はてなキーワード: うじゅとは
10位 上運天 にらい 沖縄県 ちゅらプランニング http://moechin.ti-da.net/e3233620.html
9位 小峰 シロ 福島県 白河市 http://komine-shiro.com/
8位 加茂川 マコト 京都府 出町枡形商店街 http://ameblo.jp/kamogawamakoto/
7位 からす天狗 うじゅ 京都府 太秦戦国祭り http://www.ujyu.jp/
6位 まろにえーる 栃木県 とちぎテレビ http://www.tochigi-tv-anime.com/
5位 まほろちゃん 佐賀県 佐賀市 https://twitter.com/mahorochan
4位 みのりん 秋田県 安保金太郎商店 http://umaikome.jp/minorin/
3位 富士川 桜柚波 山梨県 富士川町 http://fujikawasayuha.jimdo.com/%E6%A1%9C%E6%9F%9A%E6%B3%A2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/
2位 瑞浪 Mio 岐阜県 瑞浪市化石博物館 http://www.city.mizunami.lg.jp/docs/2014092922728/
1位 シモンちゃん 茨城県 下妻市 http://www.city.shimotsuma.lg.jp/page/page000589.html
とにかく肉が食いたい。腹が減ると必ず肉を食べたくなる。牛でも豚でも鳥でも良いが、生や茹でたものでは駄目だ。焼いた肉がとにかく食べたい。大量の焼いた肉を、にんにくおろしとコチュジャンを派手にぶち込んだ濃い目の焼肉のタレにたっぷりつけて食いたい。鉄板から取り上げたばかりの肉をタレに突っ込んでジュウウと鎮火の音を響かせ、そして雪山に刻む足跡のごとく濃いタレをダラダラと白米にこぼしながら肉を茶碗の上に鎮座させ、脂ぎった肉きれでその白峰の頂上を包み込み、ご飯を丸め込んで一気に頬張りたい。肉表面を覆うタレの冷たさと肉内部の熱さ、そして焼肉の脂っこさと粒の立った白米の滑らかさ、よく火の通された肉の固さとほどよい炊き加減の米の柔らかさ。それら幾つもの相反する感覚が一瞬の内に口の中に広がるさまをただ一言で形容するなら“美味”としか言いようがない。一人で焼肉屋に赴き、人数を尋ねる店員に無言で人差し指を立てる。四人前の肉を注文し、四人用の鉄板を一人で独占し、四人前の肉を一気に焼き上げる。オセロのように肉を返して、火の通りのよい肉から順に頬張る。美味に呆けている猶予もあればこそ、鉄板上では次の肉が脂身をじゅうじゅう焦がしながら食べられる順番を待っている。回転が追い付かず、肉を焦がしたり、慌てて救出したり、タレの容器に肉が溢れ返ったり、二枚いっぺんに頬張ったり、タレで冷却されておらず口の中を火傷したり。そんなアタフタする様もまた、焼肉の美味の一部ですらある。あっという間に四人前を平らげたら、またすぐに漬け込みカルビを四人前注文する。新たな肉が届くまでの合間を、口内の小休止にあてる。お冷やを一気に呷ってしつこく残る後味を洗い流し、冷奴をつまんで口の中のやけどを冷やす。わずかに垂らした醤油が豆腐のまろやかな味わいに一点の自己主張を加え、大量の焼肉の咀嚼がもたらした多幸感にボヤける頭をすっきりと引き締める。わかめスープで口直しをしつつ、歯応えのよいゴマとわかめをゴリゴリ噛み締める。待つという程の間もおかずに、新たな四人前の肉がごはんや冷奴やわかめスープのおかわりと共に卓上を埋めてゆく。皿を鉄板の直上でひっくり返し、威勢のいい音と共に鉄板中央で派手に煙を上げ始める肉の塊を解体し、剥がし、鉄板上に伸ばして寝かせて、周囲へと広げてゆく。口の中にはすでに新たな焼肉への味わいが期待となり、早くも多量の唾液が分泌されてゆく。ピッチャーから継ぎ足した新たなお冷やで唾液を飲み下して、再び、早くも白煙を上げ始める肉を次々とひっくり返してゆく。
いつも肉ばかり食べていても、どれだけ肉を食べたとしても、それでも常に考えている。
思う存分、肉が食いたい。
初めて読んだのは幼稚園くらいの時(父親の蔵書だった)でそりゃ余計怖いわ。
そこで同じく警察が潜入捜査してたのがバレた時に処刑される際に登場した。
コワイからという理由でつけられたのであろうパッチリとした一つ目(絶対機能的にいらない)にトラウマである。
多分コブラと戦うことはなく、出番はそんだけ。まさにビビらせるためだけに出てきた。
要するにベジタブルである。もちろんベジータより登場は十年以上早い。
分厚い鎧を纏った植物人間。
鎧を脱ぐとハイエロファントグリーンのように筋の(血管?)浮いたグロイ肌に、
口がグロ触手になっててそこから人を操る種子を埋め込むというホラー映画顔負けのデザイン。
真ん丸真珠のようなボディにうじゅるうじゅるしたタコアシがくっついた顔がどくろのような生物。
エネルギーを食って巨大化していく。
女性の首筋にとりついて殺すシーンがチビりそうなくらいコワイ。
集合して人間そっくりに化けることができる。
コブラに依頼を頼もうとした女性を襲う前に虫文字で窓ガラスに「KILL」とか書いて脅してくる精神攻撃に震え上がった。(でも今考えると結構お茶目だな)
なんか全身超高熱発火してる全裸のお姉さん。超おっかけてくる。
その姿というより、その時のコブラのパーティの一員だったドグが一瞬で燃やし殺されたという展開がトラウマである。
コブラでは長編においてパーティを組んだ時の仲間って死なないことが多いのだが、
このエピで初めてパーティ組む展開の話だったので、えっ、仲間死ぬの?!って
余計びびった。ドグェ…。
全身ゴムマリのようなボディのサイボーグ手術を受けたお姉さん。
空気を吸ってフワフワ飛べるわ、水道の蛇口からポコンって尻から出てくるわ、
固めて集めて襲ってくる。
なんかロボットぽくない人間ポイでざいんに黒目がちなデザインがクリーチャー気持ち悪い
コブラのあふれんばかりの才能にに嫉妬した人に間違って殺されたお姉さん。
コブラの部屋のシャワーに入った所で温度を上げられる操作をされ、
電子レンジされて焼き殺された。いやすぎというか危険すぎないかその風呂。
逆にアニメではなんかもうすぐ死ぬとか設定を追加されちゃったベガかわいそす。
名前あったけど忘れた。
目をカッとあける様にトラウマ。
なんかエネルギー吸ったりそれを注入して操ったりする。
何日かに一回超放射線が発射され、
なんか雪型のアリのような生物。
女王は超でっかい雪の結晶型でギャーとか吠えてて冷静に考えるとバカっぽい。
この話、ラスボスといい全体的にコワイ。
存在を疑うと消える無茶な山。
ぴゅーって落ちてくの怖い上に殺人事件まで起こるから余計怖い。
人間の体に入り込んで内臓を食い荒らすというひどい奴。
2回登場しました。
冷静に考えるとちょっとブラックジャックに似てるなコブラって。
ちょっぴり哲学的に締める読後感とかが。
http://mainichi.jp/select/news/20140305k0000m040118000c.html
毎日新聞 2014年03月04日 21時06分(最終更新 03月04日 22時55分)
岡山県倉敷市真備町岡田の金剛寺(こんごうじ)で今年1月、本堂と住宅兼用の木造平屋建て1棟が全焼し、焼け跡から住職の妻が遺体で見つかる火災があり、同県警捜査1課などは4日、住職の清水法潤(ほうじゅん)容疑者(54)を殺人と現住建造物等放火容疑で逮捕した。「(妻の後頭部を)たたいて火を付けて殺した」と容疑を認めているという。
逮捕容疑は1月10日午前7時40分ごろ、自坊の庫裏(台所)で妻美代子さん(39)の後頭部を、建設作業用とみられる、柄のついた鉄塊(長さ約20センチ)で殴り、火の付いていた石油ストーブに向けて灯油をまき、自坊を全焼させたとされる。美代子さんの死因は、全身に重いやけどを負ったことだった。
県警によると、清水容疑者は美代子さんと長女(11)、長男(4)の4人暮らし。出火当時、長女と長男は登校・登園しており、寺にはいなかったという。
火災で清水容疑者も喉などにやけどをして倉敷市内の病院に入院。県警は、清水容疑者が4日に退院したため、事情を聴いたところ、容疑を認める供述をしたという。【原田悠自、平川義之】
おめでとう。この博士課程を かちぬいたのは
きみたちがはじめてです。
1番目「博士課程?
きょうじゅ「わたしが つくった
2番目「どういうことだ?
あきあきしていました。
そこで アカハラを よびだしたのです。
4番目「なに かんがえてんだ!
おもしろくしてくれました。
たいくつしてきました。
3番目「そこで 博士課程‥か?
きょうじゅ「そう!そのとおり!!
ほしかったのです!
1番目「なにもかも あんたが かいた
内規だったわけだ。
きえていきました。
しすべき うんめいをせおった
ちっぽけな若手研究者が ひっしに
いきていく すがたは
わたしさえも かんどうさせるものが ありました。
わたしは このかんどうをあたえてくれた
きみたちに おれいがしたい!
どんな学位でも かなえて あげましょう。
2番目「おまえのために ここまで
研究したんじゃねえ!
してくれたな!
すべては わたしが つくった モノなのです。
主人公「おれたちは モノじゃない!
どこまでも たのしい 若手たちだ!
きょうじゅ「どうしても 書く つもりですね。
めに やきつけておけ!!
非常に重要なところを読み飛ばしてた。 >世界中には(日本国内でも)明日の飯さえままならない奴が大勢いるってのに、俺は何をのんびり生きていたんだ、とか、 >そんなことを考える必要なく死んでいきたい。 すばらしいと思います。皮肉じゃなくてね。 つまり、飢餓を減らしたいって事だね。 他にも戦争をなくしたいとか、色々あるよね。 君の意見を見てて思い出したけど、たぶん俺らって、物質的には、もうじゅうぶんなんだよね。 だから車とか家とかに君は反応しなかった。 そういう願望はダサイとすら思ってるかもね。 (そういう願望と「俺はその他大勢じゃない」ってのは根は一緒なんだけどね) >うん「その他大勢より、俺すごいって思いたい」って事以上の何かは無い意見だね。 とか言ってごめんね。取り消します。 でも「どうせ死ぬから無意味だ」は克服出来てないとは思う。 目をそらしたまま生きて行くのもアリだけどね。
私は始終中腰で隙(すき)があったら、自分の本領へ飛び移ろう飛び移ろうとのみ思っていたのですが、さてその本領というのがあるようで、無いようで、どこを向いても、思い切ってやっと飛び移れないのです。
私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧(きり)の中に閉じ込められた孤独(こどく)の人間のように立ち竦(すく)んでしまったのです。そうしてどこからか一筋の日光が射(さ)して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条(ひとすじ)で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。ぼうっとしているのです。あたかも嚢(ふくろ)の中に詰(つ)められて出る事のできない人のような気持がするのです。私は私の手にただ一本の錐(きり)さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥(あせ)り抜(ぬ)いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝(いんうつ)な日を送ったのであります。
私はこうした不安を抱(いだ)いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越(ひっこ)し、また同様の不安を胸の底に畳(たた)んでついに外国まで渡(わた)ったのであります。しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。しかしどんな本を読んでも依然(いぜん)として自分は嚢の中から出る訳に参りません。この嚢を突き破る錐は倫敦(ロンドン)中探して歩いても見つかりそうになかったのです。私は下宿の一間の中で考えました。つまらないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足(たし)にはならないのだと諦(あきら)めました。同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。
この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念(がいねん)を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟(さと)ったのです。今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂(ただ)よっていたから、駄目(だめ)であったという事にようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似(ひとまね)を指すのです。一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審(ふしん)がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。近頃流行(はや)るベルグソンでもオイケンでもみんな向(むこ)うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬(しりうま)に乗って騒(さわ)ぐのです。ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従(もうじゅう)して威張(いば)ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴(ふいちょう)して得意がった男が比々皆(みな)是(これ)なりと云いたいくらいごろごろしていました。他(ひと)の悪口ではありません。こういう私が現にそれだったのです。たとえばある西洋人が甲(こう)という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑(ふ)に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触(ふ)れ散らかすのです。つまり鵜呑(うのみ)と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔(わがものがお)にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞(ほ)めるのです。
けれどもいくら人に賞められたって、元々人の借着をして威張っているのだから、内心は不安です。手もなく孔雀(くじゃく)の羽根を身に着けて威張っているようなものですから。それでもう少し浮華(ふか)を去って摯実(しじつ)につかなければ、自分の腹の中はいつまで経(た)ったって安心はできないという事に気がつき出したのです。
http://anond.hatelabo.jp/20080826233030 を書いた元増田です。
これを書いてからまたいろいろ考えたんだ。
あれを書いたとき、自分は自分のことを冷静だと思ったんだけど、でも今思うと冷静じゃなかった。
「異常」って言葉を聞いてかなり動揺してたっぽい。
ブクマのコメントで書いてくれた人もいたけど、おとんも吐き出したくなったんだろうな。誰かに聞いてもらいたくなったんだな。
おいらがここで、誰かに聞いてもらいたくて書き込んだのと同じように。
結局さ、自分では変えられない、変わらない現実に折り合いをつけようとしているんだろう。おとんもおかんも。それぞれ自分なりに。
考えてみれば、10歳だったにーちゃんが30歳になったように、おとんにもおかんにも20年の歳月が流れたんだ。
おとんもおかんも年をとったよ。子どもの頃はあんなに大きく感じたのに、2人ともずいぶん小さくなった。
「20年、何してたんだよ」とか思ったけどさ。それはおいらの傲慢だよな。
おとんもおかんもずっと苦しんだり悩んだりしてたんだよな。辛い思いをしてたんだよな。
それでも日々生活して、にーちゃんとおいらを育ててきたんだもんな。
20年。長いよな。
「にーちゃんがいなくなるのかもしれない」という恐怖だけを感じていた7歳児だったおいらがいっぱしに社会に出て働くようになるくらいだもんな。
だからさ、もうあれこれおとんとおかんを責め立てるのはやめるよ。
おとんの世界、おかんの世界はそれぞれ違うけど、対立するものかもしれないけど、おいらなりにそれぞれを尊重してみようと思う。
二人の心配、心労、苦しみを引き受ける…のは無理だと思うけど(だっておいらは親でもないし、夫でもないし)、尊重したりいたわったりすることはできるんじゃないかと思う。
おいらも、そんなできた人間じゃないから思ってるだけで現実は上手くできないかもしれないし、しかもこれじゃ何も変わらねーぞってつっこまれたらそれまでだけど、でも、できることからやってみる。
ダメだったらまたここに吐き出しにくるよw
今までおいらの書き込みを読んでくれた人、ブクマしてくれた人、トラバしてくれた人。どうもありがとうございました。
20年間上手く言葉にできずにいたことやぼんやり考えていたことに対しておいらなりに向き合うことができました。
皆さんのおかげです。ありがとう。