フェミニスト内部の意見対立を見ていると、悲しいほど学歴やそれに付随する収入がダイレクトに影響してきている気がする。
例えばトランス女性(身体は男性だが性自認は女性)に対する立場をとってみてみると、
と呼び方も異なるようだ。ラディフェミという呼称はかつてはフェミニスト内でも蔑称扱いされていた(少なくとも自称するものではなかった)が、「結局男に迎合しやがって」と、所謂「リベフェミ」の態度に憤った人達がそれと区別するために名乗るようになったようだ。
Twitter内で「アルファフェミニスト」と呼ばれている人間はこの二者だとリベフェミに分類される人間が多いらしく、ここ数日トランスジェンダー周りの話題が取り沙汰される中でそれに失望するラディフェミの姿が散見されている。
この姿勢の違いだが、どうにも「フェミニズムを学問として勉強したことがあるかないか」に依拠しているようにも見える。
近年フェミニズムを大学で勉強しようとした場合、「女性学」ではなく「ジェンダー論」が入口になる。入門的なジェンダー論はLGBT関連の歴史研究なども扱う場合が多いと共に、近年人気のあるジュディス・バトラーの研究はどちらにも応用できる理論なので、大学で齧ったことがある人間ほど「領域の近い問題」という意識が生まれ、トランス側とシス女性の間に連帯感を覚えがちだ。
それに対してラディフェミと呼ばれる人々は、「フェミニズムは女の女による女のための学問」という意識が強い。身体が男性であればその時点で敵認定する人も少なくない。彼女たちのツイートを観察してわかってきたのが、「勉強してるからって気取っちゃって」という反感が根底にあるようだということだ。既に自分は女性という身体を持って生きてきて、構造的差別に晒されてきたので、この体験をもってフェミニストとして活動するし、改めて勉強する必要を感じないという勢力である。そこに対して、リベフェミ側はよりによって「トランスの歴史についても学んでみてください」と語りかける。火に油だ。
ラディフェミとリベフェミは関心の強い領域も異なるため(性被害についてのスタンスは近いが、ラディフェミは表現、リベフェミはリプロダクトや政治・キャリアに話が寄りがち)、協力体制を敷くことも難しそうだ。
ジェンダーの問題は誰でも当事者であると言えるため、フェミニズムの論者たちの層もかなりバリエーションに富んでいる。ただでさえマイノリティのフェミニスト、この分裂は致命的なように見える。
私は毎年,九州大学の1-2年生を対象にした授業で,以下の2つの問いを別々の機会にそれぞれなげかけることにしている。
② 「グローバル化に備えて,日本語を廃止して英語に切り替えていくことに賛成か?」
このうち,①について「問題あり」と「問題なし」は,毎年ほぼ半々に分かれる。「問題なし」と考える学生は,言語をまずコミュニケーションの道具だと主張する。「少数言語や方言が減ることで,意思疎通がより進むので,誤解も減り,経済的にも(翻訳などの)負担が少なく,教育効果もあがるから,少数言語話者が少数言語を手放すのはむしろ自身にもメリットがある」というのである。
では,①について「問題あり」と考える学生たちの意見はどうだろう?九州の学生らしく,自らの方言を引き合いにだして,方言でなければ表現できないこともあること,方言が消えると大切なアイデンティティの一部が消えてしまうかもしれないことなどを語る。言語が,単にコミュニケーションの道具として存在しているわけではないと考えているのである。
面白いのは②に対する反応である。これまで,②に対して肯定的な態度を示した学生は1人としていない。①の少数言語の消滅に関しては「問題なし」とした学生も,②については「問題あり」と答えるのである。
この思考実験は,2つのことを示しているように思う。まず,言語がコミュニケーションの道具以上の「何か」である可能性があると,顕在的にであれ潜在的にであれ,我々は感じているということ。①の質問に答える際にはこのことに気づかない学生であっても,②では即座に気づくのである。言語が単にコミュニケーションの道具なら,日本でしか通用しない日本語よりも,世界で使われる英語に切り替えるほうが明らかに効果的であるが,学生たちは,「英語話者にすべて合わせて日本語を手放すべきではない」「「おもてなし」や「もったいない」など,日本語でしか表現できないことがある」「日本語がなくなると困る」「それは面白くない」など,論理的というよりも多分に情緒的な反論をする。ようは,アイデンティティを否定されることへの反論である。
思考実験からわかる2点目は,我々は直接の当事者にならない限り,とても無関心になる傾向にあるということである。学生の半数は,少数言語の消滅についてはコミュニケーションの効率性の観点を持ち出して賛成しておきながら,一方でその究極ともいえる英語への収束に対しては,日本語の独自性やアイデンティティを持ち出して抵抗する。これは論理的に矛盾している。そこで私は,こう尋ねる。
信じられない。
自分は日本が太平洋戦争で敗戦したと同時に日本語を廃止にしてGHQにより英語を日本の公用語にしてほしかった。
中途半端に英語の授業を取り入れるくらいならいっそ英語を日常的に用いて、日本語はたまに授業で習う程度でよかった。
なにが悲しくて日本語なんて欠陥言語を使わないといけないのだろうか。
「英語話者にすべて合わせて日本語を手放すべきではない」「「おもてなし」や「もったいない」など,日本語でしか表現できないことがある」「日本語がなくなると困る」「それは面白くない」
という反応が返ってきただけなんじゃないのか。
まぁだいたいせやね
じゃあうまくいったらラッキー程度じゃ人気vは作れないようだね
いや男オタクのジャンルもヲタの容姿で馬鹿にされて被差別対象になってるじゃん
アイドルオタクのおっさん具合は5chでいつも馬鹿にされてるし、アニオタの眼鏡にチェック柄も基本は馬鹿にされてる
鉄オタは池沼だらけと言われてるし
多数派のひとはそうなんでしょうね