はてなキーワード: 3Kとは
我ながら悲しい人間だと思う
でも止められない。
地方出身者にはなんとなく想像できるかもしれないが、地方の頭のいい人たち(お勉強ができる=頭がいいではないかもしれませんが便宜的に)はほとんどが大学あたりで県外にでる。
そしてそのまま県外で就職したり、家の事情やらなんやらで戻ってきても大卒公務員やら地方銀行などの(その県内では)「上位」のステータスを得る。
なので必然的にずっと地元に残っている人の多くは「頭の悪い人たち」ばかりになる。
よく地元では頭が良くてトップの進学校に行き、都市へ進学、就職して勝ち組と思っていたのに、フェイスブックで地元の同級生を検索してみたら
みたいな話を聞くが僕はそう思わない。
現実的には、彼らのほとんどがいわゆる「3K」のブルーカラー、それも非正規雇用が半数近くいる。なのにできちゃった結婚をして子どもを産んでいる。DQNスパイラルに陥ることは目に見えている。
僕も近々結婚する予定だが、できれば彼らのような家庭の子どもと自分の子どもを同じ学校には通わせたくないと思う。
マスメディアに騙され、低賃金の非正規雇用で、子どもにまともな教育を受けさせることもできず、趣味と言えばパチンコくらい
なんで15cmってこんなに小さく見えるんだろう。
もう5cmほしい。
でも1mぐらい長くてもいいかもしれない。結局男は射精さえできればそれでいいのだから、1m20cmのモノで悶える女を若干遠目に見て腰を振るというのも乙なものかもしれない。
いや、いっそ某漫画みたいに伸縮自在で最大13kmまで伸びればいいんじゃないだろうか。狙ったあの子のおしりへ「13kmや。」とか言いながらどん!ってナニを突きつけて女の子に「なん…だと…?」とか言わせてみるのも粋だと思う。
そうするとなんとなく長くなったそれ同士を手に取って手近な男とバトルをするようになるんじゃなかろうか。それとそれをぶつけて鎬を削り、顔を近づけて側には吹き出しにセリフが入る。ここまで近いと相手のアレを舐めることだってできる。カジュアルに。互いに互いを高めることが容易になる。
ということは、おそらく腰に差して歩くようになるだろう。常に鍛え、硬くしておき、いつでも抜けるようにすることがステータスになるのではないか。いや、もしかすると今のように股倉に隠しておきながら、いざとなれば無防備を装っておいて、たちまち13kmにできるようにしておくのが公共によいのではないか。脇に差すのはどことなく進歩的ではない。そう、人類は日々しんぽしなければならない。携帯電話が技術革命によってそのサイズをどんどん小さくしていったように。
とすれば、実のところ、小さいほうがいいのではないか。大は小を兼ねるということわざがある。これは、大きい物をすればおのずと小さい物もしてしまう、という意味だけれど、技術が革新すれば、小は大を兼ねる、というパラダイムシフトが起こるのではないか。今のこの僕の柔らかいコレは、おっきいのも出せるようになるのではないか。とすれば、8cmは長すぎるだろう。もっと短くなるはずだ。
そうやって短くなっていくと、やがて無になるだろう。今僕にぶら下がっているものは、カタチを失ってゼロになる。そうすると、どことなく女の子にそっくりだ。女の子は、ぼくたちの進化系だったんだ。
女の子たちは、未来の僕たちで、タイムスリップしてここに在る。ないけど在る。ふしぎなことだ。僕たちが提げていた2つの球体は、女の子たちの胸部にその魂を残し、存在を雄弁に物語る。
30も近くなったこの年になってふと気付くと、周りにしょぼい、くすぶった奴らしかいないことに気付いた。人間これくらいになってくると、身の程を知るというのか、どうせ俺なんてこの程度なんだから高望みしてもしょうがない、とあきらめがついてくるのかもしれない。将来は起業したいとか言ってた友達も、顔を会わせば、会社辞めたい、フリーターになりたい、とこぼすようになった。フリーターになってまで何かやりたいことがあるのかと思えば、若いうちに今しかできないようなことで思いっきり遊んでおきたいとかその程度のことらしい。
そんなくだらない連中との付き合いはほどほどにして、もっと魅力的な人と友達になればいいのだけど、俺には、社会に出て成功してるような勝ち組の奴らとは縁もなくて、もっと言えばまともに働いてもいない。まあ間違いなく連中の中でも俺が最低だ。
俺はまだあきらめてない。バリバリ働いて、たくさん稼いで、いい女といい暮らしがしたいなんて願望を持って努力しているのだけど、それってたとえば、40にもなって絶対医者とじゃなきゃ結婚しないなどと言ってるような女がたまにいるけど、世間の俺を見る目はそれと同じかも知れない。
鬱病で苦しんだ俺は、楽になるためには自分の心と折り合いをつけることなんて言われたけど、要は身の程を知ってあきらめろということなのか。
考えてみれば、大人になるということはあきらめを覚えていくことなのかもしれない。会社の中で出世して、あるいは才能を生かして一線で活躍できる人なんて極限られた人たちだけで、それも年齢が上がるほどに限られていく。不満や不条理があっても大きな声を上げるほどの気力もなくして、たいして能力もなくぱっとしない自分と現実を直視しないようにして、ささいな娯楽でストレスを解消して、また別に面白くもない仕事をして、毎日を生きていかなきゃいけないということなのか。
社会の方もそうあることを良しとしている。だってそうじゃなきゃ、3K(キツイ、キタナイ、キケン)の職につく人なんていなくなってしまう。仕事の合間に携帯ゲームに課金して、休みの日には朝からパチンコに並んで、性的に満たされなきゃ風俗に行って、趣味らしいことといったら車の改造くらいのもんで、賢い人たちから見たら馬鹿みたいな生活でも、それでも本人たちはそれなりに満足していると自分を騙して安い賃金で奴隷のように働いてくれる人がいるから社会が成り立っている。
ほら、人並み以上にいい所得を得て暮らしている人たちは、彼らに感謝しなきゃ。
彼らが現状に満足しなくなって結託してもっと良い待遇を求めるようになったり、あるいは俺のように絶望して生きている意味なんてないと思い出したらどうなるの?
彼らは自分たちの生活を良くしようと努力しなかった自己責任?ほんとにそう?
プロ野球選手になりたいとか、モデルになりたいとか、お笑い芸人になりたいとか、医者や弁護士になりたいとか、政治家になりたいとか、じゃあ私は税理士!僕公務員!とか、そう思って一生懸命努力したら誰でもみんな報われるの?
大体人間生まれもってスタートの時点から差がついてるんだよ。幼稚園児くらいの頃から、周りに自然と人が集まる子と、輪に入れなくて隅っこの方で一人で遊んでる子がいるよね。乙武君みたいな人は前者だったろうし、メンタルの強い人間はどこに出たって強い。人を動かせる才能ってのはなかなか学べるものじゃないよね。俺は自分が鬱屈していると自覚があるけれど、物心ついたときからもうずっとこんなだからね。半分は遺伝子、本人の努力で変えられるのなんてせいぜい2割。自己啓発本なんか読んでる人は一生同じような本を買い続けるし、英語の勉強法をはてブし続けるんじゃない?
能力があって夢も希望もある者は努力を続ければいいけれど、能力がない者はあきらめる方法を選んだ方が楽になれる。それとも第三の方法がありますか?
俺は今30歳の無職の男だ。
なぜ無職になったかというと、3Kの製造業をしていたところ、怪我をしてもう体力仕事は出来ないという事になったからだ。
ちなみにお金もほとんど無い。
で、今後どんな仕事をしたらいいかと悩んでいたのだが、Webサービス系の仕事に就きたいと思った。
事務とかではなく作る方の関われたらと思っているのだが、プログラミングは全くわからないし、HTMLすら知らない。
ただ、今は出来ないということで、猛勉強する気はある。
しかし当然だが、何の結果も出していない30の男が雇われる可能性すら無いようだ。
ここにいるみんなは、IT系の仕事に就いている人が多いのではないかと思い相談をさせてもらう。
・未経験でもとりあえず雇ってもらえそうな、方法はありそうか。
今の俺のWebに対する理解度は、SNSは嫌いでやっていなかった(当然今後はやる)、RSSとかでIT系のサイトは毎日チェックはしているぐらいなのだが。
増田に限らずはてブでコメントしたりしているプログラマはなぜかWEB屋とSIer(下請け含む)を混ぜて語ってるのだろうか?
どう見てもWEB屋の話であり、腐ったSIerの話ではないのに元請けが作った仕様書がとかいい加減にしてほしい。
もうこの2つの間には大きな隔たりがあるのだから職業として別物として考えた方がいい。
それを理解できない奴らは
のどちらかでしかない。
そこを理解せずごちゃ混ぜで話すから、一方では3Kだ8Kだという話になり
その一方でやりがいのある楽しいお仕事ですと言った両極端の意見が生まれてしまう。
それを誤解した人がWEB屋の夢を見てSIerに入社し、絶望してやめていく。