代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。
植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。
日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。
何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。
覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。
カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。
つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。
けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。
そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。
ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!
引用の手垢に馴染んだ一節だけど、僕はこの考え方が好きです。
今となっては逮捕できる時代になったのに元増田はそれを知らないで書いたんだな・・
昔なら必要だった複雑な手続きをすっ飛ばして訴訟を起こせるようになったよ
ちなみにログからアクセスした回数や閲覧した種類で利用したユーザーにも負担をけることができる
以前だったら運営相手だけから損害賠償を取るのは難しかったものが
今はアクセスログからユーザー側にも損害賠償を請求できるから取り分が確保できるってのがポイント
みんながみんなぜんぶ気づいているわけじゃなくて、一人気がついたやつがアップすればあっという間にみんなが知ってる状態になるというだけ。
に限らず「自民党のその主張に関してはNoと言いたいんだけど野党に政権取られて経済ダメダメにされるのも嫌だあ」という意思についてなんだけど、もう、世間にはすっかりITも浸透したことだし「国会議員が10人位(てきとう)連名で政策可否を提案したら、全国民参加ができる投票をする」ってシステム作れないかなあ? 国民投票なので原稿システムも有るんだけど、ITで十分に実行コスト下がってない? 提案したら一定期間特設サイト作って、国会議員のグループがそれぞれの主張をPDFで公開するようにしつつで。二週間後に投票とか。法的拘束力はなくても、倫理的な拘束力や、与党に対する牽制能力は発揮するように思われる。
なんでこんなこと考えたのかって言うと、「選挙による政権交代」以外の与党牽制の方向性、あったほうがいいんじゃない? ってことで。
成年がほぼ無制限に楽しめる嗜好品なのに、未成年が身体の問題で制限を受けてるなら身体障害と同じような文脈で語られるべきで、同情はあれど軽蔑なんてあり得ないんじゃないの。
小学校のとき、円の面積を求める時の円周率は3じゃないし。3.14だし。
てか、3を使った世代なんてあるの?
それに、公立の小学校ですら、円周率は厳密に3.14ではなくて、小数点以下で無限に続く数だって教えられたし。
「円周率は3だったんでしょ?」
けものフレンズのおかげで、めちゃくちゃ金を落っことすフレンズが動物園に大挙して集まり、動物園が一時的に潤った。動物園・水族館好きとしては、「滅多にない確変だ!向こう数年のエサ代稼ぎまくれ!」と大応援してる。
ツイッター始めた時の高揚感は得られなかった。
何故ならスタートから共通の趣味や考えを持った人しかいなかった。
承認欲求のこすり合いだった。
そうじゃなくて、今までいったことの無い凄い広い世界に一人に出て恐る恐る冒険する感覚が欲しい。
でも、今の段階ではもう無理だ。
こうなると次の段階まで待つしか無いんだよね。
こういう反応が上位に来るっていうのが、傾向が判って面白い。
はてなブックマーク - 「私、日本人でよかった」のポスターが京都の街に貼られまくっている - Togetterまとめ
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1105673
キャンペーンとして何が言いたいのかが判らないし、どうして欲しいのかもよく判らないなぁ…とは思うけど。神社本庁だろうが、おかきの播磨屋だろうが、勿論、共産党だろうと中核派だろうと、犯罪にならない範囲で好きな事を好きにキャンペーンすればいいと思うんだけど。
そこに何かを見出して、社会だの日本だのを批判しないと!と思っちゃう人たちの存在を顕在化しているなと。
ここ何年のうちに京都に何回も行ったが、このポスターが特に貼られれている感じはしなかったし、目立っていた印象も無いけどなぁ…神社にだってベタベタ張られていたとは思いにくい。