はてなキーワード: 活動家とは
なんかまたいつものように、宇野常寛と東浩紀がかけあい漫才やってるみたいだけど、この議論って連合赤軍の人たちやラジカルフェミニズムの人たちが、さんざん昔にやってきた話を、繰り返しているように見えて、だから僕は東浩紀の言う「宇野常寛は古風で倫理的」ってのはまさにそのとおりだなあ、って思った。
例えば連合赤軍の議論に変換するなら、「父」を「プチブル」とか「帝国主義者」とかに言い換えてみればいい。
私たちは誰もが(男性であっても女性であっても)誤った、矮小な帝国主義者である。「帝国主義者」になることは達成ではない。(続く) 私たちは否応なく「帝国主義者」にされてしまうのであり、あとはこの不可避の条件にいかに対応するか、という問題だけが残されている。帝国主義の回復は、既に自動的に達成されたものであり、それはもはや想像力の仕事ではない
というわけだ。宇野常寛文脈では、「父」ってのはフェミニズムにおいて批判的に語られる「近代的な傷つける主体としての権力者」っていう意味の隠喩を受けてるから、この(「父」⇒「帝国主義者」の)言い換えはそれほど的を外したものではないだろう。帝国主義者に(あるいはプチブル)になる/ならないの二項対立は無効であり、もはや現代においては全ての人間がプチ権力者でありプチ「傷つける主体」なのだ、だから誰もが否応なく帝国主義者になってしまうのだ!! という議論は、はっきり言うが全く新しいものではない。倫理的に煮詰まっちゃった昔の活動家の人達の多くがたどった道だと思う。連合赤軍にしろ、東アジア反日武装戦線にしろ、ラディカル・フェミニズムにしろそうだ。
さらに言えば、彼らの多くが「ナルシシズムの徹底的排除」を掲げていたのも、宇野常寛と二重写しになる。東浩紀が言っている
「だれもが父である」ということと、「父になってしまう」ということは違うんだよ。宇野君が主張したのは前者。それは父になる/ならないの二項対立を回避するためのアクロバティックな論理。でも「だれもが父である」んじゃ、もう「父」の意味がないじゃん。ぼくの言っているのはそれとは違うの。
というのは言ってみれば典型的なプチブルの思想だ(東浩紀がプチブルの権化であることには皆異論はないだろう)。「全ての人間が帝国主義者だってあんたらは言うけど、でも突然、個別具体的な権力とか責任とかを負わされちゃうことだってあるよね」って連合赤軍に向かって言っているようなものだ。そのような個別具体的な(たとえば出来ちゃった結婚で通俗的な意味で「父になってしまう」ような)例を挙げるのは、社会の根本的矛盾から目を反らすためのナルシシズムであると、連合赤軍ならそう言ったに違いない。個別具体的な実例において「父になってしま」い、そのことについて個別具体的な議論をするようなナルシシストは、「総括」するのが彼ら/彼女らのルールだったのだから。
これはちょっと極端過ぎるたとえかもしれないけど、宇野VS東って赤軍派VSプチブルって捉えると、自分としてはすごく分かりやすいんだよね。
最近シーシェパードなど海外の活動家の間で話題の海洋関連国際条約ですが、
はたして彼らが期待するように南極海で日本の調査捕鯨が行えなくなるのか?という件についての備忘録。
彼らの主張は調査捕鯨の母船日新丸が南極海を航行すると条約違反になる、というもの。
彼らによると、その根拠は二つ。
1)2011年8月1日から南極海での重油の運搬・使用が禁止された。
2)同時に二重船殻(ダブルハル)でない船の流氷海域航行が禁止された。
日新丸が南極を合法的に航行するためには大幅な改造が必要になり、金も時間もかかるので無理だろうから、
今年日新丸が南極に来ることがあればそれは条約違反に当たるという主張。
これが事実なら大変、というわけで少し調べてみるとこれは全くの見当違い。
まず関連ソースを示すと、以下の二点。
SPECIAL REQUIREMENTS FOR THE USE OR CARRIAGE OF OILS IN THE ANTARCTIC AREA (RESOLUTION MEPC.189(60))
GUIDELINES FOR SHIPS OPERATING IN POLAR WATERS (MSC/Circ.1056-MEPC/Circ.399)
http://www.tc.gc.ca/media/documents/marinesafety/IMO_Polar_Guidelines.pdf
1)重油の使用について
マルポール条約の新しい条項に引っ掛かるのは日本で言うところのC重油のみ。
日新丸はもともとA重油(C重油より約3割高い)も併用しているので、
燃料費が多少増えることは確実だが南極海を航行することは当然可能。
2)二重船殻について
序文でわざわざ書かれているように、これはそもそも奨励であって強制ではない。
また、二重船殻化を奨励されているのは2011年1月1日以降に建造される船のみ。
既に建造された船について改造を強制するような性質のものではないので、
今後こういうことを口実に日本の調査捕鯨がIMOの規制違反であるというようなことを言う人がいたとしたら、
その人は国際法やら南極海の航行規則などをほとんど知らない素人さんということですね。
例えば、以前逮捕されたピート・ベスーン(当時シーシェパード)とか。
http://www.facebook.com/Capt.Pete.Bethune/posts/214302368629769
何らかの権威に対する反対表明の手段としてデモをしろ、と左翼は就職問題にも、原発問題にも主張してきた。
デモは国民に認められている当然の権利であるとも、主張していた。
そして、デモが起きた。
彼らは支持しなかった。ときに数が足りないから影響力がないと、かえって大して影響がないことの証左だと主張し、ときに前大戦を引き合いに出してレイシズムには与しないと主張した。
彼らは何がしたいのだろう。よくわからない。
努力のやり方が間違っている、ということや、排除を含めた質の向上は、彼らの理念と合致しないはずではなかったか。
デモをする、それ自体は何もすなわち左翼と同じ勢力に含まれることを意味しない。それは保守からさえ嫌われる在特会を見れば明らかだ。
これまで、日の丸に限らず、デモには趣旨から離れた幟が掲げられることは珍しくなかった。それ自体がデモの嫌悪のひとつとなっていることは、度々指摘されてきた。
しかし、私がネット上の議論などを見続けてきた限り、どうやら彼らはそれに対する問題意識は持ち合わせていないようだ。「何が悪い」と言い切る人も見た。
まさに鏡像。
鏡像であるがゆえに一般大衆からかけ離れて市民社会を叫び、「活動家を排して欲しい」というこれまでの経緯からすれば自然ともいえる要求には唾棄する。
これが左翼だ。
彼らは大衆の要求を政治ごっこと蔑むだけで改善しようとしない。これらが政府や社会、企業や個人を批判しようというのだから説得力がないのも肯ける。
一部の人(左翼や右翼を含む)が指摘しているとおり、原発関連デモも、偏向報道デモも、いずれ下火になるだろう。
デモをしてもその相手を変えられなかったことに対する諦め、そこから立ち現れる、主催者側との意識乖離から導かれる呆れと市井の人々の無力感、終末期学生闘争のようなしらけなどが、渾然一体となり場を閉塞感で満たすだろう。
そこに残っているのは、いつもどおりの人々だろう。
「何それ、個人で行ってるんだよ」
「へぇ、よくやるなぁ…」
その人はえらく怒ってた
話し相手はかなり引いてるご様子
隣の島での話し
遊びに行ってたと思われるのは癪なのだろうけど
言い方はあるだろうに
しかりつけたところ、反日企業の片棒を担ぐようなことをやらないっていいやがる。
デモに参加する程本気なら考えてもいいぞと軽くあしらったところ、
ニセ科学批判をなめすぎ。そんなことではニセ科学批判の活動家たちにバカにされるよ。
- ニセ科学批判活動家「たしかに、ビリーバーたちを説得することは無理だけれど、問題はそこじゃないんだ。ビリーバーの発言によって、普通の人が新たにビリーバーになることが問題。いったん、ビリーバーになったら二度と抜けられないから、そうならないようにすることが重要なんだ」
- 普通の人「…」
- ニセ科学批判活動家「だから、ニセ科学のビリーバーと話すときに、彼らの立場を理解するようなことを言っては絶対ダメ。そんなことをすると、まだビリーバーになりきれていない人が、科学とニセ科学は対等なんじゃないかと勘違いするから。新たなビリーバーを生み出さないように、ニセ科学を徹底的に批判続けることが重要なんだ」
- 普通の人「…」
まぁ、こんな感じ。
元増田は、ニセ科学批判運動に浸かっていないから、「指導」というような見方をするんだと思うけど、実際は批判すること自体が目的だから、「ニセ科学批判」と言うしかないんだと思う。
EFFのこの記事をざっくり訳した。訳の正確さはまったく保証しない。素人の雑な訳です。ちゃんと読みたいひとは原文参照すること。pseudonymはとりあえず「仮名」にした。
A Case for Pseudonyms (Commentary by Jillian York)
https://www.eff.org/deeplinks/2011/07/case-pseudonyms
pseudonym (スードニム) 名詞:著者が身元を隠すために使用する架空の名前。ペンネーム
個人が生来の名前とは別の名前を使いたいと考える理由は無数にあるだろう。生命や生活への脅威への配慮もあるだろうし、政治的、経済的報復へのリスクがあるかもしれない。人種差別の防止を望んでいることもあるだろうし、生活文化圏で発音や記述のしやすい名前を使うこともあるだろう。
オンラインではさらに理由は増える。インターネットカルチャーでは、オフラインでの人格と結びついているかもしれないし結びついていないかもしれない「ハンドル」や「ユーザ名」を使うことが長い間推奨されてきた。古くからのオンライン住人のなかには20年以上使っているハンドルを持つものもいるだろう。
仮名での発言は歴史的にも重要な役割を果たしてきた。ジョージ・エリオットやマーク・トウェインの文学的偉業、ザ・フェデラリスト論文でのパブリアスの政治的主張、18世紀ロンドンでのユニウスのパブリックアドバタイザー紙への寄稿。人々は仮名の下で公の論議に大きく寄与してきたし、今日に至るまでそれは続いている。
Google+の身元確認ポリシーから、オンラインプラットフォームにおける仮名性に関する新たな議論が持ち上がってきた。Google+はユーザに「友人、家族、同僚が普段呼ぶ名前」を使うことを要求する。このポリシーは、Facebookの「本名と実情報を提供せよ」という要求と似ている。Googleのポリシーは、Google+の開始から数週間で同コミュニティーの内外両方から大きな注目を集め、ソーシャルプラットフォームがアイデンティティに制限を加えるべきかどうかという議論に火をつけている。「Skud」という名前を使っていたことによりGoogle+から追い出された元Google社員、キリリー・“Skud”・ロバートの詳細な記録によれば、すでにかなりの人数のGoogle+ユーザがこのポリシーに基づくアカウント停止を受けている。
ソーシャルプラットフォームでの「実名」支持者は多くの論点を示している。実名はユーザの行動を改善し、より文化的な環境を生み出す。実名であれば攻撃者を追求することが容易になるのでストーキングや嫌がらせを防ぐ助けになる。実名ポリシーがあることで、ユーザ監視のために当局がサービス内部に「侵入する」ことを防げる。実名によってユーザは行動に責任を持つようになる。
これらの論点にまったく意味がないわけではないが、問題を間違った方向から議論している。厳格な実名ポリシーの支持者は、実名使用を主張するポリシーに良い面が一つあることを示せばいいのではない。彼らはこれらの利点が、いくつかの非常に深刻な問題より重要であることを実証する義務がある。
例えば、数千人の人々が1月蜂起に参加するきっかけになったFacebookページ「We Are All Khaled Said」を作成した著名なエジプト人、ワエル・ゴニム氏のことを考えてみよう。ページが作成されたのはハリド・サイードが警官によって殺害されてからすぐの2010年夏だったが、ページが本当に勢いを得たのはその年の後半だった。しかしその後も抗議運動の中で存在感を得るのは難しかった可能性もある。2010年11月に管理者(今ではゴニム氏だと知られている)が仮名を使っているとの報告によってこのFacebookページは停止された。Facebookは「身元の明らかな」人物が介入することによる解決を提供することができたが、ゴニム氏はFacebookのスタッフと連絡をとって解決することができたためこの件は非常に特殊な事例となった。誰もがこのようなコネクションを持っているわけではないし、アカウント停止に抗議する方法を知らないことでどれだけ多くの人々が無視されているか知るすべもない。ゴニム氏のケースでは実名を使うことは深刻な危険を伴っていた。仮名であれば安全という保証があるわけではないが、仮名は当局による活動家の追跡を大きく困難にする。
個人が本名以外の名前の方が安全に感じられる理由は無数にある。例えばLGBTコミュニティのティーンエイジャーはオンラインでいつも嫌がらせを受けるので仮名を好むかもしれない。政府のために働く配偶者やパートナーを持つ人や生活を隠したい有名人は、オンラインでは別の名前で行動するほうが安心だと感じるかもしれない。家庭内暴力から逃れている人は加害者から発見されないために、部分的または全面的な別名の使用を望むかもしれない。非主流派の政治的見解をもつ人は仮名を使うことによって生活を危険にさらさずに済ますことを選択するかもしれない。
マッキンタイア対オハイオ選挙委員会の裁判でジョン・ポール・スティーブンス最高裁判事が提案したとおり、
「匿名性は多数派による暴虐からの盾である。よって匿名性は権利章典、また特に米国憲法修正第一項の本来の目的、不寛容な社会において個人を報復から思想を抑圧から守ること、を体現している。匿名である権利は詐欺的行為に悪用されるかもしれない。政治発言はその性質上、時として不愉快な結末を迎えるが、一般的に我々の社会は言論の自由の悪用による危険よりもその価値に重きを認める」
「本当の」名前を使うことと同様に、「本当の」名前の使用の強制も、考えを明らかにすることによる被害を恐れる人々によって対話から排除されるという、現実的な結果を招く可能性がある。実名が対話の「文化度」を上げるかもしれないことに価値を見出す人がいる一方で、それは間違いなく多様性を損なう。
ギークフェミニズムのブロガーたちは、実名ポリシーの被害にあっている人々をWikiにまとめることで、個人がなぜ本名以外の名前の使用を許されるべきなのか何百もの可能性ある理由を示している。このリストに示された多くの例が安全のために仮名を使用している危険に晒された人々を説明しているものの、他にも仮名を選択できるべき重要な理由がある。
Michael Anti氏の例を見てみよう。彼の本名はJing Zhaoで、中国人ジャーナリストだ。おそらくは何者かが生来の名前を使っていないと報告したことによって、2011年1月に彼はFacebookから追い出された。10年近くニューヨーク・タイムズ等で「Michael Anti」のペンネームを使っていたにも関わらず、Facebookは実名ポリシーの厳格な強制を主張した。
Google+でも、誤判定があるとして、アカウントの即時停止ではなく、ユーザに警告を与え名前を変更する機会を与えるように処理手順を変更すべきだと促す動きがでている。
「本当の」名前を要求するポリシーを大規模に実施するのはほぼ不可能だし、多くの例が示すように強制は著名人や敵を持つ人々に対して不当に使われることが多く、またそれはコミュニティ監視機構の結果として生み出されやすい。
GoogleであれFacebookであれ、その他の企業であれサービスに適合していると思われるポリシーを作成する権利がある。しかしこれらの企業が多様性や表現の自由を犠牲にしておきながら、「実名」ポリシーがより文化的な態度を生むと主張するのは浅はかだ。「本当の」名前を要求するポリシーへの移行はオンラインでの表現の自由を萎縮させるだろう。
君は思考が極端だね。まず、「差別」という言葉の使い方が極端すぎるよ(今は没交渉になってしまった「活動家」の先輩の言葉遣いを思い出す)。
いや、「差別」ですよ。大抵の原子力関係者だって、温暖化や石油枯渇が心配される中「原子力が人類を救う」という使命感と誇りを持って仕事しているわけです。それを誇ることが許されないばかりか、もんじゅのように「原子力関係者には嘘を含め何を言ってもよい」という風潮がはびこっている。「全て原子力村が悪い!温暖化CO2原因説は国際原子力村の陰謀だ!」みたいな陰謀論に至っては「全て国際ユダヤ人が悪い!」というのと同じようなパラノイア的なものを感じます(そういえば、広瀬隆はユダヤ陰謀論者、温暖化懐疑論者でもありました)。
一方、石油業界関係者は普通の人と同程度に、自分の仕事に誇りを持つことが許されているはずです。あれだけ叩かれてる官僚でさえ、個々人を叩くような人はまあいないでしょうし、誠実に語れば「世間で言われているより実際の官僚はずっとまともなんだね」ぐらいの反応は得られるでしょう。「お前ら全然残業してないでいい給料もらってるんだろ!」と言われて「いや、そうではなく労働基準法の適用対象外なのでサービス残業を強要されているだけだ」と説明して「公務員村の情報操作だ!」なんて反応が返ってくることは考えられない。この違いはなんですか?
そう、飛行機などが安全でないことと、原発が安全でないことは重みが違うんだ。(「重み」という言葉遣いがおかしいかもしれないが……「重大性」かな。この暑苦しい夜に、重苦しすぎるが。)
それがまずおかしいと思います。どう考えても「あなた」が飛行機で死ぬリスクと原発事故で死ぬリスクは前者の方が高い。土地が使用不能になるという話にしたところで、ダムだの空港だの区画整理だのと大して変わらない(時間の長いオーダーで見れば使用不能とは言えないという意味も含めて)。実は原発のリスクというものは既存のもののリスクと変わらないし、予測不能なほど巨大なリスクという意味ではCO2と温暖化というもっと強烈なものが比較対象として存在しうる。
というわけで、原子力だけを特別扱いするのは合理性に欠ける感情論でしかありません。その意味で、脱原発か否かという議論は原子力と「それ以外」の得失を比較して行われるべきです。それがない議論はまともな脱原発議論とはいえません。
原発だって隠せませんよ。放射能なんて1ベクレル(1ベクレルって原子核1個が1秒間に崩壊する放射能ですよ。超・超微量です)単位で計測できてしまうのに。事故に至らない「事象」を隠しうるという意味では飛行機や鉄道だって同じことです。
原発は、それを建設する計画の時点から、「安全」を強調して地元を説得した。地域の住民はそれが一番気になるからだ。これと比べることができるのは、「飛行機などの安全」ではなく、……そうだな、「金融商品の元本割れのリスクの説明」ではないか?
化学工場やガスタンクを建てる際だって「安全です」と説明されるでしょうがそれに文句を言う人はいないですよね。人工物に「絶対安全」があり得ないことは誰でも知っているからです。実際、命の危険という意味では化学工場やガスタンクの方がよっぽど高いです。原発だって当然同じように理解されるはずです。
一方、金融商品は「絶対元本割れしない」ようにすることができます。法律上、そういう契約を結ぶことは可能だからです。だから「元本割れはしません」といえば嘘になる。ここが全然違います。
JALも同じことをしていましたが、それでもなお「安全だ」と主張することは可能でしょう。
それにJCOが「原発でないこと」など、一般人には正直、どうでもいい瑣末なことなんだ。同じ「核(エネルギーの平和利用の)施設」で、何かあったら原発でもJCOでも周辺には同じ結果をもたらすものなのだから。
全然「同じ結果」ではありません(JCOでは土壌汚染は皆無。これは原理的にそういうもの)。JCOと原発を同一視するのは、石油精製工場で爆発事故が起こったらなぜか火力発電所が責められるような話です。ですがまあその辺は別にいいでしょう。「客観的にみて、JCO事故以前は『原発は安全』と主張してなんの問題もなかった」と言い直してもよい。それ以降にしたって、原子力業界の死者数が他の業界に比べて非常に少ないことは変わらないですし。
あ、ついでに思い出したので言いますが、1991年美浜事故、もんじゅナトリウム漏れ事故、JCO事故などのたびに「原発の安全神話崩壊」は騒がれていたはずです。これでもなお「マスメディアは『絶対安全』を国民にプロパガンダしていた」というのなら「嘘つき」か「健忘症」のどちらか一方だとしか言いようがないと思います。
美浜は何度も"事故"が発生しているが、「国際評価尺度」で「事故」扱いされる「レベル4」以上になったことはない。2004年ではなく、1991年の蒸気発生器伝熱管損傷が「レベル2」だ。
それはその「事故」が放射能事故に限られているからです。プラント事故という意味では2004年の二次冷却水漏れ事故は電力業界全体を揺るがす大事故であったことは間違いない。あの事故は火力発電所でも起き得るものだったのだから猶更です。
ではなぜ「新幹線は安全です」「鉄道は安全です」「飛行機は安全です」は社会的に許容されているのでしょうか?なぜ「原発は安全です」だけが許されないのでしょうか?それは差別というものではありませんか?
君は思考が極端だね。まず、「差別」という言葉の使い方が極端すぎるよ(今は没交渉になってしまった「活動家」の先輩の言葉遣いを思い出す)。思いつきで書くが、例えば、俺が個人のブログか何かで「鳩山邦夫前首相」なんて書いてしまってもたいした問題にはならないが(せいぜい取り消し線をつけて修正する程度でよいだろう)、新聞社が記事でそれをやったら大問題だ。そういうふうに、おのずから物事の重みが違う場合に扱いを変えることは「差別」ではない。
そう、飛行機などが安全でないことと、原発が安全でないことは重みが違うんだ。(「重み」という言葉遣いがおかしいかもしれないが……「重大性」かな。この暑苦しい夜に、重苦しすぎるが。)
飛行機は墜落すれば乗っている全員が一気に死んでしまう。それはそれ単独で、非常に重大なことだ。御巣鷹山のような事故は二度と起こしてほしくない。しかし、飛行機の墜落は結果が誰にでも予測できる。それに、飛行機は墜落しても、その後何十年というスパンでその土地を居住不能にしたりしない。
何より、飛行機や鉄道は、事故ったら隠すことはできない。(北朝鮮のような独裁国家ではどうかわからんが。)第一、人々は航空会社が「飛行機は安全です」と主張しているから、飛行機を選んで利用しているわけではない。
原発は、それを建設する計画の時点から、「安全」を強調して地元を説得した。地域の住民はそれが一番気になるからだ。これと比べることができるのは、「飛行機などの安全」ではなく、……そうだな、「金融商品の元本割れのリスクの説明」ではないか?
少なくとも3.11までの日本の原発は所外にリスクを伴う放射能漏れ事故を一度も起こしていなかったわけで(念のため、JCOは「原発」ではありません)「安全」と宣伝する資格はあったと思います。
いや、彼ら「原子力村」に「安全」と宣伝する資格はありはしないよ。事故隠し・データ改ざんをしておいて、「安全だ」も糞もないだろう。それにJCOが「原発でないこと」など、一般人には正直、どうでもいい瑣末なことなんだ。同じ「核(エネルギーの平和利用の)施設」で、何かあったら原発でもJCOでも周辺には同じ結果をもたらすものなのだから。
ちなみに国内最大の原発事故は福島だと私は思っていません。あれは「国内最大の放射能事故」ではあるにしても(広島・長崎は別格)、みんななぜこの事故のことを忘れているのか私は不思議でなりません。こういうことが、反原発派が「命が一番大切」とかいっても信用できない一因です。
http://www.jaea.go.jp/04/turuga/jturuga/mj_anzeniinkai/2/siryou_2-3.pdf
「国内最大の原発事故」について君がどう思っているかは問題ではない。人々が福島第一を「最大」と扱っている前提、基準はIAEAが使っている国際原子力事象評価尺度だ。福島第一とチェルノブイリは最も深刻な「レベル7」とされた(それに異議があるかもしれないが、それは別の話。そう評価されたということは議論の前提で変更できない)。美浜は何度も"事故"が発生しているが、「国際評価尺度」で「事故」扱いされる「レベル4」以上になったことはない。2004年ではなく、1991年の蒸気発生器伝熱管損傷が「レベル2」だ。
それから、美浜三号機の事故を、「みんな」は本当に「忘れて」いるのか?(現在進行形の「チェルノブイリと同じレベル7の福島第一原発の事故」のことに関心が集まっているのだから、今、美浜が無視されているかのように見えても、それはそれで道理ではないか?)
君の言い分には証拠が示されていないが、逆の証拠なら検索すれば見つかる。君が嫌っているであろう人たちも含め(俺もこの中の一部は嫌いだ)、多くの人たちがそれについて書いていることが確認できる。
http://www.ihope.jp/no_nukes/mihama.html =これは3月11日の震災の後に書かれている。
http://cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=33
http://www.mdsweb.jp/doc/853/0853_03x.html
http://www.fukuishimbun.co.jp/jp/mihamaziko/kiji2.htm
http://www.jca.apc.org/mihama/News/news78/news78shishin.htm
※本当は2004年に書かれたこれらの記事が、2011年の3月11日以降、どのようにリンクされているかを調べて検討できるとよいのだが、そこまではできない。すまんが。
最後に、言葉のあやだろうけれども、広島・長崎について「放射能事故」であると君が認識していると思われかねないような書き方はしないよう、気をつけたほうがいい。(俺は元増田がそう認識しているなどとは思っていないが、誰がどう上げ足を取ろうとするか、わからないから。)
じゃ、お互い、少し寝よう。今日は月曜からの出張の準備をしなければならないので、次のレスはできないかもしれない。前もって謝っておくよ。
元増田です。丁寧なお返事ありがとう。こちらも同じく暑くて眠れないので返事します。
一方で、「原子力村」の「ウソ」は、彼ら活動家とは届く範囲が違っていたし、時間的な長さも違う。広く一般の人々が読む新聞で、前の投稿に例示したような「安全だという宣伝」を重ねてきた。
それが「ウソ」だというのが理解できないというのは述べたとおり。航空会社が「飛行機は安全だ」と主張してもそれを「ウソ」というわけにはいかないでしょう。御巣鷹山(余談ながら、このニュースのあたりから記憶がかろうじて断片的に残っている)以降国内航空会社で重大事故がない(と記憶している)にしても、JALの整備がひどかったとか、そういう問題は数々ありました。
少なくとも3.11までの日本の原発は所外にリスクを伴う放射能漏れ事故を一度も起こしていなかったわけで(念のため、JCOは「原発」ではありません)「安全」と宣伝する資格はあったと思います。
ちなみに国内最大の原発事故は福島だと私は思っていません。あれは「国内最大の放射能事故」ではあるにしても(広島・長崎は別格)、みんななぜこの事故のことを忘れているのか私は不思議でなりません。こういうことが、反原発派が「命が一番大切」とかいっても信用できない一因です。
http://www.jaea.go.jp/04/turuga/jturuga/mj_anzeniinkai/2/siryou_2-3.pdf
「新幹線は安全です」「鉄道は安全です」「飛行機は安全です」これを「絶対安全」の主張だと思う人は「馬鹿」だといってよいでしょう。
そういう「馬鹿」を基準にしなければならないんだ。少し極端な言い方をするが、PL法(製造物責任法)もそういう思想のもとにある。
ではなぜ「新幹線は安全です」「鉄道は安全です」「飛行機は安全です」は社会的に許容されているのでしょうか?なぜ「原発は安全です」だけが許されないのでしょうか?それは差別というものではありませんか?
元増田へ。レスありがとう。言いたいことは十分に伝わってくる。怒りも伝わってくる。
以下、少し乱暴な物言いになるかもしれない。夜中で眠いので(暑くて眠れないのだが)、気に障る言い方をしてしまうかもしれないが、許してほしい。
そうか、2006年か……。不運なことだが、やはりこれを一般化してはいけない。むしろ、「自分に入ってくる情報が特殊だった」っていうことだ。ちなみに、俺は世間並み以上にニュースに接しているし、どちらかといえば「エコ」志向で、原発はなければない方がいいのではないかとずっと考えてきたような人間だが、それでも、チェルノブイリについて、「最終的な死者の数は10万人から20万人くらい」なんていう話は、今はじめて聞いた。それは一部の、極端な、「反原発運動の活動家」の、具体的根拠のない意見で、一般的ではない(ということは元増田はわかっていると思うが、俺の知り合いで鼻息を荒くしていた奴はわかっていなかったので……しつこくてごめんな)。「10万人から20万人」などという大雑把すぎる数値を聞かされて、真に受ける人がいるとは思えない。というより、そんな数値を鵜呑みにするのは、「絶対安全」と勝手に解釈するのと同じくらい、バカなことだと思う。
ただ、チェルノブイリの事故から時間が経過するにつれて、一般のニュースで話題にならなくなった分、情報源として彼ら、極端な「反原発運動の活動家」以外には何もなくなった時期があったことは確かだ。事故当時子供だった元増田のような人たちは、問題に関心が高ければ高いほど、彼らの歪んだ情報に接することにもなっただろう。それは気の毒だと思うし、申し訳ない。俺たちのように事故当時、ニュースを見て、ニュースの内容をだいたいは理解できていた者が、その後、チェルノブイリへの関心を失い、何がどうだったのかを伝える努力をしなかったことにも責任の一端があると思う。その点、済まなかった。もっと努力すべきだったし、根拠の薄い過激な主張にはもっとつっこみを入れるべきだったのだろう。
一方で、「原子力村」の「ウソ」は、彼ら活動家とは届く範囲が違っていたし、時間的な長さも違う。広く一般の人々が読む新聞で、前の投稿に例示したような「安全だという宣伝」を重ねてきた。それも、本当は地震対策が不十分なのにそれを認めなかったり、隠していたり、もっと悪いことには事故隠しやデータの捏造といったことまでやってきた。しかも彼らのバックには国家がついていた。
「ウソだった」ことでは「原子力村」も「過激で根拠のない反原発活動家」も同じだ。しかし深刻さが違う。届く範囲が違う。今、問題とされているのは、そのことではないだろうか。
最後に、小バカにしているように聞こえたら済まないと思うが、
「新幹線は安全です」「鉄道は安全です」「飛行機は安全です」これを「絶対安全」の主張だと思う人は「馬鹿」だといってよいでしょう。
そういう「馬鹿」を基準にしなければならないんだ。少し極端な言い方をするが、PL法(製造物責任法)もそういう思想のもとにある。
これは本当にその通りだ。「反原発」だろうと、「原発推進」だろうと、どちらもだ。そこが、今、福島第一の事故を経験した日本人が立ち帰るべき出発点ではないか、と俺は思っている。
それを改めて確認して、次の世代に「まともな国、日本」を残せるよう、努めていくのが俺たちの責任じゃないか。
さて、そろそろ本当に眠くなってきた。蒸し暑くて寝苦しいが寝るよ。おやすみ。
仕事の締め切りが1日延びたので元増田に今日中に返信できるのが嬉しい
どうも考えが噛みあわないと思ったら
元増田は「罪にも許しを与えるべき」という価値観の持ち主なわけですね。
私は「因果応報」という考え方に近い
その後、改心してどんな良い事をしても社会的に許されない許しちゃいけない事件ってあると思う
「一生の恥」として背負って再び同じ過ちをしないために忘れてはならない
それが法律で裁かれない人が代わりに一生背負わなきゃいけない「罪と罰」
そういう罪を許せるのは、「神様」だけ。そして現代社会では「神は死んだ」
>自分はレイパーにレイプされたんだから別のレイパーをレイプしていいってことにはならないでしょう。
もちろん自分をレイプしたレイパーすら自分はレイプする権利を持たない。
叩いてる人が「人間」ならね。「人間」ならその社会の秩序を守るための理屈は通じるんだ。
だけど「いじめられっ子」は学校では「人間」ではない。「間」を取り上げられた「人(ヒト)」だ。
人は周りとの関係があって初めて「人間」としての扱いを受けられる。「間」が薄いから同じ「人権」ある生き物と
して扱ってもらえないんだよ。「人間」として見てもらえてないから。
環境保護団体のように集団で、「いじめるな」と言っても意味は無い。
なぜなら「いじめっ子」には「いじめられっ子」は鯨程度の生き物にしか見えてないから。
「鯨を狩って何が悪い。これは昔から伝わる伝統文化だ。」程度の感覚。
そうやって、「人間ではない」扱いを受けて文字通り魂をいじめっ子に喰い潰されて社会的に廃人になったら
どうなるか分かりますか。
魂に「鬼」が棲みつくんですよ。そして、「いじめ」のスレが話題となる度に度に全国から「鬼」が出てきて
ネットで「百鬼夜行」を繰り広げて、行列に見つかったら・・・。
という平成の時代に平安時代のオカルトチックな「百鬼夜行=ネット炎上」が起きてる訳です。
子どもや廃人にネット使わせることを社会が認めてる時点でそういうネット中傷止めるのは無理。
人権団体的なものを作るのは難しいと思う。教育やマスコミ関係に「電凸」が関の山。
はてなには「人権活動家」的な人で「人権」「差別」と唱える人は
学校はね、余程の事件じゃないと加害者を転校させたりとかしないんですよ。むしろ、被害者の方が転校したり
行き過ぎた中傷ね。それで廃人の怨念や苦しみが少しでも癒されるなら、いいんじゃないかな。
それで廃人が下を向いて人生立ち止っていたのが、再び歩き出す気力になるのなら
不味いのは「いじめられっ子」がいじめられた過去に立ち止ったままになって
いじめられた過去の時間に閉じ込められて人生の時を止めてしまった子を今まで大勢見てきました
私は昔は「人間」として扱われていた「鬼」達にこう言いたい。
時間が未来に向かって動き出すなら誰かを憎むエネルギーを利用してもいいと思う。
一生許さなくてもいいんだよ。同窓会なんて行かなくてもいい。誰かを激しく憎んでもいいんだよ。
学校に都合の良い良い子ちゃんでいる必要はない。「いじめられる側に問題は無い」
「6.11新宿・原発やめろデモ」において発生した、20歳学生に対する集団リンチ
「6.11新宿・原発やめろデモ(http://611shinjuku.tumblr.com/)」において、20歳の学生に対する、集団リンチ事件。
「ヘイトスピーチに反対する会」有志
柏崎正憲 栗原学 常野雄次郎(@toled) ほくしゅ(@hokusyu82) 山口素明 ほか2人
法律に反するようなら、むしろ取り締まるべきじゃないの。
それ以前だろまず。
左翼教師の、
君が代に関する、
思想なんですか?
きっちり答えろな。
ここから逃げていこうとしてるあたり、
もうお前もまずいこと口走ったことに気づいてるだろw
それが後悔するってこと。
どこにそんなこと書いてあんだよw
アルツハイマーに気をつけろよw
だからってどうということもないけど。
「思想」だの「思想とかかわりない一部の暴走」だの「どうでもいいこと」だので
思い出の卒業式ぶち壊されたり自殺に追い込まれたりした方はたまらねえよw
迷惑かけられるほうの人権はどうなってんだいったいw
元増田が挙げたような行動の教師は全部国が取り締まってもいいんだな?
法律に反するようなら、むしろ取り締まるべきじゃないの。
実際に迷惑かけたり人死なせたりしてるのを「一部」として切り離すとはすげえ感覚だけど
おまえの脳内で、俺はすっかり「思想信条を盾に犯罪してる左翼活動家」になっているようだ。
もっと考えてから口開いた方が後悔しないぞ。
政治なんてどうでもよくてただ偉い人たちを私刑したいだけの人も、
韓国なんてどうでもよくて単に外国人を馬鹿にしたいだけの人も、
捕鯨なんてどうでもよくてパトロンから金を毟りたいだけの人も、
いるだろうね。
だからってどうということもないけど。