はてなキーワード: イントネーションとは
電車に乗っていたら、高校生(今年大学受験生)らしき上京者が話をしていた。
有名大学のある駅の通過を見ながら、男の方が
「一度東京に来てみたかったんだ」
と口にした。
本人はさりげなく言ったのかもしれないが、そのイントネーションに
漠然とだが一度は東京を見てみたい的な感情が含まれているような気がして
憧れではなくても、地方に住む人は「東京」という所にそういう感情を抱くんだなと感じた。
・・・勿論実際「東京」にきてどうなるかはわからないけれども。
そういった意味で生まれ育ち東京、そうでなくても生まれ育ち首都圏で過ごす人間は
そういった物をもてる人間がふと羨ましいのかもしれないと思ったりする。
が、逆に「東京」にそういう物を持っていないから、
「東京は冷たかった」「東京はごみごみしている」「東京は空虚だ」だの言われても
余りピンと来ずに生きていけるというメリットはある。
ここ数年、動画共有サイトや生配信サイトが盛り上がり、動画を通じて、さまざまな人間の声を耳にすることが多くなった。
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そうした動画でよく見かけるのがボイスチェンジャーである。念のために説明すると、これは声を変えるソフトだ。
ずっと以前から、テレビでは、犯人を目撃した証言者が出演の際などに、プライバシーを保つためにボイチェが使われてきた。
だから、聞いたことのある人が大半だと思う。
このボイスチェンジャー略してボイチェが使われている目的は二つあって、一つは変な声になるのでネタとしておもしろいから、もう一つは匿名性である。
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ボイチェは匿名性を狙って用いられているが、その匿名性は大して高いものではない。
テレビで用いられるボイチェは、非常に高級なため、元の声を声紋解析ソフトで解析してもわからないようになっているが、
市販のボイチェやフリーソフトのボイチェというのは、声紋解析で容易に「誰それと声が一致する」と判明するのだ。
声紋解析というと、素人には馴染みがないかもしれないが、解析を行うフリーソフトが存在し、少し使い方を覚えれば、素人でも使える。
よって、素人でもボイチェの声の正体が分かってしまうのだ。
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ただし、声紋解析というのは、ボイスサンプルAとボイスサンプルBが声紋という点でどれくらい一致しているかを見る解析であって、
ボイスサンプルが無い人を割り出すことはできない。言い換えると、声紋解析をする時には、候補となるボイスサンプルを集めてきて、
どれと一番似ているかを判別することになるので、候補が多い時にはかなり面倒ではある。
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さて、ボイチェだから匿名性が確保されると信じて安心するのか、発声のリズムやイントネーションや口癖を変えない人もよく見受けられる。
話の内容には気を遣っても、無意識的な癖にまでは気が回らないようである。
ただでさえ、こうした癖というのは、気をつけていても本人の気づかない部分で露呈しがちなのに、全く気が回らないとなると、
それだけでかなり声紋解析の候補が絞り込まれてしまうのである。
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こうしたことから、ボイチェを匿名で好き勝手話すためのツールとして使うのは危険だといえる。
いわゆる「祭り」「炎上」の状態になろうものなら、ネットの向こう側でたくさんの素人が解析することとなり、たちまち誰であるか特定されてしまう。
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一つには、2chなどの匿名掲示板で我慢するということが挙げられる。
だが、音声で伝えたい場合もあるだろう。その場合には、「ゆっくり」など、音声読み上げソフトを使うのがよい。
そうは言っても、地声をそのまま匿名性の高い音声に変換したいと思う人もいるだろう。そういう場合には、代わりに話す人を置くという手もある。
また、これはお勧めしないが、ボソボソ話すなど声質を普段と変えてボイチェに掛けることで、比較的解析の困難さが増す。
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いずれにしても、匿名性を完全にすることはできないのであって、特定されたら困るようなことを話すからには、覚悟が必要だと思う。
2008年、アニメ界を一世風靡したしたアニメがあった。その名を「ストライクウィッチーズ」と言う。
放送前に誰からも注目されていなかったそのアニメは、斬新な発想と確かな描写をやり遂げ「マクロスF」「コードギアス」というビックタイトルが放送される中、
アニメオタクの支持を一心に得て大成功のまま幕を降ろした。それをきっかけに名を馳せたのが制作会社「GONZO 第5スタジオ」であった。
ストライクウィッチーズ2期を待望される中、5スタが次に手がけたアニメがヤングガンガンにて連載中の「咲-saki-」と言うマンガだった。
コミックス2巻が出る頃にはアニメ化のオフォーがあったと言う人気タイトルである。物語の区切りになる大会決勝戦の終了の目処がつくであろう時期にして待望のアニメ化であった。
「あのストライクウィッチーズを作った5スタが咲-saki-を作る」……原作ファンは歓喜に震えた。実際に放送されたアニメ「咲-saki-」はその期待に応える素晴らしいクオリティであった。
だが、半年の放送を終わろうとしている今、アニメ「咲-saki-」は失敗してしまったと言える。それはなぜだろうか。
当初こそ原作を尊重し、原作の良さをさらに広げる神演出をしていたアニメ「咲-saki-」であった。
原作時の穴の埋めた小手返しの追加、染谷まこの実家の良改変、そしてもっともたる例が第3話でヒロイン原村和が主人公宮永咲を想い、自身の指に口付けするシーンの追加だ。
これは連載版ではあったものの、コミックス収録時に修正された幻のシーンである。それをアニメで復活させた偉業にはすべての原作ファンが大喝采をあげた。
だが、放送が進むにつれてほころび始める。
おそらく最初のほころびはコアな人気を持つキャラクター、鶴賀の蒲原の笑い方であろうか。原作では「ワハハ」と描かれているものが
アニメでのイントネーションが「ワ~ッハッハァ~」なのである。
非常に些細な違いではあるが、ここで初めて視聴者が首を傾げた。だがこの当時はまだ本編の面白さが保たれていたのでさほど気にされず流されていった。
そうした細かい所で未熟な描写が多々あるものの、各個人の「気付き」の能力の差によって大騒ぎにはならずに済んでいたアニメ「咲-saki-」であったが、
ついにブーイングが巻き起こってしまったのが、そう。副将戦での「特急券だー!」である。これはもう原作を読んでいた古くからのファンには到底受け入れられない棒読みっぷりであった。
こんな、演技指導で即座にどうにでもなる一言にゴーサインを出してしまう愚かさ。いかに制作陣の解釈がファンと掛け離れているか痛感してしまう一幕であった。
その「アニメスタッフの解釈の違い」が最悪な形で出てしまうのが決勝、大将戦である。
龍門渕高校、天江衣が出上がりをする際の演出が原作では「爆発」に対してアニメでは「炎上」になってしまっている。
それまで海底撈月と言う「待ち」の上がりで猛威を振るっていた天江が転進、「攻め」に出た時の脅威を演出したのが原作での「爆発」と言う魅せ方であった。
それがアニメでは魅せる事を考えていないような迫力のない炎の炎上でさらっと済まされてしまった。
事実上のラスボスたるキャラクターの一面を確実に削がれてしまった。
さらに致命的なのが主人公宮永咲の必殺技「嶺上開花」を「槍槓」で阻止する鶴賀の加治木ゆみのシーン。
原作ではカンをし、嶺上牌に手を伸ばそうとした所にイメージ演出として槍が降り注ぎ、「その嶺上牌、取る必要なし」とツモを制す非常にかっこいい見せ場の一つであるのだが、
アニメでは宮永がツモろうとするシーンがなかったために「取る必要なし」というセリフだけが原作通りで空回り。
副将戦の原村和vs龍門渕透華のコスプレ的イメージ演出を流用したような安易さも合わさって非常に滑稽な一幕となってしまっている。
このように、初期こそ非常に秀逸であった描写も放送中盤を過ぎたあたりから無残な醜態を晒すようになってしまっている。
この「解釈の違い」は単純に「原作と違う」事が問題なのではない事を声を大にして言いたい。原作と違っても面白い例もある事は「けいおん!」や「大正野球娘。」の成功が証明している。
「咲-saki-」は原作と違ったが故に、つまらない。では何故そうなってしまったのか?
【失敗の原因その2】 大将戦終了を原作連載と足並みを揃えようとした弊害
彼ら、アニメスタッフらはいつからか気付いてしまう。うまく調整すれば「原作連載とアニメ放送で同時に大将戦を終わらせられる」ことに。
それは確かに実現できれば否応なしに盛り上がるであろう。
その為の犠牲に、原作ストックは途中から加速度的に消化されていく。原作連載もアニメが追いつくのを待っているかのように休載を続ける。
元々休載の多い作家であったが、過去例を見ないほど休載が多くなる。そもそもアニメが放送中に連載が休載など前代未聞である。もしこれをただの偶然と思うようなら、とんだお花畑である。
加速した原作消化スピードは細部に配慮する余裕がなくなり、あれほど秀逸だった演出は見る影もなくなる。
(予断だが、「ストライクウィッチーズ」を当初からその演出の秀逸さで評価していた某ブログは、咲-saki-も考察対象にしていたものの決勝先鋒戦を最後に筆を取らなくなっている)
ただトレースするだけならともかく、先へ先へと進めるために緩急がなくなり、落ち着きのない展開になってしまっているせいで「麻雀」という「静」の闘いにアニメ的「動」を与えた
初期の秀逸さも当然なくなる。
かつてアニメ「とらドラ!」が原作文庫刊行とアニメ2クール放送終了の足並みをそろえようとし、文庫1冊分をアニメ2話で消化し、描写が圧倒的に足りなくなり、
説得力もなく感情移入も出来ない無残な結果になった。あの過ちに近いものを「咲-saki-」はやってしまったのである。
【失敗の原因その3】 個人戦
放送途中で原作に追いついたアニメは当然オリジナル展開に突入する。そう、個人戦である。今まで登場した多くのキャラクター達が今度は一人一人の戦いをする。
あのキャラとこのキャラが戦ったらどっちが強いだろう? そんなファンなら誰もが想像する夢の対決の実現。それを放送途中で原作と同時に終わらせ、余った尺を使って実行した。
だが「アイシールド21」を例に、オールスター展開がいかに失敗するか論じられたのはまだ記憶に新しいだろう。
その上、今まで登場してきた多くのキャラクター達の見せ場をたった数話で見せようなんて到底無理な話である。
そんなアニメ「咲-saki-」がオリジナル展開で何をしたかと言えば、原作で一度やった事の再利用である。
咲は一人で迷子になり、和はそれを追いかけ叱り、タコスは試合数を勘違いし、部長は牌を叩きつけ、京太郎はパシリにされ、キャプテンは開眼し、
かおりんは「みっつずつみっつずつ」をし、むっきーは「私なりに精一杯」と言わされてしまう。
アニメオリジナルとして新しい物が何一つとしてない、実にみすぼらしい作劇である。
唯一の要素としてあるアニメオリジナルキャラ、南浦数絵も「南場になれば強くなる」というタコスの類似能力しかなく、なぜ南場で強くなるかと言う理由付けもなく、
人数不足で個人戦にしか出場できなかったというおいしい設定を与えられながらも大多数のキャラと絡むことなく消えていった。
そしてアニメの不出来さは頂点を迎える。そう、個人戦の結末だ。それまでアニメ「咲-saki-」の劣化に気付かなかった最後の極少数もさすがにNOを突きつけてしまう。
これこそがアニメスタッフの未熟さが最大限に表れた結果であった。
「個人戦の結果」という事実を持って、すべての視聴者がアニメ「咲-saki-」は失敗していた事に、ようやく気付いたのである。
個人戦終了後、最終回に向けて全キャラクターが一堂に集結する合宿に入る。個人戦ですら持て余していた大人数をたった2話の合宿で活かせるはずもないのは言うまでもない。
だがそれでも一応の体裁を整えた展開をもってアニメは放送を終えようとしていた。
そのラスト2分。
全国区のキャラクター達が大挙して登場する。その特徴的なデザインは原作者が連載のために先行してデザインしたものであろう事が容易に察せられる。
そんな魅力的なキャラクター達が派手な活躍をダイジェスト的に見せる映像の興奮度の高さが逆に、物語として前後の描写の必要ない場合、すなわち原作の優秀さだけを借りてきた時に
その魅力を最高に発揮するという証明になってしまったのは、何とも皮肉な幕の引き方である。
「咲-saki-」という作品は魅力的だ。それは誰しもが認めるところだろう。だがアニメとして他者に渡った場合、必ずしもその魅力を維持し続けるとは限らない。
アニメ「咲-saki-」は優秀な原作を無駄に消化し、せっかく神アニメになり得たチャンスを逃し、「GONZO 第5スタジオ」と言う台頭していたネームバリューをも失墜させた。
見紛うことなき『失敗』である。
カラオケで歌いたい曲と実際に歌う曲が乖離している点について。
歌いたきゃ歌えばいいんですが、自分の音域と歌いたい曲の音域が違うんで歌えない。
歌自体の音域が低音から高音サビになると手が付けられない!
♪みつめあーうとーのところとか死亡。
出だしをくわっツンのように低く歌いサビへ~は絶対無理で、最初からキーを高くしとかないとサビへの綺麗な音域移行がでない。
高音へ徐々にあげていければいいが
例)ソラシドレミ
低音から高音裏声への切り替えで歌えない音域が出てくるもんだから
例)ソラ×××ミ←×の所が出ない
苦しい。この辺歌手スゴー!!
という訳で、勝手な経験としてポルノは歌いやすい。ユーミンも。
別にどちらかといえば好きだし構わないが、ミスチルとか鬼束歌いたいんだ・・・。
ミスチルは最近のが昔より音域広がって?(低音が更に広がった)挫折気味だし
鬼束自体は音域問題ないが、元々高音で歌う+発声イントネーションがやばい。
声が低いから自分の高音域の声がキモイし上手くないのは機知だどもさ、悲しい。
練習するしかないのかな(´・ω・`)
本気ってのは嘘なんですけど、
いやー、Perfumeですよ。
性的には14歳最強論者なので、特別ショックとかもなくて
ふと思うのがあれだ。ゴリ。
やっぱ今までゴリは一番がんばってきてるわけよ。
要領よくやってるなかで、
とにかくPerfumeのためにまっすぐがんばってきたの。
世間に知られるようになるとさ、
けど、ゴリはウザイとか妊婦とかスモウレスラーとかラテンの血とか
しずちゃんとボクシングやれとかサックされたとこ見たことないとか
バナナでも食ってろとか語尾はウホにしろよとか言われちゃってさ。
それでも、前向きにがんばってればなんかいいことあるかもって
ゴリはまだまだウホウホとがんばっちゃってるわけ。
そうやってウホってるゴリを見てるくせに、
ひとまとめでPerfume便器だなとか言われちゃって。
イケ山メン蔵に優しく抱いてもらってウッホーイイって。
けど便器。処女なのに便器。どよーん。
ウホも下がり目のイントネーションになるわ。ウホー。
クラスで劇みたいのやりマースとかなってさ、
カースト下の身分だし、どうせ見返り的なものもないしって思いながらも、
カースト上位の女の子にちょっと声かけられて舞い上がっちゃったりすんの。
で、本番。劇うまくいったねー、最高だったねーなんてやってたら、
要領よくサボってたイケメンが、二次会ではやっぱ主役になっちゃってさ、
俺は7時くらいで家に帰ってるときに、
「最初だけだけど、生挿入とか…しちゃった、エヘ」だって。なにそれ?
あー所詮俺ががんばったところでな…みたいにさ。
結論として、
・のっちとやりたい
・かしゆかと付き合いたい
・俺、ガンバ!
ってなった。
これで来週はゴリが撮られてたらいろいろごめん。
結論は変わらないけど。
偶然ですが1ヶ月ぐらい前、似たような事がありました。
帰宅して携帯を開くと、外出中に知らん番号からかかってきていたのを発見。
「よくわからないけどこの番号は知らないな、知り合いだったら向こうからかけ直してくるだろ」と思い放置。
次の日は休みだったので家でネットサーフィンしていると同じ番号から電話。
出たあとの会話は元増田さんとおおむね同じで、
俺「もしもし」
男『もしもし』
・・・
俺「どなた?」
男『ん?声でわかるっしょ?』
俺「いや。どこでこの番号を?」
(プツッ)
—終了—
男は、関西風のイントネーションではなかったですが若い男でした。
まぁそもそも、普段俺に電話かけてくる友人なんていないから知らん番号からの電話って時点で怪しい電話なのは確定的に明らかだったりするんだが・・・
これは別の話(つд`)
見知らぬ090番号をさらしてかけてきたので、出てみたら第一声が「もしもし?今平気?」。
知らない番号だし、知らない声だったので、「どちら様ですか?」と聞くと突然電話が切れた。
そして、また再び同じ番号から着信。で、出てみたら、
男「ごめんごめん、電波悪くて、切れちゃったみたい。」
私「あの、どちら様ですか?」
男「この声、わかんない?」
私「は?どなたですか?」
男「わかんないの?ほんとに?そんなあ。・・・」
で、また切れた。
これって、振り込め詐欺だったのかなあ?
最初の電話の時点でこっちが若い女の声であることはわかるはずなので、振り込め詐欺のターゲットにされた可能性は低いと思うのだが、2回電話がかかってきた事が怪しい。
逆に若い女がターゲットのいやがらせ電話なら、名前言わせないだろうしねえ。
「この声、わかんない?」で何か答えていたら、なんか振り込め詐欺っぽい話を進めるつもりだったのかな?
ちなみに関西弁イントネーションで、あんな投げやりで下品な喋り方する知り合いはいないし、いりません。
眠ってたところ起こされてこんな電話でかなり腹が立ったのだが、どう対応したらいいんだろう?
今element kって会社のEラーニングコースをひとつやってみた。
異文化コミュニケーションについてのコース。
で終わってみて思ったのは、これをモテ男や女との会話に適用してみたらいいんじゃねと。
彼彼女らが完全に異文化の人と思えばこっちも慎重になれるし、同じ島国の人間としての共通点が見つかれば妙に得した気分になるし。
ただあのローカリゼーションは糞だった。
日本語音声のイントネーションは怪しいし、テキストは誤字脱字があるし。
あれなら全部英語の方がマシ。
ACMはオンラインコースの提供者をelement kからSkillSoftに戻して欲しい。
SkillSoftは常に音声と一緒にテキストを表示してるから、要所以外では音声だけのelement kほどは英語オンリーでも問題ないし。
普通に、プリーズモアスローリーって言えばネイティブイングリッシュじゃなくて、第2外国語を英語とする人用のイージーイングリッシュでしゃべってくれるから、その辺は普通にいえばいんじゃね?
日本人だって、外国籍人相手には比喩とか古典からの引用とかしねーだろ?それといっしょ。文化に根付いた言い回しをするかしないかで、聞き取りの難しさって変わってくるから。それは、ちゃんと、相手に、ネイティブ使わないでって言えばOK.
ぶっちゃけ、日本人が英語出来ないってのは、Helloを恥ずかしがって言えないでチャンスを逃すのと、相手にネイティブ無理って恥ずかしがって、伝えられないのと、ハリウッド映画を吹き替えで見ちゃうのが悪いと思う。
せっかく洋画みるなら、字幕で見て、耳を英語にならして、発音を『まねる』べき。
恥ずかしがってマネしないで、カタコトでフラットにしゃべるからイントネーションが変。いずれにしろ、恥ずかしがるのさえ辞めれば、コミュニケーションは取りやすくなるはず・・・だと。思う。経験上。
みんな大好き英語の話。
たまたまこれとか見てて思ったんだけどさ。あとはてなでも定期的に英語出来そうに見える言い回しとか流行るけどさ。そもそも聞けないとどうしようもないよね。
日本人の英語でネックになるのは、圧倒的に、話す能力よりも聞く能力だと思う。話す方はさ、そんなに通じないってことはまずなくて、そりゃいくつかLとRとかTHの発音あたりが原因で通じないってことはあるけど、逆に言えばそんなん数えるほどで、大抵は通じる。通じなかったらその時点で日本人の陥りがちなポイント(上に書いたLとRみたいなの)を注意して言い直せばOK。どうせ他のノンネイティブだってお国訛はバリバリあるし、誰もそんなこと気にしちゃいない。関西人が東京行っても関西弁を押し通すノリでカタカナ英語(抑揚が英語風でないという意味で)で話しててOK。ゆっくりはっきり言えばちゃんと通じる。
でも聞く方は全然聞こえない。話す方が10割のうち9割なんとかなるとしたら、聞く方は10割のうち1割しか出来ない感じ。完全に逆転。1割って、はっきり言って全然分かんないってことだから。こういうのって俺だけ?TOEIC/TOEFLのリスニングセクションとかNEWS英語あたりがかなり聞き取れるようになっても(こうなるまでにも、ものすごい時間かかってるわけだが)、実践では全然使えない。相手がかなりゆっくりはっきり特別に話してくれてようやくコミュニケーションとれる感じ。自分以外の人達の会話を理解することは殆ど出来ない。これって毎回屈辱。相手する側も、俺が喋る英語のレベルと聞き取れるレベルに違いがあり過ぎて毎度びっくりするようだ(だから喋りが出来てないってことはないと思う)。
耳からインプット出来ないので当然上達も遅い。正直、何年も英語に費やしてるけど、全然出来るようになる日が来る気がしない。もう英語圏では耳が悪いってことにしようかとさえ思う。これ、無理矢理留学とかしたらなんとかなるんだろうか。留学経験者のみなさん、どう?そのへん。
どうも、いわゆる英語ペラペラ幻想っつーのか、英語風のイントネーションなんて対日本人向け英語出来る人武装として有効なだけで、実践的にはあんまし必須じゃないよね。そりゃ語学そのものが仕事な人とか、上のレベルになったらそれが自然なんだろうけど、その他大勢にとってはどうでもいい(優先順位が低い)。偉い先生でも専門家でも、ベタなカタカナ英語で堂々と話してるよ。他国のノンネイティブだってみなそう。
つーか俺の疑問はこうだ。そんな自然な言い回しとかイントネーションとかが問題になるほど、みんな聞く方はパス出来てるのか?そんな先を行ってるのか?こんなに聞くのに苦労しているのは俺だけなのか?
PS このエントリのポイントは、話す能力と聞く能力のバランスです。イントネーションも自然な言い回しも否定しませんが、もっと先にやることがあるだろうと。
人に公開するのが前提じゃなくて、公開もできるよ、位のスタンスになってる音声メモ記録サービスが欲しい。録音システムがこえ部や midomi、VOON みたいなのにプラスアルファしたような感じで、雰囲気が Google Notebook みたいなやつ。
音声は、携帯からでも PC からでも(あとよく知らないけどスマートフォンの類からも)さくっと聞ける・送れるとナイス。
携帯は録音→アップロードをスムーズにこなせるアプリなんかがあると便利だと思う。現状でできるかどうかは知らんけど。それが無理だとしても、動画撮影機能より音声メモ機能の方が立ち上がりの早い機種が結構あるから(ソースはないけど)、3gp だけじゃなく qcp とか amr とかの変換もサポートしてくれるとダディクール。
あと、J-sky 系のとこはかなり昔から web ブラウザでファイルをアップロードできてたんだけど、よそのとこではできないらしく、未だに携帯でアップロードと言うとメール一辺倒だったりするから、その辺考慮してくれたら嬉し涙ちょちょ切れる。メールだとパケット定額制が適用されず(割引はされるけど)従量課金だから、web 経由の方が気軽にどばんどばん使える。
そういう背景があるから、個人的には電話をかけて録音するシステムは別にいらない。電話って何かおっかないし。
PC から録音する場合は、ファイルのアップロードも flash を使ったブラウザ経由の録音もどちらも可能だとかっこいい。
音声自体の編集はできなくていい。エフェクトなんかも一切いらない。ただ、タグ付けと音声同士の関連付けがばりばりできるといい。そういう情報と、いつ頃に録音したものかでごっつり検索かけられると便利。
以前ネットラジオの音声を自動でテキスト化する試みしてるっぽいとこ見かけたけど、そういうとこと連携してみるのも面白いかも。
そういうシステムでもって、なおかつ、ネットで声遊びをする人や、出会いを求めてがつがつする人のアンテナに引っかからないようなストイックなつくりになってるやつ。儲からなさそうだけど、そういうのを求めてる人は自分以外にもいると思う。
声が絡むサービスって、自分がぶち当たってきたものはどれもこれも「誰かに聞かせる」ことがメインで、そういう前提でシステムが組まれてた。コミュニケーションとか、エンターテイメントとか、その辺を目的にしてるから、どうしてもそこいらを意識しないと使えないつくり。そういうのじゃなく、あくまでユビキタスな音声メモってコンセプトのサービスが欲しい。
音声はデフォルトで非公開になってて、友達に音声送る機能とかその辺は一切つけない。送りたけりゃファイルダウンロードして自分でメールなりなんなりで送ってねって姿勢。
ページ下のリンクより「翻訳サイト/オンライン辞書 Translation / Online Dictionary」へ
関西で生まれ育ったけれど、方言が苦手な人もいるようなので、人前で話す時はなるべく
自分でも、聞き苦しいかなと思うくらいに素のイントネーションは酷いのだ。
興奮したり面白がったりすると出てしまうので、仲良くなった人や、慣れた場所でだけ
(=私が方言まるだしでも嫌がらないと解った人の前だけ)方言で話すようにしていた。
しかし、今日うっかりと、関西出身の人と話してイントネーション丸出しにしてしまった。
職場の人に関西の人だったんだ!って軒並み言われてげっそりした。
原因になった人は、関西人は関西人同士で引き合うんですよねwって誇らしげにいってるし、
今まで以上に方言丸出しで話し始めた。しまいには、私にまで方言を話させようと、「飴のこと何て言う?まつたけってどう発音する?」とニコニコしながら言い出す始末。
方言を別に何とも思ってない大阪人もいるんです。どちらかというとコンプレックスみたいに思う大阪人もいるんです。確かに私にとって身近なものでもあるけど、素朴な感じで大切にしていければいいので
別に主張するほどのものでもないと思っているです。
まぁ昔、「関西人は方言を前面に出すからウザい」とか「面白くないやつほど方言で話す」とか
知り合いが陰口言ってたのを気にしてるってのもあるんですけどね。
なんか自分の言葉がすげー嫌になる。なんでこんな癖あるんだコレ。
明日からはまた東京の人の中にまぎれて生活しようと思う。
ふと鴨がネタ背負ってきたので。
私が吐いた言葉がこれ。
http://twitter.1x1.jp/search/?source=&keyword=%E3%82%AC%E3%83%90%E3%83%AA+kkshow&lang=
で、引用先がこっち。
http://twitter.1x1.jp/search/?source=&keyword=%E3%82%AC%E3%83%90%E3%83%AA+-kkshow&lang=
この人たち、バタリしなくてもガバリして全文引用して再POSTしてるんですよね。
違うのはイントネーションだけというところ。
ここは私の国の訛りなので変えたのでしょうが、それにしてもなかなかひどい。
むろん、断りなしですね。
Twitterのモードをプロテクトにしないといけないのかもしれません。
バタリな時代です。
ちょっと思い出した。
先日都内でちょっとした会があり、全国から沢山人が集まったのだが、その中に近畿圏出身の若い女性がいた。なぜわかったかというと、言葉のイントネーションを直してなかったから。にこにこしてて、すごく丁寧な言葉遣いで、でも語尾と抑揚が関西弁。他の地域から来たひとは皆標準語に直してしゃべってたからけっこう目立っていた。
「大阪出身の方ですか???」
「やっぱり!言葉がずいぶん訛ってるなって思ったんですよね!絶対東京じゃないって」
そこで「訛ってる」という表現をした女性に俺はちょっとした悪意みたいなのを感じたのだが(なんといっても口調にトゲが…)、その大阪生まれの女性はにこにこしたまま
「でしょう? 直そうとしてもそんな隅から隅までは直らへんし、中途半端に直しても気持ち悪いだけやから、このままにしてるんですよ。何より、覚えてもらいやすいでしょ? 大阪弁しゃべる滋賀の○○です! よろしくおねがいします」
と、さっと名刺を出し、相手の女性はちょっと毒気を抜かれたようにソレを受け取ってた(しかもその後、意外に会話がはずんでいるようだった)。
まったくなんてやつだ人生は。結局勝ち馬に乗ったやつが勝つゲームじゃねえか。僕は今日も布団にくるまってそう呟いた。だから成功するか、しないかなんて確率なんだ。よって、僕はここから動かなくてもいい。布団のなかはとてもあたたかで、やわらかくて、僕の汗の臭いがする。もういい加減干さなきゃだめだろう。しかもそろそろ布団を薄くしなきゃならない季節だ。面倒すぎて気がめいる。時間なんか止まっちまえばいいのに。
新着メールは来ていない。就活で出合った岡山の女の子と先ほどまでメールをしていた。しかし、もう返ってこなくなった。だいたいからして口説く気がまんまんに満ち満ちたメールを返してくるほど今の女子は暇ではない。ま、今までがラッキーだったということで。
とりあえず言い訳をして、僕はテレビの電源を入れた。DVDの電源もつけて、いつものようにCUBEの映画を見る。もう何回も見ているから、内容は諳んじている。僕はこの映画が好きだ。現在の社会で生きている僕らの人生はこの映画と同じような状況だと思う。その中であがく彼らを見るのが好きだ。そして、どうにもならない結末だからこそ、余計リアルだ。
淡々と進む映画を見ていると、いつも僕は自分が皮肉屋で、動きたがらない登場人物、ワースになったような気分になる。こいつの気持ちがすごくよくわかる。初めて見たときはすごくいらいらした。知識持ってんだから動けよ馬鹿、と言いたい気分にもなった。しかし、バカでっかいCUBEみたいなこの社会では、こいつの立ち位置が一番楽なんだ。誰にも迷惑をかけない確率が高いからだ。女の子に後ろから笑われることもない。グループディスカッションで誰かの足をひっぱることも、ひっぱられることもない。だから役員面接で緊張と圧迫でボロクソに評価されることだってない。学校で「イラっとする」と陰口を叩かれ、うざいやつという烙印を押されることもない。布団は本当に暖かい。
未練がましいやつだな、と自分でも笑う。メールのタイトルをちゃんと消せているかを確認する。ふと、昔の彼女を思い出す。Re:とかついてると何故か怒り出したっけな。僕にはいまだになんで消さなきゃいけないのかわからない。本文を読んでいると、つとめてやる気をださないようにしている僕の努力がよく見て取れた。たしか考えたテキストの量はこの三倍にはくだらないと思う。書いては消し、書いては消しでようやくできたこの結晶には、やっぱり不備が残っていた。東京に出てきたら云々、って書いちゃった。ダメねー、あたし。こうなっちゃうとだめね。
岡山の女子から送られてきたメールを見る。絵文字がとても可愛い。実際はもっと端正な顔をしているのに。じゃけん、とか時々標準語のガードからすりぬけて出てくるそんな言葉のイントネーションにすごく悶えさせられた。でも、そのあとの恥ずかしい表情がもっと可愛いんだ。だけど、メールはもう返ってこない。
きめぇな、自分…
自分で呟いた。画面では、クエンティンが独善性を発揮している。いいぞ、もっとやれ。お前みたいなのがいてこそ世界は回るんだ。セリフを口パクと同期させて発音してみた。数度やって、疲れた。なんで俺はこんな何回も見たDVDなんか見てるんだ?やり場のない怒りは、脳内で環境と化した登場人物たちに向くことはなく、ただ自分のなかの焦燥感に変換されただけだった。布団のあたたかさがじれったい。だが、僕はもっとそれにくるまった。露出した足に布団をたぐりよせ…
どうやら、眠っていたようだ。何分ぐらい寝たのかな?画面を見ると、クエンティンがいないぐらいなので、そんなに眠っていたわけじゃないだろう。佳境ってやつか。見すぎてなんとも思わないけれど。焦燥感はまだ残っている。腕の付け根あたりがうずうずしているのがわかる。動悸を感じれば感じるほどそれは早くなっていく。生きているのは面倒だ。僕みたいな馬鹿はうごかないほうがいいんだ。そう、ちょっと前までのワースのように。この売り手市場で、内定が出ないのは僕が馬鹿だっていう証明じゃないか。そう誰かも言ってたのを聞いた。バイト先だったかな?…それからのバイトは全部ブチった。電話も無視。だいたい、今の時間に動いたって何にもできないだろう?あたりを見る。夜だ。もうそろそろDVDも終わる時間だな。
ふと足元で、何かが青色に光るのを見た。なんだろ?
携帯が落ちていた。これってことは。拾い上げて、ボタンを押す。メールが来ていた。サイレントにしてたんだな。
そう思ってメールを開く。
そのメールの内容はよく覚えていない。ちょっと前のことなのに。ただ、東京に出るときに絶対連絡します!って内容と、ハートマークの絵文字がふたつ入っていたことは覚えている。あと、もしかしたらGW明けに本社面接が入るかも、って書いていてくれたのも覚えてる。なんとなく、年甲斐もなく嬉しくなった。もう充分に僕は諦めていた。今までのことすらラッキーだったと、本当に諦めていたのだ。それが、こんな形で、彼女が、僕に、返信してくれるなんて。何故か涙が出そうだった。馬鹿みたいだってことはわかってる。だけど、胸が一杯になって、ありがとうって気持ちすらわいてきた。GW明け、か。どきどきする。わくわくもする。テレビの画面をふっと見た。ワースがレブンの手を握ったところだった。ワースが立ち上がろうとするシーンだ。手を、握ったんだ。死ぬな。死ぬな。何度も見ている映画のシーンなのに、記憶が出るのが一瞬遅れた。その一瞬ののち、あのシーンが、あの顔が、この液晶画面いっぱいに…。僕は、目を瞑っていた。はじめてのことだった。今は、ワースには殺されて欲しくはなかった。そう、今は。レブンにも、殺されて欲しくはなかった。ちらっと、やる夫のように、片目をうっすらと開いたとき、写っていたのは
カザンの、そう、脱出のシーン。
嫌いだったこのラストが、今は、ちょっとだけ、わかるような気がするなぁ、と思えた。理解なんかじゃなかった。同意の写像に近いものだった。
だけど。だけど。僕は少しだけ今日は思う。どんな人間でも、どんな馬鹿でも、一歩を踏みしめて歩きだすことは、このようなものなのかもしれない。
神々しい光に満ちて、まだ見ぬ未来が待っているような。
気がつけば僕は親しんだ布団から這い出て、メールの返信を頭の中で妄想しながら、パソコンの前に座ってGW明けに着ていく服を探している。今着れるのはボロボロの茶色いパーカしかないから、それじゃ不釣合いだろう。まだ見ぬ未来ってやつには。
「はーい」
イントネーションは尻上がり気味に。サザエさんにおけるイクラちゃんのそれに極めて近い。
ただし何の前触れも無く、というか、相手が言い終えるか終えないかのまさにその瞬間を狙いつつかぶせる感じで、
少し先走り気味に、突っ込み気味に繰り出すのがコツのようだ。
いつ頃から普及したのかはわからない。
最初は驚きとともに不快だったが、今は興味深くウォッチするようになった。
何でこんなものがでてきたのだろうか。
むしろ日本語の「はい」より、英語の「Hey」を模したものなのかもしれない。
英語というよりは、日本語吹き替えにおける「ハーイッ!ビル」から切り出されてきた感じかもしれない。
ら行やさ行が、英語っぽい「るぅ」「れぇ」とか「すぃ」に置き換えられるようなことは今までもあった。
その亜種と考えてよいのだろうか。
相槌として少し前までは「そうですねー(棒読み)」があった。
こちらは相槌としての機能を果たしながら、さらりと受け流す感があった。
これはちょっと冷たすぎると思ったのか、「はーい」はそれよりも積極的だ。
むしろ「相槌する私」を主張せんばかりの勢いで発せられる。