はてなキーワード: 陶芸とは
死にたくないなああ最近。そしてもっとも恐ろしいところは!死にたくないと思いつつ自分が死ぬとは全く思っていないところなのだ!!むしろこう書きながらもいやいや死なねえだろと何言ってんだ状態ですよ。あれだよねーなんか色々みんな言うけれども、いやなんかそれ死なない前提じゃね?お前?みたいなときばかりで心底おちんちん。いや、そうじゃなくて死ぬよ!どうすんのバカ!
イエモンの「ニュースキャスターはうれしそうに乗客に日本人はいませんでした」ってのはさ、糾弾してるとかそういうわけじゃなくて、そういう事実があったときどう思えばいいだろうっていうね。もうよくわかんねえからそんな夜は君に会いたいっすっていう単純かつ素敵なラブソングなけわけじゃん?そう、もうよくわかんないんだよ何を思えばいいのやら・・・
もはやクソして寝ることしかできず、せめてツイッターでちょっとウマイこと言っちゃったりでもして溜飲を下げようとしている僕らのささやかな営みには何らバカにされる要素はないのだけれども、俺以外は全員バカだからしんでくれ!もうホントさ・・・ジャンプも風俗も陶芸も一緒だと何回言ったら分かるんだよお前らは!観客がいないだけであって、僕等の日々はある意味オリンピック!おっ君は風俗代表かい?奇遇だね〜僕はクソして寝る代表さ〜要はそういうことだよ!
おっぱいとかそういうのって山が高いってのと基本的には分野は同じだから、よくよく考えるとこんなクソ名クソアリーやらクソッターやらなんやらのほうがよっぽど成り立ちとしては汚らわしいよ!大きな握り飯をくわえながら和太鼓を乱れ叩き、おっぱい!おっぱい!と高らかに言えたのならば、それはきっと遥かに気高い領域であり、そのときのぼくらの存在は正に愛!子どものころわたしたちは皆愛であり死なない存在であった!
臆病になるばかりだなぁ、ホント。以上。
生活保護の話になると集団生活をさせるべきだという意見が出てくる
それを俺はコストがかかるという理由で反対した
だが、知的障碍者をメインに受け入れている共働学舎という施設では一人当たり6万円程度の負担で済んでいる
もっとも、この手の施設がある場所はド田舎で、人数も非常に少ない
全施設合わせても50人程度しかおらず、仕事は農作業やパン作り・酪農・陶芸などがメインだ
しかも、6万程度の負担で済んでいるのには農作業やパン作り・酪農を通じて得たものを販売し、
賛助会員という形で金を集めているからだ
この形態を全国に広めたとしても、都市部で同じことをやるのは非常に難しいと思う
(それができるなら、作業所の工賃が200円前後という低水準で推移するはずない)
ただ、一人当たり6万円というのは非常に魅力的だ
http://anond.hatelabo.jp/20111219204543
クズでゲスで、3万で、ギャクエン、やりほーだい、なんてスパムメールに引っ掛かるような人間、そういう人っているのか、知らないけど。
クリスマス前に、こういうこともなんだけど、如何にしてセックスよりも気持ちのいい事を見つけるか?って大切だと思う。
お酒やパチンコとか、一日で、ぱぁっとお金使って憂さを晴らすなんてことがあるけれど。
ストレスのため過ぎも良くないんだけど。
我慢出来るな、なんてことに出会えるかどうかって、大切かもしれない。
10代20代の男の子の頃なんて、そいうことしか、考えてなかったし、男友達と仲良くなるには、下ネタが手っ取り早かった。
アラブとかイスラムが、戦争やりたがるのは、禁欲が厳しすぎるから、欲求不満で、戦争するんだろうね、なんてことを言い合っていたなぁ。
とは、言え。
趣味ならば。
スポーツとか、何か陶芸のようなものを作るとか、美食、料理作りに励む、ひたすら何かを作るようなことに夢中になれる何かを、見つけられるか、どうか。
考えよう。
おっさん(30歳以上)
→正解。
低身長(170cm未満)
→正解 162cm
→正解 高卒
不細工(下の中~下の上)
→分からん
ネットでは嘘ばかりつく
→昔は2ちゃんねるで煽るためにウソをついていたが、同じように2ちゃんでウソをついていたやつが逮捕されてからはウソは書き込まない
部屋が汚い、生活がだらしない
→正解
習い事をやらない、やっても続かない
→今やってる陶芸は週一だから何とか続いている。あと合唱サークルも続いているな。
理屈っぽい
実績も無いのにプライドだけは高い
→実績は他人が評価するものだから有るとか無いとか分からん
友達がいない
→異性同性問わずいる
うまくいかないことは親のせい、社会のせい、時代のせい
→客商売をやっているので、うまくいかないのは馬鹿なDQN客のせいだと思っている
同年代の男女の前ではオドオドビクビクする
→別に
→ガキとヤっても面白くない
どこへ行っても孤立する
→孤立したくても寄ってくる
男には笑いものにされ、女にはキモがられる喋り方
→むしろ笑いものにされたほうがいい
→嫉妬心はない。ただ、平気で他人は見下すけど
→若い女とヤってるやつは羨ましい
→自己紹介乙
今日、YouTubeでとんねるずの番組を見ていたら「AI」という女の子が「Story」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
今日、YouTubeでとんねるずの番組を見ていたら「AI」という女の子が「Story」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
夢叶ってよかったね。本当によかった。お二人でいつまでも幸せにね。静岡の片隅から今も応援してます。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
中学生のころから、親や教師、同世代の人間とは、偏差値や単位を媒介とした感情のない利害関係しか結んできませんでした。偏差値を上げ、実力試験や模試などで高順位をたたき出すことによってのみ、親に自分の存在が認められると感じていました。教師や同世代の人間に対しても同様に感じており、高校生になり大学受験を意識してくるようになると、学校に行っても勉強以外のことで話すことはほとんどありませんでした。次第に昼間食堂で彼らと一緒に昼を食べることが鬱陶しくなってきて、その時間は図書館で寝ていました。放課後も急かされるように家に帰り、夜の塾に備えていました。勉強で誰かに頼ったり、お互いに励まし合ったりしたことはありませんでした。
その一方で、他人との争いを前提とし、ライバルを蹴落とすための能力を鍛練するしかない日々に脅えきっていました。一度負けたらもう駄目だというような精神的な圧迫を、絶えず胸に抱いていました。誰にも自分の本音を語ることができず、親や教師などの大人が求めていることをロボットのように忠実に行ってきました。学校に通いひたすら暗記を繰り返し、偏差値を上げていくことを感情を殺しこなしてきました。
やがて医学部に合格しました。将来医師になって人を救いたいという夢があったわけではなく、偏差値が高い大学しか志望することができなかったのが実状でした。親や教師から直接偏差値が高い大学に入るようにと迫られたことはないのですが、当時は彼らが存在するだけで強いプレッシャーになり、東大や京大、国公立医学部しか志望してはいけないと迫られていると感じていました。
受験戦争が終わり大学に入ると、偏差値というこれまで自分の存在を示す唯一の手段が失われてしまいました。大学の授業以外の時間は、特に同世代の人間と遊ぶといったことはなく、塾のチューターや家庭教師のバイトをしたり、運動をすることが好きだったので、ジムに通い筋トレや水泳などをして体を鍛えていました。勉強に対する意欲はなく、単位を取るだけのための底の浅い学習で、試験が終わると頭から抜け落ちて役には立たない代物でした。
この世界のなかで、自分にとってお互いに心情を理解し合えるような人間はおらず、社会に出て苦しいことが起きても、誰にも相談できず、全てたった一人で乗り越えていかなくてはならないという現実に気付き、強い危機感が絶えずおそってくるようになりました。このような自分の状態では、必ずどこかで心が破綻してしまうという確信があり、どうにかして心を開いて接することができる人間と巡り合いたいと切実に求めていましたが、それはかないませんでした。大学も4年生になり後2年で卒業して、医師として非常に責任の重い社会生活をこれからずっとたった1人で送っていかなくてはならないことを考えると、心が沈む一方でした。私は大学を休学しました。
2000年以降、ひきこもりの実態をマスコミを通して知るようになり、自分の主体性のない生き方について改めて見直してみようと考えるようになりました。ひきこもりの実態を知るまでは、自分がどのような状況にいるのか自分自身が良くわかってはいなかったのですが、さまざまな情報に触れるようになり、自分自身の状況を客観的に見ることができるようになりました。やがて、これまでの反省から、今後何を信条として生きていくのかという問題に取り組んでいかなくてはならないと考えるようになってきました。
主体性をもって生きていくためには、これまでの親子関係を根本から改善していかなくてはなりませんでした。思春期以降、親との間に自分の喜怒哀楽入り交じった感情を含んだ遣り取りが全くなく、ただ感情を取り繕い、迎合していただけだったというのが実状で、その実状を自分自身で認めたときには、これまでの人生は何だったのかと愕然としました。
私はもうこれ以上、こういった親との「上辺だけの良い関係」を維持していくことに意義を感じなくなり、親に対して自分の素直な感情をぶつけるようになりました。なかなかものごとが上手く進まない焦燥からくる苛立ちが強いときなどは、私は親を激しく責め、自分の虚勢からくる脅しを、絶えず親に与えていた面もあったのではないかと思います。「上辺だけの良い家族」の演じ合いを避けようとするため、感情剥き出しの「本音」のぶつけ合いだけの関係になってしまっていたというのが事実だと思います。親も私の「本音」に、率直に親自身の「本音」で対応していたと思うのですが、そういった関係からは前向きになれるものは生まれてはきませんでした。
当時は、親子だけで問題の解決に向けて模索することに息詰まっており、局面を打開するため、ある精神科医のもとに相談に行きました。それまでも、何かしなくてはという焦燥感から地元の精神科医に診てもらうことはあったのですが、定期的に診察を受ける度に苛立ち、心の状態は悪くなる一方でした。しかし、その精神科医には好感を持つことができました。
その方は、13年前に不登校やひきこもりで苦しむ青少年たちのための高等学校を私財をなげうって作られた方です。何度か会ってお話しをしていると、自然と目に涙が溜まるようになってきました。これまでの精神科医との遣り取りのなかでこのようなことが起きたことはなく、医師に裸のままの自分の存在を温かく受けていれていただけることに感謝するという心の動きが、まだ自分の中にあったのかと驚きました。先生は、温かく私の言葉を聞いてくださり、先生御自身の体験談も話されました。表現することが難しいのですが、不登校やひきこもり問題に関して具体的な対策を模索してこられた方が発する雰囲気が私を温かく包み、心を解きほぐしていったのではないかと思います。今思い返してみて、正直に言って治療を受けたという実感はありません。自分の感じていることや考えていることを先生に向かってぶつけていき、それに対して先生が黙って肯いている、そんな感じでしょうか。「人間の心は決して理論や理屈だけでは動かない」、この先生の御言葉が私の心に今でも響いています。
何回目かの診察のときに、先生は私の目の前で親を叱りました。私が学校に通っている期間、偏差値に翻弄され私と真正面から向き合わず、私の心が凍りつきロボットのようになっていることに気付かなかったことに対し、「あなたたちはこの子をどういうふうに育ててきたのか・・・深く反省しなさい」と言われたのです。その叱り方は、突き放して終わりというものではなく、温かみがあるものでした。先生の言葉を聞き、肩を落としうなだれ、涙を流している親の姿を見て、私は改めてこの親と一から関係を作り直していきたいという、将来への希望が湧いてきました。これまで社会的に立派な仕事をしてきている親は、こういった形で面と向かって叱られるという行為を受けたことがなかったと思います。親が納得するだけのことをされている先生だからこそ、親は社会的体裁をかなぐり捨てて、反省という態度を子供の前で赤裸々に現したのだと考えています。
改めて親との関係を作り直して行くにはどうしたらいいか考え、親と山陰や北海道などに一緒に温泉旅行をしたり、ひきこもりの会のフリースペースに通ったり、酪農実習(山地酪農)に参加したりしました。今考えてみると、どの経験も自分の成長にとってかけがえのないものであったと理解できるのですが、取り組みを行っていた当時は、長期間続くことがなく、「失敗」したとしか思うことができなかったというのが正直な気持ちです。
こうした「失敗」した活動のなかから、大きな収穫もありました。それは、自分がこれまで経験してこなかったことに対する心の動きであり、それがやがて私自身の価値観の発見につながり、そして自分と親の価値観の相違の気付きに発展していきました。私の家族の場合、親は人口100万人の街に暮らすことを好み、私は人口4000人の田舎に暮らすことを好みます。自然に対する捉え方においては、親はレクリエーションとしての自然を好み、私は朝から夕方までの労働を基調にした自然を好みます。このように親子で大きな価値観の違いがある場合は、お互いにその価値観を尊重していくことは欠かせません。親は子供に自分の価値観を押し付けるべきではなく、子供も自分の価値観に親を無理矢理引っ張り込むべきではないと考えています。
さらに、自分もまた社会の価値観に囚われていることにも気付くようになってきました。周りからいくら「他人を気にせずゆっくりやっていけば良い」などと言われても、自分自身が「人は20代前半で社会に出ていくもの」という一般的な価値観から抜け出すことができず、心は解放されるどころか一層苦しくなっていったのです。
親も先生との出会い以降、急激に変わっていきました。先生の行っているひきこもりの会の運営やチャータースクール開設への模索などの取り組みに対し、積極的に精神的・経済的な支援を行うようになりました。距離的な問題があり、親も私もその現地で会のメンバーと共に活動することはできないのですが、それにも関わらず、親ができうる範囲でメンバーの飲食店経営や、毎週行われているイベント活動を心から支援している姿は、私と先生だけでなく、親も私の抱える問題を共有していることの証となりました。そのうえで、私のありのままの存在を受け入れてくれるようになり、私が次々に挑戦することに対し、時間を割いて行動を共にする、あるいは必要な費用を黙って用意してくれるといった形で協力しながら、温かく見守ってくれるようになってきました。
現在は、「自然(山)のなかでのモノ作り(労働実習を含む)」活動を1年続けています。7年前に山を切り開き、モノ作りにも精通されておられる教職員の方のもとで、実践勉強をしています。
山に入って暮らすようになると、次第に自分でもわかるような変化が起こってきました。朝起きて夕方まで草刈りなど山で働き、夜に陶芸などのモノ作りをするという生活では、自分が行ったことが形としてしっかりと現れます。草刈りをすればその部分が綺麗になり、陶芸をすれば作品ができあがります。山が綺麗になれば心は充実し、陶芸作品が上手くできれば心は沸き立ちます。どれも単純な作業なのですが、単純だからこそ人の心に響くものがあるのではないかと考えています。テレビやパソコンなどの情報機器やエアコンなどの、暮らしを快適にする電化製品がない山の生活のなかで、四季折々の変化に直接肌に触れて自然を体で感じることで、町の生活では感じることができなかった「生きている」という実感を持つようにもなってきました。
私はこの「生きている」という実感を持つようになってから急速に心が解放されてきました。私の場合は、山のなかでのモノ作り活動に、「生きている」という実感を得るためのキーポイントが隠されていました。
私が心のひきこもりから抜け出せなかった理由として忘れることができないのは、自分自身に勇気がなかったということです。どこか心のなかに、「誰かが助けてくれる」といったものや「失敗するのが恐い」などというものがありました。今振り返ってみると、そういった思いが、自分が行動して新しい道を切り開いていくという選択をすることを拒み、ズルズルとひきこもりから抜け出せない期間を延ばしていっていたのではないかと思います。私自身が何もできなくても、親が「ただ生きているだけでよい」と無条件に認めてくれている、そしてそれを心から信じることができる真の親子関係が構築されるとき、もう何も恐れるものはないでしょう。その思いを胸に、これからは自分の考えに従い、活動していこうと思います。
また、今の私には大学に帰り、自分の経験を活かし将来精神科医として働いていきたいという夢があります。お世話になっている精神科医や、山のなかでのモノ作りを教えてくださっている教職員の方の真摯な生き方に触れた経験から、肩書きや高度な知識だけに頼るのではなく、裸の人間として患者に接しながら、深い信頼関係を構築できるような医師になりたいと考えています。そして、それは並大抵の努力ではできないことだとも感じていますが、夢の実現に向けて、日々歩んでいきたいと思っています。
元増田です。
>>そこに自分の努力なり労力なりがない限り、どちらにしても享受なんて無理なんじゃないかと思う。
>先祖から貰った土地の値段が爆発的に膨らんで、それを売った金で仕事もせずにずっと趣味の陶芸だけやって生きている親戚を見ると、そんなこともないと思ってしまうわ。
>それはたまたま親戚の運が良かっただけでは。自民党関係あるのか?
>努力や労力がなくても何かを享受できる例として挙げただけだから、自民党とは関係なくてもいいんだけど、実際自民党のバラマキがなきゃ地価が上がらなかったとは思う。
なるほど。確かに労力や努力なしで享受した人はいますし、政党は関係なさそうです。
例えば、民主党の場合だと「外国人参政権」を得られたとして、努力や労力をつぎ込んでいた人もいるでしょうけど「たまたま日本に住んでいただけで、なんだか知らないうちに参政権がもらえたよ」っていう人も出そうですから。
異国に住むということの苦労が「労力や努力」に含まれるのかもしれないけど。
だとすると、「どの政党にしろ、享受される人はされるし、享受されない人はされない」「政党が変われば今まで享受されなかった自分も享受されるに違いないと考えるのは幻想」ってことか……
当たり前と言えば当たり前ですねぇ。
今日、夜もヒッパレと言う番組を見ていたら「小柳ゆき」という少女が「愛情」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
今日、夜もヒッパレと言う番組を見ていたら「小柳ゆき」という少女が「愛情」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
父と話していてでた話。
父「いやいや、やってたじゃん。昔陶芸教室行った、あれも取りようによってはボランティアだよ。」
確かに陶芸教室に父に連れられて行っていたことがある。
父の知りあいの障害者サークルが色々な活動をしている中の一つで、
サークルには知的障害、肢体障害の人もいれば、障害者に関わる健常者の人もいた。
私達兄弟はそのサークルには入ってなかったけど、父の子どもだったのもあり何回か参加した。
私「ええ?でもあれって、先生にお金出してみんなで陶芸教わってただけだよね?」
父「うん。でもそういうのでもボランティアって考えることができるって思うんだよ。」
じゃあ私が昔お父さんの仕事の関係の集会で、頼まれて保育したよね。
あれもボランティア?あの時は確かちょっとだけどお金が出たよね。」
集会は障害を持つ子どもの母親が多く参加するもので、何人かのお母さんたちは子連れできていて
お母さん方が集会に出ている間その子どもたちを私やほかのお手伝い数人で面倒をみるというものだった。
父「理想的なボランティアの形っていうのは、障害者とボランティアする人がお互い平等な立場で支援することだと思う。
ボランティアする人が最低限生活、行動するだけのお金は出てもいいんだよ。ただし本当に必要な分だけだけどね。」
ボランティアって完全に無償だと思ってたけど、そういう考え方もあるのか。
んーそうして金儲けする人がいるよ、じゃなくて日本人の根底にある精神性なんじゃないの?なんていうか日本にある美って、デザインされたものじゃなくてたまたまあったものを、美しく捉えるってものな気がする。写実的じゃなくて、抽象的な美を、共通見解として「きれいだということにしよう」みたいなさ。陶芸とか、書道とか茶道とか華道とかってそんな気がする。たまたま目に映ったものを、よしこれはよきものとしよう!見たいに始まった気が。
これって実際にどうなのか俺にはわからないよ。
それでも多くの人の中で時間をかけて洗練されてきたものがあるだろうし、
金儲けに関しては、お金が無いと生きていけないんだから、そういう精神性はあるに決まってるよ。
手段を選ばない金儲けの中でそういうものが作られるんじゃないかと思って書いた。
アニメとかフィギュアとかもたまたま評価されて市民権を得てしまったけどさ、以前は景観を破壊するまではいわないけど、もっともっと日陰ものだったと思う。
景観を破壊しているのはパチンコやサラ金の話じゃなかったっけ。
新宿のドヤ街を写真にとって、この退廃したモダニズムがうんちゃら・・・とか言いたがるけど、たまたまそうなったものをそう唱えているだけ。
んーそうして金儲けする人がいるよ、じゃなくて日本人の根底にある精神性なんじゃないの?なんていうか日本にある美って、デザインされたものじゃなくてたまたまあったものを、美しく捉えるってものな気がする。写実的じゃなくて、抽象的な美を、共通見解として「きれいだということにしよう」みたいなさ。陶芸とか、書道とか茶道とか華道とかってそんな気がする。たまたま目に映ったものを、よしこれはよきものとしよう!見たいに始まった気が。
アニメとかフィギュアとかもたまたま評価されて市民権を得てしまったけどさ、以前は景観を破壊するまではいわないけど、もっともっと日陰ものだったと思う。街の景観もそうなんじゃない?新宿のドヤ街を写真にとって、この退廃したモダニズムがうんちゃら・・・とか言いたがるけど、たまたまそうなったものをそう唱えているだけ。
自分で作り出して、言葉要らずで共感を得て、魂を掴むような美や芸術や景色がない国だと思う。そしてそれを求めない、感謝できない民族なんだと思う。
子供時代はともかく社会人になってから加速していってる様子で、「何とかセーブしなきゃ金も体力も精神力も危ないぞ」、と思ってはいるのだが、酒やタバコのような中毒性があるのか、なかなか抜け出せないので困っている。ちなみに自分は酒もタバコも嗜まないのでわからないが、禁酒禁煙したいけどできない人というのはこういう気持ちなのかもしれない。
目的は、1モノ作りへの興味、2青春時代に一つの事(部活)しかしていなかったことの後悔、3友達作りってところ。
1はまあ、小さい頃から好きだった延長。ただし出来上がった作品(笑)を整理コレクション展示できるスペースはないから自重しなければ。
2の「部活しか〜」は、それはそれでいろいろな体験ができて意義あるものだとは思っているのだけれど、青春時代にできなかったことを焦って取り戻そうとしているような気がする。
特に大学時代にはサークル(とバイト)漬けで、勉学も励まず旅行もせず、さらに最後の3、4年生では就職活動が人並み以上に長くかかった(氷河期プラスα。自業自得だろうが、内定とるのに4年生の12月までかかった・・・卒論提出2週間前)ために、「単位もとれていちばん動きやすかった4年生の時に何もできなかった」という後悔の思いが強いのだと思う。もちろん学業や卒論に対する後悔も多少あるが、さすがにそこまで取り戻す精神力財力(再入学とか大学院云々)はないのを良い事に、潔くあきらめている。
3・・・これが意外と難しいことを実感している。自分の性格のせいもあるだろうが、以後、友達作りを習い事開始の口実にすることはできないなと思った。
以下にこれまでの遍歴を述べることとする。
<序章>
●習字
動機:父親そっくりの汚い字を見たせいなのかはわからないが、母の勧めで始める。たいしてやる気もなかったが特にさぼったりもせず。
結果:だいぶ上達した。学校の展覧会では良い賞をもらってさらに上の代表のようなものになったり。習字は辞めても字は毎日書くから、これが一番役立っている。行書はもうほぼ忘れてしまっている気がする。変体仮名とかは読み書きともに忘却の彼方に。
・受験を機に辞めたが、せっかくなので師範の資格取れるまでやっても(再開しても)よかったのではないかと時々思うこともある。通っていた教室が遠いので(実家近く)、もう習うつもりはない。
期間:小学校4年〜6年(週1回)
動機:近所の人から中古で譲ってもらった+友達のお母さんがピアノ教室をやっている関係で始める。
結果:ピアノの人に比べ、基礎練習をほとんどやっていないせいか、今では全く引けない(ピアノだとバイエルとかいうのをやるんでしょ?エレクトーンの人はなぜかそういう基礎をやらない教室だった)。ただし、他の人と比べて結構音感があることは子供心ながら判明した(それが絶対音感かは知らんが、聴音を間違えたことがない)
・中学〜大学時代までずっと部活で楽器をやっていたので、全くの無駄ではないかな・・・とは思う。いや思いたいだけか。
<第1章>
●陶芸(月2回、3カ月コース)
動機:前から興味があったが、サークルとバイトに明け暮れ習う余裕がなかった。卒業直前、大学とバイト先の近くに教室があることが判明したため3カ月お試しコースに申し込んだ。
結果:ひととおり皿とか小鉢とか作った。社会人になってすぐ一人暮らしだったので、自分で作った食器類は今でもだいぶ重宝している。
・先生や教室の雰囲気も楽しく、月1回からのコースもあり価格も良心的なので今でもやってみたいなとは思っているが、現在の自宅からも職場からも離れた立地と、一人暮らし用の食器類は十分あるので作っても活用できないかな、と思い継続は断念。
●絵画教室
・○ット○ッパー見て入会。教室の雰囲気にうっかり惹かれてしまった。
・絵を描くのは好きだがうまくなったかは不明。楽しかったけどもういいや。
期間:大学4年の3月いっぱい(週1回、全4回の講座)
動機:高校の書道の時間に篆刻をやって楽しかったのだが、満足いくものを作れなかったのを思い出して入会。駅前のカルチャースクール。
結果:4個ほど作成。しかし、おす機会、ないんだよね・・・。
・いろいろ作れたし、腱鞘炎気味なのでもういいや。
動機:本来は大学在学中にとるべき(?)はずだったが機会を逃していたため、卒業間際に慌てて通い始める。「マニュアルにあらずんば免許にあらず」という親の考え+MTとATの違いすらわからなかった自分=運転下手なくせにMTコースを選択。
結果:どうにかMT取得。しかしペーパードライバー。免許証使う機会は身分証明目的のみ。
・込み合う時期でなかなか予約がとれないうちに社会人になり、土日だけしか通えなかったためえらい時間がかかった。だがこれがきっかけで、「人は、土日だけでもコツコツ積み重ねれば結果が出せるんだ〜」と夢見る始まりになってしまったような。
<第2章>
動機:その気になれば大学時代に取れた資格なのだが、無知なため「学芸員」という存在すら知らず卒業間際に知ったが後の祭り。通信課程でもとれるらしいということを知り入学。
結果:自分は昔っから通信教育、自宅(自主)学習というものが全くできないタチだというのを忘れてた。自主学習のテキストやレポート類には全く手をつけていない。当然、資格は取れるわけがないまま学籍を更新し続けている。
・正直、資格をとったところで本気で目指しているわけで、そんな人に学芸員の就職口はまずあり得ないのだけれど。スクーリングだけは真面目に行くためスクーリング科目だけは優秀な成績で単位取得だが・・・。
●英会話
期間:社会人3年目7月〜今月上旬(始めは週2回、やがて週1回日曜午前に)
動機:一度は習ってみたかった。海外旅行のためと、ライブで好きなアーティストと話したいため。あと数年に1回海外出張当番があるため。
結果:資金不足と休息のため、更新の時期を機に、休止中。貯金ができたらまた行きたいと思っている。関係あるかわからんが、TOEICのスコアが100上がった。
・土日は無駄にゴロゴロしがちな自分にとって、日曜午前にしっかり起きる習慣にはなった。気分転換と頭の体操(ずいぶん高額な気分転換だなあオイ)。
期間:昨年4月〜現在(週1〜2回)
動機:仕事のストレスからお菓子を食べまくって太り始めた。同時期、上司や取引先の人が立て続けに健康を害して入院といったことが相次ぎ、「自分もこのままでは将来危ない」という思いから入会。
結果:過食が続いたためいったん太ってしまったのだが、危機感を覚えて最近は熱心に動くようになり、体重は戻りつつある。
・実はスポーツは苦手だったのだが、身体を動かしているときは仕事の事を考えないので気分がスッキリして良い。目標体重になったら辞めるつもりなのだが、そこまではなかなかたどりつけない。
●料理
動機:一人暮らしのくせに料理が苦手で、新しく友達作りもできるかな、と思い立って入ってみた。
結果:レパートリーは多少増えて知り合いはできたが友達は・・・。
・こういうのってみんな(最初から)友達同士で入るんだね・・・。
●華道
期間:1時間(体験レッスン)
動機:高校、大学時代の友人達が華道部に入っていたので興味があった。会社近くに教室があるのを知って体験に申し込む。
結果:楽しかった〜。写真撮った後は、お花を持ち帰らせてもらった。
・始めたいけれど、たとえ月1回でもこれ以上増やすのは無謀だと思い、踏みとどまった。
●ドイツ語
期間:これから(入門編3カ月のみ)
もちろん貰うためのコストが1万2000円を超えたら貰わないだろうけどさ。
お金が得られるチャンスにちゃんと貰うということを積み重ねた人だから年収が上がってるんでしょう。
「さもしい」とかいう発言があったらしいけど、
じゃあ貰わなかったらどうなるのか。
別の人に回るか、道路の修繕費に回るか、役人の肥やしになるかそのあたりじゃないのか。
低所得者の支援という意味だと、貰った上で速攻で年収の少ない人が利益になりそうなところに投下したほうが
貰わないよりもずっと正しい態度のような気がする。
まあ俺は貰ったらいくつかのシェアウェアを買おうかなとか思ってるけど
陶芸教室に行くのもいいな。
ちょいフォロー。
前にブレインストーミングの例を挙げて説明したけど
「陶芸クラス」は陶芸の基本的な「質」を習った上での「量」ね。
陥りやすいパターンとかがあってその知識(記録)持ってないと
すげぇ無駄多いし。
ドラコン桜にも書いてあったこと。
イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点 - 電子書店パピレス
イチローに“偉大《いだい》な才能”を与えたのは、名古屋空港の近くにあるバッティングセンターである。
イチローは小学三年から中学三年までの七年間、そこに毎日通いつめた。
それも一週間に一日くらいは休むといったレベルの生易《なまやさ》しいものではない。
一年間に三六三日通いつめたという。休んだ二日は、バッティングセンターが休業した、正月の二日間だけだった。
天才と言われる人間であっても、絶《た》え間ない精進《しょうじん》を繰り返して、初めて彼らは成功者の仲間入りをすることができる。
イチローが一流選手としての称号《しょうごう》を得たのは、二一〇本の安打を打ち、打率三割八分五厘で首位打者に輝いた九四年の秋である。
http://kokokubeta.livedoor.biz/archives/51030990.html
何事にも閾値はある。そこに至らなければ、意味がないという数字だ。
「頭のいい人が成功しない理由」という本に、閾値の話があった。
なぜ失敗は「すればするほどいい」のか~脳研究者・池谷先生の新たな研究 | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]
[トレードオフ][機会費用][選択と集中]人生はトレードオフ
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今日、夜もヒッパレと言う番組を見ていたら「小柳ゆき」という少女が「愛情」と言う歌を歌っていた。
小さな体なのに凄いパワフルな歌声で、ちょっと感動してしまった。
才能が有るって素晴らしいな。
自分もあっち側に行きたかったがな。どこにも相手にされなかった。才能が無くって悔しいな。
子供の頃からなりたくなかった月給取りをもう何年やっているんだろう?
10年以上いる会社がいまだ馴染めずにいる。
学校卒業してすぐに会社に入ってソコしか知らない人は、当然だけれど自分とは価値観が全然違う。
この人達は、バイトが無く、家賃が払えず大家さんに謝る惨めさも知らなければ、偶然見上げた夕焼けの美しさに、
暗くなるまで路上に立尽くした事も無いだろうな。
別に自分が正しいと言うつもりは無いよ。仲間がいなくてつまらないというだけさ。
自分は、10年間ここでは異邦人だ。
東京にいた頃、魚河岸で働きながら油絵を描いている仲の良い友人がいた。
夕焼けに感動した日、彼のアパートに飛んでいって、夕焼けが綺麗だったと言ったら、良いものを見れて良かったと喜んでくれたな。
彼は同性愛者で、一度酒盛りをして泊めてもらったら、朝方大事な所をまさぐられてビックリして飛び起きたことが有ったけ。
自分は女好きで、そちらのほうのお付き合いは出来ませんでしたが、それからも仲良く遊びにゆきました。
彼はとても優しくて、いい人でした。
夢破れて静岡に帰るとき、惨めになるから見送りには来ないでくれと仲間に言って回りました。
でも彼だけが来てくれました。12月の寒い日、一年中履いているゴム草履をペタペタ鳴らして来てくれました。
彼の笑顔を見て、「やっぱり帰らない」とどんなに言いたかった事か。
魚河岸で一番筋肉質の人を頼んで、かれのアパートで、裸夫デッサンをした事も有りました。
強暴とも呼べそうな凄い筋肉マンでしたけど静岡に帰った自分が3年ほどして彼の所に遊びに行くと、2人で同棲してたのには驚きましたね。
彼も間違い無く、サラリーマンにはなれない素敵な人です。
はるか昔の事とか思い出してしまいました。
日頃から思ってるコトを書いてみる。
自分はフツーの会社員です。
カタカナの洒落た職業じゃありません。植木等の歌に出てきそうな典型的な会社員です。
フォトショ使えません。
イラレ使えません。
キャンパス使いません。
楽器弾きたいけど下手です。
絵描くのは好きですが下手です。
でも、いろんなデザインを眺めたり自分で考えてみるのは好き。
アーティストとデザイナーを一緒にするつもりはないんだけど、ああいう人たちは一般人を排他するような目で見るのだろう。
間口が狭いというか、オープンでないというか。
あるクリエイター系SNSに入ってみたく招待状を下さいと親しい人にお願いしてみたが。
「君は一般人だし、そういう職業に就いてない人は招待できないよ」
と言われた経験がある。
そういう職業てなんだ?
そういう職業って。
クリエイター系って偉いのか?
貴族か?
そういう職業の人に限って一緒に飲むと「デザインがさー」、「あ、デザイナーの方ですか、お互いコラボできませんか?」、「アーティトって・・」「イラレで加工して・・」「モリサワが・・」「SOHOで・・」「XOOPSが・・」「CSSが・」「セッションしません?」「いや、あのサウンドはね・・」「Macで・・」って話が出てきて。蚊帳の外にされててしまう。
特にこういう人等(自分が会ってきた中では)はMacの話に目がない。Macを使ってるから会社員の君とは住む次元が違う・・ってな顔をされる。
いや、Macぐらい知ってますよ。
Macぐらい。
普段はWindowsで仕事柄、自宅でMacはUNIX系OSサーバとしてTerminalからしか使ってないけど・・。
SmallOfficeHomeOfficeって。
そこで「普通の会社員ですけど、そういうのも興味ありますよー。」って答えたらなんだか会話が止まって蔑まされた目で見られる。
「●●(陶芸、作曲、小説、建築・・)家です」「●●デザイナーです」「アーティストです」「ライターです」とか最初に言うと目の輝きがお互いに違うのに、「会社員です」って言うと「はぁ・・そうですか・・」という目で、その後の会話が弾まない。
こちらか話を振っても「はぁ・・」「そうなんですか・・」とか興味なし。
勿論、アートとデザインって、それぞれ根本的な部分で違うのだろうけど。
共通するコトは「自分たちは、会社で働いていてもSOHOでも、肩書きは会社員とは違う」という見えないフィールドを張っているというコト。
彼等が叫ぶ中でそうも聴こえる。
デザインを色々見たり自分でも作ってみたいと思っていたりはするのだけど、デザイナーは嫌い。
アートを見たり参加したりするのは好きだけどアーティストは嫌い。
なんか自分がこういう態度じゃ余計ダメなのかも知れないけど・・・。
なんで、ああいう人たちは間口が狭い考え方をするんだろう。