はてなキーワード: 黒木香とは
映画博士の愛した数式で博士役を演じた寺尾聡と伊福部博士は博士学会で知り合った博士仲間
寺尾聡の誕生石はエメラルドなのでつけてる指輪はエメラルドに決まっている
よくテレビでジョージアエメラルドマウンテンブレンドを飲んでるからエメラルド全般が好きに違いない
黒木香から、ニコニコ生放送で声優の脇が見えただけではしゃいで脇とコメントするオタク
脇好きは全員黒木香の脇毛が大好きだから。これは紛らもない事実です。僕も大好きです。脇!
ニコニコ生放送で声優の脇が見えただけではしゃいで脇とコメントするオタクから、川上量生
川上量生はシンゴジラの企画協力でクレジットされており、二人はゴジラ仲間に違いない
我孫子武丸はディプロトドンティア・マクロプスという小説で巨大怪獣を何匹も書いている。
以上です。
本当に以上です。
お互いの気持ちを曇らせるために。
いろいろなものを捨てた。電話番号も写真ももらった手縫いのマフラーも。
ただ彼女のためにつくったSNSのアカウントだけは最後に残った。
開くまいと思いながら、数か月に一度、開いてしまう。
溢れるばかりのメッセージが目に飛び込む。
やがて彼女のメッセージの頻度は減っていった。そして返信もやめた。
あれから7年になる。
元気?
たったそれだけだ。恐らく彼女は、ときおりオンラインになっている俺をみつけては、
ひたすら返信を待ち、オフラインになって三日、一週間と経つのを眺めているんだろう。
俺が彼女にとって最後の男になってしまっているのだとすれば本当に切ないことだ。
しかし、俺にとってもまた、セックスが特別なものになってしまっていることにうすうす気が付いていた。
見つめ合い、肩を抱き合うだけで浮遊する感覚になった。
彼女と長い時間かけて重ねた唇、時には激しく駅弁スタイルでしたときの滑る汗、あの日々を上回るセックスはもう人生で経験することはできないだろう。
その通りだった。
村西が愛した黒木香は今、一体どこで何をしているんだろう。
NETFLIXの「全裸監督」で描かれた黒木香は、虚実交えているだろうが、
ものすごいリアリティがあった。黒木の母親役を演じた小雪の存在感も鳥肌ものだ。
・・せっかくしんみりとしたことを書こうと思っていたのに、だんだんズレてきた。
駅弁といえば。。
「全裸監督」は、今少しずつさまざなまレビューが出てきているが、
近年まれにみる傑作だ。
あの同世代を一歩遅れて歩んできた俺は、社会に出たときにはすでにバブルは崩壊していた。
学生の頃に、友人が苦労して入手した流出裏ビデオがどういう経緯で世に出ていたのか、ドラマでは虚実交えて克明に描いていた。
また、ビデ倫の仕掛け、ヤクザの関わり方を生々しく描いており、80年代のアダルトビデオの黎明期をここまでねちっこく映像化した作品は今まで存在しなかっただろう。
当時、やたらとモザイクが濃いものと薄消しのものがあって、なぜなのか、疑問にすら思わなかったが、「全裸監督」には、その答えが暗示されていた。
また、この作品で再現された、当時の歌舞伎町の舞台セットが素晴らしい。
とりわけ、村西率いる「サファイア映像」のスタッフ軍団が集うスタジオが興味深い。
スタジオの前に目に入ってくる、カレーの店タバサの看板。大量に麺類をつくっては、中華の回転円卓を囲んでスタッフ全員で豪快に食らうシーン。てんこ盛りのポテトサラダ。実にセンスがある。
昭和と平成のはざまの昭和63年暮れから昭和64年1月の冬の雰囲気。
当時、警視庁がわいせつ物の取り締まりを強化する流れに大きく動いていた。
日々の天皇の病状の深刻化が取り締まり強化の動機付けとして、象徴的に語られているのが技巧的だ。
彼は業界の大物を通じて、すでにヤクザとズブズブになっていたが、警察幹部からは、ガサ入れの方針が打ち出される。
一方、黒木香は、こうして業界の闇が描かれながらも、後方馬群でひっそりと控えている差し馬のような存在感で、ドラマ前半で静かに描かれていた。
横浜国大に在学していた彼女は、イタリア留学を夢見ながら、母親から抑圧された存在として、じわりじわりとエネルギーをためてゆく。
この見せ方も圧巻だ。村西とおるへの思いがあって、あのパフォーマンスが生まれた、というのは、このドラマの村西と黒木に対する解釈であって、本当のところはわからない。
しかし、村西と黒木の関係を物語るものとして、ものすごい説得力を感じた。セックスは一期一会といった村上の原点がここにあるんだろう。
ガチンコのセックスに対するこだわりは、売れるからという動機を覆い隠してしまうほどに、リアリズムへの情熱であふれている。
いやぁー非常に面白かったですね。
自分は80年代には、生きてませんが「ストレンジャー・シングスの日本からの返答」ばりの日本の80年代の描き方は非常に良かったです。
実際「SMぽいの好き」撮るまで(5話)は非常に良かった!
けど、5話以降の話の進め方が破綻しているというか、矛盾が多すぎる気がしたので、まとめます。
自分の読解力不足もあるかもしれないので、「これはこういう理由だよ」ってのがあれば、教えてもらえるとありがたいです。
(エンジニヤーであんまり映画とかそこらへんの感想をまとめる場所が無いのと、Twitterとかだと絶賛の嵐でネガティブな感想があまりなくて、書いたら怒られそうなので増田に書きます。)
SMぽいの好きが販売中止になっての窮地の解決策が「ハワイで作品を撮る!」ってのが意味わかんなさすぎ。
そもそもサファイア映像(主人公のAV制作会社)って一本もヒット出してないのに、どうやってハワイで作品撮るの?
で、お金の出どころが黒木香の出演料を本人がそのまま戻した、ってなっているけど、それももともと会社のお金じゃね?
いざ、ハワイに行ってからもFBIに捕まる理由がぜんぜんわからない。
だって作品中の村西とおるって3本しかAVの作品出してなくて、一本は未発売(SMぽいの好き)、ただの弱小AV監督じゃん。(もちろん史実は違うと思うけど)
なんで、そんな人をわざわざFBIが出てきて、捕まえるのかがぜんぜんわからない。
AV編以降、ライバル会社の社長である池澤はビデオの規制委員会を作りつつ、裏ビデオを大量に流す、という、ようするにヒールに徹するんだけど
この二枚舌が結局、最終的に自分を首を絞めてるんだから、なんか矛盾した行動だな、というもやっとした印象を受けました。
(書いてる内に自分でもなぜ もやっとしたかの理由がわからなくなってきた。)
リリーフランキー演じる刑事は、ライバル会社社長の池澤に買収されてて、それで主人公の行手を阻むべく逮捕したりとかするんだけど
なぜか最終話で、「昭和から平成の改元に伴う一斉検挙」で、リリーフランキーは池澤を検挙する。
いや、なんで今までお金もらってた会社の社長 検挙しちゃうん????
で、理由が「裏ビデオ」作ってたからなんだけど、それは村西とおるも同じじゃん?(流してたのはトシだけど)
最終的に裏ビデオ会社を牛耳ってたのはトシだったとはいえ、いくらでも池澤を検挙せずに、村西とおるとトシを検挙できる理由はあるはず。
いや、まあ最終話だし、話を纏めるには悪役である池澤がなんかしらの形で堕ちる必要があるのはわかるけど
検挙ってのがね。。。。
ポセイドン企画の売上も順調的な描写がされてたんで、ますます納得できない。
個人的には、村西とおるがテレビで活躍して、サファイア映像の売上が上がって、ポセイドン企画(池澤の会社)が売上が落ちて、池澤涙目wwww
ぐらいに展開が矛盾なくていいかな、と思ってました。(史実とは違うかもしれないけど)
本記事は、全裸監督の作品を貶める意図は全く無くて、素晴らしい作品だったらからこそ、ここが気になるよ!ってのをまとめてみました。
フリースタイルラップはリズムに合わせて歌詞を即興で作るのだが、リズムに乗ると不思議と言葉が浮かんでくるそうだ。競技かるたもリズムをとってカルタを記憶するらしい。リズムにどんな意味があるのか?
その謎をとくカギは「グルーヴ」にある。ブラックミュージックの理解で日本人がまず躓くのが「グルーヴ」という概念。それはただ機械的なリズムに乗ることではなく、体感とのシンクロが要求される。
この理解困難な概念に対するわかりやすい喩えが心拍という名の音楽だ。ケージの4分33秒が音楽になるなら心臓だって音楽になる。君は心臓や呼吸に音楽を感じるかい?環境音楽的ワークってやつだ。
その先駆けは現代音楽家Pauline Oliverosだ。いまや小学校の音楽の教科書にもその種のワークが載っている。ゆとり世代以降の人間なら記憶にある人も多いはず。
心臓のリズムを感じるには目を閉じて心を静かにする必要がある。一種の瞑想だ。心拍が分かったら今度はそれに合わせて身体を揺らしてみよう。揺らすと心拍が変わる?そこが難しい所で、
心拍に干渉しないまま身体を揺らしていく。この感じがまさにグルーヴなわけ。がむしゃらに即興演奏すると必ず体感に干渉してしまい体感が迷子になる。ムードをぶち壊したらセックスは台無しである。
つまり機械的にリズムに乗るだけでなく、体感とシンクロすることで自然にリズムが生まれてくるわけである。身体がそんなふうにできている。それがグルーヴ。ジャズにおけるスイングも同様だ。
グルーヴあるリズムはリズムマシンの作る厳密に一定なリズムからは若干のズレがある。そこに生演奏の味わい深さがあると言われるが、正確に言えばズレかたに体感が反映されているから味わい深く感じる。
リズムの一定さやズレ自体には別段深い意味はない。あくまでもリズムの一定性やズレはグルーヴの副産物にすぎない。「世界はリズムに満ちている」とは某音楽家の言葉だが、正確にはそれはグルーヴなのである。
音楽以外にも思考や会話にもグルーヴというものがある。相手のテンポを崩すようにワンテンポ遅れた返事や食い気味の返事を返すとかみ合わない感じがするだろう。
だからテンポについて行けない人間どうしで深く仲良くなるのは極めて難しい。世の中の「親友」の多くはテンポがかみ合わないのに誤魔化し誤魔化し仲良くしているように見える。
トークのテンポというのはつまるところ、その人なりの言語的体感とのシンクロの仕方である。単なる会話の速度ではない。早口でも会話のテンポが遅い人はいくらでもいる。
また、熟練すれば無理に話題のテンポを速くできるが、結局は自分のテンポで話すのが一番快適なことには変わりないわけである。けだし会話のテンポはほとんど先天的である。
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一方、グルーヴには安定性という要素もある。ジャズでは「この人の演奏には安定したグルーヴがある」「安定したグルーヴにはノリやすい」「今回のセッションはグルーヴが安定しなかった」
などと言われる。グルーヴが安定しない現象は先ほどの心音が迷子になる現象と同じである。体感を見失って、形の上でしかリズムに乗れてない状態。それはどうしても演奏に現れ、バラバラでちぐはぐな印象を与えてしまう。
安定性はその人のメンタルを表している。気持ちが不安定ならグルーヴも不安定になる。熟練演奏者なら多少メンタルが不安定でも「いつもの体感」自体は出せる。
だけど、別の「普段にはない体感」が邪魔をしてきて、演奏に乱れが生じるわけだ。そんななか繊細な感覚をつかまえてグルーヴを表現するのは並大抵のことではない。
演奏家という仕事は一般人が考えるよりずっと鋼鉄のメンタルを要するのだ。
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強いメンタルになりたいと誰もが憧れるが、その秘密は形状記憶性にある。本当に強いメンタルとは、ガッチガチのオリハルコンメンタルなどではなく、柔軟に形を変えてはすぐ元に戻る形状記憶性にある。
「上善如水」を知ってるか?上善は水のごとしと訓読する。最高の善を説いた老子の言葉だが、これは最強の心を説いた言葉でもある。
宮本武蔵も五輪書で「水を本として、心を水になす也」と言った。水はどんな器にも合わせて形を変える。そんな心を養えという意味だ。
柔軟に適応しすぐ平常心に戻る。その様子はグルーヴから説明することもできる。ハメ撮りの帝王こと村西とおるは、黒木香にほら貝を吹かせた。脇毛で有名なAV女優といえば若い人にも分かるだろう。
村西氏はセックスの快楽を演奏の乱れで表現したわけだ。どんな演奏にもグルーヴはある。人間は体感のリズムに同期することでリズミカルな運動ができるのである。
ところが快楽があるとうまく体感と同期できなくなり、演奏が乱れてしまう。そこをなんとかうまく演奏しようとするところにエロティシズムがある。
現代的に言えば「ローターつけてお散歩」だ。pixivの「平然」タグもこれに関係する。くやビク(悔しいけどビクンビクン)はもう古い。大和撫子は奥ゆかしく「平然プレイ」だ。
そしてこの快楽ゲージがあがっても平静を装う平然プレイにこそ、形状記憶メンタルの秘密がある。それはフリースタイルラップにしても同じことだ。
なぜラッパーはあのような無駄に攻撃的ともとれるラップバトルをするか?それは戦いのなかでも終止安定したリリックを紡ぎ、安定したライム(韻)を生み出し、
安定したフロウ(歌い方)を展開することを競っているわけである。そんな「動中に静あり」の文化を理解することなくただただ攻撃的なディスり合戦をやったところで何の意味もないのである。
http://www.youtube.com/watch?v=lwqF8LCfkWE
一条さゆり然り、黒木香然り、飯島愛然りこの手の職業に従事する人の半芸能人的な妙な持ち上げは悲劇しか生まないと思う
何よりも嫌だなと思うのはmaccoiの詩が飯島愛の楽曲と同じように本質的にはAV女優に対する侮蔑の目線を含んでいて
(私の賞味期限ってなんだそら)
http://d.hatena.ne.jp/wagamamakorin/20081225
川奈まり子、乃木真梨子みたく同業者と結婚する、野坂なつみみたいに芸能人と結婚するという逃げきりもある