はてなキーワード: パラドクスとは
小学校の頃の話だ。
僕は、三回転校し三つの小学校を渡った。
僕が出会った中でもDは少し変わった雰囲気のあるヤツだった。
三年生の頃の事だ。
その時の担任は授業中にしょっちゅう脱線する、まあ割りと生徒に人気のある先生だった。
どこから、そんな話題になったかは覚えていないが「クレタ人のパラドクス」の話になった。
例の「『クレタ人は嘘つきだ』とクレタ人が言った」と言うヤツだ。
その頃の僕は「故事ことわざ辞典」が愛読書だったので、「こいつはムジュンというやつだな」くらいのことを思っていたはずだ。
Dは手を上げて
「先生、その話は誰から聞いたの?」と質問にした。
「誰から聞いたとかそういう話じゃないんだよ」と先生は答えたはずだ。
Dは少し間をおいて
「じゃあ、嘘つきは先生だ」と言った。
これはそういう話じゃないんだという顔を先生はしたと思う。今現在の僕もそう思う。
ただ、「嘘つきは先生だ」というシンプルな言葉は今でも覚えている。
そして、ムジュンを感じるような厄介な出来事に遭遇した時に、「嘘つき」はどこに潜んでるかわかったもんじゃないなと考える。
http://anond.hatelabo.jp/20090829221840
選挙の度に出てくる棄権者批判の典型例として「組織票を持つ候補が有利になるから棄権するな」というものがある。
「組織票を持つ候補が有利になるのは悪い事である」と言う前提に立てば主要政党はどこでも組織票を持ってるから、どこに入れようが組織票を持つ候補を有利にしてしまうのでどこに投票するのも悪になる。投票行けと言う人もそこまで愚かではないだろうから組織票のより少ない候補に入れるべきってことだろうというところまで前回書き、結局ニートへの揶揄で終わってしまい肝心の結論を書き忘れた。
「組織票を多く持つ候補が有利になるのは悪い事である」と言う前提に立てば候補者が持つ組織票が多ければ多いほどその候補に入れる事がより悪い行為となる。逆に固定的な支持者が少なければ少ないほどその候補に入れることはより良い行為となる。有権者の圧倒的多数が毎回投票するような多数の固定票を持つ候補とごく一部の人がたまにしか入れない小数の浮動票をとる候補がいれば、前者に入れるのは悪い行為と言うことになる。その差が大きければ大きいほど前者に入れるのはより悪い行為ということになる。しかし議会や選挙と言うのは多数決が基本でありより多くの票を集めたほうが当選することが良いことであり、より多くの議員から賛成される政策ほど実現しやすくなるのが良いことだと言うのが前提のはずである。もしこれを認めないのであればそもそも議会の選挙自体するべきでない。
id:magician-of-posthumanが仕掛けた罠とは何だったのかについて一考した。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090224/1235439131
id:gerlingは、何の技も会得せずに、「メディア論」という一つの学問分野に対して「道場破り」を挑んできた。しかし学術の道場では、何の技も会得していない雑魚と同じ「土俵」に立つような真似はしない。雑魚は「門前払い」だ。しかしながら、メディア論の道場では、「門前払い」になった雑魚を<踏み台>にすることによって、より高き土俵を造ることが可能なのである。
どういうことか?今id:gerlingが陥っているパラドクスは、自らの反論が何ら相手にされずに、反論対象を好都合にしてしまっているというパラドクスなのである。id:gerlingがメディア論に反論しても、メディア論の必要性を助長させてしまうのだ。
増田的には注目度は低かった「科学的な議論」ではあったが、この議論は最初から茶番だった。
id:gerlingの反論が非科学的な反論(笑)であったために、
id:magician-of-posthumanはそれを都合よく「利用」したってことだ。
id:gerlingは、最初から手のひらの上だったのだろう。
議論の流れはこうなる。
1.id:gerlingは、id:magician-of-posthumanの「メディア論」を「ミクロ権力論」と混同して反論(笑)した。
2.だが、id:magician-of-posthumanは、「メディア論」がシステム理論の「コミュニケーションメディア論」と
フランクフルト学派の「メディア論」的転回に関係し、「ミクロ権力論」とは全く違うと言う事を説明した。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798
客観的に第三者視点からみても、この時点でid:gerlingの敗北は決定的。
3.id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が
同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら
証明する事にあったが、id:gerlingは「論旨のずらし」によって不当に応戦した。
4.id:gerlingは、システム理論の「コミュニケーションメディア論」を完全スルーしたまま、
システム理論を「観念論・形而上学・精神分析学」だと決め付けてかかった。
5.だがid:magician-of-posthumanは、形式とメディアの理論やオートポイエーシス・システム論を説明し、
システム理論が「観念論・形而上学・精神分析学」とは全く別物である事を完璧に論証した。
6.id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が
同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら
証明する事にあり、
かつ、システム理論が「観念論・形而上学・精神分析学」と同じだと言う事を
形式とメディアの理論とオートポイエーシス論に触れながら証明する事にあったが、
id:gerlingはまた「論旨のずらし」によって不当に応戦した。
7.http://anond.hatelabo.jp/20090222172805の増田が言っていたが、
id:gerlingは、「コミュニケーションを人間的な単位に還元する事は不可能」だという
「メディア論はガキくさい」から「id:magician-of-posthumanはガキくさい」へと
「論旨のずらし」を行った。
8.だがid:gerlingのこの「論旨のずらし」だと、
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090218/1234955798を全く言い負かす事も
できないまま主張してしまうために、全く全然具の骨頂な「論旨のずらし」になってしまった。
9.id:magician-of-posthumanは、追い討ちをかけるかのごとく、
id:gerlingの「孫引き」=他者が引用した文章をそのまま引用する不正行為を行っている事、
id:gerlingがルーマンの文献を読まずにルーマン理論に反論している事の調査不足さ、
id:gerlingがボルツの文献を読まずにボルツを馬鹿呼ばわりしている事を指摘した。
10.id:gerlingは、このid:magician-of-posthumanの追い討ちを受けて、
id:magician-of-posthumanのシステム理論が誤読だと反論した。
実はこの誤読だという反論も、客観的に見れば「論旨のずらし」だとわかる。
id:gerlingの本来の説明責任は、id:magician-of-posthumanが主張する「メディア論」と「ミクロ権力論」が
同じであると言う事を「コミュニケーションメディア論」とフランクフルト学派の「メディア論」的転回に触れながら
証明する事にあり、
かつ、システム理論が「観念論・形而上学・精神分析学」と同じだと言う事を
形式とメディアの理論とオートポイエーシス論に触れながら証明する事にあったが、
id:gerlingはこれらの説明責任の論旨を「id:magician-of-posthumanのシステム理論」へと
ずらす事で、id:magician-of-posthumanの波状攻撃になんとか対応しようとしたって事だ。
11.しかしid:magician-of-posthumanは、id:gerlingが罠に落ちたと言う。
id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの
「id:magician-of-posthumanのシステム理論は誤読だ」という主張を、
これまた正確に反証している。
id:gerlingは、ルーマン理論が神経や意識を「一度も」説明していないというが、
id:gerlingが読んだ事のあるルーマン本は、「一冊だけ」だった。
id:magician-of-posthumanはこれに向かって、
神経や意識を取り上げているルーマン本を数十冊取り上げ、その頁数まで正確に記載して、
id:gerlingの「知ったかぶり」を説明した。
12.さらにid:magician-of-posthumanは、id:gerlingこそがシステム理論を誤読していると説明する。
形式とメディアの理論、オートポイエーシス、自己言及と外部言及、システムと環境の差異、構成主義的認識論、
コミュニケーションメディア論、間テクスト性、パラドクス化と脱パラドクス化。
id:gerlingが自分自身の「調査不足」の責任を相手の「説明不足」へと転嫁していると説明する。
13.1-12までのながれをみると、どうも客観的な立場の第三者からみると、
id:magician-of-posthumanがid:gerlingの相手をする理由がないように思えてくるのは気のせいだろうか?
id:magician-of-posthumanが言うように、id:gerlingは議論の入り口に立ててない。
14.しかしid:magician-of-posthumanは、「メディア論」に反論(笑)してくるid:gerlingを
最初から相手にならない無害な素人と見做し、「メディア論」の必要性を高める為に、
好都合に利用していたのである。
詰まり、id:gerlingの「メディア論」批判が「メディア論」に栄養を与えていたってことになる。
15.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの「孫引き」が知のデザインだという。
。「孫引き」を行なったid:gerlingは、これらの引用記事を読んではいない。読んだ上で言及するならば、最初から正確に引用であることを記したはずだからだ。したがってid:gerlingは、引用記事を読まずに「孫引き」した上で、引用されている記事のバックグラウンドに無学なまま反論(笑)を成し遂げていたと言うことになる。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090224/1235439131
16.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingの「論旨のずらし」も知のデザインだという。
増田が批判していたが、magician-of-posthumanは肯定的に取り入れているっという事になる。
「論旨のずらし」は、今現在顕在化している論旨では到底勝つことができないという惨めな気持ちを埋め合わせるために形式化されているのである。言うなれば、「論旨のずらし」とは、既存の論旨に反論したいけれども反論(笑)になってしまうというパラドクスを、別様の「形式」と「メディア」の区別を構成することによって、脱パラドクス化しているのである。つまり、「論旨のずらし」とは現状無害化による問題の隠蔽なのだ。しかし脱パラドクス化はそれ自体がパラドクシカルである。パラドクスの隠蔽はパラドクスの発見を伴わせる。だからこそ今現在id:gerlingは、稚拙なバックグラウンドのままメディア論に反論(笑)することが、逆にメディア論の必要性を助長するというパラドクスに向き合わざるを得ないのだ。
17.id:magician-of-posthumanは、id:gerlingがルーマンの文献を読むように誘導していた。
案の定id:gerlingは、ルーマンの本を「一冊だけ」(←ここポイント)読み、誤読し、自爆した。
誘導していたid:magician-of-posthumanにとって、ここまで計算どおりだったってことなのである。
id:magician-of-posthumanは、id:gerlingがルーマンを付け焼き刃で論じても、100%誤読すると
確信していたんだろう。
id:magician-of-posthumanは、システム理論を完璧に説明し、id:gerlingのルーマン読解を完璧に反証して、
と言っていた。確信犯以外の何者でもない。
こうしてid:gerlingは、id:magician-of-posthumanの手のひらの上で転がされていたんだ。
とくに、id:magician-of-posthumanがわざと「id:gerlingがルーマンの本を読むように誘導」し、「案の定誤読した」ところを
知のデザインの要素として好都合に動員したあたりは、実にしたたか。
今までトニオは周囲から煙たがれるだけの存在だったが、これほど真正面から「利用」されてしまったのは
おそらく初めてではないだろうか?
だが僕らには、id:magician-of-posthumanのしたたかさにネガコメを突きつける資格があるのだろうか?
実際問題、id:gerlingの「メディア論」批判が十分な調査不足と正確な反証だったなら、
こんな事は起こらなかっただろう。「メディア論」の必要性を助長させてしまう「メディア論」への反論(笑)を
書いて、付け焼き刃の知識と「論旨のずらし」や「孫引き」を繰り返して非科学的な反論をしてしまった
id:gerlingにも、問題はあっただろう。
たぶん僕らが教訓として言えるのは、
普段から努力をサボってる奴には、努力した者だけが参加できるハイレベルな議論に
参加する事が許されないってことなんだろう。サボりは悪い。
ululunがmagician-of-posthumanの中の人に、
「彼の言説は本の受け売りなんだけど反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」
という発言をした。
これに対するmagician-of-posthumanの人の反論。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090107/1231288998
この文章を読んでみたが、素人を不快にさせるほどの「難解な専門用語」や「長文」が多用されており、「馬鹿よけ」として非常に効率的に機能しており、何が書いてあるか非常に難解である。
だが、如何に私が愚かとは言え、これだけの文章から何も読み取れないとすると、かなりの時間を費やしてしまって読んでしまった事が勿体無い。
前半部分の不条理のお話は、今回は割愛し、「本の受け売り」について考えてみた。
私がmagician-of-posthumanの文章を読んで、わかったような気になって受け売りで話をしてるつもりになっていても、「そんな低レベルの話なんてしていない。受け売りって言うな」と言われるのは納得なお話。
私がmagician-of-posthumanの文章を読んで、そのまま理解することなど、不可能だ。原文を読んで、切り分けて、細かい断片にして咀嚼しなければならない。その過程で意味を見出し、その意味に命名し、取り消して、また命名する。これは飽く事のない近似化であって、原文の一つの意味を忘れても、それを過失と取ることはできない。誤読なき読解は無く、あるのは発見なのである、という立場から本の受け売りは存在しないというお話。
「連続しているにも拘らず微分できない曲線」を発見して自信満々に発表したとしても、この曲線はヴァイアシュトラース曲線として発見されていたりする。そういう例は枚挙に暇がない。どんだけ本を読んでないか知らないが、読めば読むほど自分の無知を知ることになりますよというお話。
本の否定が「本の否定」に関する本を生み出すというパラドクスも、メディア論の間では既に自明となっているらしく、ブーメランが飛んでくるというお話。
これらの事を考えると、なるほど、ululunの最初の発言は不適当に思える。
「彼の言説は本の受け売りなんだけど反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」
↓
「彼の言説は本の受け売りのように私には見えるが、本の受け売りという発想自体が本の受け売りで、本の受け売りなんてものは本当は存在しないんだけど、彼の言説は素人を不快にさせるほどの「難解な専門用語」や「長文」が多用されており、「馬鹿よけ」として非常に効率的に機能しており、反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」
とつぶやくべきであった。というお話。
http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090107/1231288998でid:ululunがボコボコにされている件で、id:pbhが絡んで撃沈してた。
この人、暴言を吐くdisり芸人というイメージを持っていたけど、本質的にid:AntiSepticだな。つhttp://anond.hatelabo.jp/20090106070647
無学な馬鹿が「本で得た知識」を否定すると、逆に「本で得た知識」の有効性が高まる。熱心に読書した上で「本で得た知識」を批判している論者から観ると、こいつらは足手纏いだ。 - はっはっは
<本の観察に怠惰で無学な皆さんが挑戦されている「本で得た知識」を批判すること>と<本の観察に熱心に取り組んだ上で「本で得た知識」を批判すること>とを、混同して貰いたくはない。後者の卓越された批判者から観れば、前者は足手纏いです。
<本の観察に怠惰で無学な皆さんが挑戦されている「本で得た知識」を批判すること>を繰り返していくと、学術的に何の価値もないゴミのような記事がウェブ上に溢れてしまいます。その結果、「情報氾濫」という馴染みのある言説で、インターネットの学術的な言説空間が批判されてしまうでしょう。すると、どうなるか。「結局本から得られる情報や知識の方が確からしいじゃないか」という意見を後押しすることになってしまいます。
これはパラドクスです。無学な皆さんが「本で得た知識」を批判すると、逆に「本で得た知識」の有効性を高めてしまうのですから。そしてこのパラドクスは、<本の観察に熱心に取り組んだ上で「本で得た知識」を批判すること>に挑戦している論者からすれば、邪魔ですね。
なるほど。たしかに。
システム論をメディア論に応用するなんてのは斬新でかなり読み応えがあった。
たしかにシステム論では、データというメディアと情報という形式を、情報というメディアと知識という形式をそれぞれ異化するから、
だがそうなると、学システムは盲点を前提にして作動していく事になる。なぜなら観察者は、データから情報をフィルタリングする過程、
情報から知識をフィルタリングする課程で、大量のデータや情報を見落とすから。
となると、疑問が生じる。パラドクスだな。つまり、なんで真・非真のコードで作動していく学システムが、
しかしこの学システムのパラドクスは、学システム自らで脱パラドクス化されてしまう。
つまり、学的コミュニケーションについての学的コミュニケーションという構成要素を新たに創発させる事で、
しかしそれゆえにこそ学システムは不確定性にぶつかって行くんだな。
だから近代の学システムは、盲目的に作動していく機能システムのひとつってわけね。
ヘーゲルの一体のものをパラドクスとして考えるシステム論ならではの発想。
ま、機能分化した近代社会だと、一体のものは分裂してるってのが通説でして、理性は多面的なの。
んで、今回学システムから疎外されてんのが、id:ululunやid:pbhってわけね。
id:ululunもid:pbhも、自分から首突っ込んでおいて相手が振り向いたらダンマリか。カッコワル
> まだ四季シリーズを読んでいないので断言は控える、が、真賀田四季も出産を経験しているけれど、
> 精神的には処女かもしれない。これはパラドクス的に処女とみなしても良いと思われる。
つーか、処女ってそんなに拘る事か?
・両親を失ったトラウマを抱える、犀川助教授にしか恋をしたことがない大学院生。
非常にポイントが高いのは、完全に精神的なベクトルが犀川のほうを向いていることと、
まだ四季シリーズを読んでいないので断言は控える、が、真賀田四季も出産を経験しているけれど、
精神的には処女かもしれない。これはパラドクス的に処女とみなしても良いと思われる。
余談であるが、瀬戸千衣バージョンの四季が増田的には一番お気に入りのキャラクタである。
いきなりメジャーどころに行ってしまったが、生まれたってから三年しか経過していないことを見逃すわけにはいかない。
父性と性欲は両立するものなのか、その問いを問いかける存在である。
ご主人様のことが好きで好きでしょうがない子。
また、それでいて独占しようとしない姿勢が好ましい。
ただ特別であろうとする姿勢のみで戦い抜いたところを評価したい。
1、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール(ゼロの使い魔)
お前、最初のほうのあれはなんだったんだ。
浮気もはなはだしい。もう魔乳と無乳しかゼロの使い魔に処女は残ってないわボケ。
2、逢坂大河(とらドラ!)
どう考えてもいらないよね。
昔の男が忘れさせてやればいいんじゃねーとか言ってくるって。
それはもはや寝取られです。
ジュセリーノがなんか俺の住んでる県で地震が起きるとか予言していたらしい。
明後日とはいってももう今日も終わるから多分48時間も余裕は無いと思う。
ネットとかでかなり「偏った彼の情報を読んだ」が、見た感じ大方の予言は当たっていないようだ。
多分今回もほかの多くと同じように「ハズレ」なのだろうな。
でも、俺のこの考えも「予言」でしかないんだろうな。
と考えていて、数学の問題みたいなの思いついた。
それに対して、予言的中立30%の女が「彼の言っていることはハズレる」といった。
男の予言がハズレる確立は何%でしょう?男の予言がアタる確立は何%でしょう?
女の予言がハズレる確立は何%でしょう?女の予言がアタる確立は何%でしょう?
そして、明日地震が起こる確率は何%でしょう?地震が起こらない確率は何%でしょう?
このとき、「予言」以外の要素はとりあえず無視しておいたほうが良いのかな。
多数論証
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは、ほぼ一致する。
Amazon.co.jp: 理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書): 高橋 昌一郎: 本
Amazon.co.jp: 不可能、不確定、不完全―「できない」を証明する数学の力: ジェイムズ D.スタイン, 熊谷 玲美, 田沢 恭子, 松井 信彦: 本
アローの不可能性定理とコーポレート・ガバナンス: 官庁エコノミストのブログ
[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]
シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。
書評 「選挙のパラドクス」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
政治コンサルタントの実態暴露だ.彼等は相手候補への中傷(ネガティブキャンペーン)と票割れの誘導が仕事
[二重スリット実験][Double-slit experiment][量子力学][Quantum mechanics]
「その時々の政策が最適であろうと思われる政党がその時々に政治を行えばよい」とは言うけれど、何が「最適」なのかは立場によって見解が異なる。立場の違いというのは「そもそも何を目指すか」ということの違いになるわけで、そうなるとけっきょく、政治は多かれ少なかれイデー(理想、究極目的)の問題、価値の問題に関わらざるを得ない。
はやり、政治というのは各々の理想や価値を実現するための権力をめぐる闘争なんだな。凝り固まったイデオロギーというのも、権力闘争の過程で敵対陣営に勝つために、「こっちの理想や価値のほうが美味しい、正しい」と一生懸命主張して、イデーや価値を純化する結果生じるものなわけだ。だから、あらゆる価値は凝り固まったイデオロギーになる危険性を常に秘めているし、その意味でイデオロギーと政治は、政治が価値と関わる闘争的営みである以上、できるかぎり遠ざけることはできても、完全に切り離すことはできない。
うんと端的に言えば、いかなる政治的立場・政治勢力でも多かれ少なかれイデオロギーを持っているということ。
イデオロギーによって凝り固まった政治も論争も不毛でうんざりだというのはよくわかるし、同感でもある。しかし、イデーや価値の問題なしには政治はできないというのもまた真実(合理的な政策を目指す政治が非合理的な価値に支えられているというパラドクス!)。
けっきょく、凝り固まったイデオロギー政治や論争を避けるということは、「イデオロギーと完全に切り離された合理的で最適な政治を待望する」ということではなくて(そんな政治は存在しない)、「数ある大小の政治的イデオロギーを見比べて、より悪くないと思う方を自分の責任で選択する」ということにすぎない。そしてその選択の際に注意しなければいけないのは、「イデオロギーはないというイデオロギー」もちゃんと本当の意味を読み取って、勘定に入れるということ。
話が抽象的になってしまってゴメン。
書評 「選挙のパラドクス」 - shorebird 進化心理学中心の書評など
政治コンサルタントの実態暴露だ.彼等は相手候補への中傷(ネガティブキャンペーン)と票割れの誘導が仕事
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
シンプソンのパラドックス: 集団を2つに分けた場合にある仮説が成り立っても、集団全体では正反対の仮説が成立することがある。
マイク・タイソンの名言「自分の情熱に従え。自分の本能に忠実になれ。人の群れに惑わされず、いつも自分でいろ。」
「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」という進言を退けたヒトラーは嘯(うそぶ)く
多数の者に人気のあるほうが善いというふうにはならない。セネカ
[同調圧力][空気の研究][馬鹿]同調圧力・空気の研究・馬鹿・いじめ
[最大多数の最大幸福][ジェレミ・ベンサム][全体主義][ファシズム][ナチズム]
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=count&url=http://
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F&sort=count
「3の倍数と3の付く数字だけアホになる」世界のナベアツが整数列においてどの程度アホになるかを判定する、所謂「世界のナベアツ問題」があり、どうやら死ぬほど続けていくと、限りなく100%に近い確率でアホになるようであるが、この問題に対しする数学的アプローチは理系の方々に任せ、数学が病的に出来ない私としては、この問題に対し哲学方面からのアプローチを試みたいと思う。
「クレタ人は嘘つきだ」と(クレタ人の)エピメニデスが云った。というもので、仮にこの命題が真だとすると、エピメニデスは嘘つきなので、『「クレタ人は嘘つき」』は嘘になるはずなのだが、本当のことを云っていることになり、矛盾が生じる。
逆に、この命題を偽とすれば『「クレタ人は嘘つき」』という発言は嘘になり、矛盾が生じる。
『「私は嘘つきだ」』という嘘をついたエピメニデスは正直者だ、ということになるのだ。
つまり、「3の倍数と3の付く数字だけアホになる」と発言するナベアツは、この説明時に「アホ」にならなければならないのではないか、ということである。
ゲーデルの不完全性定理によれば、『「事実(観測された事項)」が定理に合致する』ということをもって初めて「『証明』として完結することが出来る」ということから、ナベアツのアホについての説明はできないこととなる。
私が数学が嫌いな理由は、解が一つに収束することである。
「世界のナベアツ問題」について、どのような回答をするか。
京極夏彦なら「世の中にはアホなナベアツなどありませんよ。アホだと感じるなら感じる者が無知なだけです。」というだろう。
村上春樹なら、「完璧なアホのナベアツなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」というかもしれないし、
サン・テグジュペリなら「大人は、みんなはじめはアホだった。」というだろう。
問いに対して、バラエティーに富んだ答えがある、哲学的な命題を愛して止まない。
そして、「2の倍数と2が付く数字のときに感じる滝川クリステル」企画の実現を切に願う。
2拍子で喘いで、20から29までラッシュ、みたいな。
あと俺イナゴぶくまーだから、ダイアリに書いても読んでもらえない。
だから増田に書いた。後悔はしていない。
理由は、犯罪被害者保護/権利擁護について、全然もりあがってないから。
そのじつ、正気を失って顔を真っ赤にしてることに気付かない。
被害者問題からフレームをずらそうとする、左派のオモ坪ですから。
被害者権利が拡充されたら、容疑者さまが不利益をこうむられるから、
本村さんや世間を挑発してる。
本村さんは、哀しいまでの冷静さで、その挑発を振り切ったけど、
世間や保守論壇は、みごとに釣られてしまった。
制度的に切り捨てられている被害者たちに目を向けさせまいとする、
ヤスティー軍団のもくろみはまんまと成功し、
上告してホニャホニャしても、支援集会なんかで世間を煽り、
Fの死刑が執行されるクライマックスまで盛り上げて盛り上げて・・・・
・
・
・
おまえらそれじゃ困るんだよ。
世の被害者たちは、少年Fいいなーって思ってると思うよ(パラドクスじゃなくてマジで)。
たとえ党派性の権化だとしても、あんだけぞろぞろ守ってくれる人がいて、いいなーって。
それくらい、被害者って孤立してる。
たとえば、はい犯罪にあいました。
ショック受けたまま、取り調べ。
これ、めちゃんこツラい。
お巡りは、少しでもディティールを聞き出そうとする。
同じ質問を、何回も何回も。(それが仕事とは言え、最低限の配慮すらない奴大杉)
少しでも回答にブレがあったら、また何度も何度も。
この段階ですでにサポートの人間が付き添ってくれる国もあるのに、
被害直後からお巡りとサシでアンケ拷問ってそれどうよ。
で、仕事は休まなきゃならないかもしれない。
ケガがあったら通院、ヘタしたら入院かも。
最悪、被害者の老親がいきなり遺児の保育費ださなきゃとか、
申請しても、1年くらい待たないと支給されない。
すぐ入り用なのに工面できないひとは、どうすればいいのさ。
(つーか額面じたい、一律でない部分の幅をふやしてほしい)
被害者サポートセンター経由で、グループカンセリングとか参加して、
被害者同士しか分かり合えない傷をなめあって
ようやっと立ち直りへの道を探している頃に、
(PTSDって、イラク三馬鹿でイメージ悪いけど、ホントしんどいよ)
ほいでやってくる裁判に、心の準備をしていると、
検事務がきて「なんか直接言いたいことあるですか?」
「え…、はあ…」「じゃ○月○日に意見陳述」「!!!」
──○月○日
おれ「え、は、はい…」
うわあ、courtの中あったかいナリ・・・って、俺なんの法知識もないし
つーかおめえら、検察資料なんも見せてくれねえじゃんw
今までだって、犯人のケツ眺めて、法律用語でいろどられたキャッチボール聞いてただけ。
「ブン屋にリークしたから記事でディティール追え」っておまwww
(地方面ベタ記事にすらならない事件だと、被害者はさらに置いてけぼりになる)
当たり障りなく「被告の真摯な更正を望みたいと思います」なんて。
内心ぶっちゃけ、応報チャクラ殺意の波動が燃えたぎってるんだけどね。
でまあ、傍聴おわると、ブン屋がコメ獲りに囲んで来る。
あれ、数が多いと、裁判所から追い出されるのな。
他のかたのご迷惑って、おれがお招きしたお客でもないし、
そもそもこいつらが来た理由自体も、俺に直接由来じゃないんだがw
(こういう時は基本警察も検察も弁護士会も場所を貸してくれない
特別視はできないんだそうだ。アホか)
正直、ブン屋が傍聴席にいたりカメラが待ってるの見るだけで、
心臓に鉛つっこまれてグッと掴まれたような気がして
裁判所から出られなくなることも。
傍聴だってさ、今は優先権があるけど、昔はなかったから、
被害者サポセン職員や親戚に頼んで並んで貰って抽選確率増やして、
ってもう泣けてくる。ほんとに。今は優先権があるけど。
俺自身特定されたらやだからやめる。
でも、ここまで書いてきた被害者って、
みんな不幸になってるのに、制度的に、
加害者より軽んじられてるのは否めないと思うからなんとかして欲しい。
でも昼間どこかのテレビ(キー局)の解説者が、
なんてのたくってたのベッドで思い出して
くわしい人とかには当たり前のことだったかもしれないけど、
当事者的に知ってることだけ書いてみました。
ここまで読んでくれた人、ありがとうね。
これとかもっと報道されるべき。
http://blog.goo.ne.jp/nagashima21/e/afb4fb2b74625c50c51e489f7369ebb4