。ひょっこりさんのあだ名の由来は非常に単純で、学校の中で交わされる会話にひょっこりと紛れ込んでいるからひょっこりさんと呼ばれている。私はまだひょっこりさんのひょっこりに遭遇したことはないけれど、噂話をまとめるとこうだ。
・ひょっこりさんは会話にひょっこりと紛れ込んでいる。
・みんなひょっこりさんが一言いうまでその場にひょっこりさんが紛れ込んでいることに気がつかない。
・ひょっこりさんに遭遇した人は幸運になる。
でも、ひょっこりさんがひょっこりしてくるまで誰も気がつかないのはどうやら本当らしい。彼氏の友達が遭遇したとか。
というわけで、私は学校の昼休みの今、お弁当をつつきながら彼氏からひょっこりさんの話を聞いている。
「で、ダチはテストのヤマカンが当たって今回学年一桁だったんだって。ひょっこりさんのおかげだって言ってたよ」
そう言ってくる彼氏に、私は疑わしい目を向ける。
「でもひょっこりさんって言っても普通の人のはずじゃん。だってクラスで授業も受けてるわけだし。私はまだ遭遇したことはないけど、噂の中でも幸運になるとかいうのが一番訳わからないよ」
「訳わからんって言っても、噂はそうだしそもそも会話にひょっこりさんが紛れ込んでいるのに誰も気づかない時点で意味わかんねぇじゃん」
「確かにそうだけど、やっぱり幸運になるってところは単なる偶然でしかないでしょ。ひょっこりさんに遭遇した後の幸運をひょっこりさんのおかげだと思い込んでるだけだって」
「そうでもないんですよ」
「だからそんな訳ないって、偶然……」
私はそこまで言ってハッとした。彼氏もびっくりしながらその人を見つめている。ひょっこりさんだ。ひょっこりさんが会話に紛れ込んできた!
本当に噂通りだ。今この瞬間までひょっこりさんがこの場にいることに気がつかなかった。そしてひょっこりさんの言葉はこの会話を把握していないと出てこない言葉だ。少なくとも、少し前からこの場にいたことはわかる。噂通りならこの後ひょっこりさんは去っていくのだろう。
でも、ひょっこりさんはこの場を去っていかなかった。何かに気がついた様な顔をしてこちらを見ている。
噂話にはなかった展開に、私と彼氏はびっくりしながら、ただ無言で頷いて彼女のいうことを聞くことにした。
私たちは美術室に連れて行かれた。そしてそこで、ひょっこりさんの秘密を見せてもらった。
彼女は全校生徒が描かれた絵を描いていたのだ。その絵のために人を観察することが必要で、それは決して見た目のことだけではないので、密かに会話に紛れ込み一通り話を聞いた後、盗み聞きにならない様に一言残していくということをしていたのだと。
そして、この絵の中心に男女を描きたいらしく、私と彼氏をモデルにしたいと言われた。
私も彼氏もびっくりしたけど、二人揃って二つ返事でオーケーをした。だって、見せてもらったその絵はあまりにも輝いてみえて、素晴らしい出来だったのだから。
そしてもう一つ。この絵のことは秘密にしてほしいと言われた。題材が題材だけに描くのに時間がかかっているが、完成するまでできるだけ人には知られたくないのだと。私たちはそれもオーケーした。
そこで午後の授業の開始チャイムがなり、私たちは各々の教室に帰っていった。
それから、私と彼氏は放課後になると美術室に通った。その間彼女は絵に集中してほとんど話をしない。一方で私と彼氏は他愛のない話をし続けた。ひょっこりさんによると、話の仕方の雰囲気などにその人らしさが出るということで、会話をすることもモデルとして必要だと言われたからだ。
この美術室には私たち以外の人は来なかった。ひょっこりさんが、美術部員は私だけなので、と言っていた。
そうして、ひょっこりさんの絵が完成に近づいた時、事件が起こった。ひょっこりさんが停学になったのだ。原因は、彼氏だった。
彼氏は放送部員だ。毎年ドキュメンタリーの撮影をしてコンテストに出場しており、今年の題材をひょっこりさんにしたのだという。
彼氏には勝ち目があった。ひょっこりさんの素晴らしい絵を知っているのは自分と私だけであり、ひょっこりさんの奇妙な噂話と自分が知っている事実、そしてひょっこりさんのすごい絵をちゃんとまとめれば、今年は全国大会に出れると思ったらしい。
そして彼氏がビデオカメラを持ってひょっこりさんのいる美術室に入ったところ、ひょっこりさんはペイントナイフを振り回して出ていけ!と彼氏に怒鳴りつけたそうだ。
何が悪かったって、ひょっこりさんのその様子が彼氏のビデオカメラにしっかり映ってしまったこと、その上その動画がSNSで出回ってしまったことが重なり、停学になってしまったのだ。それどころか、退学になるのかも、という噂まで流れてきていた。
その動画は私も見たし、彼氏からも話を聞いた。ひょっこりさんが怒っていたのは彼氏が秘密を破ったからだ。彼氏が言うには、あそこまで怒るとは思わなかったそうだ。そして動画が出回ったのは完全に不手際で、部活の備品に録画されていた映像をたまたま見た他の部員がすぐに流出させてしまったらしい。でも、それが誰なのかははっきりわからないと。そしてその動画にはひょっこりさんの絵は映ってなくて、SNSではなぜかキレてペイントナイフを振り回す危ない女としてひょっこりさんが認識されてしまった。
私はこの件で何よりも彼氏にがっかりした。なぜ、秘密の約束を守れなかったのか。ひょっこりさんの怒り方も確かにすごいものだったけど、でも、私たちはひょっこりさんと絵のことは秘密にすると約束していたのに。加えて、彼氏はこの件で自分がひょっこりさんを怒らせた理由について何も言っていなかった。ただ、ひょっこりさんを取材したくて、美術室に向かうのを見たからカメラを持っていったとしか説明していなかった。それも、ことが大きくなってしまったがための保身が理由で。
となると、私がするべきことは彼氏、いや、元彼と私、そしてひょっこりさんのことを白日の元にしてなんとかしてひょっこりさんの退学を避けるために努力することだと思った。
そのためにまずはひょっこりさんの絵を写真に撮るのが必要だと思い、放課後、美術室に向かった。そうしたら、そこにひょっこりさんがいた。
ひょっこりさんは学校を辞めると言った。今日はそのために荷物を取りに来たのだと。
私はひょっこりさんを引き留めようとしたが、ひょっこりさんはそれには答えず、ただ、私の絵をもう一度描きたいと言った。私はそれを断れなかった。
ひょっこりさんがイーゼルに向かう。そして、今日の私の話し相手はひょっこりさんになった。
ひょっこりさんがぽつりぽつりと話をする。
今回学校を辞める直接の原因は両親の離婚だという話。自分は父親にも母親にもついて行かず、ひとり立ちしたいから学校を辞めるのだと。
ひょっこりさんの両親はだいぶ前から仲が悪く、ひょっこりさんは絵を描くことで嫌な現実から逃げていたと言う。全校生徒を絵に描くという途方もない挑戦を始めたのも現実逃避だったと言っていた。
絵を描くこと自体は楽しく、そのポジティブな気持ちと元々の動機になるネガティブな気持ちが入り混じって、せめて完成するまではなるべく他人には絵を見られたくなかったらしい。
けれども元彼がビデオカメラを持って美術室にやってきたことで、秘密が暴かれたと思い、混乱してしまったそうだ。それが録画され、動画流出に繋がっていく。
そしてその件が両親の不仲への決定打となった。二人とも、ひょっこりさんを面倒な子どもとしか思ってないことが分かってしまい、ひょっこりさんは自立を決心し高校を辞めるという決断に至ったらしい。
私はひょっこりさんに学校を辞めて欲しくなかった。ここに至るまでのことをちゃんと先生たちにも説明する、元彼にも謝らせると言ったが、ひょっこりさんはもう決めたことだから大丈夫だと言った。そして、そのタイミングで私の絵が完成したらしい。
時間にして2時間弱。私は絵については詳しくないけど、ものすごく筆が速いと思った。その私が描かれた絵は、やっぱり輝いて見える絵だった。
「私、モデルさんとお話ししながら描くのって初めてでしたけど、お話を聞くだけよりもたくさんのものが見えますね。ありがとう」
ひょっこりさんはそんなことを言っていた。
そして荷物をまとめて帰ろうとするひょっこりさんに、私は何かを言わなければと思っていたけれど、何を言っていいのかわからなかった。
だけど、ふと初めてひょっこりさんと話をした時のことを思い出した。あの時、ひょっこりしながら彼女は「そうでもないんですよ」と言っていた。ひょっこりさんに遭遇すると幸運になるという噂話に対して、そう言っていた。だから、私はその噂は本当なのか?とひょっこりさんに訊いた。
ひょっこりさんは笑いながら答えた。
「本当ですよ。私、絵に描いた人に幸運を運べるんです。私に遭遇するってことは絵に描かれるってことだから、そんな噂になったんでしょうね」
そう言って、ひょっこりさんは去っていった。
ひょっこりさんの話は正直信じがたい。けれども、そうなのだと思うことにした。
それ以外、私にできることは何もないのだから。
https://anond.hatelabo.jp/20201101013516 へ。
思っていたひょっこりとは違うかもしれないけれど。
「星合の空」が直近で見たっていうのを差し引いてもマジモンのクソ、そもそも物語の体を成していない出来損ないだった。
増田が挙げてるクソアニメはちゃんと物語として成立してたし原作から変更されたからクソ認定というイチャモンだろ?星合の空の打ち切り漫画みたいな最終回に比べれば全然見れるわ。最後まで見て虚無感を味わったのは魔法戦争、艦これ、異世界スマホ、けものフレンズ2以来だ。
そして久しぶりに「あのね商法」という言葉を見た。最終回が間に合わなかったから後日放送しますというパターンも褒められたものじゃないけど、ちゃんとテレビで流すだけマシ。実は13話がありますとか言われても、どうせテレビではやらないだろうし絶対見ない。
監督の赤根和樹がインタビューでビッグマウス気味だったのにこれとかがっかり。ヤマカン、木村隆一に続く「実力が伴っていないのに口だけでかい監督」に勝手に認定させてもらった。
そしてエイトビットはコメット・ルシファーに続いてこれなのでツーアウト。どうするのねぇ?エイトビットショップとかやってる場合か?
オタクエリートと言うのは、岡田斗司夫が「オタク・イズ・ビューティフル」と言い出した頃に、一部のオタクの間に流行った概念ですね。
オタクを極めた者はオタクのエリートであり、オタクこそが優秀な人間である、つまりオタクのエリートは人間の中でもとびきりのエリートである。
と言うのが、その論旨です。(それは彼の言うところのオタク第1世代である自分たちの世代のことである、となる)
当時の日本の世相はオタクを下等民族として扱っていたと言う背景があり、それを打破すべく「オタクこそが優秀な人間である」と言うパラダイムシフトを行おうとしたのですが、萌えにうつつを抜かす教養のないオタクが市場を席巻したため、教養ある優秀な人間であると言う意味のオタクは滅びた、と「オタク・イズ・デッド」宣言をして壇上を去ることになります。
最近だと元京アニのヤマカン氏がその思想を受け継いだオタク定義論をブログで展開していますが、こうして理解されないことからも分かる通り、懐かしのあの頃の残滓にとどまっている印象です。
ほとんど話したこともないような奴で京アニに就職したというのも風の噂のようなものだ。もしかすると全く別の会社で働いているかもしれない。
それでも京アニのような名声を集めてやまない企業に、机を並べた人間が働いているかもしれないということは、僕にとってちょっとした誇りになっていた。
あの事件が起こってから彼のことが気がかりだったが、卒業後全く連絡をとっていなかった輩がとってつけたように心配の言葉を周囲に投げかけまわるのは醜悪だと思いずっと黙っていることにした。
京アニにとって僕は一視聴者一ファンでしかない。その僕が心配のポーズをとって感傷的な言葉を撒き散らすのは、関係者や遺族にとって目障りになるはずだ。「本当に悲しい」「犯人を絶対許さない」という類の言葉が彼らの励みになる筈はないし、そんな当事者意識の強い言葉を吐く資格が僕にはあるのだろうかとも思う。僕らは所詮野次馬になるのが精一杯で、京アニと因縁があったヤマカンにすら視線を合わせることができない。僕らが遺族に同情したりあまつさえその心情を代弁しようというのはおこがましいことこの上ない。
応援なり追悼なら募金とたわむけの花で充分。金がないなら近くの寺や教会で手を合わせてひとしきり祈った後で京アニに向けたファンレターにひとしきりポジティブな言葉書いて送ればいい。
なんか勘違いしてね?遺族を疲弊させるのはマスコミじゃなくて野次馬になった僕ら"一般人"なのよ。マスコミはきっかけ作ってるだけにすぎない。
マスコミが被害者情報という餌をちらつかせても一般人が食いつかなければ問題はない。世間にいるのは下衆い奴ばかりということをわかってて、中にはそれを利用するつもりでマスコミは報道していると側面は確かにあるが、遺族のもとに凸ったり誹謗中傷を浴びせたり根も葉もない噂を流すのは結局僕ら側の野次馬である。
心配する声やよかれと思っての情報拡散すら被害関係者にはノイズとなるかもしれない、下手すればそのせいで間違った情報が広まり状況を混乱させるかもしれない。
京アニが今どんな状況か僕は知らない。来年公開予定の映画の進捗状況の詳細や公開の行方、そしてその後の京アニがどんな企画にどんな形で携わっていくつもりなのかに関する確証がある情報は何一つ知らない。僕と同じようなネット記事やSNSから情報を得るだけの一ファンの皆さんもそれは同じだろう。
その程度の人間があたかも京アニは再起不能だと言うような大げさなコメントを投げかけている様子は多々見受けられるが、彼らは自分の言っていることの意味を理解していてその責任を負うつもりでちゃんと発言しているのだろうか。
京アニには焼けたものとは別のスタジオが二つあってそこで70名近い社員が働いていることは流石に僕でも知っている。今回の事件で京アニが死に体になったかように語るのは働いている社員の方々に失礼だし、京アニの経営存続が難しいという印象が一人歩きして風評被害にもなりかねない。アニメーターとすれば9月に公開される新作映画に作品と無関係の事件を結びつけてネガティブな印象を持たれることもなるべく避けたいとも思っているかもしれない。
この事件は遺族の情報が公開されなくてもその分野次馬は京アニという会社や八木社長といった著名な関係者に飛びついていたんだろうと思う。紋切り型の「遺族の心情に寄り添わない傍若無人なマスコミ報道」批判がどれだけ吹き上がっても、京アニという会社そのものが好奇の目に晒されているのではないかと危惧する声はあまり見られない。こういった様を見ると結局僕ら一般人はマスコミ批判の出汁に事件を利用しているだけで、関係者のことなんて本当は考えていないんだろうなとなんともなしにため息が漏れでてしまう。
アニメに限らずヲタクコンテンツの映像化に関して常々思う事なんですけど、ヲタクは基本的に小説や漫画、或いはゲームを映像化する際に原作に忠実である事を求め評価の軸にする傾向があるんですね。
でも、実際映像と文章では求められるリズムというかテンポが違う訳で、例えば漫画の小さな一コマ、読む際には一瞬目をやるだけで飛ばすシーンを映像にすると数十秒かかるというのはザラにあります。ヒットした洋画の多くは原作小説に忠実でないなんて事もよく言われますね。
そういった事実を無視して原作の展開を無理に映像に落とし込もうとするとどうしてもテンポが悪くなるし映像の出来が原作を上回る事は夢のまた夢となるのです。けれども、映像化する側は原作ファン()からの批判を恐れて大胆に原作から離れた映像を作ることは出来ない。そういった観点で言えばヤマカンが言う所のヲタクがアニメをダメにしたという言葉もあながち間違いでは無いと思うのです。