2008-11-08

調子がよくなるとそれを制してしまう

言葉で表現し辛いんだけど、前向きに捉えかけた自分を自分自身で即座に否定してしまう。

どこか、「否定せねばならない」という思いにかられている気がする。

現実も捨てたもんじゃないな」って考えて明るく前を向く自分を、どうも更に奥底の自分は「けしからん」と思っているようなんだ。

「もっとこの酷い現実直視しろ。直視していたら、そんな明るい気持ちになれるはずがない。客観的に見て今のお前の状態は全くダメダメなのだから。明るい気持ちになってるのは単なる逃げだ。逃げだ。逃げだ」って思いがじわっと盛り上がってくる。明るい事を考えた直後に。

結局、いつもたいてい低いところで安定している。軽く絶望を覚えたようなところで安定している。

そうした状況が長く続くもんだから、また余計に、軽い絶望状態の方がいっそ(矛盾してるような感じだけど)安心している、そんな感じになっている。でも不安絶望していることには変わりはなくて、やはりその状態も嫌であることは嫌。できれば明るくいたい。でも明るい自分を自分自身が否定している。結果が出るまで陽気でいてはならない、と、多分、奥底で考えてしまっているんだと思う。自らそんな武者修行みたいなこと言わなくてもいいのにwとか思うけど奥底の自分は何かしらんけどそうやって考えてる。

本当はもっと不安なくあっけらかんと、明るく、生きたいのだけど、もうそういう苦しさのない生き方そのものが自分にとって「逃げ」であると、奥底の自分はそう判定しているっぽい。だから無意識に否定してしまう。

苦しいのは嫌なんだけど、『苦しくないと、それは逃げているのだ。世の中苦しくなく生きられるはずないのだ。絶対苦労はあるのだ。苦しみはあるのだ。お前が今感じている以上の苦しみがこれからどんどん来るのだ。お前はそれに耐えなければならないのだから、今この程度の苦しみを避けて、明るく生きようとなどしていてはならないのだ。』といった思想がどうも底にこびりついてるようなんだよね。これはどうやったら消せるのか、ていうか、消さない方がいいのか??

勉強とか、なんでも、調子がよくなり始めると、それすら否定してしまう。「調子がよくなった」ことを認めて、その後落ちたときの苦しみを受けるのが怖いから、結局最初から否定しているだけな気がする。結局苦しみを避けているのか。

どう世界を捉えて生きていけばいいのか、どういう心持ちで生きていけばいいのか……

ネットなんかやってるからこうなるのか。たぶんそれはかなり大きいと思うけど。

なんでもかんでも「どうせ層化」「どうせイケメンに限る」と否定し疑っていくネットの姿勢になれたのが原因かもしれない。

この文章はほとんど人に伝える事を前提に書いていないからおそらく読み辛いだろう

自分の考えを整理するために書いている。

それならメモ帳に書くだけでもいいんだが、メモ帳に書くのはあまりに自由すぎて返ってどう書いたらいいものか筆が進まない。増田に書き込もうとするとほどよく書き始められる。

そこで整理してわかってきたのだが

多分自分は未知が不安なのだろう。って結局ごく普通の結論だな。

常に低い所で安定しておかないと、一喜一憂することによるその落差、それに振り回されるのが怖いのかもしれない。あまりに不安定で。だからちょっと調子がいいくらいだとすぐに絶望へ戻らせようとする。

とわかってもどうにも絶望癖が消えない。

それも完全なる絶望には程遠い、所詮ぬくぬく日本で暮らしてる人間のしょっぱい絶望だから何にもならん。

心がはねるのを、押えよう押えようとして生きている気がする。

それをやめたいと思う自分もいる。

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