はてなキーワード: 貧乏とは
命のやりとりとかなんかカッコつけたこと言ってるけど
それくらい積めば殺すのに躊躇のない人間がいるし、その額の恨みで人を殺すのも居る
世の中そうなってるんだからしゃーない
まっとうな人間にはありえない話に見えるだろうが
人殺すヤツはマトモじゃないからな
*追記*
思い出したけど元高級官僚の爺ちゃんが引きこもりの子供(40代おぢ)殺したときも妻DVが主因だけど
自分のこれからのゼニを吸われるのも辛かったって言ってたね。それもせいぜい1000万単位か
だと思ってる人がはてなには沢山いるんだけど
見栄張って羽振りよくしてたらどうするのが正解なんだろう
金を出し渋った時点で出禁にする?
お金を払わなくても飲ませてあげる?
なぜ東京が「経済的豊かさ」全国最下位なのか 中間層の厳しい現実 - NewSphere
金持ちになるチャンスは全国一だけど中間層でストップすると全国で最下位に転落
[B! 不動産] 「家が買えない」なぜ高騰?いつまで続く?マンション・戸建て 首都圏の最新住宅事情 | NHK
単身向けはまだ大丈夫だけどファミリー向けは中間層では購入できない
頑張って家を買っても地震が起きたら保険に入ってても半分しかお金貰えない
医療は1番充実しているはずなのにこれ
やはり空気が悪いのか?
30歳だけどめちゃ肌綺麗と褒められる男の手入れ方法を紹介するよ。
肌の手入れで大切なのは、何もしないこと。
そして何かしたら、何か起きたら、何か起きるなら対処することだよ。
ある程度知識が出来たら何かをする段階に入るよ。
●何かしたら
→メイクをした、排ガスまみれの場所に行った、料理した、ほこりついた
・基本生きてると何かしら汚れるので水で顔を洗うよ
・顔面の皮脂も消え去り水分が消えるので、そのぶん蒸発しにくい水と油を塗って皮脂の代わりを使うよ
・化粧水はただの水とか言ってる情弱は死んでいいよ。水を塗っても蒸発するだけだよ。
・化粧水を買えない貧乏人はグリセリンを買って10%の水をつくるといいよ。俺は風呂上りに体を拭かずにグリセリンの割合を20%にした化粧水を塗ってるよ。
・基本的にコンビニとかで買える化粧品は薬効がないので、○○成分配合とか結局はグリセリンの代替品か種類の違う油だよ。
●何か起きたら
・病院に池
・俺はニキビに塩とか塗ってるけど真似しないでね
●何か起きる
→日焼け
・日焼け止めを塗るよ。日焼け止めは肌にかなり悪いけど、日焼けするよりかはマシだよ。
・日焼け止めを落とすには洗顔する必要があるので、結果的に化粧水とクリームが必要になるよ。
●何かする
貧乏だけど車好きって結構いるみたいで、築70年超えてるじゃないかって長屋みたいな集合住宅の駐車場に車に疎い私でもなんとなくロゴを見たことがあるような2人乗りのスポーツカーみたいなのが止まってるのってそう珍しくないよね。
車とバイク手放して女に貢いだ後にストーカーとして接近禁止命令出されたおっさんの話を思い出して、そりゃめった刺しにしても飽きたらないくらい殺意を募らせるのも妥当かと思ってしまった。
外車じゃなくても4人で乗れる車はたくさんあったんじゃないかな…。
でもわかる、見栄を張りたくなってしまうんだよね。
うち本当に貧乏で~、とか言えない。
恥ずかしくても申請して副業するのが良いんだと思うよ、本当は。
でもばれたくないよね、わかるわ。
先日兄が逮捕された。
いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。
ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイクはいれつつ身の上話を聞いてほしい。
私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。
理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。
現実は他の子は家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。
それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。
そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。
余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである。
話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通は起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。
そんな状態で起業するものだから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。
そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。
よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。
この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学の制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。
高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかったからだ。
この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。
そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。
兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。
この頃の私は我が家は普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種の男性と普通の生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。
公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。
だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。
だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死に携帯で参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。
そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこからか調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通に入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったから人生終わったと思った。
そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。
学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。
それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ちで奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。
とにかく大学はバイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。
父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。
就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。
さて同僚の方達はいい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。
まず親の職業は公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。
それはそう。
それはそうなんだが。
我が家は車がなかった。
厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。
だから4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。
せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古のアウディを買った。
わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったからである。
ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。
父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤の治療が始まり、家でのサポートが必要になったため母は派遣をやめた。
いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。
そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社の金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社のお金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。
毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだから、お金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。
SNSで結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休は彼氏と家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。
私はどこで道を間違えたのだろうか。
それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?
私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通に暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。
それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。
チーズ牛丼を食べるような人たち、がどんな奴らなのか偏りがあるのか皆目見当もつかないんだよ。自販機で水を買う人々、みたいな感じ。誰だって普通にチーズ牛丼を食べるし、自販機で水を買うだろ。
太ってるとかハゲてるとかのような、見た目とか思想の偏向に指定があれば分かりやすく差別なんだが。あと貧乏とか。しかしチーズ牛丼は牛丼屋のメニューでは特に安くもない。高くもない。意味が分からない。
やっぱりお前は海外でたこともない奴だったな。国内でもまともに外人の知りあい何ていないんだろう。東南アジアの優秀層と言うのは国内で独占的な地位を占めていてそもそも日本で働くインセンティブなんて0
お前は少ない知識で中国人や韓国人やインド人みたいな一般のそこそこ優秀な奴がいると勘違いしたんだろう。
だかそれは東南アジアではない。
専門卒で片親、もちろん貧乏生活を送っていた。学歴も家柄も何にもないけど年収は同世代の平均よりは上。
仕事では実家で暮らしてた頃に感じたストレスに比べるとかなり少なかったから、頭は悪いけどなんとかこなせてる。
中学生の頃から親戚が経営している店でたまに働いてたから知らない人とのコミュニケーションは苦じゃない。
たぶん他人よりストレス体制とコミュ力があるだけ、周りには両親に愛されて勉強ができる環境に生まれた恵まれた人たちが多いから周りと仲良くすることができない。上辺でしか話せない感じ。だから飲み会とかもあんまり行かない。でもたぶん嫌われてはいない、むしろ話しやすいと思われてるはず。