はてなキーワード: 結論とは
http://q.hatena.ne.jp/1185845758 という質問があった。
私なら完璧な答えを用意できる。
私はこの質問には回答できない。
考えてみれば、私が悪くない回答をしていても、
私を面白くないと思う人がいれば、
その人は私を回答拒否設定できるわけで、
そうなると私は今回のように回答できない質問に
ぶち当たることになる。
便利なようで弊害が多い。他力本願だからだ。
有効な答えを書いてくれるユーザーまでをも回答拒否してしまうおそれが大きい。
では、どうすればいいのか。
基本は、「他ユーザーの設定による回答拒否」は「拒否しない」にしておく。
自分の気に入らない回答をしてくる人は「回答拒否ユーザー」に自分で追加する。
もし、悪い回答をしてきた人がいたら、その人へのポイント配分を必ず 0 にする。
全員が↑のようにすることで、はてな村に自浄作用がでてくるようになる。
悪い回答をしてきた人にポイントを与えてはならない。絶対に。
でないと、悪い回答をしてきた人が、また同じ過ちを繰り返すようになるから。
人力検索はてな で 他ユーザの設定による回答拒否 を設定すると 有効な回答まで拒否してしまう可能性が大きい。
回答は全て受け付け、悪い回答にはポイントを与えない事が、もっとも有効であるので、人力検索はてなの質問者は、是非留意してもらいたい。
まず、大前提として、器具のどこかに使用管球の型番が必ず書いてあるから、それをメモって電気屋さんで聞けば、目的の管球が入手できるよ。調べてみるほうが確実だし、結局、早い。Fで始まるのが型番(たぶんFCLか、FHCだと思うが)で、続く数字がサイズを表す。これはW数だったりそうでなかったりする。これは管球にも書いてあるから、てもとにあるやつを見てみて欲しい。30型、ということは、たぶんFCLじゃないか。
確かにいろいろあってわかりにくいし、既に上で結論を出してしまったので、以下は憶測含む一般的な話だから、興味があれば読んで欲しい。
もし、増田氏の家のランプが、天井から傘を吊すタイプなら(つーかこういうのはシーリングライトとはいわんのだが(ペンダントライトといいます))、大きいほうは32型か40型。家庭用でそれほど大きくないのなら、たぶん32だろうな。で、2つのリングを上下に若干ずらしてセットさせるようになってるんじゃないかと思う。同じ面上に、土星の輪よろしくセットする形ならば外側は40型になるだろう。古いやつだと2つとも30型ってのも結構あったのだが、今はそういうのは珍しくなってしまった。
浅いお椀(ドーム)状の、天井に張り付いてるようなやつだったとしたら、使用管球はスリムタイプ(FHC)が一般的。スリム環型には 30Wタイプというのは無いのだが、FCLを使用するタイプのも勿論ある。
因みに蛍光管はW数によって管球の大きさが決まってくる(大きさによってW数が決まっている)ので、明るさは選べない。メーカーによって多少の性能差はあるだろうけど、言うほど差はないはずだよ。その代わり、光の色は選べる。「昼白色」と「昼光色」と「電球色」の3種類が一般的で、順番にオレンジ味が増す。まあ普通は昼光色だね。昼白色だとすっきりするけど寒々しいし、電球色だと暖かみが出るけど流石にやりすぎ感が出る。光の強さがそれぞれで違うというわけではないけど、いちばん明るく感じるのが昼白色で、反対が電球色、昼光色はその中間。
いろいろ書いたが、ともかくよくわからなかったら、器具を外して、「使用ランプ」などとあるあたりに書いてあることを書き取って、電気屋さんに行って、店員に聞くのだ。親切な人に当たることを祈る!
http://anond.hatelabo.jp/20070729201848だが、似た性質の合成紙でやってみた。
ただし、投票用紙と全く同じではないので、臨界点での挙動はかなり違うかもしれない。ユポ紙を入手可能な紙関連業界の中の人の追レポ希望。
結論を言うと、数時間では開く気配なし。口が伸び、羽が多少膨らんだ程度。
「折っても開く紙」とはいえ、折り目同士が支え合う構造の折り鶴では、開かないのかもしれない。
くれぐれも本物の投票用紙でやらないように。
彼女がどう考えてるか別にして、自分が彼女とどういう関係で居る事を望むのかによる。
文章を読んだ限りだと、友達として交友関係を続けられるならそれがベストという感じっぽいけど、それなら自分は友人として付き合ってるというスタンスをちゃんと取っていれば良いと思うよ。
普段会話する時や遊ぶ時にも相手が自分と親密になりたいと思うのは友人としてでもおかしい事ではないし、自分がそのつもりで付き合っていれば良いし、相手がそれ以上の関係を求めてきた時やそう思えるような時にはその時点でそう言えばいいんだし。
もしもそう考えられずに、彼女の本意を踏まえたうえでの結論しか考えられないなら、ちゃんとその思ってる事を相手に言うしかないだろうね。
といっても、何でもかんでもバカ正直に言ってしまえるものでもないし、見た感じそういうのを話すのが苦手そうだけど。
俺の個人的判断だけで言えば、友人として付き合っていける間はそれで良いんじゃないかなと思う。
どう考えたらそんな結論になるのですか?
正直に自分の気持ちを話してくれて、なんだかうれしいよ。
って、他の人から見るとこれも上から目線ととられちゃうのかな?
気をつけよう。
で、本題だけど
キミの言ってることはすっごい大事なことだと思う。
とても共感できる。
そして一通りのリアクションはすでに得られたかと思うがどうだろう?
途中からただの言い合いになってたからね。
意見の異なる人と議論しても、こういう場所では価値のある結論は出ないと思う。
だから、正直に言ってケンカ腰であれこれ言い合うのはデメリットしかないと思うんだ。
っていうのが、さっきの長文で言いたかったこと。
よほど危険な考え方でない限り、他人の考え方を否定することにさして価値はないと思うからね。
こういう場所で価値があることの一つとして
キミの言う世間との距離を測るっていうのがあると思う。
んー、まあ良いことを言っているとは思うけど、なんか違うのよね。
まず最初に断っておくけど、許すとか肯定するとか言うと価値判断を含んでいる気がするんで、今回のエントリでは「認める」という表現を使っていくよ。
「認める」にもいろんな意味があるけど、できるだけニュートラルなものだと思ってくれ。認めることは許すことではないし、認めることは肯定することでもない。一番近いのは「知る」という言葉かな。これから私が書く「認める」というのは、まあ、そんな感じの意味として受け取ってちょうだい。
じゃ、いこう。
大事なのは「自分を認める」こと。
……とか言うとすごく陳腐だけど、きっとわけがわからなくなっていくだろうから続きを読んでおくれ。
『SWAN SONG』の結末近く、あまりにも暗く陰惨な地獄をくぐり抜けたあと、主人公の尼子司はこう呟く。
「醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしいです。幸福じゃなくっても、間違いだらけだとしても、人の一生は素晴らしいです」と。
これこそ、『SWAN SONG』一編を貫くテーマである。ひとの一生の価値は、成功したとかしないとか、幸福だとか不幸だとか、そんなことで決まるわけではないということ。
ああ、これがそもそもこれが間違いのもとなのだよ。素晴らしいから認めるというのが。価値があるから認めるというのが。
そうじゃないんだ「認める」ってのは。
素晴らしいとか素晴らしくないとか、価値があるとかないとか、そういう前提が必要だと思ってることが、もう間違っているの。
間違ってる人は、自分を認めるために、
[1] 醜くても、愚かでも、誰だって人間は素晴らしい。
[2] 自分は醜いし愚かだけど、[1]ゆえに自分は素晴らしい。
[3] 自分は素晴らしいから自分を認める。
こういうステップが必要だと思っている。でもそうじゃない。そもそも「自分は○○ だ か ら 自分を認める」ってのが、間違っているのね。
たとえば上の例は、「綺麗でなければ、賢くなければ自分を認めることができないと思いがちだけど、そうじゃないだろ」って言いたいんだろうけどね。でも、結局のところ「素晴らしいから認める」ことになっちゃってるでしょ。
「綺麗だから認める」・「賢いから認める」っていうのと、「素晴らしいから認める」って、同じなのね。認めるために何か条件が要るという点で、同じなの。これって、「容姿が綺麗」だとか「賢い」とかいう条件を、「素晴らしい」という条件にすりかえただけ。「素晴らしい」ってのは曖昧だからごまかせると思ったんだろうけど、所詮ごまかし。疑いはぬぐえないし。疑うなって言うのも無理がある。無理に信じ込むためにはエネルギーがいる。
「ひとの一生の価値は、成功したとかしないとか、幸福だとか不幸だとか、そんなことで決まるわけではない」というのは、「価値」という表現を使った時点でもう違う。これでは自分の人生を認めることはできない。自分の人生の価値を捏造しなくてはならないから。自分の人生には価値があると信じ込まなくてはならないから。「成功」や「幸福」というのを「価値」にすりかえただけだ。でも、自分の人生を認めるというのは、価値があるから認めるとか、価値がないから認めないとか、そういうことじゃないんだ。
自分を認めるために必要なステップは、
[0] 自分を認める。
以上。
自分を認めたところで、幸せがやってくるわけでも、どこからともなく価値が生まれるわけでもないんだけどね。でもね、自分を認めるとね、自分を認めることができるんだよ!
楽しく生きるのが許されていない人もいますからね。
確かに、「それでも楽しい人生が送れるよ」と言ってやれない人はいるだろう。でも、「自分を認めることはできるよ」とは言える気がする。気がするだけだけれども。
自分以外の「誰か」から「YES」と言ってもらう事、ありのままの自分を受け入れてもらう事、小さな許しが他人から得られる事、間違ってなどいないと抱きしめてもらう事、そんなものでは無いでしょうか。
子供が母に無償の愛を注がれる事ではじめて自分を肯定する事が出来るように・・・。
だってどんなに自分で自分を抱きしめても、一番空虚を感じる背中のど真ん中に、自分の手は届かないでしょう?
幸福な人生にありつくためにはこういうのが必要なんだろうけど。自分を認めるためには要らない。
誰かからYesと言ってもらう必要もないし、誰かにありのままの自分を受け入れてもらう必要もないし、小さな許しを他人から得る必要もないし、間違ってなどいないと抱きしめてもらう必要もない。
もちろん自分でYesと言う必要もないし、自分でありのままの自分を受け入れる必要もないし、小さな許しを自分に与える必要もないし、間違ってなどいないと自分で自分を抱きしめる必要もない。
それでも自分を認めることはできる。
まあ、贅沢を言えば、私で私を認めるのと同じように、他人に私を認めて欲しいとは思うけどね。でも、ありのままの自分を受け入れてもらいたいというのは、過ぎた願いだと思う。
人は一人では生きていけないんだろう。けど、他人に無条件に肯定してもらう必要は、無い。
(ところで「銃夢」のあのシーンって、ザパンの白昼夢じゃなかったっけ?)
こんなエントリはすでに自分を認めている人にとってはあたりまえすぎてつまらんだろうと思ってるんだがどうですか。でも「自分を認めるってなんなんだよ」という疑問がぬぐえない人も当然いるだろう。というか他人が理解できるように書けてないんじゃないかと不安になってきた。というかそもそも私は自分を認めることができているんだろうか自信なくなってきた。
ああそうだ例をあげよう。
たとえばこのエントリが誰にも理解されなかったとして、私はそれを「認める」よ。
様々な可能性がある。誰にも理解されてなかったことを、受け入れたり受け入れなかったり。理解できるように書けなかった自分を、許したり許さなかったり。もっと上手く書けるようになろうという向上心が、湧いたり湧かなかったり。向上心が湧かなかった場合は「まあ難しいテーマだし」と自分を正当化したり、「ダメだな俺」と自分を卑下したり。それでもたくさん反響があったら、自尊心が満足したりしなかったり。反響が全然無かったら、がっかりしたりしなかったり。言葉で伝えることを、あきらめたりあきらめなかったり。
そんなこんなを、したりしなかったり、するんだろうね。でも、何をするにせよ、何をしないにせよ、とにかく、私はそれを「認める」のだ。うん、もちろん、うまく「認める」ことができない可能性もあるんだけど、じゃあ、そのときは、「うまく認めることができなかった自分」を、認めようじゃないか。
もうさあ、許すとか許さないとか肯定するとか否定するとかポジティブとかネガティブとかさあ、べつにいいじゃん。
自分を認めるというのは、自分は自分だということだ。
自分を許そうが許すまいが、自分は自分だ。
自分を許すことができようができまいが、自分は自分だ。
自分を肯定しようが否定しようが、自分は自分だ。
自分を認めようが認めまいが、自分は自分だ。
自分を受け入れようが受け入れまいが、自分は自分だ。
自分が自分であることを諦めようが諦めまいが、自分は自分だ。
自分は自分だろうが自分は自分でなかろうが、自分は自分だ。
自分を認めるというのは、自分を認めるということだ。
結論めいたものは特に無いんだけど、その、あれだ、自分を認めてみてはどうっすか。
なにも変わらんけど。解決しないけど。苦しみは減らないけど。幸せにはなれないけど。
でも、まあ、自分を認めてないために苦しんでいる人は少しは楽になれるかもしれないね。
最後にもう一度、自分を認めるために必要なステップ。
[0] 自分を認める。
以上。お終い。さいなら。よい人生を。
勇者その後。
勇者を派遣した為政者からすれば、魔王の脅威はなくなったものの、
世界の存亡をかけた戦いに勝利した上、さらに魔王をしのぐほどの脅威的な力を持っているわけで。
この手の問いかけって割と他でも見られるよね。
DQをベースにした漫画『ダイの大冒険』の終盤でも取り上げられてたテーマ。
あの漫画では強大な力を手にしたダイが、人間から疎まれるということを示唆されたとき
「それでも俺は魔王を倒して、この大地を去る」という結論を出してたけど。
なんたる滅私奉公…全俺が泣いた。
しかしあまりにも強い力を持った個人は本人の意思に関わらずナンバー2に甘んじることは出来ないんだろうな。
ヲタの集まるそのコミュニティの規模は比較的大きく、参加者は約37000。
そこにあるトピック(2ちゃんねるで言うところのスレ)が立った。
無断転載万歳を地で行こうとしたもの。
次々に画像が貼られていく。
放映された画像からキャプチャしたもの。
絵師がサイトで公開したもの。
しかも2ちゃんねると違い、mixiの画像投稿機能を利用した直接掲載。
明らかな無法地帯と化しつつあった。
そんな中、数名の人間が声を上げる。
「TVキャプとかはマズい、版権元がOK出してる画像だけにしとけ」
「二次創作作品にも著作権はあるし、版権元に許可を取って掲載してるものを転載するなんて」
それに対する返答は予想通り。
「また著作権か」
「人が楽しんでるところにごちゃごちゃと」
「ここで正当な事を言うのなら他のコミュでも言ってよ、じゃなきゃ納得できない」
参加者は18歳以上のはずであるにもかかわらず、並ぶ幼稚な論理。
中にはその画像に対して馬鹿にするコメントをつける者までいた。
それを知った絵師達は激怒する。
mixiの運営に警告を兼ねた要望文書を送るという事態にまで発展した。
それを無視する行為、あまつさえ作品を嘲笑する行為を見過ごすつもりはない。
コミュニティないし、該当のトピックの削除、及び該当ユーザーの処分を求める。
それがされないようならば、二次創作作家による集団訴訟の構えもある。」
そして本日(24日)、mixiの「ご利用上の注意(よくある質問)」の著作権の項目が追加、更新された。
次は誰がどう動くのか。
夜が明けて25日。
警告文を送付した絵師に届いた運営からの回答が公開された。
「どの画像が該当するものなのか分からない。
対象となる画像とあわせて、それが他者が権利を所有するという証拠、
早急に対応する。」
いつもどおりの対応でもあり、当然の流れ。
現在の絵師達の動きは不明だが、25日中に連絡するという。
転載画像が投下し続けられていたトピックは完全に鳴りを潜めている。
議論が続けられているトピック内では転載推進派が説得、もしくは駆逐された。
最初に声を上げた者や二次創作を行っている者などを中心として、落としどころを模索中。
周囲は「沈黙による同意」を別の場所(とある板のとあるスレ)で表明するなどし、結論を待っている。
規約の追加修正も大々的にアナウンスはされず、ひっそりと「UP」という画像がついただけ。
中を見ても何が変更となったのかも分かり辛い。
広く知られたら怒涛の如く通報がされる事になるだろう。
絵師達に鬱積していた不満は、恐らく深い。
26日。
昨晩、モヒカンと呼ぶには少々異常性の高いユーザーからツッコミが入った。
「ご利用上の注意」に変更はなく、著作権関連の記述の掲載時期は今回の事態を受けてのことではないという。
しかし、人によっては変更された(注意事項にNEWマークがついている)という者もおり、正確なところは現在も不明。
裏を取らずに動き、煽るような発言があった、場を混乱させたとしてメインキャストの一人が自主退場。
しかし、今までとなんら問題点が変わった訳ではないので残っ者で話が続けられている。
画像を転載していた者の中には後悔している者もいるようだが、謝罪などは一切ない。
その知り合いらしき者が「反省しているようだから責めないでやってくれ」と代弁。
ここでこうやって晒されている事は既にそれなりの範囲で知られているらしい。
それが怖いのだというのが理由。
大勢の人の目のあるところで謝罪できればそれだけでも誠意が見せられるはずなのに、自己保身に走った。
元転載派はやはりどうやったところで自分を中心にしか考えていないようだ。
26日追記。
ソースは不明だが、mixiの運営がこのコミュニティの件を見て嘲笑っているという情報が投下された。
27日??29日
安定してきたのか飽きてきたのか、収束の方向へ。
絵師達の要請により、該当の転載画像などは全て消去され、運用トピックが立つに至った。
現時点が落としどころとなるであろう事が予想される。
定義1:非モテとは、他者からの肯定を殆ど得たことのない存在である。
(反論あるかもだけど、この記事内のみの定義と見て下さい)
定義1から、非モテが無精であることが結論される。彼らは肯定されたことがないために、自己を演出することのメリットを見出し得ずに育ってしまった。或いは見出し得なかったからこそ肯定されなかった。いずれにせよ肯定されることのない非モテにとっては演出は重荷と見えるであろう。彼らはそれを、自らには背負うことの出来ぬ重荷として、疲れた眼差しで呆然と見つめることしか出来ぬであろう。
定義2から、非モテが無精であり続けることが結論される。演出による肯定は可能であるかもしれないが、それでは彼らには意味がない。騙して肯定され、正体を見せたら否定されるなどということは、彼らにはきっと耐えられない。故に彼らはありのまま、無精であり続けるだろう。彼らはそれによってありのままの自己を受け入れる他者を、殆ど絶望しているとはいえ心の奥底では求めてもいるのであるが、しかし一般的に、人は演出に魅了され、魅了されたが故に素顔を肯定する。演出無き者は魅了せぬ故に、肯定もされ得ない。
「ちょっと聞いた」程度で十把一絡げの結論を出すのもどんだけって件はまあ置いといて。
具体的に何をどう聞いたのかには興味があるな。
まさか
とかじゃないだろうね。
http://anond.hatelabo.jp/20070722053313
今回だけじゃなくて、これまでの事が積もり積もって、相手の堪忍袋の緒が切れたんじゃない?
もし本当に「今回だけ」だとしたら、他の人の分まで積もり積もって……かもしれない。
時間のある時に時々教えるのはうれしいけど、(他の人の分も含めて)あんまり頻繁だったり、しつこかったりすると嫌になるもの。
たとえば
こういう人に出会うと、「もう、いい加減にしてよ、あたしはあなたのママじゃないのよ」って言いたくなるもの。
もしあんたが苦労しないで簡単に結論だけ欲しいのなら、よし決まった。あんたが映画や推理小説を見ようとしたら、その前に結末をしゃべっちゃうぞ。そういうのがいいんでしょ?
……というのは冗談としても、企業がお金払ってでもパソコンの面倒をみて欲しいというサポート技術者でさえ、かなり人材不足だというのに、名もない一個人のあなたに付き合ってくれる、それもタダで!?もう信じられません。そんなに気前よい人がいるんですか。その人は「神」なので、機嫌を損ねないように大事に大事になさい。
参考
一発で生涯の伴侶を見つけることはできないし、数打ったからといって、見つかるわけでもない。人生における結婚適齢期というわずかな時間の中で一人一人をじっくり選ぶことは、「理想の相手を探す」という観点で言えば現実的でない。かといって、お見合いは嫌だし、出会い系に登録するのもなんか嫌。二、三股かけて回りから白い目で見られるのも嫌。
とか言ってると「運命の出会いでも求めてるのかwwwプギャーwww」となって、何だかなあ。で、結局、恋愛はハイリスクで危険なギャンブルと化していく。
ただし、慣れ、惰性、妥協、支配などによるカスタマイズを後からかける(or かけられる)ことがあるので、多少、相性が悪くても何とかなるパターンがあるような気がする。そういう意味で、相手探しの段階で多少のはずれを引いても救いはある。
もちろん、例外もあって、最初から相手に寄生することを目的に近寄ってくる893系の人間も存在するため、「一目見たときから貴方のことが」見たいな展開は絶対さけるべき。そもそも公衆の場で数年つき合ったくらいで相手の本性は分からないというのもあり、相手選びは慎重に慎重を重ねないと、あとあと周囲をまきこんで不幸になる。
この増田です。ご丁寧にどうも。でも通じてなかったみたいなんで、ちょっと補足させて。
そもそも発端は元の話の男にとってレイプに相当するものはガチムチのゲイって部分なんだけど、これ、自分もモヤモヤしてた。ガチムチのゲイに失礼だよねと思って。でもこの喩えがもっともだと思う部分もあって、ひとつは元増田が書いてた肉体的に敵わない相手からの行為ってことだけど、それすらも決定打じゃないよなと思ってて。ゲイの喩えのキモはやっぱ、突っ込まれる立場になるってことじゃね?と思って書いたのが、
で、返事のこの部分
を読んでつくづく思ったんだけど。強姦の要件=性行為の成立としてとらえて、女への性行為の強制も男への性行為の強制も同じに扱うべきという観点からは全くその通りだけど、同時に、行為の暴力性(という表現が適切か分かんないけど、とりあえず)としては、この2つが同じなんて全く納得いかないわけよ。ペニスが温かいものに包まれるなんてのは、突っ込まれるのに比べたら全然なまぬるい(洒落ではない)。そこんとこが全然伝わらないんだなあ、と。
男から見たら、どっちも一緒なんだろか。それは(男が女になれない以上)仕方ないんだろか。まあ、逆を考えると、ペニス持ってない女には、自分のペニスが意図に反して温かいものに包まれる不快感がいかほどかなんて分かんないんだけどね。そのせいで過小評価してる可能性は否定しないけど。けど。。。。おっぱいをもまれたとか、外性器を弄られたくらいじゃないかなあ、と思うわけよ。それだって嫌だけど、でも、それくらいの嫌さじゃないの?突っ込まれるのと同等なの?ホントに?
あんま男女の非対称性みたいな話は好きじゃないんだけどさ。セックスは非対称だ。たとえ好きな相手と充分な合意のうえでしたとしても、暴力性は無くならない(だから、そんな行為を許すって特別だよ的な。他の人だったら暴力であるような行為が、ある人となら暴力にならないってすごいことなんだよ的な。そんな逆説的な関係。セックスと暴力って)。性犯罪が女にだけ厚くなってるのはこのせいじゃないか。
でも、その説明だと、女性器だけでなく、尻の穴に突っ込んでも強姦罪が成立するとはなっていないのはおかしい、立法の不備だ、という結論につながるよね。
尻の穴に突っ込む行為が性行為であると広く合意のある社会であれば、強姦罪になるのが妥当と思うけど、たぶんまだ違うだろね。それに制度ってのは後付けで出来るもんだから。尻の穴に突っ込む犯罪が多発して、それが傷害罪で処理し切れない事情を持つと認定されたら、そういう制度になるだろうけど、それまではそうならないんじゃない?で、現実問題としてそういう犯罪が多発するか(かつ立件されるか)って言ったら当分はならないと思うので、潜在的(原則的)にはなってもおかしくないけど、現実問題としてはならないというのが今のとこの答えです。
あと話を振られたので答えてみたけど、ここで書いたのは、女にとっての強姦の恐怖は、男にとってどんなものに相当するかって話なので、犯罪の定義とは別の話ね。そっちの話をするなら、妊娠という要素が大きいと思う。
お返事ありがとう。
ただその喩えで言うなら、単にガチムチの女ってだけではなく、ペニバン付けたガチムチの女に突っ込まれるとこまで限定しないと意味ないと思う。
ペニパンは要らないと思う。男を拘束して裸になるなりして、ペニスをしごいて勃起させたうえで、合体すればよいのでは。ペニスが立つか立たないかは女性が美人か否か、などにも関わってくるけど。
逆レイプが起こりえない関係は、レイプも起こりえない関係である、といえるはず。
ここで、女性は男性に逆レイプはできない、なぜなら男性は女性が綺麗でないとペニスが立たず、女性は男性のペニスが立ってくれないとセックスできないからだ、という論法(いわゆる「こんな女じゃ勃たねえよ」論)というのもまた問題のある論法だと思う。
なぜなら、ペニスが立った場合は強制じゃない、という結論につながりかねないから。それは、通常のレイプに対する弁解として、女性器が濡れていたから強姦ではなくて和姦だ、と言っているのと変わらない。
でも、その説明だと、女性器だけでなく、尻の穴に突っ込んでも強姦罪が成立するとはなっていないのはおかしい、立法の不備だ、という結論につながるよね。どう思う?
Adobe CS3を入れた。こりゃ駄目だと思った。
自称ロサンゼルスのデザイナーみたいにタダのソフトがあるからアカンワとかお母ちゃん並みのことを言いたいのではない。
PhotoshopもIllustratorもまあ、いい具合に仕上がってる。
プロのツールだからマウスでポイント引っ張って操作する所の挙動のチューニングなどはとてもありがたい。地味だがそれだけに金を払える。アフィ乞食がブログで伝聞と嘘を書くだけと違って1日1万回以上のクリック、3km以上のマウス移動をするのだ。それぞれのストレス軽減は「金になる」。
マーケティング的に必要なのかもしれないが機能の増加は金額に見合うかどうかわからない。工数はかかってるんだろう。でも要らないよ。それよりバグとってよ。
まあ、そんなアップグレードのシーンは日常であるのでいいのだが、最大の問題はやはりMacromedia製品とAdobe製品の統合である。
結論から言えば「統合」できなかったらしい。ユーザー数の多寡という小学生並みの多数決原理でバッティングするソフトがあるものは生き残り、あるものは消え去る予定のようだ。
名前のどちらかが消えるごときはいいのだが、せっかくの合併なのになぜパッケージのみならず違うチームの資産たるコンセプトやアイデアまで捨ててしまうのだろう。
キャッシュフローしか見てないマネージャーには分からないかもしれないが、あれだけ肩身が狭くともGoLiveを使ったのには理由があるからなのだ。Photoshopのおまけ扱いでもImageReadyの機能がワークローに既に組み込まれてそこにあるんだ。そういうリアリズムは商売人なら門外漢でも分かったもんだが、すでに椅子に座ってるのはサラリマンでしかないということだろうか。
どっちか残すなんて合併などせずとも元の両社がそのカテゴリから撤退すれば済んだことではないか。それで社会資本的にもロスが減る。でもそれだけだ。アドビのマネージャーたちが合理化と称するのはサルにでもできる椅子とりゲームでしかなかったわけだ。
10年以上前、ソフトウェアの会社からはコンピューターはこう使うんだぜと凄いディレクターと天才プログラマーが一緒になって俺たちにその知的再生産のための魔法を変な匂いのマニュアルとあっけにとられるフロッピーの束とともに売りつけてくれていた。
今は何も知らない能無しのスーツが目の前で札束を数えながら預かった畑を掘り返し、アスファルトで舗装している。
もうそこには二度となんの果実も実らないのだ。クソボケが。
他人に「うざい」と感じられたことを、本人がどう捉えるか
自分の中で帰結していたら何も変わらないじゃない。相手不在のまま導き出される前向きな結論は「気にしない」=「関わらない」だけしかない。
だが、社会というものは、それでも互いに関わりあわないとやっていけないのだ。うまく関わりあうためには、理解しあう、理解されるように説明することが必要になってくる。
元増田です。愚痴だったので叩かれるのがヲチかと思ってたら面白い反応続々w
聞いてくださってありがとうございます!
http://anond.hatelabo.jp/20070719173814
http://anond.hatelabo.jp/20070719170826
減乳手術ですか!あーそれはいいですね。ものすごくいいですね。周りと相談してみます。
あと私は今丁度Gですw
http://anond.hatelabo.jp/20070719153846
http://anond.hatelabo.jp/20070719165017
同一人物の方ですかね……?お気持ちは分からなくもないです。
テスト前で修羅場ってる友人はいつも以上にかわいく見えたりするとか、そういう類で。
http://anond.hatelabo.jp/20070719162506
実際のところ、貧乳の定義ってよく分からないんですよね。Cが平均的なのでしょうか?
http://anond.hatelabo.jp/20070719153114のお言葉に甘えて女子高時代のエピソードをいくつか……。
・そもそも小さくない(CとかDとか)の友達にさえうらやましがられる。
・本気で肩が凝ると訴えるとB以下の子に本気で口を聞いてもらえなくなる。
・そのうち触られるようになる。
・あと「ブラのサイズあってないんじゃないの?」と毎日のように云われる。
・そして誕生日に下着屋に連れて行かれその場で試着させられプレゼントされる。
・あだ名が「ホルス」。勿論あの牛の種類の略だ!
・今はまだいいけどおばあちゃんになったらどうなるんだろうこれ……。
・結論:女子高に娘を入れるのだけは止めておいたほうがいい。