はてなキーワード: 属人的とは
数十分走ってちょっと疲れたなと思って、歩きに切り替えたわけですよ。そこはちょうど上り坂できつかったものですから。そうすると「こんばんはー」ときたものですから顔をそちらに向けると、学校帰りなのか中学生くらいの女の子が1人歩いていました。何かなと思いまして。だって知らない子ですし。挨拶のしっかりした子なのかなとも考えられますけれど、私はぴんと来ましたね。これは防犯対策ですよ。
といいますのも、ちょっと前にたまたま地域の防犯情報を目にする機会がありまして、そこには不審者情報も載っていたんです。そしたらあるんですね、学童がらみの情報がたくさんで、なかんずく多いのが下半身露出系です。声をかけて露出。振り向いたら露出。たたずんで露出。うちの地域はどうなっているんだと思いましたよ。
で、まあたしかに向こうの子からすれば怖かったんでしょうから仕方ないですし、私がジョギングからウォーキングに切り替えたタイミングも悪かったかもしれませんが、やっぱりなんだかこう、疑われるというのは心地がよろしくないなあということです。悲しいような怒りのような、でも仕方ないかなという諦めもある。一番怖いのは、これが状況がそうさせたではなく私の属人的要因が彼女に不審を抱かせたのではないかということですよ。考えすぎでしょうか。
こういうのは気をつければ気をつけるほど不審になりがちです。変に距離をとっても隙をうかがっているように見えます。急いで通り過ぎようとしても怪しい。不審の谷はすりばち状のようです。おっといけません、すぐ悪いほうに考えるのでね、このくらいにしましょう。
なにはともあれジョギングは気持ちよくしたいですね。そうして体力をつけて、さわやかに走り去っていければ何の問題もありません。
世間では東京都の条例が話題になっているが,もっと強固かつ凶悪な規制を行っている主体について,何故かスルーされている。出版社のことだ。
「面白ければジャンプは全部載せる」などと言ったそうだが,パンチラや擬似フェラは面白くてヤミたんの乳首は面白くないということだろうか?んなわけない。ジャンプでは現に性表現が規制されているのであって,その基準がもし「面白いか否か」だったならば,これ以上に曖昧かつ恣意的な基準はない。結局のところ件の発言は,実際には「面白く,かつジャンプの性表現規制に引っかからなければ,ジャンプは全部載せる」と言うに過ぎない。自らが行う性表現規制を棚に上げ,あたかも性表現の守り手であるかのように発言するのは欺瞞も甚だしい。実際のところ,面白くない漫画が規制されている点で東京都よりも厳しいのだ。
だいたい出版社が行う規制のことを世間では「自主規制」と呼んでいるが,出版社から見れば「自主規制」かもしれないが,作家から見れば出版社は他者である。作家の表現の自由の観点からは,出版社による規制は「自主規制」ではない。「放送禁止歌」の放送を禁止したのは,美輪明宏ではなくテレビ・ラジオ局なのだ。
しかもこの規制は,強固かつ凶悪だ。この規制に逆らえば,流通制限どころか出版自体が事前規制によって不可能となる。しかもその影響は作品単独にとどまらず,作家について属人的に,出版が規制されることさえあるのだ。「同人で書けば良い」等というのは嘘だ。正規の流通ルートに乗らなくなっても問題ないというなら,東京都の条例もまた問題ないことになってしまう。
こうした事前規制が,不明確な基準によって行われている。各雑誌の出版コードや成人向け指定の境界について,明確な基準があれば教えて欲しい。不明確な基準の萎縮効果はさんざ論じられているところである。
それだけではない。事前規制を潜り抜けても全く安心出来ない。担当と相談の上でヒロインとの和姦を描いたら,妊娠・結婚での打ち切りを余儀なくされることまである。大学進学やライバルといった伏線は全て台無しだ。出版社の規制の場合,後出しジャンケンによって,作品の内容すら枉げられてしまうのだ。
だいたいこうした規制の根拠も不明だ。ジャンプに乳首を描いたりマガジンで和姦を描くと犯罪が増える等ということが,科学的に証明されているだろうか?
それに,規制の根拠は別の方向からもやはり不明だ。成人向けとそれ以外とは実際のところ「消し」の大きさで区別されているが,仮に性表現による何らかの「悪影響」が認められるとしても,その多寡は消しの大きさで決まるだろうか?つゆダクや暴想処女やナナとカオルやNIGHTMARE MAKERやえんじがかりに比べ,性本能と水爆戦の「悪影響」の方が大きいなどとどうして言えるだろうか。消しの大きさという基準は,規制されるべきでない作品まで成人向け指定されてしまう点で,目的達成のための合理的関連性すら認められない代物だ。
しかも成人向け指定がされていても,なお消しを入れなければならない。しかも,消しをどの程度入れるかについて,やはり明確な基準はない。今日の基準はクリトリスに髪の毛一本分の黒線を引けば良いという程度のものであり,ここまで緩和されたことで単なるクンニや手マンを超えて栗吸いや膣内での指曲げといったより精緻な表現が可能になり表現の幅が広がったのであるが,こうした表現が可能になったのはつい2〜3年前の話だ。この間に基準が改められる明確なアナウンスがあったわけではない。つまり,つい数年前までの作家は,不明確な基準のために表現が萎縮していたのだ。
切られると知ったとたん、前にいた職場と比べて
この職場がいかに悪いかを語り始め、最終日になっても
仕事を残したまま定時でバックレた。
噂ではその直後に下請の会社をクビになったそうだ。
異動することになった2,3年目の新人。
引継ぎの際にベテランが担当の仕様や作業内容を上手く説明出来ない新人を
散々詰ったらしく、送別会の夜に居酒屋で罵りあいのケンカになった。
見る限りでは、知識も経験もあるが、それに固執するあまり
要求仕様を掴めていないように見えた。
結局資料を渡されただけで、長期病欠に入ってしまった。
仕事が属人的な上、辞めたにせよ異動にせよ職場に再び戻ってきた人が
今まで一人もいないような職場じゃこうもなるか‥
が、かつては日本の技術だったわけだが、それがどのようにして海の向こうで生産可能になったか知ってる?
それは、日本のメーカーにいた液晶技術者を、韓国さん台湾さんが破格の年俸で雇ったってこと。
別にあっちに工場を作って、自然に技術移転したわけじゃあない。
液晶ってのは製造業ではあるけども、暗黙的な知、要するに属人的な生産性に左右される側面が強いらしいからね。
でもだからって、瀕死の半導体関係の企業を、国が必死でフォローしてるのって、どうなのよ。今更。
そりゃ週休4日の子会社抱えるメーカは助かるだろうけどさ、だから何だっていうのよ。
日本のITは確かにクソなんだけど、それは技術者がクソって意味じゃないんだよね。
理系を軽んじる奴だけ死ぬ薬を浄水場に入れたいけどできないから、やっぱ教育重要って程度には思うけども。
ただ金のなる木を、良いポジションの会社に全部握られてて、そりゃ優秀な人はそういうところにもポツポツは見かけるけど、たいていはポジションで食ってるだけの勘違い野郎ばっかり。そういう存在は社会的損失でしかないので安らかに逝って戴きたい所存です今すぐに。子ども手当あるからまかせとけ。
で、そのヒエラルキー配下におけるたいていの、実際に仕事をする技術者ってのは、コーヒー農園の農夫よろしく、低待遇で働いてる。
さらに低待遇な会社にも優秀な人がいたりする。周りに合わせてできないふりして、2chとかIRCとかやりながら、同人誌のネタのト書きいて、休日は声優のツアー追っかけてたり。
俺は最初はメーカーにいたけど、優秀な人は1年もすれば辞めちゃってた。ほとんどが外資かベンチャーに行ってる感じ。院に戻った人もいた。
そこで辞めそこねた人は、うつ病休職十数年、気づいたら40も近くで、今じゃ生活保護ドクターとかそういう。
あとまあ自殺も、30も超えれば、マイミクの2,3人は旅立ってるよねぇ。日記を親族が書き込んだら、ああ、と思う、その感じね。わかるでしょ?
とにかく、日本のITとかソフトとかで世界的に認められた物って殆ど無い。
ゲーム業界はその例外で、そこそこ注目はされてる。ただこれは国の支援なしでやってける感じらしい。
あともう一つがRubyっていう言語にまつわるエトセトラ。こっちはあからさまに、国や自治体が推ししてる。
で、だ。
日本のそういったゲーム的なものやら、Ruby的な何かを、中国で指導しろ、という待遇の良い案件を見かけるわけだ。
もう日本のクソ現場に嫌気がして、社会的ひきこもりになり、別業界に行きたいなと思いながら試行錯誤するも、ちまちまと知り合いの手伝いをしながら、結局自分がうまくやれるのは、結局この業界だけなんだなとか思い知らされ、でももういやだーと毎晩うなされつつ、エアコンのないアパートに暮らす人間には、その案件はどう見えるだろうか。
多分、今の俺みたいなニートに片足突っ込んでうだうだしてる元IT土方って、日本中にゴロゴロ転がってると思う。
もうこれ以上我慢してまで日本に義理立てする必要もないよなぁと思うし、もうどんどん日本の技術を売ってしまおうと思う今日この頃。
みんなもそうしないか?ねえ?やっちゃおうぜ。
俺らの居場所なんかここにはないんだもん。
まあ、液晶での教訓はエネルギー分野では生かされつつあるらしいけど、クソの掃き溜めな日本のITなんか、無視してもいいって、みんな漠然と思ってる結果なんだろうけどさ。
Apple的なのは無理だから、製造業に絞ろうっていうのも分かるけど、個別の業種に口出すのもうやめなよ。
利権を自民から民主へ、スクラップ&ビルディングしてるだけじゃんもう。あほか。
手遅れだろうけど、こうすれば日本は幸せなんだけどなぁってことを妄想する。
というのがある。
ポーター先生が言うには、1,3はさほど重要ではなく2が一番影響がでかいと言っている。
状況認識としては全く正しいんだけども、2の影響を小さくするための3が重要なんじゃないかと思うわけ。
国は法律として、あらゆるポジションは1年でシャッフルされるような圧力を一律につくるべきだと思う。
例えば会社などの組織。特に知的生産の現場ってのは人が資産であって、工場のようなものを抱えていないから、シャッフルの経済的ダメージは比較的小さい。人的移動に強い組織にする必要はあるけども、そんなのはグローバリゼーションの前ではどっちにしてもやってなきゃならないし。
例えば個人。正社員、公務員、その他士業、そういうポジションは全部廃止ね。経済的不安をベーシックインカムなり負の所得税なりで担保しとけばあとは好きにすればいいでしょう。
いい加減、新自由主義パッケージに含まれる、貧困・福祉政策の存在に目を向けてよもう!、という話なのかもしれないなぁ。
あらゆる人間の自由を最大化するように社会を回そうって話であって、
「勝ったものが自由を享受できる。負けた奴は勝つまでやれ。以上。」な話じゃないんだぞ、というね。
小泉政権の後がまずかったというかね。うん。
交渉において重要なこと
相手より精神的に優位に立つこと
相手より経験や知見をもち、強い直感をもつこと
マネジメントなどを下手に勉強すると、業務フローだの業務の標準化
だの、効率化だのに目を奪われてしまうのだが、属人的な業務こそ
が中小企業においての強みを生み出す源泉になっていると気づく
必要がある。
ココという分野においては、あえて属人性を維持しておく。
だと言えるのではないだろうか。
とどちらかというと否定的に使われると思う。
曰く、判断に偏りができる。
曰く、その人がいなくなったらどうする?
集まったって、多様な判断できないくせに。
俗人的だってことは、スカラーをベクトルに変えることだと思う。
その多様性は、今の仕事の継続ではなくて、新しい仕事(価値)を
作ることに寄与するはず。
その思想はどこから仕入れたものなの? マルクス?
単純に言って他者一般程度の社会は魚群でもありうるし、これが暴力で社会統合しているとは聞いたことがない。高度な家族組織であるアリが暴力で社会統合しているという話も聞いたことがない(全くないかどうかは知らない。ハチは女王候補同士で殺し合っていることがあるし、サムライアリは他のアリを奴隷狩りする)。
イヌやチンパンジーは暴力で社会統合しているけど(ちなみにチンパンジーはメスがリーダーであることもしばしばある)、そういうのも一方にあり、一方にはボノボのように性愛で社会統合するものもあり、他にも色々多様としか言えない。
ヒトは当初から暴力によらないと社会統合できなかったという証拠がある? 繰り返すけどそれは民族学や文化人類学では否定されている。これを権威主義として無視するのは簡単だが、じゃあ他に何かの体系的な事実がなければならない。それが全く示されていないので途方に暮れている。
戦争のために必要? 戦争は社会統合か? それに集団的問題解決のためならバンドの集合離散が一般的だったし、集団間の外交関係は婚姻がメインだった。
>・狩猟採集漁労はともかく、それを社会という単位で行うことが「人間という生物にとって自然なありよう」なのかどうかという検証がない。
ホモサピエンスが生じて、食をどうするかとなった時に、男女分業や集団行動による狩猟採集漁労が最初のスタイルだったということは、それが人間と言う生物にとって、「環境改変能力がない限りにおいて」自然なありようだということになるが。
男の腕力は狩猟で実現されたけど、狩猟は大して獲れない(けど重要なタンパク源なので質的に無意味ではない)ので、それなりの意義しかなかった。
それとも、これを否定したくて、いきなり環境改変能力があって、農耕牧畜が最初のスタイルで、男の腕力=生産力が量的にものを言ったというならまた別ですよ。その説を民族学や文化人類学の学会で発表したらセンセーションを引き起こすかケチョンケチョンに批判されると思うので、やりたかったらどうぞ。
>・富の蓄積以外に社会的ヒエラルキーを決める要素がないのか。
属人的な知識経験や人間関係で長老になる。これは男でも女でもある。
首長が現れるのは富の集中・再分配が可能になってからで、それは貯蔵技術・環境改変技術・農耕牧畜技術が発達して以降の話だが。
http://anond.hatelabo.jp/20091011164125
これを読んで、思ったことをつらつらと。
まず、池田先生のネットに対する姿勢がよく表れている、この記事を引用させていただく。
ひろゆきは「賠償金を取る方法はない」と高をくくっているようだが、バブルの処理のときは、同様に開き直る不動産業者を警察は「競売妨害」などの罪で大量に投獄した。要は「あいつは悪い奴だ」というコンセンサスができるかどうかが問題で、そういう「国策」があれば犯罪は(よしあしはともかく)いくらでもつくれるのだ。ライブドアやWinnyには擁護論が高まったが、2ちゃんねるが閉鎖されても同情する人はほとんどいないだろう。
前にも書いたように、排泄物を見れば健康状態がわかるという意味では、2ちゃんねるにもいくらかの意味はあるかもしれません。異様な匿名志向の強さは、「表」の生活で彼らが強く抑圧されて「本音」を押し殺していることを示しています。ふだんはおとなしくて礼儀正しい日本人の「裏」の顔が、実はこんなにおどろおどろしいというのは、まぁ他では知ることのできない貴重な情報でしょう。
端的に言わせていただく。池田先生は、下品である。
刑事犯でもない人間を犯罪者がごとく扱い、呼び捨てにする。亀井大臣を、「亀」などといった明らかに侮蔑をこめた呼称で呼び、「あいつはヤクザとつるんでいる」などと公の場で言う(仮に事実だとしても、確たる証拠もないのに言うのはちと問題。ちなみに私だって亀井大臣の政策は大反対だし、正直早々に辞めてほしいとは思っている。その上で言っている)。公の場で人をクズ呼ばわりする。twitterで罵倒してきた人間をわざわざ晒し、わざわざ「こいつをブロックしてやった」と宣言する。2chを排泄物に例えるなど、あまり上品とは言えない例を平気で出す(「便所の落書き」というのは自嘲ネタであって、外部の者がそれを踏まえて揶揄するにしては、いささか下品すぎる)。
2chの経験もまったくない人のために少し基礎的すぎることから話すけれども、2chのヘビーユーザーはIEやFirefoxといったwebブラウザで閲覧・書き込みをすることはめったになく、Jane Doe Style(余談だがJane Doeとは「山田花子」的なありふれた名前、つまり事実上の「名無しの権兵衛」を指す。2chの名無し文化を象徴しているセンスのあるソフト名である)などといった「専用ブラウザ」を用いている。これが非常に便利で、自分が好かない言葉を表示させないようにしたり、気に食わない人間のIDを指定してその日の彼(彼女)の発言をすべて抹殺することができる。これを「あぼ~ん」というのだが、世の中にはいちいち「てめぇなんてあぼんしてやったからwwww」とばかりに対象のレスが消えた状態を相手に見せつけてくる趣味の悪い輩がいる。
これと、池田先生の「twitterブロック宣言」(参照1)(参照2)(参照3)(参照4)は同じなのだ。いわゆるネット弁慶のねらーとやっていることは大して変わらない。私は池田先生のそういった幼稚なところが一人の人間として大嫌いなのだ。本質的には池田先生と彼の発言をいちいち取り上げて「ネットいじめ」に近いことをしている連中は、同じ穴の狢なのである。
ここで、「名無し」と実名でやってる学者を対等に語るなという批判はもちろんある。さきほど挙げたブログにも、コメント欄にこんな氏の発言がある。
2ちゃんねるに対する評価は、そこに書かれる可能性のある(名前の知られた)人とそうでない人とでは、まったく違うと思います。事実無根の悪口を書かれる不快感は、そういう経験のない人にはわからない。他人に対する想像力もない人が「お前はわかってない」などと説教するのはやめてほしいものです。
なるほどなるほど、正論、と私は思う。
そもそも何故匿名が叩かれるのかといえば、攻撃の一方向性にあるのだと私は考えている。反論する場所を与えられていないのは、苦痛だ。言われっぱなしはつらい。学校や職場における1対多数のいじめが何故いけないのかというのも、ここにある。殴り返す相手もいないまま、自分だけボロボロになっていく。これは卑怯だ。事実私も、はてブのホッテントリに池田先生の自転車云々の発言が載っていたのを見て、ドン引きした。これはひどいよなと思った。これ以上アクセス数を伸ばすことに加担するのはよくないと思ったので、ブコメは読んだものの私は登録しなかった(したらますます上に上がるから)。
話が散漫になってきたので、改めて私が一人の人間として池田先生を好かない理由を述べる。
それは、下品で甘ったれた世間知らずの幼稚なオヤジだからである。ひとつじゃない?言語化するとそうかもね。でも「こういう人間」だというのに形容詞がいくつも必要だっただけだ。ていうかまぁ、ぶっちゃけるとタイトルは切れ味がいい方がいいじゃん。
匿名の集団による叩きは卑怯である。じゃあ実名は正義か。そんなわけないだろう。
池田先生の発言は公ですべきものとはとてもじゃないが言えない。2chの煽りに「お前、じゃあそれ俺と面と向かっても言えるんだな?」と返している人をたまに見かけるが、それに対し「ああ、言えるさ」と平然と答える人間は私は軽蔑する。反撃される覚悟を以てして言ってるからいいのだ。そんなわけないだろう。路上で一方的に殴っていようが殴り合っていようがおまわりさんが見かけたら怒られるに決まってる。一方通行の煽りは、卑怯だ。でも双方向ならいいかっていうと、それは違うでしょ。
そして、暴露してしまうと、実は池田先生は正々堂々としているかというと、そうでもないのである。
何故なら罵倒してきた人間をクズ呼ばわりして、公衆の面前に晒しておいて、そこで「あぼん」をしたからである。「あぼん」された側は以降池田先生に反論ができない。クズ呼ばわりされた弁解もできない。一方通行の罵倒で終了である。本来、ブロックにせよあぼんにせよ黙って各自が勝手にするのがスマートというか、マナーだとは思う。捨て台詞吐いてフタを閉めてるようじゃ、2chの卑怯者とやらとなんら変わらない。
私は以前からそれを池田先生に対し実名アカウント等で直接本人に何度も言ってきた。無論、反応はない。先生は多忙なのだからそれに対しては文句は言わない。一人の人間としてそれはどうかと思ったから、一人の人間として抗議というか忠言というか、そういうのをしたまでだ。学者先生とか、そういう肩書の問題じゃあない。メディア論を語る人として、ネットの言論を引っ張っていくアルファブロガーとして、そういったレベルぐらいはちゃんとしようよ、ということだ。私から言わせれば先生、あなたの罵詈雑言こそがネットのノイズなんだよ。そういうことなんですよ。
というわけで実名でも匿名でもネット空間を活用してる一小市民の私が、池田先生に対する反感を代弁してみた。多分、いわゆるネットイナゴ的な動機で騒いでいる人だって多いだろう。ただ、私のように「てめぇだって卑怯じゃねぇか」と思った上で抗議している人間が存在することも池田先生は分かってほしい。
ちなみに今回は、増田が「匿名」でしたので、私も「匿名」でトラバを送らせていただいております。繰り返すけど実名でも抗議はしてますけどね。
そこそこの反響があったので、追記。ブコメで「なげぇよ」といったのがあったので、上の論点もまとめとく。
・一方通行で殴るのは卑怯
・だから匿名は卑怯
・でも実名でも罵倒しておいてその後にブロックしたら双方向性がないよね
別に私自身匿名でも実名でもそんなにお上品ではないんですけどね。実況板で「見えたっ!」とか言ってるアホですしね。でもまぁ、事実無根の中傷とか、本当の意味で下劣なことは好かないんですよね。本当に何度も繰り返しちゃうけど、S/N比が高まることを望むなら、イナゴが沸かないような言葉回しを覚えることも必要だと思うんですね。池田先生の著書は一般向けに面白く書かれているものもあるし、アゴラといった活動も応援しています。だからこそ「ネット上での私語は、居酒屋でオヤジとやってる時の私語ほどフリーダムであってはならない」ということを自覚してほしい。聞いてる人の数が問題なんですよと言えばいいのかな。
正直に相手にしてくれないことが悔しいと書け
嫌う必要がない。嫉妬では?
こういうのを読むとなんだかなぁ、と思う。一方向性と双方向性について書いて、「前者は卑怯だ、でも後者でも品はよくないよね、しかも池田先生って前者を否定してる割には実は双方向性がないよね」と説いてみたわけなんだが、私の書き方が悪かったのかしら。「みんながみんなノリで騒いでるわけじゃないんだよ」ということを知ってほしかったから書いたまでであって、タイトルが示す通りこれは価値の問題です。結局、正誤は問えん。嫉妬なのかなぁと一応まじめにしばし考えたけれど、そういう感情はないな。
池田信夫の場合は最初から、自分が傲慢に振舞うことを恐れていない。
だから考えながら読む必要があまり無い。言葉の裏を読む労を閲覧者に強いていない分、やさしいよ。
だから読者が多いんだと思うよ。
人と仲が悪くなることを恐れて書くブログって、すげーつまんないから。
これは同意かな。mixiで昔はすっげーはっちゃけた日記書いてた人がいたんだけど、知名度あがったら「ライブやります☆」みたいな宣伝日記とか「ファンの皆さんに感謝です♪」とかなんの面白みもない言葉しか書けなくなった人がいて、あれは残念だった。池田先生もキレがあるから池田先生なのかもしれない。でも、やっぱり、さきに述べたようなことは少しは改善してほしいな。
匿名側は、三振したら別人を装って直後に打席に立つことが出来てしまい、ホームランを打ったときだけ、その記録(例えば、はてブなど)が残せてしまう。やっぱり、アンフェアだよ。
そうね、これも同意。双方向性に欠けるだけじゃなく、発言の蓄積がない者が急に正論めいたことを言ってもな、というのはある。属人的な考えだけど、否定はできないな。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090903/204007/?P=1
http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20090906
研幾堂さんの文章はセンテンスが長すぎて非常に分かりにくいが、つまりはそういうテーマ。
中国は、党と政府の分離と一体化というテーマで興味津々らしい。
国王でいえば属人的同君連合(君主を同じくし、政府を異にする同君連合)に議院内閣制は似てるかもしれない。
社民とかが要求していた事前協議機関とかも、政府の議会による支配という、いかにも社会主義者らしい方向だろう。
で、「与党」として内閣の要求に唯々諾々とするのはよろしくない、という意見もあったり、あるいは、政党による党利で政府が左右されるのはよろしくない、
という意見もあったりするわけだが、政権交代して、はじめて、そういえば議院内閣制って、いろいろ変というわけでもないが、
奇妙な感じがするところもあるなあ、と思い始めている。
システムのデータが、あんまりにもひどい。Oracle なんだけど、まったく正規化されてない。
まったくだよ。第一正規化さえされてないんだよ。なんのための RDBMS なのか。気が狂いそうだ。
一応キーはついてるんだけど、業務的にまっったく意味の無いキーなので、全然使えやしない。扱いたいデータを特定する方法は、むろん、怪しげなロジック。属人的な経験則に頼るしか無い。これを作ったやつは万死をもって償うべきだと思うね、マジで。
データがそんな調子だから、ER図なんてもちろんないし、すこし気のきいたレポートを出そうとビューを作りまくっては、巨大な集合演算を発生させてパフォーマンスを落としている。
http://www.4gamer.net/games/015/G001538/20080301003/
ひろゆき氏:「ニュース速報掲示板」ていうのがあるわけですけど,最初に「2ちゃんねる」が流行った頃は「ロビー」って掲示板が流行ってて,そこはいろんな情報をみんなが持ち寄って流行らせていたわけです。
ところがそのうち,属人的な,要はハンドルを持っている人が会話をし始めて雑談が増え,そこにいたい人はそのままいた。でも,その場にいたい人の話って,面白くないんですよ。今日何食ったとかそんな話だから。そうすると他人から見て面白くない情報が多いので,新しい人が入ってこなくなって,新しい情報が少なくなって,廃れていくんですよ。
で,その次に「ラウンジ」って掲示板がまた出てきて,でもやっぱ雑談が増えて廃れて,で「ニュース速報」ってのが出て,割と廃れそうになったので,いろいろ排除する仕組みを入れてみようとかで,いまいじったりしている,という感じです。
ひろゆき氏:こういうコミュニティって,だいたい2,3年でつぶれるんですよね。つぶれる理由ってやっぱり,常連が幅を利かせるからで。
Vip板の現状
1. 暇だから、寂しい等の理由でかまってスレを立てるネットミーハー女の増加。それに構う男も増加
3. 「w」の連打、「だお」「~ス」をつけて安価で会話するのがVIPPERだと思っている
5. 専用板があるのに、なんでもかんでもVIPでスレ立ててひたすら馴れ合う
7. 今日学校で…会社で…等のmixiの日記のようなどうでもいい日常報告スレ
9. 何十・何百番煎じのネタをまだ引っ張ってる
11. 聞いてもないのに「○○才だけど」等の寒い年齢・学年・性別晒し
12. 大して特別な職業、役柄でもない、その辺の一般人の「~だけど質問ある?」
15. OFF会大好き地域スレ。VIPPER同士で実際に会ったり、VIP言葉で喋ったりするのがクオリティ高い行為だと思っている
16. mixiやハンゲ等の他サイトにVIPのノリ(wwwww・~だお・ちょwwwおまwww・kwsk等)を持ち込む
17. 安価で馴れ合い→「奢る」だの「会ってカラオケ、飲み会しよー」だの、一番2chぽくない俗物ど素人な流れに→そして出会い系へ
18. 「VIPPER」であることがアイデンティティになっているお子さま達
19. 「別に馴れ合ってもいいだろ」とか言い出す奴
20. ネタでもなんでもない、素の相談事(主に思春期、中二病的な悩み)
21. 私女ですが、○歳ですが、とか書けばレスが伸びる
23. アド、電話番号晒し、出会い目的のスレは、2chでは特定の馴れ合い板以外禁止だということを知らない
24. ネタスレだろうが糞スレだろうが安価で馴れ合いチャット出会いチャット
心情として分かるわ凄く。
その手法がこれだけ下品ならば、その下品さに懸念を表明する方が先ではないのか。
そもそも、無神経な言葉の使い方を批判する側が、同様に無神経な言葉を使うことに躊躇わないのは、議論の目的から考えてもあんまり頂けない傾向だよね。そうやって品のない言葉で相手を罵倒すればするほど、id:HALTAN氏を批判する根拠まで傷つけてしまうわけだし。そういう品のない批判を行う人である、ということで、過去に取り上げられた有益なやりとりまで無価値なものとみなす人が出るのも、これでは当然だよなあ(そうやって属人的に物事を判断する態度は誠実じゃない、と思ってはいるけどさ・・・人間には感情があるから)。増田で言うのも不適当なのだけど、もう少し穏当なやり方は出来ないのだろうか、ということは強く思う。
でも、
はてなは本気で、ブックマーク非表示を共有するシステムを考えて欲しい。「このブックマーカーはひどい」という意見が一定数以上蓄積されれば、非表示にする設定をできるようにして欲しい。そうすれば、いま下品なネガタグをつけているhokusyuのようなおかしなブックマーカーも、自重するようになると思うから。いまは自分の叫ぶ悪罵に陶酔しているんじゃないかと思う。
これに関してはあまり実現してほしくはないかな。そういう「自重」のためのシステムが働くと、他人の目を内面化した奇麗事のコメントしか残らなさそうだから。良くも悪くも、そういう「寸鉄人を刺す」ような表現を認めていることは、はてブの一つの特徴になっていると思う。そういう「はてブユーザーの空気を読んだブコメ」だけが並ぶブコメというのは、はてブの持っている良い面も含めて台無しにしてしまうんじゃないだろうか。それに、表向き、ネガコメを抑制できたとしても、今度はそうやって封じ込めた分、どこかで歪んだ形で発散されることになるんじゃないかな・・・。何にしても、個人個人がNGリストを作って防衛することはいいと思うんだけど、そういう「多数の投票による排除」みたいなやり方はうまく働かないんじゃないだろうか。
もちろん、だから我慢しろ、なんていう気にもなれないぐらい酷いネガコメ・ネガタグもあるのは確かなんで、悩ましいところだけど・・・。本当は、idコールして直接そういうタグ・ネガコメをdisる、というのがストレートで良いのかなあ。「そういうタグを平然と使うセンスはどうかと思う」みたいな感じで。
ただ、それはそれでアレなんだよなあ。はてブを使うんじゃなく、はてブに振り回された生活っぽくなってしまいそうで・・・。
なんか焦点の定まらない意見で申し訳ない。
たとえば、頭に浮かぶ仮説を書きたいなら、自分のブログに書けばいい。ブログに書くのが躊躇われる仕事の愚痴的な体験談は、たとえばmixiをはじめとするSNSに書けばいい。
でも、恋愛話は、どうも自分の名前で書くのは躊躇われる。
なぜなら、恋愛に普遍的なことはないし、本質もない。ならば、僕の名前で書いても、皆の役に立つ何かを書くことは出来ない。公と個の割合で、圧倒的に個が高くなる。属人的になりすぎるのだ。つまり、ほかの恋愛話との比較も出来ないということになる。理解と納得を求めるのではなく、共感と同調を求めて書くことになる。そんなものは、はてな匿名ダイアリーに書いて然るべきだと、僕は考えている。
恋愛をするとき、たとえばマニュアルに頼る人がいる。雑誌で、「ゆるふわ愛され」を目指す、という記事は絶えない、それを買う人も絶えることがない。
本質とは何か。普遍性とは何か。それは、時代性を超えて、属人性を超えて、全てを通観するものである。川の流れの中つやつやの丸い石となって、川の深いところに沈み、どんなに川が流れてもそこに残り続ける。それが、本質であり、普遍性だと、僕は考える。
でも、恋愛にそんなものはない。
人によって、時代によって、ぜんぜん形が違う。それぞれの人間ならば、ある程度の類型パターンを求めることは出来ても、その組み合わせの無限性、さらにそこに時代背景や環境的な要素の影響を考えると、どうしたって、「恋愛の本質とはこういうものだ」という仮説など出せるものではない。
恋愛とは、常に「私とあなた」の間に「今」を作り続けるものであり、その現場において「本質」という概念は目眩ましにすぎない。
そういった、仮説が出せないなら、たとえばブログには書けない。僕にとってブログは、論文である。学術論文である。仮説があり、それを裏付けるデータがあり、発表する。そしてブログをハイパーリンクで引用し、トラックバックで引用される。そんな僕にとっての論文であるブログに、「恋愛とはこうだ」と仮説を提示することなど、僕には不可能に思える。
ならば、自分自身の恋愛体験談をSNSに書けばよいか。僕はそれも関心がわかない。なぜなら別に共感も同調もいらない。そして、恋愛に本質はなく普遍性がないものである以上、人の恋愛について真に理解をすることなど不可能だ。僕は、本当に僕の恋愛について理解をしてもらえるなら、たとえばSNSに書くかもしれないが、そういうことはまず不可能だ。
結局、もやもやするのだ。恋愛の話なんて、書いてもどうしようもないのに、どこかで僕の心がそれを求めている。きっと、整理をしたいのだと思う。それならば、それこそリアルチラシの裏に書けばよい。でも、何故書かないか?
それは、人の目に触れる、という前提があるからこそ、正確な文章を書くことが出来るからだ。そして、正確な文章を書けば、自分の心が整理できるからだ。
人の目に触れるからには、あいまいな表現が僕の中では許されない。この動詞の主語は何か。One word/One meaning One sentence/One idea One paragraph/One topicは守れているか。(via 篠田義明先生)そこに妥協が許されなくなる。あくまで僕の中で。まだ、ぜんぜん出来ていないけれど。
しかし、本当は、他人に見せるための文章ではない。僕が、僕自身に見せるための文章。恋愛の、なにかそういったもやもやの何かを、なんとかこの活字の群れに潜ませるための文章。せむし男のようななりで、阿呆のように両手をキーボードを打ち付けて書く、そういった類の文章だ。
書いて、何の得があるのか?きっと何の得もない。
そういった文章のために、きっとはてな匿名ダイアリーはあるし、これからもあり続けるのだろう。
なお、何か恋愛話を書こうとしたのに、なぜここにそれを書くのかの理由を前文で書こうとした結果、恋愛話そのものを書けなくなるほど長くなったことを、心より恥じる。これは明らかに「恋愛話は、はてな匿名ダイアリーに書くに限る」仮説を提示するという意味で、ブログに書ける内容だった。
2ch文化とモヒカン文化のどっちがいいとも言い難いけどねー。
あ、ちなみに俺はモヒカンという単語を似非モヒカンの意味で使ってるかもしんない。モヒカン自体の言い出しっぺが似非だから真モヒカンなんかどこにいんのって感じだし。これは区別すべきだったかな。
(似非)モヒカン文化は属人的で、「何が間違っている」ではなく「誰が間違っている」という展開になる。双方お立ち台でパフォーマンスして「間違っている人」と「正しい人」に分化する。「正しさ」は人に蓄積する。一定以上「正しい人」となったらもうどんな無茶苦茶言っても正しいとされるし、著しい齟齬が生じた場合「釣りだったんだよ」と解釈される。何故ならその人は正しいのだから。アルファ文化と呼んだ方がいいかもしれん。
2ch文化は場に蓄積する。というか、場は常に正しい。何らかのタイミングで議論が起こった時、場に居合わせた連中でファイナルアンサーが作られ、場に「真理」として格納される。一旦「2ch的真理」として蓄積されたものは容易には動かない。そしてその価値観を共有する人は、場の外でも同様の価値観であると信じる。著しい齟齬が生じた場合「我々は世間の人々が知らない世の中の真実を知っている」と解釈される。何故なら2chは正しいのだから。
まぁ本質的なところは同じような気がしてきた。
何言ってんだよ。理系は科学的思考を重視し物事の本質をよく捉え、プログラマは論理的思考を重視する。彼らの判断は文系や非プログラマのそれに比べて論理的で正しい。アルファなんちゃらって人達が言ってるんだから間違いないじゃないか。
真面目な話、プログラマの世界で本質的に新しいものを開拓出来ている人は少なくて、20年前や30年前の研究成果を再実装している人が大半だ。俺もそう。
みんなだいすきダンコーガイだって、ギークと呼ばれる人々の中では「卓越したプログラミング能力を持つ人」ではない。Perlコミュニティで十分な人脈があり、英語が十分に使えて、エンコーディングの仕様に関する必要十分な知識があり、必要十分程度のプログラミング能力があり、上記条件を比較的黎明期に満たしていた。そのような人物はもちろん少なくてだからダンコーガイはそれなりに代え難い人物であることは否定の余地はないのだが。
プログラマの世界は世間で思われているよりはずっと権威主義的で属人的。モノよりも人を見る。20年や30年でできた伝統はそんなに変えない。本質同じでインターフェースが微妙に変わっただけのものをみんなでワイワイ弄ったりする。普通にミーハーな生き物だ。信じられないような変態的な頭脳の持ち主もいるにはいるが、変態は評価されにくいので表舞台にはそうそう出てこない。成功してから後付けで評価されるものだ。方向性が違うだけでプログラマだって普通に人間的特性は備えまくっている。
一旦「人だけ見て判断して貰える」立場になれば強いので、何だかんだでその方向性で有利になるように動くことも多い。本題に関係なく適用できるメタ論理や、相手の言い分を読まないか誤読して相手を自分に有利な形で再定義してからDISるとか、そういう「プログラマがよくやるダメダメな議論」もプログラマ社会的には重要だったりもする。細かい手法についてはここでは述べないが、論理は正しい必要はなく、バカから正しく見えて発言力が強くなれば良い、ということが重要になってしまうような普通の人間社会だ。
Webは便利だが、技術的に見ると大して革新的ではない。泥縄もいいところ。
インターネット自体、仕様が決まった当時の先見の明に感服する部分も多いのだが、どう見ても老害という仕様も山ほどある。おかげでクソみたいなバッドノウハウが次から次へと生まれてくる。
たぶん、かなりのプログラマは、何だかんだであまり革新的でもないことを自覚していて、それどころかクソみたいな伝統とバッドノウハウに辟易させられている。バッドノウハウをありがたく貯め込んで「奥が深い」とか言ってる無邪気な奴も多くはあろうが。この辺も他の社会と変わらない。
というわけで元増田よ。プログラマは普通の人間だし、Webだって今となっては革新的でも何でもない。そんなに捻くれなくていいよ。
これは革新的!!知らないで許されるのは小学生まで!!時代は変わりました!!時代は変わりました!!使わないとお前らは死にます!!みたいに言ってる連中は、それがビジネスだからほっとけ。その周辺に群がっているのはただのミーハーだからほっとけ。
って何だろう。
利点は唯一「訴え易い」ってことしか思い付かなかった。
属人的なコミュニケーションはユーザアカウント制で充分だし、議論としては純粋に内容だけを吟味できる匿名の方が優れた面もある。
まあ普段から「思想背景を読む」コミュニケーションに慣れてると匿名であることを忘れて行間を読んだり読ませたりしがちなので、この点では実名に近い方がやり易いかも知れないけど。
欠点は結構あるよね。
誰が見てるか判らないWebでの発言で知らない人に逆恨みされたとき、実名だと個人が特定され易くなるから現実の身に危険が及ぶかも知れない。
肩書が見えちゃうから先入観を受け易いし、肩書を誇示して圧力をかける奴も出るだろう。
それ以前に、実名をどうやって証明するのかというシステム上の問題が大きい。住基ネット上に実名発言空間を作る、みたいな形ならともかく、主義者の主張するようにWeb上の全空間を実名化しようというなら法的な措置が必要になるし、一国の法律だけじゃどうにもならない。
これに対し、2は、当たり前のことを述べているだけだ。いじめを行う人は、いじめる相手をくじ引きで選ぶ訳ではない。性格、体格、学力、その他何らかの属人的な特徴に着目して、いじめる対象をセレクトしているのだ。だから、いじめられる側にも勿論原因がある。責任はないが、原因はある。
この世の全てのことに、因果関係が存在するというのは証明されてはいないけれどまあ正しいんじゃないかと思う。ただ、その理解のしかたには色んな段階が存在するかも。例えばくじ引きで何かを選んだとしたら、その原因はくじ引きであると考えることもできるし、くじ引きの要因となっている多数の要素が原因だと考えることも出来る。
引用した文章に関しては、“くじ引きで選ぶ訳ではない”というのと”性格、体格、学力、その他何らかの属人的な特徴に着目して、いじめる対象をセレクトしている”ということに対する論証が全く無いので論理的というよりかは感覚的に書かれた物だと判断しました。まあ雑感と書いてあるのだから論理的である必要も無いのだろうけど。
このふたつの主張は、頭の悪い人(もっと詳しく言うと、言葉を論理的に使用できず、もっぱら感覚的に使用する人)には、ほとんど同じ主張のように聞こえるらしい。
でも、両者は全く別のことだ。
1は、非常識な主張で、まず人々の賛同を得ることはない。いじめでは、やはりいじめる側に責任がある。いじめられる側はどこまでも被害者で、非難されるべきは加害者だ。そう考えるのが良識ある大人のコンセンサスだ。その結果、1のような主張を公けの場で行うと、四方八方から袋叩きに合う。至極当然だ。
これに対し、2は、当たり前のことを述べているだけだ。いじめを行う人は、いじめる相手をくじ引きで選ぶ訳ではない。性格、体格、学力、その他何らかの属人的な特徴に着目して、いじめる対象をセレクトしているのだ。だから、いじめられる側にも勿論原因がある。責任はないが、原因はある。
責任に対応するのは、非難とか、制裁とか、そういった事柄だ。
原因に対応するのは、再発の予防とか、対策とか、そういった事柄だ。
不幸なことに、両者はしばしば混同される。その結果、次のような困った事態が生じる。
<ケース1:話し手が混同>
事件の原因を分析すべきところで、あたかも被害者にも責任があるかのような発言をして、傷ついた被害者を更に傷つけてしまう。
<ケース2:聞き手が混同>
話し手は本当は原因の話をしているのに、聞き手が責任の話をしていると勝手に誤解し、話し手を袋叩きにしてしまう。
その結果、話し手は萎縮し、事件の原因や対策に関する建設的な議論が行われなくなる。
<ケース3:話し手も聞き手も混同>
もうぐちゃぐちゃ←いまココ
増田で書き始めて1年と2日くらい。
エントリがだいたい800。
休止期間もけっこうあったから1日3本くらいか。多いな。レスやらいっちょかみばっかしてるからだな。
人気エントリ入りは春くらいから月2本前後のペースで書けてる。最高は500usersくらい。
やっぱり「書くぞ」「書かなきゃ」っつって気合い入れて書いたのばっかりだ。
ま、こんなもんか。
増田の利点は「言いっぱなしできる」「スルーできる」ってのが大きい。「書くこと」「公表すること」に対する敷居が低い。だから呼吸するように文を書く仕事から離れた今は、増田がずいぶんとそのはけ口になってくれている。ブログだとどうしても政治や評価欲が文章を書く以前に入り込んできて、結局書けなくなる、書く前に「めんどくせ」ってなることも多かった気もするし。ちなみに、そういう欲望を回収する場としてTwitterはもてはやされてきたのだと思うけど、あっちはあっちでそろそろ政治が複雑化してきそうだし、何より長文が書けないのが意味無いので、最近はログインしてない。
上記の人気エントリの件に話を戻すと、顕名の日記なりブログなりでは書けなかったであろうものも多くある。
一方、顕名で書いてれば人気エントリ後は読者が蓄積されて、その後のそれなりの内容の文章も注目エントリ入りくらいはしてたのかも。少し惜しい気もするけど、そういう属人的な読まれかたが嫌いなので、おれはまだ増田で書くと思う(理想論だけどね。ちなみに?Dは持ってるけど更新してない)。
まだ続いてたのね、というかいろいろ巻き込んで爆砕して進行中なのね。
http://d.hatena.ne.jp/arisia/20070423/1177316787
「暇そうだけど、あなたはいくつなの?」
以降の修辞的疑問煽りを眺めてて思ったんだけど、40代にしちゃかなり頭がバブってるというか。なんだろ。音楽業界の反動かね。どうも「こちら側」偏重すぎるというか脳が肉っぽい。
要するにポートフォリオにおいて不動産(しかもウワモノ)を重視しすぎている、という実に日本的な話なんですが。
何でしょうね、例の売春婦話といい、属人的なテキストの評価とか、オルタナティブを毅然と差別するワタシカッコイイ!的態度とか、どうみてもバックラッシュ? つーか言動だけ抜いてみるとオヤジそのもの。意見はオヤジなのに、性別は女、というのが新しい。コレが新時代のブロガー像。おまえらチェックしとけ。なに?わかりにくい?よく言った。バカなおまえらのためにつづめて言っといてやる。次のバズワード間違いナシ。今年度最大のクールでキラーでドープなフレーズだよくチェックしとけ。
つまり[オヤジギャル]だ。
…………あれ? ぜんぜん新しくないな。
(まあ「脳がオヤジ」以外はプロフィールを信じる前提のおはなしですが)