真摯な思考がなかなか人に受け入れられないということは良くある。人に訴えるというのはそうそう甘いことではない。たとえばあの三島由紀夫ですら、自殺する直前の大演説で散々なことになってしまっている。
文章には以下のような種類がある。
1が最高の文章で、4が最悪の文章だ。
mixiで3のような文章ばかり書いているリア充は「烏合の衆」だ、と増田は主張していると考えてOKだろうか。残念ながら自分には、増田が何を言いたいのか一読ではよくわからなかった。実は今もよくわからない。増田自身は、4の文章を書いてしまうような罠に陥ってしまっていないか。
なぜリア充の文章が進歩しないか。それは、リア充たちの間で批評が存在しないからだ。
しかし、増田自身もまた、自分の文章に対する批評を怠っていないか。あるいは巧妙に逃げようとしていないか。その点において、リア充を見下す資格が増田にあるのか。
まあ、ネットは底抜けに寛大だから、リア充も増田も同じように受け入れてしまう。システム的にどちらかを区別しているわけじゃない。ただリア充の方が数が多いというだけだ。そこでリア充のようにお喋りするのも、増田のように独り言を吐くのも、どちらも立派な利用法だ。
文章を書くに当たって他人の批評を受けられる機会がなかなか少ないというのは確かにある。文章を書くことを生業としていなければ、よほど恵まれていない限り皆無だろう。
だからこそ、まず自分が最大の批評家になるべきだ。そのためにはかなりの訓練や努力が必要だ。毎日数時間ニュースを漁って駄文を書き散らしてもそれは得られない。
それに、毎日数時間ニュースを漁るなんて愚の骨頂だと思う。今のことばかり追いかけるなんてそれこそ「烏合の衆」のやることだ。そんなことは「烏合の衆」に任せておけば良い。
ニュースなんて30分も見れば良いだろう。空いた時間で古典を読むべきだ。文章術の本も定評のある良書がたくさん出回っている。それらを読んで、自分の文章と思考法を点検するべきだ。
良い文章が必ず持っている特徴のひとつは、読者を想定して書かれているという点だ。
増田はどんな読者を想定しているのか。読者にどれだけ予備知識があり、どんな語り口なら受け入れられるか、いつも考えているか。
別に想定読者が多くたって少なくたって構わない。ただ「このような人にこう読まれたら成功」という達成目標が良い文章には必要だ。
それが明確なら、リア充の反応が鈍くたって嫉妬しないで済む。逆にまぐれでリア充に騒がれたって、文章の本来の価値を見失わない。
リア充は自分の文章の進歩なんて望んでいないし、故に批評も不必要だ。だからリア充はあの通りだし、あの通りで満足なのだ。
だが、増田はきっと進歩を望んでいると思うし、自分に批評も必要だと思っているだろう。
だったら、リア充のことなんかどうでもいいから、自分が必要としているものを黙って取り入れて欲しい。
大学生なら、これからレポートや論文を否応なく批評される機会が増えるだろう。どうかその機会を最大限に生かして欲しい。
あと、ここまで増田に合わせた言葉の使い方をしてきたが、「リア充」=「思考停止」とは言い切れないと思う。
僕はリア充が嫌いです。それも半端無く嫌いです。 言葉の定義、「ネットではなく現実の生活が充実している人」の定義はともかく、にわかニコ厨やスイーツ(笑)的な意味も含め、頭...
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リア充であることと頭が止まってることは全く関係ない。 ギターやスポーツで試行錯誤してるリア充、エロゲーして時間を浪費しているだけのリア貧。 消費しているだけのオタクを僕は...
リア充なんて非モテの妄想だろ。
あああもうなんか典型的な「おれはその辺のバカとは違うんだ」文章。昔の俺だ。と増田の多くが思ってると思うし俺も思ってる。あと5年かなあ。その域を抜けるのは。