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はてなキーワード: 盲目とは

2012-02-15

TVマスコミが「マインドコントロール」を批判するとかー

情報の受け取り手側が自分で行うべき判断を他人の判断任せにする人が

一番悪くて、「そりゃ騙される方が悪い」とは思うけど

TVマスコミが「マインドコントロール」を批判するとかー

それは何かのギャグなのか

この間おばさん2人と話してたら「だってTVで言ってるんだから(本当のことなんだろう)」

TVの流す健康情報盲目的に信じてるのを知ってびっくりした

他人の言うことを盲目的に信じさせるということにかけてはTV効果絶大なマイコン装置なのにね

2012-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20120209204811

おまえの文章を読んだら自殺したほうがいいんじゃないかと思える。

盲目的な良心匿名掲示板で役に立つのか?

誰に対しても同じ文章を書くのはどうなんだ。

『「○○」という言葉を見たら反射的に「××」と返さなくていけない』

というのは強迫的な心理状況だと思うのだが。

自分自身への贖罪とかなのか?

2012-02-06

選挙行け行けうるさいな。

京都に住む友人から「ちゃんと選挙に行きましょうね」なんて唐突に言われた。

ええまあ、とか何とか言いながらお茶を濁してその場を凌いだわけだが、

先刻、全く別の知人から「今だからこそ選挙に行くべきです」などというメールが届いた。

何?他人に選挙行くよう勧めるのが流行ってるの?

それとも選挙行け行け詐欺

はっきり言って余計なお世話である

選挙行くのも行かないのも個人の自由なのだ

国民意思表示から、だと?

ちゃんちゃらおかしい。

よく考えて見るとよい。

果たしてこの国は選挙に行かなければ意思表示もできないような国なのか。

選挙というのは意思表示の「ひとつ」であって「すべて」ではない。

まるで選挙に行かない人間は何ら意思表示をしていないかのようである

選挙に行かない奴らは意思表示ひとつできない腰抜けのファッキン野郎だ!それにひきかえ選挙に行く俺たちは自分たちの意思を示すことができる最高にイカしたナイスガイだ!」とでも言いたいのであろう。

実にくだらない。

それでいて選挙行け行け連呼していれば社会貢献になるとでも思っているかお気楽なもんだ。

そんな社会、はっきり言って嫌である

「俺たちは社会貢献人生を捧げる最高にヒップボーイズエンガールズだ!今日も50人の友人に選挙に行くようメールしたぜ!この社会から選挙行かないヴァンパイアを退治するためになっ!」とでも言いたいのであろう。

盲目的過ぎる。


はっきり言おう。

選挙は行きたい奴だけが行け。

そして行かない人間に干渉するな。


その後、その友人と知人を着信拒否にしたのは言うまでもない。

2012-01-29

今頃鏡音三大悲劇の一『悪ノ』シリーズ

または希望絶望連鎖について書き捨て。




『悪ノ』シリーズって何ですか

音声合成DTM製品VOCALOID2 CVシリーズ」の第二弾である鏡音リン鏡音レン」を用いて作られた一連の楽曲作品。詳しくは検索

小説とか漫画とか劇化もされてるようだけどそっちはノータッチなので除外。なんか詳細設定とか山のようにあるらしいけどあくまで元動画とその歌詞情報源を絞る。

核となっている曲は『悪ノ娘』と『悪ノ召使』の二曲。

前者はある国で暴政を敷いた愛らしい王女革命によって倒されるまでのことを歌った歌、後者はその王女に仕えた召使い視点から同じ一連の出来事を歌ったもの

YouTubeとかに死ぬほど転がっているのでこの文章を読む人にはできれば聞いといてほしい。ネタバレを含むので。『悪ノ娘から先に。

英語版ならEnnという人? が歌ってるやつの歌詞が好きだな。情報量が多くて。



なぜ『悪ノ』シリーズを取り上げるんですか

身も蓋もない言い方だけど「売れてる」から

ニコ文化中高生とかOTAKU中心に大人気とは知ってましたが劇って。コミカライズくらいまではわからんくもないが劇。

ファンとはいえそこまでのめり込むほどか。何がそんなに優れてるっつーかウケてるのだろう、という話です。

「優れてるからウケてるんじゃねーよ」というお話はあるでしょうがまあそこはおく。ぶっちゃけ「優れてない」点はいっぱい挙げられるし。

たとえば物語終盤の交代劇とかバレねーわけねーから常識的に考えて、とか。

・仮にも国のトップなんだから、立てるならもっとマシな影武者を立てるのが普通というもので、脱がした瞬間バレるようなのに気がつかないとか革命が総崩れしかねない。

  いや史上の狂乱というのは往々にしてそういう熱狂が高じてもはや狂気〜みたいな面があんだろうことは否定しないけど、そんなの後世には物好きな歴史家とかにケツの毛までひんむかれるレベルまで分析されるのが当然なんだからさ。恥ずかしい性癖が伝わっちゃってる為政者が今どんだけいると思ってんの。読んでないけど正直小説版にはクビ落としてから替え玉と判った革命軍の偉いさんとか偽史として押し通してきた『召使』側の話を証明しちゃったアマチュア研究家とかが裏で始末されるドロドロとかがきっとあった! と信じている。三次創作

・本物も見物に戻ってくんなよ。そこでバレたらすべてがガチで水の泡よ。危険すぎるだろ。

…とか、突っ込みどころはとってもたくさんあるわけなんですね。文化ルーツしっちゃかめっちゃかだとかそもそも歌詞ちょっと拙いとかね。

にも関わらず、絶賛者とかいっぱいいる作品でもあるわけで。合唱とか英語版とかあって再生数すごいし。

何がそんなに人を酔わせるのかしら。それがロマンスというものなのか。

いやねーだろ。これロマンスじゃないじゃん。中世騎士物語とかほんのちょっぴり読んだことあるけどコレジャナイ感すごいじゃん。

三大悲劇って言われてるけど悲劇ですらねーだろと言いたい。少なくともwikipedia曰くの古典主義的・新古典主義的「悲劇」では絶対ない。

それでは「これ」は何なのか?



ウケた要因の私的解釈

まあアレじゃん。ジェンダー界隈でいう性役割意識がどうこうとかあと男の娘ブームとかなんかそんな。

あとこれ国家の皮をかぶった家庭悲劇なんですよね。一種のセカイ系というか。

このお話は王家に生まれた男女の双子のうち女が王家に残されて(おそらくは凄い抑圧とか受けて)暴君になって、男はどっか養子とか?出されて召使いとして戻ってきたつーことになっていますが、男をイエに残して女はよそに嫁がせるつーのがどっちかというと鉄板ですよねこういうの。

「なんでそんなことになっちゃったの」というのはきっと小説版とかが政治派閥抗争がどうのとかに絡めて辻褄つけてると思うのでおいといて、「よくこれでウケたな」ってーのをですね。

この作品は基本的にすごいストレスを(受けたくないに決まってるけど)受けなくてはならない人間が見るとツボに来るようにできてるんスね。

よく何かこう、最近の若者は〜的な文脈で、男が女っぽくなっただの女が強いだのと言われますよね。いや印象だけど。自分の観測範囲内の話だけど。観測範囲内でもいい加減下火っていうか言い古されて説得力がアレな言説だけど。

少なくともこの作中ではまさに男がやるようなことを女がやっているわけで、そこんとこのギャップがウケてるっていうのはあると思うの。

鏡音リンってキャラクタ的には妹系ってんですか? 笑顔がかわいくてドジで〜みたいな感じだと思うんだけど、それが女故子ども故の残酷さみたいなのを全力発揮してるあたりのギャップもあると思う。

そう、彼女は良い為政者ではない。聖母聖女は齢14で「お金が足りなくなったなら〜、愚民から搾り取れ〜♪」なんて言わない。普通の女でも言わない。

彼女はむしろ聖女みたいな女に恋人取られたら相手の国ごと潰して復讐する程度にはやりたい放題の女のコ☆です。

しかもそのレベル人格破綻者まで「最初は無垢だった、ホント彼女は悪くない」的な補足が入るわけです。これもウケたツボだろう。

イエのあれこれとか人間関係でむっちゃ我慢とか強いられてるけど正直破裂したい、けど破裂したらあとが面倒だけど破裂したいけどあああああとか思ってる人間にはとてもツボ。

破裂したい人間がなぜ破裂しないかって、破裂すると崩壊するナニカがあるわけで、この王女の話は破裂してナニカを崩壊させてしまったってことなので「ああ、あんな風にならないためにも我慢がんばらなきゃなー」とか、「私がしてきた我慢は正しかった!我慢しなきゃああなってた!ざまあwww」とかいろいろと解釈できて美味しい。

それだけなら単なる破滅劇なんだけれども、これを悲劇にするのが王女と対になる召使い存在ですね。『悪ノ召使い』は『娘』よりもあとに発表された作品ですが、何千回単位だった再生回数を100万くらいまで押し上げたらしいっす。

「顔の良く似た」召使いは(内緒になってんのか知らんが)召使いってことになってるが王女双子です。これをまず物凄く突っ込みたい。王家の血縁が人に使われる側に回ることのあり得なさとか。でもまあそれはいい。

召使いは破裂しそうな王女のそばであれこれ世話を焼くわけです。王女の命令なら惚れた相手も暗殺してくる。それくらい自分を殺している。

ある意味王家という枷つけられてる王女と完全に同類なわけですが、召使いはそれほど人格破綻してないというか暴君的な方向に爆発しそうではない。

彼には「王女のため」という大義があるからです。彼が背負っても良かったモノを彼女に背負わしたら歪んでしまった、王女がこんななってるのは彼にも責任がある。

からその責任を果たすためなら、ほんのちょっぴりの「自分」も捨てられる。盲目的に尽くせる。

完全に「家庭なるもの」の中で板挟みになるガキそのものですね。あとほんのりとした近親愛。これがツボをつく。

オチはもうその最たるものですね。自分を殺して殺して殺して…の召使いは本当に自分を殺してしまう。王女はその代わりに助かる。

要は例えば機能不全気味家庭のお子様らには神話のように美しい物語だということですおわり。



鏡音リン・レンなるソフトは作中やファン間でも双子ってことになってますが公式的には「鏡に映るもうひとりの自分」的な感じではっきり双子ではないらしい。

というのもなんかこう、意味深ですね。

「破裂したい自分」と「尽くしたい自分」の両面のような感じ。



怖ェなーと思うのがこの作品が世界規模ですごい再生回数稼いでるという事実

機能不全家庭の子どもにばかりウケてるわけじゃねーとは思うが、でも例えば上で述べたような「この身代わりはあり得ねーだろ常考」みたいな意見はたぶん野暮としてブーイング浴びるだろうし、きっと小説版あたりで「そうするしかなかったんだよ…」みたいなことが切々と説かれていたりして要するに反論として封殺されることが明らかなわけです。

実際には例えば召使いの行動として「二人で一緒に逃げる、最後まで王女のそばにいて守り通す」みたいなのがあっても良かったはずだし一昔前なんてそれで逃げ切れなくて死んじゃってーみたいなのが悲劇テンプレ化してたような時代があった気がするんですが、そうならない。

何というか、すごい絶望的で、しかもその絶望絶望のまま肯定されて同類間で共有されてる感がする。

そういう方法絶望連鎖して伝播しているような感じがするのです。



何が気に入らないの?

漫画家とり・みき氏の言葉(の引用引用)だけど、こういうのがある。

人が涙を流すのは必ずしも作品の出来とは関係がないのだ、と。

 かつて自分が何かに感動した時にできた涙腺回路のようなものが頭の中にはあって、そこにピタリとはまるような場面だの言葉だのを見聞きしてしまうと、涙というのはどうやら自然に流れる仕組みになっているらしいのである。歳をとると涙もろくなるというのは、つまりそういう回路のパターンが増えているからではないか

個人的にこれは結構ガチだと思っているんだけど、一点だけズレてる部分がある。

ここで書かれてる涙腺回路の起動スイッチである「感動」っていうのが、自分個人に限っていえば何か崇高なものに触れて心を動かされたとかではなくて単純に傷つけられたときのことを指すようになってんのね。

まりこの文章に則って言うと、自分はある一定の場面とか言葉だのを見聞きしてしまうと自動的に繰り返し繰り返し傷つくようになってしまっている。

恐ろしいことなんだけれどこの「回路」が結構強固で、俺はこいつを潰しておかないと日常生活が送れないっていうレベルでいろいろと不便。具体的にいうとAED講習で実際の救命現場の録音(子どもが突然心停止して倒れたそばで手当てする人とか救急車呼ぶ人とかその子名前を狂ったみたいな大声で必死で呼び続ける母親の声)聞いたときとか、アレ本当は命が助かる感動的な場面のはず(「とりあえずはもう大丈夫です」まで録音されてたはず)なんだからすごくイイ話だと理屈では思うしわかってるんだけど生々しいやりとりそのものがあまりにもショッキングでしばらく「親子」みたいなキーワードで突然ぼろぼろ泣くようになって本当に困った。もうすぐ一年になる例の津波関連も未だにいろいろな場面でダメージ。直に被災したわけでもないのに。

閑話休題

から例えば映画とか小説なんかで「泣ける」みたいのを売りにしてるのは基本見ない。

そういう作品は大体が回路起動ツボを外していて(かつ、他の例えば大爆笑回路の起動とかには結びつかないので)白けるが故に、そしてごく少数の作品は客観化が十分でツボ自体から適切に距離を取れるが故に、涙腺回路起動までに結びつくことは滅多にないんだが、それでも見ない。

何が楽しくてそんな自傷行為をせねばならんねん。

でも例えばナイフは指を切るだろうとかわかるけど、この作品で泣くようになるだろうとか普通は読んだり聞いたりするまではわかんないわけじゃん。

で、『悪ノ』シリーズも回路の起動スイッチになってしまったので、困ったなー。と思っている。前述の録音ほどの威力はないしもうだいぶ整理して削いだんだけども未だに人前ではこの曲聞けねえ。

あの召使い台詞で泣かねー奴は人じゃねーみたいなコメント動画についていたりして、それを「気持ちはわかる」と思ってしまう。

気持ちはわかるけど、実際問題召使い馬鹿だし王女馬鹿でみんな馬鹿すぎて救いようがないと思う。「崇高なもの犠牲になる」みたいな楽しみ方は視点が狭すぎて阿呆だと思う。

いろんな人が感動してファンになって翻訳とかされてるのはわかるけど、作品としては全然優れてないと思うのです。

他の作品と比較してどうとかではなく、あの物語自体にもっと洗練の余地があるということ。

そして洗練されるとたぶんあれは悲劇オチ(と取ってつけたようなハッピーエンド後日談)じゃなくてちゃんと喜劇にもなれたはずだなー、悲劇にしてももっとレベルの高い悲劇になれたはずだなーと思うということです。



何を望むの

物語の洗練」を。

機能不全家庭の傷なめ的なものでなくて、もっとちゃんと救いとか絶望とかが欲しい。

あわよくば希望を手に入れて、それを連鎖させて伝播させたい。

具体的にいうとこのネタ小説でも書いてそれで旅行のためのおこずかいとか稼いでみたいんだけども、まあおこずかいにならなくてもいいから二度と回路起動スイッチにこのネタで手を触れられる奴がいなくなるように自分でパテを塗っておきたい、そのために小説を練ってみたい、ということでした。

すでにやってる人いるけどねそれ。舞城とかね。でも最近なんか舞城も振るわないっていうか、「その先が欲しいんだけど!」みたいなあたりで止まっちゃってる感するからね。ジョジョノベライズ期待してます

2012-01-27

特許庁の55億かけて頓挫したプロジェクトの報告書が面白い

http://www.asahi.com/business/update/0124/TKY201201240616.html 24日のニュース

http://www.meti.go.jp/press/20100820003/20100820003-2.pdf その発端ともいえる二年前の報告書

まりは、ありがちな汚職だと思えた・・・その巨大プロジェクトの実体は!

1部~2部で内容が重複してるからストーリーだけ知りたい人は3部から読むのをお勧めする。図表もあるのでわかりやすい。

これについてのブコメTwitterを見ていると不祥事を叩いたり、やめた事を批判して55億賠償しろって人も結構いるのだけど、なんかもうそういう問題よりも気になる点が山ほどある。自分感想をまとめておく。不祥事そのものより、その裏にあるプロジェクト全体や日本の開発にありがちな問題にもっと注目されて欲しいのでそういう視点で書く。

情報共有

入札前の情報漏れにしても、その後のNTTDとのやりとりにしても、情報漏洩やそれにまつわる金銭の動きは犯罪だ。けどもそれが行われた動機が私利私欲のためだけとは思えない。

共有されるべき情報が共有できるようにされていない。やりとりできるべき情報ができるようにされていない。必要な情報がちゃんと流れていないから、イレギュラー方法で流れている。特許庁, NTTD, TSOL この三社間のコミュニケーションがどこも投げやり丸投げ気味で、慢性的情報不足だった感が伺える。ここを改善する必要があるよね。

極秘情報は必要最小限にして、より情報の共有を図るべき、入札前に必要な情報は公開できるようにすべきって報告書でも書かれている。


入札システム

入札での評価が金額偏重で、マネージメント力を評価してなかったって問題。マネージメント力を評価してないのマジやばい。あ、でもマネージメント力を評価するには、全体を理解できる人材が必要だよね。で、次の問題に繋がるんだけど。

上流偏重

報告書だと、上流の話しか出てこない。だから、「設計もろくにできないで55億無駄にしたのか!」って話になるけど、ちょっと待って。設計しかできない人間が山ほどいても捗るけがないってことなんだよ。特に、このプロジェクト既存システムを0から作り直すのだから既存システムをよく理解して、また既存システムにかかわる技術者とよくコミュニケーションが取れて、それを設計に正しく咀嚼できるスキルの持ち主が必要で、設計しかできない人材ではなく全体を理解できる人材が必要だったはず。

既存システムをちゃんと理解できてない人間だらけになったということが報告書でも繰り返し指摘されてるけど、その根底には設計しかできない人間が山ほどいても捗るけがないという問題があると思うんだ。

時間かけすぎ

6年?そもそも設計に数年ってのが、もうそういうの無理が来てるって感じ?6年経つ間に色々変わっちゃう。

どうしても、がちがちのウォーターフォールでやるなら、もっと受注も小分けにして、まずは既存システム仕様まとめプロジェクトから開始するのが良かったんじゃないかな。

6年まとめてどん!だと中断の決断もなかなかできないよね。

問題が浮き彫りになったきっかけが汚職ってどうなの

これだけプロジェクト炎上していたのに、汚職きっかけで調査が入るまで炎上がちゃんと認知されていなかったというのがやばくね?もし汚職が見つからなかったら、炎上のまま・・・

これは国のプロジェクトから汚職で厳しい調査が入って、プロジェクト炎上まで色々赤裸になったという見方もあるかも。民間だったらもっとなし崩し的に炎上プロジェクトを続行するケースが多いように思う。

人数増やせば解決できるというやり方

もうね、

SOLによる設計作業は ,平成18年当初60人体制でプロジェクトスタートさせたが,翌年初めには遅延が 始まったため,順次増員を行い,同19年3月には200人,同年5月には450人体制とした。

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

SOLは ,工程の遅れの解消に向けて,大幅な人員の増強でこれに対処しようとし,平成20年11月以降に は 1300人もの体制を整えたが

(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル

破滅の足音しか聞こえない・・・

人数を増やすと教育コストが増える

あたりまえのこと。TSOLでも仕様をしっかり理解してる人は少数だったのに、増員の9割は下請けだったのだから、さらに破滅の様相が想像できるってものだよ。

下請け構造

大量の下請け同士の連携情報共有がされていなかった。経験ノウハウの共有がなされていなかった。と報告書にある。なんでこうなっちゃうんだろうな。何のためのプロジェクト管理なんだろ。ノウハウ管理もっと意識されるべきだよ。

そもそも、開発の遅れは人を増やす事で対処できるものなのだろうか?

人数増やしてプロジェクト炎上するというのは、お約束すぎる。規模の大小や分野にかかわらず、開発をやった事のある人ならわかると思う。

開発や設計って?という人にもわかりやすいように説明する。

例えば、優れた売れっ子マンガ家がいて、老練な担当者がついていて、名アシスタントがいて、才能ある若手アシスタントがいて、10人のチームでマンガを描いていたとしよう。一方、大して技術もない凡人を100人集めて、前出のチームと同じマンガができるとかと聞かれたらどう思うだろう?殆どの人はそれは無理じゃない?と思うだろう。1000人でも無理かもしれない。

開発も同じなんだよ、本質的にはね。

でもそう思われにくいのはなんでだろう?それは多分、開発に従事する人にはマンガ家のような才能や際立った技術は必要ないと思われてるからだ。言われた所を言われたようにベタを塗るだけがプログラマ仕事だと思われているからだ。実際それをプログラマなのだ定義している会社もある。技術お金にならない低俗ものだという偏ったイメージもこの世界には蔓延している。それが上流偏重の問題なんだ。

売れっ子マンガ家のような設計(マンガで言えばネーム原作)からプログラミングまでこなせる技術者、老練な担当者のようなプロジェクトマネージャ、名アシスタントのような匠のプログラマ勉強熱心な技術者は実際に存在してる。並以下の人材を倍集めたって100人集めたって彼らと同じものができるわけじゃない。

でも、どんなプロジェクトにもそんなスター的な人材が確保できるとはいえないし、単純な増員で対応できるようにする必要が、日本の大きな会社や大きなプロジェクトではあった。それを可能にするのが分業化だ。工程を徹底的に分業化することで、末端のセクションの習得コストを出来る限り低くし、品質の維持も図る。言い方を変えれば、創作を出来る限り製造にするということ。

それによるデメリットは明確だよね。新しいアイデアが実現されにくくなる。時代の流れの速さに追いついていけない。個々の持っているスキルが生かされない、技術が評価されない。技術者モチベーションが下がる。なにより、正しい分業化とマネージメントが行われずに盲目的に人数を増やすと、ただただ炎上しかならないってこと。お金けが莫大にかかっていくということ。

55億かけてもやめたのは英断だった

これは間違いない。

このまま続けていたら、沢山の技術者の尊い人生デスマに捧げられただろう。数年間のどろどろの煮詰まった成果物は、黒歴史を語るまいとひた隠しに、更なる問題を生み出しながら使われ続けただろう。考えただけで悪夢だ。

このプロジェクトのやりなおしに、どれだけ前回の経験が生かされるのか、そこにこそ注目していきたいと思う。

追記

時間ができたら後で読む

特許庁業務・システム最適化計画」(改訂版)について

http://www.jpo.go.jp/torikumi/system/system_optimize_re.htm

実際の業務の内容がある

http://myatsumoto.hatenablog.com/entry/2012/01/26/082554 良いまとめ

1/28 NTTNTTD に修正。

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利己的な遺伝子リチャード・ドーキンス

・われわれは生存機械--遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。この真実に私は今なおただ驚き続けている。私は何年も前からこのことを知っていたが、到底それに完全に慣れてしまえそうにない。私の願いのひとつは、ほかの人たちを何とかして驚かせてみる事である


・「乗り物」(普通個体)とのその中にいてそれを運転する「自己複製子」(実際は遺伝子)の間の区別について、わたしが明確な考えを持ち始めたのは、ようやく1978年になってからだという事情がある。

自然淘汰単位として競合する遺伝子個体の間の見かけ上の論争(故エルンスト・マイアを最後まで悩ませた論争)は解消されている。自然淘汰単位には2種類があり、その二つの間に論争はない。

遺伝子自己複製子という意味での単位であり、個体ビークルという意味での単位である。両方とも重要なのである

・「利己的な遺伝子」のもうひとつのいい代案は「協力的な遺伝子」だったかもしれない。それは矛盾してまったく正反対のように聞こえるが、本書の中心的な部分は、利己主義的な遺伝子の間におけるある種の協力を主張しているのである

このことは遺伝子のあるグループ自分たちの仲間を犠牲にして、あるいはほかのグループ犠牲にして栄えるということを意味するわけでは断じてない。

そうではなく、各遺伝子は、遺伝子プール-ひとつの種内で有性生殖シャッフルの候補となる遺伝子のセット-に含まれるほかの遺伝子が作る背景のもとで、自己利益を追求しているとみなされる。こうしたほかの遺伝子は、天候、捕食者や獲物、生命を支える植物や土壌細菌が環境の一部であるのと同じ意味で、それぞれの遺伝子が生き残る環境の一部なのである



ローレンツの攻撃、アードリーの社会契約、アイブアイズフェルトの愛と憎しみ、もこのような問題を論じているといえようが、これらの本の難点は、その著者たちが全面的にかつ完全に間違っていることである。彼らは進化の働き方を誤解したために、間違ってしまったのだ。彼らは進化において重要なのは個体ないし遺伝子利益ではなくて、種ないし集団の利益だという誤った仮定をおこなっている。


・ダーウィニズム理論の現代的説明の驚くべき結果のひとつは、生存の見込みに対するささいな作用進化に多大な力を及ぼしうることである。これはこうした作用が影響を及ぼすのに使える時間たっぷりあるからである


・おそらく群淘汰説が非常に受けたのは、ひとつにはそれが、われわれの大部分が持ってる倫理的思想や政治的思想と調和しているからであろう。

進化を眺める最良の方法は最も低いレベルに起こる淘汰の点から見ることだ、というわたしの信念について述べなければならない。

・複数の誤りが進化に必要不可欠だという説と、自然淘汰が忠実な複製に有利に働くという説は果たして両立するものだろうか?われわれは自分進化産物であるがために、進化漠然と「よいものであると考えがちだが、実際に進化したいと「望み」ものはないというのが、その答えである進化とは、自己複製子(そして今日では遺伝子)がその防止にあらゆる努力を傾けているにもかかわらず、いやおうなしに起こってしまう類のものなのである

化学的手段を講じるか、あるいは身の回りたんぱく質物理的な壁をもうけるかして、身を守る術を編み出した。こうして最初の生きた細胞が出現したのではなかろうか。自己複製子は存在を始めただけでなく、自らの容れ物、つまり存在し続けるための場所をも作り始めたのである



・海中を気ままに漂う彼らを探しても無駄である。彼らは当の昔にあの騎士のような自由を放棄してしまった。今や彼らは、外界から遮断された巨大なぶざまなロボットの中に巨大な集団となって群がり、曲がりくねった間接的な道を通じて外界と連絡を取りリモートコントロールによって外界を操っている。彼らはあなたの中にもわたしの中にもいる。彼らはわれわれを体と心を生み出した。


遺伝子が決定論として批判されるような強い意味でのその創造論制御したりしないことは、誰にも理解できることだ。われわれは避妊手段を用いるたびに何の努力もなしに(そう、かなり簡単に)、それらを否認しているのである

2012-01-15

報酬ベースにした成果主義\(^o^)/

・・・要するに衛生条件と動機づけ条件をわけろってことでおk

人間ネズミではない」という、当たり前の事実が忘れられるとするなら、よくありません。

「動機づけとは、教育の手段ではなく、目的である」ということです。

例えば、子供勉強をしてもらいたければ「知りたい!」という動機づけをすることが必要なわけです。

ところが、勉強を「させる」ために、しばしば用いられるのは、誰かに勝ちたいとか、褒められたいとか、ご褒美をもらいたいといった手段としての動機づけです。

この背後にある問題を考えるため、以下、本書の記述ピックアップしてみます

・アメによって反応を引き出せはするが、同じ行動をさせ続けるためにはアメを与え続けなければならないという事実そのものが、

アメの長期的効果(あるいはその欠如)についてのカギを提供しているのではないかということである。(p25)

・ごく幼い子供たちにはコントロールをもって対することも必要なときがあろうかと思う。

最低の基準として、例えば三歳児がよちよちと表の通りに出て行こうとするのを見過ごすわけにはいくまい。

しかコントロールに頼る前に、それほど強圧的でなくもっと相手を尊重した世話の焼きかたはできないかどうか、しっかりと確認すべきではある。(p49)

報酬と罰とは基本的に同じようなものである。現代の社会心理学の創始者であるカートルーインが言うように、

両方とも「そのとき自然の場面からは生まれないような行動」を引き出そうとするときに使われる。

さらに、長期間にわたって見るとどちらもまったく同じ様相を示すことが分かる。

まり、こちらの望むような行動を続けさせるためにはやがて賭けるものを上げ、報酬なり罰なりをどんどん増やしていかなければならないのである。(p74)

・親が子供に、ずっとおとなしくしていれば日曜日サーカスに連れて行ってやると言ったとする。

土曜日子供が親の気に入らないことをした場合、親がよく使うせりふは、「そんなことをしているとあしたのサーカスはだめだぞ」であろう。

褒美をご破算にするということの脅しが、罰を与えるという脅しと同じ機能を持っているのは明白ではないか。(p77)

報酬は、ひいき目に見ても、こういう協力や仲間意識を促進するのになんの役にも立たない

むしろそうした目的現実に阻害する場合のほうが多い。

アメを奪い合うときには必ず「争いと嫉妬」の底流が生じるのであって、それはすでに二世紀近くも前にニューヨーク市教育者たちがある行動修正プログラム実施されているのを見て出した結論でもあった。(p80)

報酬主義の問題は、報酬を与える場合、そもそも問題がなぜ発生したかに注意をすることは全然必要でない、という理由である

子供が泣きわめいている原因、生徒が宿題をやって来ない原因、従業員が気の乗らない仕事ぶりをする原因を考える必要はなく、ただ該当者を買収するか脅すかして活を入れればいいことになる。(p87)

「こうすればあれをあげるよ」と言えば、関心は「これ」ではなくて「あれ」に行ってしま

従業員に給料袋の中身について考えさせたり、生徒に通知票のことを心配させたりするのは、創造性を重んじようという場合にはほぼ最悪の戦略である。(p99)

先生は肩をすくめて、「試験に出るよと言わなければ、子供たちは覚えようとしないわ」と言う。

経営者は、キチンとした仕事をさせるためにはボーナスを出さなければダメだと主張する。

親は、子供が誘因なしでも「やるべきこと」をやるだろうと期待するのは現実的ではないと信じている。

しかしもう一度考えてみよう。そういった言い分は通俗行動主義を擁護するものではなく、教室職場の設定のしかた(あるいは人々がなすべく要請されていること)に何か大きな間違いがあることを示すしるしなのだ。(p123)

子供たちは内発的な学習意欲を持っている。

褒めたり操ったりすれば、その自然な動機づけを押し殺し、そのかわりに盲目従順機械学習態度や権威に対するあからさまな反抗を生み出すだけである。(p142)

・大抵のおとなが褒め言葉を連発しようとするのはなぜなのか。

第一に、褒め言葉を言うのには考える必要がないかである

褒めることは安上がりで簡単なのだ

それとは対照的に、技術と工夫と配慮がなければ、人を励ましてしかも今やっていることへの興味を持続させ、その上コントロールされているとは感じさせないようにすることはできない。(p168)

・一般に報酬というものが業績を伸ばすのに役立たず、しばしば業績を妨げることは、いろいろな種類の仕事において見られるが、それは特に創造性を要する仕事において著しい。(p182)

仕事にほかのもっと重要な面で欠けているところがあると、次善の策として給料の額が重視される傾向がある。

まり課題が本当におもしろく意味のあるものでなかったり、自分のやることを自分で選べなかったり、社会的な支持が得られなかったり、自分をみがき自分能力を発揮する機会が与えられなかったりすれば、

給与がいくらかということに目が行きやすいということである。(p197)

・強調しておく必要があるのは、こうした事情があるからといって、経営者給料を出ししぶるのが正しいということにはならないという点である

だれも給料は十分かつ公正であってほしいし、いちばん単調できつい種類の仕事をする人たちは特に高い給料を望むように見えよう。

しかし金こそが人間を動かすと考えることは、人間の動機づけというものを貧しく解釈することになろう。(p200)

・家庭でのものごとを自分で決め、自己決定の感覚を持つ機会を親からまり与えられていない子供は、学業成績もあまりふるわないということも明らかにされている。=私はそうでもなかったけどな。多分日本テストはバカ向けなんだな

こうした事実は何を意味するのか。基準を厳しくしたり、点を辛くしたり、誘因を増やしたりすることは、益よりは害になるということについては強力な証拠がある。(p225)

自分がどれぐらいよくやっているかを気にしている人は、自己概念をかけているということがある。

自分を利口だとか有能だとか思っている自己イメージは、一定の活動水準に達しないおそれがあれば危険にさらされることになる。

そういう自己イメージを守ろうとすると、普通は、自分の最善を尽くしたいという欲求を犠牲にすることになる。

そういう欲求は危険だと思われるのである。やらなければ失敗もしないわけだ。(p233)

一人の人間の持っている可能性は、もっとすごいはずです。

望ましい行動を取らせるために報酬というニンジンを与えることは、その人が持っている「行動そのものへの興味」を殺し、ニンジン中毒を作り出してしまう可能性があるのです。

僕たちは、これを慎重に回避するための方法を学ばなければなりません。

「うれしいな、月曜日だ」と思える人生を、より多くの人に実現してもらうということが、教育に関わる人の責務であり、それは人生をかけるに値するものです。

2012-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20120111183252

>「自分はどうしてこんなに草を生やしてしまったのか」

そりゃアンタの思い込みが予想外に強いからだよ。カルト宗教的な盲目ぶりだもん。

きもちわるいよ。

自分で言ってることいちいちブーメランなのに気づいているそぶりもないとか、怖すぎんだろ。



トトロじゃねーけど恐怖心は笑うと逃げてくんだよwww

わwっwはwっwはwwwうぇwwww

2012-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20120108190557

小学校入学した時から気付いてた。

先生、俺の事あまりきじゃなかったよね。

そういうの子供の頃から敏感だったから、ずっと思ってた。

サッカー好きなあいつ、野球上手いそいつと、俺との扱いの違い。

そりゃ、先生はい人間だもの。好き嫌いはあるけどさ。

 

皆より色々劣る俺ですもの

何の問題もなく、いじめは始まった。 

幸い、親だけは俺を愛してくれていたから、いじめられても正気を保ってた。

愛されてなかったら、俺は頭おかしくなっていたと思う。

いや、もうおかしいのかもしれないけど。

中学、高校、成長していくうちに、俺は皆より地位が下であるという事を学んだ。

下の地位で大人しくしていれば、とても平和だった。

現代の穢多非人とは、俺のことだ。俺は皆が嫌がることでもやるしかない。

 

大学卒業して、次第に収入に差がついていく頃。

少しだけど、回りの皆より収入がいいようだった。

皆にとって、それは少し屈辱らしい。

まさか収入の違いだけで、あれこれ言われるとは思ってなかった。

生意気調子乗ってる、似合わない。

けど妙に納得してしまった。

 

親はそろそろ結婚しろという。

盲目なのか?いい加減気付いてほしい。俺は、人間に好かれない。

2012-01-04

綾瀬はるかの『ICHI』がクソすぎ

ソ映画だとわかってて見たのにそれでも見てられないぐらいの凄さだった。

一応全部見なきゃいけないと思い録画して早送りしながらなんとか最後まで見た。

メモする価値あるぐらいのクソ加減だったので以下備忘。




綾瀬はるかが全く演技をしない

他の映画での綾瀬の演技を見た事がないので断定できないが

おそらくはそもそも度を越えた大根なのだろう。

が、『ICHI』では演技が下手っていうレベルを超えているのでまるで演技する気がないように見える。

一瞬何か意図的な演出なのかと思ってしまうほど演技をしない。




だいたい綾瀬演じる市は

極度に感情も表情も乏しく能動性の無い女、というつまんない人格に設定されていて

ほとんどのシーンでただ周囲の人の話を無表情無反応に聞いてるだけということになる。

こんな役を大根にやらせるので、本当に「ただ立ってるだけ」「座ってるだけ」をしていて、演技する気がさらさら無い。

(このただ座ってるだけの女にオッケーをだす監督も凄い。

 そんなのモブでもあっちゃいけない筈だが綾瀬は主役だ。)




アイドル映画ならもっと必死に頑張るような役をあてるべきで、

そういう役ならちょっと大根でも客もわかってるので楽しめる。

静かな役なんかだけはやらすなと言いたい。




まりの異様さに「こいつなんなの……!?」と違和感を覚えるのも最初だけで、

視聴者はすぐに市がどうでも良くなる。

他の登場人物も全くキャラが立ってないにもかかわらず。

まり映画全体がどうでも良くなってくる。

眠くなるのとも違う新感覚




お話幼児向け以下

悪役は中村獅童演じる「万鬼」という剣客が頭目の不良グループだが、

この万鬼は顔の火傷で仕官出来ないのを悩んでるだけのしょっぱい奴で

万鬼党は狂気破壊衝動で暴れるだけの、バカが好んで描くタイプの悪役。

経済観念すら乏しくわざわざ住み心地悪そうな岩場に男だけで住んでおり

唯一の寄生である宿場無意味殺戮を始めるようなアッパッパーから

話の溜めもクソも何も無い。




悪い親分のところに市が上がりこんで行って

下手に出たりとぼけたり脅したりするような駆け引きも全く無い。

ほとんどショッカーレベルの悪役なので中学生以上だとシラフで見ていられない。

日曜朝の30分戦隊物でも『ICHI』よりはマシな脚本を書いている。マジで




(一方、善良な民衆側の宿場の顔役は復帰直後の窪塚洋介がいつものあの抑揚で演じているが

 全てが意味不明な『ICHIワールドの中では大変好感の持てる常識的なアンちゃんに仕上がっている。

 この映画を見た人間はみんなちょっと窪塚洋介を好きになれる。)




多分時代劇も全く知らない

・八州周りが宿場にやってくると街道民衆が総出で土下座大名か。

・八州様を宿場の顔役達が供応してるところに脈絡も無く万鬼党襲来。

 よりにもよって八州様の目の前で住民の殺戮を始める。

時代劇ではヤクザと結託するワル八州が珍しくないので、

「やや展開が無茶だけど万鬼党に抱きこまれてる八州だったかー」と思って見ていたら

 血刀下げた万鬼党は震える八州の胸倉を掴み「見なかったことにしろよな!」恐喝




無頼の主人公が八州周りを殺しちゃうトンパチ展開も時代劇では稀にあるが、

田舎ヤクザが八州周りを単純に脅しつけて帰す展開は何気に史上初なんじゃないだろうか。

カツアゲ現場を目撃した下級生ぐらいのノリで扱われる八州様。

脚本書いてる奴〇ね。




そもそも市は盲人なのか?

綾瀬演じる市はただ杖持って伏し目がちにしてるだけ。

盲人の剣客、という役作りが物凄く大雑把に、

1「ちゃんと盲人の挙動研究し真似する」

2「その上で自分なりの市の癖を作る」

だとして、

1すらやる気が全く無い。




歩き方も話掛けられたときの反応も何もかもが健常者。

一応目をはっきり相手に向けないことだけはしているが

内向的な市の性格なので多分目が見えても同じような動作になる。

平時でも修羅場でも、耳や全身で周りを窺う演技がまったく無い。

製作陣にも綾瀬にも多分その発想すらない。

市の挙動は常に、ただ物事への反応が鈍い重度の鬱病さんかなんかにしか見えない。




というか、これさあ、製作陣は盲人を描く気なんか無かったんじゃないか

なんか意図があっての事か、単にめんどくさかったのか、なんだかわからないが。

(少なくとも市の盲目設定を取り除いても『ICHI』には全く支障が起きない。

 ただの性格暗いいじめられっこ女剣客、で成立する。)





また、斬り合いだったら斬り合いで、

どんな大根でも大根なりにやるような、

息を詰めたり飲みこんだりするような演技も綾瀬は全くやらない。実力伯仲の命懸けの斬り合いでも。

クールビューティとかそういう問題ではなく、もはや製作陣は脳や神経に障害がある。

こいつらが持ってる感情演出手法は目の端からポロリと流れるふざけた一粒涙だけ。

映画の山場に凄くいい加減なラッシュで明かされる市の過去

 ダイジェストレイプされる市の目の端から同じ涙がポロリと流れるのはもう完全にギャグ




殺陣シーンが無茶苦茶

酷すぎる。

下手とかじゃなくてもはや意味不明

監督剣劇なんてもんに全く興味が無い上に勉強する気すら無いのが雄弁に伝わってくる。

ピンポン』の卓球シーンでもスローモーションの絵さえあれば

動きの流れにケレンミ・リアリティどっちも求めない凄い奴なのはわかっていたが

ICHI』ではそういう酷さが悪化している。




例によって綾瀬はるか大根を越えた大根であるうえに

その綾瀬の棒みたいな動きばっかりクローズアップする撮り方するので

もうどういう攻防なのか誰にもわからない動きをする。

手傷を負うシーンは必ず腕や腿がアップになって服が破れるカットで説明し

どういう流れでそこを斬られたかは多分考えるつもりすらない。




時代劇を見てれば殺陣の下手糞な役者なんかはいくらでも出てくるし

アクション映画見てれば動きの悪い役者もいくらでも目にするが

ICHI』はそういうのとは次元の違うことが起きている。




スローモーションでバチャバチャと血を出すのだけはお気に入りみたいで、

 市も蹴られて盛大に血を吹くがあれはどう見ても内臓破れてるレベルの量。

 何も考えて無いからどうでもいいんだろうが。)




主役は大沢たかお

市が能動性皆無なので

実質的な主人公は大沢たかお演じる浪人

稽古中の事故母親に怪我させてから真剣が抜けなくなった」という

万鬼の顔面コンプレックス匹敵するぐらいしょーもないトラウマでグジグジ悩む男で

万鬼党との戦いに加勢しては刀と鞘を持って「抜けないいいい」とパントマイムをするのが持ち芸。




毎度渾身の力で刀を抜こうとするが

鞘が磁石でくっついているかのように1ミリも抜けない。

いや、真剣が抜けない」ってそういうことじゃないだろ。

この演技指導した奴も素直に従う大沢たかおも、脳腐ってんのか。





一応筋を最後まで書くと

この浪人は市に「心を閉ざすな!」とか説教をして

それを綾瀬はるかはお得意の何も演技をしてない「本当の無表情」で聞き流し、

でもなんか心が動いて戻ってきて

大沢と相討ちになった万鬼にごっつぁんトドメを刺します。

宿場は救われた!終わり。




だんだん浪人に惹かれていった(ような描写は乏しいので鑑賞者が補わないといけないけど)市の脳裏一杯に

フラッシュバック的に大沢たかお笑顔が映し出されるとこが感動シーンの最高潮ですが

盲人の市がどうして浪人の顔を知ってんでしょうね。

そこは聞き覚えた声とかかつて握った手とかで演出しろよと感じます

前述の通り市の盲人性を真面目に扱わない製作陣にはどうでもいいことだった。




やっぱり市の性格おかし

根本的な間違いとして、

盲人という重要感覚器が一個閉じてる主人公に、

更に自閉的な性格をあててしまったらどうにも話が成り立たない。




もともとの勝新太郎座頭市

なんだかんだ言いつつ相当な世話焼きで、

腰は低いけど欲も意地もあるし優しいしよく怒る。

性根の悪いヤクザからかったり脅したりもする。

これぐらい濃い人格が噴出してくるから目の見えない体と釣り合いが取れる。

北野武座頭市だって勝版とは相当に色々違うが、

 主役の人格はやはりアクの濃い悪い奴になっている。)




いっぽう綾瀬はるか座頭市

中学生が初めて書いた小説の主人公みたいにおもしろみのなーい傷心由来の内向的性格

こんなもんを目の見えない体に入れたらそりゃ話が動かずつまらん事になるのは当たり前。

監督脚本は何考えてたんだろう一体。

おわり。

2011-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20111227134447

誤答に対してはもちろん個々に対応しますよー

盲目的に従っていると言われるとまさにその通りで謝るしかないのですが、

自分教員になるずっと前から教科書に載っている解法を

個人の判断で否定するのは、現実的にはとても難しいのです。

学級や学年を越えて大きな影響を与えることですから

多くの現職の教員(担任)は、この議論を見ながら

「それを自分に言われても……」とも感じていると思います

http://anond.hatelabo.jp/20111227134447

先生たるもの子供の「直感」が正しい「直感」であるかどうかを見極めて指導するくらいのことはして下さい。

「深く考える」と「直感」は相反するものではありません。

それが出来ないからと言って矛盾無意味な複雑化のあるマニュアル盲目的に従うというのは教育者の態度ではないと思います

2011-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20111219113124

そりゃまぁ、「信じる」と言うのを、「信者として盲目的に信じる事」だと定義するなら、そうなるだろな。

科学信者数学信者芸術信者経済信者宗教信者、どれも一緒。

信じてる物が違うだけで、どれも「信者」なのでね。

今一つ、何が問題なのか、わかんないよ。


科学信者には、自己矛盾があるって?

無いよ。

信者なんだから

彼らは科学と言う名がついた宗教を信じてるだけで、世界を解明しようと日夜再現実験に明け暮れているわけでもないんだろ。

彼らは、「科学」と自分が信じてる概念を崇めてる、単なる信者だ。

2011-12-10

自己満足になるような恋愛こそ最高の恋愛だと思う

「ぼくは、こんなにきみのことを愛しているのに、どうして振り向いてくれないんだ」というセリフこそ、自己満足極致です

自己満足何が悪い

むしろ、私は一度でいいからこのセリフ言ってみたい。

そこまで盲目になれるような相手と出会ってみたい。

相手のことなんてお構いなしに惚れて惚れて惚れまくって、失敗したら相手を殺すか自分が死ぬかしかない、そのくらい恋焦がれるっていいやん?



私一度もそういう激しさで人を好きになったことがない。

お見合い婚で、今の奥さんのことは大事だけれど愛とか恋とかじゃあない。

好きになれないからこそ、相手のことをいろいろ観察して、相手が喜ぶようなことを考えたりする余裕がある。

こっちはこっちで悪く無いと言うか、、私にはこれがあってるし、幸せだと思うけど、

上のような愛し方があってる人もいると思うんだよな。 ゲーテ小説じゃなくても。



そういう人のことは素直に羨ましいけどなぁ。





追記。感情的に受け付けないのはわかるし、キモイならキモいといえばいいのに、

一々あなたの言ってることはこういうふうに間違ってるってご丁寧に説明してくださるいかにもモテなさそうな男が多数湧いてきて心底気持ち悪かった。

別に正しいこと言ってるつもりなんかないし、くだらないこといってるなってのはわかってて発言してるのに、

一々そのことを指摘する非モテ男の気の利かなさが心底うざかったです。 非モテって最悪だなマジで

2011-12-01

年金問題少子化対策で解決しない

年金問題少子化対策で解決するかのような言説を振りまいているブログを見つけたので、その問題点を指摘します。


世代間の不公平を煽るなかれ - 経済を良くするって、どうすれば

http://blog.goo.ne.jp/keisai-dousureba/e/7fc431fe1a914ef881dc23a173b67539

はてなブックマーク - 世代間の不公平を煽るなかれ - 経済を良くするって、どうすれば

http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.goo.ne.jp/keisai-dousureba/e/7fc431fe1a914ef881dc23a173b67539


以上から言えることは、絶滅しないように、きちんと社会を維持していけば、賦課方式からは「得」しか生じず、「損」が表れることはないということだ。ところが、日本では、小黒さんが言うように「損」が出ようとしている。それは、日本では、緩やかな絶滅過程である少子化」が起こっているからだ。つまり、「損」が発生は、少子化を起こしたからなのである

国民年金厚生年金共済年金という公的年金が行き詰っているのは、加速度的に進む少子化けが理由ではありません。それ以上に、盲目的に信じた右肩上がり経済成長率・予測が行き詰っていることが大きな問題です。つまり官僚による経済政策の失敗です


しかも、日本高齢者世代は、過去に、給付に必要な以上の保険料を払って、小黒さんが言うところの「事前積立」を行っている。130兆円に及ぶ公的年金の積立金がそれである

サラリーマンが主に加入する厚生年金保険料率(保険料/所得)は、2010年に約16%でした。これに対して、1960年保険料率はわずか約3%、1970年でも約5%でした。つまり、「日本高齢者世代」は、現役で働いていた時代、今の現役世代よりも相対的にわずかな金額しか保険料を払っていませんでした。

しかも本来であれば、「130兆円に及ぶ公的年金の積立金」よりもはるかに大きな金額の積立金があるはずでしたが、これも官僚が、天下り福利厚生、保養施設といった無駄遣いによって浪費してしまいました。2008年度には670兆円の積立金が残っていてもいいはずなのに、たった「130兆円」しか残っていないのです


団塊ジュニア世代は、自分たちの人数の6割しか子世代を残していない。支える世代を、ここまで細らせてしまったのだから、十分な給付を受けられず、「損」を背負うのは、むしろ、当たり前ではないか

それでは、今現在年金をもらっている高齢者たちへの給付額は半分にしましょう。「支える世代を、ここまで細らせてしまったのだから、十分な給付を受けられず、「損」を背負うのは、むしろ、当たり前」ですから


それでも、今の高齢者世代は、自分らの孫や子である団塊ジュニア世代を不憫に思って、多少は「損」を減らしてあげようと協力してくれるとは思う。

仮に、持ち家や現金資産などを持つ高齢者世代が、自分たちの息子・娘、孫の世代に資産を残すことを選び、世代間の不均を解消するように動いたとしても、その選択と年金制度破綻に追い詰めた官僚責任、および年金制度の見直し(例えば目的消費税財源への切り替え)が喫緊課題であることとは、何の関係もありません。


団塊ジュニア世代が、この窮地から脱するには、小黒さんの主張する、ほとんど現実性のない更なる負担増による積立金の強化より、少しでも少子化を緩和する努力をすべきである。その具体的な方法は、本コラムの基本内容の「雪白の翼」に記したとおりだ。「損」の本質は、高齢者世代の「得」ではなく、少子化にあることを見失ってはならない。少子化の緩和は、「損」を減らすのに、負担増より遥かに効果である

端的にいって、少子化対策は、仮にそれが効果をあげたとしても、それは20年以上先のことであり、その効果わずです

なぜなら、今年生まれたこどもが働き出し、大学卒業し、税金を納めるようになるには、少なくとも20年以上が必要だからですしかも、子どもたちを育てるための育児費用教育費用負担しなければならないことを考えると、現役世代にさらに負担押し付けることになります(だからこそ、国や都道府県による育児支援教育支援の充実が不可欠なのですが)。

また、2010年現在において、高齢者1人あたりを現役世代の3人から4人で支えているとされますが、少子化対策がうまくいったとしても、40年語の2050年高齢者1人を支える現役世代の数は約1.25人で、2010年の今よりもさらに厳しい状況となることには変わりありません。このまま少子化が進行した場合、支える現役世代の数は約1.1人だそうですが、どれほどの違いがあるでしょうか。せいぜいがやらないよりマシという程度のものです

2011-11-29

K-pop好き=韓国ラブ韓国文化ラブ韓国人ラブ韓国語ラブ韓国旅行するコンサート行く!!!



上記のような人ももちろんいるんだけど、そうじゃない人間もいる。

自分日本アイドル文化みたいなものが、物心ついたころから理解できずにいた。

K-popが好きになったから今嫌いになったとかじゃなく、昔(子供の頃)から歌の歌えない人間歌手面してるのが気に食わない。

つーことで、最低限のレベルで歌を歌えたりダンスができるK-popを聴くようになったのだ。

(※正直めちゃくちゃ歌が上手いとも思ってはいないが、最低限のエンターテイメントとしてのレベルがあるという意味で。)

昨今K-pop流行ってる?ようだけど、元々流行る前からちょこちょこチェックして聞いたりしてたのだ。

元々のK-popファンの中では、ここ数年のK-popブームは嫌だと思っている人も多い。

なぜならK-popファンは好き勝手にチェックしてるのに(原曲が好き)、拙い日本語で歌われたり、

日本に大量にデビューすることで、余計な嫌韓雰囲気も増えたり・・と、色々と思うところがあるからなんだけど。

まぁ、上記のような韓国ラブー!K-pop最高なんだから、嫌って言ってる人とか信じられなーい!的な盲目な人がいるのも事実

そういう人は彼らの日本デビューが嬉しい模様。





正直"アイドル"の定義も違う感じなのだけど、

見た目(顔)に関しては日本のほうが高いと感じている。

でも、日本にもどう見積もってもブ○イクとブ○なアイドルもいたりするよね。

歌が下手なうえにブ○イクって、もうその辺の存在意義ってどうなってるのって感じだけど・・。

あちらは顔・・(というか元顔)は、正直その辺のお兄ちゃんお姉ちゃんって子が多い。

日本アイドル感覚からすると、ちょっとズレてるけど、あちらではそれでも良いということみたい。

(もちろん綺麗な人もいる。日本人ウケする顔かどうかまで考えるとかなり少ないけど。)



脱線






自分嫌韓意見も十分に理解できるし、K-pop聞かない好かない受け付けないと言う人がいても理解できる。

自分日本人として自分なりに両国間の問題を調べたり考えたりして、所謂ネトウヨのいう意見も理解できるからだ。

むしろネトウヨ寄りの考えも同時に持ち合わせているんだけど、

ネットにいるK-popファンは、割と盲目なファンが多くて話が合わない。

というか、話そうと思えない。

なんか違うなーという感じ・・。

日常的に韓国語カタカナ表記)を使っていたりして、割とカオスな状態で。 でもファンの間だとそれが普通で。

まぁ、今のK-popファンは中高生も多いから、正直話なんて合うわけないのだけど、

大人でも自分みたいなK-popファンって少数派みたいだ。

しかしたら、自分と同じような考え持ってたとしても、その中でわざわざ言えないだけかも知れないけど。

今の中高生韓国に対する感覚は、ニュージェネレーションって感じなのかな。

とにかく自分はそういう感覚は持ち合わせてない。

日本贔屓でもないプレーンな状態で沢山の韓国人と接したこともあるけど、

まぁ・・、似てるところもあり共感できる部分もあるけど、やっぱり、うーんと思うこともあった。

正直不快に思うことも何度かあった。

今は日本の文化に興味ある韓国人いるかも知れなくて、そういう人(ある程度多角的に物事をとらえることができる)と接すれば

それ程不快な思いをする機会もないかも知れない。

けど、自分はそうじゃない韓国人と接したことがあるから、彼らの実情を知ってるというか。

実際自分経験たから、分かることがある。




もちろん自分はまじりっけなしの嫌韓ではないから、

韓国人大嫌いで韓国に関するすべてが嫌いとかいう考えは持ってない。

ただ、一部の韓流ファンがそうであるように、韓国全てまるまる愛することに関して危機感があるということだ。

(Kpopに関しても全てが良いと思っているわけでもない。)




とにかく以下です。 

全てのK-popファン≠韓国激ラブ 



駄文申し訳ない。

2011-11-08

苦しい。苦しい。苦しい。息が潰される。精神的に苦しい。

そんな時は、言い訳をしてしまう。

自分言い訳をして、それを自分に信じさせてしまう。

あまつさえ、他人にまで聞いてもらおうとする。

「実はあれはこんな理由からで…。あの背景にはこんな事があったからで…。本当の意図は…」

現実にあるのは事実だけ。

けれども、事実は耐え難い。事実はあまりの恐ろしさ。

故に、事実直視したら目が潰れると思っている。体中から血が噴き出ると思っている。

実際、そのくらいの堪えがたい苦しみが伴う。

しかし、だからといって言い訳世界を作り上げて住んでしまったら、

その世界こそが、永久盲目のまま、同じ過ちを繰り返す地獄だ。

言い訳を欲すれば、どんなことでも言い訳にできる。

あらゆるもの言い訳の誘惑をしてくる。

言い訳のいらない人生を送るんだ。

2011-11-06

日本人ネット企業に対する意識

最近DeNA横浜ベイスターズ買収の話題が世間を賑わせている。

ナベツネは参入を認めたが、最初は反対していた。

「モガペー?聞いたことない。どうせなら大企業松下日立に買収してもらいたい」と。

では、世間はどうだっただろうか。

私が知る限り、テレビインタビュー横浜買収のニュースコメント欄Twitterなどを見ていると圧倒的に反対の声が大きかった。

理由を見ると「胡散臭い」「出会い系」「5年後存続しているか不安」「球団愛などないだろう」などがほとんどだった。

偏見ばかり

いろいろ理由はあったが、やっぱ国民は「胡散臭い」というイメージを持ってるのだ。

業績は好調で資金も潤沢、というニュースに「急激に伸びていて胡散臭い」「急激に伸びた会社は急激に落ちる」というなんら根拠のない批判が見られた。

出会い系課金というマネタイズ方法などが批判されているが、それもおかしい話だと思う。

出会い系に使っているのは一部のユーザーだし、課金システムも最終的に任意で課金しているのだからなんら詐欺でもないし問題ない。

しかし、そういった部分にだけフォーカスする人が多いと感じた。

これは大企業ならこういったことにはならないだろう。そういった部分もあるけど「大企業から安心」という盲目的な信頼感がある。

私が一連の横浜買収のニュースに対する国民の反応を見て感じたのは、日本人ネット企業への嫌悪感みたいなものが強いな、ということである

嫌悪感の背景

ネット企業というのは新しい産業だ。

つの産業として認知され始めたのは10年程前のネットバブルが起こった頃ではないだろうか。

その後バブルは弾けたが、2000年代若者が次々とネット企業を起ち上げ億万長者となった。

その代表格というか、人々の記憶に焼き付いているのがホリエモンことライブドアの元社長堀江貴文だろう。

球団買収やフジテレビ買収騒動など、大変大きな話題を振りまいた。

企業としての動き以外に、彼個人の言動も多いに注目された。

メディアを買収しようとしたことも関係していると思うが、発言は誇張され一人歩きをし、彼は「金の亡者」というレッテルを貼られた。

この頃からドラマネット企業社長などの役が多くなったと当時感じていた。

ドラマの中でのネット企業社長は大概胡散臭い人物で、ヒール役だった。

これはメディア恣意的な演出なのではないかと疑ってしまいたくなるが、国民も同様にネット企業社長ネット企業胡散臭いと思うようになったのではないか

ホリエモンが正しかたか間違っていたかは別であるし、彼のせいにするわけではないが、彼の存在は今の国民に影響を与えた要因の一つである可能性はあると思う。

やっぱり「ムラ社会

ホリエモン存在以前にもっと大きな問題がある。

日本の「ムラ社会」だ。

ホリエモンが必要以上にバッシングされたのも日本に根強く残る「ムラ社会」的考えによるものだと思う。

要は「出る杭を打つ文化」だ。

若くして億万長者になり、歯に衣着せぬ発言をする彼は「出る杭」だった。

設立10年余りで1000億以上売上げるDeNAは「出る杭」だ。

ホリエモンDeNAに対する世間からの評価を見ると「出る杭を打つ」という文化が根強いのだと感じてしまう。

もちろんバッシングすべき部分はあるのかもしれない。しかし、少なくともフェアな目線はそこにはないと思う。

派手な発言をする人、新しい産業、新しい企業、そういったものは「出る杭」なのだ。

国民の多くは偏見にまみれた先入観を持ってそういったものに接しているのではないだろうか。

最初からネガティブな印象を持っていればそれを覆すのは非常に困難だ。

ザッカーバーグ日本に生まれていたら

Facebook創始者のマーク・ザッカーバーグ日本に生まれていたら彼は現在のように成功しただろうか?

それは日本にいる限りノーだと思う。

なぜなら、彼はいろいろと問題を起こした過去があったからだ。

大学ネットワークハッキングし、女子学生の顔をランク付けするサイトを起ち上げたり、アイディアを盗んだとして訴えられたり・・。

これほど打ちやすい杭はないだろう。

彼が日本にいたら、どれだけプロダクトが素晴らしくても「あの会社社長は昔こんなことしてた」と延々叩かれて足を引っ張られまくってたに違いない。

悪いことは悪い。しかし、必要以上に叩く必要はない。

フェアな目線

日本人が持つべなのはフェアな目線だと思う。

新しいものに対するネガティブな印象をまず取っ払うことが重要だ。

新しいことにもっと寛容になるべきだ。

新しい人や新しい企業が出てこなければ日本は衰退していくだけだろう。

坂本龍馬ソニー松下だって最初はいけすかない「出る杭」だったのだろう。

ホリエモンDeNAが将来素晴らしい変革を起こす存在なのかどうかはわからない。

しかし、そういった素晴らしい変革をもたらすかもしれない人や企業が出てきやすい環境を作るべきなのだ。

2011-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20111016233623

メンヘラ女子より返信です。まあ、その例に上がってる界隈の人間で気づく人もいると思うがスルーよろしく。


どれくらいメンヘラだったかというと、小学校四年くらいか社会人一年目まで、薬が切れた記憶がない。中学校もあまり行かなかったし、高校も欠席が年間50日を越えてたし、遅刻は三倍くらいしてるはず。出席日数が足りずに担任から呼び出されること数知れず、それ以上に呼び出しを無視って帰ったこと数知れず。


薬を出してもらう病院カウンセリングに定期的に行き、行けない日でメンタルヘルスに異常がでると自殺防止センター市民センター女性相談室、こころ相談室に電話自殺防止センターの、私がしゃべった言葉をただオウム返しにするだけのぶっきらっぽうでやる気のない主婦対応でも、一秒一瞬に危機がせまっているように感じるメンヘラにとって、ありがたいものなのです

去年は人生史に残るくらいピークのときで、家中の紐やベルトを片っ端から首吊りに試し、強度と締まり具合を調べていた。お気に入りコバルトブルーLANケーブルか、デニム素材のかぼちゃパンツについてた紐。感触がよく、よく締まった。家の人と顔を合わせると自分の頭のなかを相手に読み取られてしまうという妄想により、ご飯を食べるときなるべく一人で食べようとしたり、どうしても食べないといけないときは犬のように下を向いてすするように食べていた。それもだいぶよいときで、大体家人が帰ってくる16時くらいになると段々「今日も日が落ちる」という恐怖、家人特に母親が帰ってくる前に死ななければならないと思い込んでいたので、帰ってくるなり裸足で表通りや裏庭を駆けずり回り、一晩ジャリの敷き詰められた庭の隅に隠れたり、落雷で割れた木の幹に抱きついて寝たりとかしていた。何度か捜索願云々という話も聞いた気がする。まあ、今考えると頭おかしいとしかいいようがないんだけど、何かを感づいた家人によりありとあらゆる紐やベルトを隠され、お気に入りデニム紐がないので、「私の紐どこ?」と聞き、「なにに使うの?」と聞かれて答えようがないので押し黙る、みたいなことを繰り返していた。


あとは人の話を一時的に頭に入れたり、文章を作るということが苦手になった。なんというか、ものすごく頭の奥のほうが痛くなる。ただし、文字を起したりだとかの単純作業はすごく好きで、あの頃は脱出ゲームばかりしていた気がする。クリックだけで頭を使っている気になったから。脳トレとか数独知育ゲームにやたらこる。若年性痴呆症だという思い込みから認知症チェックを一日に何度も繰り返し、認知症でないと判定がでるまで何度もやり直していた。


きわまってくると支離滅裂な文章、「ごめんなさい」と繰り返すだけの遺書めいたものを緑のふといペンで殴り書きし、破った後机の引き出しに入れるという習慣がついた。気がついたらわけの分からない紙で引き出しがギッシリ詰まっており、数日後すこしまともになったときに見るとホラーだった。幻聴結構聞こえる。AとBが頭の中で対立していて、常に言い合いをしている。そこへCが出てきて、穏やかな口調で優しく諭すように打開案を提示するのだけど、Cの言うことを聞いていると、首をくくって窓から飛び降りないといけなくなったりするのでまあ大変ですよね。


あとは小説などで空気の読めない使えない人間揶揄するような文章を読むと自分のことだと思い込んで怖くなり、一切の活字を読めなくなったりする。本を読むのが好きなので活字から離れなければならないのはかなりきつかったのだけど、それよりも意味のよくない単語を眼にすることのほうが怖かった。そういうとき脱出ゲームは大変便利で、絵しかないので攻められたりしないという安堵感があった。


ちなみに私にはずっと恋人がいたが、ずっと薬を飲んでいる自分を嫌われるんじゃないかと思って、相手が寝静まった後、息を殺して、錠剤を出すときもそうっと音を立てないようにして飲んでたし、こんな自分は捨てられるかもしれないと不安だった。幸い見た目と初対面の人になら有る程度しゃべれるという性質によって表面上は取り繕いながら交友関係を浅く結ぶことはできたのだけど、濃い付き合いというのは恋人以外に全くできなかった。親族が多いので、遊び相手は叔母や従妹で充分だったし。


私たちは童貞処女で5年ほど付き合ったんだけど、その間浮気もしたことないし、彼氏以外の男の人と二人であったことは一度しかないし、メールするだけでも罪悪感があった。そもそも彼氏以外の人が眼に入らなかった。彼氏も私以外の女とご飯も行ったことがない。どこへ行くにも一緒で、私たちにとって、世界には二人と二人の親族しか存在しなかった。家にいれば私はお荷物の責められるだけの存在なので、私の生きていく場所はこの人と共にある、そこでしか生きる場所はないのだと思っていた。本気で。ファンタジーでもなんでもない、現実だった。


純粋といってしまえば響きがいいけど、こういうある種盲目的な愛っていうのは長続きせず、いつかは破綻するのだと思う。実際わたしは捨てられることを恐れながらも、段々症状が回復するにつれて、彼氏のことを退屈に思い始めた。彼氏は、私が回復していくのが嬉しいけれど離れていってしまうようで寂しい、と言った。ついに彼氏といるより女友達と会っているほうがずっと楽しいと気づいたとき、なぜ私は彼がいなくてはいけないと思い込んでいたのだろう、もっと早く気づけばよかったと後悔したほどだ。


全ての女性にはメンヘラ要素があって、それを引き出すのが上手い人、かわせる人、封じ込める人、様々だと思う。個人的にはメンヘラ女子より気違いの女を捜したほうが振り回される手ごたえもあるし自分まで病まないか健康的だと思うけど。探し方は様々あると思うけど、都会のほうが両者ともに生息している確率が高いのでは。メンヘラでも受け入れてくれる懐深い異性がいるというのは大変にありがたい話で、自身がメンヘラであることに苦しんでいる人の救いになるでしょうね。


まあ刃物もちだして暴れたり、首を締められたり(これはメンヘラじゃなくてもプレイでよくありますね)、高速運転途中の車からドアを開けて蹴りだされたりするかもしれないけどそこは自己責任で。頑張って世のメンヘラ幸せにしてください。

2011-10-28

平成23年10月28日

匿名であってもこんな事を書くのは恥ずかしいが、自分にとってとても大きな事件だったし、

はてな匿名ダイアリーは恥ずかしい文章ばかりだし、何より思いを外に吐き出したいので書く。



■今年の4月頃、何の気は無しに昔の同級生の名前

何人分かインターネット上で検索してみたら一人の元同級生のブログが見付かった。

12年振りに見た同級生の顔はえらい老けていて驚いたが、

それでも確かに中学生当時の可愛い顔を成長させた様な可愛いらしさが有った。

その人は家柄と経歴と育ちがまず凄い。祖父の代から家族全員が音楽好きで、女子高出身で音大の大学院を出て、

普段はフルート奏者だが男子校でのフルート講師や絵のモデルをやっている。

しかも一日12時間フルートの練習をこなす事もあり、人柄もキャピキャピした派手さが無く

犬好きで犬を見かけるとつい撫でてしまう、というぶりっ子と言われかねない可愛らしさを自然体で有している。

家の写真フルートを有したり音大の大学院に進む点から富裕層である事が伺える。

『何だよこの化物じみた完成度。誰が作者の漫画の登場人物なんだよ。男子生徒はこの先生に絶対惚れるだろ』

突っ込みを入れたくなる。

正に物語に出てくる様なお嬢様そのもので、ブログを読み進めていく内に俺はうっかり惚れてしまった。

中学校時代可愛い女子生徒だな程度にしか思っていなかったのだが、

まさかこんなに漫画みたいな人だとは、俺が今になってこんな形で惚れる事になるとは思いも寄らなかった。

それからは、我乍らストーカーの様だと思いつつ、

ブログを読んで情報を得てはその人が自分彼女になった妄想をする様になった。

街に出ても、今擦れ違ったのはあの人かも、公園に行けばあの人に会えるかも、と想ったり、

今迄していた自分金持ち成る妄想にその人を嫁として組み込んで、

嫉妬したり相思相愛になったり盲目的に恋したり離婚したり死に別れたりと

様々な妄想毎日半年近く続けて日々を充実させていた。

危ない。このままじゃいずれ現実妄想の区別が付かなくなって本当にストーカーになりかねない、

自分でも怖気づく時が有る位空想上の彼女の虜になっていた。

■ところが今日、その人のブログを久し振りに見たら入籍の報告が書いてあった。

妄想の源泉が尽きてしまった。それも一番起きて欲しくなかった抗い様の無いはっきりした形で。

絵に描いた餅が破れた。砂絵が掻き消された気分だ。

まりに早過ぎる。せめて後半年位は僅かな希望を、夢に浸らせて欲しかった。

現実的に考えれば自分とその人が結婚に至る事はまず無いし、

可愛い子なんだから彼氏が居ても不思議ではないなと思っていたのだがそれでも悔しい。

まさかこんな事がという信じられない気持ちだ。残念だし間違いであって欲しいと思う。

なんでよりにもよって俺が好きになったこの人なんだと。

ブログに2~3度書かれた結婚への憧れも彼氏を前提にしたものだったのか。

300本近くの記事に彼氏を匂わせる文章は一つも無かったから、単なる遠い憧れとして捉えているのだと思っていた。

■これからはどうしよう。こんな事実を知ってしまっては妄想を楽しむ気も起きない。

お近付きに成る為にその子が使っているフェイスブック

俺も使い始めようかと考えていたがその必要も無くなってしまった。

何をどうしよう。心の宛て所を見失ってしまった。


平成23年10月30日

 その人の名前検索すると検索結果の一番に入籍の報告が出ていて心が痛い。「いいよ、もう知ってるから出さないでよ」と思ってしまう。

結婚相談所広告も見る度に入籍の話を思い出して憎い。地震後に彼氏との結婚を考える女性が増えた、という報道も今思い返せば憎い。

地震さえなければ入籍なんか無かったのか、一縷の望みが消えなかったのか、と考えてしまう。

 ただ、その結婚相手が自分以外の中学校の同級生でなかったのは微かな救いだった。

若しそうだとしたら折角の機会を無駄にしたという理由で後悔はより強くなっていたから、そうでないのは良かった。

 よくよく考えれば、漫画に出て来る様なしっかりした人なんだから婚期を無為に伸ばしたりせずちゃんと人生設計を立てて

20代の内に結婚をするのは当然か。寧ろ賢いというべきだ。

職業柄いつもドレスを着ているし結婚式への参加も多いが、ウェディングドレスに新鮮味を感じたりするんだろうか。俺が着せてあげたかった。

 もうすぐ誕生日だが、実家で過ごす最後誕生日になるかも知れないか彼氏家族と何か特別なお祝いをするんだろうか。

 何故か一度書かれた同い年の従姉妹結婚式についての記事が消されている。

■この人はフルートを各地で演奏している。

ブログは個人的な日記ではなくファンの閲覧を前提しており、記事も仕事絡みが大半で私的な内容は少ない。

固定ファンが記事のほぼ全てにコメントを付けているしつまらないコメントであれ返信も細目に行い欠かしていない。

どう考えても一般人ではなく小さなアイドルとしてのブログだと言った方が正しい。

俺は『立派な元同級生』に惚れたつもりだったが、その実単に『アイドル』に惚れてしまっていたのだろうか。

いやしかし、ブログという文字情報仕事としての振る舞いを理由に惚れるのも含めて恋愛と呼ぶ気もする。

■俺の記憶に有るあの人の声と笑顔を独り占めさせて貰えるのも、

何か小さな冗談を言い合ったりふざけてじゃれあったり愛だ好きだを語ったり

二人の人生について悩み合ったり頼ったりする相手、『人生の伴侶』も決して俺ではなく彼氏なんだろう。

俺には何の相談も無しに大切な事を決定し、どんどん幸せになっていき、勝手自分人生を生きて満喫するんだろう。

俺はといえば、これからも何か有る度にこの人の事を思い出してブログを読んでみては、

旦那との日常妊娠出産子供の成長話やこの人自身の立身出世振りにやきもきして自分自分を苦しめるんだろうか。

俺の存在なんかは当然その人の人生に掠りもしないんだろうな。

そういえば、俺の誕生日に書かれたブログ記事には当たり前だが何も特別な事は書かれていなかった。こんな事がいちいち空しい。

嫌われたり疎まれても構わないからこの思いの一片でもあの人に伝わって欲しい。

平成23年11月2日

今日ブログを全部読み終わったらあの人の家の凡その位置が分かってしまった。

中学校の同級生だから同じ学区の範囲内に住んでいるのは当たり前だが、憧れの人がこんな近くに住んでいたとは思っていなかった。

グーグルストリートビューで自宅写真を探すが見付からなかった。

平成23年11月3日

久し振りに大きな地震が起きた。あの人もこの地震に揺られたのだろうか。

同じ体験が出来たと思うとこんな事でも嬉しいが、こういう共通体験を話し合う機会は一生無いのだと思うと虚ろな気分になる。

平成23年11月7日

あの人の自宅が在りそうだと目星をつけた所を周る。いよいよストーカーの様になってしまっているが、

この辺りには別の理由で一度来てみようと思っていたのでそれを自分への言い訳にする。

それにしても、あの人は果たしてこんな所に住んでいたのか。

あの人と同じ体験を僅かでも積み重ねられてより理解を深められた事は何となく嬉しいが、

市内にこんな所が在ったのか、という驚きの方があの人への興味を上回ってしまう。

平成23年11月9日

あの人の誕生日だ。今日も自宅の在りそうな周辺を周るが、全く見付けられない事もあって公園で遊んでいる方が楽しい

平成23年11月10日

あちこちに普段しない遠出をした事も働いてか、漸く最近になってあの人への思いが薄くなってきた。

恋人が居ないという事は妄想上の恋人であっても寂しいが、やっと恋人妄想をする以前の状態を思い出してきた。

もう『他人』なのだから普通に適当幸せになればいいんじゃないか、という他人事な投げ遣りな気持ちであの人の事を考えたりする。

平成23年11月13日

あの人のブログ更新分を読むと、入籍した前後に既に引っ越していたらしい。

自宅の近所をうろついて擦れ違う事が出来れば、一目見る事が出来れば、と思っていたがブログを読み終わるのが遅過ぎた。

もう完全に機を逃した。一生擦れ違いもしないだろう。

結婚式今日行われるらしい。何の問題すら無く順調に準備が進んでいる。

俺と彼女の無縁っぷりに改めて感心するばかり。俺の悩みは何の障害にもならずにスイスイ自分の道を進んで行っている。

俺の存在に気付いてもらうにはもう超自然的な何かに祈る他無いな。

 妄想の中のあの人は俺の子供を二人産んでいつまでも若々しいままでよく俺を叱ってくれた筈だが、

そんな昔の出来事を思い返して現実比較してどうのこうの考えると、馬鹿らしい上に自分が辛い。

 数年内には子供が産まれるのだろう。彼氏名字を冠した子供が。俺の知らないどこかの土地幸せ子育てをするんだろう。

その頃にはもう未練なんて無くなっているだろうが、自分が置いて行かれている気持ちを味わう様な気がする。

平成23年11月14日

もう結婚式を終えて初夜を迎えたんだろうか。二人で裸で抱き合ったまま寝たんだろうか。我乍ら気持ち悪いがつい考えてしまう。

もう名字も変わっている筈だ。妄想しようにもあの人の名前すら不明になってしまった。

次の22日は『いい夫婦の日』だ。実際いい夫婦になるんだろう。

次のクリスマスはやっぱり仕事なんだろうか。それとも新しい家族の為に休むのだろうか。

消し切れない雑多な思いを書き出す事で何とか解消したい。

平成23年11月16日

13時頃あの人の自宅が隣に在るらしい公園に行くと、真っ赤な晴れ着姿の女と袴姿の男がカメラマン撮影されていた。

まさかあの人なのか、と思って顔を確認するとあの人よりも若い20代前半の全然違う顔の女性だった。

あの人と擦れ違える可能性は無くなった訳だし、もうこの公園に来るのは暫く止めよう。

 あの人は大阪結婚式を挙げて今は海外新婚旅行中らしい。結婚式写真を見るととても様になっていて嫉妬も何も湧かない。

ブーケも投げたらしい。本当に出来の良い人だ。

2011-10-16

からない

あれだけサヨクが嫌いなネット右翼が、何故原発関連の情報についてはサヨク盲目的に信じるんだろう。

やっぱり雰囲気だけで物事を考えてるだけなんだろうか。

2011-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20110926021848

いや……盲目すぎだろ……

惰性でずるずる続けてきただけじゃん。

始めるのは容易いけど、やめるのはすごくパワーが要るからめんどくさいんだよね。

でも後半はそんな損得勘定すら思い浮かばなかったんじゃない?

今まで続けてきたらから今日も続けるだけ。惰性って最強だよね。

あ、言っとくけど彼氏のことじゃないよ、あなたの話をしてるんだよ。

2011-09-17

好きな人とうまくコミュニケーションできないや。

恋は盲目。どんな顔してたかも、何話してたかも善く思い出せない。

かっこ悪いこと言って自己嫌悪になったのは覚えてる。

相手が好きになってくれた方がうまくいく。こんな人間自分で好きになった人とうまく行く事なんてないんだろうな。

2011-09-15

彼氏のことが好きで好きでたまらない

時折冷静になると、この人と人生を歩むのはどうなのだろうかと気付くのだけれど、それにもまして、好きで仕方がない。出会ったときから好きだったけれど、今もあんまり変わらない。好きで仕方がない。

周りの女の子のようにブログやらTwitterやらで惚気たいが、共通の知人の目に入るのも恥ずかしい。直接惚気話をお見舞いするにもタイミングが分からないし、今朝見た夢の話くらい、惚気話ってどうでもいい。ので、話せない。余計に恋心が募っている気がする。いっそ、あの人の私の愛し方はこんなんだったとか、あんなんだったとか洗いざらい言ってしまいたい。どういうことを言うとか、どういう風に触るとかを暴露してしまいたい。しないけれど。たまにそんな風に傷つけたくなる。しないけれど。

多分彼はそういう感じで私のことを好きではないのだろうな、ということは予想がつく。それが悲しいわけじゃない。好きで好きでたまらない素振りしか見せない自分に引いたりしないならそれでいい。

大人になったというのに、盲目的なままでちょっと恥ずかしいとも思っている。分かっているから、笑わないでくれ。

2011-08-29

他人のためではなく自分のために生きる

自分のために生きるというと誰だって自分を一番大切にしてるし自分のために生きてると反論してくる人がいる。

しかし、自分のために生きるというのはそんなに簡単なことではない。

自分のために生きるというのは、自分幸福になれる行動を常にするということだ。

たとえば、お金を稼ぐために嫌な仕事をやる。これは自分のために生きていることにはならない。休日自分趣味を楽しんでるといっても、それはその日だけ自分のために生きているということにしかならない。

たとえば、両親の介護のために自分のやりたいことを我慢する、これも自分のために生きていることにはならない。

じゃあ自分のために生きるには他人をないがしろにしなきゃいけないのか、他人の幸せを踏みにじってまで自分のやりたいことをやるのが自分のために生きることなのか、という人がいるだろう。

そうではない。

自分のために生きるからといって、他人を不幸にして良いことにはならない。他人を不幸にしないというのは、自分のために生きていれば自然に達成されることだからだ。

他人を利用して自分利益を得られるように行動している人を「自分のために生きている人」と言うのは間違いである。彼は自分のために生きてはいない。

他人を不幸にすれば、そこには必ず・どんな人間であっても「痛み」を感じるからだ。その痛みを感じないようにどんなに訓練しても意味が無い。もし訓練の結果、他人の痛みを感じなくなったとしよう。すると今度は自分幸せを感じることが出来なくなってしまう。他人の痛みを感じることは、人間人間らしく生きる第一条件だからだ。

他人を利用してまで自分利益を得ようとする人は、そこに発生する他者の痛みを無意識に押し込めているだけでしっかりと感じている。自らが痛みを感じることをする人を「自分のために生きている」といえないのは明白だ。

自分のために生きるとは、自分も他人も全ての人が幸せになれるように生きることである

両親の介護のためにやりたいことを我慢しなきゃいけない、ともし感じているのなら、それはその人のやりたいことというのを優先するためならば誰かを不幸にしてもいいと思っていることだ。

結局のところこれは考え方を変えるということに尽きる。両親の介護という新しい生活を楽しめば、「我慢」は必要なくなる。それに、全く自由な時間がとれないわけでもない。

自分を痛めつけないことも、自分のために生きるためには重要なことだ。

やりたくないことをやる、誰かの言うことに盲目的に従う、そういったことはストレス病気に繋がり、自分自分人生を生ききれていないことを教えてくれる。

他者のためを思ってやることというのも、一見すると善意に見えるが、その背後にあるのは自分善意で相手をコントロールしようとする「エゴである

また、他者に何かを期待するのも、他者をコントール、自らの支配下に置こうとする姿勢である

他者ではなく自分が何をやりたいのか、それを明確にするのが第一だ。そして、他者が求めていることに応えるのが第二。

他者に奉仕することは自らを奴隷とすることではないかという反論もあるだろう。しかし、それも考え方の問題である

そもそも他者とは鏡に映った自分である。他者に奉仕するとは自分奉仕するということ、自分奉仕するということは自分を癒すということ。

全ては自分のために生きるためだ。奴隷と言う発想は他者を「自分に危害を加える存在」としか見ていないから生まれてくる。

自分であるところの他者についてそう思うということは、自分を信頼していない、自分への不信に繋がる。だから、他者を信頼できない人は外的なパワーを求める。代表格は金だ。

自分人生を100%生きることが出来れば、恐れも不安も消え去る。それは世界幸福に満ちるということを意味する。

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