厳格に階層が分離すればするほど、それぞれは交わらないわけで、それなら好き好んで下の階層に移る必要はなかろう。
親が君に投資できるのであれば有名幼稚園でも難関中学校でも受験すればよく、受かれば周囲のコミュニティでうまく生きることを考えるのが一番生産的なのだ。
このとき、最も重要なのは下の階層を徹底的に相手にしないことだ。
友達にもならない。当然、恋愛もしない。
案外とこれができない人は多い。
友達も恋人も、最低限自分の所属する階層からのみ見繕わないと、後で後悔することになる。
相手とはハナから常識が異なるのだ。
大金を投じられて育ったのなら、子供にも大金を投じて育てる。
底辺の階層は高校に進学するのさえ悩んでいる。
そうやって代を三つか四つも重ねればそれはもう、全く別の種類の生き物なのだ。
などということを社会の底辺に近い階層の俺が思っている。
Permalink | 記事への反応(1) | 11:53
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インドでは釈迦以前からずっとバラモン教がこれをやって大成功している。 そしてついに21世紀はインドの時代になる。つまりバラモン教の時代になるのだ。
社会体制の話は別。 あくまでも個人の話な。 社会全体としては格差を解消する方に移行した方が健全だ。