はてなキーワード: ヤマカンとは
冒頭に前提としてかかれた2007年の話かね?
当時ネットでみてないと「こういうことがあったんだけど」って説明しても
「ソースは?」っていわれるだけ
狂気の証拠ってのはたいてい規約違反でネットからあとかたもなく消されてるんで
https://ameblo.jp/kanku0901/entry-12497416248.html
この記事に対して、中国嫁日記の希有馬屋さんがテロ肯定だと猛烈批判するツイートをした。このツイートに、「誤読してる」というコメントがいくつかついてたので熟読してみた。
(アニメに限らず)表現に対して「狂気」を持つ人間がどうしてもファンに紛れ込む時代になった。
表現者は、ファンの中の狂気から自らを防衛しないといけないのに京アニはそれをしなかった。むしろ迎合した。
何も具体例がないから何指してるかわからんが、多分、作画をこうしろとか誰々に何を描かせろ、みたいに言ってくるクレーマーとか、オリジナルストーリーを考えてこれ採用しろ、という狂人とか、聖地巡礼しながらここの景色が違うとかここの景色を使えとか言って脅迫してくる狂人、がヤマカン在籍時にもいたんだろう。
そして、そうしたアイデアを京アニが採用したことがあった…というのを、「結託」なる言葉で表しているのではないか。
あるいは、ファンの中に狂人がいることを知りながら、現実の表現者の身の回りの風景(宇治市近辺)を写実的に表現して、表現者の身の回りに聖地巡礼ファンが押し寄せる状況を歓迎していたこと自体を「結託」なる言葉で問題視しているのではないか。知らんけど。
では、どのようにすれば「結託ではない」のか?多分、ファンの意見をガン無視することが「結託」ではないという主張なのだろう。
表現者はファンに迎合してはいけない、ファンの言う事を聞くから、ファンの中に過剰な要求をする者が現れる。表現者はファンなどの外的な影響から超越した存在であるべきで、ファンなどの影響を一切受けずに表現するべきだ、迎合するから、表現者に過剰な要求をすれば聞いてくれると思わせてしまうのだ、だから超然としてファンガン無視しろ…と、そういう意見だと思う。
お前も読み違え甚だしいし病院行った方がいいと思う
ヤマカンはオタクの無謬主義がその中に隠れてる狂人を許容してきたのが悪いって話をしたいだけに見えるし
どう見ても自分だけが助かったなんて思ってないし、悪いのはオタク文化とオタク相手の商売すべてで、オタクはいっぺんそれを考えろ(商売してた側の俺はここ最近ずっとそれをやってきたぞ)って言ってるんだよ
要約すれば、事件はオタクの総意が引き起こした、京アニのアニメへの態度に対する代償→自分は京アニをクビになってから代償を払い続けてきたから助かった
これ、ヤマカン、PTSDだと思う。死者の多い事件の生存者が、「なんで自分だけ生き残ったのか」「代わりに自分が死ぬべきだったのでは」と、自分だけ生き残った事に強い罪悪感を感じて自分を責め続けるサバイバーズ・ギルトというPTSDがある。せっかく事件で助かった生存者が、これで自殺した例もある。
ヤマカンもこれではないか?ヤマカンのブログの文面は強がってるけど、
自分だけ助かって申し訳ない。なぜ自分だけ助かったのか?→ネットの総意(ほとんど天罰と同じように読める)に背いたのが京アニ、自分は背かなかったから助かった
してたっけ?
ヤマカンが犯人ではないとわかったころには大惨事なのがわかってきてたからヤマカンネタどころではなかったと思うけど
まあ君がいうならそうなんだろう
君の中ではな
初報、京アニの第一スタジオで爆発があったというところで被害状況がどんなものかもわからないうちに炎上大喜利開始。
ここでヤマカンこと山本寛氏の名前がトレンドに上がってきた。ヤマカンが犯人じゃないかという不謹慎な憶測。言っていい冗談とそうじゃないのがあるのかもわからないことに呆れた。
その後、被害の深刻さがわかってくると、京アニはこんな素晴らしい制作会社だとバズ狙いの無断転載。
報道がこの件だらけになってくると「またアニメオタクが差別される」という自意識過剰。そんなこと言ってる場合か?
ニュースで「アニメ」の単語が扱われるだけでいつもバカにされる、差別されると心配して先回りでマスコミ叩く奴ら。そういうとこだよ。
時間が経って被害状況がはっきりしてくると、公式発表されたわけでもない京アニ所属のスタッフの方へお悔やみツイート。見ず知らずの人間達から死んだことにされて、祈るような気持ちで安否がわかるのを待っている家族や関わりある人たちがどんな気持ちになるか想像できないのか?
ブログやツイッターが途絶えた声優たちへの「心配だから何かツイートして」の声。それくらい慮れよ。ブログやツイッターなんてファンサービスの一環なんだからこんな時にまで要求するなよ。
結果的に消防法は全く問題が無かった。過去には消防局に表彰もされていた。
もしこの事件で何かが変わるとしても、今は全く問題が無いと言わざるを得ない。
NHKの事件当日取材のために外れていたセキュリティが叩かれいている。
犯人は金づちをナイフを持っていた。セキュリティを強固にして警備員を立たせていたら、きっと警備員は死んでいただろう。
確かに一人の死と34人の死は比べ物にならない。だが警備員一人で済んだだろうか。
NHKもNHKで、記事を削除したり「出勤のためにセキュリティを開いていた」などという虚偽報道は、報道精神として許されない行為だと理解してほしい。
このNHKの改ざんについては日常茶飯事であるので、むしろもっと叩かれるべきだとは思うが…できればテロと関連させたくないのは確かだ。
だがこういうことが起きたのだ。一人の精神を追い込むような真似はしないほうがいい。
これくらいでへこたれない人だとアンチは思っているのかもしれない。
しかし人間は弱いものだ。無関係の人がこの件について傷ついている。
元同僚が、古巣が、尊敬すると言っていた師匠が、一気に亡くなった人の気持ちなんて測り知ることができない。
今はただそっとすべきではいか。
アンチは言うだろう。「こんなことでは許されない」と。きっと彼が死ぬまで追い込む気なのだ。
正論の暴力について考えるべきだし、果たして本当に正論なのかも自身で疑うべきだ。
SNSは個人のつぶやきや書き込みが流れずに残っていく。蓄積データだ。
最近はテレビも配信サービスを使うようになったし、録画が残る時代ではある。
しかしテレビがNHK、民放各局と両手で数えられる程度なのに対してSNSはまさに数の暴力だ。
テレビは流れていくことが多いが、SNSは言葉の暴力が残り続ける。
テレビの影響力が減った今、SNSはテレビの馬鹿さも引き継いだ。
言ってることとやってることは、SNSもテレビもそう変わらない。
螺旋階段が問題派がテレビの検証番組に誘導されたことは一目瞭然だ。
螺旋階段も一応テレビは問題を理解して専門家を呼び模型実験やその映像まで用意していたが
SNSは又聞きばかりだ。
自分の発言に責任を持たない人しか居ないのではないか、と思わざるをえないレベルである。
憎むべき相手が分からず、手あたり次第むかつくものを荒れる心で叩いてしまう。
あげく被害者まで叩く始末だ。
そして本当に憎むだけで終わりにしていいのか。人間は理性を失っていいのか。
犯人の思想がなんであれ、そう呼ぶしかない。それ以外の言葉を私たちは持たない。
911のときを思い出すと、航空会社の不備や目立ちやすい建物といった『問題点』が国内で語られていたりもした。
しかし旅客機が2つ突っ込むなんて想定して建物なんて建てないだろう。
あの建物の中で働いた経験があり、喧嘩別れをして恨みつらみを語っていた人が居てもその人は責められるべきではない。
911テロは、結果的にその首謀者と呼ばれる者に憎しみが向かった。
ハイジャック犯にはアフガニスタン国籍は一人もいなかったこと。
憎しみを扇動したものが居たこと。歴史は繰り返してはならない。
たくさんの人の命が失われた。そして文化も。
そこから考えることはこれからも色々あるだろう。ありすぎて、疲れるくらいだ。
幸い日本は法治国家だ。人の理性が試される。思考を持って対応しなければならない。
まだ一週間も経っていない。もう少し頭を冷やすためにも、喪に服したほうがいい。
悲しまないと、次に進むことは出来ない。
この方はアニメーションに詳しい人の中では知らない人はいないだろう大物メーターではないかと考えられている。
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京アニ放火「2階から飛び降りた」迫る黒煙、決死のダイブ 男性社員が証言
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190722-00000647-san-soci