はてなキーワード: 三等分とは
本日、プラチナメダル交換所のSSRスカチケの対象アイドルの追加があったため、プラチナメダル50枚を使い、SSRスカウトチケットを手に入れ、あるアイドルをスカウトしてきた。
そのアイドルとは、私の担当の一人である、先日SSRに追加された「仙崎恵磨」さんである。仙崎さんといえば、ベリショでキャラクター的にも癖があるため、未ボイスのアイドルの中でも、かなり好き嫌いが別れるアイドルでSSR実装されるのかどうか不安視されていたものの、ナゴヤドームの業務連絡にて、SSR追加のラインナップのシルエットに発表された時は、かなりテンションがあがった
しかしながら、いざ実装はされたものの、有償分を含め150連ほど課金しても仙崎さんは出てこなく、ナゴド直後であったことから、それ以上お金を使うに使えず、止む無く、プラチナメダルを使い、月末の実装を待つことにせざるをえなかった。
ただ、「結果的にすぐに引けなかったことで、見えてきたこともあった」から、その意味では、課金した分も含め、決して無駄ではなかったと思ってる。
なぜなら、私が、そこで思ったことは、この先、まだSSRが実装されてないアイドル42人のSSRを順次、実装していくにあたって、必ずぶち当たることになる、問題だからである。
というより、おそらく、そのことがあったから、仙崎さん含む一部の「未ボイスかつ、好き嫌いが明らかに分かれるタイプ」のSSRの実装はつい最近まで見送られてたのだと思う。(第八回総選挙の近辺までに実装されていた未ボイス側のアイドルは、一見さんにもそれなりに受けるタイプか、もしくは好き嫌いは別れるタイプでこそあれ、Pの頑張り等から、一定の市民権は持ってるアイドルばかりなので)
それは、限定SSR等で目当てのアイドルを引こうとしたときに、SSRだと思って期待したら、その自分の担当が出てきてしまった場合、露骨にハズレ扱いされる可能性が存在するからである。
覚えてる人は少ないかもしれないが、デレステのフロンティア時代に、小日向美穂の限定SSRが実装された時、美穂の声優さんである津田美波氏が、美穂SSRを狙ってガチャを回したところ、他のアイドルが出てきてしまって、自らのブログで愚痴ったところ、その他のアイドルの担当Pからお叱りが来て削除したという経緯があった。
blog.esuteru.com/archives/8519641.html
これが批判されたのは、津田さんがシンデレラの関係者であったという部分が大きいし、今は、天井もスカウトチケットもあるから、当時ほど、SSRで騒ぎになることはないにしても、現状、月末限定が入る確率はピックアップからさらに三等分される形になるため、今後、お目当てのアイドルを月末限定で手に入れるのはかなり難しくなってくるだろう。
その上で未ボイス側のSSRは原則、特技が限定されてくる上、「お願い!シンデレラ」のソロも獲得できないため、自分にとってタイプのアイドルなら、納得できても、そうでなければということになってくる。
折角、心待ちにしてた担当のSSRが実装に至ったとしても、そうなってしまったら、矢張りそのアイドルの担当Pは悲しい思いをしてしまうことになる。
とはいえ、全てのアイドルに同等に興味を持つ機会を持ってほしいと言ったところで、少数ながら箱推しの人もいるため「できない」とは言わないものの、大半の人にとっては「難しい」ことであるのは間違いない。
よく「あなたの地雷は誰かの萌え」という言葉があるように逆もまた然りで、シンデレラガールズというコンテンツに登場するアイドルの場合、「もしかしたら苦手な人が出るかもしれないことを上等で作られてるアイドル」が何人もいることで、コンテンツにおける多様性と、登場人物としてのリアリティを出してるように思えるからである。
そう考えていった場合、担当アイドルの良さを広めるためにPが行う「ダイマ」という行動にも限界があるということを覚えておいた方がいいかもしれない。
ただし、ダイマという行動には私は二つの意義があると思っている。一つは「担当を魅力を外に伝える」ため、もう一つは「担当の魅力は解ってもらえないかもしれないけど、その担当に価値を見出してる人間だって居るということ」を知ってもらうため。後者は一つ間違うと自己顕示欲とも捉えられかねないが、「あなたに大切な担当アイドルが居るように、その担当アイドルを大事に思ってる自分のような人も居ることさえ知ってもらうこと」さえできれば、それだけで、十分すぎる価値はあるように思うからだ(特に、未ボイスで好き嫌いが別れるタイプのアイドルの担当Pの場合)。
こういうことを言うと、「アイドルに対して失礼」と思う人も居るかもしれない。しかし、SSR実装については、もう「全員実装するにはどうすればいいか」ではなく「全員実装されるまでの間にどんな問題が生じるか?」の方にシフトしつつある段階だと思っている。そのため、少し、歯に衣着せない言い方をさせてもらうことにした。
新アイドル含めて190人から居るアイドルと、規模の差こそあれど、それぞれについている担当Pたち。「夢をのぞいたら」の歌詞にあるように、その人たちが誰一人欠けることなく、共栄共存していくとするのなら、個人個人が好き勝手やりまくることでも、「俺だって我慢してるんだから、お前もそうしろ」と我慢を強いることでもなく、それぞれが、負の部分もひっくるめてお互いの考えを認め合って、前に進んでいくことが必要なのではないかと私は思う。
ケーキを切るのは難しいので、円の面積を等分することを考える。
何等分するにしても、円の中心を求めるとその後が簡単になる。
適当に弦を取る。これをABとする。ABをAの方に延長してAB=AB’となる点B’を取る。
BB’について垂直二等分線の作図を行い円と交わった点をCとする。BCが直径となるので二等分できた。BCについて垂直二等分線を書くと中心が求まり四等分が出来る。中心をOとすると、BからOBと同じ長さの点を円上に取ると正三角形が出来る。中心の角度は60°なので、この方法により6等分出来る。従って三等分も出来る。2,3,4等分出来ているので、次は5等分だが、これには1の原始5乗根を求める。複素数になるけれども、実部が作図できれば、そこから垂直二等分線を描いて円との交点を求めればいい。
義理の祖母がいて会社形態にしてやってたんだけど。何年も長男はずっと稼ぎが少なくて、長女一人でいろいろ無理して何年も収入面を支えて来たんだけど。結局、結婚を機に家を出て、そのタイミングで会社は畳んじゃった。家賃が勿体ないから、長男はその時期に前後して祖母と同居してる。
現状として、祖母はそこそこ元気だから介護的な要素はほぼ無い。むしろ、共働きだったから世話になってるくらいな感じ。勿論、この後は判らないけど。
万が一祖母が亡くなったら、現状資産らしい資産って同居してる家位しかないんだけど。長女は何十年と金銭的に世話した気持ちがあるし、実際してたから、三等分とか言っても納得しないだろうし。長男も同居で世話してるし、面倒見てるって気はあるだろうからね。家は住み続けたいから、長男に全部譲れ!みたいな話になったらもめそうだなぁ…と。
パチンと高い音をたててぶどうが3等分された。なんで丸々ひとつ食べれないの? なんで3等分されるの? そう思いながら食べた。
もう25年も前の話だ。
丸々一つも食べれない理由が、親になった今なら分かる。ぶどうは3つ入って安くても300円する。姉妹弟3人で1つずつ食べたら一気に無くなる。そりゃ親も三等分する。今なら分かる。
でもあの頃は分からなかった。だから3等分されて小さくなったぶどうを1粒ずつ大事に食べた。その視界に伸びてくる腕。父だった。父は毎回私の好物を横から奪う。
「ひとつ、ちょ~だい」
「やめてよ、私のぶどうなのに」
父は私の皿から何個もぶどうを取った。幼い私はそれが本当に嫌だった。嫌いというレベルを超え、理解できない!と益々父から遠ざかった。
あれから25年。いとしい息子の皿上に乗ったぶどうに、私も手を伸ばす。
「ひとつ、ちょ~だい」
息子はぶどうが大好きだ。
「やめてよ、ママ嫌い」
そんなやり取りをしてる横から父の手が伸びる。
「ママもじぃじも嫌い!」
ついにぶどうを抱えて息子が逃げ出した。笑いながらじぃじとなった父が追う。皿からコロコロと落ちるぶどうを見ながら思う。
話しかけたくて、近づきたくて。でも何もできなくて、私の皿からぶどうを取ったのだ。
落ちたぶどうを拾いながら、息子に近づいた。
「ねえ息子くん、お母さんに落ちたぶどう頂戴?」
息子は満面の笑みで答えた。
「いいよ。一緒に食べよう。じぃじも!こっちにもあるよ」
口に運んだぶどうは25年前より、甘く感じた。
いま20代後半の君は、そのちょうど1/3を「消費した」ことになる。
時間は戻らない。
1/3も、もう使ってしまったんだ。
そのことについてどう思うのか?
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生誕 ▼なう 還暦 死亡時刻の期待値 ほぼ100%の人間がここまでに死去
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こういう図で考えてみると感慨もひとしおではないのか?
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さて、死亡時刻の期待値までの三等分されたライフステージに適切な名前が欲しくないか?
第1ライフステージを「準備期」と名付ける。
育児を受けて成長・発達し、教育と社会経験により知識・技術・考え方を身につけ、自立した一人前の大人になるための準備期間だ。
この準備期の最初には学習と模倣が知的活動の主体だが、最後に近づくにつれて思考と決断が知的活動の主体となっていく。
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第2ライフステージを「発展期」と名付ける。
準備期で身につけた知識・技術・考え方を用いて、自己実現と社会貢献をしていく期間だ。
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人生の後片付け。やり残したことをやることで、心を安定させる。
また、趣味に打ち込むことで精神の深い部分での「安定」を図る。
そうすることによって、「現実」を納得でき「死」を納得できる境地に向かうことが望まれる。
いまの君には分からないかもしれないが、身近な人間の死を繰り返し目の当たりにすることで、
死をいやでも意識するのであり、死の納得が大きなテーマになるのである。
そして死の納得は生の納得ひいては現実の納得でもある。
老後の趣味というのはそういう側面が強い。
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参考 孔子のことば
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『子の曰く、吾れ
十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、
矩を踰えず。』
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わたしは十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持ち、
四十になってあれこれと迷わず、
六十になって人の言葉がすなおに聞かれ、
七十になると思うままにふるまって、
それで道をはずれないようになった。