鴻上尚史作・演出の「ホーボーズソング」を観劇した。20年前と全く変わらない方法論しか感じられず、鴻上氏は今まで何をしてきたのだろうと不思議に思った。
俳優は、特に主要なキャストは魅力的な人々なのだろう。しかし一つの演劇を通した時に、全く何の感動も触発も発見もない、無意味な体験だった。
私は虚構の劇団の舞台を見ながら、青年団の女優がかつて平田オリザに対して言い放った言葉を思い出していた。曰く「こんな普通のセリフを客席に向かって喋るなんて恥ずかしくてできない」と。その文脈で言えば、虚構の劇団の皆さんは、恥ずかしげもなく客席に向かって喋り、踊る。そしてオープニングとエンディングと、劇中にも歌入りの音楽が流れる。セリフが説明的であってもお構いなしに、必要ならばプロジェクターで用語解説まで入れながら日本の社会や文化について作者の批判精神を観客に伝えようとする。
誰かが私にに何か伝えようとすればするほど、私はそれが伝わってくるのを避けようとする。どうせろくなものじゃないからだ。私は誰かが控えめに、ささやかに表現した行為から何かを読み取りたいと思う。現代とは表現者の節度と鑑賞者の教養が組み合わさった時に共犯的な芸術が成立する時代なのだ。
私は鴻上氏に馬鹿にされているように思った。「どうせ俺の芝居を見に来るような奴らはこういう表現を求めてて、これくらい親切にしてやらないと理解しないだろう」という侮りを感じた。あるいは彼は、理解されない事、伝わらない事を恐れているのかもしれない。しかし有史以来、常に演劇を作る人、演劇を観に行く人がいるのは、そもそも人間が孤独で、相互に理解し合えないからではなかったのか。劇場とは他者に出会う特別な場所ではなかったのか。
私の観た限り、今回の芝居には出会うべき他者は存在せず、若者が代弁した鴻上尚史の講演会でしかなかった。20年前には社会に対して説得力があったのかもしれないが、今は何もなかった。
別に男に馬鹿にされるのは良いんだ。いや悔しいよ。悔しいけどね。
そりゃ顔面の違いとか先天的なものはあるけど、一応男という同じ環境で、非童貞はそれなりの努力をして卒業してんだから、努力して能力ある奴が無能を馬鹿にするのはセックスに限らず世の中全部そうだし、馬鹿にされても何も言い返せないし仕方がないと思う。
でも女は童貞卒業するためになんか努力してますか?って話。女に生まれた瞬間非童貞。そういう奴に馬鹿にされたら流石に腹も立つわ。
今年入籍した。
今は結婚式の準備や新生活で忙しいけど、そのなかでイラッとしたことがあった。
友人2人の二次会の出欠の返事が来ない。欠席ならまだしも、返信すら来ない。
その2人は高校時代の仲良し6人グループ(うち4人既婚で自分は4人目)のうちの2人で、先に結婚している。
自分はその2人の結婚式にも参加したし、他の4人とお金を出し合ってお祝いも送った。
「私はちゃんとお祝いしたのに!」と思って、怒りがわいた。
でもふと考えてみると、怒りしかわかなかった。悲しい、とかはない。
なぜか考えてみた。
確かに高校時代は仲良かったかもしれない。けれど卒業後、1人目の結婚式で全員呼ばれるまで(今考えれば人数合わせだけど)、再会しなかった。
再会を機に近所に住む子(例の2人ではない)とは頻繁に飲みに行くようになったけど、6人で会うのは結婚報告か結婚式でしかない。普段連絡も取らない。
つまり、結婚式だけの関係だったということ。別に仲良くないのだから、お祝いしてもらえなくても当然かもしれない。
その2人にとっては、私は友人ではないってことだと思う。私にとっても。
今は二次会に招待してしまったことをとても後悔してる。5人のうちで、仲の良い子だけ呼べばよかった。
5人全員呼ばなきゃって思い込んでいたけど、よく考えれば、別に仲良くない人を呼ぶ必要ってない。
その一方で、呼んだら喜んでくれた人や、お祝いまで贈ってくれた人もいた。
契約時にインターネットに接続するPCの台数とOSを聞かれた。
あれは何のために聞いてるのか?謎だ
■女が羨ましい http://anond.hatelabo.jp/20151017123444
童貞で馬鹿にするされないって場は、むしろ男同士のヒエラルキー構成において良く出てくる話題だと思ってた。
女から馬鹿にされる、んじゃなくて、若い男が複数集まった中で「コイツ童貞かよpgr」って見下される。
男の群れの中で、「俺の方が男として優れてるんだよな」って優越感を満たすアイテムとして、ヤッた女の数を競い合う、俺の方が先に卒業した、みたいなんしかみたことないんだが。
せっくる回数をアピールする「100人斬り」とかって言う言い回しも、男社会の中での格付け用だよね。
で、元増田は、男の友達がいるのかどうかは知らないが、そういう男社会の中での童貞の位置づけってのは話から外して、「女はいいよな~」って話を持っていく。
要は男同士の見栄の張り合いの問題なのに、「『俺に』股を開かない女が悪い」問題にすり替えてどーすんの。
本来闘うべきライバル≒女を奪い合う相手、である他の男に挑む気概を見せることもなく、
悪い原因を女(という叩きやすい要員)にすり替えてダダ捏ねてるだけだもん。
あと、ツリーにぶら下がった
>女だって処女だって人に言えずに セックス経験あるフリして会話してる人くらいいるっつーねん
これも、女同士の中でのマウンティングの話に近いよね。
女にしたら、いい年して処女とか男にはモテない彼氏いない哀れな生き物、女ではない扱いだし
同性にはキモがられるし最悪だよ
だいたい処女がありがたがられるのなんで女子高生とか20代とか若いうち、しかも一部だけ
そもそもなんJの関西弁(猛虎弁)は、「関西のスポーツ紙で使われる関西弁がステレオタイプ過ぎて現実の関西弁とかけ離れている事が面白くてネタになった」という経緯で広まったから、現実と乖離してるのは当たり前。
なんでその二択で求められるより嘲笑われる方がマシなんだよ。
それはあなたが非童貞だからバカにされないか、もしくは逆に現実で女との関わりが少なすぎるからでは?
バカにしてくるやつ普通にいるよ。ブスのくせによ。男でお前の顔面偏差値と性格偏差値なら絶対童貞だっての。本当腹立つ。死ねばいいのに。
さっき妹が見ていた「K」というアニメを俺は横で見てたんだけど、バーテンの男の関西弁がどうもひっかかった。基本的には聞いてられるけど所々ひっかかる。そこはそのイントネーションじゃないだろう、と言いたくなった。俺は生まれも育ちも大阪や!という訳ではないんだけど、ネイティブスピーカーであると思っている。聞いてて思ったんだが、まともな関西弁を話すキャラっていなくないか?もちろん関西弁といってもいろいろあるけど、キャラが話すのを聞くとそのどれにも属していないような、アニメ弁が多い印象。
Kのバーテンは憑物語の影縫余弦と似てる気がする。全体的に京都っぽいのに、ちょくちょく大阪南方の濃い発音が混じる感じ。
コナンの関西キャラは、あれはあれで独自の言語圏を作り上げてる。はじめは和葉の「平次!」の時点で体がムズムズしてたがいつの間にか慣れてしまった。
東條希が喋ってるとマジで寒気が止まらなかったけど、あの設定を知ると急に愛おしく思えてくる不思議。
鈴原トウジはかなりネイティブに近いと思うけど、アニメ弁の域を超えてない。
CCさくらのケロちゃんとか結構自然というか聞ける関西弁だったような。あんま覚えてないけど。
ちなみに漫画版のスケットダンスのヒメコはかなり自然な大阪弁。どちらかというとキタの標準的なもので、年相応のコテコテ具合。アニメ版は影縫余弦が憑依してる。
それってなんか意味あるの?