なんか新しいキーボードを買って嬉しいからひたすら文章を書く。書く内容が特に思い浮かばないので頭に浮かんた文章をただひたすら描き続けることにする。牛、馬、さる、キジ、リボンの騎士、岡本太郎。もうダメだ思いつかない。これ以上のボキャブラリティを自分は持ち合わせていない。笛のガムの正式名称って何だっけ。そもそもあのガムは笛の機能はオフィシャル公認のものだっけ。そもそもガムだっけアメだっけ。駄目だ。この世界のすべてが曖昧になる。もうガムでもアメでもいい。何だって受け入れる。お腹に入れば全部同じことだ。ガムはお腹に入らないかもしれないが、それでもいい。すべてを受けれ入れた先に見えてくるものもある。サロンパスもサロンパスの類似品も成分はだいたい同じだって薬局の人がいっていた。だから安い方を買ったほうがいいと。でも自分はサロンパスを買っていた。薬局の人を信用していないわけではない。そういうところで目先の小銭を拾うことは巡り巡って損をすることになると信じているからだ。ポイントカードも持たないことにしている。自分は楽天の奴隷になりたくない。Tポイントも捨てた。Yahooがうるさかったけど全部無視した。最近はコンビニの店員もいちいち聞いてこなくなった。これは自分がどうこうというより世間の流れかもしれない。ココ壱は相変わらず聞いてくる。そのへんで小売業の下剋上というか、我こそが次の盟主になると野心を持っているか持っていないかの違いが現れているような気がする。共同体における王の存在というのはそういうものだ。共同体の中心であり外であり、王であり奴隷である。役目を果たせない王はすぐに交換される。民主主義はその構造を下部に押し付けているだけに過ぎない。それにしてもこのキーボードいいな。ほとんど手首の位置を動かさずに大半の入力を行うことができている。ただやはりカーソルの操作に関してはまだぎこちないところがある。すべてのソフトがhjklで操作できるわけじゃない。やはりカーソルの操作からは離れられない。やはりファンクションキーは小指で押すべきだろうか。押すべきなんだろうな。でもそうすると一番多用する下移動の操作がぎこちなくなる。慣れの問題だろうか。箸の持ち方は学校で矯正されたけどキーボードの操作方法は学校で習わない。今は違うのかな。そうかもな。今は違うだろう。何もかも前提が違う。世の中変わってしまった。こち亀は終わり元号は令和になった。令和になってもハンターハンターは連載再開しない。ハンターハンターの第一話をリアルタイムで読んでいた世代でハンターハンターの最終話を生きてるうちに見られるのは全体の何割くらいだろうか。自分はどちら側に属するだろうか。ハンターハンターの前に連載されていたレベルEの最終話は未来の話だった。その未来の日付は2004年の12月20日だった。もう16年と1日前か。レベルEはリアルタイムで読んでなかったけど、2004年の12月より前には読んでいた。その2004年に生きているのがなんだか不思議な気分だったのを覚えている。