月勤労統計調査については、遅くとも平成元(1989)年から、最新版である平成29
(2017)年の年報に至るまですべての年の年報において、規模500人以上の事業所につ
いては、「抽出率1/1」(「抽出率」とは、母集団に占める調査対象事業所の割合をいう。)又
は「全数調査」と明記されている
気持ちは分からんでもないけど、風呂やサウナならデジタル断食できるという考え方もできる。普段触ってるスマホなどから離れ、完全にぼけっと湯に浸かるのもいいものだと考えてみるんだ。それに、ながらで漫然と湯に浸かってると油断してのぼせたりしやすいよ。
そんなに甘くねぇよ
気持ちよくしてあげて他の人よりうまいね!って喜んでくれるけどそれで余計に惚れられるんだよ
その宗教団体内では「はしかにかかったのは信心が足りなかったから」みたいな話になるのか
それとも単純に「ワクチンを接種していればはしかにかからなかった」という話になるのか
書かれているような「運が悪かった」という話で終わってしまうのか
どうなんですかね
https://www.mhlw.go.jp/content/10108000/000472506.pdf
5ページ下部に以下の記載がある。
○ なお、平成14(2002)年9月18日、平成20(2008)年2月29日及び平成23(2011)年8月4日に、毎月勤労統計調査の変更について、厚生労働大臣から総務大臣あて申請され、それぞれ、総務大臣から厚生労働大臣に「変更を承認する」旨の通知がなされているが、当該承認事項の中には、抽出率に関する記載はなかった。これらの手続に係る決裁は、大臣官房統計情報部長の専決により行われた。
これはつまり、同調査は総務省の承認を受けていたが、総務省には500人以上の事業所について全数調査するものとして申請していなかったということ(そもそも申請事項に含まれていない)。となると、「500人以上の事業所について本来全数調査であるべきだった(全数調査とするルールだった)」と報道されているのはどう解釈するのか。
2つ上のポツでは以下の記載がある。
○ その後の毎月勤労統計調査における指定事業所の抽出替えの2年ないし3年ごとの実施に伴い通知された平成18(2006)年7月、平成20(2008)年4月及び平成23(2011)年4月の事務取扱要領においても同様の記載がなされ(なお、後述するように平成26(2014)年4月の事務取扱要領からは当該記述は記載されていない。)、実際には平成16(2004)年1月調査以降、毎月勤労統計調査における東京都の規模500人以上の事業所については抽出調査となっており、年報における「全数調査」との記述と相違する取扱いがなされている。
つまり、年報に「規模500人以上は全数調査」と書いてあるが、実際には抽出調査を行っていたということ。これを報道と整合的になるように解釈すると、年報に全数調査と書いてるんだからそれがルールだから抽出調査にするのはけしからん、という話らしい。しかし、年報って統計作成部局が統計の結果を載せる報告書ではないのか。つまり、年報に東京都の規模500人以上は抽出調査と書いてさえいれば、何も問題ないように思われる。つまり、調査方法がおかしかったのではなく、年報の記載がおかしかったという話。
何が言いたいかというと、そもそも、報道されているような「規模500人以上は全数調査とする」というルールは、2004年当時は存在しなかったのではないか、という疑問。
「東京都の規模500人以上の事業所について抽出調査にすることについて、調査計画の変更等の適切な手続を踏むことなく、担当課のみの判断として調査方法を変更したことは、不適切な対応であったと言わざるを得ない」
とあるが、そもそも調査計画の変更等の適切な手続といっても、(総務省に承認を受けている)調査計画には抽出率に関する記載がなかったのだから、どこをどう変更申請すべきだったのかわからない。ここの文章の解釈としては、担当課レベルで判断するのではなく、それより上にまでその話をいれて組織として判断すべきだった、ということなのだろうか。
いずれにせよ、「規模500人以上は全数調査とする」というルールは、当初は存在しなく、2017年1月の承認時に初めて承認事項に含まれたとのことなので、実際にルール化されたのはこのときからだと言えるだろう。といっても、今まで(特に問題なかったと思われる)抽出調査としていたのに全数調査のルールをあえてここで導入したのは気持ち悪すぎる。この承認時に、「※なお、東京都は抽出調査とする」と記載さえしていればこんなおかしな自体にならなかったのではと思うと、何とも言えない気持ちになる。
ちなみに、抽出調査をしたのに復元倍率が正しく設定されていなかった問題(今回の数値修正に直結)は別にあるが、ここでは取り上げていない。これは組織の体制に基づく技術的なミスということのようだ。
それは自分も思いついた
(「弱い女主人公を守る強い男」ではなく、むしろ男ヒロイン的な存在なので可かもしれないが)
あとはジグロがなあ、守られていたのはあくまで子供時代の話で既に故人なのでいいかもしれないが
あとアニメはやはりどこか男性向けっぽい雰囲気(おっぱい大きすぎぃ)
原作は好きだけど
俺TUEEEEEEだと展開が幼稚で単純になるし
バトルってのもリアリティがなくて幼稚になりがち(戦争物になればリアリティあるものもあるけど、それだと女性が活躍ってのが難しい)
なので「主人公が強くて活躍するバトルもの」って時点で「大人向け作品」としては難しくなる
(大人向けでも「頭カラッポで楽しめる娯楽系作品」ってならあるけど)
アニメだと「大人向け」と言っても実質中高生向けだろってのが多いけど
他媒体だと「大人向け」と言ったら少なくとも社会人以上向けだし
更にアニメ(と映画)は作り手に男性スタッフが一切入らないってのはあり得ない
なので
「一方的俺TUEEEEEではなく主人公にはリアルな人間としてそれなりに弱い所もあれば悩む所もある」
「暴力で戦う所謂『バトルもの』ではなく、知力で人生切り開いていく系くらいの位置づけ」
であればありそう。
年上の女性は、経験不足の若い男の下手なセックスにも寛容でいろいろ教えてくれるから、若い男としては、まずは年上女性を相手にセックスの経験を積んで、しかる後にターゲットを若い女性に移してセックスの虜にして弄ぶのが良い戦略かと。
最初に言っておきたいのは、これから語るすべてのことはつくりばなしであるということ。人間が泣いたり笑ったりするのに、それが本当のことかどうかなんて関係がないと思うんだ。
おばあちゃんは常々「死んだらすべて終わり。生きているものが大事。」と言っていた。空襲で死んだ友達の最期の言葉が「お前の人生を大事にしろ」だったからだという。死んだ友達のぶんまで生きようと戦後を必死に生きてきた。
それが認知症になったら「私は天国にいるけれど死んでいない」と言い始めた。正直、何を言っているのか分からなかった。わけのわからないことを言うようになったおばあちゃんに苛立つこともたくさんあった。ご飯にしましょうと言ってウンコを食べ始めたこともあった。
ある日、おばあちゃんは荻窪に行きたいと言った。荻窪のどこに行きたいかと聞くとアメ横だという。おばあちゃんそれは荻窪じゃなくて上野でしょうというと「ああ、そうかい」と言ったので上野に連れていった。上野は思い出の場所だと常々言っていた。
ところが、上野駅に着いて駅舎を見せると狂ったように「浮浪児がいる、浮浪児がいる」と叫び始めた。それは単に戦争の嫌な体験を思い出したというより、目の前に本当に浮浪児がいるような振る舞い方だった。おばあちゃんは幻覚を見ているのだろうかと思った。
かつておばあちゃんは闇市の話なども楽しげに語ってくれていた。それらも若い頃の思い出として語るぶんには楽しかっただけで、そのときには物凄く不愉快なことだったのではないかと思った。
私には本当のおばあちゃんがどんな姿をしていたのか分からなくなってしまったけれど、おばあちゃんと一緒に遊んだときの写真は大切にとってある。