「元気が出るテレビ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 元気が出るテレビとは

2023-02-20

今のキー局バラエティ班の主力って多感な90年代バラエティ番組を見て育ったわけやん

それこそ、

元気が出るテレビやるならやらねば、ごっつ、生ダラとぶくすりめちゃイケとかの洗礼を受けてきたわけじゃん

それがなんでモニタリングとか有吉ゼミとかしゃべくり007を作るようになっちゃうわけ?

2022-02-04

今頃ジュラシック・パークを初めて見た

上映当時をリアルタイム経験したくせに、その頃は歌番組プロ野球といったメジャーものにノレなかった、
今で言うド陰キャコミュ障キモオタだった自分は、ハリウッド映画にも全く触れずに過ごした。

おかげですもごっつも、スーパージョッキー元気が出るテレビとかも、B'zもドリカムユーミンスルーしてたのだから筋金入りだ。

そんなキモオタ学生も、今やどこにでもいる冴えないおっさん、いやジジイだ。

そんなジジイTwitch推しが「見る」というだけでホイホイ見に行くんだから、まあその、なんだ、特に弁解はない。

さて、きっかけはともかく、同年代からは「は?今頃?」と言われそうなタイミングで、ジュラシック・パークを見た。

感想としては、結構想定外意味で「いい映画だわ」と余韻に浸る結果になった。

以下、一応ネタバレあり。

正直、今回ちゃんと見るまで「まあハリウッド映画だし終始大スペクタクルで迫ってくるんだろうなー」と思っていた。

でも実際は「そこまで騒がしくない」というか、きちんとSF小説原作リスペクトしたというのが納得できる、良作だった。

個人的小説ベースの名画というとスタンド・バイ・ミーくらいしか出てこないが、あれに通じるストーリーの「真面目さ」「細やかさ」が作品うまみになっているというか。

しかし同時に、声を出してしまうようなカメラワーク(Tレックスとかヴェロキラプトルとか)も随所に散りばめられ、最後まで飽きずに見れたのは、さすが名監督スピルバーグ演出と言っていい。

ちなみに作中のイケメン数学者が薀蓄と口説き披露するカオス理論は、確かに当時の流行りだったが、それが回り回って今のAIかに関係しているんだから、息の長い分野である

そして一番興味を引いたのが、当時のコンピュータ周りの描写

とはいえフィクションの中に出てくるITなんてリアリティ的な意味でロクなもんじゃないし、実際この映画も警備システムをはじめ、微妙な所があちこちにある。

その上で注目したのは、本作での事件の発端となったシステムエンジニア(兼プログラマ)のキャラ

ピザをクッチャクッチャさせてそうなデブというのは、家庭にあるパソコンオタクおもちゃしかなかった当時では、プログラマステレオタイプだったわけで。

何より、アメリカでもGAFA世界覇権を握るほど伸びてくるまでは、たとえハーバードを出ていてもSE仕事ブラック待遇というのは考えさせられた。

まあ日本じゃ、令和の今もそんな感じだし。

更に当時はWindows95すら出ていないので、業務用にプログラマが使う計算機のうち、フルGUIワークステーションといえばUNIXとなる。

なので本作でもMotifだかXViewだかをGUIにしたっぽいUNIXワークステーションを、例のデブも使っていたし。

あとUNIXといえば、金持ちじーさんの孫2人のうちパソコン趣味の姉がUNIXを使えるというのも、もし父親研究者なら納得である(macでもいいけど)。

と、急に年甲斐もなく甲高い声で早口になってしまって恐縮だが、ある意味話の核になることもあり、興味深く見入った次第。

2022-02-03

中学受験へ向かう息子へ

昔、天才たけしの元気が出るテレビというバラエティー番組に「東大へ入ろうね会」という素人東大受験応援する人気企画があった。

特に有名になったのが広瀬くんという二浪男の子だった。

彼は必死努力偏差値も十分に合格圏だったが残念ながら不合格

東大の中で肩を震わせて「応援ありがとうございました」と健気に答える広瀬くんに、あの高田純次が涙したのも有名だ。

合格発表の放送回で広瀬くんがスタジオにやってきた時にたけしさんが広瀬くんにかけた言葉が本当に素敵で今でも覚えている。



上を見たらキリがないというのは挑戦した事のない奴の言葉で、大学受験をするからには最高学府の頂点を目指してそのために色々準備をしっかりやった事に意味がある。

本番の結果は運もあるからどうなるかは分からないけど、大学に入りさえすればどこの大学に行っても学ぶ事は同じ。

一度頂点を目指したのだから、これからも同じように高い目標を持って頑張らないといけない。




結果が出る前から落ちる話をするわけにはいかないので増田にこっそり書いておこう(笑)

俺は君が最後まで頑張り抜いた事を絶対に忘れない。

頑張って積み上げたものは一生消えない財産になる。

俺なんかよりずっと広い世界を見る事が出来る大人になってください。

2021-06-12

anond:20210612005253

元気が出るテレビとかね。

山本太郎の原点

なんかあの頃思い出すと涙が出るよ

2021-03-04

茨城に住んでて怖かったこanond:20210303225657

大学生の時茨城一人暮らししていた。

まぁ、茨城栃木もかんけーない全国放送だったけど、元気が出るテレビっていう番組があって、

その最後に、たしか芸能人お見舞いインフォメーション」とか何とかいうコーナーで、

誰それが骨折して入院中だとか、誰それは〇〇という病気にかかって自宅療養中だとか...

いまなら確実にコンプラ的?ポリコレ的?に超絶アウト!なことをシレっと流していたのを思い出しましたw

2019-07-08

こんな技術転用はいやだ

元気が出るテレビビートたけしが読む感じで。

あおり運転をすると運転席がビリビリ

テレビコンプライアンスが厳しいですからね。おいそれと罰ゲームとかで電気を使ってビリビリ出来ない。でもこの技術は大変なものですからテレビの人が考えた古典的技術。そこで政府かに掛け合っちゃって、絶やしちゃいけないって。高齢者事故が多いですからね。安倍さん面白がっちゃって。トランプにも大統領用にプレゼントしちゃてさ。ゴルフカートにうっかり仕込んじゃって安倍さんあおってトランプ ビリビリ、ばかやろ。

2018-06-10

バラエティをつまらなくしたのはめちゃイケだと思う。

テレビっ子によるテレビの話ですm(_ _)m

めちゃイケ特殊番組だったと思う。

バラエティが苦境に立たされても挑戦を続け、テレビっ子に支持され続けた。

末期は叩かれることも多くなったが、それでもバラエティファンからは厚く信頼されていた。

なぜか。

それはめちゃイケ視聴者を楽しませるだけではなく、

バラエティ番組アイデンティティも発信する番組だったから。

バラエティファンの期待を裏切らず、バラエティ文化を守り続けるという思いを届け続けた。

規制クレームといった逆風の中でも、めちゃイケらしさをやめなかった。

やめないことをファンへのメッセージにもしていた。

そこにファン安心した。この番組自分たちが好きなバラエティ文化の味方だと。

私もそうだった。

土曜8時はテレビマンにとって特別な枠であることや、

批判を受けると簡単にコーナーが終わってしまうこと、

そんな厳しい風潮の中で過激なことを放送するのは「冒険であること、

こうしたバラエティ周りの事情めちゃイケで学び、

「作り手や演者視聴者を笑わせるためにリスクを冒しているんだ、応援しないと」という気分になった。

だが、それと同時に違和感もあった。

上のようなバラエティ愛というのはナイナイロンブーなど、

思春期80年代バラエティを観て育ったお笑い第4世代芸人特に強い。

彼らの番組では「ムチャクチャやっていた時代」へのリスペクトや、

「俺たちも規制を恐れずキワドイ部分を攻めていこう!」といったメッセージがよく発信される。

そして現に、暴力犯罪エロなどがテーマの「攻めた企画」を敢行している。

こうした「攻めた企画」は逆境で見せる反骨精神のようで、バラエティファンには心地がいい。

心地はいいが、私はそれで笑えない。

笑えないというのは「不謹慎から」とか、そういう理由ではなく、

単純にゲラゲラ笑えるほどのものではないからだ。

だが「攻めた企画」と銘打たれると、

彼らはバラエティにとってとても有意義なことをしていると錯覚してしまう。

「攻めた企画」が放送されるとSNSには彼らの冒険を称えるような投稿があげられ、

バラエティ史にまたひとつ伝説が刻まれた、とファンは安堵する。

そうすると、だんだん企画自体で笑えることより、

バラエティ道を貫くことの比重が多くなっても、気付きにくい。

正直、ここ数年のめちゃイケはこの状態だったと思う。

応援しているのは古参バラエティファンのみで、若い視聴者から共感を得られない。

それもそのはずだ。バラエティ歴史を知らない子供めちゃイケを観て、

「こんな時代にあえてゴールデンめちゃ日本女子プロレスを復活させるのは冒険だ」などと、

説教くさいナレーションを聞かされてもファンにはならない。

それよりも今そこで笑えるユーチューバーの方が魅力的に見えるだろう。

「苦情も覚悟の魂込めた企画」を観たいのではなく、ゲラゲラ笑いたいからだ。

それこそお笑い第4世代からよくリスペクトされる「元気が出るテレビ」は、今そこで笑える番組だった。

基本的に誰かにイタズラをして怒ったりパニックになる姿が連発されるのだが、くだらな過ぎてゲラゲラ笑った。

手の込んだロケも多く、あのくだらない映像が出来上がるまで相当苦労もあっただろうが、

元気が出るテレビ」は作り手の事情を出すことはなく、徹底的にくだらない番組であり続けた。

「俺たちはプライドを持ってバラエティを作っている」ではなく、

「こんなバカなことやってすみません」という姿勢が潔かった。

私も自宅でリラックスしながら「バカなことやってるな」ぐらいの温度バラエティを観たい。

ただしめちゃイケが再定義した感のある「バラエティ」の文化は、

この先さらに年老いて、保守的で、閉鎖的で、形式けが残る笑えない文化になると思う。

めちゃイケバラエティ界に残した功績は偉大だが、

その「バラエティらしさ」や「バラエティプライド」が、

規制クレームよりもバラエティを笑えないものにしているのではないか

一度皆が大切にしているバラエティ文化から離れて、

中2ぐらいのふざけた男子がパッと見で笑い転げるようなお笑い番組を作って欲しいと思う。

2018-06-02

anond:20180602171954

ああ、なるほどね。界隈を丹念にウォッチしてれば尖ってるのもいるんだろうねえ。

とは言えウゴウゴルーガは「何を言いだすかわからない子供プロの掛け合い」と言うスリリングさがあったけど、なんか劣化コピー感はあるんだよね。

VTuberに限らないけど、「〜やってみた」系というか悪ノリ&ドッキリ系は、元気が出るテレビとか電波少年劣化コピーだよなって思っちゃうのよ。

みんなテレビ見ない自慢するけど、結局こういうのは好きなんだなって思う。

2017-02-04

愛とは「ただひたすら相手幸せを願う感情」のこと

http://d.hatena.ne.jp/kanjinai/20170202/1486027602

↑ここに書いてあるけど自分も愛ってそういうことなのかなと思う。

旦那いびき歯ぎしりがうるさくて眠れないので早朝4時のリビングでこれ書いてるんだけど、これまでの半生で「ああ、これが愛ってやつだな」と理解できたことが一度だけあって、まだ独身だったころにうちの店にバイトに来ていた大学生のことを思い出した。

の子自分にとってなぜ特別だったのかというと、それまで出会った老若男女すべての人の中でもっとも話が合う人だったからだ。

まりにも合うので、最初は「合わせてくれているんだろう、気を遣わせて申し訳ないな」と思っていたが、よくよく話を聞くうちにその子もどうやら同世代の友人からは「ちょっと変わった人」と思われているようで、なかなか話の合う人がいないとしきりにぼやいていた。精神年齢がすごく高い子だった。

最初は弟のように大切に思っていたが、自分の中でいつのまにかそれが恋愛感情に変わってしまった。

向こうにとってわたしは話の合うバイト先の社員さん以上の存在になりえないことはよく知っていたので何も行動には移さなかったが、わたしはたぶん彼に「愛」という感情の正体を教えてもらったと思う。

自分が思うのと同じように相手自分のことを思ってくれないのは確かにしんどいのだが、そういうことは些末な悩みなのだ

彼がこの世に生を受け、今この瞬間にも地球上に生きていること自体に尽きることのない感謝と喜びの感情があふれてくる。

書いてて何言ってんだこいつ自分で思うけどそうとしか言いようがない。

彼の存在自体価値であり、財産であり、わたしのすべてを投げ打ってでも守るべきものなのである

信仰に近い気もする。

彼が誰かほかの女性幸せ結婚をしたあかつきには、わたしは内心「ちくしょおおお」ぐらいは思うと思うけど、でもなんか「よかったー」って思う気持ちのほうが勝りそうな気がする。

これがたとえば元彼とかだと正直どうでもよい。

旦那だとどうか。わたし離婚して別の女性再婚したとしても「ちくしょー」ぐらいはやはり思うと思うけど「よかったー」とはたぶん思わない。増田なので言えるのだが旦那のことをわたしはもう今は愛していない。異性として好きだけど、人として愛してはいない。恋と愛とは全く別物だ。愛は上記の通り信仰に近い。男とか女とかがあんまり関係なくなってくる。わたしは件の大学生に、確かに恋もしていたのだけど、でもセックスをしたいという欲求はあまりなかった。特定男性と親しくなるとその延長線上に性的欲求が絡んでくるのはごく自然なことだと思っていたのだけど、そういう「好き」とはなんかこう、違うのだ。いっしょにしないで!って感じになる。いや普通男の子なんだよ。天パだし、なんかおっさんが履くみたいなスニーカーだか革靴だかよくわかんない黒い靴いつも履いてくるし、ビートたけし元気が出るテレビで着てたみたいなへんな柄のセーターをいつも着てるし、ここまで書いたらわかると思うけど決して彼はイケメン枠の人ではない。天パだし。でも違うのだ。彼はそういう対象じゃないのだ。こういうことを考えてると「おまえじゃあ旦那は一体何なんだよ」とセルフ突っ込みが入る。ひどい女だよな、と。旦那はなんだろう。パートナーだとは思っているのだけど、でも精神的な交流が本当に今ない。家建てたばっかりで、通勤時間が長くなってすごい疲れて帰ってくるから、いろいろ話しかけても生返事だし、こないだそのことで、疲れててちゃんと話ができなくてごめんと謝られたのでそれ以来こちらもあまりあれこれ話題を振らずにテレビ見ながら一緒に笑ったり軽めの雑談をちょこっとするくらいにはしてるんだけど、んでセックスレスで、毎日一緒に寝てるのにセックスレスで、求めることも、求められることもなく。これもう駄目なんじゃね?って毎日思いながらご飯作ったり洗濯したりワイシャツアイロンかけたりしてる。なんか、ごめんね。旦那ごめんね。愛がなくなってごめん。いやそもそも最初は愛していたのかな?わたし旦那を愛した瞬間はあったのかな?あの大学生ときのように、いっしょにごはん食べた帰り道、別に大した話はしてないのに世界中が輝いていた(比喩ではなく、本当に物理的に輝いていた)、こんなわたしでも存在を許されていてもいいのかもしれない、と思えた、あの夜のような感激を、旦那に感じたことは?ない。うん、ないな。いやなくていいんだと思う。別にそういうのがなくても、好きなんだから大丈夫なはずなのだけど。なんでこうなっちゃったんだろうな。なんでかな。あ、旦那トイレに起きてきた。



http://anond.hatelabo.jp/20170202184146

2014-11-29

直撃世代からの疑問

http://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2014/11/26/182651

http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20141127/p1


先日語られていた、90年代に起きていたオタへの迫害というネタ、かくいう自分70年代後半生まれの直撃世代で、実際学生時代からアニメラノベは切っても切り離せないものだった(「電車男」「ハルヒ」が丁度アラサーくらい)。

正直あの頃はアニメイト等のオタショップに入店するのは一種の背徳感を抱くものだったし、同時に「変な奴」なりに一般人への「擬態」は当たり前、その流れで脱オタサイトにもハマり、大いに参考にした。

今となっては全て懐かしい。


それで疑問なんだけど、当時「非オタ」の一般人として生きていた同年代の人たちは、今現在余暇をどのように過ごしているのだろう?

我々の年代はオタ迫害の直撃世代であると同時に「J-POP」「トレンディドラマ」「少年ジャンプ」「カラオケ」「ボウリング」「スノボ」「セレクトショップ」「お笑いバラエティ(おかげです、スーパージョッキー元気が出るテレビ)」等の直撃世代あるいは全盛期にも重なり、当時はみんな多かれ少なかれ、これらのコンテンツのお世話になった(というかある程度こなせないとヤバいという「踏み絵」としての機能もあった)が、今となってはどれもこれも程度の差こそあれ、かなり微妙な傾向にあるし。

「お前の周りのやつに訊けよ」と言われても、彼らとは学生時代から殆ど交流がなかったし、就職氷河期の直撃世代にもなってしまった結果、今接点がある周囲の非オタ年代は数えるほどしかいない。

なので、ブコメにあった

これ、30代半ばの人にアニメ漫画の話を振ってみると実感できると思う。非オタだった人はたいていオタク文化にすごい嫌悪感持ってるから

というのが本当なのか、非常に気になるのだ。

それこそ当時でいうところのオタ向けアニメ(今の深夜アニメ全般とか)や女児向けアニメ(プリキュアとかアイカツとか)を熱心に視聴する様は、依然「全く理解できない=得体の知れない不気味さを感じる」ものなのだろうか。

まあ深夜アニメと平日夕方・土日朝アニメでは、捉え方は違うのかもしれないけど。

これまたブコメにあった

今はオタクリア充普通に仲良くやってるから、随分変わったよね。

というのは実際アキバに来る人らの言動や、ネットオフ会とかでそういうのを割と目撃しているので、多分そうなのだろう。

からこそ、若い頃そのように友人として付き合ったこともないまま、もしこれからも同世代の中である種の断絶が続くのだとしたらとても残念というか、「そういうのもアリだったのか、だけど俺達にはなかったし多分これからもないよなあ・・・」という古傷に近い疼きを覚えてしまう。

やはり、未だ会話を通じて分かり合えるみたいな感覚を抱きにくそう(同年代なのに)という事実は、結構重く感じるものがある。

2013-11-01

山本太郎に票を入れた都民です。

派遣社員女。

ぶっちゃけ政治の事は分からないし、街頭演説も理解出来ない。

表向きはいい事言うだろうな位にしか思ってない。

から元気が出るテレビに出てたメロリキューこと山本太郎に票を入れた。

単純に何か世の中を変えてくれそうだったからという理由で。

これじゃダメなの?

じゃあ聞くけどみんなは全ての政治家の話を理解して100パーセント間違いない人に票を入れたの?

あなた投票完璧ものなの?

私みたいな無知選挙に行かない方がいいの?

税金も払ってるし選挙権もある。

なんで当たり前の権利を行使しただけで叩かれないといけないの?

2008-10-28

http://anond.hatelabo.jp/20081028070900

そんな言葉考えなくても、単純に「うんこ」って言えばいい。

「僕の名前うんこだよ」「やあ、僕うんこ」って言えば、寝たふりしている子供は笑い出す。

「天才たけしの元気が出るテレビ」でやってたから間違いない。

2007-12-05

おちまさとが語るアイデア発想法まとめ

12月4日に開催されたひらコンレセプションパーティーでのおちまさと氏の発言。

ひらコンことひらめきアイデアコンテストは、ダイヤモンド経営者倶楽部が主催する、学生を対象に日々ひらめいたアイデアを募集するコンテスト

応募総数12000、会員登録者数700、パーティー参加者300名超。

最優秀賞には10万円が送られた。

詳細はhttp://hirameki-i.jp/を参照。

おちまさと氏は、飄々とした人物という印象。

会場が温まっていないこともあったけれど、それ以上に彼自身特に話すことも考えてきていないようだった。

でも、調子が出始めてからは面白い視点も多々あったので、自分が気になった点のみ抜き出して備忘録とし、共有する。

アイデアは、記憶記憶の結合。だから、「どうやって記憶プールするか」が重要

 また、記憶がありきたりなものばかりだと、人と同じアイデアになってしまう。

記憶をありきたりなものにしないためには、人とは違う視点を持つこと。

 例えばおち氏は子供の頃、友人の誕生日パーティーで、ロウソクを吹き消す子ではなく、それを変な顔で見つめる別の友達を見て面白いと思っていた。

 しかし、同じ場に居た別の人たちはこれに気づいていなかった。

 ほかにも先日渋谷カフェで、109で働いている(ように見える)奇抜な格好の女の子がずっと貯金通帳を見つめていたのをおち氏は面白がっていた。

 これも一緒に居たスタッフは気づいていなかった。

・おち氏も、デビューは「ビートたけし元気が出るテレビ」での企画コンテストから。

テレビ番組学校へ行こう!』の1コーナー「未成年の主張」は野島伸司ドラマ未成年』で最終回石田一成が学校の屋上で叫んだのを見た記憶が元になっている。

 番組開始当時、世は「キレる17歳」が話題で、テレビ学校が映るシーンといえば陰惨な事件ばかりであった。しかし実際は99%の学生はそのような事件の犯人とはまるで違う。

 「学校はもっと楽しいものだ」ということを示したく思い、このような企画が始まった。

企画=立案+実行+結果

 立案だけでも、実行しても、それだけではまだ足りない。

企画には「ポジティブプランニング」と「ネガティブシミュレーション」が重要

 思いつく段階では、「このアイデアすげー面白い」と自分のアイデアを高く評価する。

 思いついた後は、発想を180度切り替えて「何故このアイデアダメなのか」と考え、

 とことんマイナスポイントを削っていくことにより、成功に近づくことができる。

・「ありそうなアイデア」ではもちろんダメ。「ありそうでなかった」をいかに作り出すか。

 好例は「甘栗むいちゃいました」や「カルピスウォーター」。

 「甘栗むいちゃいました」も、それが出るまでは誰も甘栗なんて食べなかった。

 「カルピスウォーター」も、昔はカルピス原液に自分で水を入れて飲んでいた。

・見ていて「出所が分からない企画」ほどいい。

 何故なら、どんなシチュエーションで思いついたかすぐに分かってしまう企画なんて、誰でも思いつくもの。

 ここで「出所が分からない企画」を作るためには、やっぱり人間観察が必要。

 自分の周りの変な人に目をつけておいて、その人を見ていること。

 みんなと違う記憶をゲットすること。

 それによって、使っていない頭が使える。

人間は「振り幅」にやられるもの。

 見た目と中身のギャップや、最初と最後のギャップがドラマを生む。

 その傾向はディズニー映画に顕著。

 ディズニー映画主人公は、最初必ずハンディキャップを負っている。

 『ダンボ』然り、『美女と野獣』然り、『ファインディング・ニモ』然り。

 マイナス100からプラス100への転換がドラマとなる。

人間はこんがらがった紐を解くのが好きな生き物。

・最強の企画とは何か。それは人生である。

 人生は自分でプランニングして、自分の命を賭けて挑戦する。

 人は生まれながらにして、プランナー

・(聴衆のような)若い時期には、「根拠無き自信を持つ」ことが大事。

 何故なら、チャンスは貯金できないから。

 得てしてチャンスは忙しい時に来るが、それを逃したら同じチャンスは二度とやってこない。

最後には、著書の宣伝をして帰っていきました。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん