医者の息子として生まれ、幼少期から神童と呼ばれ、医学を学ぶために10才からドイツ語を学び13才で年をごまかして第一大学区医学校予科(現在の東京大学医学部)に合格、19才で卒業。陸軍軍医として勤務。
その後も政府内の超エリートとして順調にキャリアを重ね、陸軍では日露戦争にも出征し軍医総監、一方文学者としても活発に活動し、最終的には文学博士であり医学博士であり、退いて後も帝国博物館総長兼宮内省図書頭として正倉院の調査に着手、明治の元老山県有朋と交友があり日本の元号のあり方にも一家言あり、また初代帝国美術院院長もつとめた。もちろん翻訳家、創作家としても名高い文豪であり、また大正の浪漫派を主導した雑誌「スバル」を強力にバックアップしたりもしている。まさに近代日本の根底を支えた最大の知識人、つーかバケモノ。
では頭でっかちの野暮天だったかというとそうでもなく「4才で初恋を経験した」と主張する彼は、留学したドイツでは女の子をひっかけこれが日本についてくる騒ぎとなり、最初の妻とは離婚したが18才年下の嫁を貰って子供を4人作って大変愛した(長男は最初の妻との間の子)。
そして、それでも本人はあんまりこの世が幸せでなかったらしく、死ぬときはそういう肩書きの類一切を固く拒否するという遺書を残した。欲の深さも天才級。
まあそんなわけで……結論はなんでしょうね。
こんな天才と比べたら、って、なんだか比べるのも馬鹿らしくなってくるというか。
まあほどほどが一番という、きわめて庶民くさい結論で納得しとけってことでしょうかね。
俺も天才として生まれたかったです。憎い。
森鴎外 医者の息子として生まれ、幼少期から神童と呼ばれ、医学を学ぶために10才からドイツ語を学び13才で年をごまかして第一大学区医学校予科(現在の東京大学医学部)に合格、19才...
森鴎外のその人生から「ほどほどが一番」って結論になる理屈がいまいちわかりません
おまえは森鴎外のような選ばれた人間ではないから欲張らずほどほどで満足しておけ。
だから話繋がってねーよ
どれだけ才能があっても、現世的地位を追い求めても、そんなことで人は幸せになれないということです。
またも「繋がり抜かせば正論かもしれないけれど繋がってない意見」じゃないか
人の感想に勝手に絡んで「非論理的だ」とか批判して勝手に論破したつもりで悦にいるという妙な癖、なんとかしてくれませんか?誰も頼んでないんで。 http://anond.hatelabo.jp/20071114134809
その天才さまのお墓は太宰治の墓の前にある。 太宰に集まるファンが鴎外の墓を踏みつけて、太宰の墓の写真をとるのは有名な話。
子供4人がどうなったか気になるな。
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つ森マックス - Wikipedia