はてなキーワード: 書店員とは
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・もしドラ作者「エースの系譜」文章
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リアル周辺によりますと本人のはてな出没は実験的な釣り場として半分本気半分ネタと割り切ってやっておられるということでありまして
エロゲスレだと、大体看板作品が、キレイにランク順に並べられていて、
とりあえずこれ進めておけば安心、という定番がある
そんなランクは寡聞にして知らないし、そもそもそんなものが作れるとは考えにくい。
例えばランスとFateとAirと家族計画と妻みぐいを同じテーブルにおいて並べてるリストを見て
「これ勧めておけば安心」なんて思うエロゲオタはいないと思う。
そんなもん君の好きな作品を勧めれば良いだけの話だろう。
タイトルを「女の子がよく読む男向けラノベ」(但し下記作品を除く)にしたほうがよかったかも。
アンチラノベが集まることで有名な某ゲハブログから適当に引っ張ってきた。
彼らが口をそろえて批判するのはこういう作品らしい。
・はがない(文章がありえないらしい)
・舞城王太郎の作品(ラノベなのかどうかわからんが文章に癖があるらしい)
看板作品が初心者お断りで、裾野を広げるどころか、裾野にアンチを群生させているというのは興味深い。どうしてこうなっているのだろう。
ラノベなるものに少し理解を示してみようということで深く考えずに人気作を手にとってみた結果、痛い目に遭ってしまうというのは少し問題があるような気がする。
エロゲスレだと、大体看板作品が、キレイにランク順に並べられていて、
とりあえずこれ進めておけば安心、という定番があるのと比べるとなんだか変な感じだ。
まぁエロゲにおいても、定番作品は2004年~2006年あたりに一番多く、それ以降は微妙な作品が多いらしい。
ラノベも昔の作品には定番があるようなので、細分化とかニッチ化とかしすぎて
今カンバンとなれるような作品や作家がいないだけ、ということなのだろうか。
その割には全体の売上は2008年以降も伸び続けているのがエロゲ業界と違うようだしよくわからん。
ところで、私はいまラノベ初挑戦の女の子(大学二年)にすすめる作品を選ばないといけないのだが
何をお勧めしたらいいのだろうか。「もしドラ」の書店員みたいな神アドバイスを期待する。
実は対して読んでないくせに、知ったかぶってしまってオススメチョイスをすることになってしまった。
分かってる。後で書きます。
ただ、一応この記事の趣旨として「看板作品」を知りたいというのもあるので、
まず個別事例抜きにして、女の子にすすめるとしたらまずこれかなーってのがあれば知りたい。
長くなったので、先に結論だけ書いておきます。
もしドラには2つテーマ性を感じた。(作者的にはもっとあるのだろうけれど力を感じたのはこの2つだけ)
・人間の出会いや出発点を描く、という意味では素晴らしい作品だと思う。
・社会からズレてしまっているor適応する振りをして生きている人の生きづらさとその解放を描く、という意味では中途半端。もったいない。
というわけで、「小説の読み方の教科書」の次に「もしドラ」の感想を書こうかと思ったけど、
この不思議な「小説」については、単体で語りにくいので、「少女不十分」という「小説」を補助線として使わせてもらいたいと思う。
ちなみに、西尾維新の作品を読んでない人にはわけわからん話ですがご了承ください。
◆ものすごく読みたくなる西尾維新「少女不十分」感想文 http://zeark969.blog38.fc2.com/?no=2968
私はこの感想読んで、少女不十分よりもむしろむしろ「もしドラ」を読み返したくなった。
(というか少女不十分の内容としては不適切だと思っている。少女不十分は「難民探偵(白)」のようなものなので、こっちも読んで見るよろし)
はてなベテランが小説家としては新人として「少女不十分」を書いた結果がもしドラなんじゃなかろうか、と。
僕は本作以外に西尾作品を知らないが、西尾維新の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
西尾維新にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての西尾維新の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
西尾維新はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
少女不十分が新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
西尾維新という安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。
そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど
数々の言葉遊びを仕掛け、自分の小説を支えてくれたファンに精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
そこに筋の通ったストーリーなど必要ないことに。
これこそ本作が絶対的に小説でなければならない理由だ。
↓
僕は本作以外に岩崎作品を知らないが、岩崎夏海の作品がいくつも映像化されていることくらいは知っている。
つまり、できるのだ。
岩崎夏海にだって、シンプルな文章と無理のない展開でベストセラーとなり、映画化されるレベルのものを仕上げるのは容易なはずなのだ。
ではなぜそうしなかったのか?
それはこの作品が小説家を目指していたかつての岩崎夏海の半自伝的内容であることを思えばすぐに答えは出てくる。
もしかしたら今よりも小説に対して真摯だったかもしれない時代の話。
岩崎夏海はこの作品を絶対的に小説としてだけ存在させたかったに違いない。
間違ってもいつものように高く評価され、メディアミックスされないために、あえて未熟な箇所を多く設置したのだ。
もしドラが新人の作品だとしたら、おそらく三ページも読まれない内に棚に戻されてしまうだろう。
ハックルという安心のブランドがあるから、読者は多少の違和感は覚えつつも読み進めてくれるのだ。そして気づく。
普通に書けば一行で済む文章に、比喩、暗喩、掛詞、反語、反復、倒置法、隙あらば韻を踏もうとするなど数々の言葉遊びを仕掛け、
自分の自尊心を支えてくれたはてな村住民に精一杯「活字」で恩返しをしてくれていることに。
少女不十分に対する批判と、もしドラに対する批判って、文章力「以外」ではほとんど同じだと思う。
ご都合主義だとか、作者の自慢だとか、作者のこと自体が気に入らないとか、これが本当だったら俺の人生は何なんだ、とか色々。
テーマも似てると思う。
少女不十分の少女はみなみであるし、少女不十分の主人公は岩崎夏海であり、
あるいは、少女不十分の少女は岩崎夏海であり、少女不十分の主人公はドラッカーである。
(この「混在」のせいで、読者からすると「ドラッカー」の価値がわかりにくいを通り越してドラッカーなめてるような小説に見えるのはご愛嬌。)
そういえば、岩崎夏海がめずらしく西尾維新の化物語をほめていたのが結構印象的だった。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111006/1317885951
しかし読めばわかるが、彼はその褒め方について化物語の面白さを全然語れていないと思う。的外れもいいところだと思う。
多分、それはもっと本質的な部分で感動させられたのだろうけれど、猫物語(白)の羽川翼のように、
化物語が自分の本質を付いているということを、それにゆさぶられることによって見えた自分の核の部分を見つめることを避けたのかも知れない。
彼はジョブズについても的はずれな分析とか論評を書いているが、
意外とブログに書いているとぜんぜん違う部分で本当にジョブズに救われたような部分があるのではないか?
彼が的はずれなことを書いている記事ほど、彼がその対象に本当に揺さぶられてるんじゃないかとおもう。
この人は結構こういう「出会い」の体験を何度もしている人なんじゃないだろうか。
ぎりぎりの所でなにかと出会って救われたり、出会いが自分を飛躍的に変化させる、ということを、体験から、理屈を越えたレベルで信じているのだと思う。
(この部分に思いを馳せないと、この作品には、つながりとして「?」を感じてしまうことになると思う。)
ブログを読んでいても、この人は「真の教師」を求め、自分も誰かにとってのそれでありたいんだろうな、という点はよく伝わる。
もしドラの成功後は、デュルケムの言うところのアノミー的自殺に対抗するためだろうかその傾向を加速している印象だ。(あまりにも空回りしている印象があるが)
「もしドラ」も、正直ドラッカーについてすべてを理解できているようには感じなかった。
ただ、その必要はないんだ、と思う。それは学者の仕事で会って読者の仕事ではない。
むしろ化物語のヒロインが阿良々木暦に出会うことで、生まれ変わりを果たすように、
みなみもドラッカーにコミットしていく過程で自分をみつめ、劇的に変化する。その部分が大事なんだと思う。
経営学者としてでもなく、社会生態学者としてでもなく、一人の人物としてドラッカーに出会い、
そこから何でもいいから自分の物語に必要な何かを学び取り、自分を自分で救い、クソッタレた世界の中で生きていく。
そういう「一人の人間の、出発までの話」を書こうとした部分はすごいと思う。
私はそういう意味で、この本は「ドラッカー入門書」という言葉は正しいと思う。まぁドラッカーに限らずの「出会い入門書」と言いたい。
先に感想を書いた「小説の読み方の教科書」は少し茶化したような書き方をしたけれど、もしドラは本当に「小説との出会い方の教科書」と読んでもいいと思う。
(もちろんもしドラは「出会い方」しか教えてくれないので、その後の「斬り結ぶ」方法や「深める」方法などは別の書物を参考にするべきだが)
「成長ではなくて出会いを描く物語」「劇的な結末ではなくて出発点を描く物語」「恋愛や友情以外でも人を変える出会いはある点を語った話」という点に絞ってみれば、この作品はかなり素晴らしい作品だと思う。(逆に前者側の評価指標で見るとすごい低評価になる)
作者がもしドラで成功した後すぐ別のところに興味が移ってしまうあたりを見ると(的はずれなことも多いけれど)
おそらくこの人はそういう「出会い」や「出発」を求めてやまないタイプなのではないかと思う。
正直アニメでもなんでも、ありきたりな結末には飽き飽きしているので、むしろこういう「強烈な出会い」や「強い動機の出発点」を描ける点を大事にしてほしいなと思う。
時代的にも、大人が語る将来や成功といったものにはネガティブなイメージがつきまとう。
今大事なのは、そういうつまらないゴールを目指してごちゃごちゃやる話とか、決断主義もののような、義務感で戦うみたいな話じゃないと思う。
ゴールはよく分からなくても、スタートせずにはいられないような強烈な出会いを描くことなんじゃないかと思う。
大人が読んだら無責任で、危険な話かもしれなくても、まずワクワクさせられるスタートをこそ、読みたいと思う。
ここまでわかってた上で、要するに結末部分はおまけだ、というのはわかっていても、まぁラストはひどい。笑えない。
あれは物語をカスにする要素であったと思う。蛇足どころの話ではない。この結びによって、この話そのものが茶番になっている。あまりにも若者を馬鹿にしている。
出版社がダイヤモンド社でなければこの部分は書かなかったのではないかと今でも信じたい。
もちろん、作家としては新人の彼が、出版社の意向を無視して好きな様に書けるわけではなかっただろう点は承知している。
だから、この作品については特に序盤については高く評価しつつも、次回作以降の期待を込めて全体としては低い評価を付けたいと思う。
そういうわけで、私は序盤と中盤以降で、別の作品とまでは言わないが、作者の本質は序盤にあると思っているため、
作者がその「結末」を持って、「序盤」部分の書店員の行動を正当化したあれは、全く理解できなかった。 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
作者自身が、序盤と結末をつないでしまうこの感覺が私には今でも理解出来ない。どういうつもりなんだろうか・・・。
結論 うまくここに接続出来なかったのでやや唐突ですがご了承ください
良くも悪くも40歳のこれはオッサンでないと書けない、40歳のオッサンの感性で書かれた話だと思う。
この作品を理解する上でドラッカーの知識は全く必要ないが、ある程度の人生経験というか前提を共有できることは必須だと思われる。
「少女不十分」が、西尾作品を読んだ人でないとほんとうの意味で感動出来ないように
(彼の10年の積み重ねや作品傾向を知らないと、作品の芯の部分に心から共感できず、ただのお話に読めてしまうのと同様に)
次はfateかPersona4の話をしたいと思います。zeroじゃなくてstay/nightの話ね。
本当はもしドラのもう一つのテーマであろう「生き辛さ」について書きたかったのだけれど、
正直もしドラはコレについて十分に描き切れた作品だとは到底言いがたいので、それはPersona4とfate stay/nightにまかせる。
http://anond.hatelabo.jp/20111005092209
直木賞、芥川賞、本屋大賞など。文学賞を創設してこれというものを選んで授賞する。本屋大賞なんか一番わかりやすくて「書店員が一番売りたい本」を選んで授賞してるんだよね。ある意味で一番効果的なプロモーション。上に上げた3賞以外ではノーベル文学賞が有効。世界的大家でも日本では無名な作家が一気に売れるようになる。
普段本なんか読まない賞にとって、これも有効なプロモーション。俳優陣は勿論、脚本家や監督も実績のある人を採用すれば効果的。観客動員や視聴率のために原作からの改変なんて当たり前だけど(中年男の主人公が若い女性になったり、殺人の動機が単純になったり)、それでも原作が売れるようになる。ただしやり方を間違えると元からの原作ファンが立腹する可能性あり。ラノベのアニメ化もこれに含まれる。
「小節は読まないけどビジネス書は読む」「雑誌や新聞は読む」という人には有効。「もしドラ!」「チーズはどこへ消えた」「GOAL」など。ただ、これ「小説を売る」じゃなくて「書籍というパッケージを売る」というものだけど。難点はブームが去ればあっという間に著者が一発屋化すること。
ここ数年の流行。夏目漱石や太宰治に小畑健の絵をつけたり、サリンジャーやチャンドラーを村上春樹訳で発売したり。これもやり過ぎると陳腐化する。
去年辺りまで流行ってた。小説と言うよりもタレント本といったほうがいいのかもしれない。ただあれだけ話題になった劇団ひとりが2作目は全然売れてないし、水嶋ヒロも2作目が出る気配がない。その後も作家として活動しているのは辻仁成(辻はブーム前に出てきたけど)、川上未映子など少数。
いきなり「真の教育」とか言い出したから今度はなんの宣伝をしたいんだろうと思っていたら、
今週のスーパージャンプでは、例の書店員「奥沢桃」さんが再登場し、大学の講義でマネジメントの授業を受ける光景が描かれているぞ。
どうやらコレについてちょっと自慢がしたかったようだ。
で、内容の詳細は読んでのお楽しみとして・・・ひとことで言うと白熱教室全否定。
教師と生徒との対話?何言ってるの?
いちいち理由なんて説明せずに「これはこうなってるんです」でいいんだよ、
そして相変わらずコードギアスにでもかかってるんじゃないかと思うくらいその教授にやたらと従順な女子大生奥沢桃。
さすがハックルさん、俺達にデキないことを平然とやってのける。
そこにしびれる憧れるゥッ!
スーパージャンプは次の号で廃刊となり、グランドジャンプに統合されてしまう。(それに合わせて、ついにあの「ゼロ」が連載終了になるぞ)
http://anond.hatelabo.jp/20110908120009
これだけ読んだらそれほど非のある親には読めない。
たぶん実際には文章からうける印象よりもっと辛かったのだと思う。
それにたいしてあなたが反論した時の親の取り付く島のなさとか、そういう所が
そのあたりをもう少し掘り起こして具体化し、整理してみると
「ああ、こういう所が許せなかったんだ」という感じで自分の過去と向き合えると思う。
やるなら、徹底してやろう。増田なら、おもったこと全部書いても大丈夫だ。
親を許すとか考える必要はない。
不可能なことを求め続けるとイツマデタッテモ苦しいぞ。
そうではなくて、親に感じていた恐怖とか怒りと向き合おう。具体的にどのような傷を受けたか診断しよう。
「自分はこんなに傷ついていたんだ」「自分はこんなに怒ってたんだ」っていうのを確認しよう。
それを仕方が無いこととして受け入れれば、今の自分を少しは受け入れられる。そこからようやく先にすすめる。
私の友達だと、昔のつらい体験を自虐ネタとして飲み会で披露できるくらいまで回復した奴がいるが、
それも、真剣に自分の過去のつらい思い出と向き合ったからだとおもってる。
しんどいと思うけど頑張ってみないか? 普通の人にはススメないけどここまで書いたあなただから少し応援したい。
今はセルフヘルプで、そういう親との過去の向き合い方についての本がいっぱいある。
一度書店員に聞いてみるといい。
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「~のため」と利他のふりをした願いを口にしても、それで自分が快を得られるのならば、それは利他ではなく利己です。
その構造については、利他を願っているようでありながら利己的であった「善女のパン」がとても分かりやすいです。
余計な事を願って、無自覚なまま人を不幸に陥れた「善女のパン」
「善女のパン」は、独身で店を切り盛りする中年女性のパン屋に、貧しい身なりの画学生らしい人が黒パンを買いにくるところから物語が始まります。
みすぼらしい身なりのその男が黒パンを買い続ける姿を見て、パン屋の独身女店主はその男が苦しい生活をしのぐために、日々黒パンで糊口をしのいでいると勝手に思いこみました。
そして黒パンを買い続ける彼の為に、女店主はこっそりと黒パンの中にバターを仕込みました。
そのバターを仕込む行為のさなか、女店主はみすぼらしい男が女店主に感謝を示し、男と仲良くなる未来を夢想しました。
その夢想は、そのみすぼらしい男が血相を変えて店に怒鳴り込んでくるまで続きました。
言葉にならない怒りをたたきつけられた女店主は、怒り続ける男に付き添ってきたもう一人の男にやんわりと事情を話されました。
「あの男は同じ製図会社で働く同僚で、彼は今度の製図コンテストに申し込んでいたんだ。その彼が製図の消しゴムに黒パンを使っていたんだ。あとはわかるね?」
その後、女店主は黒パンを買いに来続けた男に向けて行っていた化粧をやめ、もとの生活に戻っていきました。
読まずにハックルさんを批判することは許さん。読んだ上で、この記述でハックルさんが言うような読みが可能であるかどうかを判断するべし。
私自身としては、みなみが変な子であることは認めるが、小説版の書店員さんの行為にはそれほどの過失がない、と擁護したい。
おそらく普通の人は、他に野球部にマネージャーというものがいれば、まずその人に聞いただろう。
しかし、なぜか彼女は目の前のマネージャーの活動を観察したり、彼女に質問したりするより本を読むことにした。
彼女が目の前の現実よりも本に書いてあることや理論、自分の頭のなかにある理想を重視する人物で有ることがよくわかる一文である。
ようするにみなみはちょっと変わった子なのだ。
そこで、家にあった広辞苑を引いてみた。すると、そこにはこうあった。
マネージャー【manager】 支配人。経営者。管理人。監督。
また、すぐ隣にはこんな言葉も載っていた。
これを読んで、みなみは「マネージャー」というものを「管理や経営をする人---つまりマネージメントをする人」だと理解した。
この時点で、みなみは「管理や経営をすること」だということを受け入れていることに注目。
普通ならここで、あれ「野球のマネージャーは?」とか「管理や経営ってどういうこと?野球と関係ないんじゃないの?」って思うかもしれないが、
彼女はなぜかこれだけ読んで「管理や経営をする人になろう」と納得できてしまうのだ。そういう子なんです。
で、肝心のシーン。
次に、今度は近所の大型書店に出かけていった。
そう、みなみはこういう聞き方をしたのだ。
なぜ彼女が野球部のマネージャをやってるんだ、とか甲子園に連れていきたいんだ、とか言わなかったかはわからない。
でも、書店員がこの質問に対してべつにプロのビビッとした感覚がなくても「マネジメント」を手渡すことにそれほど違和感はないだろう。
余計な説明はいらないところだ。別にハックルさんがマンガ版でやったように空想を働かせてもいいけども。
するとその若い女性店員は、一旦店の奥に引っ込むと、すぐに一冊の本を手にして戻ってきた。
「これなんかいかがでしょうか? これは『マネジャー』あるいは『マネジメント』について書かれた本の中で、最も有名なものです。世界で一番読まれた本ですね。
もう三十年以上も前に書かれたものなんですけど、今でも売れ続けているロングセラーです。これはその要点を抜き出した『エッセンシャル版』です。
何も聞かずに「マネジメント」の本を手渡すのは、ありだと思う。
だが、それはここでgdgdと説明することとの整合性が悪い。
ハックルさんがいうようにビビっと来たと主張するのなら余計な説明なしに「コレがいいと思います」でよかったはずだ。
こんだけ長々と説明するくらいなら、その前にもうちょっと相手の話を聞いても良かったはずだとやねうらおさんが思うのはむしろ自然な反応だと私は思うね。
(まあこう言えば、「書店員さんはビビッと来て何が何でもみなみに読んでもらおうと努力したのだ。それがプロの店員というものだ」とか返すんだろうけど。
もしそう返すなら、みなみは真剣味が足りなかったんですかって返したい。なんで自分の状況をもっとちゃんと伝えようとしないんですかってね。)
そこでみなみは、その本を手にとって見てみた。タイトルにはそのものズバリ「マネジメント」とあった。
著者はピーター・F・ドラッカーで、編訳者は上田惇生、出版社はダイヤモンド社となっていた。
そうして彼女は、中身も見ずにその本を買い求めた。値段は二千百円と少し高かったものの、世界で一番読まれた本というのが気に入った。
それに、あれこれ考えてもしょうがない---という思いもあった。
本を買ったみなみは、家に帰ると早速それを読み始めた。
繰り返しになるが、みなみはあまり深く考えない子、自分の思い込みで突っ走って周りを巻き込む子として描かれている。
その思い込みが間違っていても、痛い目を見ないとわからない子なのだ。
だから「なぜ中身も見ずに買ったのか」とか突っ込んではいけない。
ここでハックルさんが「みなみは運命を感じたんだ」とか色々説明したがるかもしれないが、読者としては「ああ、この子はアホの子なんだな」程度の認識で構わない。
そのほうがこの作品を楽しめる。 というかなんでも「経験とか勘とか運命」とかで説明てんじゃねーよハゲ。それは説明になってねーんだよ。
それでも、すぐに気持ちを切り替え、その先を読み始めた。
こういうのはよくない。
ところが、そうやって読み進めてみると、その本は意外に面白かった。
また、単に「企業経営」についてだけ書いてあるわけではないというのも次第にわかってきた。
そこには、企業を含めた「組織」の経営全般についてが書かれていた。
そして、それなら野球部にあてはまらないこともなかった。野球部も、広い意味での組織だった。
だから、組織の経営について知ることは、野球部の経営を知ることにもつながった。
それが分かって、みなみはホッとした。---この本も、全くのムダではなかったのだ
なぜみなみは「マネージャー」という単語さえ広辞苑で調べないとわからないのに
「組織」については、広辞苑を引かなくても理解できているのか。
違和感を感じるかもしれませんが、この部分は読者がちゃんと想像力を働かせてください。
そうしたことは抜きにしても、この本は面白かった。
みなみはそこに書かれていることを完全に理解できたわけではなかったが、何かとても重要な、だいじなことが書かれているというのは良くわかった。
言葉の一つひとつが、とても重く、とても貴重なものとして受け止められた。
それに魅了されたみなみは、夢中になって読み進めていった (続)
はい、参考にはなりました。ムダにはなりませんでした。
ではなぜみなみはこの本を参考にした後「野球のマネージャー」に関する本を買おうとしなかったのか。
その答えは実際に本を読んで確かめてみましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20110813113947
http://anond.hatelabo.jp/20110812203413
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・もしドラ作者「エースの系譜」文章
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http://anond.hatelabo.jp/20111230225553
http://anond.hatelabo.jp/20111226172559
http://anond.hatelabo.jp/20111209225856
http://anond.hatelabo.jp/20120208132754
http://anond.hatelabo.jp/20111205175021
リアル周辺によりますと本人のはてな出没は実験的な釣り場として半分本気半分ネタと割り切ってやっておられるということでありまして
岩崎さんの、はてなでの言及には一切耳をかさないという芸風は十分理解しているつもりだが、今回のはひどいのでちょっと文句を言っておく。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110812/1313128129
もっと大人な対応でも十分説得できたでしょう?
書店員とみなみの二人の組み合わせは偶然のものではなく、奇跡的なものであった。運命的なものであった。
結果として書店員が自分の責任で薦め、みなみも自分の責任でそれを受け取り、ちゃんと活かした。
だからこの作品はすばらしんだ。
でいいじゃないか。なぜこれを「書店員が客の話を聞かないのは正解」になるんだ。
なぜ一般的にも自分が正しいとか言っちゃうわけ?なぜコレが分からない人は常識がないとか言えちゃうの?そんなの岩崎さんじゃないよ。
「一般的にみたら問題になりうる行為かもしれないけど、この二人の間では奇跡的に良い出会いになった」でいいじゃないか。
書店員もすごい、みなみもすごい。傍から見たら変に見えるかもしれない。
でも実はこの二人すごいんだよ、だからこの話はおもしろいんだよ、って言えばいいじゃない。
まず「一般的に見たら納得しにくいかもしれない」という相手の主張を受け入れて、その上で「この二人は特別なんだよ」て返せばいいじゃない。
少なくとも、相手は納得できてないと言ってるのに、
そこで返す言葉がよりによって「分かる人にはわかる。わからないのは経験が足りないから」とか小説家としてどうなの?
それがわかる経験を積んでる人にはこの小説いらないし、わからない人には小説を読んでも無駄になる。
どうせそれは「小説を経験に変える技術」がないからだって言いたいんだろうけれど、それならなおさら「技術的に」説明しろ。
経験の有無とかで逃げてるのはそっちじゃないか。ここで逃げておいて「小説の読み方」本を出すのは許しがたい。ちゃんとここで説明しろ。
あと、ここの主張はみなみの力を低く扱っているという点で気分が良くないし、なによりこの主張は有害だ。
それは、例えて言うなら「泣いて嫌がる病気の子供に注射を打つ」ようなものなのだ。もし医者が、病気の子供を前にして、顧客(子供)が泣いているからと言って注射を打つのを拒否したら、あなたはその医師を真摯だと言うだろうか? それと同じである。書店員にとっては、みなみは注射が怖いと泣いて嫌がる子供と一緒で、彼女が何を言おうが思おうがそれは基本的には関係ない。書店員は、みなみにとって重要なことを、むしろみなみ本人よりよく知っているのだ。それゆえ、医師が子供の病気を正しく診断するかのように、みなみが『マネジメント』を欲しているということを正しく突き当てた。だから、顧客のことを考えていないなどということはなく、むしろギリギリ真剣に考えた結果、その言葉をあえて聞かなかったのだ。
ホメオパシーを権力を持って子供に強要する無知な母親と、「十分な知識もある資格を持った医師」の中間に位置する書店員が「診断」できる理由として全く使えない。
全く妥当でない喩えを出して自説の正しさを主張するのはペテン師のやることです。作家の誇りがあるならこの部分は取り消していただきたい。
その上で、書店員の子の判断が「お話の都合として結果的に正しかった」ではなくて、この時点で「プロの行動として正統である」とみなすその根拠を示しなさい。
書店員と母親を明確に区別できると主張するその根拠を「この話はフィクションだから」という説明を排して説明しなさい。
この行為とホメオパシーなどで「子供のため」に嫌がる子供に不確実な療法を強要する母親は少なくとも行為の時点ではなんの区別もない。
究極的には両者を分けるのは結果だけである。
しかも、もしドラの結果はフィクションで作者が用意したものである。
自分で用意したフィクションの結果を持って、不確実な行為の「正当性」を主張するのは論理がひっくり返っている。
それは有害以外の何者でもない。もちろん「そう判断するに足る十分な知識や経験を持っているか」によってその判断の正当性が変わる。
だから作品中で書店員の判断の「正当性」がどれほどものかと問うているのだ。
それに対して「十分に経験のある人ならこういうふうにできるもんなんです」って書店員はいつからベテランって設定になってんだよ。
それは読者に当然求められる想像ではない。合理的な解釈でもない。読者に「つじつま合わせ」を要求している。
よくそんな要求を当然のごとく読者に求められるな。読者依存だ。自分の小説を読む人がみんなマルケス読んでるとでも思ってるの?
もう一点、岩崎さんはかなり深刻な勘違いをしているようだからいっておく。
本の読者に求めるのは、自分が理解できなかったら「理解したいとも私は思わない」という態度を取るのではなく、「これを理解できるようになったら、自分の人生がもう少し豊かになるかもしれない」と考えて、「今の理解できない自分がダメなんだ。この状態を脱するために、虚心坦懐にこの本を読もう」と思ってもらうことである。そういう「自分を否定する気持ち」があって初めて、「物語で触れられていない部分」に「イマジネーション」が「働」き、「辻褄が合うように」読めるようになる。つまり、読み取れなかったものが読み取れるようになるのだ。
これを主張していいのは時の試練を経てなお支持される古典のみである。
もしドラは1年半支持されている。300万部近く売れた。それは本当にすごいことだと思う。別にそのことを否定するつもりではない。
だが、「まだ」1年半である。しきりに「もう」1年半だという主張をしているが、この主張をするには「まだ」早い。
思い上がるな、と言ってるわけじゃない。むしろあなたはこの成果を誇っていい。
でも、だからこそその基準はまだ使えないってことくらいはわかれよ。
本人が主張していらっしゃるように、普段はこんなにねちねちと他人に嫌味を繰り返すような記事を書かない人だと思っている。
論理には必ずしも賛成しないけれど、少なくとも自分ではよく考えたんだろうな、と思える文章を書いていらっしゃる。
今回は感情垂れ流しで読んでて不快な文章だった。次からはこういう文章を書かないでいただきたい。
あーもう腹立つから書いちゃう。
前から何度も何度も何度も思ってたけど、岩崎さんの文章はねちっこいよね。ねちっこい。
何度yaneuraoさんを「実生活でそういう経験のある人」と対比して否定しようとしてんの。
あなたのその粘着気質な所が心底気持ち悪い。その卑屈な性格が出ていて吐き気がする。
一回でスパッと決定的な表現を書けないからってそうやって何度も何度も繰り返すのはやめようよ。
どうしてそんなに繰り返すほど大事なことなら、もっと表現を磨こうとしないの?
どうしてそんなに繰り返すほど表現に自信がないなら、その表現をやめようとしないの?
どうしてそんなに繰り返すほど自分の正しさを信じてるなら、どうしてそんなに自己正当化めいた文章を書くの?
自分でもわかってんだろ。
自分では自分の言いたいことを表現するだけの文章力がないってことを。
他人の読解力にケチつけてる暇があったら、もっと自分の文章力磨けよ。
はっきり言うよ。
あなたの作品、構成とかテーマは悪くない。着眼点は素晴らしいと思う。これは素直に認めよう。
でも、あなたの小説家としてあまりに稚拙な文章表現が、その素晴らしい物をスッキリ受け取らせてくれない。
問題はあなたにもあるんだよ。
そのことをちょっとでいいから認めようよ。
山田悠介だって初期作品と比べたらだいぶましになった。でもあなた全く変わってない。
この先に期待できない。
使命云々を次々乗り換えていくのも結構だけど、
ただ小説を書くだけじゃなくて、人を教化していきたいなら、
もっと人をうならせる文章書けよ。こんなgdgd繰り返すループみたいな文集書いてないでさ。
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20110808
上の記事だけだといまいちやねうらおさんが何にいらっとしたのかわかりにくいと思うので全文引用しました。
悪文の見本みたいな文章で、写してて辛かった・・・。
この文章、悪文なのもあったけどそれ以上の何かがある。
自分の思考経路をいちいちドキュメンタリー風に語る=確定した事実であるかのように扱うってのは常人ではなかなか難しいことを考えると
やはりもしドラ作者は「本物」だと思う。何の、かは知らん。
この作品をコミカライズするにあたって、ぼくが考え、また担当編集者の++さんからもお願いされたのは、
「小説版と同じものにはしたくない。何か付加価値を付けたい」ということだった。
なぜなら、マンガ界ではこれまで、けっして少なくない数のヒット小説がコミカライズされてきたにもかかわらず、
そのほとんどが、なかなかパッとした結果を残せなかった、ということがあったからだ。
それらのケースにおいては、多くの場合が小説の単なる焼き直しに終わってしまっていて、
読者、とりわけ元の小説を読んだ人を満足させることには、なかなか至っていなかった。
やべー超格好いい。プロジェクトXの人の声で朗読したらアホな視聴者騙せそうな導入ですね。
「僕以外の人はみな能なしすぎてそんなこと考えたことねーだろバーカバーカ。マネジメント読んでる僕勝ち組」とでも言いたそうな感じ。そこにシビれr
そこで今度は、「ではどういう形で付加価値を与えていくか」ということがテーマとなったのだが、
あのスカスカ感は紙幅の関係だったのか、いや早まるな続きが書いてるぞ。
僕はもともと、これは「もしドラ」だけではないのだが、小説を書く際にはその設定であるとかキャラクターであるとかを、
かなり細かく、また深くまで練りこんでいく。
しかしながら、いざテキストとして表現する段になると、それらのものを必ずしもすべて表そうとはしない。
表すのは氷山の一角、ほんの一部だけで、それ以外はあえて捨てたり、あるいは隠したままにしておくのだ。
それは、そうすることによって物語世界により一層厚みや奥行きを与えられるということもあったし、
あるいは読者に想像する余地を残し、楽しみを提供していくという考えからでもあった。
端的に言うと、そういうふうにすると作品が面白くなるというのを知っていたのだ。
参考記事 つ http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080703/1215052052
例えば、主人公の川島みなみがドラッカーの「マネジメント」と出会う、この作品においては最も重要ともいえるシーンがあるのだが、
そこで両者の出会いのきっかけを作る書店員について、ぼくはその人物設定から背景、薦める理由までこと細かに考えていたにも関わらず、
それは、もちろん紙幅の関係もあるのだが、それ以上に、そうした方が小説として面白くなるということがわかっていたからなのである。
その通り、大胆に説明を省いたこのシークエンスは、「もしドラ」を象徴する何とも味わい深いシーンとなったのだけれど、
ところがこの小説の発表後、そこで予想外のことが起こった。
なんと、そのシーンを、面白い面白くない以前に、上手に理解出来ない人が、少数ではあるが現れたのである。
そのシーンを、何度読んでも「書店員がなぜその本を薦めたのか」を想像できない人が、すくなくはあるが一定数いるという事実が、
これに、ぼくは驚かされた。
彼らがそれを理解できなかったり、想像できなかったりする理由は、単に彼らの本の読み方の浅さ、拙さに起因するものなのだが、そういう人が少数ながらもいるということを、ボクは初めて知ったのである。
この人2回繰り返して言うの好きだなー。いや、3回か。
まぁコラムならいいんだけど「エースの系譜」である表現をページ内で5回繰り返してたことがあり、さすがにうんざりするので誰か注意してあげてください。
そうしてぼくは、これをゆゆしき問題であると受け取った。
本を読むのが下手というのは、何よりその人達にとって不利益である。非常にもったいない。あとちょっと上手くなれば、あるいは想像を働かす骨を覚えれば、彼らももっと面白くこのシーンを読むことができたはずなのに。それができないというのは、端的に言って可哀想である。
かかる状況は、作者としては何とかしなければならないのではないか。そうした問題が眼前に横たわっているならば、それを解決することこそがぼくの使命ではないか、そんなふうに考えるようになったのだ。
参考記事 http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20110708/1310088660 とか http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20080709/1215571196
そこでぼくは、小説では表現しなかった人物や設定、背景やプロっトというものを、コミカライズにあたって改めて表現することを決めたのだった。
そうして、小説を読むのが下手な少数の読者に対しては、その正しい読み方やおもしろがり方を伝授していく。
また、それ以外の上手な読み方のできる大多数の読者に対しては、いわばメイクングフィルムをお見せするような意味合いで、舞台裏を開陳していく。
参考記事 つ http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081130/1228031673
どうでもいいけど、「メイキングフィルムをお見せするような」と前の文で書いておいて、
「いうならばメイキングシーンをお見せするような効果が生まれる」ってどんだけ親切なんですか。
そうしてその手始めとして、まずは冒頭で、前述したみなみに「マネジメント」を紹介するという、この作品では最も重要な役割を果たす、
書店員であり、大学生の奥沢モモが登場することになったのである。このコミックでは、彼女をはじめ、ボクが小説を書く上で設定したほとんどの人物、設定、背景、プロットが順次明らかにされていく予定である。
ちなみにマンガを読んだ感想ですが、冒頭のもっとの重要なシーンの説明はやっぱりダメだと思いました。
「よくわからない」から「ダメ」になりました。大事なことなので二回言いました。
8/13 ヤマカンの人の部分を削除。
昼電話あり、きのう1回目の研修をしたアルバイト候補のGさんがアルバイトをやめたいとのこと。理由は、もっとたくさん働けるような職場のほうがいいからだ、と。面接のときにとりあえず週3日のシフトに入ってほしいんですがいいですか、と訊いたらいいって言ったじゃん! と声を荒げてしまう。一瞬シフトを増やせば翻意してもらえるのかなと思ったのだが、どうも電話の声の調子がそういう雰囲気ではなかったのでそのまま電話を切る。
もうかれこれ2ヶ月以上アルバイト募集中なのだけれど、張り紙を出してすぐ応募してきた女性は週3回×2の研修のあとそろそろ任せられるかなという段階になって「怪我をした」という理由でやめていった。それでこんどの人には「もし途中でやめたくなったらなるべく早めに言ってください」と言っておいたのだけれど、早いのはいいのだが理由の「シフトが少ない」って、やった研修と関係ないじゃないか。1回本屋のレジに立ってみて「やっぱりこの仕事イヤ」と思ってキャンセルするのなら意味があるのだけれど。
前の人も今回の人も30代の女性。アルバイトの理由はそれぞれなのだけれど、正直今後30台以上の女性が応募してきても色眼鏡で見てしまう。彼女たちは意に染まぬ仕事をせずにすんでよかったかもしれないが、筋の通らないことをしたことの累はほかの30台女性に及んでしまうかもしれないってことだ。ようく考えてほしい(ってこんなところで言ってもしょうがないけど)。
予算が一緒で、一生に食べられる量がおおよそ一緒だとしたら、美味い物作るノウハウ知ってる人の方が、毎日美味しいものを食べられる可能性が高くなると思う。
PC自作するよりDELLとかで頼んだ方が安い場合が出てきたかもしれないけれど、自作するスキルがある人は、「どこが駄目になったのか」を理解できるから、パーツだけ交換して長く使うことができる。
家の構造や塗装に詳しい人は、リフォーム詐欺に遭いにくいだろうし、良い業者さんを見つけるのも上手いと思う。
英語できれば無料で技術書をWEBで読めるけど、日本語版だと書籍買うしかない、みたいなこともありますよね。
知識は力だと思います。
自炊しなければならない理由はないので、外食好きだったり、人に作ってもらうのが好きな方は無理しなくていいと思います。部屋の掃除も同じで、ごちゃごちゃの部屋で暮らすのが好きな方もいれば、できるだけ何も置かないで、部屋を広く使うのが好きな方もいますよね。衣食住というくらいですから、知識持って損はないと思います。一生使いますから。ただ、着飾るのか、清潔ならOKなのか、他人様の服装を見てはやりか定番か分かるのか、などなどどうつきあうのか(知識をどう活かすのか)は、色んなつきあい方ができると思います。
服に興味持つと、色々出来ることが増えます。例えば、「長持ちさせるコツ」を理解して定番アイテムを長持ちさせられるようになると、それだけ予算も投入できますよね。(2年で着潰してしまう服と10年持つ服とでは、かけられる予算が違うと思う)
また、文法理解すると、てきどな崩し方も分かると思うし、「安く買って高く見せる」こともできるようになると思う。古着とか身近な洋服屋さんを念頭に置いてます。
ジュンク堂とかリブロの書店員さんが私は好きなんだけど、彼らに相談して、本を探してもらうことと、洋服屋さんの店員さんと話して服を見繕ってもらうことが、私の中では大差ないのです。書店員さんには話しやすかったのだけど、洋服屋さんで「こんなの欲しいです。予算これくらいです」って言えるようになるには、少し時間が必要でした。でも、慣れました。
私はさして外見に恵まれていませんし、オシャレに詳しいわけでもないけれど、町行く人たちを眺めて、「おお、あの人気合い入ってる」と、他人様に興味持つことはできます。
まとめると、服について知識を持つことは、他のノウハウを得ることと何が違うのだろう。また、お金をかけること云々よりも、自分の趣味と用途にあったお店で、店員さんと仲良く話す「コツ」を獲得するのが、楽なんじゃないだろうか。もし詳しくなりたいのであれば。誰でも仕事を認められると嬉しい物だし、洋服屋さんの販売員さんたちは彼ら自身が広告塔として商品を身につけていることが多いから、「あなたのセンスが格好いいから、そこを見込んでかくかくしかじか」って話すと、力貸してくれることが多い気がする。
「ねばならない」ものじゃないから、無理することないけど、知識を得る方法を工夫すれば、そんなにお金かけなくても、上達するんじゃないかなぁ。
内面を知ってもらう前に、外見で判断されてしまうことが多いし、モテ・非モテの話題じゃないけれど恋愛などにも直結する話題のためか、ヒートアップしやすいというか切実な話題に感じられるのだけど、PCのパーツに詳しいこととか、自炊することに長けてることと、服に興味があって詳しいことは何ら違いがないと思うのです。なんていうか、運が悪いことに「恋愛要素」と結びつきやすいために、服がらみの要素が過大評価されたり過小評価されたりしていないでしょうか。
「ファッション」という同じ言葉を使っているけれど、きっとそれぞれ別のことを脳裏に描いて発言しているんだろうなぁと思いました。私自身、どれくらい「服」について考えてこの文章を書くことができたのでしょう。
匿名ダイアリー内で完結した方が読みやすい、という意見に触れました。一理あると考えたのでblogと匿名ダイアリーでミラーリングしています。
http://anond.hatelabo.jp/20080922211853のエントリを読んで浮かんだこと。
でもこれは「あるべき姿」ではなく「増田個人の夢」ですよ、あくまで。
よって各所に差障りありまくりんぐ。
・少なくとも発売日には必ず新刊が並んでいる(早売り推奨ではない)
・掲載誌名の表示板など、案内が明瞭(コミックス派に親切)
・買いたい本が3冊はキープされている(汚れ・折れ目がない)
・シュリンク済とそうでないものに区分されている(つまり立ち読み可能が前提)
・新刊やWJ系、および人気レーベルの棚に中高生等が群がっていない(学校から離れている)
・レジが離れすぎない場所にある(本持って歩き回りたくない)
・店員が客押しのけて本の出し入れを必要以上にしない(ぶぶ漬けかと思う)
・買ったときの袋が紙ではなく、中身の透けないビニールである
・いつも同じ店員と鉢合わせしない(なんか気まずい)
・オビや特典に気を配っている(自己申請期待は論外)
・営業時間が長い(深夜営業推奨)
・知人の出入りがほとんどない(精神的な安らぎ)
・数年前のコミックスも全巻置いてある(置くスペースがある)
先日、元ゲーム雑誌ライターで、元書店員、元メディアワークス編集者という、
非常に珍しい経歴をお持ちのTさんとお会いして、話をする機会に恵まれました。
買い手を『洗脳』して作品を買わせようとしているとのことです。
それが当たり前になってしまったと……
「エヴァンゲリオンというアニメが流行ったことがありましたよね。
エヴァンゲリオンを売れという指令が下って、電撃の系列雑誌すべてで、
エヴァンゲリオンの特集を組んだんです」
その結果、エヴァンゲリオンは売れに売れました。
でもTさんに言わせると、エヴァンゲリオンは、ウルトラマンや女神転生など、
ただ庵野監督の好きなモノを集めて作ったモノで、最後は予算も時間もなくて、
グダグダで放り投げてしまったものだそうです。
本来は、そこまで騒ぐような作品でもなかったのに、企業の商業戦略によって、
エヴァはおもしろい、深い、謎があるという情報がメディアで繰り返し流された結果、
ユーザーは洗脳され、エヴァ一色に染まってしまったのだとか……
「正直、怖かったですね……あれは洗脳ですよ。
僕に言わせればエヴァンゲリオンなんて、数ある作品の1つに過ぎなかったのに、
それをおもしろいんだと散々雑誌で煽らされた。その結果、エヴァは売れに売れてしまった。
そこで、出版社は味を占めてしまったんです。
本当かどうかは知らない。
それにしてもTさんの芸風って時間が経っても変わらないね。
そんなに早く手に入れたって、積まれるだけなんですけどね。
あと、amazonさんは新刊を買うために使ったことがないので良く解らないです。そこそこ早そうですが。
基本bk1最強なんですが、特急便指定に250円かかるのが辛いところ。
以前はまとめて頼むと宅急便箱で自動的にToday便だったのですが、最近は「1冊で」メール便に収まらない限り分割発送&メール便みたいです。
取次ぎがやってるサイトなので入荷が早め。だいたい毎日20時ごろに更新される。
翌日10:30までに発注&特急便指定すれば、翌日夕方には手に入る。
在庫を置く場所がなかったり、書店員さんが比較的多いと、発売日よりも早めに店頭に出す事が多いみたい
エキナカの書店ならいかにも倉庫スペースが少ないんだろうし、書泉とかフライングで有名な店もある
新刊コーナーに平積みになってなくても棚には入っていることがあったりとか、その店の癖を見抜こう
メディアワークスのラノベやコミックは、冊数が捌ける大規模店・ネットショップ・オタクショップに優先的に配本されている(らしい)です。なので、入らない書店にはさっぱり入りません(と言われています)。詳しくは検索してみてください。