「Tレックス」を含む日記 RSS

はてなキーワード: Tレックスとは

2023-02-19

anond:20230219102549

ジュラシックパークドリフみたいに簡易トイレパッカーンって壊れて便座に座ったおじさんがTレックスに食われるシーン

2022-02-04

今頃ジュラシック・パークを初めて見た

上映当時をリアルタイム経験したくせに、その頃は歌番組プロ野球といったメジャーものにノレなかった、
今で言うド陰キャコミュ障キモオタだった自分は、ハリウッド映画にも全く触れずに過ごした。

おかげですもごっつも、スーパージョッキー元気が出るテレビとかも、B'zもドリカムユーミンスルーしてたのだから筋金入りだ。

そんなキモオタ学生も、今やどこにでもいる冴えないおっさん、いやジジイだ。

そんなジジイTwitch推しが「見る」というだけでホイホイ見に行くんだから、まあその、なんだ、特に弁解はない。

さて、きっかけはともかく、同年代からは「は?今頃?」と言われそうなタイミングで、ジュラシック・パークを見た。

感想としては、結構想定外意味で「いい映画だわ」と余韻に浸る結果になった。

以下、一応ネタバレあり。

正直、今回ちゃんと見るまで「まあハリウッド映画だし終始大スペクタクルで迫ってくるんだろうなー」と思っていた。

でも実際は「そこまで騒がしくない」というか、きちんとSF小説原作リスペクトしたというのが納得できる、良作だった。

個人的小説ベースの名画というとスタンド・バイ・ミーくらいしか出てこないが、あれに通じるストーリーの「真面目さ」「細やかさ」が作品うまみになっているというか。

しかし同時に、声を出してしまうようなカメラワーク(Tレックスとかヴェロキラプトルとか)も随所に散りばめられ、最後まで飽きずに見れたのは、さすが名監督スピルバーグ演出と言っていい。

ちなみに作中のイケメン数学者が薀蓄と口説き披露するカオス理論は、確かに当時の流行りだったが、それが回り回って今のAIかに関係しているんだから、息の長い分野である

そして一番興味を引いたのが、当時のコンピュータ周りの描写

とはいえフィクションの中に出てくるITなんてリアリティ的な意味でロクなもんじゃないし、実際この映画も警備システムをはじめ、微妙な所があちこちにある。

その上で注目したのは、本作での事件の発端となったシステムエンジニア(兼プログラマ)のキャラ

ピザをクッチャクッチャさせてそうなデブというのは、家庭にあるパソコンオタクおもちゃしかなかった当時では、プログラマステレオタイプだったわけで。

何より、アメリカでもGAFA世界覇権を握るほど伸びてくるまでは、たとえハーバードを出ていてもSE仕事ブラック待遇というのは考えさせられた。

まあ日本じゃ、令和の今もそんな感じだし。

更に当時はWindows95すら出ていないので、業務用にプログラマが使う計算機のうち、フルGUIワークステーションといえばUNIXとなる。

なので本作でもMotifだかXViewだかをGUIにしたっぽいUNIXワークステーションを、例のデブも使っていたし。

あとUNIXといえば、金持ちじーさんの孫2人のうちパソコン趣味の姉がUNIXを使えるというのも、もし父親研究者なら納得である(macでもいいけど)。

と、急に年甲斐もなく甲高い声で早口になってしまって恐縮だが、ある意味話の核になることもあり、興味深く見入った次第。

2020-06-08

設定改変が分かってるメディアミックスを観るための準備運動



 観たら絶対自分は怒るだろうなと分かっている映画がある。原作小説がとても好きで、映画化の際に「そこは変えちゃ駄目だろ」と思うような根底の部分にドひどい改変をされた映画だ。予告CM開始3秒でそれが分かったので公開当時は絶対観ないと決めていたし、観るような気分になる日が来るとは思ってもみなかった。

 しか最近、「公式との解釈違い」のような文言を用いて苦しむ人々をよくSNS上で目にするようになってその映画存在を思い出し、いい機会だから観てみようかなと思った。何かコンテンツとの付き合い方における知見を得られるかもしれないし。原作版を大事に思いつつも、派生版も楽しんで愛せるような人間になれるならなりたいし……。

 観た後では感情が大きく動いて今の気持ち100%は思い出せないだろうから、観る前に今抱いている改変ポイントについての思いを書きとめておく。

 (ひとつその映画について鑑賞前から確実に言える腹立たしい点は、原作者が亡くなった途端にその映画が作られ、「映像化は不可能と言われていた名作が遂に!」みたいな売り文句付きで世に出された事だ。映像化を何度も断ってきていた作者だから余計に……今までは作者が止めていた設定企画を、もう止める者がいない+追悼とか言える勢いから好き勝手にやっただけではないのかと思う。せめて存命中の公開なら「作者はこの映画化を了承したんだな」と思えたし、そうしたらきっと作者は何かしらのコメント映画へ寄せるだろうから、それを見られればもうそれで良かった。原作レイプ(こんな言葉があったのを久々に思い出した)を通り越して屍姦みたいだ。大切な人の墓に立小便をされた気分だ。)

 映画タイトルは『悪童日記』と言う。原作小説も同題だ(海外文学の中では普通によく知られてる方だと思うので、勿体ぶった言い方をしてしまって少し恥ずかしい)。

 十年以上前、私は好きな作家たまたま雑誌でこの本に言及するのを読んで、高校夏休み中に手にとったそれに首ったけになり、ひと夏の間何度も何度も繰り返し読んで過ごした。だからこんな、映画を観るのに支障をきたすほどに思い入れが強くなってしまったんだと思う。

 しかそもそも映画化されたものをこき下ろしたい訳ではなく、映画映画として楽しめる作品にするためには原作からの多少の改変もやむを得ないというのは充分承知の上だ。だからこの作品についての改変もなんとか納得したいという思いから、今自分は何に納得いっていないかを整理して考えたく、文章に起こしている。

 (このカッコ内は余談なのでとばしてくれて構わないが個人的に、映画化された作品映画原作の順でふれた方が大抵の場合はどちらも楽しめるように感じる。原作映画の順だとカットされた箇所や改変部分が気になってしまって映画100%楽しめない事もままある。例えば私は『ジュラシック・パーク』に映画から先に入ったおかげでスピルバーグのあの映画メチャクチャ最高不朽の名作だと思っているが、もしも原作小説を先に読んでいてファンだったら、そこまで手放しで褒められたかは分からない。映画原作では構成人物もかなり別物だからだ。原作ではティムレックスティムの方がしっかり者の兄でレックスは足ばかり引っ張る幼い妹だし、Tレックスは二頭いて小さい方がかなりチャーミングだし、グラン博士最初から子供に優しいし、ハモンドさんはかなり嫌な感じの爺さんでコンピーに集られて無残に死ぬのだ。)

 改変箇所について書いていきたい。

 映画の予告から分かる改変箇所は主に「父親存在」「日記帳というアイテム出自」だ。私はこれがこの物語においてかなり重要パーツだと思っているので、予告CM開始3秒で見られる改変にガタガタ白目をむき憤死する羽目になった。

 原作小説主人公双子少年)の一人称「ぼくら」で書かれた日記形式をとっている。彼らが母親に連れられて小さい町の祖母の家に疎開してくる所から話は始まる。詳しいあらすじが知りたい人は原作wikihttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E7%AB%A5%E6%97%A5%E8%A8%98)でも見てくれ。ラストまでネタバレされてるから気をつけて。別にあらすじを知らなくてもこの文章を読むのに支障はないと思う。そういうふうに書けていることを願う。

 父親云々の話に戻ろう。

 主人公家族について、母親は冒頭から登場するし、すぐに主人公たちを置いて行ってしまうがその後、他の男の赤ん坊を連れて二人の前に現れ、どうこうなるくだりがある。二人が母親に対して色々思いを抱いていることが分かるような描写もある。

 描写があるという事は、書き手である主人公双子がそれを必要だと判断したという事だ。詳しくは後述するがこの日記はそういうルールの元で書かれている。主人公が無関心もしくは不必要だと判じたものは書かれず、必要ものけが書かれる。例えば作中の時代設定は戦争なのだがそれが一体いつの戦争なのか、年号国名地名人名などの固有名詞ほとんど出てこない。<大きな町><さな><解放者たち>などの言葉しかからない。関わる人々も名前はなく、ほとんど代名詞役職あだ名などでしか呼ばれない。双子自身名前も出てこない。彼らは大抵はあんた達、時に祖母からは雌犬の子などと呼ばれる。

 父親は出てこない。ラスト数頁まではほとんど。

 「父親の不在・不干渉」が、この小説(というか作者であるアゴタ・クリストフ作品はわりとどれも)に通底するテーマひとつだと私は思っている。そして出てこないということはそれは「書かない」という姿勢主人公たちの無関心を示しているのだから映画にも変にひっぱり出してほしくなかったのだ私は。しか作品の根幹である日記に関する部分で。一原作ファン気持ちを言わせてもらうならば。

 以下は物語終盤のネタバレとなるので、知りたくない人は読まない方がいい。

 原作の終盤、国境付近にある双子(主人公)の家に、国境を越え亡命したいという一人の男が訪れる。双子その男自分たちの父親だと気がつくが、父親は二人が自分の息子だとは気付かないまま、亡命の協力を頼みこむ。双子はそれを承諾する。国境までの間には地雷があちこちに埋まっているし、軍の見張りもある。双子は彼に地雷が埋まっていない道筋や、見張りの目の外れる時間帯などを教える。

 亡命決行の日、父親国境へたどり着く前に見事地雷を踏み抜いて死ぬ。すぐにその足跡の上を双子の片割れが辿り、その死骸も踏みつけて国境を越え、亡命を果たす。地雷国境と平行して並べられている。一度爆発した地雷国境を結ぶ線上にはもう地雷は無いので、先に一人立てるのが最も安全亡命のやり方だ。

 原作小説ではこの場面がラストだ。一人は父親の死骸を踏み越え国境の向こう側へ渡り、一人は残ってそれを日記に記録する。父親殺しと、それまで一心同体のようだった双子別離が同時に強く印象づけられて終わる。

 それなのに映画ではどうして、別れる息子達に日記帳を与えるような父親像に変え、それを受けて日記を書く子供たちに設定したんだ? 原作では双子自分たちの稼いだ金と自分たちの意志で紙と鉛筆を買い、自分たちの定めたルールの元で事実だけを、ただ必要と思われた事だけを淡々と記録し続ける。彼らは感傷感情は不必要とし、そういったウェットなものが取り払われ切り詰められた文体はこの作品の特長の一つだ。彼らの考えのもと自発的に書かれていくそ日記こそが『悪童日記』という作品となっているのだから日記帳というアイテムとその経緯は何というかかなり……成り立ちの部分ではないのか? この作品の根幹において、重要位置を占めるはずだ。

 それが映画はいきなり、別れる父親から最後プレゼントという陳腐でウェットなしろものとなる。双子は父の言いつけを守り日記を書き出す。制作側はそこに何の違いもないだろうと思ったのかもしれないが、違うのだ! と言わせてもらいたい。強く。

 日記帳は、それにものを書き続けるということは、戦時下に父とも母とも別離し粗暴で抑圧的な祖母宅に身を寄せねばならなくなった主人公双子が、初めて自分たちで選び獲得した、何かそれこそ父親教師代わり(彼らは学校にも行かない)のような、「この世界で生き抜く上で己の力になり、時に導いてくれる(と彼らが信じ掴んだ)モノ」だ。繰り返しになるがそれを「彼ら自身が」、彼らの面している世界であるところの小さな町で、そこの文具店で「身銭を切って」獲得した点が肝心なのだ。この話は平たく言えば庇護されない子供たちが、彼らの対峙する厳しい世界の中で、自身の力で何とかやっていこうとする物語からだ。

 「父親から与えられた道具」では過ぎ去りし想い出のよすがであるばかりか(感傷双子がつとめて日記から排除してきたものの一つだ)、それが上の者から与えられたという性質上、彼らにとってただの環境の一つに過ぎない。それでは全く意味が違ってしまう。そうでは無いのだ。彼らは道具がたまたま得られたから書くのでは無く、もちろん父親に言われたから書くのでも無い。書くことは彼らが生きるために必要で、だから彼らは道具を求め、書いた。「書くこと」自体彼らの周りには教えてくれる者がおらず、二人は一冊の聖書を使って独学で読み書きを学んでいった。

 「彼らが巻き込まれしかなかった環境に逆らって、初めて自分で望み獲得したモノ」であったはずなのだ、この日記帳は。「書く」という行為は。そういう意味合いがあったのだ、原作の中では……。

 そしてこれは作者の生い立ちや創作の源泉とも重なることが多いので(この作品を含めた彼女作品群は半ば私小説と呼べるものが多い)、私は映画でこんな改変をされた事について作者の気持ちを思うと、勝手にやり切れないものを感じてしまう。作者はもう亡くなっており、死者が尊重されないのは彼女作風からするとむしろ合っている事なのかもしれないが……。

 とりまとめて言えばまだ子供な上にただでさえ不自由が多い戦火の中、それが主人公たちにとっての武器であり糧であり強く生き抜くためのモノだった日記帳が、映画ではまるで父親から受け取った愛みたいなものに、ともすれば別れた父親を想って書かれているようにも受け取られるものすり替えられてしまった。かなりアイデンティティぶっ潰れではないか? どうしてそんなことをしたんだ? この日記は彼らの「書く」という意志のもとの話でしかないのにその根本を摘み取り別な物に置き換えたのは何故? 映画を観れば何か納得できる答えは得られるだろうか。頼む、納得させてくれ! 煽りではなく心からそう思っている。

 観たら本当にメチャクチャ怒り狂ってしまうかもしれないので心の準備をするためにいくつか映画レビューを読んだのだが、映画では日記帳パラパラ漫画が描き込まれている描写があるという。パ……パラパラ漫画!? と二度目の憤死をした。あの全ての無駄を省き贅肉を削ぎ落としたような原作文体淡々事実の記録しかしない所に物語的にも大きな意味が込められている事を知っているはずの制作側はどうしてそんな付け足しを? 主人公(ひいては作者)が定め、遵守してきたルールを踏みにじるような真似を……どうして……。

 

 もちろん、映画化された事によって現代日本の読者から想像もつかないような、主人公たちが生きた当時の暮らし風土感覚などを凄いリアリティで感じられる事などについては大変嬉しく思う。そういった映像表現についてはきっと素晴らしい映画であるだろうと感じられるのだ、予告からだけでも。

 主人公双子を演じる少年たちのビジュアルも、原作から受ける印象そのままと言っていい。もうそれだけでも十分以上のものだし、納得出来ない点があっても他に目を向けて感謝して観れば良いのだ……と思えるようになるまでに何年もかかってしまった。映画が公開されたのは2013年のことだ。

 私は本当にこの映画を観て納得したいし、納得出来なくてもそれはそれで良かったと思えるようになりたいと本気で願っているが、どこまでまっさら気持ちでこの映画を受け止められるかが分からない。願わくばこの物語に関する記憶を消して映画を観られたら、その後で初めて原作を読めるのなら、とても幸せなことだと思う……。でも、それは無理な話だ。

 だから私はこれから記憶思い入れも抱えたまま歯を食いしばってでも全部観て、自力で噛み砕いて納得するしかない。きっとそれはこの先の自分にとって有意義ことなんだろうが、こんな文章をジタバタ書いて整理しないと腹がキマらない位には苦しいものがあった。長くなってしまったが、読んでくれた方は本当にありがとう

 せめて映画ではラスト父親ちゃん地雷で惨たらしく死んで、主人公はその死骸を踏んづけてくれるんだろうなあ!? などとうるさく言いながら観ることにする。そういう観方でもしなかったら多分無理だ。その後言える感想があったら追記する。怒り狂っていたらすまない。

☆いきなり管を巻きまくってしまったが、小説悪童日記』はマジの名作の上にアッと言う間に読めるので、気が向いたら是非読んでみてほしい。もし面白かったなら続き(『ふたり証拠』、『第三の嘘』)もある。全三部作で、全て読むと分かる構成が本当に、本当に素晴らしいんだ。

2020-04-27

巨大肉食獣っていないよな

せいぜいがトラとかクマサイズ

いやデカイよ でも3〜4mとかだよな

ゾウ(6〜7.5m)とかクジラ(10〜25m)とかTレックス(4〜6m〜12m?)くらいのサイズ感の肉食獣が欲しいんだよな

でけえとカロリーいるから肉食ってはいられない的なことなんすかね

でもさあ こう… 猟銃では到底殺せないようなクソデカくて凶悪な獣がおって欲しくない?

サブマシンガンとかを渡されたら俺でもアッサリ殺せる可能性があるような動物しかいないのは悲しいよ

視認できる距離に入ったら個人ではどうあがいても殺される前に殺しきることができないような生き物 自然最後の砦としていてほしい

2019-02-19

自撮りジレンマ

実際会う事が決まってる相手になら現物より微妙に撮れてしまった画像を送って自分だよって言いたい

メイクが崩れ始めたぐらいのあんまり服が似合ってない時のを見せたい

でも会う予定なんてない人にはキレイに見えるのを選んで見せたい

だけどその人とその後会わないとは限らないのでそもそも本当は顔を合わす事が決まるまでは何も晒したくないし情報も与えたくない

でも自己顕示欲はある

よく思われたままその人の中での私が人生を送れるならそうしたい

人の期待による脳内補正アプリ修正なんかよりすごいしその分何も期待しなかった時より落差が激しい

映画予告編煽り過ぎるようなもの

ジュラシックワールドの予告を見た人と見ていない人で評価に明らかに差が出ていたのを思い出す

自撮りへの期待はTレックスのそれと同じ

よく見せる事で期待を煽れても実際に見たらそれが逆の効果になる場合がある

難しい

2017-04-01

しずかちゃんのご両親

良識的な父母という印象があるが、よくよく考えると作中屈指の異常者のような気がしてきた。

海底探検に行くときは「ドラちゃんが一緒なの。じゃあ安心ね」的な事を言ってたが、(行き先が海底だと認識してたかは怪しいけど)

ふつーに考えれば、気がつくとすぐ風呂に入ってるような年頃の娘が女友達より男友達と遊び回って、

友達男の子の家に転がり込んでる未来から来たロボット(この時点でもう意味不明だが)に連れられて、

白亜紀Tレックスに何度も食われかけたり、どっかの星で悪徳企業地上げと戦ったり、

アフリカの奥地で喋る犬の軍勢と戦ったり、大西洋深海古代戦術コンピューターに捕まったり

どっかの星の独裁者相手戦車乗り回したり、数千万年前で地底人相手に戦ったり、どっかの星で喋る動物達と人間相手に戦ったり、昔のアラブ奴隷商人に売り飛ばされたりしてるんだぞ。

俺が親御さんなら心配引っ越しを考えるだろう。

娘が心配じゃないんだろうか。

2007-12-19

[]今日は家でごはん

明日の予定はながれた。

あさっては忘年会

しあさっても忘年会

イブイブは予定なし。

イブも予定なし。

さ、フライドチキンでも買いにいって骨でTレックスでもつくろうかな。

040手目 7二黒

987654321
┏┯┯┯┯┯●┯┓一 黒アゲハマ  白*1
┠┼●┼○●┼●┨二
┠○●○○○●●┨三
┠●○┼┼┼○┼┨四
┠┼┼○○○○┼┨五
┠┼○┼○●○┼┨六
┠┼○●●●●┼┨七
○○●●○●┼┼┨八
┗●┷┷┷┷┷┷┛九 白アゲハマ  黒*3

んー。左上侵略厳しいかもしれないねー。

2だったごめんね。

2007-10-30

http://anond.hatelabo.jp/20071030231445

俺、その元増田の文章読んで背筋が凍った。

だって、それって俺が今の彼女とやったやりとりとほぼ同じ。

Tレックスじゃなく別ジャンルDVDだけど。

DVDなくてPS2を貸した(俺は買ってあげた)ところまで同じ。

これってよくあることなのか??

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん