話題のアレ。
好きだと知っているはずなのにdisるやつっていうのはたいてい別の理由があると思うよ。
友人が普段は好きなものを貶すような人間ではないという前提があるとして、
そういう人のはずなのに今回に限り気を遣ってくれなかったってことは、
自分の言動や行動に何か不愉快にさせることがあった場合もあるだろうけど、
映画館で後ろのやつが蹴ってきたとか、寒くてつらいとかからだのどこかに不調があるとか、
そういうエッ私関係ないじゃんって思うかもしれないけど、
なにか嫌なことがあったからどこかにぶつけたくなってたまたま目の前にいた人間にぶつけたってことはあるよ。
本人はそんなこと気づいてもないだろうけど、怒りが必ず生まれた場所にぶつけられることって結構少ない気がする。
今日母親やたらカリカリしてるな~言葉きついな~と思ったら仕事でいやなことがあったからだったとか、
姑と喧嘩したとか、お金の先行きが不安とか、まあそういう経験少なからずあるでしょ。
仲が近くなればなるほどその怒り私にぶつける!?みたいなことってあると思うんだよね。
それってこの人ならちょっと嫌な態度とっても許してくれるだろうって甘えてるってことだし、つまり依存なんだろうなと思うんだけど。
もし常日頃から「でも~」とか「いや~」とかから始まる喋り方をしているなら、disってきてもそりゃいつもそうだもんねって話で、
普段は否定形から喋り出されることを自分は気にしていないつもりでも、好きなものを否定されることによって少しずつ溜まっていた不満が爆発しただけだと思うんだよね。
だからもともと怒りがあったところを引き金ひかれたってだけだよ。
作品見るとつらくなるのは、あの子に腹を立てるようになってしまった原因だって思うからじゃないの。
まあそんな感じで人間ってムカついたーってことを素直にあらわせなかったり、そもそもイラつかされた先にぶつけなかったりするから、一人で傷ついてもしかたないよ。
喚起漫画かくエネルギーあるならその感情を救われるような漫画をかくとか、まあツイッターでいいねがつくような感じで呟くとかしたほうがちょっと救われる心地になるんじゃないの。
もし友情継続が困難そうなら遅かれ早かれなんだこいつー!ってなってたと思うし。
もっと楽に構えればいいのになあ。
とりあえずなんで傷ついたのか?なんでこんな気持ちになったのか?をずーっとたどっていくとなんだこんなことが許せなかったのかーって思ったりするから、自分の感情を紐解いてみるといいよ。
現実の厳しさを知った大人は、なかなか夢は描けない。
というか、現実を知ると、ああ~なりたくないな、と思ってしまうから。
「最近の若いもんは…」←コレ、死後になっているんでしょうか?
ネット上だけでつながっている人間関係をポチッとワンクリックで切る人は多いと思うけど、
だいたい、「ネット中毒 + 親のスネかじって生きているあまちゃん」 がリアルで上手く行かなかった時にやる。
まるでリレミトやテレポの脱出魔法を唱えるように脱出していくwww
結局何もリセットなんて出来ないのに。。。
車を運転できるくらい頭のいい人工知能。
雪道を歩いて滑りながらもコケなかったり、ホッケースティックでドツかれてもけなげに荷物運びを続けるロボット。
「女子が後ろに立つと前の人に隠れて顔が見えないから」という理由で前に立つか座ってもらうなんか、個人的な集まりで集合写真撮る時でもよくあることですよね。この人、そういうの参加したこと無いのかな。華とか関係無いです。自意識過剰。
こわいね
http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201508_post_6983.html
やってること同じだし。
大した違いはない。
どっちも屑。
http://anond.hatelabo.jp/20160303222150
結局はこういうことだよね
モテないというだけでここまでの決めつけとマウンティングを食らわないといけないのかと思うと
https://twitter.com/Poko_IDOHORININ/status/705405267995824128
自慢野郎にやたら厳しい。めためた厳しい。
冷ややかな目線というのは分かる。分かる。つまらないし、自分が下げられた感じが出るから。
こいつ子供だなーという冷ややかな目線は悪くない。その通りだ。
だが
しかし社会の敵扱いする感があるよね。調子に乗っていた堀江貴文に対する憎悪のような。
あいつぶっ殺さないと気がすまない恐ろしさのような何か.......
存在自体許せない。外敵を見つけた蟻や蜂状態。臨戦態勢になるよ。
モロ直球な自慢野郎を許容出来る余裕が無いよ。
だからそういうのを皆過敏に反応しているから、自分アピールが物凄く宮廷作法的な雅さだよ。
この前のオリエンタルラジオのパーフェクトヒューマンのあっちゃんとしんごの自己PR方法は流石だと思った。
優れたダンスが出来たと自慢する代わりに、「スタッフの皆のお陰で素晴らしいダンスが出来ました」とPRと来たもんだ。
流石高学歴の人たちは自慢の方法も、素晴らしいとおもったものだ。
フェイスブックを見れば俺は私はリア充です。ツイッターを見れば自分はとても素晴らしい人生を送っているかを
謙りながらアピールに専念している。その点を突っ込んでも、自慢をしている気はないという。
でもUPする写真の内容や行動そのものが自慢だよね。発言は謙りながら、写真の内容はリア充で謙っていない。
自慢感を消すために、言葉では自己否定に走る。自分はこんなに馬鹿なんっすよーって言ったりね。
本音をいう人が少ない。
この辺りの宮廷的な振る舞いがとても、滑稽だし結局のところ自慢したいだろーって見え透いていて
それは許容されているのか、気が付かれていないのか、攻撃されることはまずない。
もっと素直に自慢すればいいし、それを許容すればいいのにと思う。
日本人ここがへんだよ。でした。
子供もってる人はその楽しさや嬉しさを共有したいと思うから善意で言ってると思うけどな
仮にウチが子供が欲しい家庭だとしよう、そして夫婦のどちらかができにくい体だとしよう。
それで、さも当然のように「子供はつくらないの?」なんてきくなボケ
どちらかが確実に傷つくし、時には両方傷つく
勝手に子供がいる>子供のいない家庭 という図式にしないで欲しい。十分楽しいわボケ
あとfacebookで子供自慢とかしているのも、はたから見ていて微笑ましけど。そればっかになるな
いろんな人が見てるんだ。お前らの子供が全員イイネすると思うな。そういうのはなんかクローズ
なコミュニティでやってくれ。これは非表示にすることで解決できるけど
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