はてなキーワード: 雪かきとは
朝起きると、障子の隙間から雪が舞っていた。またお前か。もうお前の顔は見たくない。叱りつける様に、障子をピシャリと閉めたい衝動に駆られるが、布団から抜け出す気力がない。
そうはいっても、仕事である。雪に備えて、目覚ましはだいぶ早くにセットしてある。布団から出て、長靴を履いて、車に積もった雪を落としにいく。道路が混むから、早くに家を出ないといけない。気忙しく身支度を整える。鬱屈とした心情とは裏腹に、自分の行動は手馴れ、随分と雪国に調教されたものである。そんな自分に、どこかで嫌気が差す。
車を走らせながら、私は、1月前半の大雪と、その時に出会ったある女のことを思い返していた。
1月の3連休は、ひたすら雪をかいた。前半は家の周りの雪かき、そして後半は除雪のための休日出勤である。集中除雪を行うため、対象の道路を一時通行止めにする。信号や曲がり角に人が立ち、入ってこようとする車を迂回させる。そういった作業である。
車のいなくなった道路に除雪車が流れ込み、集中除雪が始まった。作業が順調に進んでいるその時、女は家の前で喚いていた。70歳くらいの女であった。最初は、ぶつぶつと何を言っているのか分からなかったが、どうやら、せっかくきれいに除雪した自分の家の前が再び汚くなったことに腹を立てているようである。家の前の除雪を常に完璧にしておかないと気のすまない人間は少なからずいて、女もどうやらその人種であった。そのまま聞き流しておければよかったのだが、どうやら、怒りの標的は近くに立っている私にも向けられているようである。いつまでも背中を向けているわけにもいかない。
「すみません」振り返ってそう言ったが、そんな言葉では済みませんとばかり、女はさらに喚いた。除雪に来るのが遅い、今までなにをやっていたんだと怒りは違う方向へと広がっていった。「ご迷惑をおかけしています」そう言ったが、焼け石に水である。迷惑だ、本当に迷惑だと叫ぶ。焼け石に水ではなく、火に油を注いでしまったか。
このままでは埒が明かないと踵を返す。女はまだぶつぶつと何かを言っていたが、念仏だと思うことにする。思うことにしたかったが、途中でインパクトのある言葉が耳を衝いた。「あんたらは、雪が降って、じゃぶじゃぶのくせに」そう聞こえた。
「じゃぶじゃぶ」とは何だ?一瞬だけ思案するが、すぐに合点がいった。ああ、金か。雪が降って、除雪をすれば、金が「じゃぶじゃぶ」に入ると。そういう意味か。
たしかに、今回の出動により、懐には金が入る。じゃぶじゃぶという程には多くないが、金は入る。そのことも、女には気に食わなかったのだろうか。労働の対価がなぜ断罪されるのかはよく分からなかったが、自分はただで雪をかいている、お前らは儲けている。そんな意識なのだろうかと思った。さすがに、もう振り返る気は起きない。除雪車に向かって、「雪はこの家の前に捨ててください」と叫びたい衝動に駆られたが、心にとどめておく。ここで黙っておけば、後はじゃぶじゃぶ。後はじゃぶじゃぶ。
何だか、女を極悪人のように書き立ててしまったが、女の名誉のために言えば、こういうやり取りはどこにでも溢れている。雪国は陰湿で、鬱屈としている。除雪が遅い、怠慢だ。なぜ自分の地区には除雪が来ないのか。まだ雪が残っているではないか。道路だけでなく、家の前もついでに除雪してくれ。思い返したくはないが、思い返せばきりがない。迂回の指示に従わない者もおり、除雪車の間をすり抜けていく。急いでいるだとか、この先に家があるだとか、そんな言葉を吐き捨てていった。もちろん、感謝をされることもあるにはあったが、割合としては少なく、感謝をされると比喩でなく後光が差して見えた。
あえて雪国の名誉のために言えば、久方ぶりの大雪で、町全体が苛立っていた。雪をかけどもかけどもまた雪。怒りと雪のやり場がない。そんな状態であったから、女の物言いにそこまで怒りを覚えることはなかった。むしろ、「じゃぶじゃぶ」とは凄い言葉を口にするものだ、と感心した。そんなことに感心するのはおかしいが、感心した。
雪国とは陰湿である。東京で雪が降ると、なぜか嬉々とする人間がいる。あんなに少ない雪ですっ転んで、騒ぎ立てて馬鹿みたいだと罵る。馬鹿はどちらだ。そういうところである。こんな場所に、こんなことを書き込む人間がいる。そういうところである。己の陰湿さを呪えど、長年染みついたものはなかなか取れない。こういうことを繰り返して生きていくしかないのだろうか、と思う。人生は気の持ちようだという人もいるのかもしれない。しかし、大雪であり、コロナである。正直、気の持ち方が見つからない。
夜になって、また雪が強まってきた。雪の降る夜は雪明りで随分と明るい。しかし、心はどこまでも昏い。
けど踏ん切りがつかない。
帰省つーても遊びに行くわけじゃない。
実家、元々雪降る地域だったけど、今年に入ってからなんかアホみたいに降ってる。
そんでまた今週末降るらしいじゃん。
年寄りしかいないから雪かきしに行きたい。前回はそらもう大変だったというか、連休雪かきで潰れたと言うから。
でも都内、コロナ流行ってるし。こないだホッテントリに正月帰省して親にうつして大変なことになった話とかあがってたし。
雪かきしてレンタカーで近場の温泉でも行って泊まって帰るとかできれば良いんだが、オレ10年越えのペーパードライバー。そしてド田舎あるあるの「車がないのは足がないのに等しい」。
やっぱ無理か?帰省。
でも正直言って、雪かき中にケガでもするんじゃないかと、そっちの方も心配で気が気でない。まだ医療の逼迫がニュースになるような規模ではない(はず)だが、そもそも病院少ないとこだから怪我しても普通に診てもらえない可能性高い。
はーーーーー。
とりあえず、あんま降らないように神頼みでもするかな……
……酒臭くて顔が赤くなる店で片付け上手の食い物はうどんだと言うお知らせが脳髄に響いた
……しばらく食ってみようと思う
……あと酒臭くて顔が赤くなる店のアナウンスの声が震えているのでもう少しあったかい場所で飲み物飲んでから録音したらどうかしらと思う
分かるよ、俺も田舎生まれ東京暮らしで過ごした期間が同じくらいになっているから。
田舎か都会かの選択の問題はあんまり関係がないと思っている、それはその人の中の物事の優先度次第、状況次第、決断次第だから。無限通りのパターンがあるから。
人間生きてると考えが変わるし、知識や体験が増えるから、なんというか物事に対する解像度みたいなものが高まることがあるんだと思う。
昔は生まれ故郷の冬に降る雪は、雪かき手伝いを発生させる迷惑なもの、でも雪だるまや雪合戦、かまくらなんかの遊びに使えるもの、くらいに認識していたものが、今見ると手のひらに降った雪の結晶の形がそれぞれ違っていて、ずっと飽きずに見ていられるような。雪の積もった夜に家の中にいると、建物の柱と一緒にその重みを感じ取ったり、掛け布団の重みに雪の重みを重ねて屋根の気持ちを想像するような。
日常から感じ取れる物事の解像度が上がれば、田舎の閑散とした風景も都会のごちゃついた街並みも違った風に見えてきて、もっと楽しむことができるんじゃないか。そんな感じがする今日この頃。
連日の雪かきでへとへと、除雪してもしても降り続く雪、埋まった車をなんとか掘り出しても、道路でこぼこで当然走らせられない。スーパー、ドラッグストアも品薄、近所のコンビニですら店閉めるレベル。
それでもお店開けなきゃいけないから、連日徒歩出勤。半ライフラインだから営業は100歩譲ってやむなしとしても、来店するお客様、どうか従業員もこの雪の被害を受けている人間だということを忘れないでください。
私たちも自宅の除雪をしなければいけない中、本社から営業指示が出ているからやっとのこと出てきているんです。
ましてや徒歩出勤しているのに、暗くなる前に帰れないのは命にかかわります。