はてなキーワード: ペドフィリアとは
ガラス窓の向こうの中庭では音楽系のサークルが一昔前の音楽を演奏していた。
僕は何とはなしにそちらに耳を傾けつつ、次の言葉を発した。
「別にマゾだとか被支配欲とか破滅願望って訳じゃないんだ」
「むしろ、誰かが僕を支配しなければならないという状態に縛られてる状態が欲しいんだ」
「こんなにどうしようもない僕なんかを、ね」
ここまで話して、日替わりラーメンの新作「麻婆ラーメン」に口を付けた。
麺を何口か啜り「これは罰ゲームに使えるな」と呟いた。
「谷倉に食わそうぜ。最近後半組の瑞希さんと仲良いしな」
対して、向かいの席に座った芦原は定食Aのステーキを切り分けながら相槌を打った。
「今度の必修のレポートが終わったらまたやろうか。北森も呼んでさ」
良いなそれ、と言いつつ芦原の視線は配膳に固定されている。
いつもの事だと流して、左で菓子パンを手にこっちを見ている凪川を見た。
「話を戻すとさ、支配されてるのに支配してるって言う矛盾みたいのが良いと思うんだ」
芦原がニヤニヤして横やりを入れた。
「このロリコンが。お前が捕まったらネットで晒し者にしてやる」
はいはい、と流して話を続けた。
「この矛盾はね、結局相手も隷属してるってのが素敵なんだよ」
「犬の散歩で言うなら、縄の付いてる部分こそ違えど、飼い主と犬は繋がってるって事でしょ」
「けど、飼い主は自分から縄を離せる」
凪川は眉根を詰めて言った。
「都合の良い対象として扱われたいのか?」
「いいや、違うよ」
「もし、飼い主も自分で縄を離せなかったらどうする?」
「僕は、その状態が欲しいんだ」
「形としては支配されてる、けどそれは惰性に過ぎない」
「いつ支配され返されるか分からない。それでも支配し続けなければならない、離れられない」
「奴隷となった相手の従順な姿に安心しつつも、時折絶望に浸って欲しいのさ」
凪川は渋い顔をしてこちらを見ている。
場違いだと思いつつ、こいつに倒錯的な性体験をさせたいと思ってしまった。
顔に出ないように取り直しつつ、言い返して反応を見ることにした。
「死にたいと四六時中言っているよりは良いだろ。性的エネルギーは活動の活動源だ」
「方向性が道徳的ではないのは良いのか」
「0°がまともだとして、720°でも傍目には分からなければ良いのさ」
「道徳的であるかどうかは過程じゃなくて結果にあると思うよ」
「その結果が支配関係なら180°だろ。それに、俺らに言ったら過程が分かってるから意味ないだろ」
「依存してるから良いのさ。愛を受け止めておくれ」
「フルメタルジャケットの方だ、良かったな」
「痛いのが好きなら、そうとはっきり言えば良いのに」
「どう解釈すればそうなる変態バイペドフィリア。地獄に落ちろ」
今日も厳しいな、少々古いがツンデレ的愛情表現かね……とにやりとした。
凪川の目にあるはっきりとした嫌悪については、今は深く考えたくない。
芦原は黒檀色の瞳を探る様に向けている。
「…………良いんだ、今さえ楽しければ。どうせ刹那的にしか生きられないし、受け止められないから」
「あっそ、好きにすれば」
「ごめん」
それから3限開始までは何事もなくいつもの日常が戻って、4限に解散した。
銀朱に染まる最寄りのバス停で降り、鍵束でドアを開放する。
その日 友人が一人死んだ。
午前6時、その報せが映ったディスプレイを見つめていた。
7月の初めに、人が死んだ。
読んで頂きありがとうございました。
ちなみに、ペドフィリアの定義は「幼児・小児(一般に13歳以下)を対象とした性愛・性的嗜好」なのであって、別段その人が年上に興奮しても定義からは外れないよ。
幼児・小児を対象とした欲情を感じなくなったときに、定義から外れんの。
だから、中学生(13歳)と援助交際する奴はペドに分類される、それ以外をどれだけ食っていても。
しかしながら、小児性愛者のうちには、成人の性的パートナーを愛好し続けながらも適切な接触を得るのに慢性的に挫折しているため、習慣的にその代理として小児に向かう者が含まれている。思春期以前の自分の子供を性的にからかう者は、時に他の子供たちにも同様な近づき方をするが、いずれの場合も彼らの行動は小児性愛を示唆するものである。
~ wikipedia参照 ~
よく知った友達がペドフィリアだったとしても受け入れられるけど、
見えない、知らないペドの人はちょっと怖いと思ってしまうな。
わたし幼少時に痴漢に何度かあったこともあるし。
ペドフィリアなんて少数だろう?
まとめて近づかないってのは別に問題なかろう?
俺個人で言えば子持ちだしな。気味が悪い。
よっぽど昔からの知り合いであれば、
ペドフィリア的な行動をしている人間はまとめて近づかないようにするのは、
正しい判断だと思うわけ。
なんか統計で、ペドフィリアこそ子供に危害を加えないものである。
といったものがでれば、即考えは逆になるよ。
ミスリードのくだりは、
そういう言い方すると上記の少数である部分が見えなくなるだろう?
それだとミスリードになるよって言ってるの。
でもわざとだからいいのかって思いなおしたのよ。
それほどまでにペドフィリアが多いと?
安易な極論はただのミスリードだ。
ひどい。
卑猥なものに目が慣れた環境にあるからといって、性的侮辱を与えてもいいということにはならない。
例え彼女がエロワードつぶやいたことがあったとしても、ネタじゃ済まされない。大きな過ちだ。
人間に宛ててあんなreplyを送るなんて最低最悪。ブロックはとても賢明な判断だったと思う。
もし仮にリアルであんな暴言を吐いたら両親の前で土下座させてられてしかるべき。
Togetter - まとめ「女子中学生へのセクハラreplyとブロックされた事による手のひら返しまとめ」
どうしてこんなセクハラするの? できるの?
「恥を知る」とか「思いやり」なんていうヤワな枠組みじゃ駆逐できない。
想像力が足らん!と怒鳴りつけてやりたいのだけど上手く言えない。掘られろ、でもない。
痴漢に遭ったことすらない私でも被害者の気持ちを想像する程度のことはできるよ。
「あなたでオナニーしてます」と言われるのがどんなに悲しいことだかわからないんだろうなあ。
二人称で性的中傷を浴びた一個人は「恐怖」を覚える。「憤り」どころではない(ここが二次元キャラと違う)。
彼女はセクハラで受けたショック(あるいはもやもや)を言語化することができただろうか。
実際には当事者である彼女は、上手く受け流すことができているのかもしれない。
そうだったら杞憂で済むけど、まあそんなスルー力を期待してしまう社会もそら恐ろしいような気がする。
私は第三者ながらこのまとめを読んで大変ショックを受けた。胸を悪くした。気持ち悪い。耐えられない。
女子中学生を人間扱いしない男性が世にはびこることに、憤っている。諦められない。
一方で、私にだって性欲はある。「パンツ脱いでほしい」という欲求そのものは否定しない。
性欲が孕む暴力性をいかに取り除いていくべきかについて、考えた。
女をモノ扱いするポルノや言説は目に余る。あれを読んでたくさんの人間が傷ついているはずだ。
女の悦びだとか肉便器だとか。性的に蹂躙される側の性であると思い知らされ、深く傷つく。
その損傷は、後々の男女観、セックス観に影響を与え、障害を植えつける。
傷つける、のを予防することはできないのだろうか?
オナニーして欲しくないなんていう性欲への嫌悪感からくるものだけではなく、
女(セックスの相手)をモノとして扱うような性の価値観に惑わされて欲しくないという意味があるのではないか。
加害者予備軍のことを言っているのではない。劣悪なポルノが青少年のトラウマになる危険性、
ショックで価値観が歪んでしまうかもしれないほど酷い表現が溢れているという視点だ。
読ませなければいい? うっかり目に入ってしまっても気にするな? 傷ついたなら乗り越えろ?
それを13歳そこらの無邪気な少女に求めるのは、酷だ。
しかしそれでいて、陵辱モノを欲することをは否定できない。
私は陵辱物のBLが好きだ。しかしそういうものを好むようになったきっかけというのが、自分では思い出せない。
陵辱嗜好は、ペドフィリアが昔からあるのと同じように、
発生を抑制することのできない、存在肯定すべき欲求であると思う。
ロリコンにおける『現実の大人の女性が怖いからロリに逃げる』のような分析の余地はあるかもしれないが、
BLに強姦ものが多く在るのは男への怨恨の屈折からだけじゃないと思うし、マイナーだけど逆レイプっていうジャンルもあるし。
そしてその嗜好に目覚めるのは18歳以上になってからとは限らない。
女をモノとしてばかり扱う価値観への憤り(「消えてなくなってしまえ!」)と、
男を(ときには女を)モノとして扱うようなポルノを求める(「なくなったら困る!」)ジレンマ。
だから私は表現規制賛成派というわけではない。現状では非実在少年の件も反対している。
話を戻して、表現物が性的弱者を害するのを防ぐにはどうしたらいいのだろう。
逆の視点、
レイプ物を読んだ少女がレイプされる性であることを自覚してしまうケースの予防法は?
やっぱりそれも、『相手の人権を踏みにじる性暴力(セクシュアルなハラスメント)は悪である』
『相手を思いやるセックスが正しい』と、説くしかないのか。
(少なくとも、そういった性教育を一度も受けたことのない青少年がほとんどなのは問題だと思う)
あとは、傷ついてしまってから事後的に治療を施すか……。
性暴力に触れた体験を誰かに打ち明けられるケースは少ないため、とても困難ではある。
なんと声を掛けたらいい、あるいは、中学生へのセクハラを目撃してショックを受けた私はなんと声を掛けて欲しいというのか。
『そんな男ばかりではないよ』『相手を思いやって愛し合うセックスに巡り会える日がきっと来るよ』か。
でも、オナニーって「性欲処理」でしょ? モノ扱いするのが基本でしょ?
ほとんどの男は愛してもいない女で抜けるんでしょ? じゃあセックスは?
据え膳は愛し合ってなくても食うんじゃないの? ……男性不信が露見してしまった。
ていうか、その優しいお言葉、男に愛されることのない非モテには関係なくない? 私のことですけど。
一生彼氏ができないなら、性的な目線を向けられる機会なんて、痴漢かセクハラかパンチラくらいしかなくない?
……
かっこいい男性にロマンチックなシチュエーションで抱かれるような夢を見ることのできる日は来るのでしょうか。
(今の状態だと例え恋をしても性行為に至るまでに大きな障壁があるなあ)
めんどくさいから今はやおいで十分だ。
18歳になるより前からずっと、私の性的欲求をすくいあげてくれているのはBLだった。
ひどいポルノ(非実在青少年・大阪BL含め)を青少年に与えるべきか否か、わからない。
けれど少なくとも、どうかその下卑た視線を私(はともかく)や私の周りの人たちに押し付けないでください。
あなたの吐いた言葉が中傷にあたらないかどうか、ネタにマジレスしてでも考えてみてください。
★ 電脳ポトラッチ: 「セックスしたい」は「好意」ではない。
http://noraneko.s70.xrea.com/mt/archives/2010/0517001413.php
小4女子ついったらー問題に対する私的見解 iNote
http://belepi.blog13.fc2.com/blog-entry-5.html
返信いただきありがとうございました。id:islecapeです。
すでにid:kanimasterさんのブックマーク http://b.hatena.ne.jp/kanimaster/20100325#bookmark-20264645 や、id:ululunさんの匿名記事に指摘がありますが、「性的指向」(異性愛、同性愛、両性愛など)を、「性的嗜好」(サディズム、マゾヒズム、ペドフィリアの類)の倒錯の類型としてカテゴライズし、まとめて「変態」(性的倒錯、パラフィリア)とするのはいささか乱暴だと感じたため、ブックマーク http://b.hatena.ne.jp/islecape/20100324#bookmark-20255995 では、とりあえずその点についてのみ指摘しました。
つまり、「同性愛を『変態』呼ばわりしてはいけない」と言ったわけではありません。「同性愛は『変態』というカテゴリーには入らないのでは」ということを言ったのです。僕は「同性愛者」に対する差別と、各種の性的嗜好を持つ「性的マイノリティ」に対する差別は、別のレイヤーの問題だと考えており、「同性愛は『変態』ではない」と主張することは、「変態」に対して特段の差別にはならないと思います。「変態の一種である同性愛」を特別扱いしたというわけではないです。
二次オタって、思春期に性欲が十分に満たされなかった奴が、
マンガとかアニメとかエロゲとかで思春期の頃の感覚を疑似体験してるだけで、
根っからのペドフィリアってわけじゃないんじゃね?
この手のエロゲって大抵、未成年同士が恋愛や性交に至る場合がほとんどで、
大人の男(教師とか)と女子高生みたいなのって割合としては低い、と思う。
大抵の場合は性欲の対象となる異性の年齢の下限も徐々に上がっていくと思う。
恋愛と性欲がリンクしてれば、恋愛(コミュニケーション)できる世代を主に性欲に対象にするから、
普通に「30過ぎのオッサンが女子高生と恋愛とかできない」ってなるだろう。
思春期に満たされなかった奴は、「思春期をもう一度やり直して恋愛したい」って欲求があるから、
「自分が高校生になって同級生、先輩、後輩(女子高生)と恋愛(SEX)する」ことを思い描くんだろう。
(ラブプラスにはまってる大人なんか、まさにそうじゃね?)
これは、今現在モテてるとか彼女いるとか結婚してるとか関係なく、
「あの頃もっと楽しい青春を過ごしてたら!」という取り返しのつかない欲求だから、
二次ロリが規制対象になるのって、児童を性の対象として描写することが、
実在の児童を性の対象とする風潮につながり、犯罪(淫行)を助長する、という理屈だったと思うが、
未成年同士が恋愛の結果性交するのは犯罪(淫行)にはあたらないから、その場合は別に問題なくね?
これってコンテンツ産業と表現の自由についての視点からの反対意見が多いけど、あからさまな差別問題でもある。
特定の性的嗜好について、容認する表現自体を規制しましょうってことは、そういうことだよね。
(実際の性的被害事案そのものじゃなくて、風潮自体がよくないから規制すると、石原慎太郎都知事も明言してる。)
「ペドフィリア」を「同性愛」に置き換えれば、バカバカしさがよくわかる。
ちょっと話がそれるだろうけれど思ったこと。
(http://anond.hatelabo.jp/20100203213456を読んでなんだけどhttp://anond.hatelabo.jp/20100204094106にもつなげとく)
まず、大前提として年齢如何に関わらず
があるとして。
その上で
を考える。つまり、何をするってわけでなく、ただ、小学生を好きになったんだとする。
何故か小学生ばかり好きになる。何故か大人には恋をしない。欲情しない。するとペドフィリアだと。異常であり病気なんだとなる。
第二次性徴が来ていない生物学的に男や女になってない異性とは呼べない相手に欲情するのは異常であり病気なんだとするのは分からなくもない。
ただ、
何故か同性ばかり好きになる。何故か異性には恋をしない。欲情しない。すると異常であり病気なのか。嫌悪すべき対象なのか?
いや、同性だろうとそこに生物として途上ではない「性」があり、同性であれ異性であれその性に惚れる、欲情するのは許されるが、無いとは言わないまでも弱い、言わば「無性」の側の子供に欲情するのは病気なんだというのも分からなくはない。嫌悪を抱くのもわかる。
しかし、それを強力に否定するのはどうなんだと思う。
様々な病気、障碍、嗜好があるなか、それに対し嫌悪を抱くことはままあり、嫌悪を抱くなとは言えない。しかし、理解は示すべきだし、それを否定すべきではない。
うつ病や寝たきりや喫煙家を嫌うとしてもそれらの人物自体を否定すべきではないし排除すべきでも無い。(所謂「公共の福祉に反しない限り」という但し書きはつくけれど)
それに、私は同性を性的に好きになれないからといっても、人として好きにはなれるように、「性」というのは大きく強力ではあるが、人や社会を構成する要素の一つに過ぎないといえば過ぎないわけだし。
でまあ、結局何が言いたいのかわからなくなってきたけど、
ペドを嫌うのはいいけど、それに理解を示そうとするのを否定するのは少し考えた方がよいんじゃない?ということ。
あと、念のために言っておくと、大元の増田に対してはペドを嫌ってはいるけれど、それは前述のように良いし、痴漢は年齢如何に関わらずダメだし、大人は子供を保護すべきだから、子供に対する態度には配慮せよってのも、社会的にそのとおりだし、別に「ペド死ね」と言ってるわけじゃないので、あとは言い方だよなという感想。
小学から人生の大半を左翼の為に費やしたけれど左派系ブログを見てもネット叩きが多くて嫌になる
諸事情で廃人化していたけれどネットで意思疎通に慣れたお陰で社会復帰出来た。ネットは心の故郷
ネットが無ければ誰とも話せないままだったし首を吊っていたかも知れな
ネットで馴れ合うことで得たコミュ力は余りにも大きい。活動場所などは身元がバレるので書けないが
ネトウヨは社会的地位のある奴、脳筋、逆に衒学的すぎる奴はどうしようもないが、
若い人に一番多いコピペを信じてるだけの奴や量産型ネトウヨは絶対に治る
一番の薬は論破や暴力でもなければ子供扱いして馬鹿にする事であるはずがなく
少しずつ諭すことだ。彼・彼女の気持ちを労り決して厳しい言葉を何一つ使わず相手を何一つ否定せずに。
ネトウヨどころか生長の家の信者だって一人治した。彼女は以前公然と人権を否定していたが今回は民主党の女性候補に投票した
かなりの人数をうまく心変わりさせた。ネトウヨや、左派同志の内ゲバやネトウヨの人格否定しか出来ない「左派」と違って
政治の話は、能動にはしない、会話の中で自然に政治の話題が出たり相手が差別用語やデマを口走ったときのみ、その方が彼らの心には響く。
だが、心の故郷を徹底的に否定されるのが結末だった。十数年頑張って来たんだが。
ネトウヨを馬鹿にしたりネットを否定する「左派」には精神的弱者の心がわからない
ネットでしか会話できない人間を馬鹿にするのがリベラルですかそうですか
引きこもりでニートで二次元の住人で何が悪いんだ・・・。ペドフィリアでもいいじゃないか
心を開いた彼らは、まっとうな社会人様(笑)より余程人間らしくて優しい。オタク文化の性質上、LGBTへの理解は特に。
既に仲好しになった後ならばたとえネトウヨでもこちらを売国奴だとか朝鮮人めとか言って来ることもないのだ
民主党をこき下ろす書き込みをしてきた相手でも、こちらが民主党擁護を書いたら、
再反論はしてきたが民主党への言葉遣いはとても穏やかになった。仲間の好きなものを全否定するのは心苦しいからだろう
全否定もレッテルハリも出来ない状態でこそ初めて会話の余地が生まれる
「キモオタニートウヨわらわら」なんて書き込んでくる相手ならば、たとえ正しいと思う事でも反論して論破したくなるというもの
仲良くなってやってから時間かけて諭してあげればいいじゃないか
人格否定でネトウヨの気持ちを踏みにじる「左派」は多様な存在や変わり者を認めない時点でリベラルかどうか疑わしいが戦略面でも失敗している
最近は「元から「左派」」の人間のブログを読んでも全く楽しくない、左派には社会不適合者がいないからだ。
民主党政権になったら、日本人の精神性が根本から変わり、少しは楽しい国になるかと思った
現実にはネット叩きが増えただけであり政策はマシになっても精神性は悪化したようだ
左派といるよりネトウヨと仲良くしながら少しずつリベラルに引き込む方がずっと楽しい
ネトウヨの気持ちはよくわかる、こちらもネトウヨと同じか以上に引きこもりでニートで虹でペドだから。
もっとも、ネトウヨにもそんなテンプレな人間は少なくそうした属性を一つも持たない人間も結構いたが
そうした属性が少なすぎても多すぎてもそれぞれ違った政治的右派の側面が残り抜けきらないことが多いようだ
ずっと左翼として生きているから本能的に日の丸が嫌いだし、赤旗が好きだ。
こう書いてみるとますます釣りくさいが、本当にそうなのだから仕方ない
個人を特定されない為内容に非常に注意している為書きたい事がまとまらず申し訳ない
しかしどうしても、ネット叩きに我慢がならなかった
これは僕の記録である。僕がなぜあんなことになってしまったのか、一度整理してみようと思いこの文章を書いている。そういったわけで少々文章が長くなるだろうが気にしないことにする。これを読もうとする方には申し訳ない。
僕はいわゆるロリコンであった。単なるロリコンではなく「病的な」ロリコンである。対象は中高生だ。
病気ではなく病的と書いたのは、私のは精神疾患とは違うようなのだ。現在日本でよく使われるDSM-IV-TRでは、13歳以下のものに対して異常性欲を抱くものを精神疾患としている。要はペドフィリアだ。つまり僕のように中高生にのみ異常性欲をもつものは病気ではないのだ。中1くらいだと幼すぎて興味が沸かなかったので間違いない。しかし、明らかに病的であることには変わりなかった。
ロリコンを自覚したのは大学2年くらいの頃である。コギャルという言葉が流行りだし、町中がガングロ・ルーズソックスであふれ出したころ、僕は彼女らに異常な興味を持った。僕はほんの数年早く生まれてきてしまったことをひどく後悔した。
その興味は羨望に変わり、そして性欲へと変わっていった。だが不幸にも彼女らと関わりを持つ機会を持てず、かと言ってナンパをする勇気などまるでなかった。さすがに犯罪だろう、とその時は思っていた。しかし今思えば大学2年なら先輩後輩でも通じる間柄だったはずだ。そうして悶々としているうちに年月は非情にも過ぎていき、中高生という存在や可能性からどんどん遠ざかっていった。そうして流れる年月は、僕の「コギャル」に対する性欲を異常性欲に成長させていった。
異常性欲。
分かるだろうか。僕は彼女らを見ると非常に強い性的衝動が起こるのである。もしかしたら健常者には分からないかもしれないので説明しておく。セックスを行う時、前戯行為を重ねた結果、性的興奮が絶頂に達して「もう我慢できない」という状態になることがあるかと思う。あれが、街中で、ちゃんと服を着て街を歩いている見も知らぬ女性に対して沸き起こるのである。私だけかとも思ったが、性犯罪の多さ、特に学校の教師や警官でさえ援助交際や盗撮などを行ってしまう事件をみるにつけ、一般にその衝動は私と同じくとても大きいものなのであろうと想像する。
年をとるにつれ、皮肉にも性衝動の対象は逆に広がっていく。いつの間にか高校生なら誰でも良くなっていた。25,6歳を過ぎた頃だろうか、中学生の間でパステルカラーを極彩色に組み合わせたようなファッションが流行した。ごてごてしたスニーカーを履き、うさぎの耳のように髪を結わえ、2つずつ大きなアクセサリがついた髪留めをしていた。
僕はこれに強く反応した。かくして僕はいい年をして中高生好きの病的なロリコンになっていた。欲望を満たす方法はあった。この頃、援助交際が大流行していたのだ。しかし僕はこれを固く拒んだ。犯罪を犯して性欲を満たす、これを僕は極端に嫌った。援助交際については気分さえ悪くなった。僕のなかにその選択肢はなかった。
しかし、その日は突然やってきた。
小雨がしとしとと降るある日、公園の縁石の目立たないところに一人の女性が座っていた。20歳くらいに見えた。待ち合わせだろうと僕は特に気にもせずに通り過ぎた。30分後、用があって再びそこを通ると彼女はまだ座っていた。明らかにおかしい。僕は声をかけることに決めた。知らない女性に声を掛けたことなどない僕は、声を掛けるのにさらに十分程度を要した。
きっと不審がられると思ったが、彼女は意外とやさしく返事をしてくれた。話を聞くと、約束をすっぽかされて時間をもてあましていたのだという。だったらとっとと帰ればいいものだが、なぜ雨の中ぼんやり座り込んでいたのかは聞いてないのか忘れてしまったのか。歳を聞くと17だという。なんとあれだけ憧れた「高校生」ではないか。僕はしばらく平静を装うのに苦労した。
時間は7時を回っていた。何も食べていないというのでちょとした料理店に連れて行った。わざと静かで落ち着いたカウンター席の店を選んだ。下心丸出しである。そして食事をとる振りをして彼女に心理的に接近していった。
店を出て、まだまだ時間があるというので散歩することにした。ぶらぶらする振りをして僕は常に距離感を測っていた。それはとうに向こう側も気づいていた。散歩の理由も含めて。そしてここぞというタイミングで手を取った。そして最初から取り決めてあったかのようにホテル街に消えていった。僕は「高校生」との性交を果たした。
念のために断っておくが酒は使っていない。そもそも僕は酒が飲めない。
実は異常性欲はこれで収まると思っていた。一度高校生としてしまえば満たされるだろう。しかしそうではなかった。彼女はいわゆるギャルではなかった。17よりは16くらいが良かった。中学生も未経験だ。満たされたと思ったのは一瞬で、次の日の朝にはただの変態に逆戻りしていた。
そして僕には一抹の不安があった。「これは犯罪ではないのか?」。実際にこれを犯罪だと信じている人も多いだろう。僕自身何度も犯罪者と誹られた。そこで知り合いの弁護士に「知人の話」として相談をもちかけ、飯をおごる代わりに法的根拠について調べてもらった。結果はおどろくべきことに、何の罪にも問われないというのである(当時。現在は違法)。こういうので逮捕されるのは大抵が地方条例違反なのだが、東京都にはその規定も罰則もないというのだ。児童福祉法も滅多なことでは引っかからないらしい(気をつけるべきポイントはあるが)。
ここで僕のタガが外れる。少々年齢差があってもナンパは可能だ。そしてナンパは気を付けていれば犯罪にはならない。数日後の昼、僕は昨日彼女と出会った公園にいた。そこにはいわゆるコギャルな女子高生がヒマそうに化粧を直していた。僕はやはり10分ほど躊躇したが、結局声を掛けることにした。そして世間話をしてカラオケに行くことになった。結局彼女とはカラオケをしただけで分かれたが、ナンパは成功したと言えよう。僕は一気に自信をつけた。
僕は唐突に仕事の契約をいくつか切った。そして月水金以外の4日間を休日とし、その時間をナンパに充てることにした。ここまでくると正気の沙汰ではない。仕事とナンパとどっちが大事かといえば、どうみてもナンパである。
ちなみに僕のナンパのやりかたはこうだ。大きな通りに目をつけ、そこをひたすら往復する。これはと思った女の子がいれば、一旦追い抜き斜め前から速度を落とし(こうすると驚かれない)横にならんで声を掛ける。特に話題がなければ「何してんの?」から始まり話が盛り上がってきたところで「じゃあちょっとカラオケでも行こうよ」と誘う。カラオケでいい雰囲気を作り、自宅の○○を見せてあげるとか適当に言って連れて帰る。あとは一緒だ。
もちろんこれは人によってちがう。その場ではメルアド交換だけしてアポを取り付け、デートで決める人もいる。というか多分そっちの方が多いと思う。僕も相手が時間が取れない時はメルアドを収集していたが、メールだけはどうも苦手だった。僕のようなのを即型、後者をアポ型と呼ぶらしい。
余談になるがキャッチやヤクザ風の人とはあらかじめ仲良くなっておいた。噂によると彼らはナンパする奴を締めたりするらしいが、僕が絶対に女子中高生にしか声をかけません、と言うと容認してくれた。彼らにとって未成年者は商売にならないのだ。よく「よお兄ちゃん、今日は釣れるかい?」と声を掛けられたものだ。
うまく行った子とは必ずプリクラに行き、それを収集していた。なお、初回に2回連続でナンパに成功しているが、現実はこんなに甘くはない。僕は話は下手だし顔もまずい。丸1日、100人くらい声かけてオケラという日もあった。だいたい月に5人程度。ひどいと1人とか2人という月もあった。今でもあの2回のビギナーズラックは、僕を引きずり込むための罠だったのではないかと感じることがある。
僕は大抵人の出てくる午後1時~3時くらいから出掛け、ひどいときは夜9時ごろまでやっていたこともあった。一度冗談で万歩計を付けたら2万歩も歩いていた。それ以上の日もあっただろう。まさに病気である。
それでも欲望はまったく収まる気配をみせなかった。まだ何かが満たされないのだ。こうなれば、ああなれば収まると夢想すらした。しかしそんな日は一向に訪れなかった。記録によるとそれは3年間にもわたった。ナンパというのは金のかかるものである。当然その日の収入はない。土日のカラオケは恐ろしく高い。食事代やホテル代も馬鹿にならない。よく金が持ったものだ。いや、あの金があれば、その分働いていたらどれだけ貯金できたか。
そして事はやはり突然訪れる。そんな生活を3年ほど送っていたある日、異常性欲が忽然と消えたのだ。突然「もういいや」という気になった。必死にナンパしてたのが馬鹿馬鹿しくなった。それは徐々に潮が引くようでなく、突然麻酔から醒めたような感覚であった。なんと「あのアレ」が治ったのである。実際にはそれからもしばらく惰性でナンパは続けていたし、何人かの中高生と関係していたが、それもだんだんなくなっていった。そして気が付くと手元には何も残っていなかった。
しかし、それでも、あのロリコンが治ったのである。ロリコンが治るとは夢にも思っていなかった。これは一生の病だと思っていた。それが治った。それは十分3年の価値があった。
だが逆に言えば、ロリコンはここまでしないと治らないのである。
そして今、調べてはいないがおそらく全国の条例で青少年の淫行が禁止され、ナンパなどできない世の中になった。もはや違法な手段を選ばないと欲望は達せられないのである。
ロリコン、そしてペドフィリアの方々、あなたがたは、一度でも欲望がかなえばそれが治ると思っていないだろうか?僕はそう思っていた。しかしそれはまぼろしで全く何も変わらなかった。直るまで仕事をほっぽり出して3年かかった。
僕は、性犯罪者の中には「ただ1回だけやればこの苦痛から開放される」と考えた人が多いのではないかと推測する。しかしそれは間違いである。あなたは何も変わらない。他方被害者は 強姦の場合、重大な精神疾患を一生背負うことになるかもしれない。「一度でもいい」と思っている方たち、僕が言えた義理でないのは重々承知だが、それは危険な思想である。禁煙者が「1本だけ吸おう」と言っているのに似ている。おそらく1度では済まないだろう。そして連続犯に堕ちていくのだろう。
健常者には分からないと思うが、病的なロリコンであることは大変な精神的苦痛をともなうものである。だが彼らを治そうという動きはなかなか見当たらない。病気として認められていないのだから当然なのかも知れないが、ただオナニーで我慢しろというのではなく、彼らを救済する手段を考えることも必要なのではないかと切に思う。
参考
http://image.blog.livedoor.jp/brynhidr/imgs/7/a/7aec0b0e.jpg
手の込んだロリ雑誌のジョーク広告なのだが、真に受けて精神科に行ったり、医師会を104で調べた人もいるという。みんな悩んでいるのだ。
それから通報祭りを開催予定の方々、僕の行為は説明したように犯罪ではない上、児童福祉法の公訴時効(5年)でさえとうに過ぎてるので(条例の時効は3年)、おまわりさんのお仕事を邪魔しないようにね。