はてなキーワード: 自学自習とは
平日の午後4時。小学生はお家に帰り、中高生は部活やバイトに勤しんだり、社会人は会社でお仕事したりなんだりかんだりしているんだろう。
ただそれは一般的で平均的な人たちだけの話で、一般的で平均的な人生を歩めるレールから零れ落ちた人間はその限りではない。
現に私は高校生だ。花の17歳、ただしクラスメイトもお友達も恋人もいない。なんなら同年代の知り合いもいない。おまけに平日の午後4時に布団の上でこれを書いているJKだ。自堕落の極みか。
いや、別に学校をサボって増田なんぞに長文を投稿している訳ではない。皆さんご存知の一般的で平均的な高校生活、「ではない」高校生活を送りながら、今この増田を書いている。
高校というものには、実は様々な形がある。「全日制」、「定時制」、この二つは聞いたことがあるという人もいるかもしれない。
全日制は、平日昼間に学校に通い、毎日授業を受けて単位を得るシステム。定時制は、昼間ではなく夜間に毎日学校に通い、授業を受けるシステム。
通信制とは、毎日ではなく週に何回か、月に何回か、といったペースで学校に通って授業を受け、その他の基本的な学習は自宅に送られてくるレポート(教科書を基に作られた問題)で進めていくシステムのことを言う。
このシステム自体の是非はとりあえず置いておいて、「学校に毎日通わないとか、友達できんの?」と思ったそこのあなた。正解です。先程述べたとおり知り合いとか友達とか一人もできない。それどころか担任の名前すら覚えられない。なぜなら必要以上に他人と関わらないから。
人間関係は絶望的に希薄であるものの、それが心地良いタイプの人間にはそれなりに居心地の良い場所になる。私もそのタイプだ。学校に行っても最低限の会話しかしない。下手したら週一しかない登校で一言も喋らなかった、なんてこともある。
学習やレポートも、基本的には自学自習、教科書や学習書から自分だけで進める必要がある。これはなかなか壁になる場面も多いが、「教師の言ったことをノートに丸写しして課題を進める」よりは学習内容が身に付いているのかもしれない。
圧倒的に暇。なぜなら登校日以外ずっと家に居るから。
というかそもそも暇じゃなきゃJKは増田なんて見ない。もっと身になることに時間を使うべきである。
「暇ならバイトとかすれば?時間は有り余ってるんでしょ?」ごもっともである。しかし絶望的に人間関係が希薄な通信制高校に入学した高校生がバイトなんてやったらどうなる?
同僚たちとの会話、接客業の場合は来店した客とのやり取り……想像するだけで地獄。ひょっとしたらそこにたどり着くまでの面接やらで燃え尽きるかもしれない。
失敗するのが分かり切っている挑戦は避けて、お家で増田やらTwitterやらソシャゲやらでスマホをポチポチしながら時間を無駄にしている方が私には向いている。多分。きっと。絶対に。
書かなきゃいけない気がしたので書く。
1年目 入学
2年目 留年確定
3年目
4年目 休学(1年間)
5年目 復学
6年目
7年目 卒業
9年目 就職
今 生きてる
周囲がウェイウェイガヤガヤしている中で自分が孤立しているのは確かに辛い。
だが周囲をもっと注意深く見回してみろ。孤立してる奴はお前だけじゃないはずだ。必ずいる。お前が孤立しているように俺も孤立していた。ぼっちは遍在する。お前はぼっちかもしれないが、一人ではない。
だから何だと思うかもしれないが、「一人ではない」ということは「同じような悩みを抱えた奴も一人どころではない」ということだ。それはつまり「相談窓口がある」ということだ。
構内のビラ、掲示板、大学のウェブサイト…注意深く見てみろ。「相談室」「保健センター」「保健室」そういう類のワードだ。大抵の大学にはこういうサポートが存在する。
この手の窓口はまず間違いなく無料だ。たっぷり時間をかけてカウンセラーと話せ。気後れするかもしれないが、安くない学費を払ってるのだからそれくらいやってもらわないと困る。主に俺のような奴が。
ところで、カウンセリングは全てを解決しない。だがカウンセリングを、他者との会話を通じて見えてくるものはある。例えば「自分が何を辛いと思うのか」だ。漠然と「辛い」と思うより具体的に「◎◎が辛い」と掘り下げた方が対処しやすい。
例えば「ぼっちなのが辛い」にもいろいろあって、「ぼっちであることで不利益を被るのが辛い」と「ぼっちであること自体が辛い」とではそこそこ違いがある。
前者を更に掘り下げると「休んだ回のノートを借りられない」とか「試験の情報共有ができない」とかだ。ここまで具体的な事象に落とし込めばぐっと対策が立てやすくなる。例えば「教員に参考文献を聞いて自学自習する」「オフィスアワーに教員に直接聞きに行く」「ネットの掲示板やTwitterで検索する(大規模な大学・学部であれば有効)」などだ。教員は友人ではないが、基本的に味方だ。
後者の場合は少々厄介だが、手がないわけではない。人間は本質的に孤独だが、他者との交流を持つことで孤独感を和らげる生き物だ。ならば他者との接点を増やして交流への足掛かりを築こう。
大学2年生であれば他者との接点は「講義」「アルバイト」「ゼミ・研究室(3年次からが多い)」「サークル」「SNS」「学外のコミュニティ」が主軸になるだろう。前2つについては申し訳ないがアドバイスできることが殆どない。何故なら奏功しなかったからだ。これは俺の限界でもあるが、自分の限界を認識しその範疇でできることをやることも大切だ(自己弁護)。
ゼミ・研究室についてだが、増田が今2年生ということは学部・専攻によってはゼミや研究室の話が出てくる頃合いだと思う。少人数ゆえに距離は近いが、同期や先輩との相性に加えて指導教員との相性もあるので、合わない人は合わない。中には一生ものの友人と出会う人もいるが、合わなければさっさと割り切っていくしかない。自分は後者だった。あっ、これも奏功してないな?
サークルについてだが、それなりの規模の総合大学であれば「サークルリセマラ」が利く。都市部であればインカレサークルもありだろう。なんとなく興味を持ったサークルにふらっと寄って、なんとなく雰囲気が合うなとか、話しやすい人が多いなとか思ったら残り、そうでなければフェードアウトする。新参が一人来なくなったところで誰も気にかけないので、こちらも気にしないことだ。コミュニケーション能力を高めるより、自分のコミュニケーション能力でも溶け込めるサークルを探した方が話が早い。相性もある。あとは試行回数。
自分語りで恐縮だが、俺が大学生活で最も長く在籍したサークルは2年生になってから入ったところだった。集まることは集まるが、互いにさほど深入りしすぎず、孤独とゆるく付き合っているような人が多かったのが俺には合ってたのかもしれない。休学中もサークルには時折立ち寄るなど、サークルの存在は立ち直る上で非常に大きかった。
何が言いたいかというと、一つで十分なのだ。何か一つ自分の居場所を確保するだけでかなり違うということだ。俺は講義でもゼミでも孤立していて、教室の前まで来たのにどうしても入れずにそのまま帰ったり、アルバイト募集に電話をかけられず断念したり、そういう学生生活を送ってきたわけだが、サークルの片隅に居場所ができたおかげでなんとか致命傷で済んだ。
しかし、例えば増田が地方の単科大学に在学中だとしたらサークルリセマラはちょっと難易度が上がる。学生数が少ないとサークルの数も少ないからだ。そこで「SNS」「学外コミュニティ」も有力な接点となってくる。今はインターネットで同好の士を探しやすい。自分の学生時代はmixi全盛期でクローズドなコミュニティが多く辛かったが、今主流のTwitterはとてもオープンだ。何より大学の外の人たちは自分の視野を大きく広げてくれる。視野とはつまり「なんとかなる」という感覚だ。
大学というある種閉じた場所で孤独と向き合うばかりだと、周囲とのギャップで自分がひたすら惨めに思えてくるものだ。だが世の中には孤独とうまいこと付き合いながらそれなりに楽しくやってる人たちが実は沢山いる。サークルやSNSや学外コミュニティでそういう人たちと出会うことで孤独に耐え得る価値観を知ること、そして「孤独でも案外なんとかなるんだ」という感覚を知ること、それがつまり「視野の広がり」なのだと俺は思っている。価値観は柱だ。柱は多い方が頑丈なのだ。
これは鬱の初期症状の可能性があるので早めにカウンセリングや心療内科の受診が望ましい。上述した通りまずは学内カウンセラーに相談の上で受診を検討した方がよいだろう。
休学についてだが、積極的にはおすすめしない。休学は基本的に「問題の一時的な凍結」でしかないからだ。それでも心身が休養を要するのであれば一つの選択肢になり得る。ただし、カウンセラーや医師や家族と相談して慎重に決めるべきだと思う。例えぼっちでも学業面に問題がないのであれば休学しないに越したことはない。
俺が休学を決断したのは自宅から出られず引きこもる日が増えた頃だった。学業や生活に支障をきたすようになったら一つの目安かもしれない。だがいずれにせよ、自分一人で決めるべきではないというのは間違いないだろう。
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いまいちまとまっておらず乱文乱筆で申し訳ない。一連の話はあくまで自分の生存バイアスを通したものでしかないのも重々承知している。人にはそれぞれの地獄がある。ある人にとっては何てことなくこなせることでもまたある人にとっては地獄の苦しみだったりする。
だからここに書いたことが全てお前のためになるかは分からないし、保証もできない。何故なら俺はお前ではないし、お前も俺ではないからだ。
今でもあくまで「女性の仕事としては」高いというだけで、男性も含めたら特別高い訳ではない。
むしろ諸外国と比べたら低い(まあ医師なんかも日本は低いんだが)。
「専門学校による養成教育が必須じゃないから」かつ「資格がなくても業務が出来るから」だよ。
看護師資格は3年以上の専門教育が必要だが、保育士は学校に通わなくても自学自習でも取れる資格だし
看護師資格(や他の医療系資格)がなければ医療行為は出来ないが、
保育士資格がなくても保育の仕事は出来る(実際人件費減らす為に無資格者を雇っている保育園も多い)から。
最近,自分のプライドが邪魔をしているせいで何かしらうまくいかないと思うことが多々ある.
自分の専門やその関連分野についてはかなりの知識があるということは
しかし,今のご時世においては国際化や連携といったことが強く求められ,
必ずしも自分の得意ではない分野においても,さも得意であるかのように振る舞うことを求められることが多い.
# 分からないのに装えというわけではなく,一から勉強してその分野にも強くなれということ
特に30代前後の研究者はテニュアと呼ばれる生涯が保証されるポストを
得るためには,とにかく様々な業績を上げる必要があり,そのためには仕事を選ぶことなどできない.
修士から博士の5年間によって,一般的な問題解決能力は鍛えられたとは思う.
その恩恵として,同じことを一から始める場合でも,ある程度ものになるまでの
時間は短いという感じはしている.
早く仕上げるということを考えると誰かに非常に初歩的な質問をしなければならない.
頭ではそうすればいいというのはわかっているのだが,
どうしてもそれをすることが出来ない.あるいは妙な葛藤があり結果として時間を浪費する.
おそらくこれは自分のプライドが高いことが原因だと分析しているのだが,
どうすればこの高いプライドと折り合いをつけて,