ゆるキャラでも、RPGの雑魚敵でも、アニメの美少女キャラでも、キャラクターを生み出せる人ってめっちゃすげーって思う。
自分はソシャゲは一切やらない主義なんだけど、モバマスとかの持ちキャラ?の絵とかをググって見てると
どれも個性があるし、表情や衣装だけでどういうキャラなのかっていうのを表現できてる。
多分一人キャラクターを生み出すだけでも多分それには膨大な手間暇がかかってるのに
それをあれだけの数生み出せるなんてああいうののキャラデザやってる人ってマジで凄いなって思う。
ドラゴンボールの作者の画力が凄い凄い言われてるのはよく見るけど一番凄いのはフリーザとかセルの造形のデザインを生み出したことだと思う。
あんなん普通思いつかないでしょ。
自分が聞こえている自分の声をどういう風に認識して発声してるの?意識的に、こうゆう声なら他の人からこう聞こえてるんだろって考えながら発声してる?もしくは、無意識?で自動的に自分の声を他の人から聞こえる声に変換した上で自分の声が聞こえてるの?なにいってるかわかる?w
スタジオジブリ「かぐや姫の物語」のストーリー批判については既に玖足氏が記されているゆえ、ここにおいては多言はしない。
かぐや姫の物語 感想その二 高畑勲監督は原作の良さを自己中心的に曲げたダメ映画
http://d.hatena.ne.jp/nuryouguda/20150316/1426441543
僕がここで記したいのは、高畑氏のあまりに32年テーゼに縛られたかの如き貧弱な反天皇観である。
例えば、高畑氏の擁護をするツイートまとめとして以下のようなものがある。
この中でCDB氏は「帝の性暴力と女性性の収奪」を描いたと言っている。しかしそれは高畑氏の平板な反天皇観をあげつらうことでしかない。
天皇は決して収奪や暴力に結び付けられて語られる存在ではなかった。天皇もまた征旅に行くことはあったが、軍の最高司令官として赴くことはなかった(「我国の軍隊は世々天皇の統率し給う所にぞある」という軍人勅諭の出だしは山県閥の西周が西洋の歴史に準じた擬制に過ぎない)。例えば斉明天皇が百済救援のために親征の途上、崩じられても軍はそのまま百済へ上陸している。天皇はむしろ巡狩(みそなはし、視察のこと)して各地を平定したのであり、軍隊は中大兄皇子や武内宿禰のような皇子・臣下に統率されて敵を討ったのである。天皇が自ら軍を指揮することは東洋古制の兵学から見ても邪道であった。東洋において軍の戦略を決定する軍師は軍司令官の任免もできるゆえに、天皇がそのような地位に就かれることはあり得ないのである。
では天皇とは何であるか。それは何よりも「社稷を祀る」存在である。具体的にいえば、五穀の豊穣を祈り天照大御神が宣らされた「斎庭の神勅」を奉じることであった。それゆえ自らは何も所有されないのが天皇の原則であった(詳しくは保田與重郎の『述史新論』『鳥見のひかり』『方聞記』などを参照せよ)。作中で「御門」は支那趣味(侮蔑の意味を込めて使うのではない)の俗な人物として描かれているが、これなぞは共産党仕込みの「収奪する権力者」の図式に無理やり天皇をあてはめたものに過ぎない。何も所有されない天皇だからこそ、天神地祇を祀り権力者を束ね日本を統らすことができるのである。権力といえば外交権を一手に握った大宰府の方がよほど強く、「遠の朝廷」と呼ばれたほどだった。聖武天皇が大宰府へ下る節度使たちに下された御製の長歌の冒頭「食す国の 遠の朝廷に 汝らが かく罷りなば 平らけく 我は遊ばむ 手抱きて 我はいまさむ」は権力や所有とはほど遠い天皇本来のあり方を示している。
明らかに反差別思想を有しているだろう高畑氏が「御門」の顔をわざと崩してかぐや姫に生理的な嫌悪感を催させ、それが月からの使者が来る原因となっているのも氏の醜悪な思想が垣間見える。氏は容姿差別は良くて身分差別は悪とでも思っているのだろうか。先に述べたように、天皇は五穀の豊穣を祈る点で国民とつながっていたし、今もなおつながっている。明治大帝は「子等はみな 軍のにはにいではてて 翁やひとり 山田もるらむ」と詠まれているし、昭和帝と香淳皇后は戦後まもなくの国内を行幸啓されて国民の暮らしぶりをみそなわした。今上陛下が東日本大震災で津波を被った田を心配されたのも記憶に新しい。天皇は宮闕の奥深くに居ましても農土を、漁場を、金山を離れてはいないのである。高畑氏の浅薄な思想はこの国史上の事実にどう応えるのか。
○朝食:ドーナツ
○昼食:納豆卵かけ御飯
○夕食:ころうどん
○調子
普通。
今日は予定が何もなかったので、ラジオを聞きながらご飯を食べたり、掃除をしたり、ゲームをしたりした。
○就活
駄目だと思っていた、書類選考中の会社から電話があり、面接の予約をした。
三社のうち、どれか一つでもいいから受かっていて欲しい。
現在進行中(三社)
A社:面接の結果待ち
なぜ地味女と派手女を対比させたのか
むしろ派手女向けの服の方がメインのイメージ。(これは私が男だから知らないだけ)
なのに両者を対比させるのは何故だろう。しかも一話では派手女を悪者にしている。
こんなストーリーで派手女に刺さるわけない。
他方、地味女の生き方も補強してないので、地味女の反感も買う。
考えるに、派手女側の目線のストーリーも作ってあったのだろう。
実は派手女は男が外見だけでチヤホヤしてくることに嫌気がしていて、地味女の生き方に憧れているのだ。
そして最終話で互いの外見が完全に入れ替わる。
もちろんコマーシャルとしての評価は低いが、その内容は真実を映している。
映像を見る上では以下の様な事が見て取れる。
倫理的にはNGだろうが、これは明らかに日本の会社文化の真実の一面を表している。
どうあがこうがオスはオスとしての習性を捨てることは出来ない。
この増田を投下したんだけど、あんまり同意してくれる人多くなかった…
http://anond.hatelabo.jp/20150320092205
私の書き方が冗長でだめだったか。
コンビニで売ってた雑誌にボロクソ書かれてたから立ち読みしてきたらいいよ
https://twitter.com/BUNKA_taboo/
『キャッチフレーズは「日本をバカにする天才雑誌」。人が正しい素晴らしい美しいのが自明だと思ってるモノに対してケチをつけます。』
そんな訳おまへんがな。
◼︎うちが出かけようとする時・帰宅時
私一人→恫喝
うちの家族、たまたま他の近所の人が外にいる→他の人が外に出た途端、エンジンを止める。
◼︎近所への苦情の言い方
私一人→タバコの煙を吹きかけながら恫喝、または呼び鈴を鳴らして玄関に出るよう言い、夫婦で恫喝。奥さん一人でも恫喝。
うちの夫→帰宅して家に入ろうとする瞬間に旦那が寄ってきて恫喝
近所の奥さん方→近所の奥さん方だけ、もしくは近所の奥さん方と子供だけの時に、旦那が恫喝
◼︎車で通り過ぎる時
でんぱっぱー
次行くわ。