はてなキーワード: チラシの裏とは
ゲーセンで出会った不思議な女の子の話をめぐって、事実と創作の垣根についての議論があるようだけど、それに関して思うのは、かつてプロレス界で「ガチヤオ」議論が話題となったこと。そんときからモヤモヤしてることについてちょっと書いてみる。ガチとはガチンコ(真剣勝負)のこと、ヤオとは当然八百長のこと。
プロレスにおける「ガチヤオ議論」の中で、「いわゆる『リアルファイト』系をうたう格闘系団体は、本当はヤオなのにガチっぽくやってるから腹が立つ。ヤオなら最初からヤオと言え、その意味では開き直ったプロレス系団体の方がよい」と怒る人たちがいた。レッテルと中身が一致していないと、我慢がならない性格なのだろう。「プロレスは、楽しくするためにヤオだと分かった上で見る人も楽しんでるから、あれでいいんだ、素晴らしい」というプロレス擁護をするプロレスファンがいた。
そういうのを聞いて、とても悲しい気持ちになった。ガチかヤオかなんてレベルでしかプロレスを語れないプロレスファン、というものに。多分、プライドの高いレスラーは、傷ついていただろう。
トップロープからダイブしても、ヤオなら痛くないとでも言うのか? 開始5秒で体痛くなって、ホントは立てたかもしれないけどかっこわるいから寝てました…とかでもガチならそれで満足か? 格闘家とプロレスラーと平均すればどっちが長生きしてるだろうな? 試合に筋書があるって、筋書きがあるから誰でもできるとでも思ってるのか? 手に何も持たず、パンツ一枚の身一つで、30分で数万人の人間を沸かせる仕事、できると思うならやってみせてくれや。
プロレスだろうがリアルファイトだろうがリアルファイトのようなプロレスだろうが、それが人前で演じられるなら、問題は、見てる人間の心に刺さるかどうか、それだけだろうが。詰まらないリアルファイトは詰まらないプロレスと同じように詰まらないよ。心に刺さる試合の向こうには、リアルだろうがプロレスだろうがとてつもない苦労があるわけで、その集積が形をとって表れた奇跡に、見てるものはただ頭を下げるだけだろう。プロレスなら楽だろうって、ほんとに失礼な話だ。
だいたいなあ、事実か創作かという議論が、もうレベル低いんだよ。どこか非現実的でとてもありえなさそうな、それでいて今の時代のどこかにそんな話がありそうでやっぱりなさそうな話が、この時代のある一定数の人間の心に刺さったというのが、ただの事実なわけだろう。それ以上に何か確定して言えることなんて、最初から無い。もともと「小説」なんてシステムができるまで、「物語」というのはおおむねそういうものだったわけで、大多数の人の心に刺さり言い伝えられていく中で変質してやがて固まっていく昔話や神話がそうであるように、大げさに言えばそれは民族の記憶みたいなもんだったんだよ。それで何か問題があるのか? 沢山の人が、こういう話があって欲しいと思い、誰かがそれを形にした。それが奇跡なんだ。
ゲーセンに書かれた話が事実かどうか、当然オレは知らない。ただ、書き手が人間性のある面をとてもよくつかんでいて、それを文という方法で形にする能力に長けているということ、今という時代の空気をよく吸っており、ある方面のサブカルチャーに十分な造詣があることはよく分かる。……たとえばデビューした頃の村上春樹のようなもんだ。そして、それが仮に創作だとしても、そのレベルの創作は、書き手の人生の幾ばくかを注ぎ込まないと生み出すことはできない、ということも分かる。書き手は、自分の書きたいことを、一番読み手に届くだろう方法で世に出した。素晴らしいことだよ。よく書いてくれた。それだけで、オレは充分満足だ。書き手自身は、書きたいことの10分の1も書けなかった、届けたい言葉を書ききることができなかった、などと、いま嘆いているかもしれない。それもいい。どれだけ生きても、ことばなんてそもそも100分の1も他人に届かない。そんな中で、あいつは自分の人生を絞り出しながら、100分の2か3か、誰かに届く言葉を生み出すことができた。よかったじゃないか。「彼女」も「どこか」で喜んでいるよ、きっと。
あれが事実であろうがなかろうが、オレはアレを批判する人間よりは、アレを書いた人間と一杯やってみたいと思う。絶対その方が面白い、それは断言できる。少なくとも、ああいうものを読んだ人間の取るべき態度というのは、事実かどうかを論じるとか、創作ならそう書かないと卑怯だと匿名批判するとか、そういうことじゃないだろうと思う。大体、そんなやり方で人の心を動かせると思ってるなら、やってから言え、と。
それとも「オレにはできないけど、そこそこの書き手なら誰でもできるレベル」とでも言うか? それなら、できるという「そこそこの書き手」に頼んでもいい。そういう人間を探して、試しに書かせてみてから言ってくれ。そんな書き手がいればな。
だから、アレを読んだ人間が、書き手に届けるべき言葉は、次の二択だ。
・「チラシの裏に書いてろ」
それ以外には、ない。言うまでもないが、当然オレは前者だ。
…で、お前はどうなんだ?
http://rand.ldblog.jp/archives/5536508.html
では本題。
ないなら仕事をつくればいい
新しい事業をすればいい
とか
言われている
そこでふと考えてみた。
その新しい事業に一番向いている人間とは誰か?
それはきっと「事業に応用が効く経験と技能を持ち資金と時間がある人間」だ。
それは誰か?
年を行き過ぎた退職老人でもない。
ずばり、第一線で活躍していて、引く手あまたのビジネスマンだ。
そのリソースが社会の隙を見つけて挑戦することによって新しい事業が生まれる。
そのリソースをどれだけ多く生み出すかによって社会は発展する余地を得る。
もし社会発展が落ち込んだならば、ソレは何の権限もない就活生の責任ではなく
そういう超一流の人材の生産に不都合ななにかが社会構造にあるか
そういう人材のモチベーションを下げる問題がないか探すのがいいのではないだろうか?
言い方は非常にルサンチマン的だけど、すべての責任は超一流の人間にこそあるとも言える。
結論。
http://alfalfalfa.com/archives/4768100.html
↑
こんな感じでいろいろ話題になってるみたいなので
JPG、テキスト、ワード、PDFなど形式はダウンロード時に選択可能
(ベクターなんかのソフト販売みたいにダウンロードパスでダウンロードとか楽)
支払い方法はコンビニ、PayPal、キャッシュカード、ケータイ払いとか種類多め
ダウンロードサイトはタグ付け機能、レビュー機能、デイリーランキング、マンスリーランキング、販売数カウンターなど
大雑把な評価システム付き、
(口座番号入力すれば誰でも販売可能、通報された場合サイト管理者が判断し販売停止措置?)
他人の作品を売りに出されたらどうするのかとか、問題は多そうだけど
あれば利用したい。
とか、
零細はてな民の私ではリンクを貼らせて貰うのも憚られるChikirin様がデモについて言及しており↓
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20111018
少し読ませて頂いて思ったことがあったのでチラシの裏をここに吐き出させて頂きます。
以下本文
そしてソレについてチラホラと話を聞くにこんな感じ
↓
「中東はいいんです大義があったし進展があったから。だけど先進国の連中テメーは駄目だ」
世界最大の富の分配機能であるウォール街を襲って自分たちの富が後進国に分配されるのを止めようとしている。
だけど、それってなんか大雑把すぎる。
イギリス人のは貧困層が馬鹿をやっていたほうが得になる仕組みをつくって固定させてしまった愚かさとかあるらしい、
日本のはマスメディアのクロスオーナーシップやら独占体制によって歪んだ政治やなんやらがフラストレーションになっているのもある
アメリカなんかはもっと悲惨で医療体制が末期的で州によってデフォルト寸前で失業保険が出なかったり、格差以前の問題があったり
デモのテーマに引きづられて隠れてしまった本質的にどうにかしないといけないしどうにかできそうな問題が世界に理解されていない問題があるきがする。
デモってものはそもそも頭の良い人が先頭にたってテーマを取捨選択できるような性質がないのだから、
そういう頭の悪いメインテーマを否定するよりもその鬱憤のもとになっている根本原因を理解してあげようとする努力を世界の人々はしたほうがもしかしたらいいのかもしれない。
そこはそもそも注目しても仕方ないと思う今日この頃
以上
ここまで読んだ暇な奴
あんた良い人
よっおらアスぺってか、僕はまぁなんらかの発達障害の人間であるのだけれど。あなたと逆のことがあって驚きました。
私自身について言えば中・高の時は男子の顔は全部同じに見えて、女子も髪型や体型が似通ってると無理。酷い時は1年経っても同じクラスの人間の8割の顔を覚えてなかった。写真どころか本人を見ても自分と同じクラスの人かどうかすら分からない。
特にここが。僕はなぜか人間の顔面への執着みたいのがすごいです。このあいだもう十年以上昔にもなる小学校のアルバムを開いて、顔と名前が一致するかのテストしたんですが、生徒と先生あわせて150人くらいで九割がたは名前を覚えていましたね。同じクラスになったことが無い人間も含め。中高も多分同じ結果だと思う。でも、かといって初対面の人をすぐ覚えられるかというとそうでもなくて、「スミマセンお名前なんでしたっけ?」などという台詞は言う方だし、さらにもともとの記憶力がズバ抜けているわけでもない。そんな天才だったら今英単語覚えるのに涙垂らしながら机に向かってない。
思うのは、自分は人の顔をその人がただ存在するという記号みたいなものとしか認識していないんだと思う。だからあなたのお父さんの怒っている時の様子はだいたい想像できます。そもそも顔に情報があるなんて思いもしないことなんですよ。表情から読み取るということを訓練すべきなのかはまだわかりません。
あと「芸能人なら何タイプ?」というのに返答が困るというのは共通しているかと。しかし理由が異なっているかもしれません。僕の場合は「見分けがつかない」というよりもディティールに懲りすぎてしまい回答不能になる。もっと具体的にきいてほしいといつも思っています。たとえば最近「AKBなら誰が一番好みか」ということについてよく聞かれるけれど、それは漠然としていて本当に困る。だからいつも「いやー、篠田さんの足なら是非なめたいっすね」といってかわし、相手を困らせる。でも質問者が悪いのだと思っている。できれば、同じAKBについてなら、「想像して。五回目のデートでようやくあんたが告白し、頬を赤らめながら満面の笑みで頷いてくれるのはAKBの中で誰であってほしい?」とか尋ねて欲しい。まあ、AKBよくわからんけど。(ファンの方頓珍漢だったらごめんなさい)
んで、こんな俺は友達は一人しかいないし、その友達も僕の他に友達けっこういるんで、いわゆるその、ぼっちですわ。もちろん彼女もできたことない。
克服せんとあかんのかのう。
以上、チラシの裏でした。
ってのは、言うだけ野暮なことなのかな。
ツイッターやブログやmixiで、誰で見られる場所で違法行為を自慢げに書く
(マジコンやワレズ・未成年の喫煙や飲酒・万引き・いじめ・盗撮・その他)
↓
↓
身元が特定される
↓
削除したり開き直ったりする
↓
という流れが、すでに完成されてるのに、まるで雨後のタケノコのようにあいも変わらず
似たペースで量産されているのを見ると、情報リテラシーって何なんだろうね、と思う。
もういろいろな人が指摘していることだけど、『誰でも見られる媒体』である
ツイッターやブログにそういう事を平然と書いておいて、どうして苦情が来ないと
思っているのか、そこのところを聞きたい。いや、煽りじゃなくて、マジで。
あなたが書いてるその場所はチラシの裏なんかじゃない、サーチエンジンによって
不特定多数の人とうっすら繋がっている、っていう自覚がないのだろうか。
・・・たぶん、無いんだろうな。
あと、『書いた内容はネタだから』って言い訳は、警察には通じないぞ。
基本的に、犯罪行為を連想させるような単語は、ウェブには書くべきではない、って事だ。
たとえ職質程度であっても、警察に足止めされた経験のある人なら、あの屈辱的な空気の中で
自分の立場の正当性を主張するのが相当キツい事は、分かってもらえると思う。
ましてや、自分に非のある書き込みの件でしょっ引かれた日には、どうなる事やら・・・
だからこそ、言いたい。
『悪事自慢はするな。マジコンネタは、叩かれるからウェブでは書くな』
と。
ホントだ
リンク先のブログでリンクされている論文を読んだらそう書いてあった
それなら、能力別で採用し、男女半々になるようにすべきだという結論で筋が通るな
1.入学試験時の能力で振り分けると女子が多くなるが、新入社員は半々になる
3.女子が離職するコスト>=仕事ができない男子を育てるコストとなる
論文まで読まなかったら、1を見た段階で男女平等になるように調整しているだなと思う人の方が大半だし、女子が仕事でできるとは述べられていないという点で論理的に欠陥がある
正しく書くとしたらこうなるはずだ
文章力を向上させたい。まじで。ほんとに。切実に。
文章を上達させるには、もうひたすら書くしかない。
かといって、ひたすらチラシの裏に連々やっても、それはただの自慰行為。
最低限人の目が欲しいわけです。
自分のブログはテーマに沿って書いてるし、思うままガシガシ書くには適さない。
そんなわけでふと思いつきました。匿名ダイアリーいいんじゃね?
自分の思うこととか考えたこと、そんな文章を一日一回くらい匿名で垂れ流す。
ぶっちゃけ基本はチラシの裏と変わりませんが、自分の文章の評価を視覚化できるのがいい。
いや、思考の垂れ流しに普通そんなもんつかないけど、たまについたことがあったらその文章には「なにかある」となるわけで。
そんな感じで誰かに評価される万分の一の可能性に期待しつつ、もっさもっさ悪文日記を書く、という使い方を今日からしてみようかと思うんだけど。
いいかな?いいよね?
『容赦なき水の戦い、舞台は真夏のサンクトペテルブルグ - GIGAZINE』
http://gigazine.net/news/20110808_water_battle_in_st_petersburg/
はてブで上のページがホッテントリされて、タイトル前半の『容赦なき水の戦い』しか頭に入っていない状態で、
「世界には水源を巡って部族同士が争っていると言われているが、またその手の紛争か」と早とちりしてリンクをクリック。
するとそのページには、都会の真ん中でバケツやペットボトル、水鉄砲などを使い、水をぶっかけ合うお祭りの様子が書かれていた。
そしてページを改めて見て、
「世界にはこの水のために殺し合いまでする人たちがいる一方で、遊びで水をこのように扱う人たちがいる」
「世界の水問題が解決するまでこんな祭りはするべきではない」などという主張は馬鹿げてる。
東日本大震災の後に見られた過度の自粛は、経済を停滞させることも分かっている。
だが、どうしても、自分の中にモヤモヤするものが残ってしまう。
それもこれも、リンク先のタイトルをよく確認せずに勝手に妄想してクリックした自分が悪い。
自業自得だ。
今までテレビを見ていて、腹立たしさを覚えたことは殆ど無かった。
ただ先日放送された、TBS 「 紳助社長のプロデュース大作戦! 」を見て少し腹がたった。
内容を大雑把に書くと、『渡る世間は鬼ばかり』のメンバーが宮古島の民宿に駆けつけ、祭りを開く的な内容でした。
民宿の備品や環境設備などを、地元のショッピングモールや建設会社で購入や施工のお願いをするのですが
はっきり言って半ば脅迫のような値切り交渉と、当たり前のように無理難題を押し付ける施工依頼。
というようにしか受け止められず、見ていて気分の良いものではありませんでした。
もしかしたら、裏ではしっかり正規料金が払われているのかもしれませんが、
上記のような演出は、経済的に苦しいと思われる沖縄県で行なっていいものでしょうか。
正直なところ、ワンマン社長が自分の古い考えとセンスを宮古島の民宿に押し付け、地元の店舗さんや業者さんも巻き込み、無理やり美談に着地させるやり方に納得がいきません。
チラシの裏にでも書けばいいことかもしれませんが、視聴したみなさんはどう感じたでしょうか。