はてなキーワード: 難波とは
2024年5月26日、静岡県知事選は自民党推薦の元総務官僚、大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。
4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東部政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。
地元紙は公示前から、大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から、総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。
鈴木康友元浜松市長が出馬表明後、県内テレビメディアは候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村のスローガン「オール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車の鈴木修会長からの支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。
さらに、連日のように「今日は伊豆市の市長が大村支持を表明」「今日は伊東市の市長が大村支持を表明」「今日は島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事は大村だろう」と確信するに至った。
浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内の論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部の静岡市である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村の勝利を予測していた。
県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村は建設計画をゼロベースで判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。
今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村は県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補の支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。
日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬に自民党の情勢調査に基づき、大村が惨敗すると報じた。しかし、この調査は4月前半に行われたものであり、大村の知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからのメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。
大村の選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長の難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団が応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。
リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会を解散させるべき」と発言させ、リニア本工事の早期許可を公約とするなど、川勝前知事の方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激な戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。
前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性を問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策も戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。
総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。
2024年5月26日、静岡県知事選は自民党推薦の元総務官僚、大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。
4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東部政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。
地元紙は公示前から、大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から、総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。
鈴木康友元浜松市長が出馬表明後、県内テレビメディアは候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村のスローガン「オール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車の鈴木修会長からの支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。
さらに、連日のように「今日は伊豆市の市長が大村支持を表明」「今日は伊東市の市長が大村支持を表明」「今日は島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事は大村だろう」と確信するに至った。
浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内の論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部の静岡市である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村の勝利を予測していた。
県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村は建設計画をゼロベースで判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。
今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村は県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補の支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。
日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬に自民党の情勢調査に基づき、大村が惨敗すると報じた。しかし、この調査は4月前半に行われたものであり、大村の知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからのメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。
大村の選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長の難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団が応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。
リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会を解散させるべき」と発言させ、リニア本工事の早期許可を公約とするなど、川勝前知事の方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激な戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。
前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性を問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策も戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。
総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。
60期 石川理紗 1982年3月22日 35歳 2016年4月1日 神戸家地裁伊丹支部判事補 ( 岡山家地裁判事補 ) 名前は理沙 現在、41歳
60期 新宅孝昭 1980年11月30日 36歳 2015年8月16日 岡山地家裁判事補 ( 在ストラスブール日本国総領事館領事 ) 新宅 42歳
60期 仲井葉月 1982年8月6日 35歳 2017年4月1日 大阪地家裁判事補 ( 名古屋地家裁岡崎支部判事補 ) 葉月(はづき) 41歳 デリヘル
60期 中野彩子 1983年7月19日 34歳 2015年4月1日 大阪家地裁岸和田支部判事補 ( 横浜家地裁判事補 ) 彩子 40歳 デリヘル
60期 長峰志織 1980年4月19日 37歳 2016年4月1日 広島地家裁判事補 ( 宮崎家地裁延岡支部判事補 ) 昔延岡にいた 43歳
60期 浜口紗織 1983年6月9日 34歳 2015年7月16日 静岡家地裁浜松支部判事補 ( 在ジュネーブ国際機関日本政府代表部二等書記官 )
60期 深見翼 1981年10月10日 35歳 2016年4月1日 大阪家地裁判事補 ( 千葉地家裁判事補 ) 翼 41歳 BLショタ
60期 三貫納有子 1981年10月19日 35歳 2015年4月1日 宇都宮地家裁栃木支部判事補 ( 名古屋家裁判事補 ) 42歳
60期 三貫納隼 1981年8月21日 35歳 2015年4月1日 宇都宮地家裁判事補 ( 名古屋家地裁半田支部判事補 ) 隼 41歳 BLショタ
60期 横井靖世 1981年1月10日 36歳 2015年4月1日 横浜地裁判事補 ( 札幌家地裁判事補 )
61期 織川逸平 1979年12月18日 37歳 2016年4月1日 宮崎地家裁判事補 ( 桃尾・松尾・難波法律事務所(一弁) ) 43歳 おばさん
61期 長妻彩子 1984年9月27日 32歳 2016年4月1日 長野地家裁佐久支部判事補 ( 水戸家地裁判事補 ) 彩子 デリヘル
61期 中出暁子 1981年5月11日 36歳 2016年4月1日 大阪地家裁判事補 ( 金沢家地裁判事補 ) 42歳 クンニ
61期 西脇真由子 1982年5月10日 35歳 2016年4月1日 和歌山地家裁判事補 ( 名古屋地裁判事補 ) 41歳 整形軍団
61期 日向輝彦 1981年8月22日 35歳 2016年4月1日 鹿児島家地裁名瀬支部判事補 ( 東京地裁判事補 ) 41歳 GLAY
62期 加藤弾 1984年3月27日 33歳 2017年4月1日 大阪地家裁判事補 ( 広島地家裁判事補 ) 39歳 出来ない奴
62期 甚田理恵 1983年1月7日 34歳 2016年4月1日 秋田家地裁大館支部判事補 ( 東京地家裁判事補 ) 40歳 甚大な奴
62期 行川雄一郎 1983年3月24日 34歳 2017年4月1日 司研第一部所付 ( 新潟地家裁新発田支部判事補 ) 40歳 統合失調症
街の様子が変わっていてびっくりした
こんなに物騒な街だっけ?
私が中学生のとき(2010年代前半ごろ)は友達と何するにもまずは難波行こうぜって感じだった
服買いに行ったりなんか食べに行ったりさ
土日のお昼は同い年ぐらいの子が商店街にうじゃうじゃいて、歩きやすい街だった ちょうど近所に住んでたし
ひっかけ橋の方行ったらちょっと怖い見た目の人いたりさ 中学生に声かけてくるおっさんとかもいて「キモかったねー」って帰り道みんなでバカにしてた
危険な思いをした体験というとその程度だった 変なおっさんいたとか酔っ払いに声かけられたとか
親も、アメ村の方は怖いからあんまり行くなよーって言ってたぐらい
私がこないだ行ったときはお昼ぐらいだったんだけど、まだ明るいのにトー横キッズみたいな人が街中にうろうろしていてびっくりした
夜職っぽい見た目の人も昼間からうろうろしてたな
もちろん別にそういう人たちがいてもいいんだけど、私の記憶ではこんなに多くなかったはず
テレビでグリ下?の子たちが増えてるって言ってたのは見たけど、難波全域がこんな感じになってるとは思わなかった
仮に自分がいま中学生だったら、気軽に歩けるかどうかちょっと分からないなと思った
でもなんか全体的にあのあたり治安悪くなりすぎじゃない?
観光客多いのはまあ確かに思ったけど前からそうだから…梅田もそうだし
それに私の学生時代には既に爆買い外国人とかなんとか言われてたし それにしても増えたけどな つるとんたん並び過ぎやろと思った、こんな混んでたっけ
違います。「なぜ川勝が選挙に強いのか」の理由は単に「県自民がろくな対抗馬候補を擁立できなかった」に尽きます。
自民の著名人候補は知名度も全国区でなく中途半端で選挙前から「現職には勝てないわ」となる候補ばかりでした。
静岡県は保守的な県民性ですから現状維持重視で現職が出ればそのまま選ばれます。そこを打破するにはよほどの有名人や全国区で話題となる候補が必要でした。(そもそも川勝氏も石川前知事に県立大に招聘され県とゆかりができ細野豪志らかつての民主党の保守派に擁立された。)
三期目選挙の時に細野豪志が噂されてた通り擁立されてれば勝てたんではないか、4期目選挙の時に上川陽子を擁立していれば勝てたんではないか、と思ってました(上川氏はその後外務大臣になり今では総理候補なんだから出なくて正解でしたね)。
リニアに関して大井川の水問題は水返せ運動の時から県は超党派で取り組んでることなんで、自民も「そんなの関係ねぇ」なんて言いません。問題が大きくこじれてきた3、4期目の選挙でも「水問題を解決する」という姿勢は同じで大きな争点にもなりませんでした。
川勝氏のリニア発言は難波副知事が任期満了で辞任してから特に不安定になっていきましたね。2期目の途中で「川勝はかつて2期で辞めると言っていたから難波副知事を後継候補にするつもりでは」という憶測も流れてたのですが、ほんとそうなってれば全てに幸せだったでしょうね。
予算があんまりなかったので動物園前近くの結構値段がするほうの簡易宿所に宿泊したときの感想
西成には6回目、ここ最近利用したのは去年の2023/11の警察署前のもっと安いところ
西成簡易宿泊施設としては高額な2400円/日(土日休2800円/日、宿直接)、今回は楽天経由で10250円でポイント(平日2350円x1、休日3950円x2)
風呂は時間製で、朝も営業中、シャワー室は男女別でサウナもあった(男湯だけ?)
トイレは使用感はかなりあるが一応キレイ、大便用は全部洋式でウォシュレット付
久しぶりに駅前の宿にしたがやっぱり高いだけあってちゃんとしてるなあという印象
11月に止まったところは、トイレのとなりに台所があり、大便器はほとんどぶっ壊れるとかだった
ここはトレインスポッティングに出てくる便所かよと思った
部屋は教説に変な腐敗臭がしてたので窓開けて寝てた
眼の前に警察署があって治安は比較的安全だが奇声が偶に聞こえてた
連泊だったら交換可能だったし、(比較的)高級シャンプーの貸出とかもやっていた
去年も思ったが動物園前駅や新今宮駅前は結構海外からの観光客をよく見かける
昔ながらの日雇いのおっちゃんのほうが少ない(もっと安いことに行くわな)
まあ、ホステルとかよりは広くて風呂やサウナもあるし値段はホステルより安いとなったらこっちに泊まるのは普通かな
エレベーターで降りてたら下の階で日本人カップルが乗ってきてビビる
こっちはバスガウンで1階の大風呂に入りに行く途中で気まずくなった
なお、東洋系のカップルや白人のカップルなどもロビーにいてすげえな此処と思ってしまった
洋式部屋ならまだしも畳の和式部屋に女性が泊まるもんかと思った
まあ一人は洋式部屋だったがグループで西成に泊まるとかすげえなと思った
逆にこっちが怖くなった
帰る際、幼い男子2人を連れた家族4人が和式部屋2つから出てきてビビった
子供連れが泊まれなくは無いぐらいの施設ではあるが西成でかと思ってしまった
バリバリ背中に入れ墨入れていたのを大風呂で見てしまったので怖かったが
難波からも複数ルートで来れる地域ではあるし、基本平坦ではあるでキャリーバックをもって移動するには良い地域ではある(新今宮駅前は狭いが)
動物園前の9番出口付近はまだ昔のドヤ街の雰囲気を残している場所もあるが
駅前はちょっと古いホテルって感じでそこさえ我慢出来るならかなりいい場所なんだろう
鶴橋、難波、梅田には電車で気軽に行けるし、新世界に行くには最適な場所だしな
近くにドンキやダイソー、大型スパ施設もあるから西成のポテンシャルは実は高いのかも
今後世代交代が起こって色々更新されていく形になると思うがどうなっていくんだろうね
日本の再開発ってダサいから一辺倒にしちゃう方式になるからなあ
まあちょっとだけディープな看板とかみたいなら動物園前商店街のアーケードを南下すれば
中華系カラオケスナックばっかりになっているところに「居酒屋で覚醒剤を売るな!」の標識を見れたりはするが
まあ泊まった簡易宿所はどっちも「あーアソコね」ってなると思うが一応伏せて書いた
3日前ジジババ従兄弟と行ったのが楽しかったのでもう一度行きたいらしい
鹿が見たい、山で食べたレストランにもう一度行きたいと
朝飯を食うて出かける準備をする
JRと近鉄どちらも時間はさほど変わらないので普段使うことがない近鉄にした
京橋駅に火の鳥が停まってた、これに乗りたいと駄々をこねる、全席完売、急行に乗る
奈良公園到着、鹿がうじゃうじゃいる
鹿せんべいを買ってやった、キャッキャ叫びながらせんべいを放り投げる。かわいい
人が食うても構わないと教えてやると最初は怖怖舐めたがそのうちにうまいうまいと残り全部自分で食うてしまった
鹿が恨めしそうに寄ってくる、追加購入、半分は息子が食う
最終的には4束買わされた
そんな事をしながらなんとなく春日大社の参道を歩いていると行例停滞してきた
まずい戻ろうと振り返ると既に後方から人並みが押し寄せ引き返すことが不可能に。
そのまま参詣せざるを得ない状況になった。
息子が沿道屋台の700円の綿飴をねだる
原価10円もしないものは買えない
後日しかるべき店で経済合理性が理にかなった綿飴が見つかれば購入してやる
適切な消費行動、我慢、選択ができなければ資本社会の奴隷になるぞと教育
奈良満喫、息子念願のレストランは場所不明、山の方だと言うが、知らんがな、ちゃんと店名を覚えておけ、闇雲に歩いて見つかるわけが無い
5才児の世界は小さい
山上に到着、遊園地は冬季休園、周辺を散策、寒い、大阪の町を見渡せる
息子は満足、帰る
火の鳥にどうしても乗りたいと蒸し返す
そのうちそのうちと誤魔化す
風呂に入って寝る
夜、近鉄予約サイトを見ると翌日ベストでグッドな時間にポツンとひと席だけ空席があった
予約ぽちっとな
1月3日、火の鳥に乗車
伊勢神宮まで行っても仕方がない、難波から大和八木まで乗車、30分で十分だろう
座席は先頭車一番前だった、予約したときは気にしなかったがなんだこのラッキー、ひと席しか無いので息子が座り俺は横で立つ
乗車前駅員に確認し未就学児の息子の分の乗車券も購入している、駅員に聞いたら特急券は不要とのこと。
検札など来ないことはわかっているがこういう細かい不正やズルは嫌いなのだ。
大和八木で乗り換えて京都へ、二階建て特急の二階席指定も取ってある
昼、京都到着、そのまま大阪に帰るにはまだ早い、さてどうするか、ノープラン。
腹が減ったがマクドナルドしか開いてない、正月からハッピーセット
京阪石山坂本線に乗り換えて終点の石山寺まで、二両編成、河川敷で少し遊ぶ
行き当たりばったりの旅も楽しいよね
小さな駅と小さな列車に息子喜ぶ、山麓で川岸の石山駅は風情が良い
びわ湖浜大津駅から京都市内に抜けて帰る想定だが改札を抜けずに折り返したら不正乗車になるので一旦改札を抜ける
周辺を散策
近くにケーブルカーがあるんだ今度乗りに来ようねと言うと
今日乗りたい、今すぐ乗りたいと言い出す、15時、時間的にギリかと
10分ほど歩いてケーブルカー乗り場に到着。15時半
山上に連絡バスがあり反対側のロープウェイまで行けると教えてもらう。
Googleマップで見るとケーブルカーの降り場からバス停まで結構距離がある
駅員からも頑張って歩かないと間に合わないとアドバイスされる。
息子はスマホでゲームをしている、てめぇが乗りてぇつーたんだろうが、景色を見ろ景色をと叱りつけるとチラ見して「見た」だと。これだから乗り鉄は嫌だ
山上に到着、寒い、16時、日が暮れ始めている、あれ?ちょっとヤバい?
急いでバス停に、徒歩10分と書いてある、延暦寺には興味はないのでパス、てか時間が無い
バス停手前が長い登り坂になっているのだけど坂の途中でバスが走り出すディーゼル特有の排気音が聞こえたので少し焦る。
乗客はわりと居た、外国人の男がバスの運転手に「ちょっとまってくれ、妻がぁ」
女がひぃひぃ言いながら坂を登ってきていた、セーフ
そんなこんなでバスは5分ほど走り叡山ロープウェイ比叡山頂駅に到着
ロープウェイは最終便。既に薄暗い
ロープウェイを降りてケーブルカーに乗り換える、これも最終便。既に日は暮れていた。客は結構いた
息子「世界が見渡せるすごい、あの辺が鉄道博物館に違いない、あそこに夢のEF55があるんだ、今度行こうね」
世界はそんなに小さくは無いぞ
ケーブルカーの車内に建設当時の工事写真が展示されており、息子は屋根なしむき出しの無蓋車がツボにハマったようであれに乗りたいと言い出す。
無い、無いものはない諦めろと諭す
息子は、大金持ちになってこの会社を買収して実現すると宣言、おう頑張れ
ともかくケーブルカーで麓まで降りる、正直山上では若干ビビっていた、真っ暗だし
自分一人ならどうにかなるが親として5歳の息子の安全を担保する責任がある
行き当たりばったりが過ぎたと反省
ともかく麓まで降りればあとは金の力でどうにでもなる
さてこっから京都市内に戻るにはどうすれば良いのか、すぐ近くにバス停がある。
もう少し早ければバスを乗り継いで四条大宮、嵐電、嵐山、阪急のコースだが流石に無理
既に17時
地図を見たら近くに鉄道があった。叡山電鉄叡山本線、たぶん俺も初めて乗るやつ
八瀬比叡山口、改札機も無い小さな駅で待っていると一両のかっこいい列車が来て息子発狂
どうやら8編成のうち1編成だけ特別な観光列車に車体改造されておりこれに大当たり
息子は大興奮で飛び跳ねている、かわいい、3分ほどで冷めてスマホに戻る
始発駅なので余裕で二階席をゲット
パパはホーム側下階席の方が好きなんだけどなぁ、まぁいいや
19時
ママ怒ってる
相当な距離歩いたが途中グズらなかった、成長したなぁ
平成52年φ月066日 二度漬け夢の解禁 つけまくって怒鳴られる(なんでやねん)
令和ガンガンガン年01年0日 あれ?カニカマが集まってカニになたよ?
令和25年100月22日以降 もう全てをNISAに投資するべきではないかと義父。FX狂いのくせに生意気だぞ。こんにゃく
天成1年9月99日 ダイソーとキャンドゥが合併。200円均一に。全て安倍政治のせいだ
天成5年5月55日 焼き場にちいかわ(懐かしいね〜)が参上。畳の上でお茶を飲む
昭和8524年2月1日 ここまできたか、友よ。サーモン弁当大盛りだ、さあ食え