どういう事だろうか
自殺は、きたなさに耐えられない結果なんじゃないかなと感じてる
逃げられなくて、思考停止もできなくて、見ない振りもできなくて
そんな何かに耐えられなくて
「死んでしまえば」に続く言葉は、その人が何から逃げたいのかが表現される
その何かにおいては、ある意味では潔癖なのだ
ただ、その綺麗を維持するために、他の部分を犠牲にする必要が生じてくる
疎かになった部分を、上手く機能しなくなった部分を汚いとするなら
きれいはきたない、なのだ
逆に、全体を維持するために一部分を疎かにするのであれば
きたないはきれい、なのだ
けど、不自然ではないんだ
ぎこちなくて、上手く機能してないのかも知れない
けど決して、不自然じゃない
そうせざるを得ない理由があるなら、不自然じゃないんだ
問題も、必要なことも何もない
「あるがまま、好きなようにすれば良い」なんて事を言う必要もない
既に、好きなようにしている
死にたいと思うのも、死ねないと思うのも、死んでしまったのも、それらを誰かに告げるのも
あるがままでいれないと思うのも、あるがままでいたいと思うのも、それで悩むのも苦しむのも
それがどの様に変化していくかについて、何か努力して効果はある
上手く言えないけど
それも含めて、なるようにしかならない
だから、何百回も死にたいとエントリを書くのも、その道程なんだろう
消したい、それだけ
君の身近に自殺した人いる? いないでしょう? なんかロマンチックな文章だね。