はてなキーワード: 武者修行とは
今、45のおっさんです。25年前の自分に対してだと思って、書いてみます。
(1)まず、どこの大学に行きたいのか?決めよう。
「なぜ高校2年生のころは、この大学に行きたかったのだろう。」
※どこでもいいと、いうのであれば、とりあえず、今通っている
高校の過去数年間のうち、卒業生実績から上位5個ぐらいを対象とすればいい。
(この時点では、まだ候補)
おっさんの場合には、親は中卒で、誰も何も教えてくれなかった。せいぜい年に1人浪人して、
あるきっかけで、ある大学をターゲットにして、結果的に、現役でそれに受かった(旧帝大は滑り止めぐらいにした)
本を20冊ぐらい親に買ってもらって、「勉強の仕方」(どういった参考書をつかって、どのような勉強をするか?)
を勉強した。
(3)目的を再確認する。
目的は、「頭が良くなること」でも無く、「勉強ができること」でも無く、
上位で入る必要はなく、ギリでいいから入り込んでしまえばいい。
今、大きな人生の目標が無いのであれば、目標の設定後は、1年後にまた考えればいい。
長い人生、1年ぐらい誤差だ。
大学を選び間違えることもあるかもしれない。当然ながら、
大学に入った後の「貴方の人生」なんて、(親以外の)他人は誰も真剣に考えてくれない。
大学勉強の過程で、「勉強が楽しい」と感じられるのに「変わった」であれば、
それは嬉しい副作用だが、それも将来考えて下さい。
よく就活で、出身大学が問われるけれども、これは「親のしつけ・教育」「地頭の良さ」
「目標に対して真面目にコツコツ努力できる」ことの総合力を見るには都合が
いいからだと考えている。
話は変わりますが、「幸せ」とは何か?という質問があったとします。
何か食べにいく場合でも、「ファーストフード」の店「しか」選べない人と、
お金があれば、購入物の選択肢が増えて幸せと見なせることが多いですが、
代わりに時間を失うと、それは(行動)選択肢が減ってしまい、不幸せという解釈です。
Fランクの大学に行くよりも、上のグレードの方が、貴方の人生の選択肢は
もちろん、人生万事塞翁が馬のため、保障はしませんけれども。。。
最近は、弁護士や歯医者さんなども収入が減って大変だそうです。
それでも自分で職業を「選べる」だけまだ「幸せ」なんだと思います。
貴方の人生の選択肢を増やすために、1年間「だけ」真面目に勉強してみては?
(4)ひたすら過去問を解く。
現在2年生で、3年生の範囲は?となるかもしれないけれども、それは関係ない。
わからなければ、模範解答を丸暗記するぐらいまでやりこむ。
手に入る限りの過去問をやっていると、「どのジャンル」が出て、
今回は、(どの大学でも受かる)ジェネラリストを目指しているのでなくて、
ある大学に受かるスペシャリストを目指しているから、「出ないジャンル」の
勉強は、ばっさりと切り捨てる。
それは「リスク」として割り切る。
今まで真面目に勉強してこないんで、それなりの価値をつかもうとしているので、
ある程度の「リスク」を抱えるのは当然だと思う。
もしかしたら、次年度のテストは、過去問とは、関係のないジャンルが初めて出る
かもしれない。それは「不運」としてあきらめる。(=実力無い分、リスクを背負っている)
および(問題には出なかった過去問の周辺知識)を把握する。
※(導入の無い)答えの丸暗記は当然NG。
あくまでも答えの導入方法を理解して、または設問内容を把握できて、
厳しいこと書くと、その英語の問題集って、試験に受かるのに役立つ?
そういったことは余力がある人がやればいい、または余力ができてからいい。
まずは、「大学に合格する」という目標を定めて、具体的に、「何が試験に出て」、
「何が試験にでない」のかを把握すること。
「試験に出ない」ことは、現在の目標「大学に合格する」からすると、
※一般的な受験勉強は、教養にはなるし、自分のポテンシャルアップには
繋がるけれども、それはまた別の目的。
そういった「不純」な目的は、大学に受かる実力をつけた後に考えればいい。
大人の世界での、困難なプロジェクト管理におけるコツは、目標から逆算して計算して、期限を区切ること。
決して、現状から、コツコツつみあげるようなことはしない(できるのであれば、それは
目標の再確認をすると、今の目標は「大学に受かること(=Fランクにはいきたくない)」。
そのために、「勉強する範囲を精査する」(試験に出ない範囲は勉強しない)
そのために、「過去問を解く」そして、「現在の自分の実力」と「目標」
そして、その「差異」をいつまでに埋めるのか?の「期限」の設定を行います。
ここまでくれば、「てか何やったらいいのか分かんねえよorz」には、
なっていないはずです。
例えば、来年前半に、物理に、90日割くとします。過去問を3回繰り返すとします。
90日=60日(初回)+15日(復習)+15日(復習)。初回分は、60日。
仮に(計算しやすいように)120問だとしたら、1日2問づつ、確実に理解・把握していく。
感じで、大学入学という漠然とした目標から、目先の数時間レベルの具体的行動まで
落とし込んでいきます。
※お父様が筑波大学ならば、それなりに地位の方だと思うので、
大人がやるスケジュール「管理」の方法は相談しましょう。自分で全てをやる必要は無いです。
最悪、答えは理解できなくとも、時間の限り、「写経」するだけでもいいです。
私も同じ回答を何度も、(参考書みずに書けるぐらいまで)書き写しました。
あとは、本番で、数字・記号を変えるだけで、最悪、頭で覚えていなくても
「手が覚えてくれています」のでなんとかなるケースも多かった気がします。
(このご時世、受験の範囲で、高校生が、世界で初めてひらめくような
ことは、ほぼ無くて、既に、誰かが考えています)
数ヶ月後、一通り、過去問が解ける状態になったら、またここで、質問すればいいと思います。
誰か親切な人が答えてくれるでしょう。
まず、インターネットが無かった。今、空気のようにあるインターネットが
非常にうらやましい。
田舎だった。当然、学校の先生も、高度な大学の入試についてこれない。
(これは先生の能力の問題ではなくて、その他大勢の生徒のレベルに合わせるため)
おっさんの高校生(2年生2月)の行動力は、自画自賛になるけれども、
今でも褒めてあげたいぐらい。
(A)まずは、合格体験記を20冊ぐらい読みあさり、効率的な勉強の方法を調査。
※合格体験記を見て、自分なりのコペルニクス的転回は、「できない問題は捨てて良い」
ということ。田舎の学校では、そんなことは教えてくれず、目の前のことは
がんばってやりましょう」という概念が変わりました。
(C)我が家は貧乏だったので、「予備校に行かせて」とは言えないし、
そもそも予備校までも遠かった。
(参考書代金と、模試の代金は、貧乏ながらも出してもらえました)
「3ヶ月に1~2回の試験を受ける人」と「3ヶ月で20回試験を受ける人」
とでは、駄目出しされる回数が圧倒的に違うから、修正ポイントも早く気づきやすいし、
ジャンルが違う模試は、厳密には無意味だけれども、周りの受験生の雰囲気などにも
早くなれることができました。
>てか何やったらいいのか分かんねえよorz
「親が模試の費用を払ってくれている。少なくとも、費用分の元を取りたい」
と考えられるのであれば、模試をうければ、「3時間以上の濃厚な時間」を勉強できる。
時間内は、必死で考えるから、印象にも残る。試験後に、気になることは自分で調べたり、
先生(しつこいが、学校の先生に聞くのはタダでできる)に聞いたりして、同じ問題には
対応できるようにするだけでも、レベルが変わってくると思います。
試験で悪い点を取り慣れていなければ、自分も頑張らなきゃと思うようになると思う。
(勉強しようとう環境に、当時のおっさんは、自分を追い込んだ)
スポーツに例えると、武者修行(道場破り)にいって、週1でコテンパンに
やられて帰り、翌週までにまずかったところを調整。再度、やられにいく感じでした。
(少なくとも、同じパターンではやらなれないようにした)
頑張るのは、1年間だけだから、
睡眠時間+学校の時間(通勤時間)+2時間以外(基本的生活時間)は、
全て勉強するつもりだったら、なんとかなるかも?
生活は親が面倒みてくれていると思いますので、一生のうち1年間だけは、
狂ったように勉強してみるのも、いい経験になるのではと思います。
大人になると、「勉強だけすればいい」という贅沢な時間は持てなくなります。
1日8時間寝るのであれば、それは残りの16時間のためを充実させるための
必要経費です。
そもそも、最初から、1日16時間、さらに基本生活時間の2時間を除くと、
残りの14時間を効率的に生きること。それは、「本を読むスピードを上げましょう。
問題を解くための手を早く動しましょう」のような基本動作のスピードアップと
いう意味ではありません。
今の自分にとって、「必要なこと」「不要なこと」を見定めて、「不要なこと」を
やらない勇気を持つということです。
25年前の自分宛のつもりで書いてみました。
<追記>
おっさんは、元質問者に書いたつもり向けだったのですが、ここまで読まれるとは思いませんでした。
(1)実力者(上位10%)
(2)中間層(上位30%)
(3)残り(他)
(1)の人は、普通に王道を歩めばよくて、今回、おっさんが書いたような
おっさんは、「(3)残り」の人が、「(2)中間層」にどうやって勝つか?を書いたつもりでした。
(3)の人達は、まず(1)の人には勝てません。どのジャンルにも「天才」と呼ばれる人がいます。
勝つことは考えていません。
(3)の人達が、実力をごまかして、(2)の人達に勝つ(かもしれない)方法を書いたつもりでいました。
(2)の人達は、大学受験では、n校受験などして、それなりにリスクを分散をしています。
(3)の人達は、普通に実力勝負をすると(2)の人達に負けます。
当然ですが、(3)の人が追いつこうと思う間に、(2)の人も前にすすみますから、差を
縮めるのは大変です。
(3)の人達が、(2)の人達に勝つためには、リスクを背負うしか無い。具体的には、
それでも勝てそうになければ、更にリスクを背負う(フィールドをより絞り込む)ことに
なるでしょうし、余力があれば、リスクを分散化(フィールドを広げる)すればいい。
過去問というのは、自分が勝てる場を探す作業。おっさんの受験は25年前で情報古いですが、
実力無い人が、とりあえず、「この戦いに勝てばいい」の方法を書いたつもりでした。
もちろん、後のことなんて考えていません。
おっさんの書いている方法は、当然ながら、真の実力はつきませんし、
でも、「まったく勝ち目の無い戦い」よりは、マシとは思います。
原作は読んだことないけど、「バガボンド」内では(武蔵と斬り合って死ぬ頃の清十郎は)二十代っぽく描かれてた気がする。弟の伝七郎が同時期に妻子持ちで、しかも子供は幼稚園~小学校低学年程度に描かれてた。それより何年も前に武者修行とかもしてたし。
見た目も松井秀喜みたいな巨漢のゴリラ顔だったから、あれで十六歳と受け取る読者はおらんのじゃなかろか。
まあそれはそれとして、今後は石原に微妙なラインの漫画の是非を決めさせればいいんじゃないかな。で、全国の書店の書棚に「○○第×巻は石原都知事の決定により発禁となりました」と石原の似顔絵付きポップの一つでも立てておけばいい。
先月、後輩からの相談を受けた
会社を辞めたいと
会社辞めてどうするんだ 俺は聞いた
一度は俺もあこがれた
しかし俺は家族がいたので、踏み出せなかった
後輩は言う
先輩、俺はこの会社に今のまま残っても先が見えてしまっています
ただ、先輩には大変お世話になっていたので、一言事前に相談をさせていただきました
人生の岐路にかかわる相談をされたことに嬉しくもあり、ただ、さびしくもあった
いなくなった後の後任を探すのはかなり大変か
迷った
頑張ってねと送り出すべきか、それとも引きとどませるべきか
おそらく、彼の決意は固い
上司には話ししたのかと聞いたらまだとのこと
高校時代の友人がオーストラリアへ先に行っているからまずは彼のところへ行くとのこと
いきなり飛び込むわけじゃないのでとりあえず安心した
居心地がよければそのまま居つくのもよいかもしれん
新婚旅行で行ったところ
コアラを抱いて車を借りて海を見て
とにかく広い国
メシもうまかった 何でも豪快に大きかった
治安も悪くなかった
ツダイという発音だけが妙に残っている
そんな国で働けるなんてうらやましい
その日はあまり深酒をせず、あとは政治の話やipadの話などして終わった
彼からの相談はとりあえず聞いておくだけにとどめていた
翌週から俺は彼がいなくなった後の処理についてまとめていた
上司から彼がやめた後でもきちんとフォローできる状態を作っておくため
マンパワーは完全に足りなくなるため人を増やす必要があること
隣のグループのBさんが後任として適任であること
隣のグループにはCさんとDさんでフォローできる状態であること
翌週、上司から呼ばれた
俺の腹は決まっていた
彼の船出を快く送り出しましょう
彼が辞めた後のフォロー体制についてまとめた資料を渡した
君がいるなら大丈夫だなと言って資料を見る
少し落ち着いたころ
ついに、口火を切った
実は私も辞めたいと思いまして・・・・
言葉で表現し辛いんだけど、前向きに捉えかけた自分を自分自身で即座に否定してしまう。
どこか、「否定せねばならない」という思いにかられている気がする。
「現実も捨てたもんじゃないな」って考えて明るく前を向く自分を、どうも更に奥底の自分は「けしからん」と思っているようなんだ。
「もっとこの酷い現実を直視しろ。直視していたら、そんな明るい気持ちになれるはずがない。客観的に見て今のお前の状態は全くダメダメなのだから。明るい気持ちになってるのは単なる逃げだ。逃げだ。逃げだ」って思いがじわっと盛り上がってくる。明るい事を考えた直後に。
結局、いつもたいてい低いところで安定している。軽く絶望を覚えたようなところで安定している。
そうした状況が長く続くもんだから、また余計に、軽い絶望状態の方がいっそ(矛盾してるような感じだけど)安心している、そんな感じになっている。でも不安で絶望していることには変わりはなくて、やはりその状態も嫌であることは嫌。できれば明るくいたい。でも明るい自分を自分自身が否定している。結果が出るまで陽気でいてはならない、と、多分、奥底で考えてしまっているんだと思う。自らそんな武者修行みたいなこと言わなくてもいいのにwとか思うけど奥底の自分は何かしらんけどそうやって考えてる。
本当はもっと不安なくあっけらかんと、明るく、生きたいのだけど、もうそういう苦しさのない生き方そのものが自分にとって「逃げ」であると、奥底の自分はそう判定しているっぽい。だから無意識に否定してしまう。
苦しいのは嫌なんだけど、『苦しくないと、それは逃げているのだ。世の中苦しくなく生きられるはずないのだ。絶対苦労はあるのだ。苦しみはあるのだ。お前が今感じている以上の苦しみがこれからどんどん来るのだ。お前はそれに耐えなければならないのだから、今この程度の苦しみを避けて、明るく生きようとなどしていてはならないのだ。』といった思想がどうも底にこびりついてるようなんだよね。これはどうやったら消せるのか、ていうか、消さない方がいいのか??
勉強とか、なんでも、調子がよくなり始めると、それすら否定してしまう。「調子がよくなった」ことを認めて、その後落ちたときの苦しみを受けるのが怖いから、結局最初から否定しているだけな気がする。結局苦しみを避けているのか。
どう世界を捉えて生きていけばいいのか、どういう心持ちで生きていけばいいのか……
ネットなんかやってるからこうなるのか。たぶんそれはかなり大きいと思うけど。
なんでもかんでも「どうせ層化」「どうせイケメンに限る」と否定し疑っていくネットの姿勢になれたのが原因かもしれない。
この文章はほとんど人に伝える事を前提に書いていないからおそらく読み辛いだろう
自分の考えを整理するために書いている。
それならメモ帳に書くだけでもいいんだが、メモ帳に書くのはあまりに自由すぎて返ってどう書いたらいいものか筆が進まない。増田に書き込もうとするとほどよく書き始められる。
そこで整理してわかってきたのだが
多分自分は未知が不安なのだろう。って結局ごく普通の結論だな。
常に低い所で安定しておかないと、一喜一憂することによるその落差、それに振り回されるのが怖いのかもしれない。あまりに不安定で。だからちょっと調子がいいくらいだとすぐに絶望へ戻らせようとする。
とわかってもどうにも絶望癖が消えない。
それも完全なる絶望には程遠い、所詮ぬくぬく日本で暮らしてる人間のしょっぱい絶望だから何にもならん。
心がはねるのを、押えよう押えようとして生きている気がする。
それをやめたいと思う自分もいる。
む、だとしたらがんばれ。でも、別米も参照な。学費は自分で出せよ(親に土下座して「海外で武者修行するから1年分学費余計に出してくれ、就職して必ず返すから」ってのはありだとおもう)。
皿洗いしながら諸国放浪した知り合いが二人ほどいるんだが、やっぱ人間の奥行きが深いと思ったね。もちろん、海外に行ってだめになる奴はたくさんいる。妙に楽なところにいついちゃった奴とか。そいつなりに面白い人間なんだけど。
イスラエル人なんかはみんな大学出た後に放浪してるよ。人によるけどバイトとヒッチハイックでやってると聞いた。英語すら通じない地域を歩いているから、その後の人生の肝の据わり方が違う。
実際にやるとしたら、事前の安全確認と現地での新聞チェックは欠かさずにな。勇気と無謀は違うから。見聞を広める放浪と自分探しのたびも少し違う気がする。たぶん。