2011-09-04

きれいはきたない、きたないはきれい

どういう事だろうか

私にとっては自殺が一番近い題材なので、そこから考えてみよう

自殺は、きたなさに耐えられない結果なんじゃないかなと感じてる

自分の汚さ、他人の汚さ、未来現実、関係、人間自体

逃げられなくて、思考停止もできなくて、見ない振りもできなくて

そんな何かに耐えられなくて

自分を消してしまおう、と

その事で、自分に付いた汚さを意味のないものとしようとする

「死んでしまえば」に続く言葉は、その人が何から逃げたいのかが表現される

その何かにおいては、ある意味では潔癖なのだ

ただ、その綺麗を維持するために、他の部分を犠牲にする必要が生じてくる

疎かになった部分を、上手く機能しなくなった部分を汚いとするなら

きれいはきたない、なのだ

逆に、全体を維持するために一部分を疎かにするのであれば

きたないはきれい、なのだ

けど、不自然ではないんだ

ぎこちなくて、上手く機能してないのかも知れない

けど決して、不自然じゃない

人間のなす事なのだから、全て因果関係がある

そうせざるを得ない理由があるなら、不自然じゃないんだ

問題も、必要なことも何もない

「あるがまま、好きなようにすれば良い」なんて事を言う必要もない

既に、好きなようにしている

死にたいと思うのも、死ねないと思うのも、死んでしまったのも、それらを誰かに告げるのも

あるがままでいれないと思うのも、あるがままでいたいと思うのも、それで悩むのも苦しむのも

自然じゃないから、きっとどうにもできない

それがどの様に変化していくかについて、何か努力して効果はある

上手く言えないけど

それも含めて、なるようにしかならない

から、何百回も死にたいエントリを書くのも、その道程なんだろう

無意味でも有意味でもなく

消したい、それだけ

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