はてなキーワード: 烏合の衆とは
ある高名な大学教授が、わたしを~~という理屈でねじ伏せようとする人のロジックが分からないという意味のことを言っていたので、
そうしたらブロックされた。
学者に、烏合の衆みたいな人間が噛みつけばそりゃあブロックされるというのも当然だが、
学問というのは反論に耐えた仮説にこそ信憑性があたえられるので、反論は歓迎すべきだし、
学者という人種はそれなりに丁寧で論理的であり価値がある反論をブロックしないのだとなぜか信じていた。
(自分で言うのもなんだが、謙虚に、卑屈にならずに、素直に論理的に@を送ったつもりである)
で、その大学教授(そういえばすでに退官しているかも)のタイムラインをみたら、
反論が多数寄せられているという意味のことを何度か呟いているにもかかわらず、その反論は表示されていない。
ひょっとしてこの学者は反論されるたびに相手をブロックしているのでは?と楽しくない邪推をしてしまった。
まあ、たかがツイッターで、一人の学者が有象無象の凡人を相手にするのだから、ブロックするのは普通にあり得ると認識していたが、
この泉は、ごく一部のお金持ち、金融機関、そして政治家などの特権階級の人々のみに独占されています。
国債は政府が発行します。これにより、政府は債務が発生しています。その額、1000兆円超。
1000兆円の国債に対し、償還されたときに支払われる金利はいくらか?年利1%だとしたら年間10兆円。
支払われる10兆円のお金、これ、当然購入した債権者に支払われています。
つまり日本は、今後も右肩上がりに成長するという大前提の元、どんどんお金を作り出しています。
そして作り出したお金は、ごく一部の特権階級の人々に自動分配されていきます。
けっきょくのところ、国際的な信用を元にしてどんどん政府に借金させて、その金利をかすめ取っている人たちがいるということです。
これがなぜ破綻しないのか。
それは、バブル期に大痛手を追った金融機関が結託して、絶対に破綻しない、お金を無限増殖させる仕組みを作る共謀者だからです。
金融機関は、自分たちが破綻しない限り債権を売り浴びせたりはしません。なぜなら勝手にお金を生み出す仕組みだからです。
もしどこかの金融機関が破綻しそうになったら、必ず政府は「借金してでも」その金融機関を救済します。
政府は財政削減などと言いながら、絶対に支出を減らすことはありません。
このお金を生み出す仕組みは、借金の額が多いほど、生み出す金利も大きいからです。
国民の監視の目が厳しくなっているため、パフォーマンスとして事業仕分けをしたり、公共事業を減らしたりしますが、一方で理由をつけて支出を増やし続けます。
「政府」という組織には、その借金に責任を持つ人は誰もいません。
どんなに「政府」が借金しても、「借金取りに追われる人」というのはいません。
財政赤字が膨らんでも、債務者と債権者が結託している限り、その債務は単なる見せかけに過ぎません。そしてその巨額な債務に対し「実際の金利」は支払われ続けます。
「国の借金が危機的状況」とか「国民一人あたりの借金額がウン万円」とかいうのは全部嘘っぱちです。
実際は国債という名の紙切れを元にして金利を掠めとる詐欺行為が堂々と行われているのです。
本来であれば無駄な借金を減らし、余剰資産は国力の増強に投資すべきなのに、それをぜず、子ども手当、高校無償化、被災地復興、高速無料化、原子力発電などなど、
「政府が主導しなくてもいい」社会活動に巨額投資して、日本の国力を奪っていってます。
それを主導しているのは誰か。
仮想敵国、中国や韓国、ではありません。もしかしたらそうかもしれないけど、直接的には「強欲な国内金融機関や投資家」です。
彼らは国に借金させることを推進して、自分の利益にしています。
そのために政治家を利用しています。政治家はとにかくお金を遣うことに邁進しています。
日本はしばらくは破綻しないけど、これが続くと、おそらくは大きく衰退します。
お金持ちはますます富みますが、一般市民は蔑ろにされ、政治に対する当事者感覚を失い、愚痴っぽく不満ばかり言う烏合の衆に成り下がります。
まずは主導者たる行政府が「お金に執着しなくなる」必要があります。
また、金融機関は、国債の金利だけじゃなく、自律した経営力を身に付けていく必要があります。
そして我々国民は、今以上に監視の目を強化する必要があります。そして直接民主主義の活動を強化していく必要があります。
政府に対して国民が「お客さん」状態ではいけません。政府は我々の代表であり、代弁者ですから、おかしなことを言う奴、する奴は徹底的に排除して、民意を反映させる努力をしなければいけません。
国民みんなで主体的に作り上げていくことができる、もっと自律した社会というのを求めれば、それはきっと叶います。
その時には、「永久にお金が溢れ続ける泉」のようなファンタジーではなく、みんなが物語の主人公になり得る、素晴らしい社会が実現できるはずです。
リーダー前提で書いたのは「作業を効率化してゴリゴリ仕事を推し進める提案」は提案者がその場のリーダーシップを執らない限り実現が不可能だと思ったからです。なぜなら、画期的な提案によって作業効率がどうなるかっていうのは提案者以外の頭の中ではえてしてかなりあいまいで、良くて「そっちの方がいいかも」位のイメージしかわかないのではないかと思います。
また、烏合の衆であればある分だけ、モチベーションの維持が効率にとってクリティカルな要因になると思います。元増田の語調を見るに、もし提案を受けたリーダーだったら、たとえ効率的な提案であっても周りの作業者に対して上手に出る態度が透けて見えてしまったらそれを周りに伝える事で逆効果になるかもしれない、と判断する場合もあると思ったので。
まあ非効率な世界の話→「最大限の効率は見込めない中で持続可能な程度の効率を維持するにはどうするか」という観点であって「その場の労働力からどれだけの対価を引き出すか」ではないです。善意のみに基づく事業が失敗しやすいのは「効率を理由に作業者に強制力を及ぼす」のが難しいからかもしれませんね。
http://anond.hatelabo.jp/20100919165646
トラバの撃ちかたというか,ぶら下げ方がよくわからん・・・あ,できた。
ということで本人が沸いてみた。クソコテなので増田でも名乗るぞ。それもいいかげんに。
で,ぶっちゃけちゃうね。
正直,杉森の前に崎がいて,その前に秘密ちゃんがいて,遡れば生島がいて,さんざんループさせられてきた履歴があるのね。
正直もうおなか一杯なのよ。また説明すんのかよって。まとめ読んで来いってのはそれ。そのために作ったようなもんだし。
うんざり。
で,まずまとめと過去ログ読んで,終わった議論を確認しておいて(無駄なループ防止),今話されている話題を掴んで(話題ズレ防止),そのうえで,これ問題じゃね?とか,こうしたほうがよくね?って出してくれるならウェルカム。
でも大抵の場合,その問題点とかは過去に議論されてて,こうしたほうがよくね?ってのは解決済みだったりする。
だから,四人とも片っ端から突っ込み喰らいまくってたか,生暖かくスルーされてたかのどっちかだろ。
まあ,初期とは違っていろんな話題について触れてきたから,今から参加しようとするなら,けっこう大変な状況になっちゃってるってことは認める。たくさんの問題点が浮き上がってきたし,いろんなアクションが起きてるし,それぞれの動きに関連して次を考えなきゃいけなくなってるし,そう簡単に参入できないのは認める。
まとめも大きくなってるし,ログなんかうんざりするほどある。リンク先見てみろ。泣きそうになるぞ。
でも,それ全部読んだんだよ,俺。一字一句覚えてるわけじゃないけど,「その話,確かログになかったか?」って探せる程度には。ここ半月ほどログの収集サボってるけど,毎日目を通してる。
だから,蒸し返されるとおいおい,ってなる。
警察を叩きたいだけとか話にならないの。MDIS叩きたいだけとか話にならないの。図書館叩きたいだけとか意味無いの。
警察はうまくやっちゃったのよ。手続きにミスはない。勘違いしてる人いるかもしれないけど,逮捕したことに問題点は全く無いんだよ。
問題は,逮捕前に何故 MELIL/CS の問題に気付けなかったか。何故そこを捜査しなかったか。
でも,警察の捜査自体はレベル低かったけど,それでも法的には問題ないの。
だから警察を叩きたいだけってのは話にならない。
次からどうやればまともに捜査してもらえるかって話をしなきゃいけない。
MDISを叩くにしたって,まず証拠を固めなきゃいけない。今あるのは状況証拠ばかり。だから必死で調べてる。
バッドケースとして周知するには,確たる証拠を揃えて,それをわかりやすく説明しなきゃならない。
図書館を叩くにしたって,図書館はICTの素人だ。相談先もろくに知らなかったし,警察も教えてくれなかった。
じゃあどうすればいいんだ,次に似たようなことをさせないためにはどうすりゃいいんだ。
だから複数の人が指摘したように,「叩くだけでなく改善策も提示しなければいけない」ってことになる。
でも一切理解できなかったでしょ。引用の人は。
そういうことなのよ。最初から叩き出そうとしているわけじゃあない。
しばらく様子を見て,あ,こいつだめだ,邪魔にしかならない,ってなったら,問い詰める。
そこで理解できりゃいい。できなかったら,問い詰める。
何故かって? 足を引っ張られたくないから。
オンラインで無理矢理黙らせることはできない。だから,諦めさせる。お前らじゃ届かないと知らしめる。
邪魔だから振り払う。
生島は間違った前提にしか立てなかった。
崎は例外的に最初から話にならなかったが,
杉森は問題を正確に把握できなかった。
議論する能力が無いって言ったのはそのあたりに繋がる。そこにあるものを正確に把握して,問題点を共有して,改善点を話し合う場で,生島は事実誤認のままMDISを叩けと叫ぶだけで,秘密ちゃんは俺様解釈で粘着していちいち否定と説明に手間をかけさせるだけで,崎は何一つ理解しないまま参加者をひとまとめに能天気呼ばわりして叩き出されて,杉森は問題点をいい加減なラベリングで誤魔化しているだけで。
警察にクレームを入れたいなら入れればいい。電話くらいできるだろう。メールの一つも送れるだろう。
MDISだって電話に答えた。図書館だってそうだ。検察と裁判所は守秘義務があるから何一つ教えてくれないけど,電話には出てくれる。
あいつらは何をした?何を調べた?何を持ってきた?何を作った?何を検証した?何の役に立った?
それでも受け入れなきゃならないかな?
あいつらは口先だけで何もしなかった。議論の場を邪魔して足を引っ張るだけだった。それでも受け入れなきゃならないかな?
blog で整理するだけでもいい。Togetter で軽くまとめるだけでもいい。誰でもできることだ。でもしなかった。
できなかったんじゃない,しなかったんだ。
俺の沸点は低い。けど,それなりに様子は見ている。ある程度我慢して,だ。
それは違うよと説明することもある。最初は理解できることに賭けている。
うんざりなんだよ。
これまでの経緯を踏まえないってことは,まとめ読んでないってことだ。
これまで議論されてきたこと,たくさんの人の苦労に敬意を払ってないってことだ。
「知識が無いのでここがわからないんだけど」
それは仕方が無い。説明しようじゃないか。俺にもわからないときは他の人に聞いてくれ。
「まとめ読んだけどここわかんない」
それは書き方が悪かったかもしれない,修正しようじゃないか。どこがわかりづらかったか教えてくれ。
その点について説明しようじゃないか,確認しようじゃないか。必要なら調べようじゃないか。
でもあいつらはそうじゃなかった。ログ読んだか?
何度も言ったさ。やりたきゃ勝手にやれと。
電話の仕方もわからないのか?
ログを並べることもできないのか?
じゃあ,黙って見ていろ。せめて邪魔をするな。
タグから離れてシジミの味噌汁みてえに隅っこでブツブツブツブツ言うのは勝手だけど,
邪魔だけはしないでくれ。
まあ,俺はハッカージャパンの原稿書いたんで,2ページぶん原稿料もらうけど。
それは仕事として請けたから。
基本的には,みんな手弁当で,無報酬で,なのに成果物持ち寄って,検証して,議論して,次の手を考えて。
終わった話を蒸し返されたり,無駄に何度も説明したりするのが苦痛なのはわかってくれ。
そうしないために,まとめ作ったんだ。だからせめて読んで,それから来てくれ。そうすれば,終わった話をしなくて済むから。
ハッシュタグも遡って読んでくれ。そうすれば話の流れがつかめるから。
だいたいのことはもう終わってるんだよ。苦しんで次を考えてるんだ。だから邪魔だけはしないでくれ。
人を集めるのが目的じゃない。ハッキリ言うけど,烏合の衆になってしまったら身動きできなくなる。
頼む。本当にうんざりしているんだ。理解して,議論のしかたを覚えてから来てくれ。
それができないなら,とりあえず待っていてくれ。きっとなんとかするから。だから邪魔だけはやめて。
ttp://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=329372&log=20100330
日本最大と言われる300兆円の総資産を抱える郵貯・簡保を再国有化する一方で、独立行政法人や公益法人にメスを入れると称される「第二次仕分け」とか、あまりのバカバカしさに笑っちゃうしかありません。
「第二次仕分け」で「これは民間に任せる事業なので廃止と決定します」などと言われた法人こそお気の毒で、だったらまず郵政問題を「仕分け」しろよと言いたいところでしょう。
こうしたチグハグさとか整合性がないとか矛盾しまくりの原因は何か、それは野党時代を含め民主党は政策論議を深めてこなかったことが挙げられます。
一つには政策や理念無視で「アンチ自民」や「政権奪取」だけの烏合の衆だったので、公約とかマニフェストは単なる選挙対策であって実現に対して真面目に考えていなかったのでしょう。
もう一つには、自分たちが掲げてきた公約とかマニフェストを統合するだけの思考力が欠如していたのだと思います。
要するにバカの集団に政権を担わせると、こうなるという好例になってしまったのですね。
http://d.hatena.ne.jp/toroop/20100321/p1
なんでこう、高見から人を見下ろす姿勢を取れるんだろう。
この人に限らず自称中立派の人は、「いままで私たちの意見を無視してきたオタクは自業自得だ」「今更『表現の自由』なんて白々しい」とおっしゃる。
なんつーか、うまく言葉に出来ないけど、こういう人たちが俺は嫌いだ。心底嫌いだ。規制派より「気持ち悪い」。
俺はもちろん表現の自由なんて西洋由来の思想はどうでもいい。ただエロ漫画を守りたいだけだ。
でもあんたたちは表現の自由とやらを神聖なものとして守る戦いをしていらしたのでしょう。だからそれだけ他者を見下せる自信があるんでしょうね。
でもその思想はオタクに対してはどうでもいいらしい。簡単に言えば、彼らにとってオタクとは共感できない、むしろ蔑むべき烏合の衆、って訳だ。
「改心した人もおる」?すごいね。自分たちはエリート様で、無知蒙昧な大衆を啓蒙するけど、オタクは「キモい」からやっぱやだ、ってことかしらね。
あんたたちが守ってきた「弱者」のひとたちは、今回の件で「反対」って声を上げてるかい?
ああ、うまく書けないし、理論的なことも言えない。
ただはっきり言えるのは、あんたらみたいな人間たちから擁護してもらう気はさらさらないってことだ。
あなたたちエリート様の力を借りずに結果として規制に追い込まれたとしても、それでいいよ。
だって、そうなったらあんたらの思想を正しい、自分は愚かだった、改心します、ってことになるらしいから。
反吐が出る。
http://d.hatena.ne.jp/toroop/20100321/p1
なんでこう、高見から人を見下ろす姿勢を取れるんだろう。
この人に限らず自称中立派の人は、「いままで私たちの意見を無視してきたオタクは自業自得だ」「今更『表現の自由』なんて白々しい」とおっしゃる。
なんつーか、うまく言葉に出来ないけど、こういう人たちが俺は嫌いだ。心底嫌いだ。規制派より「気持ち悪い」。
俺はもちろん表現の自由なんて西洋由来の思想はどうでもいい。ただエロ漫画を守りたいだけだ。
でもあんたたちは表現の自由とやらを神聖なものとして守る戦いをしていらしたのでしょう。だからそれだけ他者を見下せる自信があるんでしょうね。
でもその思想はオタクに対してはどうでもいいらしい。簡単に言えば、彼らにとってオタクとは共感できない、むしろ蔑むべき烏合の衆、って訳だ。
「改心した人もおる」?すごいね。自分たちはエリート様で、無知蒙昧な大衆を啓蒙するけど、オタクは「キモい」からやっぱやだ、ってことかしらね。
あんたたちが守ってきた「弱者」のひとたちは、今回の件で「反対」って声を上げてるかい?
ああ、うまく書けないし、理論的なことも言えない。
ただはっきり言えるのは、あんたらみたいな人間たちから擁護してもらう気はさらさらないってことだ。
あなたたちエリート様の力を借りずに結果として規制に追い込まれたとしても、それでいいよ。
だって、そうなったらあんたらの思想を正しい、自分は愚かだった、改心します、ってことになるらしいから。
反吐が出る。
過去、ソフトハウスの企業回りしてて、現在、製造業の企業回りをしていて思うのだが、どの業界でも、そうなんだなと思った。どんな業界にも面白い企業はあるし、つまんない企業はある。
傾向として、下請けばっかりやってる企業って、技術力の向上に励む気概を感じられないというか、おたくの代わりなんて、第三者の俺から見て、いくらでもいるでしょ!? と思ってしまう。従業員数はそこそこいるから、それなり企業かなと思ったら、烏合の衆なんだろうか。規模はちっちゃくても、尖ってる企業が強いと思った。
残念なのは、そういう魅力が外観からはわかりにくいということ。オフィスの見た目がショボくてビックリする。といっても、現状で十分だから、その必要がないのかな、どうなんだろね。
横井軍平語録
「ソニーのウォークマンをみて、私はすごいと思います。ウォークマンというのは、ソニーの技術力で
しかできないものだったか。決してそうではない。他の会社だって、ウォークマンを見さえすれば
簡単に作ることができたはずです。ところが、ウォークマンというアイディアはソニーしか出せなかった」
「売れる商品というのは、まじめに取り組んだらできるんです。最先端の技術を使ったら、かえって
売れない商品ができてしまう。だから、「枯れた技術の水平思考」で気楽にものを考えれば、
まだまだ売れる商品が作れるのです」
有名な言葉だが、この考え方は現状でも使えるのだろうか。
例えば、日本企業は、アップルの製品群のような横の連携をした総合的な環境やサービスとしての売り方、他社製品にもつながるが、純正品で揃えた方がより性能を引き出すことが出来るという考え方はない。いや、あるかも知れないが、デジタルネットワークにおけるコアとなるハブが存在しないか、貧弱なため、うまく行っていない。(逆に言えば、アップルはマイクロソフトより酷い独占企業とも言えるかも知れないが)
もちろん、横井軍平の思想を体現しているのは任天堂のみだ、という反論は有効だと思うが、他の日本企業が、たまに面白い製品を作る事も事実だと思う。(例えば、デュアルディスプレイノートPCとか)
よく言われている通り、面白い製品が出ても、後がつながらない、戦略的視点がないのだというのは多分その通りだと思うのだが、ではどうすればいいのだろうか?
個人的に一つ思うのは、アウェイであるPCに強力な戦略的拠点がないと辛いのではないかということだ。(つまり、アップルのiTunesのように)
例えば、グーグルを見習い、電機メーカー各社がオープンソースであるグーグルのクロームを改造した共通のブラウザをプリインストールして、そこを戦略拠点(ハブ)とし、例えば、デジカメの画像をアップロードが出来るなど、デジタル家電と連動できる前線基地にする。(別にファイアフォックスのアドオンでも、オペラでも良いかも知れないが)
もちろん、インターネットTVにはデフォルトでそのブラウザがついてくる。
心配なのは、デザインがゴテゴテになることだが、そこら辺をうまく解決して、なんとかならないもんかと思う。
一社でも横の連携がうまく行っていないのに、沢山ある家電メーカーの烏合の衆をまとめられるのか?という反論はあるかも知れないが、それこそ、優秀な官僚が主導してやるべきではないか。
やるからには世界一じゃないとダメだろと言われ続けてきたのが2002年くらいからの流れだったんじゃないかなーと思う。
なのにここ2年で急に「世界一でも意味がないよ」と言われたりしてきたような気がする。
しかし別の方面からはピーク性能よりも意味のない「ピーク性能の性能単価」で比較して批判されたりしてきた。
たとえばこの記事
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/7a0b5fd9f33ff6d2be7f8e8255b7007f
性能単価ではPS3とかPCに勝てるわけないのでそもそも無駄な比較だと思う。
RADEON5870を2枚つんだ20万のPCを作ればそれだけでピーク4TFLOPS。つまりTFLOPS単価は$500なのである。
だけどそんなPCを1000台つなげたところで烏合の衆であり、できる計算は限られているはずだし、そんな構成で速く計算をやろうとしてがんばってソフト書いた挙句うまく速度が出ないなんてことになったりしがちである。
スパコンの真価はピーク性能じゃなく実効性能であるべきだ。
1990年代には実行性能が高くてソフトが作りやすいのはベクトル計算機であるといわれていた。
今では違うのかもしれないけど、でも地球シミュレータはベクトルで高性能なスパコンを作ったというところに価値があって、
だからこそ地球温暖化シミュレーションなどでばんばん使われて成果を出したのではないかと思う。
しかしベクトルはピーク性能をあげにくい。実際には速く動いてもピーク性能は落ちるので世界トップを目指すのは難しかった。
地球シミュレータがしばらく世界一の座に君臨していたことで、今度も「作るからには世界一」という話になったのではないだろうかという気がする。
そして世界一を目指すためにはベクトルではダメでスカラーを混ぜる必要があったのだろう。
いろいろあって結局(唯一ベクトル計算機を作り続けていた)NECは今回のスパコンプロジェクトから離脱し、ベクトル部分はなくなった結果、
京速計算機は富士通のSparc64VIIIFXを複数組み合わせただけのスカラ型のものになった。
Sparc64VIIIFX自体はたぶん悪くないのだろうと思うが、新CPUを作った上でスカラ型で構築する以上、他のスカラ型に負けていてはダメで世界一でなければ意味がない、というのはわからなくもない。
一方で、ベクトルじゃなかったら正直どうでもいい、別に世界一目指さなくてもいいじゃん、という気もする。
スパコンの専門家が今回「別に世界一じゃなくていいんじゃないか」と言ったのはそういうバックグラウンドがあっての話だと思う。
学会というのは「講」である。つまり、「講」だ。この時点で、まともな宗教団体ではなく土着の宗教や信仰宗教団体である。
つまり、創価学会は「池田先生」なるものを依り代にして集まっている「烏合の衆」であって、宗教的なものを目当てとしない。
「三丁目に住んでいる高橋さんの家に会合についてのパンフ渡してきて」
「あ、そうだ。ついでにこの間いった旅行土産もついでに(ry」
こんな世界が学会だ。創価学会なんてものすごく着飾って言っているけど、ただの中身はこんなもんだ。2chとかと一緒。
でも宗教団体なんだ。だから、変なノルマもあるし、特に「講」という制約があるから近所付き合いになる。
煩わしいと思うのならやめた方がいい。そして近所付き合いである以上、黄金地区に住むなら嫌になる。だから嫌われてるんだと思ってる。
学会の良い点も悪い点も「講」だからだよ。宗教講だったか。集団講だったかでぐぐれ。石仏信仰で出てくるあの「講」だ。
俺は「池田」はいらない。俺は「講」が欲しいけど、「池田」はいらない。
「講」という依り代にいたいけど、そこで「先生凄い」とまではいえない。
しかし哀しいかな、そうしないと「講」として成り立たないんだ。教祖が凄いとやらないと無理。
だからあんな道化に走ってるんだと思う。名誉賞とか、勝利とかってうたい文句はそうしないと講として成り立たないんだ。
谷垣氏は増税によって財政を再建するという主張の、財政再建派である。揮発油税の新設によって道路利権を確立した田中角栄氏の直系とも言える。合理化や構造改革は一切行わず、銭が足りないならば増税すれば良いという主張であり、増税によって財源を確保し、族議員として君臨するという行動様式が刷り込まれている。
穴のあいたバケツに水が溜まらないならば、さらに水を注ぎ込めば良いということで、穴から漏れ出る水にたかっている天下りや公共事業は、今以上に勢い良くあふれ出る水で潤うという事である。道路族と相性が良く、谷垣派は古賀派と合同した。
与党であった頃ならば、公共事業を期待する地方の票を集められたのだが、今の自民党は野党である。あの選挙で自民党が勝っていたら、古賀派が第一派閥として自民党を牛耳り、谷垣氏が傀儡として総理大臣になっていたであろう。
ただし、今の自民党は野党であり、利権の分配にはありつけない。自民党の地方組織は、公共事業や補助金を分捕る為に集まった烏合の衆であり、野党に転落した以上、それらは民主党に乗り換えるだけである。金の切れ目が縁の切れ目である。
麻生氏は積極財政派で、ばら撒きで景気を回復させて税収を増やし、財政を再建するという主張であったが、幾らばら撒いても、波及効果は無く、税収は全然増えず、財政赤字だけが増えていくという小渕内閣の失敗を繰り返した。
増税による財政再建派もダメだし、ばら撒くだけの積極財政派もダメという事で、構造改革を主張する上げ潮派が政権についたのだが、後継に人を得ず、結果的に、財源を抱えていて復元力の強い財政再建派が盛り返してしまった。
麻生氏が引く事で積極財政派の目は無く、上げ潮派は元々後継者不足であり、出馬できるとは思えない。消去法では財政再建派の谷垣氏ということもありえるのだが、金権体質の象徴とも言える古賀派が自民党の総裁派閥になったら、ますます、自民党再生の目は無くなるであろう。
古賀派が総裁選に負けた場合には、それを理由に離党して民主に野合という展開もありえる。道路族の利権は与党にいてこそであり、野党では意味が無い。古賀派が離党となれば、自民党が空中分解したという印象を与え、これも、自民党再生の目を無くすという結果に繋がりかねないのであった。
それにしても、特別国会というのが残念である。特別国会では短い会期しか設定できないので、通常国会前日まで会期を設定できる臨時国会にし、いきなり審議を始めると予想していたのだが、大臣が状況を把握する為の時間が必要らしい。民主党はシャドーキャビネットを組んでいた筈なのだが、大臣人事の段階でこれだけ時間がかかっているということは、ごっこ遊びに過ぎなかったのであろう。
LingrとRejawサービス終了のお知らせ:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://japan.cnet.com/blog/kenn/2009/05/01/entry_27022150/
>実際、集まったメンバーはぼく自身が裏方に回らざるをえない、すごい人たちでした。
>4人というのはやはり大所帯だったということです。
ドラッカーは「マネジメントとは平凡な人が集まって非凡なことを成し遂げるためのもの」と言ってますが、つまりは優秀な人たちをマネージメント
できなかったわけでしょう。
優秀な人たちをまとめる能力がない(カリスマ性がないなど)なら優秀じゃない人をあつめれば良かったと思います。
会社なんてトップの器でおおよそ決まるんで、自分より優秀な人をあつめても見合う器がなければ舐められたりして烏合の衆になってしまう。
じゃあ、優秀なエンジニアを集めるにはトップはスーパーなエンジニアじゃないといけないかというとそうではなくて、突き抜けた感じ(狂気?)とかカリスマ性だと思います。
うーん、なんだろ。。江島さんにはそういう何か過剰なものがなさそうなのが根本原因なのに、それを評論家風に分析してるのが引っかかてるのかなあー。
土芥寇讐
孟子・離婁篇下に、"君之視臣如土芥 則臣視君如寇讐"とある。
君が土やごみのごときに臣を視れば、すなわち、臣はかたきのごときに君を視ると読む。
人の上に立つという事は、自分の身代わりに尻尾として切り捨てられる人を作る事でも、自分を支えてくれる人を集めるという事でもない。わざわざ人を束ねてまでして、やらなければならない事をやる為に、人を集め、人の上に立つのである。そうでなければ、臣を軽んじ土芥の如くに見るようになり、君臣の関係は消滅してしまう。
大義を持ち人を束ねる者を君と呼び、大義に沿って働く者を臣と呼ぶ。大義を持たずに人を束ねる人を賊と言い、上下の関係は禽獣と同じで力の差しか無いとなる。
まともな人ならば、一度でもそれをやったり、それをやった顛末についての記録が歴代当主の日記など(cf.[2003.7.26])で残っていたりすれば、一族郎党の生存の為などの切羽詰った状態でなければ、それをやろうとはしない。だが、全ての人間がそういう教育を受けているわけでもないし、受けられるわけでもない。偉くなりたいという思い込みだけで突っ走る人も存在する。
戦後の平等教育においては、人を組織するのは秩序の為であり、契約によってのみ雇用関係は存在するとされ、主従関係は否定された。仕えるとか供するといった概念が否定されたのである。その状態で、わざわざ人を束ねてまでしてやらなければならないような事というのは、存在しない。束ねようにも、そこにあるのは契約された関係だけとなり、人を束ねてまでしてやらなければならない事に、正義や道理や誠といったモノは必要ないとされてしまった。つまり、大義が果たされてしまうと、その後は、契約を守る事だけが必要とされ、その手段は、組織の実存によって正当化される。官僚機構の肥大化や、資本と宣伝の力を利用して先行者が切り開いた市場を根こそぎにして利益を追求するといった企業の巨大化は、この理屈の実体化である。
雇用契約を守る為に利益を上げる事や、雇用契約を有利にする事が実績とされる状況では、組織の存続の為にあらゆる行為が正当化される状態となり、歯止めがなくなる。
生存する為だけならば田んぼや畑を耕していれば良いという人を、組織して働かせるには大義が必要であり、それを持ち、人に訴えられる人が頭領となるのに比べ、生活の為に賃金を稼がなければならず、労働力を切り売りするしかない労働者を契約だけで集めた組織は、大義など必要としない。それだけに暴走しやすい。そういった組織のトップは、その組織が社会に対してどのような存在になるべきかの、明確な意思を持っていなければならない。烏合の衆の風見鶏に過ぎないのであれば有害であるし、労働者に階層をつけ、派遣は低賃金で使い捨て等とやっているのでは、害毒でしかない。
社会が平等であることは良い事ではあるが、無能な凡人の拡大再生産になりやすく、しかも、凡人の組織が巨大化してしまうと、組織の存続の為に周囲に迷惑を振りまくようになる。
大義を果たした後に、新しい大義を思いつけず、しかも、解散もできない組織が、見苦しくのた打ち回った挙句に自壊する時に、どれほど社会に迷惑をかけるかを考えなければならない。
功よりも罪の方が人の記憶には残り易いものである。
>日本社会については、相互扶助の概念があるのはhttp://anond.hatelabo.jp/20081201181527で既出だし、
日本社会については第一義ではないが相互扶助の機能を有することは認める
>株式会社についても、「利用しあう関係」というものが騙しあいでない限りは、協力関係そのものだし、
弱いもの(無能)はクビになるよ。
>サークルについては、個人的満足を各人が得るために協力するし、
>mixi,はてなについても、構成員自体は烏合の衆とはいえ、こういうサイトは人が集まる場としての機能に基づいてサービスが行われているし。
人が集まる場としての機能≠相互扶助だが
>共同体というのはこの協力行為
真摯な思考がなかなか人に受け入れられないということは良くある。人に訴えるというのはそうそう甘いことではない。たとえばあの三島由紀夫ですら、自殺する直前の大演説で散々なことになってしまっている。
文章には以下のような種類がある。
1が最高の文章で、4が最悪の文章だ。
mixiで3のような文章ばかり書いているリア充は「烏合の衆」だ、と増田は主張していると考えてOKだろうか。残念ながら自分には、増田が何を言いたいのか一読ではよくわからなかった。実は今もよくわからない。増田自身は、4の文章を書いてしまうような罠に陥ってしまっていないか。
なぜリア充の文章が進歩しないか。それは、リア充たちの間で批評が存在しないからだ。
しかし、増田自身もまた、自分の文章に対する批評を怠っていないか。あるいは巧妙に逃げようとしていないか。その点において、リア充を見下す資格が増田にあるのか。
まあ、ネットは底抜けに寛大だから、リア充も増田も同じように受け入れてしまう。システム的にどちらかを区別しているわけじゃない。ただリア充の方が数が多いというだけだ。そこでリア充のようにお喋りするのも、増田のように独り言を吐くのも、どちらも立派な利用法だ。
文章を書くに当たって他人の批評を受けられる機会がなかなか少ないというのは確かにある。文章を書くことを生業としていなければ、よほど恵まれていない限り皆無だろう。
だからこそ、まず自分が最大の批評家になるべきだ。そのためにはかなりの訓練や努力が必要だ。毎日数時間ニュースを漁って駄文を書き散らしてもそれは得られない。
それに、毎日数時間ニュースを漁るなんて愚の骨頂だと思う。今のことばかり追いかけるなんてそれこそ「烏合の衆」のやることだ。そんなことは「烏合の衆」に任せておけば良い。
ニュースなんて30分も見れば良いだろう。空いた時間で古典を読むべきだ。文章術の本も定評のある良書がたくさん出回っている。それらを読んで、自分の文章と思考法を点検するべきだ。
良い文章が必ず持っている特徴のひとつは、読者を想定して書かれているという点だ。
増田はどんな読者を想定しているのか。読者にどれだけ予備知識があり、どんな語り口なら受け入れられるか、いつも考えているか。
別に想定読者が多くたって少なくたって構わない。ただ「このような人にこう読まれたら成功」という達成目標が良い文章には必要だ。
それが明確なら、リア充の反応が鈍くたって嫉妬しないで済む。逆にまぐれでリア充に騒がれたって、文章の本来の価値を見失わない。
リア充は自分の文章の進歩なんて望んでいないし、故に批評も不必要だ。だからリア充はあの通りだし、あの通りで満足なのだ。
だが、増田はきっと進歩を望んでいると思うし、自分に批評も必要だと思っているだろう。
だったら、リア充のことなんかどうでもいいから、自分が必要としているものを黙って取り入れて欲しい。
大学生なら、これからレポートや論文を否応なく批評される機会が増えるだろう。どうかその機会を最大限に生かして欲しい。
あと、ここまで増田に合わせた言葉の使い方をしてきたが、「リア充」=「思考停止」とは言い切れないと思う。
僕はリア充が嫌いです。それも半端無く嫌いです。
言葉の定義、「ネットではなく現実の生活が充実している人」の定義はともかく、にわかニコ厨やスイーツ(笑)的な意味も含め、頭が止まってる人が嫌いなんです。で、俗にリア充と呼ばれている人達はその比率がいやに高い。
僕はネットでリア充をdisりまくってて、オフやら行ってもそんな調子で。「お前リア充になんかなりたくないんだろ」といろんな人に言われました。そう、だいたいその通りです。いくら見た目リア充っぽいと言われても、僕の精神性は一般から逸脱したリア貧そのものです。悲しい事にね。
彼らの脳味噌のスキマっぷりは筆舌に尽くしがたく、mixi日記なんか読むと、吐き気がして死にそうになるんですね。ニュース関連日記はもっと酷い。その程度の表現力で何を言ってるんだ?と。それ面白そうに見えるように書いてるんだろうけど、全然面白くないよ、と。ケータイ小説から釣り成分を抜いたような、質が悪いエントリにくだらないコメントをつける烏合の衆。キーワードに反応して脊髄反射的に媚びを押し付けあうノータリンのバカども。
そういう人達に合わせないといけないのかな、と思った時期もあるけど、そうじゃない。言いたい事も言えないのなら、何も言わない方がマシです。僕は最近mixiに日記を書かなくなりました。
レベルが低い空間でお互いの無知を許容するようなコミュニケーションを続けて、一体何の益になるやら。それを心地よく感じる事がリア充たる条件なら、僕はリア充じゃなくてもいい。
リア充、じゃないですね。今の時代はそれが「普通の人」であって、僕みたいな精神を病んだような日記書くアホは異端なんですよね。それに批判するぐらい僕が面白い文章を書いてるわけでもなし。あーばからしい。何を言ってるんだ僕は。
最初の2、3年前は、期待してたんですよ。mixiに。
みんなが自己表現できる空間として、リテラシーの底上げになって、僕みたいな小学生から公開日記やブログ書いてた人が許容される世の中にならないかなって。
ただし、著しい劣化を伴って。
「何かを考えている」ということをアピールした日記は、mixi的にはコメントがつかない。基本的に興味を持たれない。最近は自分の無知を曝け出すのが流行らしいけど、そんな流行にのるのは頂けない。「わからない」で思考停止する人を僕は見下しているし、存在する価値がないとさえ思う。死ねばいいのに。
2chや他のメディアの方がね、遥かに洗練された文字コミュニケーションを持っているんです。だから僕は2chやギークの文化が好きだし、彼らに敬意を払っている。Twitterではなんとなく居場所を見つけた感もある。
殺人予告や犯罪の温床として批判するお偉い方もいるけど、2ちゃんねらーはそんな人より遥かに優れたリテラシーを持ってます。こなした場数が違うんです。荒らしにどう対処するかのノウハウも豊富だし、ある程度の自浄作用もある。
僕は毎日2〜3時間ニュースを漁るので、ある程度は情報強者である自覚があるし、ちゃんとそれなりに考えてる方だと思っている。それについて誰かと会話したいと思っている。ただ身近にそんな人は少ない。いないわけじゃないけど、悲惨な状況です。
僕は都内の大学の一年です。大学に来たのは尊敬する人を見つけたかったからで、今の大学ならそれが見つかるんじゃないかと漠然と思ってました。ただ探さないと結局見つからないんです結局は。そして、僕が彼らに取って価値がある、対話するに値する人間かというと微妙なところで。だからそ勉強しないといけないと思ってるし向上心もある。いまのところは向上心を買ってもらうしかないですね。卑怯だけど。
僕にできない事をやれるという意味でリア充の尊敬する部分は若干あるにしても、それ以外は心の底で見下している。本当につまらない人種だと思っている。
あぁ、僕の性格が悪いのは承知の上です。「おまえら烏合の衆と一緒にするんじゃねぇ」と思ってるし、「普通の人」達を「烏合の衆」だと思ってるわけですからね。もっと面白い日記かけよお前ら、といっても無駄で。一石一鳥で身に付くもんじゃないし、生き方そのものが言葉に出るし、こんな言葉がずらずら出てくる僕はきっとまともな人間じゃないし。全然この日記面白くないし。
何も考えない方がきっと幸せになれるけど、そんな生き方は受け入れられない。受け入れたくない。
それで、必死で考えたつもりになってる僕より、「烏合の衆」だと思ってる人達の方が相対的に幸せだというその現状をどうしようもなく歯がゆく感じるから、こんなどうしようもない日記を書いて、今日も僕はTwitterに逃げます。
はてブって建前では「オンラインブックマーク」で実質は「ウェブ上の記事に対する一言コメントコーナー、たまに議論もあるよ」だしそこに「集まって何かをやれよ」と求めるのは違う気もする。
2chを例に出してるけど、ネット上の烏合の衆がいちいち何かに口出ししようとすると危険なことになることも多いですよ、ってのも2ch見ればわかるしな。
だからまあはてブ内で言い合っててそれぞれが得るものがあってでそれでいいんじゃないのかなと思うわ。
はてブははてブで集団でブックマークされて批判を受けたら批判される側は嫌な気持ちにも相当なるし一種の口出しにはなるけどね。
[はてブ]2006年12/31までに指摘されたはてブに関する問題まとめ
はてなブックマーク - [はてブ]2006年12/31までに指摘されたはてブに関する問題まとめ
その他の参考