はてなキーワード: 堂々巡りとは
あー男のオタクって
・バカじゃない女で
・男側がある程度自由にコントロールできて
みたいなやつ好きだよねー。
みたいなことを言われた。
お前めちゃくちゃ詳しいじゃないか。
そして否定できないどころか全くもってそのとおりですがなにか問題でも?
いや、別にあのキャラだけが好きなわけじゃないけど、あのキャラが好きにならない男っておっぱい星人くらいだろう?
返信してみた。返信してほしいのにされてねーぞ!って人がいたら指摘よろ。
それだ。ジト目のミンゴスが、ハイハイクリスは可愛いでチュねーって口調で言って、それに宮野が突っ込んで、ミンゴス赤面&プチ嫉妬。みたいな。
牧瀬紅莉栖と桐生萌郁がものすごい不細工で小太りとか病的に窶れてるとかだと俺の中での丁度良い塩梅のSTEINS;GATE
laisoさん、laisoさんじゃないか!観測範囲がずれてたのか、はてブで見かけるの久しぶりだ。遅れながらお気に入り登録しました。
牧瀬紅莉栖については同感。個人的にはバタ子さんのイメージ。 しかし桐生は今の状態でメガネ外した状態がベスト。
牧瀬紅莉栖への執着または愛が足りない。足りなすぎる。
では 「僕が一番牧瀬紅莉栖の可愛さを判っているんだ」 会議を始めよう (西尾維新風 by FTTH
引きこもっていた頃こういう会話を脳内でしていた。
私は今でもやってますが何か。
そういう人は、多分スターオーシャン3rdをやっても都合がいいとかいうんだろうな。釜井たちの夜でもやっておけばいいと思うよ。
もっと欲望を強く持とうぜ。
説明会におけるツンツンを通り越して変質者扱いでオカリンを見つめる牧瀬紅莉栖こそ至高。黒ストで踏んでほしい。
あんな2チャンコロとなんて口もききたくないですね個人的には
オタならキャラに不満があったら自分の脳内で改造した牧瀬紅莉栖Ver2を発表すべき。
キャラに嫌悪を示すところで止まりとかオタの風上にも置けないやつだ。俺の脳内でツンデレ女子にしてやる
まゆりさんと話してると苛々してRT連打しちゃう
???ごめん玉拾えない。
牧瀬紅莉栖の魅力はこういう常識レベルに留まらないよね。その点を論じ合わないか。
それでも地球は回っている。まぁ地球の回転数に比べれば何周堂々巡りしようと大したことではない。
ある程度コントロールってところは意味不明としか言いようがない。自分に都合が悪い部分が多いなら恋愛すら成立しないと思うが。
クリスティーナ(天才科学者だけどねらー)きりりん氏(読モだけどエロゲーマー)肉(理事長の娘だけど幼女趣味)AKB48(アイドルだけど芸人)
「アイドルだけど芸人」吹いたww俺の中ではすでに同じ意味なんだが。わっほい。
まゆしぃはどうなんだろう
僕は鈴羽ちゃん
大事なのは彼はおっぱい星人ではないしスパッツ星人でもないということなのだ。
わかってねえな!その程度で語り尽くせると思うな!・・・すみません調子乗りました。
現実「牧瀬紅莉栖の文句はおれに言え」 やだ現実さん格好良すぎて濡れるっ!
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20120104/p1
似たキャラクターも、似たシチュエーションも、似たストーリーも、ないことはない。
けれども牧瀬紅莉栖という登場人物は、『Steins;Gate』のなかにしかやっぱり存在しないのだ。彼女の物語も然り
あえていえば、キャラありきじゃなくて物語ありきの作品でキャラだけ抜き出して語るみたいな流れはどこから出てきたのか教えて欲しい。
こういう女の人がいるから二次元がより輝くんだから、女を叩く暇があったら感謝の一万回マウスクリックを実行すべき。オートモードは認めない。
精神病であるのならばどれだけ理不尽な主張であっても許されるのだろうか。扶養家族はそれを受け止めなくてはならないのだろうか。
姉の話です。姉は高校を中退してからというもの、もう十年以上も精神科に通っている精神病患者です。重度の欝と統合失調症とを抱えているのだそうです。詳しくは知りません。もうかれこれ何度か入院も経験しています。癇癪持ちでもあるようで、今なお家庭内暴力を振るいます。
お陰で、愛犬からも怖がられている始末です。以前は暴走(感情が昂ぶって、家族と口論したり自殺未遂をしたりする状態)が始まると心配そうに間に入ってくれたそうですが、今やそそくさと部屋から逃げ出してしまうのです。
私も含め、家族にはもう諦めしかありません。姉の過去にどのような問題があったのか、具体的に把握できない上に、過ぎ去ってしまったこと故に施しようがないからです。にも関わらず姉は過去のことを持ち出し、家族に、とりわけ母にあたります。どれほど謝ったところで意味など無いのに。姉自身が謝罪を受け入れようとしないのです。
姉は、謝罪を拒絶し徹底的に信じないことによって、かえって母を脅迫し返してくるのです。自分など居なければいいのだろう、死んでしまえばいいのだろう、そう思ってるんだとだけ繰り返し、否定は一切受け付けない。それどころか、ますますひどい猜疑心に陥っていくばかりなのです。
例えば、母の体を抓ったり手に噛み付いたりしていてその行為を拒まれた場合や、恥ずかしい話ですが頭を撫でて貰えなかったりすると、暴走への種火が付いてしまうのです。そもそもにおいて姉は、自意識と自己愛、プライドといったものが極端に高い人なのです。そういったものが高すぎるがゆえに、絶えず他者に対して劣等感を抱いているのです。姉自身が一番嫌っている他者との比較を、意識的にか無意識のうちにか、率先して行なっているのです。
その苦しみなり憤りが内側で爆発しないのが姉なのです。自身の存在意義を徹底的に見限っているくせに、他者には、とりわけ最後の砦としての母だけには認めてもらいたいのです。しかしながら、存在意義を全肯定してくれる母の言葉を信じることができない。結局、堂々巡りなのです。
姉は自らの価値観を傷つけられることに敏感である割に、平気な顔して他者のことを貶してしまえる人間です。無論それは家族の前での面なのでしょうが、性根が悪いと言わざるを得ないこともまた事実であろうと思うのです。家族として、こんな分析をし憶測までしてしまうことはひどい行為なのかもしれませんが、過去の問題もまた然るべきして生じた出来事であったのではないかと思ってしまうのです。
正直なところ、私は姉が大嫌いです。この世の中で唯一具体的な嫌悪感を覚えることのできる相手であるのです。
とは言え、このまま放置することもできない。姉がどうこうと言うよりも、母の精神が心配なのです。
昼過ぎまで寝ていて、ネットとゲームだけして、食ってまた寝る姉の歪んだ生活サイクルに、母は振り回っされぱなしなのです。昼過ぎまで寝ているので夜眠りにつきにくい姉は、睡眠導入剤を呑んではいるものの、深夜になると暴走への兆しがぽつぽつ見られるようになります。気持ち悪いくらいに母に甘えたり、ろくに運動もしていないのにマッサージを強制するのです。拒めば暴走が始まって、死んでやるからと家を飛び出す始末です。
母には母の生活があり、仕事があるのです。にも関わらず、毎日夜一時ぐらいに寝て、六時には起床しなくてはならないのです。姉のご機嫌を取りながらです。疲れなどとれるはずがありません。ここ数年で白髪がめっきり増えたように思います。
母だけではなくて、私もまた姉という負担を負わなければならないのだとは思います。姉が母に要求をすることがないよう気を配ったり、意識を逸らしたりするべきなのかもしれません。暴走が始まった時も、上手く立ちまわることが出来ればいいのです。首に包丁を当てて自殺をほのめかす姉を、どうにか押さえ込むことができたらいいのかもしれません。
私は卑怯者なのです。臆病で面倒くさがり屋で、家族とさえもそれほど距離を縮めようとは思わない、またそう思うことで責任逃れをはかっている最低な人間なのです。
ただ、私にはもうどうすることもできないし、どうすることもしたくないのです。無視してしまいたい。姉なんて、いなくなってしまえばいいと思うのです。
それでも、現実問題として姉は依然として母に寄生しているし、お陰で母が苦しんでいる。私はどうにかするべきなんです。でも、どうすればいいのかわからない。
行動を起こすことが怖いのです。大嫌いな姉だけど傷つけることが怖いのです。私は責任を負いたくない。誰かと真っ向からぶつかって、何かが決まってしまうことが嫌なのです。
反面、もう傷つけられ続けることだけには我慢ならない。自分でも我侭なことを言っていると思います。どっちつかずのまま愚痴ばかり言うしか脳のない人間なんです。
ただ精神病患者だから、過去の出来事の被害者だから、弱者だからといって、泣き叫び喚き散らかし、依存できる環境に浸りきったまま我欲を他者に押し付けることは、被害者であったはずの人物が加害者の側に立ち変わっていると言っていいのではないでしょうか。姉の言動を病気なのだからと受け入れ、容認することは、加害者に優しくしているのも同然なのではないでしょうか。
母を筆頭に、私たち家族は姉のお陰で随分と傷つき苦しんでいるというのに、あんまりじゃありませんか。
私たち家族にできることなどたかが知れています。そんなことはわかっているのです。私たちは耐えなければならないのだし、待たなければならないのです。いつになるともわからない姉の快方を、息を潜めたままじっと待ち続けなければならないのです。そうするしかないじゃないですか。誰の言葉も届かないのですから。
母が姉の甘えをやんわりと拒むことができたらいいのかもしれない。あるいはいっそ、家族のことなんて見捨てて考えないようにしてしまえばいいのかもしれない。もちろん、私自身がうまい仲裁役を買って出るのが一番なのかもしれません。及び腰の癖に問題意識は一著前、なんていかにも卑怯で格好悪いですから。
久々にネット上に駄文を書き散らしてみようと思う。書く意味などまあそれほどないだろうし読むことにも大した意味はないだろう。読み手を置き去りにした全く持って個人的な独善文章になってしまうとしても別に気にはしない。そもそもこうして無駄な文章をしこしこ作成することもかなり久方ぶりなので、文章の流れも内容も言葉の使い方の端々における配慮チックなものも滅裂になっている気がする。何を書くかなど決めてもいないしイメージすらも浮かんでいない。しかも唐突に「よし、なんか書くか」と思いついてそこそこお気楽なこの増田にやってきたのであって、すぐにでもやる気が尽きてやめてしまうかもしれない。既に書くことを思いつかなくなってきているのだからひどいものだ。下らない脳内垂れ流し文章を習慣的に書いていた時期と比べると、駄文製造能力が著しく下がっていると強く実感する。しばらくものを書いていなかったのだから書くネタも溜まっていそうなものだが、それを引っ張り出してくる思考力ががっくしと落ちてしまっているのだろう。駄文製造業務もしくは駄文製造ボランティアともいえる暇潰しに向かう原動力となっていた、思考が堂々巡りするほどの多種多様な(と言うほど多様ではない)個人的かつ心理的な葛藤が消えたというか減ったというか可視化されてきたというのが駄文を書かなくなった第一要因だと思われる。一言でその葛藤いわゆる悩みを表すならば「将来に対する不安」という漠然としていつつも誰しもが抱えるであろう懸念だ。以前は、自分は将来どうすればよいか、どんな職種に就けばよいか、どんな勉強をするべきか、何をなすべきなのか、などといった殊勝かつ曖昧模糊な悩みをいつまでもうじうじとこねくり回していたのだが、今となってはその問題が眼前に迫ってきていてうじうじと脳内ループする段階から実際に殴りあわねばならぬ状況になっている。それゆえに頭を無用に暖機して見えない未来に備える行為たる駄文製造をしなくなり、実生活での少し先にある未来との殴り合いにおもむくようになったのだと考える。要はかかっていた靄が少し晴れてきて『しまった』ということだ。駄文を製造する暇がなくなっていた、ともいえる。時の流れは恐ろしい。
しかしこうしてノープランで書きつけてみても、意外と心の中やら頭の中の判然としなかった何がしかの一端を言葉にできてしまうのだからやはり書くことの効用というのはあるものなのだろう。読み手にとって価値があるかは関知できないのだけれども。ある程度書き連ねてみてこれまた久々に思うのは、結論というか文章の締めをどうするべきか考えるのがめんどくさいということだ。駄文だから適当でいいですよね・・・。かゆうま。
民主制において、政治責任を背負うのは有権者全員である。政治家が、勝手に物事を決めてしまい、その責任だけを有権者である国民が背負うというのでは、任期制の王制と変わらない。民主政体における政治家の役割は、有権者のコンセンサスを形成する事であり、独裁をする事ではない。戦後、2回以上の解散総選挙を行って連続して信任を得た首相は、吉田、池田、佐藤、中曽根、小泉の5人だけであり、これらの権力者は、独断専行をやれる立場にいながら、私利私欲の為にそれを望む官僚や同僚議員、支援者からの要求を、世論に諮ってからでなければやれないと、拒絶する事に多大な労力を費やしていた。
それゆえに、国民からの支持が集まって、二度目の解散総選挙においても支持を得られたと言えるし、二度目の選挙で勝った後でも、独断専行を避け、国民主権を実現する為に働いた為に、任期満了によって辞任した後でも、政界において多大な影響力を残せるようになっていった。
独裁者になれるのに、その権力を自分達の為に使ってくれなかったという逆恨みを持つ者は官界を始めとするあちこちの業界に居るが、それらは少数派である。それらの口車に乗って便宜を図っても、国民からの支持を失って地位を奪われるだけという実例が沢山あるのに、それをやってしまうというのは、学習能力が無いか、自分だけは大丈夫という過信があるかのどちらかであろう。国民主権という本質を理解していないだけなのだが、そこに、過信や無能が加わると、悪影響は留まるところをしらない。
政治家が自分の頭で判断して、正しい結論が出せるというのであれば、王制でやっていける。それができないほど、世界が広く、社会が複雑になっているから、王制でも貴族制でもない、民主制が必要とされている。民主制によって選ばれた議員は、人民の代弁者であって、頭脳ではない。代弁する為には、人民の声を聞かなければならず、声を聞くには、十分な情報の公開と、議論の記録によって、堂々巡りや不確実な情報による憶測を排除していかなければならない。
情報の公開と言論の自由、そして、議事録の記録と公開は、国民に意思表示を求める際の、必要条件である。争点を形成し、民意を問うという技術こそが、選挙で勝つ為の技術なのだが、利権を独り占めして選挙区にバラ撒きをやりたいという目的においては、それらは邪魔な事となってしまう。
日本の民主党は、社会主義者と自民党を追われた土建族の野合政党であり、どちらも、民主主義とは相容れない体質であり、民主主義国家の与党には、ふさわしくない。独裁しておいて、頑張っていると主張しても、その頑張る方向性が明らかに間違えている以上、国民は認めない。民意を形成するという手続きを行わなければ、国民の支持は得られない。これは、政治だけでなく、事業においても同じである。良い製品を出荷し続けていても、それだけでは国民の支持を得られない。民意を味方につけなければ、外資系企業と同じ扱いにしかならない。
ニコニコ動画にしてみても、2ちゃんねるにしてみても、ツイッターにしてみても、というかありとあらゆるインターネットの形態として、どうしてコメントを残すことが流行っているのだろう。例えば面白い動画なり書き込みがあったときに、そのレスポンスとして草を生やす行為にいったい何の意味があるのだろう。あるいは短い一言、「泣いた」とか「ご飯食べてる」とかそういうもの。その発言は、本当にする必要があるものなんだろうか。何の意図があってそんな発言をするのだろう。
無論、その一言を誰かに伝えたいというのが根底にはあると思う。そういった伝える誰かを想定した書き込みならまだ理解できる。腑に落ちないのは、そういった誰かを想定していない文章、いや文章ならまだわからないこともないのだけれど、突発的な反応とか予定なんかを発言することだけはどうにも度し難い。何で「私はここで笑いましたよ」「ここが面白いと思いましたよ」なんていう感情を記号で表さんといかんのか。表さないと気が済まないのか。その一言を書きこむ前に、その一言を書きこんでどうしたいのか疑問に思わないのだろうか。
確かに初めこそ真新しさから書き込みをしたくなることもあるとは思う。でも、次第に飽きてくるものでしょうに。いや、もしかしたら飽きている人が大勢いるのかもしれない。そして、そういった何気ない意図を持たない(あるいは今のところ理解出来ない)コメントをしなくなっている人が増えてきてるのかもしれない。その減少傾向よりも新規のコメンターが多いのかもしれない。ツイッターなんてその最たるものなのかもしれない。
はっきり言って、自分が今何をしているのかとか何をどう思ったのかなんてことを呟くことに価値は見いだせない。逆に、よくそれだけの呟きに自分の思いをまとめられるものだと感動する。更に逆説的(使い方間違ってるかもしれない)に考えるに、やはりその呟きというものは突発的な短絡的な発言でしかないのである。突発的ないし短絡的な発言は、その時そのタイミングで本当にしなければならないものなのだろうか。もっと後から考えてみて整理して、そうして発言するに値するか考えてもいいんじゃないのかな。
まあそういった発言をする行為を否定するわけではないけれども。
自分個人としては、ここまで書き込んだこのチラ裏にしてみても削除を検討してしまうので理解がしにくいだけなのだ。だって、どう考えても音声だとか感情に生まれた「呟き」なり「発言」は、それを文にする際に客観的にならざるを得ないものでしょう。今現在私がどのようなことをしようとしているのかが目の前に提示された際、それに何の意味があるのか――違うな。本当はわかってるんだなあ。意味なんてないけどそうしてしまう時の心情というものが。文字にすることは自分には無理だけど、感覚的にわかっている。少し落ち着いて考えて見れば、少なくともわかったような気にはなれる。そして、そのことに疑問を呈する不毛さもわかる。馬鹿馬鹿しいことだよなってわかる。
さて、ここでよっぽど問題にしたほうがいい事柄が持ち上がってきた。けど、一瞬のことだったので忘れてしまった。何につけても自分は忘れっぽいのが良くない。←この一文を書いてしまったことによって、いよいよ本格的に思考の流れとでも言うべきものが全くの別方向を向き始めてしまったので始末に終えない。上に書いてある、よっぽど問題にしたほうがいい事柄ってなんだったんだろう。なんとなく持ち上がってきたけど、また沈みやがった、ちくしょう。こんな築一経過を報告したチラ裏を発言するつもりなのかどうか、それはまた別問題なのでこの際横に置いておく。なんていうか、かくあるべき発言みたいな問題は今は考えないようにしたいし、そもそもそんなものはあり得ないのでどうでもいい(とか言いつつ、理想のあり方みたいなのを考えてみて、結局それにも欠点というか、見方によって性格ががらりとかわることがあるのでどうでもいいなんていうゴミクズじみた結論にしか達しないのだろうなあ)。また忘れた。推敲ってした方がいいのかしらん。仮にもこれは不確定多数の誰かに見てもらうことを想定した、あるいは見られてしまうことが確定的な文章なのに、こんな破茶滅茶な形態でいいのだろうか。良くないと思う自分と、これはこれで味があっていいのではないかしらんなどとふざけたことをぬかしおる自分がいる。
ああ、問題点。何となく当て嵌まる適切な言葉を見つけた気がする。
『不確定』。これこそが、先に記述したよっぽど問題にした方がいい事柄であり、ありとあらゆる物事に対した時に生じる自分の問題点だ。問題点とするとネガティブすぎるかもしれない。厄介な性分としたほうがいい。そのほうがより適切。それともう一つ。ころころ興味が移り変わること。泡沫の種のようなものが次から次へと沸き上がってくるくせに、そのひとつひとつを発芽させることができない愚図であるということ。それから適切という解決策についても。不確定に対する今のところ思いつける唯一の解決策。自分という個人が不確定な波のような人間であるなら、最適を求めるのは酷(というか無理)であるので、より適切なものを探すという方向性でいいのではないのだろうか。
はあ。それにしても結局最後は内省的なことになってしまうなあ。太田光みたいだ。こんなことを書くと氏に迷惑か。いや、迷惑になるほどのものでもあるまいて。
自己分析ついでにもうちょっと自己嫌悪じみたことを続けようかしらん。無計画と計画と呆気無さとハードルとか、そんな諸々のことについて。あー、でもそれっぽいキーワードを並べたら、頭の中でそれっぽい答えが出てしまったからもういいかなあ。面倒だ。でもそれでいいのかしらん。それっぽい答えで満足してしまうことが自己分析なのかしらん。
結局は自分が気持のいいことしかしてないんだよねえ。ナルシズムに酔っているというか、僕ってこんなこと考える奴なんだよって喧伝したいみたいな。また同時にそうあるある自分を馬鹿馬鹿しくも思っていて、いやいや違うんです自分てばそんな奴じゃないんですよははは、みたいにフォローしてみたくもあったり、フォローしている自分を自慢したかったり。堂々巡りなんだな。目立ちたいというか、言葉が出んなー、そうだ誇示、誇示したいっていう欲求が大きいもんだから、それを恥じて。
なんていうか、 誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→卑下というか否定(の振りをした誇示→Endless……))) みたいなことが往々にして起きていやがる。面倒くさい。こんな奴関わりたくない――みたいな書き込みをしてまたエンドレス。
これは考えているのかどうか。わからん。考えていなんじゃないのか。考えるってどういう事を言うんだちくしょー。思うことと考えることと感じること、いや感じることは違うか、思うことと考えることって具体的にどう違うんだろうなあ。ロジカル。規則に則って順序立てることが考えることならば、自分は考えることができない人間だ。いつだって思ってる。いかなる時でも考えずに思ってる。なんてメルヘン。ロマンチック。もう訳がわからんくなってきた。わからんっていう言葉は便利だよね。思考放棄にはもってこいだ。あれ、思考って言葉にはどっちもついているのね。つまりは考えることと思うこと。どちらもそれほど違いはないのかもしれないわねえ。それほど重要でもないのかもしれないわねえ。重要でもないことにどうしてこんなに時間を使ってしまうのかしらん。みんなから面倒な奴だと思われちゃうじゃない。まあそんなんはどうでもいいのだけど。でも、重要かどうかって、そんなに重要視すべき問題なのかしらん。重要じゃないことを云々唸りながら思い悩んでいたっていいじゃないねえ。そんな姿勢を馬鹿にはできない。しちゃいけないと思うわけで。いやいや、馬鹿は褒め言葉とも言うか。もうね、いいんだよ。もう全部いいよ。どんなことをバッチコイだ。あっていいよ。悪いことなんてねえよ。あ、あって悪いことって意味ですね。ありとあらゆる事象物事ははあり得ていいのです。そのことがらがそのものごとがあることには何に罪も糞もないのです。あることはもう仕方が無いのですからね。しょうがないのです。我々に出来ることといえば、それを受け止めることだけなのです。その存在を否定はできない。疎ましく思うことも、邪魔臭いと思うことも、消えてしまえばいいと思うこととも大いにあるでしょう。危険視したり、抹消してしまいたくなったり、暴力的な情動を抑えきれなくなることも多いかもしれません。でも、そんな生じ得るありとあらゆる反応レスポンスをもひっくるめて、今存在している遍く全てもの物事は存在していていいのです。というか、存在している限り仕方が無いのです。仮に今その存在を消し得たとしても、その存在があった記録は残る。記憶は残り続ける。ならば、その存在は永遠に消滅し得ないのです。あるということはそういう事。あるということは時間を超越するのです。そして、私たちはありとあらゆる在るという事象の中で存在しているのです。だから、その存在を否定することは不可能。在ることは仕方のないことなのです。であるからして、自分としては在ることが混在したカオスティックな状態を享受したいと思うわけなのです。更に言えば身勝手甚だしいことに、自分が心地いいと思う状態が続いて欲しいと願うわけです。しかしながら、自分が心地いいなどと思う状態というものは恒常的にそこに在るのでしょうか。また私が心地いいと思う状態そのものは恒久的に不変であるのでしょうか。そんなわけはないと思います。わからないけれども。ね。結局何が言いたいんだという。暴走したこの書き込みはどう始末を付けたらいいんだろう。増田に落とせば迷惑がかかるかもしれないと危惧してしまう。ならば削除してしまえばいいのだが、それはそれで悲しい。確かにこのような無為な文章を書き綴った記憶は残るかもしれないけれど、その記録が残らない。ハネムーンの写真を友達に見せびらかしたい気分だ。祝女でいつかやってた。あの新婚さんは今の自分の気持ちに似ているのかもしれない。
でもどうしよう。こんなもの、チラ裏にしても性質が悪すぎる。
今、こうして怠惰にふける選択肢は、未来の自分を変えるのだそうだ。
しかし、未来予知なんて能力はあいにく持ち合わせていないので。
だけども、いまこうしてぼーっとただ日々をすごすのも何かがいけない気がしてならない。
ただ、勉強したとしても努力が足りないのではないか?などと思ってまたそれはそれで胸が締め付けられる。
結果があって努力が初めて認められるんだよな。社会ってのは。とか考え出すとそれだけで気分が落ち込む。
このままではいけない、という気持ちだけが先行して、結局自分1人の中で堂々巡りを起こす。
努力したいけど、自分の進むべき道を持てずにいて、努力の方向性すら見つけることができず、ただ日々何かに追われながら、はぁはぁとあえいでいる。
自分の中でこれ!といったものがあるのならば、それを目指して動けばいいのだろうが、そういうものもない。
ただただなぁなぁに、自分の中で無難であろう人生のレールを通っている。
でも、それでも、失敗できないというプレッシャーがのしかかってくる。
この無難であろう人生のレールを踏み外すことができない。というプレッシャーがのしかかってくる。
本当に息が詰まりそうでたまらない。
相手が「本当にいい人」であるなら、今すぐ行動すべき。
ちょっと待て欲しい。「待つ」というのはそういう意味じゃないだろ。それを背負わせる気なら、正しくそう言うべき。「私と結婚したら、あなたは一生セックスできないし、従って子どもも作ることはできない。」と。「待て」と言われて待っているということと、「一生なしです」というのは全然意味が違う。そこは間違えないで欲しい。もし、「一生なし」ということなら、「待って」という言葉を今すぐ撤回すべきだ。
撤回しないのなら、自分の問題とはやはりきちんと向き合うべき。そして、その自分を変えたい(変えたいと思っている自分を、相手は支持してくれている)と考えるなら、自分の問題を乗り越えられるよう努力する必要がある。勘違いしてもらうと困るが、あなたの『セックスが怖い・気持ち悪い・嫌だ』という感情が悪いと言ってるわけではない。「待って」という保留の言葉が意味するのは、普通は「それを問題と捉え、解決に向けて努力している」という意味だということだ。
もし、無条件で「待って」というだけで自分は何もしない、というのでは、たとえば相手が「子どもは欲しい」と思っている場合、あなたのしていることは相手への裏切りになる。男だっていつまでも若く稼げるわけではない。子どもを持ちたいと思っているなら、富豪でない限り、ある程度の年齢までに結婚し子どもをもって、定年までに子どもが自立できるようなライフサイクルを計算することになろう。20代後半はそろそろ適齢期ではある。
保留・保留…の果てにくるのは破局しかない。「好きにしたらいいんじゃないの」自分も、あなたが友人ならそういうだろう。だって別に、彼氏と分かれても、友達は友達で変わらないのだから。あなたの幸せ?それはあなた自身が考えることでしょう?きついことを言って嫌われたらそれこそ「友情」が終わってしまうことだしね、と。
堂々巡りというけれど、たとえばカウンセリングを受けるとかそういう一歩を踏み出さないで、やがてくる破局を前にぼーっと突っ立っているのがあなただ。彼氏の優しさに甘え、でなく、今のままならあなたは、彼氏の甘さにつけ込んで欺しているだけだ。「いや、違う、自分は彼氏を大切に思っている」と言うなら、解決に向けた努力を示すべき。その結果、どうにもならなかったのなら、初めて「どうにもならなかったけれどそんな私でもあなたは受け入れてくれるか?」と彼氏に問う資格も生まれる。それを彼氏が受け入れるかどうかは分からないが、少なくとも「結局何もしてこなかったあなた」には、「私を受け入れてくれるか?」と彼氏に問う資格自体が無い。
もう3年も無駄にしたのだから、「そのうちなんとかなるのでは」という甘い考えは捨てるべき。行動しなさい。話はそれからだ。
ちなみに「性交恐怖」「性行為恐怖症」というのは、結構一般的な現象だから、それほど特別に考える必要はない。悩んでいる人は世の中に沢山いる。まあ、そんなことはすでに調べているだろうけれども。
返事ありがとう。
…と言ってくれている以上は、少なくとも撮り食するのは「充分にハイソな店」では非常識だ、なぜならそれを他人が不快に思うからだ、ということについては同意があるんだよな。元増田はたぶんそれ以上のことは求めてない。だから、お互い言い合う必要ないんじゃね?……ってのが俺の言う「本質」だ。
あなたが文句をつけてるのは、たぶん「マイルール押しつけんな」ってコトなんだろう。それは、まあ、分かる。マイルール押しつけんなってのもマイルールじゃね、なんて皮肉を言うつもりもない。それ言ったら堂々巡りなるしな。特に、昨今の日本て、それこそ牛丼屋のように殺伐としてて、誰もが誰かからの批判に神経をとがらせてるから、「お前少し弁えろよ、客が店の雰囲気作るってことも考えてさあ」なんて理想語ったら、次の瞬間刺されかねない。恐ろしいねえ。
だから、そんな時代に、元増田が自分の理想を実現しようと思ったら、それはもうテロしかない。たとえば、撮り食のトラブルから何度か事件が発生したり、とかそういうこと。それに比べれば、言葉で説明しようとしてる元増田は、ずいぶんお行儀がいいと思うんだよ。だから、この件であんまり彼を責めても意味ない。俺はそう思う。ありがとな。
先月27歳になった。
本題に入る前に簡単にプロフィールを紹介しておこうと思う。
性別=男性、年齢=27歳、独身、地方在住、地方国立の修士でそこそこ大きなメーカーで研究職をしている。
年収は450万弱で、住宅が会社持ちなのでそこそこ余裕のある暮らしだ。しかし奨学金が数百万。
うちの会社は古い体質の会社でほぼ年功序列、賃金抑制のために導入された形ばかりの成果主義を採用する典型的な均衡縮小状態の日本企業だ。ここ数年は成長してなく、じりじりと追い込まれて言ってる状態だ。はっきりいって先は暗い。ただ現状の待遇は悪くない。土日、祝日はほぼ休みだし、有給は最低でも10日以上はとれる。上司もまともだ。仕事自体は自分に適正があるのかどうかはわからないが、評価だって悪くない。ただ驚異的なほどつまらない。つまらないというか興味がもてない。
実は院生時代から薄々と自分はこの分野に楽しみを見出すことは無理なんじゃないかと思っていた。たぶんこういうことを言うと積極的に楽しくしようとする努力が足りないと言った趣旨の忠告をいただくであろうが、しかし、うちから湧き上がってくるものがまったくなくそもそもそのラインにすら達しない場合はどうしたらいいのだろうか。散々悩んだ。結論から言えばどうしようもないと言うものだった。つまりこの仕事を続けている限り最低1日8時間以上の時間を費やす活動は自分に何の精神的な充足をあたえてくれないどころか、むしろマイナスにすらなるだろう。徐々に蝕まれて、よくいる窓際社員みたいになれるならばまだいい。この先、漫然と過ごしていく中で年齢だけを重ねて、仮に会社がいよいよと言うことになればかなり高い確率で路頭に迷ってしまうのではないだろうか。そういう思いにとらわれてとたんに怖くなった。またどうせならば楽しみたいと言う理想も捨てきれない。もう27歳だが、まだ27歳だ。今なら間に合う。
ここでとりうる選択肢は主に二つだ。今の会社に見切りをつけキャリアチェンジをする。もうひとつは仕事に関しては生活の糧を得るためだと割り切って続け、その上でもうひとつの道を加える。
まず一つ目についてだが、これは非常にリスクがでかい。改めて違う分野の大学(院)にいくのか、直接違う分野の会社への転職を目指すのか、どちらも不確定要素が大きい上に、奨学金の返済もある。蓄えはないことは無いが猶予はそう長くは無い。学校に行くのはかなりぎりぎりの状態にならざるを得ないだろうし、この経済状況だ、異分野からの27歳を受け入れてくれる会社などあるかないかというレベルだろう。
二つ目は例えば俗に言う週末起業のたぐいと、後は完全に趣味の創作活動あたりだ。こちらは仮にそれらがこけたとしても生活に困るような自体にはなりにくい。しかしだ。自分で言うのもなんだが、自分にはそんな大げさな才能などありそうにもなければ、これといった人脈があるわけでもない、その上、本業があるからなどと覚悟まで薄めてしまえば、望むような結果が得られる到底思えなかった。
一番怖いことはこうした悩みもいつか消えてしまい、惰性で生きるような状態になってしまうことだ。家族がいればまだいいかもしれないが、これまで何人かと付き合った結果恋愛にも向いていないようなので結婚して子供のためにというのもありえないだろう。こうしてうじうじと悩んでる間にも刻一刻と時間は過ぎ去っている。
尻すぼみになってしまって申し訳ないが、ここで唐突に何もかけなくなってしまった。できれば今年中には答えを出したいと思っているが、現状ではそれすらもおぼつかないような状態だ。他の人を気にしてもしょうがないのは分かっているが、みんなはどうなんだろうか?今の仕事を楽しめているのだろうか。それとも自分と同じような状態なんだろうか、こうした堂々巡りにはまって立ち止まっているのだろうか。それとも勇気を持って踏み出しているんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20101010164836
世間はもっと広い。この程度のコミュ力のなさはいくらでも見聞する。もちろん、低所得者層にとどまることになるのは確実だ。そして「なんで、私は貧乏なの? 世間は私をいじめてるの?」とまた嘆くことになる。堂々巡り。元増田も言ってるように本人が気がつかないとどうしようもない。
重要なのは「どん底感」なのだと思う。
「私の人生、どん底だ」と十分に感じ取って初めて(浮上したい)って意欲が湧く。底に着くまでは沈み続ける。元増田が彼女のことをずっと友達だと思っているのなら、見届けてあげることだ。どん底と感じて、初めて、元増田の忠告が的を射ていることに気がつく。そしたら、しばらくコミュ力の特訓をしてくれとか言ってくるかも知れない。自分でセミナーなどに通うかも知れない。
だから遠慮なく疎遠になっていいんだよ。
今日、行きつけのお店で同じ店の常連さんに「何でリフレ派なんて支持するのかわからない」と言われました。
曰く、「リフレ派なんて、ナショナリストの巣窟じゃないか。ましてや、歴史修正主義者に選挙で投票するなんて、本当にわからない。その辺、神奈川県で投票した人に聞いてみたいので教えてほしい」というわけです。
別にリフレ派大好きということもないし、その議員の後援会に入っていることもない私になんで聞くのかよくわからなかったのですが、相手もまだ若い方だし、あまり真剣に聞くもので、私も真面目に答えたものです。
「いまの不景気によって、たくさんの若年失業者が生まれている。そして経済が低迷からぬけだせないと、そうした若年失業者のスキルが上がらず、低賃金の労働者として格差が固定化されてしまう。たしかにリフレ派にはナショナリストもいるが、端から見るほど一枚岩ではない。それに不景気を脱して雇用を確保することは現在の右傾化を止めるために不可欠。社会民主主義の意識の高い欧州では、景気の悪いときに左派が金融緩和を求めることは社会の仕組みになっている」というような説明をしました。
一通り説明したはずですが、相手の方は納得しません。
「脱リフレ議連の会長は歴史修正主義者だ。歴史修正主義者の暴走を止められないなら、リフレ派も歴史修正主義容認だ。雇用の確保っていうが、結局は韓国や中国に抜かされるぞっていう経済ナショナリズムであって綺麗事だ。やっぱりリフレ派をありがたがる気持ちがわからない。ことばは悪いが、カルトのいいわけとしか思えない」と食い下がります。
私もどこかでおかしいなと思いながら、返答します。
「現実にリフレ派を見るとわかるが、リフレ論と歴史修正主義はまったく議論が違う。弱者救済のために再分配を実行するときは経済のパイが大きい方が簡単だから、再分配のために経済成長を求めるのはきわめて安全な選択でもある。経済成長を求める富裕層の所有欲を利用して弱者が保護できるシステムは現実的だ。個々のリフレ派が他にどのような意見を持っていても、雇用の確保は弱者にありがたがられることに違いない」と説明しつつ、だんだん私がリフレ派の代弁者になっていくさまに、いささかアホらしさを感じました。
結局、アホらしいと思った私の方から、「あなたがリフレ派が歴史修正主義者の巣窟でないことに納得していなくとも、リフレ政策が重要であることに変わりがない。あなたがリフレ派に歴史修正主義者を見つけたとしても、そうでないリフレ派を見つけられないだけかもしれない。だから、リフレ派が右翼の巣窟とおもったら、松尾さんの本を読んでみたらいいと思う。あなたが50年後の十万人が今の一万人より大事だと思っても、他の人には今の一万人を助けることが大切かもしれないので、くれぐれもそれを踏みつけにしないように」と話を切り上げました。
相手の彼は、それでも「私を納得させられない程度の議論に、絶対的な価値があるとは言えない。松尾さんの本を読む気はないが、リフレ政策自体には賛成だ。ただ、リフレ派が「リフレ脱却国民会議」などといって国民国家のナショナリズムを利用しているのが嫌いだ。そう言わずぜひこのまま議論してほしい」とがんばっていました。もう充分彼の質問の意図が見えた後でしたので、私はそれ以上その話題には乗りませんでした。
こうなっては、「わからないと言う以上は、わかりようがない」
それが彼へのただひとつの答えだと思ったのです。
結局、彼の質問は「○○がわからないから教えてほしい」と言いながら、「○○をありがたがるなんて、気が知れない」と言いたいだけなのでしょう。
「教えてくれ」と言いながら、すでに「ナショナリズムに関わるものはどんな運動からも排除すべき」という答えは心の中に確固として存在しているのです。ですから、聞かれた方がいくら言葉を尽くして説明しても「なるほど!」という答えが返るはずがありません。
それは、「議論しよう」と持ちかけながら、その実は論争を楽しもうとする姿なのです。
相手が自身の価値観に揺らぎを見せれば、折伏した勝利者としての自らに満足し、相手が言いよどめば、相手に無知の知を知らしめた自らに満足し、相手が激すれば、なお冷静な論理を紡ぐ自らに満足し、相手が降りれば、ゆるぎなき鉄の価値観を持つ自らに満足するというわけです。テーゼとアンチテーゼから昇華したなにかを得ようとする姿を借りながら、相手の答えが曲がらないかぎりは自らの答えをけして曲げる気がない、堂々巡りの価値観の剣闘です。
そんなことを思いながら、「わからない。なぜ?」と聞く前に、本当に自分にその答えを聞く気があるのか、そこを自問自答したいものだとじっと手を見ました。
具体的に話題にした彼には申し訳ないのですが、今年に入ってそういう問答が何度も私の身に降りかかったもので、いい機会と記事にしました。
「いい左翼が、リフレ派になぜあんなに熱中するものか、わからない」というような、理性の皮を被ったリフレ派叩きの記事を見るにつけ、私は思います。
「本当はわかってるくせに。そんなことわかりたくもないと思ってるってこと」
http://anond.hatelabo.jp/20100720041242
http://anond.hatelabo.jp/20100719221811
科目別課税も納税者番号もどっちもやっている国があるので、大変かどうかと言われてもなぁ。
どっちも、やっている国があるとしか。
それって、定性的だから だから、納税者番号は大変だとという話になって堂々巡りだよ。
単一店舗でのトランザクションで、一定額までのミスはOKとどっちが国レベルで入りやすいかと言われたら
後者だと思うが・・・前者だというのなら、もう、あとは、国会で議論してもらうしか無いよ。
別段、パンだビスケットだ、という話はせずに、単価XX円以下の食料品でよいだろ?
同様に、単価XX円以下の衣類でいいと思うが?
これはないよな。これが成り立つような区分だとそれこそ増収はチンカス。
要求と現実を見誤ってないか?
このぐらい要求しても、現実は、実質 食料品で微増 衣類で やや増 それ意外で大幅増だと思うが?
だから、要求はこういうレベルでするのが普通。要求通りになんてならないんだから。
でもまあいいや。
どの道増税なら、科目別消費税で、食品と衣類は低税率の方がいいと思うが、負の所得税の方がいいというなら、いいと思うよ。成立するかどうかはしらんけど。
増税だけで、負の所得税は見送りな気がするけど。まぁ、わからんから、いいよ。
どうでもいいというか、よくないんだけど。Blogとかあさってたら。
増税は、庶民いじめみたいな、言い方をしている人がいて、ガックリ来た。
じゃぁ、どうすんだよ。
法人税増税?まちがいなく、おまえらの時給やボーナスが減りますが?
所得税増税?いや、普通、おまえらの、時給やボーナスが真っ先に減りますが?
インフレ?いや、おまえらの貯金が実質目減りしますが?いいのかそれで?
どうしろっちゅーんじゃ。
多くの不登校は理由などないし選ぶもんでもない。(http://anond.hatelabo.jp/20090222023846)
1年半近く前のエントリーだけど、不登校のキーワードでひっかかってきたので読んだ。
子どもが不登校だとさ、親としてはどうしたらいいのか、ほんと悩む。
とりあえず、学校でなんかあったのか?とかいろいろ理由を探すよ。
でも、いじめられているわけでもなく、無視されているわけでもない。
結局、まあ、学校という空間が嫌いなんだなあというくらいしか、親にはわからん。
で、本人も、わからないという。
理由はわからないけど、学校に行こうとすると腹痛とかになるからさ、行けないわけよ。
無理していっても、保健室に直行して、で、やっぱり帰る、となるだけでね。
じゃ、もう学校に行かなくていいよと言えば、とりあえずおなかは痛くならないので、安泰だ。
勉強しろなんていうのは無理なんだよ。
個人塾には気休めに行ってるけど、とうてい学校で今やってるとこについてけるレベルじゃない。
担任も家まで来てくれるけど、だいたい、会いたがらないな。
別に担任が嫌いではないらしいんだけどね。
遠足の日には迎えにきてくれたおかげで、行けたって感謝してた。
ま、遠足から帰ったら寝込んで、二度とまた学校に行かなかったけどな。
不登校児の親はどうしたらいいか、答えを求めて、いろいろ情報を集めるわけよ。
で、不登校支援の団体の出している本とか、サイトとかは、どうしても目に入ってくる。
それにすがりたくもなる。
よく某不登校支援の名の下に活動している団体を中心に宣伝されている「今の教育システムが会わなかったので不登校になっている人間は不登校になったのではない、不登校を選んだのである」とか「不登校になった子は今の教育システムの型に入りきらない才能を持っている」と言った宣伝は、有り体に言って親が自己肯定するために作られた作り話か、特殊な例だけ抜き出したファンタジーだ。全く気にする必要はない。
これ、ガツンと来たよ。図星だな。図星なだけに、ますます、どうしたらいいのかわからなくなるよ。
今、子どもが学校に行っていないことを正当化する、あるいは、「行かなくていいよ」と言っている自分を正当化するのに、「学校の方が悪いんだ」という論理、これ以上都合のいいおまじないはないからさ。それを否定されちゃうと、やっぱり、理由のない堂々巡りの闇に戻っていいくことになるよな。ただ、「理由なんてない」と断言されると、「理由探しはしなくていいや」ということで安心はするよ。でも、その次なんだよなあ。
うちも、今の学校がいやなら、そうじゃない学校に行かせるべきかと思って、フリースクールとか探したんだけどさ、そういうのだって、子どもの好き嫌いがあるわけで、行きたくないものに無理に行かせたら、結局同じだろう?
見学に行っただけで、下痢して熱出して寝込んだから、やっぱり行きたくなかったんだと思って、あきらめたけどね。
いや、今、思うと、見学に行った時に会ったフリースクールの生徒や卒業生が、生き生きと明るく「選んだ」不登校を生きているように見えて、孤独感を深めたのかもしれないな。
「同じだと思っていた不登校の人たちは、実は同じではなく選んだ人たちで、自分は選んだわけじゃないから、あの人達のようにはなれない、だから僕はだめなんだ」
こういう感じだったんだろうな。だったら、行きたくなくなるのも無理はない。
でも、親としては、ただ手をこまねいているだけじゃなく、なんか、有効な手を打ちたいわけ。
でも、それが何なのかわからないから、迷路に入った気分になるんだよね。
別に、「今の学校のシステムへのアンチテーゼ」といったフリースクール理論はどうでもよくて、とにかく、引きこもらせておくよりはましな場所を求めて右往左往してしまう。
今は、学校そのものを忌避してるから、保健室登校とか、相談室登校とか、放課後登校とかをすすめられても、無理。
スクールカウンセラーも論外。カウンセラーに会うために学校に行かなくちゃならないわけだから。
ま、学校とは関係なく、独自に思春期外来のある病院を探して、そこですすめられてカウンセリングは受け始めたけど。
これも、気休めなんだよ。とにかく何かやらないと、いけないような気がしてたまらないからだよ。
カウンセリングでどうなるか?なんて何もわからないんだよ。
今、中2だが、高校には行きたいらしい。中学は行く気はないが、高校は行きたいと。
で、心では思っていても、それが行動に結びつかない。
で、高校にも行けなければ、ますます挫折感と喪失感で自信を失うだけなのにな。
自分に自信を持てるようになれば、勉強もする気になるだろうし、今の負のスパイラルから抜け出ることができると思うともどかしいけど。
そのきっかけってどうしたら訪れるわけ?
親がどうにかできることなのか?
ただ、がんばれとか、勉強しろとか言ってもだめなことはわかってる。ほっといてくれと言われるだけだ。
かといって、腫れ物に触るように扱うってのも違うと思うんだよね。
で、今、具体的にどうしているかというと、朝は普通に起こす。
朝食後、父親が30分くらい勉強を見てやる。
昼間は一人でゲームとビデオ。学校、フリースクールの類には、今のところ、行く気はない。
とりあえず、この生活をしている限りは、親子げんかもなく、平穏ではある。
このままで、なんか突破口はあるのかね、ないのかね。
追記:
そうだね。今も、家事を頼むと喜んでやっているよ。役に立ってる感があるのはいいよね。もっとやってもらうことにするよ。
え?本気でおかしい人??
送金が途切れるときは、親が死んだとき。そしたら殉死するか、働くか、どっちかしかないだろう?
それが
親からの送金が途切れたら、今度はスタッフとして働いてもらう
に繋がるんだろ?
誰とそんな契約を結ぶつもりなの?
そんな契約が有効なわけないだろ、ってのは置いたとしても親だろ?
その契約だったら親は安心して送金やめれるよな?
別に社会復帰してもらわなくても、そこに居てもらえれば御の字なんだから目的は達成される。
キミは、契約を結んでいるんだから、その責任を取って、スタッフとして育て上げるわけだよな?
そんな手腕があるなら…以下堂々巡り。
いや、本当にご苦労様と言いたいよ。
言いたいけど…
…馬鹿だとしか言いようがない。