リアルな話、「見つめていると向こうも見つめ返してくる」状態、それを端的に表す語彙があんじゃん
恋ですよ
お前は深淵を見つめる
深淵はそれが気になって、見つめ返してくる
あるいは逆かもしれないぞ
深淵がお前を見つめているから、お前は無意識のうちに見返しているのかも
なんでそんなことになるのか?
恋ですよ
お前、好きなんだろ、深淵のことが
深淵もお前が好きなんだよ
じゃないとそういうことにはならない
俺は深淵と親しくないけど、世の中の仕組みには詳しいつもりだ
そういうことです
早く素直になっちゃいなよ
こんな状況になったらやめるという正しい判断ができる人たちだと思ってたんですよ…
しかしうちではそのぐらいの価格帯の商品を買ってもらえるのは誕生日とクリスマスだけだった
子供には長すぎる数ヶ月を過ごし、ようやくそのタイミングを迎えたとき
ポケモン赤はプレゼントしてもらえたがゲームボーイは与えられなかった
代わりに与えられたのはスーパーファミコンに挿して遊ぶスーパーゲームボーイだった
素直にゲームボーイではなかったのは、携帯機であるため親の監視外で遊ばせたくないという思惑があったらしい
それに加えて
・小さな液晶を覗き込むよりTV画面の方が視力低下の影響も多少はマシだろう
という考えもあったようだ
友達と遊ぶときにはプレイ環境一式を外に持ち出すわけにはいかず
ソフトしかないのでそれぞれがゲームボーイを持ち寄って遊ぶ空間では自分はプレイすることはできない
公園ではもちろん無理だし
友達のゲームボーイを借りるにしてもみんなまず自分が遊びたいのは当然だ、貸してもらえることなど少ない
友達の家で遊ぶときでも、わざわざそこのスーパーファミコンを借りるというのも不自然でハードルが高く実現することは少なかった
そもそもその時に発売していた初代スーパーゲームボーイには通信端子が無いのだ
(通信端子のあるスーパーゲームボーイ2が発売したのはそれより後のことで、スーパーゲームボーイを既に持っている子供が買い換えるにもメリットが少なかった)
混ざれるはずなのに混ざれない
一番下が自分だった
悪意を持って明確に仲間外れにされることはなかったが
その場でポケモンを一緒に遊べる仲間の方が親交が深くなるのは当たり前で
それがすごく惨めだった
20年以上たった今、その時のヒエラルキーが流石にそこまで尾を引いているはずもなく
ふとあの時の疎外感を思い出す時がある
他と同等に揃えてもらえない子は
かつての自分と同じように寂しい思いをしているのだろうかと
ぼんやりと思いを馳せるのだ
はてブを見る限り、結構な共感があったようで、書いた甲斐があった。
寄せられたコメントの中からいくつか取り上げたいものがあったので、追記しておきます。
自分の回りにもいました。
貧乏だから買ってあげられない、というケースは見なかったけど、親の方針でゲームを買ってもらえない子。
90年代当時の親世代にとって、まだゲームへの偏見や未知なるものという認識は多かったと思います。
やはり、禁止されている子供は逆に執着してしまう傾向にありました。
大人になって反動でゲーム三昧の人もそれなりにいるでしょうね。
かく言う自分も、完全禁止でないにせよ少しずつ不便や不満を重ねていたので、
これは、当時は仕方のない話かと思っています。
特に恨んだとか、間違っていたとは考えていません。
子供のコミュニケーションツールとして重要なポジションにあったことは理解できていなかったのですから。
ゲーム世代が親になり、かつての苦労と大人目線での懸念から葛藤しているのもわかる話です。
ゲームに理解があっても程よい距離感で向き合わせるには難しいでしょうね。
ネット接続やSNSの広がりもあり、フォローアップしてあげることの難易度も上がってしまいました。
自分の家に呼べば友達がゲームボーイを持ってきて、自分は自分のスーファミで遊べますよね。
ここは地理的な問題なのですが、小学校から自分の家が一番遠くにあり、坂の上にありました。
いわゆる新興住宅地(○○台と名前のつくような所)です。集まるには不向きでした。
たまり場になる友達の家がありましたが、ゲームが多かったり集まりやすい立地にあったのが大きな理由ですね。
対戦というより、自分のポケモンを進めつつ、お互いの進行状況をその場で共有して楽しむ、という場でした。
ポケモンスタジアムは持っている子もいましたが、起動率はそこまで高くなかったですね。
ゲームボーイで何をしていたかと言うと、赤緑の出現ポケモンが違うので、
赤でしか出現しないマンキーを持ってない緑の子のためにその場でマンキーを捕まえて交換してあげる、なんて光景も有りました。
うちの地域でポケモンスタジアムが脚光を浴びたのは、ポケスタ金銀が発売されてからでした。
しかし、そこまで来るとポケモン一色ってほどのブームでは無くなっていました。
あくまで、ポケモン赤緑の一時期だけがそれ以外がほぼ無いぐらいに占めるコンテンツだったんですよね。
やりましたよ!スーパーマリオワールドや星のカービィスーパーデラックスなど。
ドラゴンクエストなど1人用RPGをプレイしている様子を眺めつつ、自分は置いてある漫画を読みふけるなんてこともしましたね。
その話を盛り込むと要旨がボヤけてしまうので、今回はポケモン赤緑の話に絞っていました。
みんな揃ってポケモンに傾倒した時期があって、そこで疎外感を覚えたのは大袈裟に受け取ったことでもなく事実です。
バトエンやカード、すごろくなんかも出ていたので、ポケモンブランドを冠した交流ツールはゲームに限った話でもないですけどね。
あ、やってます。
図鑑は剣盾時点までコンプしてます。アンノーンもビビヨンも今の所全種揃ってますよ。
対戦はあまり興味ないですが。
ええ、それを狙いました。
あの時代を生きていた人が「ポケモン」「スーパーゲームボーイ」と聞いたら
ピンと来るだろうな、という期待を込めてタイトルに入れておきました。
難しいのは、イケメンはユニクロのジーンズにTシャツでもう十分おしゃれなんだよな。
ファッション雑誌を見ろというかもしれんが、その場合「ガイアが俺に・・・」みたいのだったり、妙に高価なものばっかり紹介してたりでハードルが高かったりむしろ逆効果だったり。
元増田が言う「お母さんが買ってきたような」っていうのがださファッションの例としてよく言われるが、それも「女性」が選んだものであるということは無視されがち。
人殺しの顔やろなあ🙄
仮に全員が家を買うようになったら、物件を人に貸して収益を上げている側にとっては商売が成り立たなくなる。オーナー側の人間にとっては部屋を借りる人がいなくなっては困るので、自分は物件を購入しておきながら他人には賃貸を勧める。持ち家vs賃貸について書かれているサイトはたいていオーナー側のステマ。
誰でも彼でも子孫を残す昭和は質より量って感じの世の中だった。
これがホンマモンの証明一切ないけどな
自分の親(特に母親)はもうどうしようもなく子の自分に対して過保護である。
どのぐらい過保護かといえば学生の頃、一日授業参観の日があれば他の親が1コマ2コマしか見ないところを朝一から終業まで参観して、
初めて彼女ができた日にはその詳細を聞くだけでなく、デートにこっそりついてきて
アルバイトの面接があればに本気で付いていこうとするぐらいには過保護だ。
人間関係から進路からお小遣いの使い方まで、絶えず口を挟まれることに嫌気が差してた自分は大学卒業後、すぐ家を出て連絡を絶った。
事務的な連絡だけして、無駄な連絡は全部無視している。定期的に連絡が来るが正直関わりたくはない。
少し応えようものならいつだって質問責めを受け、嫌味を言われる。
でも別に恩を感じていないというわけではない。
過保護なりに色々教育にはお金をかけてもらってた自覚はあるし、そのおかげで今の生活ができてると思ってる。
初任給だってなんかプレゼントを買ってあげようと思ったりもしてた。
親が死んだ類の話で、もっと親孝行をしておけばよかったという話を聞くたびに自分もしてあげたいと思っている。
でも、できない。
親と接点を増やそうとすると、どうしようもなく嫌悪感を感じてしまう。
きっとまた文句やら嫌味やら言われるんじゃないかと思ってしまう。
きっと親の中では自分はまだまだ未熟な子供で、たくさん支援してあげないといけないと思われているんだろう。
もしかしたら、自分の面倒を見ることが生きがいというか、それに依存しているのかもしれない。
そりゃ理想の息子には程遠いのかもしれないが、もうそれなりに自立していると思ってくれても良いんじゃないだろうか。
もう安心して、自分のことを放っておいてくれても良いんじゃないだろうか。
もう少し、肯定してくれても良いんじゃないだろうか。
思ってるのとは違うかもしれなけど、今なら誕生日にもっと良いものプレゼントできると思うんだけどな。
こうやって皆、親孝行できないことを後悔していくのだろうか。
礼には及ばんでござる
なんで同列じゃダメなの?