お笑いとは偏見を振りまいてなんぼの芸であり、昨今ブームの「傷つけない笑い」であっても偏見を逆手に取ってるだけで偏見があるからこそ笑いが起きる
しかし同じ偏見ネタでも笑えるものとムカムカするものがあり、その違いは芸人のキャラや話芸の腕にかかっている
モモのネタは、「ヤンキー顔」の人と「オタク顔」の人がお互いにそれぞれへの偏見を述べ合うという構成で、「偏見する人」自体を笑ってるのであり、「オタク」をルッキズムで馬鹿にする笑いではない
自分も導入部のプリキュア顔のところでモヤモヤを感じたが、「ヤンキー顔」と「オタク顔」の偏見バトルはどんどん斜め上な内容になっていくことで「この偏見を持ってる2人が異常なことを示してるんだな」という構成だと分かって終盤は普通に笑ってた
それでも笑わせられない人がいたということは芸人としてまだまだだということだろう
https://anond.hatelabo.jp/20211220115523
(ヤンキー顔への偏見については何も感じなかったのかな?増田にもヤンキーへの偏見投稿が肯定的に人気エントリになること多いよね)
例の松田聖子と神田正輝の会見に対する反応をSNSで見てて思った。
事件の内容はともかく、なんか昭和から平成初期の頃までのニュースだと、ああいう映像よく見た気はするんだよね。
事件性のありものだけじゃなくて、普通に天寿を全うした有名人の場合でも、最近は葬儀とかは身内で済ませてしまってカメラはいらないことが多いし。
テレビの画面だけじゃなくて、社会生活してても、もともと葬式というのが昔ほど呼ばれないものになっているし、コロナ以降はその傾向強まったから、あんまり遺骨の箱自体、見たことがない人が多いのかもしれないな。
日本人は特に遺骨に対する思いがつよくって、焼き場で遺骨に拾うのにお作法があったり、あの白い布で箱を積んで運ぶ風習は日本独自のものだという。
個人的に親のやつ持ったけど、まあ壺の種類にもよるのかもしれないが、あれは思ってる以上に思いもんである。
とくに、戦時中、戦地から帰った遺骨を運ぶ作法として定着したという話も聞いたことあるけど。
そういえば、戦中戦後のニュースフィルムでは、やたらとあの布で包んだ箱をもった遺族の映像とか、よく見るような。
子供の頃、なんどか電車であの箱を運んでる人を見た記憶があるんだけど、最近は見ない。自分がたまたま見ないだけなのが、遺族が遺骨を運ぶような機会が全体として減ってるのかは知らないが、なんとなく死に関するものはショックを与えるからどんどん社会から見えないようにしましょうという圧力があるような気はする。
自分の中では漫画を読むのに比べてアニメを見るのは消費MPが著しく大きいので漫画原作のアニメを見る前に原作の漫画を先に読んでしまいアニメを見る気が失せてしまう。しかしオリジナルのアニメは面白いのか面白くないのか分からないので高い消費MPを支払って見ることがない。よって漫画ばかり読んでいる。アニメは見ない。
よく映画とかドラマのラブシーンでベッドでまぐわった後、そのまま寝たり、ピロートークしてたりするじゃん
そーゆーの見るたびに、色々な汁がシーツとか掛け布団に付いちゃわないの?大丈夫?って心配になる
私生活でも同じような問題があって、実際したときによごれた部分ってみんなどうしてんだ?って思う
お前、今髪触ったけどそれさっきまでチンチン握っとった手だろ!みたいな
相手の穴に突っ込んでぬるぬるした指とかちゃんと拭かないとどこも触れやしない
自分はだいたいティッシュかバスタオルを用意してそこで拭いてるんだけど
(昔、洗面所に手を洗いに行ったら冷めるわーってなって険悪になった)
実際みんな、どうしてんの?
女性も自閉的な人多いよ
自他の区別がついてないから、二次元の女の子キャラが性的に消費されたら、自分が消費されたと思い込んで過呼吸になり、動悸と涙が止まらなくなり、足から崩れ落ち、失神しそうになり
相談してもどうにもならない人はいる。例えば、治らない病気で苦しむ人はどこに相談すればいいのか。
そもそも死にたい気持ちを認めてくれる場所がないじゃないか。相談したところで、死ぬのを止められるだけ。苦しみを無くしてくれるわけじゃない。どうにもならない人を誰も助けてくれない。
電話番号が出るたび、誰でも相談すればどうにかなるような社会風潮に反吐が出る。
生きる事だけが正しいの?
安楽死を望む人もいるんだよ。
ここは政治、性別、犯罪等の社会的な話ばっかりだけどどういう層で生活している人がこういう話を好むんだろうか。
一応一部上場企業の総合職だけど会社では仕事以外はくだらない話しかしない。
日本を代表するエリートの世界に住む人はこういう難しい話が標準的な話題なんだろうか。
年をとっても知らないことばっかりだ。
✌️ (,,👁👅👁,,)
なんか新しいキーボードを買って嬉しいからひたすら文章を書く。書く内容が特に思い浮かばないので頭に浮かんた文章をただひたすら描き続けることにする。牛、馬、さる、キジ、リボンの騎士、岡本太郎。もうダメだ思いつかない。これ以上のボキャブラリティを自分は持ち合わせていない。笛のガムの正式名称って何だっけ。そもそもあのガムは笛の機能はオフィシャル公認のものだっけ。そもそもガムだっけアメだっけ。駄目だ。この世界のすべてが曖昧になる。もうガムでもアメでもいい。何だって受け入れる。お腹に入れば全部同じことだ。ガムはお腹に入らないかもしれないが、それでもいい。すべてを受けれ入れた先に見えてくるものもある。サロンパスもサロンパスの類似品も成分はだいたい同じだって薬局の人がいっていた。だから安い方を買ったほうがいいと。でも自分はサロンパスを買っていた。薬局の人を信用していないわけではない。そういうところで目先の小銭を拾うことは巡り巡って損をすることになると信じているからだ。ポイントカードも持たないことにしている。自分は楽天の奴隷になりたくない。Tポイントも捨てた。Yahooがうるさかったけど全部無視した。最近はコンビニの店員もいちいち聞いてこなくなった。これは自分がどうこうというより世間の流れかもしれない。ココ壱は相変わらず聞いてくる。そのへんで小売業の下剋上というか、我こそが次の盟主になると野心を持っているか持っていないかの違いが現れているような気がする。共同体における王の存在というのはそういうものだ。共同体の中心であり外であり、王であり奴隷である。役目を果たせない王はすぐに交換される。民主主義はその構造を下部に押し付けているだけに過ぎない。それにしてもこのキーボードいいな。ほとんど手首の位置を動かさずに大半の入力を行うことができている。ただやはりカーソルの操作に関してはまだぎこちないところがある。すべてのソフトがhjklで操作できるわけじゃない。やはりカーソルの操作からは離れられない。やはりファンクションキーは小指で押すべきだろうか。押すべきなんだろうな。でもそうすると一番多用する下移動の操作がぎこちなくなる。慣れの問題だろうか。箸の持ち方は学校で矯正されたけどキーボードの操作方法は学校で習わない。今は違うのかな。そうかもな。今は違うだろう。何もかも前提が違う。世の中変わってしまった。こち亀は終わり元号は令和になった。令和になってもハンターハンターは連載再開しない。ハンターハンターの第一話をリアルタイムで読んでいた世代でハンターハンターの最終話を生きてるうちに見られるのは全体の何割くらいだろうか。自分はどちら側に属するだろうか。ハンターハンターの前に連載されていたレベルEの最終話は未来の話だった。その未来の日付は2004年の12月20日だった。もう16年と1日前か。レベルEはリアルタイムで読んでなかったけど、2004年の12月より前には読んでいた。その2004年に生きているのがなんだか不思議な気分だったのを覚えている。
男の方がコミュニケーション能力も低いし発達障害だぞ
女なんてみんな発達障害みたいなもんだろ