学会というのは「講」である。つまり、「講」だ。この時点で、まともな宗教団体ではなく土着の宗教や信仰宗教団体である。
つまり、創価学会は「池田先生」なるものを依り代にして集まっている「烏合の衆」であって、宗教的なものを目当てとしない。
「三丁目に住んでいる高橋さんの家に会合についてのパンフ渡してきて」
「あ、そうだ。ついでにこの間いった旅行土産もついでに(ry」
こんな世界が学会だ。創価学会なんてものすごく着飾って言っているけど、ただの中身はこんなもんだ。2chとかと一緒。
でも宗教団体なんだ。だから、変なノルマもあるし、特に「講」という制約があるから近所付き合いになる。
煩わしいと思うのならやめた方がいい。そして近所付き合いである以上、黄金地区に住むなら嫌になる。だから嫌われてるんだと思ってる。
学会の良い点も悪い点も「講」だからだよ。宗教講だったか。集団講だったかでぐぐれ。石仏信仰で出てくるあの「講」だ。
俺は「池田」はいらない。俺は「講」が欲しいけど、「池田」はいらない。
「講」という依り代にいたいけど、そこで「先生凄い」とまではいえない。
しかし哀しいかな、そうしないと「講」として成り立たないんだ。教祖が凄いとやらないと無理。
だからあんな道化に走ってるんだと思う。名誉賞とか、勝利とかってうたい文句はそうしないと講として成り立たないんだ。
学生の頃は先生という人生の道しるべがおりました。わからないことはみんな先生にきいて解決しました。解決できないことはまずありませんでした。しかし社会に出てみると解決でき...
薬を飲んでいるため文章の保証はしない。学会の話を記す。 学会というのは「講」である。つまり、「講」だ。この時点で、まともな宗教団体ではなく土着の宗教や信仰宗教団体である...
講が欲しいのはどうして?
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