年収1200万円以上の所得者がいる世帯から手当てを失くして、待機児童解消の財源にするってのが何故否定されてるのか
高所得者からたくさんとって低所得者に還元するのが格差の解消だろ?
税金で取るのも手当てを削るのも同じことだろうよ
そんな分けないだろ
まじでお前ら何を言ってるんだよ
まじでどういう論理、どういう理屈があってこれに反対してるのか教えてくれ
『miron_mikan 世帯年収1200ってそこまで贅沢してないだろうし東京だったらカツカツでしょ。子育て世代ってのも見落としてるし。まあ少子化で日本滅んでもいいスタンスの人ならわかるけど』→こういうコメント書いてる人結構いるけど何者なの?いや、何様なの?確実に1200万円以上なんて上位10%だろ。上位10%が下位10%への再配分否定するとかリベラルでもなんでもないから。大昔の下劣な貴族みたいな価値観だな。しかも、所得の低い沖縄が高い出生率を維持してるの知らないのか?何が日本滅ぶだ。お前みたいな自分の都合の良いように負担から逃れようとするやつが日本を滅ぼすんだよ。
『tripleshot 「はてな民の思考回路」などというものが存在しないというところからまず理解して欲しい…』→じゃあ、世論がとかヤフコメがとかTwitter民がとかいう主語は全部使えないことになるよね。そもそも格差解消に賛成なら、あの記事のネガティブなコメントにもっと異議があっていいだろ。
ドラマなのでそもそもピクシブには殆ど無く、サイトもほぼ死滅しました。
いまは中古の書店を巡るくらいしか供給はありません。それもドラマ原作なのでほぼありません。同CPで現在活動している人はいません。
現在は自分が書いたものを忘れた頃に読めば供給なのだと思い込みながら毎日3000文字ほどの小説を書いては最高!と自分に声をかけています。最高です。
👹『テングになってんぞ』
あと日本本社だけではなくアメリカ本社にもブランチコミットしてあるから、アメリカも知ってるから大丈夫。国が違うといろいろちがうもクリアしてる。特に言った記憶はないけど会議に役員いたから大丈夫。いちいちそんなこまかい現場の話役員に言うわけないし。
そんなこと言われてもなあ
特に言われてないけどAndroid版つくって売ってきた 実は無許可だけどまぁ、会社のなまえでうってきたしいつの間にか営業も役員も知ってるから、たぶん会社の保証つくから大丈夫
あー、またひとのせいにしてるー
友達母娘アピールをするTwitterのフォロワーにイライラする。
フォローしたばかりの時は気にならなかった。それどころか創作ツイートの合間にたまに流れてくる母親とのエピソードを読んでは仲が良いんだなと微笑ましかった。
しかしここ最近、オタクの二次創作垢のはずなのにツイートする内容が毎回
「ママンとご飯作った!」「ママンと季節のイベントした!」「ママンが仕事で辛い思いしてるみたいだから一生に泣いちゃった!」「ママンと喧嘩した…こんなこと言われちゃった…どうしよう…」
仲がいいのは悪いことじゃないけど、自分と同年代のアラサーが文字であれママンと言ってるのを見るのは正直キツいし喧嘩の内容も小学生かと思うような事ばかり(ネットで知り合った友達にプレゼント郵送したら怒られたとか、グッズが欲しくて買ってもいいか聞いたらダメって言われて泣いてるとか)なのでイライラというかモヤモヤする。
個人情報の管理に厳しいしっかりした家なのかもしれない。金銭的に余裕が無いのかもしれない。家庭の事情はそれぞれだし彼女の私生活について全てを知ってるわけではないので自分の感覚で決めつけるのは良くないけど…でも母親も過保護すぎやしないか?
「印刷所でグッズ少し作ったから抽選でプレゼントします!…と思ったけど沢山の応募嬉しかったしハズレちゃった人の気持ちを思うと悲しいので追加で印刷して全員にプレゼントします!」ってやっていたので母親が心配するのも無理は無いのかもしれないが…。
彼女の作品は好きだけど彼女の私生活には全く興味がないんだろうな。
フォロワーからブロックやミュートされると「あの子から反応が無かったのはミュートしてたからなんだね…」と悲しみツイートしては「でもでもっ!そんなことで落ち込んでちゃだめだよね!」とか言ってるのを何度も見てるからミュートするのもめんどくさい事になりそう。
前向きで嫌なことを言わない所も好きだったけどポジティブな事を言う時は演技がかって見えるくらい極端すぎて鬱陶しささえ感じてしまう…2年くらい前まではこんなに母親の話題出てこなかったのになぁ…。
最近の「あなたを傷つける人間をあなたは助ける必要がない」という論理について、私のインナーチャイルドが泣き喚いてうるさいので、宥めるためにここに書き捨てます。
内面のざわつきに耳を傾けるとだいたいこんな感じの話があるようでした。
学生時代、あまりいい思い出の中で生きてきたわけではなかったが、とりわけ印象に残っていた出来事に「病原菌扱い」というものがあった。
つまるところ私は『汚い』し、『気持ち悪い』し、『いるだけで迷惑』なので、触れられただけでもヒトを汚染する、特に異性に取っては罪ある存在そのものだった。
その実態に理由があったかどうかという点については記憶していないが、まぁ身ぎれいにする能力もなかったので、実際汚かったのではないか。
これとは別の話として、私は生まれつき性的嗜好に異常があり、他者に性的興奮が出来ないということも合わさって性嫌悪が悍ましいレベルで跳ね上がったりし
ダラダラと煩く、無駄な話が多いです。まとめればマシになるのかも知れませんが聞く気がないです。
これを今回の話題に合わせて並べ替えるのであれば、だいたいこのようなことになるのでしょう。
私という存在は生きている、そこにいるだけで他人を傷つけ、更には何の寄与もできていないというとき、その存在を許されることはあるのかどうかという観念がずっと付き纏っていた。
私自身の一つの回答として、他人がまた別の他人を助けるために敷いたルールの隙間を縫い、そのおこぼれを預かることでしか生き延びることはきっと出来ないだろうと想っている。
しかしそれは要するに、「他人を傷つけるが助けてもらいたい」という理屈に他ならず、今回の件によって私の生存は他ならぬ悪であり許されざる罪であるという結論に至ることについて、他人である皆様方が話し合っている。
私は生きる価値がないとこれから皆が言うことになるんじゃないか。それこそが正しい結論なんじゃないか。私は今生きていることが間違っているんじゃないか。
単純に被害妄想と自己嫌悪をないまぜにしたよくあるタイプの取るに足らない言説ですね。どうでもいいです。
こういう場所に書きなぐりたいという衝動がうるさいですが、それも結局自分を援護してくれるような存在がいるのではないかと期待して、牽強付会の理屈をこねくり回しているだけで、何の推敲もせず書き散らした悪筆ですね。
今日はセントジョーンズワートを飲んで寝ます。おやすみなさい。