2009-01-10

はてなの愚衆は本を読め的な事を思った

http://d.hatena.ne.jp/magician-of-posthuman/20090107/1231288998id:ululunがボコボコにされている件で、id:pbhが絡んで撃沈してた。

この人、暴言を吐くdis芸人というイメージを持っていたけど、本質的id:AntiSepticだな。つhttp://anond.hatelabo.jp/20090106070647

無学な馬鹿が「本で得た知識」を否定すると、逆に「本で得た知識」の有効性が高まる。熱心に読書した上で「本で得た知識」を批判している論者から観ると、こいつらは足手纏いだ。 - はっはっは

<本の観察に怠惰で無学な皆さんが挑戦されている「本で得た知識」を批判すること>と<本の観察に熱心に取り組んだ上で「本で得た知識」を批判すること>とを、混同して貰いたくはない。後者の卓越された批判者から観れば、前者は足手纏いです。

 <本の観察に怠惰で無学な皆さんが挑戦されている「本で得た知識」を批判すること>を繰り返していくと、学術的に何の価値もないゴミのような記事がウェブ上に溢れてしまいます。その結果、「情報氾濫」という馴染みのある言説で、インターネットの学術的な言説空間が批判されてしまうでしょう。すると、どうなるか。「結局本から得られる情報や知識の方が確からしいじゃないか」という意見を後押しすることになってしまいます。

 これはパラドクスです。無学な皆さんが「本で得た知識」を批判すると、逆に「本で得た知識」の有効性を高めてしまうのですから。そしてこのパラドクスは、<本の観察に熱心に取り組んだ上で「本で得た知識」を批判すること>に挑戦している論者からすれば、邪魔ですね。

なるほど。たしかに。

甘えるな」というメッセージがヒシヒシと伝わってくる。

システム論をメディア論に応用するなんてのは斬新でかなり読み応えがあった。

たしかにシステム論では、データというメディア情報という形式を、情報というメディアと知識という形式をそれぞれ異化するから、

本の受け売り等成り立たないし、引用コピペも区別される。

だがそうなると、学システム盲点を前提にして作動していく事になる。なぜなら観察者は、データから情報フィルタリングする過程、

情報から知識をフィルタリングする課程で、大量のデータ情報を見落とすから。

となると、疑問が生じる。パラドクスだな。つまり、なんで真・非真のコードで作動していく学システムが、

盲点盲点のままほったらかしで作動していくの?って事。

かしこの学システムパラドクスは、学システム自らで脱パラドクス化されてしまう。

つまり、学的コミュニケーションについての学的コミュニケーションという構成要素を新たに創発させる事で、

事前のパラドクス隠滅するって事。

しかしそれゆえにこそ学システムは不確定性にぶつかって行くんだな。

だから近代の学システムは、盲目的に作動していく機能システムのひとつってわけね。

ヘーゲルの一体のものをパラドクスとして考えるシステム論ならではの発想。

ま、機能分化した近代社会だと、一体のものは分裂してるってのが通説でして、理性は多面的なの。

人間」は何かしらの機能システムから疎外されてる。

んで、今回学システムから疎外されてんのが、id:ululunid:pbhってわけね。

id:ululunid:pbhも、自分から首突っ込んでおいて相手が振り向いたらダンマリか。カッコワル

別にさー、システム論なんて社会理論のひとつだよ?少し本読めばわかんのに何でおまえらわからんの?

ホント、おまえらには学問科学を語ってほしくないと思ったよ。

  • ululunがmagician-of-posthumanの中の人に、 「彼の言説は本の受け売りなんだけど反論しにくい(というより実質不可能)のが問題w」 http://twitter.com/ululun/status/1080329440 という発言をした。 ...

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