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2024-06-12

anond:20240612162906

お前の主張は「女に戦場に行ってほしい」「女に労災で死んでほしい」だろ?

それが実現されれば男女平等なんだよな?

交渉なんかする必要ないよな?

弱男が若い女とのSEX別に求めてないなら、俺はそれでオーケーだよ。

anond:20240612162107

から「女に戦場に行ってほしい」「女に労災で死んでほしい」が主張であって若い女とのSEXなどには興味がないって言うなら、今度からSEXの話には関わってくるなよ

弱男が若い女SEXできないのは当たり前なんだから

anond:20240612160831

そういう主張をして日本国会議員に働きかけるのは別にいいと思うが

ロシアウクライナ男性が死んでるのは、別にロシアウクライナ国防当局男性差別主義者男性を苦しませようとしているわけではなく、前線では体力のある男性が有利なのと、女には子どもを産んでもらわなければならないっていう、戦争の勝ち負けに関わるところの判断だと思うけど

戦争での勝ち負けに比べれば男女平等なんて二の次から

あとSEXがどうでもいいなら今度からSEXの話ししてるときに絡んでくるなよ

anond:20240612155631

ウクライナロシアいくら男性戦死しても、日本の弱男が若い女SEXする権利とはなんの関係も無いぞ

もし

「いや自分若い女とのSEX権利などは全く主張していない、そんなものは求めていない」

というなら、そう宣言してね

anond:20240612151101

俺は男だけど

男が稼いで若くて可愛い女を養う

ってWinWinの関係のところに

「今まで男が養ってきたんだから、今度は俺達が受け取る番だ」

つって今まで何もしてない弱男が若い女とのSEXだけ得ようとしてるのがすげームカつくんだよね

2024-06-11

anond:20240611193404

それでSEXが出来るって分かってやってんだからいいだろ

anond:20240611142853

こうやって絡んでくるやつも、結局言いたいのは

若い女SEXさせろ、そして養え

だろ

否定できないよな

anond:20240609222420

若くて自分を世話してくれる「SEXできるお母さん」を求めるのを隠そうともしない恥知らずが増えたな、と思うね

2024-06-08

横浜トリエンナーレへの批判を読んで(後半)


(前半からの続きです。)

https://anond.hatelabo.jp/20240608093126


現代アートの不満


もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。


大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品ほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。


思い返せば2020年トリエンナーレにあった「エビSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビ水草の入っている閉じた水槽)の中でエビ酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビ生殖をしなくなる。そこでエビ生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品エビセクシーな格好をさせるとか、エビ秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶していますしかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球生態系比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています


2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家メモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。


現代芸術作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます人文学哲学歴史学経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。


かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家自由作品を作れるはずなのに、ただ社会要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります


しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。


作品」と「意味


トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。


しか問題受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケ作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります


今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています作品意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います


私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメ解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかアニメ本編とはズレているか面白い。YOASOBI の歌はアニメストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界アートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います


しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。


批判いたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレ批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーション環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感理解できますが、それとは別に芸術資本関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品意味もつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。


むすび


咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーター解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義マルボロ広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランス果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーター真剣構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います


要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます


魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風ファンになり、富山妙子画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号オブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛け作品が好きでした。


つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。


2024-06-04

anond:20240604170636

結婚の話なんてしてないのに、SEXの話しかしてないのに、何で絡んできたの???

anond:20240604170231

SEXの話しかしてないのに絡んできた時点でお前の負け

anond:20240604165941

下方婚増田も、結局考えてるのはSEXのことだけ

「女から求められてSEXしたい」

なんだよな

anond:20240604164140

不妊手術=SEXする権利侵害

だと、お前が思っていることがわかった

怖いわ

なぜ弱者男性は「SEXする権利」のような勘違いをしてしまうのか

anond:20240604151657

いうほど「永続的なパートナー」を求めてるか?

こういうとこだと「女から求められてSEXがしたい」が本音の奴ばかりに見えるんだが。

2024-06-03

男が女と付き合う理由sexってのが9割占めるのはわかるんだけど、女が男と付き合う理由ってなんなん?

anond:20240603170439

普通に付き合ったり女の子遊んだりするときも、「ベルトを取って大丈夫でしょうか」とか「ズボンを脱いで大丈夫でしょうか」とか「「ペニスを出して大丈夫でしょうか」というやり取りがあるんだよ。

それを無視していきなり告白とか性欲むき出しにするからドン引きされるんだぞ。

出会って付き合ってある日突然いきなりSEXすると思ってるんか?

anond:20240603165136

要するに俺らは罵倒することで互いに人間として尊重しあってるってワーケ

女いたらSEXすべ

弱男の被差別意識

「女からSEXを求められないのは差別

ということころまでいってしまっているので

「どうすれば付き合えるか」

ってHowToを語ったところで意味はない

こちらに努力をさせるのがおかしい、女から求めてこい、それが男女平等だ」

って思ってるんだから

anond:20240603141050

それでも「SEX目的なら」それが最適解

批判される覚悟ぐらいは持てよ

初手から出していけばいいだろ

初手からなら「キモいやつ」扱いになる可能性はあるが「ぬいペニ」にはならない

SEX目的ならそれがお互いにとって最適解

SEXにおける衛生概念教えて

キスフェラNGだけど生中出しOKってどういう感覚なんだろう?下は汚れてるから汚されてもいいみたいな考えある人いる?

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