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はてなキーワード: メディア論とは

2010-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20100302233406

思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観

といっているけれど、それなら義務教育課程できちんと性教育すりゃいいのに。

それとも俺が知らないだけでちゃんとやっているのかな。

  

科学データも根拠もなしに規制できる、というのならメディア論の方向からではどうしようもないかも。

2010-02-17

http://anond.hatelabo.jp/20100217080131

俺も「メディアの影響」と断言する切り口には賛同しないし、そもそもイデオロギー管理メディアに託せと

主張する元増田の主張には全く賛同出来ないんだけど。(それ、めっちゃ危ないし)

だからこの文章は議論のための議論、お遊び。だからネタ元は申し訳ないけどググって欲しい。

でも、UFOに関しては実はそれ結構有名な研究素材だったりする。

えーと、誰だったかな。昔、UFOっていう存在が生まれてくる前、「UFO」的な存在ってのは

「空を行く船」だったんですよ。「俺んちの上を船がギコギコとんでったんだよー」って目撃証言が結構ある。

それが、第二次世界大戦最中「フー・ファイター」に化けた。

ドイツの新型爆撃機だったり、あるいは日本の新兵器だと言われたりした。

そしてその次に来たのが、ケネスアーノルド事件。空飛ぶ円盤誕生となった事件。

これの面白いのは、ケネスUFOの「飛び方」を表現するために、フライングソーサーという言葉を使ったんだよね。

決して、物体の「形状」を表現するために使ったんじゃない。

でも、この時代のメディアで「空飛ぶ円盤」と表現されたため、一気に「円盤」の目撃例がこの後増えるわけです。

恐らく元増田ロズウェル事件とケネスアーノルド事件を混同してるんだろうけれど、

メディアがある種のものをイデオロギー化して蔓延させるって面ではケネスアーノルド事件ほどわかりやすいサンプルはないでしょう。

まるで、UFOの如く表れまるで実在論的な存在として日本社会に居ついた「恋愛」のようにね。

日本の「恋愛」はツルゲーネフの影響が地味に大きかったりもする、何故なら日本に「恋愛」を持ち込んだ奴らの聖書がこれだったから。

そーいうわけで、ケネス事件ってのはある種のイデオロギーメディアによって実在化するっていうのの例示として、

割りと有名なモノだったりする。これ、専門書も一杯出てるから読んでみると面白い。「恋愛」と非常に似通う。

そして、「家制度解体」のような社会の変化とメディアが一体化したって面でも一致が見られて、

この時代UFOは「冷戦」を背景にその存在をより実在的なものとして現したわけなんですよ。ソ連秘密兵器だー、って。

その辺はもうこの辺りの議論として使い古された定型なので、そんなに厳密にデータ出させる必要はないかな、と思う。

そして、「犯罪率」

これに関しては、一時サカキバラ事件のあたりに「若者犯罪率がヤベエ!」みたいなデータが出てきたときのもの。

これ、確かに一時「キレる若者」とあいまって、非常に社会に浸透した。

それはもちろん五年スパンで見れば確かに上昇してたんだけど、30年スパンで見ると半分以下に減っていた、っていう

最近の若者は」論に対するカウンターとして、現在では有名になっている。

「正しい統計を使って嘘をつく方法」としても有名。

現在でも、インチキ統計議論に関して非常に頻出するイシューだったり。ただ、これに関しては

インターネットメディアの逆襲もあって「一番犯罪率高いの団塊じゃねえかwww」って結論が

現在では割りとネットにもリアルにも根付いてる気がする。

ボクシング殺人に関してはぼく知らないけどね。

でも、この二つに関しては理論語の定義をしなくても、ある種のメディア理論として定型化してるので

十分議論の俎上に上げられるかなぁ。社会背景との複合性も含めて、「決め付けによる印象論」とは

切り捨てられない論題にまで熟成しちゃってると思う。だって、ちょいと検索すれば全部出るもの。

特に恋愛UFOの現象的類似性は、十分語れると思うなぁ。

まぁ、ロズウェルとケネスを混同するのは良くないけど。(ロズウェルはケネスほど、明らかに「メディアの影響」と腑分けできない。ケネスは、「円盤」っていうのがあったからメディア論の格好の素材になったわけで)

恋愛」って日本人にとってUFOみたいなモンなんですよね。

冷戦」の社会背景は「戦後」になるし、突然現れて「実在する真実」みたいな色合いを持った点も共通するし。

するってーと、やっぱそのコンテクストの集合点になっている「恋愛」が、メディアの流布したものだって点は

やっぱり見逃せないんじゃないかと思うなぁ。俺は元増田のように、「恋愛ドラマ」が原因だとは思わないけど。

どう考えてもツルゲーネフを持ち込んだ奴らが悪いと思うw

2009-10-12

私が池田先生を好かないたったひとつの理由

Twitterにおける池田信夫への罵詈雑言が酷すぎる件

http://anond.hatelabo.jp/20091011164125

これを読んで、思ったことをつらつらと。

まず、池田先生ネットに対する姿勢がよく表れている、この記事引用させていただく。

ひろゆきは「賠償金を取る方法はない」と高をくくっているようだが、バブルの処理のときは、同様に開き直る不動産業者を警察は「競売妨害」などの罪で大量に投獄した。要は「あいつは悪い奴だ」というコンセンサスができるかどうかが問題で、そういう「国策」があれば犯罪は(よしあしはともかく)いくらでもつくれるのだ。ライブドアWinnyには擁護論が高まったが、2ちゃんねるが閉鎖されても同情する人はほとんどいないだろう。

前にも書いたように、排泄物を見れば健康状態がわかるという意味では、2ちゃんねるにもいくらかの意味はあるかもしれません。異様な匿名志向の強さは、「表」の生活で彼らが強く抑圧されて「本音」を押し殺していることを示しています。ふだんはおとなしくて礼儀正しい日本人の「裏」の顔が、実はこんなにおどろおどろしいというのは、まぁ他では知ることのできない貴重な情報でしょう。


端的に言わせていただく。池田先生は、下品である。

刑事犯でもない人間犯罪者がごとく扱い、呼び捨てにする。亀井大臣を、「亀」などといった明らかに侮蔑をこめた呼称で呼び、「あいつはヤクザとつるんでいる」などと公の場で言う(仮に事実だとしても、確たる証拠もないのに言うのはちと問題。ちなみに私だって亀井大臣の政策は大反対だし、正直早々に辞めてほしいとは思っている。その上で言っている)。公の場で人をクズ呼ばわりする。twitter罵倒してきた人間をわざわざ晒し、わざわざ「こいつをブロックしてやった」と宣言する。2chを排泄物に例えるなど、あまり上品とは言えない例を平気で出す(「便所の落書き」というのは自嘲ネタであって、外部の者がそれを踏まえて揶揄するにしては、いささか下品すぎる)。

2ch経験もまったくない人のために少し基礎的すぎることから話すけれども、2chヘビーユーザーIEFirefoxといったwebブラウザで閲覧・書き込みをすることはめったになく、Jane Doe Style(余談だがJane Doeとは「山田花子」的なありふれた名前、つまり事実上の「名無しの権兵衛」を指す。2chの名無し文化を象徴しているセンスのあるソフト名である)などといった「専用ブラウザ」を用いている。これが非常に便利で、自分が好かない言葉を表示させないようにしたり、気に食わない人間IDを指定してその日の彼(彼女)の発言をすべて抹殺することができる。これを「あぼ~ん」というのだが、世の中にはいちいち「てめぇなんてあぼんしてやったからwwww」とばかりに対象のレスが消えた状態を相手に見せつけてくる趣味の悪い輩がいる。

これと、池田先生の「twitterブロック宣言」(参照1)(参照2)(参照3)(参照4)は同じなのだ。いわゆるネット弁慶ねらーとやっていることは大して変わらない。私は池田先生のそういった幼稚なところが一人の人間として大嫌いなのだ。本質的には池田先生と彼の発言をいちいち取り上げて「ネットいじめ」に近いことをしている連中は、同じ穴の狢なのである。

ここで、「名無し」と実名でやってる学者を対等に語るなという批判はもちろんある。さきほど挙げたブログにも、コメント欄にこんな氏の発言がある。

2ちゃんねるに対する評価は、そこに書かれる可能性のある(名前の知られた)人とそうでない人とでは、まったく違うと思います。事実無根の悪口を書かれる不快感は、そういう経験のない人にはわからない。他人に対する想像力もない人が「お前はわかってない」などと説教するのはやめてほしいものです。

なるほどなるほど、正論、と私は思う。

そもそも何故匿名が叩かれるのかといえば、攻撃の一方向性にあるのだと私は考えている。反論する場所を与えられていないのは、苦痛だ。言われっぱなしはつらい。学校職場における1対多数のいじめが何故いけないのかというのも、ここにある。殴り返す相手もいないまま、自分だけボロボロになっていく。これは卑怯だ。事実私も、はてブホッテントリ池田先生自転車云々の発言が載っていたのを見て、ドン引きした。これはひどいよなと思った。これ以上アクセス数を伸ばすことに加担するのはよくないと思ったので、ブコメは読んだものの私は登録しなかった(したらますます上に上がるから)。

話が散漫になってきたので、改めて私が一人の人間として池田先生を好かない理由を述べる。

それは、下品で甘ったれた世間知らずの幼稚なオヤジだからである。ひとつじゃない?言語化するとそうかもね。でも「こういう人間」だというのに形容詞がいくつも必要だっただけだ。ていうかまぁ、ぶっちゃけるとタイトルは切れ味がいい方がいいじゃん。

匿名の集団による叩きは卑怯である。じゃあ実名正義か。そんなわけないだろう。

池田先生の発言は公ですべきものとはとてもじゃないが言えない。2ch煽りに「お前、じゃあそれ俺と面と向かっても言えるんだな?」と返している人をたまに見かけるが、それに対し「ああ、言えるさ」と平然と答える人間は私は軽蔑する。反撃される覚悟を以てして言ってるからいいのだ。そんなわけないだろう。路上で一方的に殴っていようが殴り合っていようがおまわりさんが見かけたら怒られるに決まってる。一方通行煽りは、卑怯だ。でも双方向ならいいかっていうと、それは違うでしょ。

そして、暴露してしまうと、実は池田先生は正々堂々としているかというと、そうでもないのである。

何故なら罵倒してきた人間クズ呼ばわりして、公衆の面前に晒しておいて、そこで「あぼん」をしたからである。「あぼん」された側は以降池田先生に反論ができない。クズ呼ばわりされた弁解もできない。一方通行罵倒で終了である。本来、ブロックにせよあぼんにせよ黙って各自が勝手にするのがスマートというか、マナーだとは思う。捨て台詞吐いてフタを閉めてるようじゃ、2chの卑怯者とやらとなんら変わらない。

私は以前からそれを池田先生に対し実名アカウント等で直接本人に何度も言ってきた。無論、反応はない。先生多忙なのだからそれに対しては文句は言わない。一人の人間としてそれはどうかと思ったから、一人の人間として抗議というか忠言というか、そういうのをしたまでだ。学者先生とか、そういう肩書の問題じゃあない。メディア論を語る人として、ネットの言論を引っ張っていくアルファブロガーとして、そういったレベルぐらいはちゃんとしようよ、ということだ。私から言わせれば先生、あなたの罵詈雑言こそがネットノイズなんだよ。そういうことなんですよ。

というわけで実名でも匿名でもネット空間活用してる一小市民の私が、池田先生に対する反感を代弁してみた。多分、いわゆるネットイナゴ的な動機で騒いでいる人だって多いだろう。ただ、私のように「てめぇだって卑怯じゃねぇか」と思った上で抗議している人間が存在することも池田先生は分かってほしい。

ちなみに今回は、増田が「匿名」でしたので、私も「匿名」でトラバを送らせていただいております。繰り返すけど実名でも抗議はしてますけどね。

追記

そこそこの反響があったので、追記。ブコメで「なげぇよ」といったのがあったので、上の論点もまとめとく。

一方通行で殴るのは卑怯

・だから匿名は卑怯

・でも実名でも罵倒しておいてその後にブロックしたら双方向性がないよね

コンテンツS/N比をしばしば説いてる先生糞スレチェッカーにひっかかるような単語を用いるってどうよ

・あ、増田に対する返答だから今は自分増田だけど、実は実名でも文句言ってます

別に私自身匿名でも実名でもそんなにお上品ではないんですけどね。実況板で「見えたっ!」とか言ってるアホですしね。でもまぁ、事実無根の中傷とか、本当の意味で下劣なことは好かないんですよね。本当に何度も繰り返しちゃうけど、S/N比が高まることを望むなら、イナゴが沸かないような言葉回しを覚えることも必要だと思うんですね。池田先生の著書は一般向けに面白く書かれているものもあるし、アゴラといった活動も応援しています。だからこそ「ネット上での私語は、居酒屋オヤジとやってる時の私語ほどフリーダムであってはならない」ということを自覚してほしい。聞いてる人の数が問題なんですよと言えばいいのかな。

以下、ブコメにいくつかコメント

正直に相手にしてくれないことが悔しいと書け

嫌う必要がない。嫉妬では?

こういうのを読むとなんだかなぁ、と思う。一方向性と双方向性について書いて、「前者は卑怯だ、でも後者でも品はよくないよね、しかも池田先生って前者を否定してる割には実は双方向性がないよね」と説いてみたわけなんだが、私の書き方が悪かったのかしら。「みんながみんなノリで騒いでるわけじゃないんだよ」ということを知ってほしかったから書いたまでであって、タイトルが示す通りこれは価値の問題です。結局、正誤は問えん。嫉妬なのかなぁと一応まじめにしばし考えたけれど、そういう感情はないな。

あと、他の増田さん(参照)にこんなのがあった。

池田信夫の場合は最初から、自分が傲慢に振舞うことを恐れていない。

だから考えながら読む必要があまり無い。言葉の裏を読む労を閲覧者に強いていない分、やさしいよ。

だから読者が多いんだと思うよ。

人と仲が悪くなることを恐れて書くブログって、すげーつまんないから。

これは同意かな。mixiで昔はすっげーはっちゃけ日記書いてた人がいたんだけど、知名度あがったら「ライブやります☆」みたいな宣伝日記とか「ファンの皆さんに感謝です♪」とかなんの面白みもない言葉しか書けなくなった人がいて、あれは残念だった。池田先生もキレがあるから池田先生なのかもしれない。でも、やっぱり、さきに述べたようなことは少しは改善してほしいな。

キッチンにゴキブリのエサを自分で撒いてどうする。

匿名側は、三振したら別人を装って直後に打席に立つことが出来てしまい、ホームランを打ったときだけ、その記録(例えば、はてブなど)が残せてしまう。やっぱり、アンフェアだよ。

トラバ参照)より。

そうね、これも同意。双方向性に欠けるだけじゃなく、発言の蓄積がない者が急に正論めいたことを言ってもな、というのはある。属人的な考えだけど、否定はできないな。

2009-06-24

Perfumeあ~ちゃんインタビュー騒動に見る、ブログメディアであるという意識の低さ

Perfumeファンの妄想日記騒動で思ったんだけど

気になったのは

Jcastみたいなメディアが取りあげたのが悪い。私は個人だから勝手妄想で書いてるだけで悪くない

みたいに言ってる事。でもさぁ、ブログメディアじゃん?

32歳SEならそのへんわかれよ。mixi馬鹿学生かよおまえは

ブログメディアである以上、対等に語られるべきだし、責任も等しくあるべきなんだよね

人気のないブログだから何言っても赦されるなんてこと無いわけで

それがインターネットの力であり怖いところ。でも文明ってそういうもんだろ。

いつまで旧来型のメディア論で片付けようとしてるんだろう

はてブもこの人に同情的で、そのくせ悪いのはJカスだ、ロキノンだ、とか言ってて

はてなユーザーもこの程度かとガッカリした。

責任取りたくないならチラシの裏にでも書いてろ。

2009-02-25

勉強をサボって頭が悪い人は頭がよい人に玩ばれるだけなんだろうな

id:magician-of-posthumanが仕掛けた罠とは何だったのかについて一考した。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090224/1235439131

 id:gerlingは、何の技も会得せずに、「メディア論」という一つの学問分野に対して「道場破り」を挑んできた。しかし学術の道場では、何の技も会得していない雑魚と同じ「土俵」に立つような真似はしない。雑魚は「門前払い」だ。しかしながら、メディア論の道場では、「門前払い」になった雑魚を<踏み台>にすることによって、より高き土俵を造ることが可能なのである。

 どういうことか?今id:gerlingが陥っているパラドクスは、自らの反論が何ら相手にされずに、反論対象を好都合にしてしまっているというパラドクスなのである。id:gerlingがメディア論に反論しても、メディア論の必要性を助長させてしまうのだ。

増田的には注目度は低かった「科学的な議論」ではあったが、この議論は最初から茶番だった。

 

id:gerlingの反論が非科学的な反論(笑)であったために、

id:magician-of-posthumanはそれを都合よく「利用」したってことだ。

 

id:gerlingは、最初から手のひらの上だったのだろう。

  

 

議論の流れはこうなる。

 

1.id:gerlingは、id:magician-of-posthumanの「メディア論」を「ミクロ権力論」と混同して反論(笑)した。

 

2.だが、id:magician-of-posthumanは、「メディア論」がシステム理論の「コミュニケーションメディア論」と

  フランクフルト学派の「メディア論」的転回関係し、「ミクロ権力論」とは全く違うと言う事を説明した。

  http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

  客観的に第三者視点からみても、この時点でid:gerlingの敗北は決定的。

 

3.id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が

  同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら

  証明する事にあったが、id:gerlingは「論旨のずらし」によって不当に応戦した。

 

4.id:gerlingは、システム理論の「コミュニケーションメディア論」を完全スルーしたまま、

  システム理論を「観念論・形而上学精神分析学」だと決め付けてかかった。

 

5.だがid:magician-of-posthumanは、形式とメディア理論オートポイエーシスシステム論を説明し、

  システム理論が「観念論・形而上学精神分析学」とは全く別物である事を完璧に論証した。

 

6.id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が

  同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら

  証明する事にあり、

  かつ、システム理論が「観念論・形而上学精神分析学」と同じだと言う事を

  形式とメディア理論オートポイエーシス論に触れながら証明する事にあったが、

  id:gerlingはまた「論旨のずらし」によって不当に応戦した。

 

7.http://anond.hatelabo.jp/20090222172805増田が言っていたが、

  id:gerlingは、「コミュニケーション人間的な単位還元する事は不可能」だという

  システム理論の主張を完全スルーしたまま、

  「メディア論はガキくさい」から「id:magician-of-posthumanはガキくさい」へと

  「論旨のずらし」を行った。

 

8.だがid:gerlingのこの「論旨のずらし」だと、

  http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798を全く言い負かす事も

  できないまま主張してしまうために、全く全然具の骨頂な「論旨のずらし」になってしまった。

 

9.id:magician-of-posthumanは、追い討ちをかけるかのごとく、

  id:gerlingの「孫引き」=他者が引用した文章をそのまま引用する不正行為を行っている事、

  id:gerlingがルーマンの文献を読まずにルーマン理論に反論している事の調査不足さ、

  id:gerlingがボルツの文献を読まずにボルツを馬鹿呼ばわりしている事を指摘した。

 

10.id:gerlingは、このid:magician-of-posthumanの追い討ちを受けて、

   やっとルーマンの文献を一冊だけ(←ここポイント)読んで、

   id:magician-of-posthumanのシステム理論が誤読だと反論した。

   実はこの誤読だという反論も、客観的に見れば「論旨のずらし」だとわかる。

   id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が

   同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら

   証明する事にあり、

   かつ、システム理論が「観念論・形而上学精神分析学」と同じだと言う事を

   形式とメディア理論オートポイエーシス論に触れながら証明する事にあったが、

   id:gerlingはこれらの説明責任の論旨を「id:magician-of-posthumanのシステム理論」へと

   ずらす事で、id:magician-of-posthumanの波状攻撃になんとか対応しようとしたって事だ。

 

11.しかしid:magician-of-posthumanは、id:gerlingが罠に落ちたと言う。

   id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの

  「id:magician-of-posthumanのシステム理論は誤読だ」という主張を、

   これまた正確に反証している。

   id:gerlingは、ルーマン理論が神経や意識を「一度も」説明していないというが、

   id:gerlingが読んだ事のあるルーマン本は、「一冊だけ」だった。

   id:magician-of-posthumanはこれに向かって、

   神経や意識を取り上げているルーマン本を数十冊取り上げ、その頁数まで正確に記載して、

   id:gerlingの「知ったかぶり」を説明した。

 

12.さらにid:magician-of-posthumanは、id:gerlingこそがシステム理論を誤読していると説明する。

   形式とメディア理論オートポイエーシス自己言及と外部言及、システム環境の差異、構成主義認識論、

   コミュニケーションメディア論間テクスト性パラドクス化と脱パラドクス化。

   数多くのシステム理論概念を取り上げ、

   id:gerlingが自分自身の「調査不足」の責任を相手の「説明不足」へと転嫁していると説明する。

 

13.1-12までのながれをみると、どうも客観的な立場の第三者からみると、

   id:magician-of-posthumanがid:gerlingの相手をする理由がないように思えてくるのは気のせいだろうか?

   id:magician-of-posthumanが言うように、id:gerlingは議論の入り口に立ててない。

 

14.しかしid:magician-of-posthumanは、「メディア論」に反論(笑)してくるid:gerlingを

   最初から相手にならない無害な素人と見做し、「メディア論」の必要性を高める為に、

   好都合に利用していたのである。

   詰まり、id:gerlingの「メディア論」批判が「メディア論」に栄養を与えていたってことになる。

 

15.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの「孫引き」が知のデザインだという。

。「孫引き」を行なったid:gerlingは、これらの引用記事を読んではいない。読んだ上で言及するならば、最初から正確に引用であることを記したはずだからだ。したがってid:gerlingは、引用記事を読まずに「孫引き」した上で、引用されている記事のバックグラウンドに無学なまま反論(笑)を成し遂げていたと言うことになる。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090224/1235439131

 

16.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの「論旨のずらし」も知のデザインだという。

   増田が批判していたが、magician-of-posthumanは肯定的に取り入れているっという事になる。

 「論旨のずらし」は、今現在顕在化している論旨では到底勝つことができないという惨めな気持ちを埋め合わせるために形式化されているのである。言うなれば、「論旨のずらし」とは、既存の論旨に反論したいけれども反論(笑)になってしまうというパラドクスを、別様の「形式」と「メディア」の区別を構成することによって、脱パラドクス化しているのである。つまり、「論旨のずらし」とは現状無害化による問題の隠蔽なのだ。しかし脱パラドクス化はそれ自体がパラドクシカルである。パラドクスの隠蔽はパラドクス発見を伴わせる。だからこそ今現在id:gerlingは、稚拙バックグラウンドのままメディア論に反論(笑)することが、逆にメディア論の必要性を助長するというパラドクスに向き合わざるを得ないのだ。

 

17.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingがルーマンの文献を読むように誘導していた。

   案の定id:gerlingは、ルーマンの本を「一冊だけ」(←ここポイント)読み、誤読し、自爆した。

   誘導していたid:magician-of-posthumanにとって、ここまで計算どおりだったってことなのである。

   id:magician-of-posthumanは、id:gerlingがルーマンを付け焼き刃で論じても、100%誤読すると

   確信していたんだろう。

   id:magician-of-posthumanは、システム理論完璧に説明し、id:gerlingのルーマン読解を完璧に反証して、

圧倒的な調査不足に基づいた反論(笑)は、まさしく<知のデザイン>である。

   と言っていた。確信犯以外の何者でもない。

 

 

 

こうしてid:gerlingは、id:magician-of-posthumanの手のひらの上で転がされていたんだ。

とくに、id:magician-of-posthumanがわざと「id:gerlingがルーマンの本を読むように誘導」し、「案の定誤読した」ところを

知のデザインの要素として好都合に動員したあたりは、実にしたたか。

今までトニオは周囲から煙たがれるだけの存在だったが、これほど真正面から「利用」されてしまったのは

おそらく初めてではないだろうか?

 

だが僕らには、id:magician-of-posthumanのしたたかさにネガコメを突きつける資格があるのだろうか?

実際問題、id:gerlingの「メディア論」批判が十分な調査不足と正確な反証だったなら、

こんな事は起こらなかっただろう。「メディア論」の必要性を助長させてしまう「メディア論」への反論(笑)

書いて、付け焼き刃の知識と「論旨のずらし」や「孫引き」を繰り返して非科学的な反論をしてしまった

id:gerlingにも、問題はあっただろう。

 

たぶん僕らが教訓として言えるのは、

普段から努力をサボってる奴には、努力した者だけが参加できるハイレベルな議論に

参加する事が許されないってことなんだろう。サボりは悪い。

2009-02-22

論旨をずらして反論(笑)すると、勝手に「一人堂々巡り」にハマル

トニオに激怒したのは久しぶりだな

トニオとポマえもんの議論からスゴイ事発見しちゃった増田が通りますよ

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090217/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090221/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090221/1235173303

アンチ・トニオの増田から物申す

  

議論を一通り読んで疑問に思ったんだが

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」というのが

ポマえもんのシステム論的な主張のひとつなんだよな?(そういえば宮台も言ってた気がする

で、反論する立場のid:gerlingは、

システム論の文献をひとつも読解しないまま

知ったか → 孫引き → 論旨のずらし

を繰り返す事で反論(笑)していたんだろ。

 

その反論(笑)の内容が

メディア論ミクロ権力論・観念論・形而上学と同じでガキ臭いから止めてしまえ」だったんだろ?

 

でもポマえもんはシステム論のコミュニケーションメディア理論

フランクフルトの「メディア論」的展開を例証する事で

ポマえもんの「メディア論」が「ミクロ権力論・観念論・形而上学」とは全然違うと

説明したんだろ?

 

id:gerlingはトニオ戦法(知ったか → 孫引き → 論旨のずらし)しかできないから

システム論のコミュニケーションメディア理論にも

フランクフルトの「メディア論」的展開にも

反論する事ができないでいたんだろ?

 

要するにこの時

メディア論ミクロ権力論・観念論・形而上学と同じでガキ臭いから止めてしまえ」と反論する立場の

id:gerlingは、トニオだし、

もう議論の敗者になったってことだ。

 

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」という

システム論的な分析も、当然反論できてないよな?

 

じゃあなんでid:gerlingは

ポマえもん自身をガキ臭いって反論(笑)してんだ?

 

論旨をずらすのはトニオ戦法なんだしもう見慣れていたけど

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」

という主張を反論できないからといって

メディア論はガキ臭い」 → 「ポマえもんはガキ臭い」という

トニオお得意の論旨のずらしは通用しないんじゃないのか?

 

なぜなら、この論旨のずらしは

id:gerlingを敗北者にした議論というコミュニケーション

「ポマえもんという人間」に還元しようとしているからだ。

 

つまりid:gerlingが「メディア論はガキ臭い」という論旨を

「ポマえもんはガキ臭い」という論旨にずらしたいならば

まず「コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」を

完璧に反論して間違っている事を証明しないとならない。

 

id:gerlingは

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」

という主張を反論できないからこそ「ポマえもんはガキ臭い」という論旨へとずらそうと

しているんだろうが、

その論旨へとずらすためには、まずid:gerlingがどうしても反論できていない

コミュニケーション人間的な単位還元して説明することはできない」というポマえもんの主張を

反論しなければならない。

 

なにこの一人堂々巡り

論旨をずらして反論(笑)すると、勝手に一人堂々巡りにハマッテしまうんだなww

 

(追伸)

待てよ、これがポマえもんが仕掛けた魔術なのか?www

2009-02-21

トニオに激怒したのは久しぶりだな

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090217/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

http://d.hatena.ne.jp/gerling/20090221/p1

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090221/1235173303

アンチ・トニオの増田から物申す

 

社会科学では特に、先行研究概観する事は不可欠になっている。主題や論旨の方向性を合わせないと、話が噛み合わないからな。オーソドックスなのは、課題や論題を設定して、二次データになる既存の資料(=先行研究)を概観して、調査対象や調査方法を選定していく。そんでまた集計や分析をして結果を考察するプロセスを進めていく。といっても、ここは基本的に匿名ネット上だから、課題や論題の設定から二次データとなる既存の資料(=先行研究)を概観して、あとは結果を考察するくらいのプロセスになるだろう。匿名空間で匿名のままリサーチ結果を提起しても信憑性が無いし、ウィキペディアでも「検証可能なもの」しか学術的に主張する事はできないからな。

 

なんにせよ二次データとなる既存の資料を概観するのは、今のお前=トニオ=id:gerling=id:DoYouLikeWorms=id:VanDykeParks2=id:みたいに一つの学問領域を「ガキくさい」ものとして根底から覆そうとする奴にとっては不可欠なんだ。

 

だがトニオは

 他の部分はめんどくさいからいいや。読むほど暇じゃない。くりぃむナントカの見てなかった回の動画があるんだ。

とアホくさい事言っちゃってる。

これがメディア論という一つの学問領域の根底を覆そうとする人間の態度か?こんなものはアインシュタインの文献をなんら参照せずに相対性理論非科学的だと主張しているようなもんだ。その辺の勘違いした疑似科学批判者と同類だろ。おまえは昔からそうだったな。社会科学を誤解している。

「ぼくは貴方に現代ドイツ哲学講義なんか聞きたいわけではないし(そもそもぼくは言ったとおりボルツを単なる馬鹿だと思ってるし)、形式だけで内容のない哲学の話をしたいんじゃない。どうだろう、形式はもう十分だから、そろそろ本論に移ってくれないだろうか?」

お前が現代ドイツ哲学講義を受けているのは、おまえ自身が現代ドイツ哲学の文献をなんら参照せずに喧嘩を吹っかけているからだろ。調査不足を指摘されてるのはそのため。一つの学問領域に喧嘩売るなら、それ相応の準備をして来いってことだ。

 

 

メディア論肯定派postなんとかのスタンスは安定している。

 

・突然喧嘩を吹っかけられた側

・先行研究概観を済ませている

・論旨は明快。

 フランクフルト学派(第一世代の否定主義→第二世代の相互主観転回→第三世代の承認論的転回→第四世代の「メディア論」的転回

 社会システム論(形式と「メディア」の法則コミュニケーションメディア論

・先行研究概観しないトニオの存在を軽視し、なんか楽してる観はある

IDが長い

 

メディア論否定派は悲惨。かわいそう

 

・トニオである時点で根本的に駄目だろ

・突然喧嘩を吹っかけた側

ルーマンやボルツを読まずに、ボルツを馬鹿呼ばわり。先行研究概観していない

引用先の文献を読まずに、相手が引用した文章をそのまま引用するいわゆる孫引き行為に走っているhttp://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090220/1235087264

・論旨をズラして自己満に浸るだけ

 フランクフルト学派の「メディア論」的転回が「ミクロ権力論」と同じだって?アホか

 ルーマンを全く読んでいないのに、何故か社会システム論と観念論をこじつけようとする。ほんと言われてる通りの知ったかだな

自分から反論し始めたくせに、その反論が駄目な理由を詳細に語られると、「現代ドイツ哲学講義なんて聞きたいわけではない」論旨をズラして自己満に浸るだけ

Id変え過ぎ 

 

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798

この時点でもう決着が付いてる。いや、勝負になってないんだ。

 

あと、postに命令。踏み台とかいって何企んでんだか知らんがもうこいつの相手すんな。トニオが調子付くだけだから。自称村長kanose逆鱗に触れるぞ→ http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060330/tonio

2009-01-12

本の受け売り

ululunがmagician-of-posthumanの中の人に、

「彼の言説は本の受け売りなんだけど反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」

http://twitter.com/ululun/status/1080329440

という発言をした。

これに対するmagician-of-posthumanの人の反論。

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090107/1231288998

この文章を読んでみたが、素人不快にさせるほどの「難解な専門用語」や「長文」が多用されており、「馬鹿よけ」として非常に効率的に機能しており、何が書いてあるか非常に難解である。

だが、如何に私が愚かとは言え、これだけの文章から何も読み取れないとすると、かなりの時間を費やしてしまって読んでしまった事が勿体無い。

前半部分の不条理のお話は、今回は割愛し、「本の受け売り」について考えてみた。

本の受け売りなんて存在しない


読者は本の通りに物事を観察することができない

私がmagician-of-posthumanの文章を読んで、わかったような気になって受け売りで話をしてるつもりになっていても、「そんな低レベルの話なんてしていない。受け売りって言うな」と言われるのは納得なお話

読むことは発見である

私がmagician-of-posthumanの文章を読んで、そのまま理解することなど、不可能だ。原文を読んで、切り分けて、細かい断片にして咀嚼しなければならない。その過程で意味見出し、その意味に命名し、取り消して、また命名する。これは飽く事のない近似化であって、原文の一つの意味を忘れても、それを過失と取ることはできない。誤読なき読解は無く、あるのは発見なのである、という立場から本の受け売りは存在しないというお話

本の受け売りじゃないものなんて存在しない


世界偉人達が考え付かなかったことなどない

連続しているにも拘らず微分できない曲線」を発見して自信満々に発表したとしても、この曲線はヴァイアシュトラース曲線として発見されていたりする。そういう例は枚挙に暇がない。どんだけ本を読んでないか知らないが、読めば読むほど自分無知を知ることになりますよというお話

本の受け売りじゃない発想しかクリエイティブでないという発想すら本の受け売り

本の否定が「本の否定」に関する本を生み出すというパラドクスも、メディア論の間では既に自明となっているらしく、ブーメランが飛んでくるというお話

結論:こういう風につぶやくべきだった


これらの事を考えると、なるほど、ululunの最初の発言は不適当に思える。

「彼の言説は本の受け売りなんだけど反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」

「彼の言説は本の受け売りのように私には見えるが、本の受け売りという発想自体が本の受け売りで、本の受け売りなんてものは本当は存在しないんだけど、彼の言説は素人不快にさせるほどの「難解な専門用語」や「長文」が多用されており、「馬鹿よけ」として非常に効率的に機能しており、反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」

とつぶやくべきであった。というお話

http://anond.hatelabo.jp/20090110145639

2009-01-10

はてなの愚衆は本を読め的な事を思った

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090107/1231288998id:ululunがボコボコにされている件で、id:pbhが絡んで撃沈してた。

この人、暴言を吐くdis芸人というイメージを持っていたけど、本質的id:AntiSepticだな。つhttp://anond.hatelabo.jp/20090106070647

無学な馬鹿が「本で得た知識」を否定すると、逆に「本で得た知識」の有効性が高まる。熱心に読書した上で「本で得た知識」を批判している論者から観ると、こいつらは足手纏いだ。 - はっはっは

<本の観察に怠惰で無学な皆さんが挑戦されている「本で得た知識」を批判すること>と<本の観察に熱心に取り組んだ上で「本で得た知識」を批判すること>とを、混同して貰いたくはない。後者の卓越された批判者から観れば、前者は足手纏いです。

 <本の観察に怠惰で無学な皆さんが挑戦されている「本で得た知識」を批判すること>を繰り返していくと、学術的に何の価値もないゴミのような記事がウェブ上に溢れてしまいます。その結果、「情報氾濫」という馴染みのある言説で、インターネットの学術的な言説空間が批判されてしまうでしょう。すると、どうなるか。「結局本から得られる情報や知識の方が確からしいじゃないか」という意見を後押しすることになってしまいます。

 これはパラドクスです。無学な皆さんが「本で得た知識」を批判すると、逆に「本で得た知識」の有効性を高めてしまうのですから。そしてこのパラドクスは、<本の観察に熱心に取り組んだ上で「本で得た知識」を批判すること>に挑戦している論者からすれば、邪魔ですね。

なるほど。たしかに。

甘えるな」というメッセージがヒシヒシと伝わってくる。

システム論をメディア論に応用するなんてのは斬新でかなり読み応えがあった。

たしかにシステム論では、データというメディア情報という形式を、情報というメディアと知識という形式をそれぞれ異化するから、

本の受け売り等成り立たないし、引用コピペも区別される。

だがそうなると、学システム盲点を前提にして作動していく事になる。なぜなら観察者は、データから情報フィルタリングする過程、

情報から知識をフィルタリングする課程で、大量のデータ情報を見落とすから。

となると、疑問が生じる。パラドクスだな。つまり、なんで真・非真のコードで作動していく学システムが、

盲点盲点のままほったらかしで作動していくの?って事。

かしこの学システムパラドクスは、学システム自らで脱パラドクス化されてしまう。

つまり、学的コミュニケーションについての学的コミュニケーションという構成要素を新たに創発させる事で、

事前のパラドクス隠滅するって事。

しかしそれゆえにこそ学システムは不確定性にぶつかって行くんだな。

だから近代の学システムは、盲目的に作動していく機能システムのひとつってわけね。

ヘーゲルの一体のものをパラドクスとして考えるシステム論ならではの発想。

ま、機能分化した近代社会だと、一体のものは分裂してるってのが通説でして、理性は多面的なの。

人間」は何かしらの機能システムから疎外されてる。

んで、今回学システムから疎外されてんのが、id:ululunid:pbhってわけね。

id:ululunid:pbhも、自分から首突っ込んでおいて相手が振り向いたらダンマリか。カッコワル

別にさー、システム論なんて社会理論のひとつだよ?少し本読めばわかんのに何でおまえらわからんの?

ホント、おまえらには学問科学を語ってほしくないと思ったよ。

2009-01-02

[]はてな大学社会科学部学科)

まだ志望校が決まっていない受験生にすごい情報をやる。

妄言学部よそ行きキャンパス

はてなブックマーク - ブックマークで妄想をよそ行きに。

id:chnpk教授

偏差値 59

科目 社会学政治学経済学

資本主義について勉強できる。

政策関連も少々勉強する。

学生は、ファーストネームがチュンプク○○になる。 

非コミュ学部非モテキャンパス

E.L.H. Electric Lover Hinagiku

id:y_arim教授

偏差値 63

科目 コミュニケーションデザイン政治学

東大卒はてなを代表するカリスマ教授

人が傷つく事とはどういうことなのかを学ばされる。

毎週、非コミュ非モテを救う方法をレポート10枚分提出しなければならない。

猫にゃん学部地下室キャンパス

地下生活者の手遊び

id:tikani_nemuru_M教授

偏差値 75 

科目 政治学歴史学社会学

語尾が「にゃー」で統一された教科書を使って勉強する。

近代思想は必修科目で、これを受けていないと講義の内容がわからない。

犬派は基本的に入学できない。

入試面接試験一本勝負で、猫の魅力について40分間喋り続けなければならない。

歴史学部過ぎ去ったキャンパス

過ぎ去ろうとしない過去

id:hokusyu教授

偏差値 77

科目 歴史学政治学哲学

歴史修正主義賛否両論」という有名なゼミがある。

はてなを代表する歴史学偉人

歴史学卒論は必修。

歴史学の文献が難読で厳しいキャンパスライフになるが

人生を通じて役に立つ知識を持つことができる。

毒舌学部消毒キャンパス

消毒しましょ!

id:AntiSeptic教授

偏差値 44

科目 政治学経済学英文学

4年間を通じて毒舌に耐える忍耐力を鍛えることができる。

他人を罵るためのコミュ力も高まる。

そして、表面的な罵倒用語に惑わされずに本質を見抜く眼を養うことができる。

卒業すると、「消毒液処理」という免許がもらえる。

狐学部フォックスキャンパス

狐の王国

id:KoshianX教授

偏差値 54

科目 プログラミング犯罪学、教育学

犯罪に対して若干センセーショナルな面もあるが、

制度や技術について、人に流されない姿勢を持ち続けることの

重要さを勉強することができる。

メディア学部魔道図書キャンパス

はっはっは

id:magician-of-posthuman教授

偏差値 73

科目 社会学文化人類学メディア論

ポスト○○」や「魔術」等のキーフレーズ釣りを書くこともあるが

基本的にその学術レベルトップクラス

ただし、分厚い長文の教科書は持ち歩くことができないくらい重たいので、

教室用と自宅用とで二つ以上は購入しておく必要がある。

怠けたはてブコメントを書くと退学処分になる。眉毛が太いと合格率が上がる。

雑草学部草原キャンパス

雑種路線でいこう

id:mkusunok教授

偏差値 75

科目 政治学経済学、制度

政治財政について、

コンスタントに安定した思考能力を養える。

はてなー学部越後キャンパス

ekken?

id:ekken教授

偏差値 63

科目 コミュニケーションメディアウェブ社会学

1学年は「無断リンク未来」が必修科目となる。

2学年に進級すると、「oredoco」という科目が必修になる。

3学年になると、「はてブの魅力」という科目が必修になる。

そのほか、はてブブログの使い方を勉強できる。

誰も思いつかない奇をてらったマッチョ論や、

逆転の発想など、トリッキーな発案ができるようになる。

応用すれば、どんなところでも役立つtips

アルファ学部アーティファクトキャンパス

ARTIFACT@ハテナ系

id:kanose教授

偏差値 64

科目 コミュニケーション戦争論、オタク文化

1年まではオタク文化論の基礎を学ぶ。

2年になると、揉め事の分析が主流になる。

3年になると、「アルファブロガー品格」が必修科目になる。

どちらもウェブについての重要考察になるので

ぜひとも受講しておきたい。

メンタル学部ヘルスキャンパス

xevraの日記

id:xevra教授

偏差値 34

科目 精神分析学、心理学コミュニケーション

全ての問題をメンヘラの問題として対処する実技を学ぶ。

ただし、メンヘラの問題としてしか対処できなくなるので、

その手の分野に就職する予定の学生を受け入れている。

インスパイア元→2009年に起こりそうなスーパーはてな対戦

2008-12-09

[]匿名ダイアリー、字小さくて書きにくい

http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20081208/1228726052

普通に、知らんやつに、「お前」とか命令形で言われるのは儀礼的におかしいと思うのだが、それでも「無限の応答責任」が生じるのが「知識人」というやつか。それこそもう一度問うが「そもそも、なんでネット馬鹿どもとコミュニケーションなんかしなきゃいけないんだ。 」

http://twitter.com/naoya_fujita/status/1042662107

 なるほど、なぜだろうか。言葉遣いの悪い「言論的な野蛮人」をコミュニケーションの外に排除してはいけないのは。では、どっちもどっちで片付ける「論理的な野蛮人」をコミュニケーションの外に排除してはいけない理由はなんだろうか。

そもそも「ツイッター」というつぶやきサービスミクシィは公共的なのか。私的/公的という範疇が融解しているから、なんでもかんでも「公的」にすんなよ、別けろよ、という僕の思想というか主張があるのだが、君たちは「藤田直哉」の思想について不勉強無知馬鹿だ。

http://twitter.com/naoya_fujita/status/1042663811

 たぶんこれはメディア論(かっこわらい)の人たちが「じゃあなんで『私的』なことなら大学ノートに書かず『知らんやつ』が読めるところに書いてんだよ」っていうのにうまく答えられなかった程度の話でしょう。無論そんなこと、君の思想を逐一知ってる義務はないということ程度に、知ってる必要ないことだけどね。

 逐一、発言を拾っていくつもりだったけど、めんどくさいから止める。

 まずあの、

基本的な立場として僕は「南京はあったし数は30万は行き過ぎだけどそこそこはあっただろう」ということをまぁ認めるよ、という立場です。

 「30万は行きすぎだけど」ってところだけれども、君にそれを判断できるほどの情報があるわけ?((ぼくにはないよ))南京事件以前の南京城内外の人口がどれくらいで、南京事件以後の非難区、非難区以外の城内外がどれくらい、とかそういうことを踏まえたうえで言っているわけ?『南京戦史』であるとか、南京事件資料集((その手のはわりと多いので、どれと具体名を挙げるのは遠慮させていただく))であるとかを熟読してそういっているわけ?

 無論、そんなわけないでしょう。この人がそう言っているのは、『バランス感覚』、(別に誰が見るというわけではないだろうけど)誰もが納得してくれる『おとしどころ』としていっているわけでしょう(その『おとしどころ』で不興をかっているわけだけれども)。だいたい、君はその正当性の担保をどこに求めるつもりだろうか。言説に「善」(つまり道理)はないのに「正」(つまり公正さ)があるとでも言うつもりなんだろうか。であるならば、言説の公正さとは何で、誰がそれを決めるんだろうか。それとも、君に対して礼儀正しいか、そうでないかが、公正さの基準なの?

 ある程度の確からしさがあると認めるのであれば、そこにも強度があると考えれないだろうか。つまり、この確からしさは、あの確からしさよりも正しい、と。その『確からしさ』とあの『確からしさ』はどちらも確かではないから、一緒だ、排除してしまえる、とするのは実に非科学的で暴力的な態度でしょう。

 そもそも、こんな風に「公正さや正義を無視するものはコミュニケーションから排除してしまって良い」という風なアメリカ的なポストモダンプラグマティズム((想定するのはローティフィッシュだ))をマルクス主義者を自称するぼくが振りかざして、あらゆるものにコミュニケーションは開かれるべきだ、というような(野蛮なコミュニケーション的理性を基にする)原則論理念ポストモダニストを自称する人たちが振りかざすというのは矛盾した話だと思うけど。

 『デリダ的に言うならば』、こんなふうにテーゼがあってアンチテーゼがあってジンテーゼあるというような弁証法的なものの考え方自体がどうなんだろうか。飲み会(ある種の『問答』だな、無論皮肉で言ってるんだけど)なんかでクダを巻いてそれで『思想』((ゼロアカの、でも、ロストジュネレーションの、でも、好きな接頭句を入れてくれよ))を作り上げてしまう、そんな馬鹿みたいな真似がどうかということだ。

2008-03-15

anond:20080315145308

本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。

グーグルキャッシュ初版なので違うところがあるかも。

プラトン国家』 

アリストテレス形而上学』 

ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 

ヘーゲル精神現象学』 

デカルト省察』 

パスカル『パンセ』 

ライプニッツ『単子論』 

カント純粋理性批判』 

キルケゴール『不安の概念』 

スピノザエチカ』 

ルソー社会契約論』 

バークフランス革命省察』 

ジェイムズ『宗教経験の諸相』 

ニーチェ権力への意志』 

フッサール論理学研究』 

ハイデガー存在と時間』 

サルトル存在と無』 

ベルグソン時間と自由』

レヴィナス『全体性と無限』 

フロイト快感原則の彼岸』 

ラカン精神分析の四つの基本概念』 

レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 

フーコー言葉と物』 

ソシュール『一般言語学講義』 

チョムスキー『文法理論の諸相』 

ヴェイユ重力と恩寵』 

アーレント精神の生活』 

ブーバー『我と汝・対話』 

ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』 

ミンスキー『心の社会』 

ライル『心の概念』 

アドルノホルクハイマー啓蒙弁証法』 

ドゥルーズガタリアンチ・オイディプス』 

ウェーバープロテスタンティズム倫理資本主義精神』 

デュルケム『自殺論』 

バタイユエロティシズム』 

モース『社会学人類学』 

キャンベル『千の顔をもつ英雄』 

マクルーハンメディア論』 

ブローデル地中海』 

ウォーラステイン『近代世界システム』 

アダム・スミス国富論』 

ゾンバルト恋愛と贅沢と資本主義』 

ベンタム『道徳立法の原理序説』

ミル『自由論』 マルクス資本論』 

アルチュセール資本論を読む』 

シュンペーター経済発展の理論』 

ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論』 

ヴェブレン『有閑階級理論』 

ポランニー『大転換』

ボードリャール消費社会神話と構造』 

オルテガ『大衆の反逆』 

ミルズ『パワーエリート

リースマン『孤独な群衆』  

イリイチシャドウ・ワーク』 

ベル資本主義の文化的矛盾』 

ネグリ『構成的権力』 

バーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 

アンダーソン『想像共同体』 

バレーラマトゥラーナ知恵の樹』 

ルーマン社会システム理論』 

ロールズ正義論』 

ハイエク『法・立法・自由』 

ブルデュー資本主義ハビトゥス』 

オング『声の文化と文字の文化』  

M・ポランニー『暗黙知次元』 

クーン科学革命の構造』 

ポパー『推測と反駁』 

サイードオリエンタリズム』 

メルロ=ポンティ知覚現象学』 

フッサール論理学研究』 

ラッセル西洋哲学史』 

フロム『自由からの逃走』 

ベイトソン精神生態学』 

ベンヤミンパサージュ論』

デリダ『グラマトロジーについて』 

クール時間物語』 

ペンフィールド『脳と心の正体』 

スローターダイクシニカル理性批判』 

フレイザー金枝篇』 

シュミット政治神学』 

クラウゼヴィッツ戦争論』

ドラッカー『「経済人」の終わり』 

リップマン『世論』 

マンハイムイデオロギーユートピア』 

ブルームアメリカンマインドの終焉』 

ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトライス』 

パノフスキー『イコノロジー研究』 

クーン科学革命の構造』 

ホワイトヘッド科学と近代世界』 

ソンタグ『反解釈』 

ドーキンス 『利己的な遺伝子』 

ギブソン生態学的視覚論』 

フランシス・フクヤマ歴史の終わり』 

ケストラー『機械の中の幽霊』 

ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 

ホーキング『ホーキング宇宙を語る』 

イーザー『行為としての読書』 

イーグルトン『文学とは何か』 

ホフスタッター『ゲーデルエッシャーバッハ』 

ド・マン『ロマン主義レトリック』 

シオラン歴史ユートピア』 

ブランショ文学空間』 

ガダマー『真理と方法』 

ローティ哲学自然の鏡』 

セラーズ『経験論と心の哲学』 

パーソンズ社会的行為の構造』 

ジジェクイデオロギーの崇高な対象』 

アガンベンホモ・サケル』 

ダマシオ『生存する脳』 

クワイン『ことばと対象』 

マッキンタイア『美徳なき時代』

こういう時、トラバツリーが各所に残る今の仕様は便利だ。

ツリー内主要エントリ

2007-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20071116201839

なんかもう。いろいろとちゃんと読もうな。

韓流ドラマみたいな」と言うからには純粋ストーリーについての話だろ?

だから「イラスト」や「本の下の方が白い」は関係ない。

最初っからプロダクトとしての面を多く含んだメディア論なの。

書店員が、って書いてあるでしょツリー元に。

対決とハッピーエンド

こっちは意味不明だぞ。

「通念」としてなら、どんな物語だって対決とハッピーエンドが基本だし、

「実際」としてなら、対決しない作品も、バッドエンドの作品もたくさんある。

基本。たしかにそのとおりだわさ。まぁここでAT分類とか柳田とかプロップとか言ってもアレなので、カンタンに「純粋ストーリーについて」たとえ話をすると、マンガ物語類型の豊穣さに比べて、ラノベはまだまだ狭い、というのは認めざるを得ないよな? 全編笑い話しかしないラノベやら、ひたすら恋愛セックスの話しかしないラノベって、そう多くないと思うぜ。

「実際」の方は、その通りだけど、ざっと見た全体の印象の話をしてるんだし。

//

http://anond.hatelabo.jp/20071116204204

あー。書き方がびみょうだったかも。ボーイミーツガールラノベの基本なので当然。

おれが言ってるのは、『りぼん』『なかよし』掲載マンガ並に「恋愛しか」書いてないラノベ、という。コバルトラノベか? という話とかは、まぁ。あ(略)の方向で。

2007-10-22

8bit時代とは何だったのか - 8色タイリングが拓いた表現者の時代 -

ブックマークでも人気のこちらを見て考えた。

YouTube『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』

80年代に隆盛を誇った8bitホビーパソコンの追憶の詩と映像である。若くてそんなの知らない向きにはこちら→Wikipedia 8ビットパソコンホビーパソコン

要するに貧相な計算能力ながらようやく「人間にも分かる」表示能力と発音能力を持った初期のパソコンの、ユーザーがその表現をプログラム側からながら自由に扱うことができるところに面白みのあった一時代についての懐古である。曲も素晴らしい。

もちろん私も8bitホビーパソコンのストライクゾーンユーザーだったわけで上記クリップの言わんとする感じは良く分かる。逆に世代が違うとそれだけでこのビデオ作品には何も感じないかもしれない。

しかしそんな懐かしズムについて語りたいわけではない。いや、むしろ猛然と語りたくてしかたないのか。ともあれ、この国産8bit時代に我々現30代はアーダコーダと雑誌を横に機械語まで弄ったりしたのだ。頭の柔らかい中学生ぐらいだから理系とか関係なく自然言語を取り扱えた。いきなりバイナリコードを組んでる姿は親からみたら異星人だったに違いない。それでもクラスに数人はいたはずだ。希少種というほどでもない。

そこで疑問に思うのがそんな我々30代が社会で中堅と相成った現在において、この日本ソフトウェア産業レベルが低いのはどういうことなのだろうか。かように自主的にコンピュータの実習をしてきたにもかかわらずだ。

怪しい部分はいろいろある。

8bitパソコンうつつを抜かしている間言われたのは「プログラマーでは食っていけない」という呪いだった。実際、私も特性があったとも思えないが選択肢から最初から除外していた。この辺の妥当性は現在プログラマーの人のコメントを待ちたい。外見的にはWebプログラマーとして人材が流れ込む現在とは対照的だとは思う。

また、90年代の停滞だ。Macintosh廉価版と続くPC/ATWindows95の普及まで「パソコン」は暗黒期にあった。さらに言うと2000年ごろのウェブプラットフォーム現実感として開けてくるまで80年代のような「パーソナル」さはなかったように思う。

思うに、80年代パソコン90年代(後半)以降のコンピューティングは全くの別物だったのではないだろうか。

そこで8bitパソコンがなんだったかというと、実際はパーソナル「コンピュータ」ではなくパーソナル「メディア」だったのだろうと思うのだ。(当時ログイン伊藤ガビンPCメディア論を振るっていたが、ここではもっと画用紙同様の素直な意味である)今からみると惨めな表現力しかないのだが自由に、難しい表現だが、扱うことができた。サラリとその場でBASICを組めばキーに音を割り振れるような自由だ。いくつかの8x8マスのカラフルな独自“文字”を設定してテレビ局しか触ることのできなかったCRT画面を芝生“文字”や樹木“文字”で埋め尽くし草原にしてしまう自由だ。

特に当時は計算能力限界があったためユーザーも遅くて動かないアルゴリズムに凝ることより表現に凝ることに走ったのかもしれない。

ゆえにコンピューティングの正統な進化たるMacintoshPC/ATではそれを引き継ぐことはできず、ラピッドプロダクションで表現を行うメディアであるウェブの普及までその再来感覚がなかったのだ。

そしてこれはコミック60年代??)、アニメ70年代??)と続きゲーム(90??年)が引き継いだ日本サブカルチャーの基底をなす一つでもあると思う。

だから大人になったパソコン少年※が作るのはウェブプラットフォームランタイムではなく『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』なのである。

※作者が何者か全く知らない。本当は20才のモデルかもしれないし65才会社役員かもしれないのであしからず

2007-10-16

なんだか

オタク論を話してる人とメディア論を話してる人と混ざってるな

お互い別々の話のはずが相手の話の一部を抜き出して自分のテーマに持ってこようとしてる

2007-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20070716220522

メディアにおける蘊蓄という形での知識の継承について

…とかいう論文になるのかねぇ。

メディア論のぬるいのなら許すところとかもあるかもねぇ。

2006-11-11

[]

タイトルが「か」で終わる記事があるよね。タイトルが疑問文になってる。たまたま見つけたんだけど、

とか。この記事だとようは、「はてブの『統合メディア論』関係注目記事はスパムじゃない」ってことになるんだけど。じらすよね。結論からバシッと提示して欲しいよね。読者に問いを投げかけることで考えさせ、その流れで記事に引きつけさせようとするんだよね。プロテインだね。

でも、最初から答えが分かっていた方が、読者にいらない計算をさせなくて親切だと思う。ボキはこれを、「かおわりじらし」と命名し、密かに注目してる。

[]モヒカン族が喜びそうな展開

統合メディア論

無自覚なサクラというか、はてブ脆弱性を見た。今回の事例はハタ迷惑ではあるが、悪意は感じない。ただ、15人程度のブロガーがつるめば、はてブトップページを占拠できることが分かった。

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