2009-09-02

ボランティア、考え方

父と話していてでた話。

私「ボランティアってあんまやった覚えないよね」

父「いやいや、やってたじゃん。昔陶芸教室行った、あれも取りようによってはボランティアだよ。」

確かに陶芸教室に父に連れられて行っていたことがある。

父の知りあいの障害者サークルが色々な活動をしている中の一つで、

陶芸の他に生け花教室なんかも開いているらしかった。

サークルには知的障害、肢体障害の人もいれば、障害者に関わる健常者の人もいた。

達兄弟はそのサークルには入ってなかったけど、父の子どもだったのもあり何回か参加した。

私「ええ?でもあれって、先生お金出してみんなで陶芸教わってただけだよね?」

父「うん。でもそういうのでもボランティアって考えることができるって思うんだよ。」

私「お金が関わってもボランティアになるの?

じゃあ私が昔お父さんの仕事の関係の集会で、頼まれて保育したよね。

あれもボランティア?あの時は確かちょっとだけどお金が出たよね。」

集会は障害を持つ子ども母親が多く参加するもので、何人かのお母さんたちは子連れできていて

お母さん方が集会に出ている間その子どもたちを私やほかのお手伝い数人で面倒をみるというものだった。

父「理想的なボランティアの形っていうのは、障害者ボランティアする人がお互い平等な立場で支援することだと思う。

ボランティアする人が最低限生活、行動するだけのお金は出てもいいんだよ。ただし本当に必要な分だけだけどね。」

ボランティアって完全に無償だと思ってたけど、そういう考え方もあるのか。

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