まとめを読めば、「お前ら俺に気持いいことしろ。お前のアカウントは俺を笑かすためにある」と放言してるに等しい。
idコール連打してるバカ垢とかお前みたいな考え方してそうだよな。
なんでそこで「待ってあげる」になるの?w
当たり前だけど店と客は基本的に対等なんだよ。少なくとも店が目下だと客が考えるのはどうかと思う。
対等なら、待たずに食べる人と待たされて食べる人が同じ待遇・料金ということはありえないよ
「〇分以上待つ場合には代金を幾ら幾ら割引く」という契約があるなら
両者は完全に対等
冗談でもなんでもなく
対等な2者の商取引というのはそういう風になってる
買掛金の支払いを待たせれば余分に払うとかね
堅い話が好きらしいあなたに合わせれば、
といえる
補助動詞「~てやる」の解説は
脱出する術は皆無だな。
アイドルか女優並に可愛いor美人にベタぼれでもされない限り癒されないよ。
カップルを忌み嫌ったり、
異常に被害妄想に囚われたり、
若い頃女でいい目見れなかった男は、女に対して寛容な気持ちを持つことが出来ないんだよ。
学生時代に女と付き合えなかった男はやっぱり歪むよな。
十代で非処女になったくせに純情気取って幸せになりたいなんて言ってる女を見ると殺したくなる。
仕方ないから待ってあげるんでしょ?
なんでそこで「待ってあげる」になるの?w
仕方なかろうと何だろうと待つと決めたならただ待つだけだよ。
待てなきゃ店出るだけ。
補助動詞「~てやる」の解説は
わざわざあることをしてやる気持ちや恩着せがましい気持ちをこめて、目下の者のために何かをする。
(丁寧語:「あげる」)
当たり前だけど店と客は基本的に対等なんだよ。少なくとも店が目下だと客が考えるのはどうかと思う。
私は怠けたい。
なまけてなまけてなまけ倒したい。
必要のない物を作るために働きたくはないし、他人の財布のために働きたくもない。
人類が中世を抜けだして以来、技術は進歩し生産性は向上し続けてきた。過去に比べて「生きるために必要な労働」は減っているはずだ。なのに労働が一向に減る気配がないのは何故か。
それは世の中に蔓延する無駄な労働が、われわれの足を引っ張っているからだ。それら無駄労働の蔓延を招いたのは、「経済成長」を至上のものとする価値観と、それを信奉する人々である。
彼らは「労働は増え続けなければならない」という謎の理屈を振りかざし、我々怠け者たちを虐げ続けてきた。
タイダニアとは、怠け者の、怠け者による、怠け者のための国家であり、怠惰な社会についての提言である。
「全ての国民は、ただ何もせずにだらだらとしていても良い」というのがタイダニアの崇高な理想であり、最終目的である。あらゆる社会制度は、その目的を果たすために設計される。
怠惰な社会を実現し、それを持続可能なものにするためには、いかに労働を最小限に抑えるかが鍵になる。「最小労働社会」を目指す、と言い換えても良い。
そのために必要なのは、経済をサイズダウンさせ、効率的な社会を作ることだ。
自由経済は本来、その経済規模を縮小して労働を削減する仕組みを備えている。
過去に起きてきた様々な”経済不況”がその証拠である。自由競争によって需要の無い事業は潰れ、労働の効率化は進み、経済は縮小してゆく。この働きがなければ、我々は文字通り寝る間もない労働を強いられることになるだろう。
だが、政治家や経済学者たちは、その働きを阻害する政策を次から次へと考え出し、実行し続けてきた。経済の縮小を否定して成長と言う名の肥大化を続けた結果、今や経済は巨大な雪だるまと化し、その自重で潰れる日を待つばかりになっている。
彼らを狂っているのだと断ずるのはたやすい。実際、「持続可能な成長を目指す」(実現不可能なことは明白だ)だの、「雇用の創出のために財政出動をするべき」(金を出してまで労働を増やす???)という彼らの意味不明な言動の数々を見れば、狂っていると考えるしかないように思える。しかし、彼らがなぜ狂ってしまったのか、彼らを狂わせたものは何なのかという事も考えなければならない。
経済成長論者たちがのさばり、経済の縮小が許されないものとされてきたのは、それが失業を発生させるからだ。
失業者の増加は不満の増大を生み、社会の不安定化をもたらす。様々な革命や動乱の背景に失業問題があったことは良く指摘されている。
失業はタイダニアにおいても深刻な問題だ。善良なタイダニア国民にとって失業者とは羨望と嫉妬の対象であり、理由もなくそれを手に入れる人間が増えることは、社会に著しい不公平感を蔓延させることになりかねない。
ではどうすれば良いか。
失業問題を解決させるために消費を増やすなどという狂った解決策は、タイダニアではもちろん採用しない。
結論を言うと、失業問題は一人あたりの労働時間を減らすことによって解決されるべきだ。これによって労働者の余暇は増え、労働力を失った企業は新たな求人を行うことになるだろう。
労働時間をどれだけ減らすべきかについては、その分野の失業率や有効求人倍率によって決定すれば良い。労働時間を減らす方策については、単純に長時間労働を禁止するのも悪くないが、ペナルティとして税金を課すなどした方が、弾力性のある運用が可能になる。
また、労働時間を減らせば当然収入は低下する。それによって生活が不可能になる人たちが出ないように、経済弱者を保護するための施策も同時に行なってゆくべきだ。
タイダニアにおいては、貧富の差はできるだけ抑えられるべきである。過大な富の行使は無駄な労働を生んでしまうからだ。
富を持つということは、労働を強いる権利を持っているということだ。
貧富の差について、「3割の人間が7割の富を持ち、7割の人間が残り3割の富を分け合っている」という言葉がある。
貧富の差が縮小し、3割の金持ちが残りの大多数と同じ水準の生活を送るようになったと仮定する。大雑把に計算すると『0.7−0.3×(0.3/0.7)≒0.57』となり、5割以上の労働が削減できることになる。あなたが今、週5日にも及ぶ長時間労働を強いられているとすれば、それは週2日半の労働で済むようになるということだ。
もちろん、これは乱暴すぎる計算だ。経済格差をそこまで縮小させることも容易ではない。ただ、貧富の差を縮小することが怠惰な社会にとって非常に重要だということは理解してもらえるだろう。
行政に付きものだったムダな公共事業と非効率な役所仕事、これらを削減できる事はタイダニアの大きなメリットの一つだ。
まず、タイダニアでは経済の拡大を目指さないのだから、景気浮揚のために行われていた公共事業は全て削減できる。国の大型事業はもちろん、「地域の活性化を目指し」だの「経済効果を期待して」などの理由で行われていた自治体の事業も同様だ。
その他の公共事業や行政サービスについては、「余暇を増やすこと」という基準を設ける。つまり、「その事業を行うことで削減できる労働時間」と「その事業にかかる労働時間」を比較して、削減できる時間の方が長い事業だけを存続させる。
この基準の導入によって削減できる事業と、経済の活性化のために行われてきた事業。これらを廃止することで、相当な規模の行政コストを削減できるはずだ。税金は減り、我々はその分労働を行わなくても良いようになる。
また、成長論者たちが言っている「乗数効果」が本当に正しいのであれば、削減したコストの何倍もの労働を社会から追放できるはずだ。
成長を前提とした社会は、決して人を幸福にはしない。持続可能なものでさえ無い。
すべての資源を取り尽くし、消費し尽くした後で、自分たちの築いてきたものがガラクタの山に過ぎなかったことに気づくのでは遅すぎる。
消費は適正な程度に抑えられなければならない。過剰な消費と労働を礼賛し、怠惰の価値を認めない社会は、早晩行き詰まる事になるだろう。今すぐに完全なタイダニアを作るとまで言わずとも、その一部を取り入れることはできるはずだ。
過労死や自殺、平均寿命の低下、精神疾患、家庭崩壊。過剰な労働は我々の人生を奪い続けている。それらを取り戻すために、そして何よりも子供たちの生きる未来が喰らい尽くされないために、我々は勇気を持って主張するべきなのだ。
「怠けたい」と。
だから、「混んでたら仕方ない」じゃん。
え
怒りをぶつけて席を立つんでしょ?
さらに作り直しを待つって話しなの?
知らんけど
あ
そうかそこで出てくってパターンもあるのか。
おれはもうそういう指摘をするのも疲れたよ
電車のダイヤが乱れるのはほとんどの場合電鉄会社のせいじゃないし
電鉄会社のせいだとしても末端駅員は関与してないけど
元増田の話の事例は明らかに店が悪いし
時折、子どもらしいしゃべりや訴えするので、それを見ると和む。
ただ、周囲はそれを理解したり聞こうとする姿勢を見せず、ただただ言い終わった瞬間に「可愛い~」。
一線越えたら「よろしい、ならば戦争だ」って、いつの時代の政治家?
そこへ行く前に交渉に入らない、貴方がおかしい。
横だがその場合の交渉ってなんぞ?
「じゃあ代金半額にしてね」的な?
何で自分が望んで入った店なのに「待ってあげる」なの?
まさに「混んでいたら仕方ない」んだから、○○してあげるとかそういう寛容さを発揮してるようなキモチになるのはおかしいんじゃないの?
横だがその理屈はおかしくね
飲食店は常識的な待ち時間で料理を客にサーブする義務があるよ
(次郎みたいな客と店の間に特殊な精神世界が展開されるブランドを除く)
むしろなんで持ってきてくれたものひっくり返したりすんの?
店はまた作り直さなきゃいけなかったりして結果的に待つ時間が増えちゃうのは明白なのに。
え
怒りをぶつけて席を立つんでしょ?
さらに作り直しを待つって話しなの?
知らんけど
待たされることにはイライラしない。
混んでいたら仕方ない。
何で自分が望んで入った店なのに「待ってあげる」なの?
まさに「混んでいたら仕方ない」んだから、○○してあげるとかそういう寛容さを発揮してるようなキモチになるのはおかしいんじゃないの?
自分も待たされることにはイライラしない。つうか「待たされる」こと自体があんまりない。
自分で「待つ(待ち時間が発生する状況につきあう)」と決めたんであるから(そしてそのために文庫本を欠かさない)、そのことでイライラしたりしない。
だがそれで注文自体を忘れられていた場合
これはイライラどころじゃなくて一気にカッとなる。
静かに待ってあげてたのも全く無駄。
こちらの気持ちが二重に踏みにじられている。
「静かに待ってあげてた」「こちらの気持ちが二重に踏みにじられている」。偉そーw
忘れちゃったものはしょうがないだろう。注文自体無視されたわけじゃないんだし。
むしろなんで持ってきてくれたものひっくり返したりすんの?
店はまた作り直さなきゃいけなかったりして結果的に待つ時間が増えちゃうのは明白なのに。