はてなキーワード: 島田紳助とは
島田紳助の枕営業強要を告発した(ついでに枕強要に加担してた出川を批難した)マリエも同じかね。
紳助が死んでから、同様の被害を訴える人も出てきて、社会はやっと存在を認知するのかな。
俺はマリエが告発してから、出川が出る番組は見たくないからチャンネルすぐ変えてるし。
誰かのチンコテイスティングが関わってる娯楽、ノーセンキュー。
なんだよそのチンコ?って思わね?他人のチンコ臭がする娯楽、嫌じゃね?
ジャニーの被害者達は可哀想だけど(グルーミングについては別で書く)ここで不幸の連鎖を断たないと
次の被害の可能性があるわけで、社会通念的にも避けるしかなくね?
ジャニーズ応援してる人、可哀想だからと去勢避妊してない野良猫に餌をやる迷惑おばさんと同じじゃね?
餌やる前に、早くジャニーズの冠と少年の枕営業を認めていた腐った上層部を切り取れよ。切り取れるまで餌やりは止めようや。
同じように枕営業の可能性をどこかで見ても、見て見ぬふりして娯楽を楽しむ人間の方が多いんだろうな。
クソだな、この社会。
ユーチューバーよく知らんけど。
女性ウケするのはメイクチャンネルとカップルYouTuberとかでエンタメ系は基本的に男性視聴者が強いと聞いた。
確かに人気芸人のYouTubeチャンネルは露骨に男ウケに寄っていくのを感じる。たとえば東京ホテイソンはたけるへのドッキリとワンピースの2つがメインコンテンツになっている。ちなみに、芸人でもカジサックは例外っぽくて、家族回とかのほうが人気があるという。
ワーキャー人気より男ウケを取れと島田紳助が言ったのと背景に同じものがありそう。
芸人以外の例としては水溜りボンド。イベントの写真とか男女比1:4くらいに見えるけどチャンネル登録者の男女比は7:3くらい(2019と2022で動画の方向性は変わってるけど大きく乖離はしないはず)。 https://uuum.jp/posts/7072 https://twitter.com/kantamizutamari/status/1600825824097103872
エンタメ系の男性YouTuberは「動画好きだしよく見てる」という男性ファンが多いにもかかわらず推し活する女性ファンが目立つという状況が多そうだ。
2001 11.4% 西山喜久恵アナ/木佐彩子アナ/小島奈津子アナ
2004 16.9% ナインティナイン/中居正広(SMAP)
2005 13.0% 笑福亭鶴瓶
2008 13.8% 明石家さんま
2009 13.8% 島田紳助
2011 14.0% ナインティナイン/中居正広(SMAP)
2013 9.8% オアシズ/森三中/椿鬼奴/友近/ハリセンボン/柳原可奈子/渡辺直美
2015 10.4% ナインティナイン/中居正広(SMAP)
2016 7.7% 内村光良/さんま/加藤綾子/中居正広/Hey!Say!JUMP/Kis-My-Ft2/バイキングMC陣/ネプチューン/南原清隆/松岡茉優
何だかんだ言ってオラついた男が好きな女が一定数いるのは否定しないけど
「チンピラヤクザみたいなお笑い芸人」についても島田紳助司会のクイズヘキサゴンが大人気で最高視聴率を叩き出したのが2008年のこと、
めちゃイケで武田真治がサックスを破壊されたり加藤が狂犬と呼ばれて共演者をジャイアントスイングしてたのも2008年あたり
もう15~18年前の話になる、女子中高生が生まれる前の過去のブーム
今のお笑い界は時代が移り変わり「大陰キャ時代が到来している」と指摘する人もいるくらい陰の勢力が強い
https://www.tv-tokyo.co.jp/plus/entertainment/entry/2023/027477.html
https://www.youtube.com/watch?v=fHrzrL06I2A
↑動画も見てね。収益化停止してるということで書き起こししました。
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今日はですね、「THE SECOND~漫才トーナメント」という大会についてちょっとお話ししていけたらなと思っておりますね。
いやーまずね、あの「THE SECOND」が放送されたタイミングと同じタイミングでオリラジ
アカデミーって僕らのYouTube大学で、藤森くんとの番組に生放送してた。生放送という
かプレミア配信してたんでね。うわ、裏被ってるよと思ったんですよ。
なんかコメント欄でも「『THE SECOND』とかぶせんじゃねえ」とかって、「もうお笑い芸人が『THE SECOND』とかぶせんな」とかあったんだけど。ふ~ん。あっ、かぶってんだぁ。
僕「THE SECOND」って知ってたし、興味なくはなかったんですよ。言ったらもう
知り合いとか先輩が出まくってるから。あぁ、あの先輩どうなったのかなとか、知り合いどうなったか。三四郎とか同期だしね。
うーん。言ったらギャロップさんとかもね。若手の頃に大阪の劇場でご一緒させてもらったりとかそういうのもあったからねぇ。もうベテラン枠。15年以上が出るんですよね。大会でね。で、客評で決めていくと。そこまで知ってたんだけども。いつかってまでやってない。こっちはこっちでさ、あのスケジュールがあってこの日にっていうのが、たまたま一緒だったから。
あ、そうなんだ。わ、一緒かぁと思いきや、視聴者層の違うし。何だったら戦いだと。常にね。あらゆるコンテンツつうのはずうっと戦いだから。やってるじゃねえかぐらいの感じで
オンエアしましたね。
その結果ね、僕のほうのYouTube大学が急上昇ランキング4位までいきまして。相方のほうの後編は急上昇ランキング1位になりましてね。よかったなあと思いましたよね。その「オリラジアカデミー」木本さんにも活躍していただいてみたいな。そういうのもあって。
でも裏だったしって思ったんですけど。だって見ないで何か論じるのっておかしい
よねと思って、見たわけですよね。
ギャロップさんですとか三四郎の漫才を見ましたし。大会のあり方そのものも含めてね。
中田がどう思ってんのかっていうことですよね。はい。ここなんですよね~。
これでさネタが面白かった云々っていうのもそれもあるんだけど、大会そのものが
どういうふうに中田、捉えてるのかっていうことで言うと。
本当にいろんな側面があると思う。単純に「M-1」自体がそもそもは「M-1」との兼ね合いの中で生まれた大会じゃないですか。「M-1」はテレ朝でやってて。この「THE SECOND」ってフジテレビでやってるんでよね。
そんな中でテレ朝が作ったこの「M-1」っていうのがいろんな、その後賞レースできましたけども、すべての雛形になってるような形ですよね。
というのもお笑いで言うと東京ってああいうお笑いの賞レースって。
ショータイムのショーのレースじゃなくて受賞の賞ね。賞レースって我々言ってるんだけど、賞がついてるレースだよね。こういう大会自体が、関東はあんまなかったんですよ。テレビ局は。でもこれ、関西の文化で大阪はABCお笑いグランプリとかなんとかMBSアワードとかなんかいろいろあるみたいなんですよ。
でもその吉本の中でも大阪と東京って全然文化が違うから、その東京の人間がじゃあ大阪に行って大阪の賞をとれるかっていうと相当厳しいんですね。大阪の賞は大阪の芸人のものだっていうのが、大阪のテレビ局の中でも芸人さんの中でも視聴者の中でもどっかあるんですよ。
だから東京から来た奴らっていう感じだから、なんかね大阪の賞レース文化ってちょっと遠くに見てたんだけど。ただ吉本興業ってすごくその賞レースを中心とした事務所なんですよ。だからそのテレビでどれだけ売れたか以上に漫才の賞を取ってるかどうかで劇場のギャラが上がる下がるとかっていうのがあったりしたんだよね。少なくとも俺がいた時は。
だから僕はずっと不平等だなと思ってたの。なんで、東京はショーが少なくて大阪はショー
がいっぱいあるのに賞を取ったらギャラが上がるんだよって。フラットじゃなくない? 大阪超有利じゃんとかいろいろ思ったわけ。
でもそれはそれで、テレビ局の全国ネットが東京にあるんだから東京の芸人は売れやすくて有利じゃないか。大阪から移住しなきゃいけないんだぞとか、いろんな理由があるから。
必ずしもね。そのどっちがっていうのはないと思うんだけども。その大阪の賞レース文化っていうのはなんかすごく遠くに見てたんだけども。
そのM-1っていうものができて僕はそこに吉本って入ったの、「M-1」ができた後ですから。
2004年にNHK入って5年にデビューするんですけど、2001年に「M-1」始まって。僕は大学生の時に大学1年生の時に「M-1」ってのが始まったっていうのがね。覚えてますから。
その「M-1」の大会の存在意義っていうものも含めてこのセカンドができたわけですよね。「M-1」っていうものは要するに1年目から10年目までしか出れなかったですよ。まず
これは島田紳助さんが10年やって売れないんだったらもう諦めてもいいんじゃないかっていうことでお笑いという、いつ売れるかわからないけれど、そのためがゆえにズルズルやっちゃうという芸人さんを産まないために10年目までに光を浴びないんだったらやめなはれ
というですね。
そういう言ったら厳しい愛の鞭のような意味を持った年齢制限だったわけですよ。
ところが1回終わるんだよね。「M-1」自体がね。なんでかって言うともちろん紳助さんが辞める辞めないとかもあったんだと思うんですけど。それ以上にやっぱりこう、10年目までのおもしろい人たちが大概出ちゃって。ちょっとこう、「うーん…。なんか、どうする?」みたいな状況になった中で。「THE MANZAI」とかできたり、(一緒に?)しましたよね。
そんな中でまた戻って、15年まで広げたんだよね。芸歴15年まで出れるようになったわけ
よ。この時点でかなり中堅に優しい大会になったんだよね。
これ10年って、俺が、俺はずーっとこう最初にデビューした時に武勇伝っていう
もの自体がそもそも漫才じゃないっていうことで準決勝まで行けたんだけど決勝に上がれ
なかったんですよ。
そこから漫才じゃなきゃいけないんだと思ってずっと漫才やってたんだけど、漫才自体が俺が一番向いてるフォーマットじゃなかったんじゃないかって思ってたし。僕らの実力不足でいけなかったんだよね。優勝も決勝までね。ずーっと敗者復活とか準決勝で敗者復活。ずーっと。そんな感じだった。
そんな中で、でもまあ10年でやめれるっていう側面もあるわけよ。あれって。
芸人からすると。もう出なくていいっていう側面もあるわけよ。ところが15年まで広がることによってずっと出なきゃいけなくなっちゃうんだよね。
ここね。でも15年で言ったら解放されるって所があるわけよ。解放されるのか? それともチャンスがなくなるのか? この2つの視点があることがすごい大事なの。
で、「THE SECOND」始まったんだよね。15年以上のキャリアの。ということはだよ? これ、全キャリアがその賞レースに向かうことになったわけですよ。
この「M-1」至上主義っていうのが「M-1」で見出された人たちはたくさんいるん
だけど、俺からすると正直みんな「M-1」目指しちゃってもなーって思ってたんですよね。
もちろんいろんな意見あると思うよ。「お前は決勝行ってないんだから黙ってろ」とか
いろんな意見あると思うけど、「M-1」ばっか目指しちゃうんですよ。みんな。
売れるために「M-1」しかないって思ってる人もすごい多かったのね。今、わかんない。「YouTube頑張れ」とかっ言う人もいるかもしれないけど、「M-1」しか
ないと思って、「M-1」で何とか売れるために1年準備して「M-1」に行くんだけど、「M-1」のすごいところって、発掘してるっていう側面もあるんだけど、選抜してるっていう側面がすごい強いから。言ったら「M-1」で優勝したとか準優勝したとか、それぐらいの功績を残した人たち以外は、言ったら日の目を見ない大会なんですよね。あんまり。
特に「M-1」の決勝出たけど、下位だったっていうコンビって、逆にレッテル貼られたりするじゃないですか。相当しんどいんですよね。僕の感覚からすると、お笑いって
漫才だけじゃないんですよ。まず。
漫才が偉いとかも実はないんですよ。だけどあの大会のすごいところは、漫才が偉
いっていうふうにしたところで実はみんな2001年からのお笑いの流れしか知ら
ない人って漫才ってすごいもんだって思ってると思うんですけど。
実はそれよりちょっと前って、言ったらボキャブラとかの時代って漫才師のほうが少なかったんですよ。ネプチューンさんとか、ナインティナインさんとかロンブーさんとかの世代
ってどっちかというとそのショートコントとかコントとかそっちのほうが多くて、漫才ってちょっとレトロな演芸になりかけてたところがあったんですよね。
それをルネッサンスしたのが、復興したのが、復活させたのが「M-1」だったわけなんですけど、そういう風に相対的に見ると漫才っていう演芸とコントっていう演芸とそれ以外の演芸っていうのは実は本当はフラットなんですね。
みなさんの中で落語と漫才どっちが偉いですかとかって言われてもなんか「う~ん、知りません」って感じじゃないですか。だけど昔は落語のほうが圧倒的に偉かったですよ。これ。
落語家さんは出番が黒い文字で書かれてて、それ以外の漫才師さんとか手品師さんとかそういう人たちは全部赤い文字で。色のついた文字で描かれて紹介されて落語という主の演芸を賑やかす、いろもんって言われてたんですよね。そういう感じで時代によってこの演芸が格式が高いっていう認識って全然違って。
ある時は落語、その後である時は漫才みたいになったりもしたんですけど。それはすごく相対的なものなんですよ。すごく相対的なもの。そんな中で「M-1」っていうものがもたらしたのは、僕から言うと漫才至上主義に近いものでそれのカウンターカルチャーに置かれちゃったのが「エンタの神様」とかなんですよね。
エンタの神様はどっちかっていうと「ボキャブラ」とかそういうのもそうなのかもしれないですけど、テレビバラエティの中で言ったら何でもいいからやるっていう感じですね。
もちろん漫才とかもやる時間もあったけど、漫才の時間は「エンタ」ってすごい少なくて漫才師は出づらいって言われて、タカアンドトシさんでも「コントで出ろ」とか、サンドウィッチマンさんでもコントで出ろとか言われて、コントに漫才を直してやるぐらい、お茶の間にセンターマイク1本で2人が立ってるだけの演芸は伝わりづらいだろうっていう五味和夫さんの強い意向によってコントにしていくっていう。そっちのほうがテレビ的じゃない?っていうそういう流れの中でやられてたんですけど。
だから言ったら「エンタ」芸人と「M-1」芸人って、2種類あるとしたら、なんかエンタ芸人のほうが一発屋の扱いを受けることのほうが多くないですか? でもね、冷静に考えてほしいんですけど、エンタ出身で売れ続けている人もいっぱいいるし、「M-1」出たけど一発で終わった人もいっぱいいるんですよ。
そうですよね。「M-1」の決勝に出たけど、今その後出てない人も全然いるんですよ。だけどなぜか「M-1」で決勝を出て、その後売れてない人ってのはあんまり一発屋だって言われないんですよ。こういう、まず流れがあるんですね。なので、「M-1」は漫才が格式が高いっていうふうに見せた流れがあることと、キャリアが10年って限定してたんだけど、それを伸ばしたっていうことがあるっていう事がまずあるんですよね。
そんな中で、僕がもう1個問題だと思ってるのが、実はその若手がすごく、その「M-1」に集中しすぎちゃって、逆にチャンス減ってんじゃないかなと俺は思った時期があったんだよね。他の出方、いっぱいできるんだもん。「M-1」に向けてだけやる人、すごい多くて。
減ってる?チャンス、もしかしてって思うこととか。あとね、他の賞レースとの大きな違い。これ、功罪両方あるんですけど。「M-1」って圧倒的に審査員に光がめっちゃ当たるんですよ。審査員がなんて言うかっていうのは超重要なんですよね。
特に松本さんだよね。松本さんが「うーん、もっと点数入ってもよかったと思いますけどね」って言ったら、順位が低くてもものすごいフォーカスされたりしますよね。あれがもう圧倒的な特徴なんですよ。この「M-1」の「M-1」の圧倒的な特徴が、審査員にものすごい力があって、審査員がものすごい光を当てられる。
あんなに審査員が華々しく登場する賞レースってないんですよ。最初の1時間ぐらい、実はネタ始まるかなと思う。始まんないじゃないですか。審査員の紹介が、結構長い大会なんですよ。だからこそ成功してるとも言えるんですよ。
他の大会見てると、重みがあんまりなかったりするんですよ。要するに言ったらネタ番組と差別化が図れないんですよね。だからこそ大御所の審査員のほうが厳しいこと言うとかがすごいフォーカスされますよね。上沼さんがとろサーモンさんに対して何か言ったとか、和牛さんに対して何か言ったとかもすごい注目されるように、紳助さんがなんか言うかとか。
でもなんせとにかく松本さんがなんか言うかっていうところすごく強かったわけですね。M-1ってね。これが大きな特徴。そんな中で、僕がずーっと思ってたことは、松本さんがあらゆる大会にいるんですよ。
これ冷静になって考えてほしいんですけど、「1本グランプリ」にもいらっしゃいますよね。「滑らない話」もいらっしゃいますよね。漫談でも大喜利でもいるんですよ。なんだかんだで、その若手を審査するっていうお仕事がめっちゃ多いんですよ。それは第一人者だからカリスマだからっていう意見もあると思うんですけど、今までもカリスマ的な芸人さんってたくさんいたんですよ。
たけしさんとかさんまさんもそうじゃないですか。でもたけしさんやさんまさんはそんなに審査員いっぱいやらないんですよ。ここが松本さんの特筆すべきところで。
松本さんはあらゆる大会を主催して、あらゆる大会の顔役になってたんですよね。ここで非常に重要なことが、賞の審査員が、どのジャンルでもですけど、実はその業界で一番力を持つことが大きいんですね。例えば、だから芥川賞ってすごい有名な賞ですけど。
芥川賞の審査員をやっている作家が一番偉いんですよ。実は。なんでかというと、どの作家がいい文学かっていうのを規定できるからなんですよね。この文学がいけてる。なぜなら、こうだからだっていうふうに決められる作家が一番偉いんですよ。
だから太宰治とかは、それを賞を、僕に、芥川賞を僕にくださいとか言って審査員にお願いしに行って断られたりとかっていうことがあるわけですよね。
それぐらい、その審査員って権力なんですよ。この権力が分散していたらまだいいんですけど集中してるんですね。なんせ漫才だけでキングオブコントもそうですよ。キングオブコントにもいて、「M-1」にもいるって、要するに言ったら、主流二種競技なんですよ。漫才というかコントって。その両方にいて。なんと大喜利にもいて、漫談にもいるんですよ。4種競技。5種競技だとしたら、全部のジャンルの審査委員長が松本人志さんっていうとんでもない状況なんですよね。これって。
たぶん他の業界だったら信じられないぐらいの独占状態にあるんですよ。これ、どうなるかって言うと、松本さんがおもしろいっていうか言わないかで、新人がキャリアが変わるんですよね。その権力集中っていうのは、1個の見方で言うと松本さんがそれだけ偉大な人だから求められてるんだって見方があると思うんですけど、求められてるっていうことと、実際にやるっていうことはちょっと違うことなんですよね。
求められてたとしても、冷静に考えたら実際にやることがその業界のためになるかどうかでいうと、もう僕の意見で言うとあまりためにならないと思うんですよ。なんでかって言うと一つの価値基準しかないっていうことは、それ以外の才能は全部こぼれ落ちるからなんですよ。
その人の理解できないお笑いに関しては全部こぼれ落ちていくんですよね。いや、とはいえ、中田とはいえ、それでうまくいったんじゃないか、「M-1」は成功したんじゃないかっていう議論があると思うんですけど。
もちろん素晴らしい芸人さん出てったんですけど、この「M-1」における成功って何なのかってことだと思うんですけど。それってネクストスターの発掘じゃないですか。
つまり本当の成功って松本さんを超える芸人が出てくることなんですよ。「滑らない話」「M-1」この「キングオブコント」「1本グランプリ」もう何年もやってますよね。「M-1」にいたっては2001年からだから、言ったらもう20年近く。休んでいった期間があるとはいえ、20年以上やってるんですよ。20年やって、松本さんを完全に超えたっていう芸人さんをこの全大会全部やってですよ、誰か産んだんすかって言うと、誰かが新しい大会の審査委員長になって、みんなが納得するような人が出てきたら、もしかしたらそれは成功したっていえるかもしれないですよね。
ところが、新しく始まった「THE SECOND」のアンバサダーという役割は、松本さんなんですよ。わかります? つまり20年間松本さんは松本さんを超える才能を発掘できなかったんです。発掘できなかったのか、どうなのか。
それとお笑い回は、今向き合わなきゃいけないと僕は思うんですよね。みなさんがどう思うかわからないです。僕の意見だけ言うと、ここのっていう、このアンバサダーという立ち位置がすごい微妙な立ち位置ですよね。なんでかっていうと、審査に影響を与えない大会の顔だけを求められてるわけですね。権威だけとしてアンバサダーってあるわけじゃないですか。
ブランドのアンバサダーとかいますよね。でもそれは広告塔であってブランドのディレクターではないですよね。クリエイティブディレクターとかではないから、広告塔になってくださいという言い方なんですけど。ただね、ここ、すごいポイントなんですけど松本さんってめちゃめちゃ評価に介入していくタイプの人なんですよ。
今回それが浮き彫りになったのがマシンガンズさんの時ですよね。マシンガンさんが自分たちの書き込み、自分たちについての書き込みを読み上げていくぜって言って、「マシンガンズがこういうふうに言われてる! なんでだよ!」って突っ込んでいくっていうネタがあるわけですけど。
それをやってすごいウケたわけですよね。ウケた後に、「いやでも、あの紙を出すのっていうのが、どう捉えられるかな」っていう意見を言ったわけですよね。あれがいわゆる介入。
価値観への介入に値するわけですね。
「M-1」でもそういうことはたくさんやってきたんですよ。「M-1」でも、もっと受けてもよかったけどなとか、もっと点数入っても良かったけどなってなった時に、「あっ、えっ? そうか。点数はもっと高くあるべきなんだ」と。「この人たちは面白かったのにうけなかったのは間違いなんだ」っていう。あれは審査とか、価値への介入なんですよ。
それをまあ積極的に求められてるから審査員なんじゃないかっていう見方で言うと、今回審査員ではないにもかかわらず価値に介入していったんですよね。その価値への介入を、しかも今回凄かったのが、跳ね除けちゃったんですよね。客票が。マシンガンズが勝っちゃうっていう。だから余計に変な感じになるわけですよね。
「ん? どっちなの?」っていう。紙を出しても良かったの?良くないの?
1990年代の感覚だとダウンタウンはあくまでウンナンやとんねるずと並ぶ感じだったよな。
内村や石橋と比べて松本だけ飛び抜けてすごかったとか人気あったとかそんな印象はぜんぜんないんだが。
もちろん当時はBIG3+紳助がそれ以上の存在感で居座ってたし。
2000年代なんかぜんぜんパッとしてなかったイメージだけどな。
なんかビートたけしを目指して映画をつくりはじめて大コケしたり。
下からはナイナイとかロンブーとか出てきて「世代交代していくなあ」と思ったり。
ダウンタウンの冠番組が減って、めちゃイケとかのほうがぜんぜん勢いあったし。
それがいつのまにか「若手はみんな松本に憧れてる」「お笑いの神」みたいな扱いになっている。
いつからだ?
紳助が引退してM-1の顔を松本が引き継いだときに「天下人」の禅譲が行われた感じはするな。
あれが2011年のことか。
2010年代にもなるとBIG3がさすがに衰えを見せはじめたし、
松本がお笑い界のトップに押し出されていった、という格好になるのか。
「吉本」という括りで見ると、番頭格だった紳助が引退して松本が引き継いで、
そうしたら上に残ってるのは権威とかぜんぜん興味ない明石家さんまだけだもんな。
下から来る若手はみんなM-1を目指してるから、その代表者の松本はどんどん権威が上がっていく。
うーん、じゃあ結局は島田紳助のせいってことか。
せっかくの機会(なにが?)だから、N=1の実例としてオレの経験を開陳しようw
あれは、たしか2003年ごろ、テレビ(松紳だったと思う)で島田紳助氏が「日本円でめっちゃ貯金持ってても、円安になったらガックリ減ってしまうんやで、ある程度の財産は外貨建てで持っとくのがええで(大意)」て言ってるのを聞いて影響を受けたオレは、マジメに残業バンバンしてそこそこ貯まったオカネを某外資系銀行に移し、ドル建ての投資信託を買った。
満期10年で、満期まで持てば17%の利息(ドル建て)が保証されるという仕様だった。
とりあえず、日々ドル円レートが上がったり下がったりはあるけど、こまかい動きで一喜一憂するのもアホらしいので、気にしないことにして数年放置する。
毎年、なんかよくわからんけど、信託した資金がどこに投資されていくら収益がでたのか、現在の評価額がどうなってるか...という報告書が来るので、わかったようなフリをして「ふむふむ」とか余裕ぶっこいてノホホンとしてると...
やって来ました!リーマンショック!!
当時の口座残高報告書を引っぱり出してみると、2008年末ごろのドル円レートが88円台。買った時のレートから2割ぐらい下がってしまった。ここまでの約5年の運用益を含めても、この時の日本円評価額は192万円でみごとに元本割れ。
ここでビビって解約してしまったら、損失が確定してしまう。ハラをくくって、満期までガチホールドしようと決心... するが、5年ぐらい先にドル円レートがどうなるかはお釈迦様でもご存じないので気が気ではないw 日々脂汗がにじむ思いである(大袈裟
その後、ドル円レートはじわじわ上向くが、まぁ90円台と80円台を行ったり来たり。そして東日本大震災後の最高に円高が進んだ2011年の年末付近が、75円台。日本円評価額で、168万円台まで下がった。
うひ〜、こりゃ満期までじっと我慢しても、元本割れはやむなしかと、ほぼあきらめかけたのだが...
2012年の終わり頃、あの旧統一なんとかガラミで暗殺された某首相の経済政策が、ついにキターーーーー!!!
2014年1月にその投資信託は満期で払い戻しになり、ドル建てで23500ドル余り、ドルでの利率は17.88%となって、最初に約束された利率はクリアされたのだが、円建てではこの時点で243万5400円。買った時より20万ちょいしか増えてませんでした。
某首相のおかげで元本割れだけは何とか免れました!ありがとうございます!国葬賛成です!!
ヒットするための方法論を会得した人たちということなんだろうか。
自分は漫才の世界で頭角を現すときにひとつの方法論を編み出した。
運や才能もあったのだろうが自分が売れた要因はその方法論が正しかったから売れたのだと考えている。
だから出来ることなら全くの別人生まれ変わって全く別の漫才で勝負して、それでもヒットすることを証明したいと願っている。
でも、そんなことは不可能だから、その代わりとして他業者、飲食の世界やその他の世界に挑戦している。
そうしてその別の業界の仕事でも成功をすることで、ああやっぱりこの考え方は正しいんだ、という確認をしているのだ。
みたいなことを言っていた。
ヒットを出した漫画家さんがそのあともマンガを描き続けるのは漫画が好きというのもあるけれど、そういう確認の作業がしたいという気持ちもあるのかもしれない。